八路軍からバックレろ!2

それにしてもあの時あのパーロ、よくぞ思いとどまった。
敗戦直後のドサクサ騒ぎ、真っ暗闇に紛れて(一応は)戦勝国の八路兵が、敗戦国の恨み重なる日本人の一人や二人、撃ち殺したところで何の問題も起こらぬ時期だった。

以上の経験から参考までに一言。この様な場合、地位も面子もかなぐり捨てて、サッと両手を挙げることが肝要である(もっとも言われなくとも、無意識のうちに挙げてるから不思議だが)
虚勢を張ったり不貞腐れるのは絶対禁物だ。
相手も怖いのだ、あらぬ誤解を招くがごとき言語挙動は厳に慎むべきことである。要は命あっての物種-なのだ。
余談だが当時我々悪たれどもが、ふざけ半分に銃口を向けて身構え打つ真似をされるとすこぶる気分が悪く、実にヤーなものである。時が時だけに尚更で、そのうえ「カチャカチャ」でも聞こうものならゾッとする。たとえそれが冗談と承知していても、弾丸が入っていないことがわかっていても-。

あんな時代は二度と御免だ

ところで厭な後日談がもう1つ続く。
敗戦後、多くの日本兵がソ連に連行され、この世の地獄を体験した話は、今尚残る語り草だが、全部が全部行った訳ではない。中隊によっては上官が兵に対し「行く先のアテのある者、希望する者は逃げろ」と逃亡を奨励(?)したらしい。現に親戚・知人を頼って逃げ込み、一般地方人に変身していた人はかなりいた。
それとは別に「ソ連行きなど真っ平」と、鞍山地区に駐屯する血気の一団が、武器・弾薬・食料持参で逃げ出し、千山に立てこもった。
「千山」とは鞍山駅のひとつ手前の駅で、そこの人里離れた一角に「千山」なる小高い山(岳)がある。樹木も茂り、由緒ありげな古寺や祠が散在し、風光明媚な名勝地だった。
最初のうちは何事もなかったが、食料が尽きるに及んではメイファーズ、心ならずも山を降りては田畑を荒らし食物を徴発し、果ては民家(中国人)を襲う羽目となる。たまりかねた住民はその筋に苦情を訴え、官警(中国人)がおっとり刀で山狩りを行うが、名だたる日本陸軍の敵ではない。その都度、逆にやり込められて散々の体たらく-といった按配で、処置ナシだった。
斯くてはならじと、軍(八路)が乗り出し、大々的な掃討戦を敢行することとなった。
さしもの日本軍も、武器・弾薬に限りがあり、激闘数時間、あわれ全滅の憂き目を見るに至ったと言う。
以上は後日聞いた話で、100%本当かどうか定かではないが、いずれにしても悲惨な話だった。
厭な後日談とはここからで--過日我々が、O.S君の若い命を散らしてまでも汗水流してセッセと貨車に積み込んだ「鞍山行き」の弾薬、実にこの鉄砲玉が千山攻略戦に使用されたのであった。
つまり--知らぬこととはいいながら--日本兵への攻撃を間接的に協力していたわけである。これには参った。
同じ日本人同士、お互い食わんが為、生きんが為の方便が、立場を異に対峙するとは--。
混乱期ならではの、何とも皮肉な運命で、後味の悪い後日談だった。

尚、当時あのパーロの格好で日本人に「俺は日本人だ、心配するな」と、いくら言っても、「日本語の上手な八路だわイ」と思われ、絶対信用されなかったのには閉口した。我が顔が共産匪賊にそっくりさんとは情けなや-

敗戦直後の混乱期。若気の至りの奇行・蛮行---いろいろあったわサ。

「じーちゃんの昭和」目次
スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する