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八路軍からバックレろ!1

年が明けた3月頃だったと思う(昭和21年・満19歳)。
政府軍(国民党軍)が近くまで来ている情報が、そこここで囁かれ始め、世上騒然たるものがあった。
そろそろ「三行半」をたたきつける時期が来たようだ。元々共産匪賊に操を立てるつもりも、心中するつもりも更々ない。食うため半分面白半分、折を見て尻まくる魂胆あっての入隊(?)である。いつまでも八路に追随しているのは甚だヤバイ。
所属は違ったが、一緒に入隊した年長のSとAとともに、鞍山への逃亡計画を実行に移すこととした。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」三十六計スタコラ逃げた。
道中は世上不穏な中、少々の危険を覚悟の上だったが、幸いにもさしたる難事も無く無事鞍山にたどり着いた。途中、日本人のアパートに立ち寄り、無宿一飯の恩義に預かった記憶がある。

余談だが行動をともにしたAは、色白くか細い小男だが、早稲田を出て軍隊に入り、中隊長(中尉)を務めた経歴の持ち主だ。頭と口は達者だがなんとアグラがかけず、女のごとく横崩れ型(?)で座るのを常としていた。「アグラをかくと後ろにひっくり返る」と言うから聞いたこっちはびっくり返る。あれでよく中隊長が務まったもんだ。

鞍山へ帰った俺は、兄貴の社宅に転がり込んだ。
何食わぬ顔をして一般人に化け、職もなければ金も無く、悶々たる日を送った。
例のTと街で2,3度会ったことがある。家へも遊びに来たり、街の屋台でおごってもらったこともあった。
今となっては例の一件には触れず、過ぎたことを蒸し返す野暮はしなかった。
Tもまたすこぶる神妙かつ好意的で、先輩に対する例は保たれていた。
聞けばさる親分の家に寄食し、その使い走りなどしているとのことだった。金回りもいいらしく、拳銃を懐に忍ばせて、相変わらず遊びまわっていた。
一緒にトンズラしてきた先輩Sとも2,3度会った。よせばいいのにS氏は依然として八路服(将校服)を着用し巾をきかせていた。彼は銃剣術の達人で、全満大会で優勝の経歴を持つ豪の者だったが、無類の酒好きで、金さえあればチャンチューをあおるのを無上の喜びとしていた。

その頃、日が暮れると戸外へは一歩も出られぬ物騒な時期だった。
人っ子一人通らぬ暗闇の晩、S氏と俺は一杯機嫌で屋台めぐりをしていた。俺は下戸だが飲むほどに酔うほどにだんだんと気勢が上がり、果ては天下御免の態となる。その時、背後から肩を叩くやつがいる。振り返ってぶったまげた。5、6人の八路兵が取り囲み、一歩下がって「カチャカチャ」と銃口を向けて身構えた。
この「カチャカチャ」なる音、字は知らぬが「コーカン」という操作とかで、つまり引き金引くひとつ手前、安全装置をはずし「発射オーライ」の操作と聞く。なんとも不気味な音で、身の毛がよだつ瞬間だ。
「あっ!!殺られる」と思った---と同時に全身の血の気が引くのがはっきりわかった。頭から下の方へスーッと冷たくなる。ほんのわずかな間だが生きた心地がしなかった。
巡邏兵(?)の長らしき奴が、なにやら大声で怒鳴っている。「手を挙げろ」ということらしい。
手を挙げると彼らが近寄り、ポケットその他をまさぐってくる。凶器がないのを確かめると、また何やらガナリたて、一同去っていった。「ウロチョロしないで早く帰れ」ということらしい。
「助かった」と安心すると同時に、引いた血が戻ってきて頭や体がポカポカした。「血が騒ぐ」とか「逆流する」とか、文字ではよく見るが本当のことだった。ほっとすると、脇の下がいやに冷やっこい。なんと冷や汗でぐっしょりしていた。「冷や汗」というが、さながら氷の水玉がポロッツポロッと零れ落ちるがごときものだった。たかが37度の体内から、あんな冷たい水玉の出るのが不思議でならない。
過去何度か冷や汗かいた覚えはあるが、この冷や汗は質量ともに過去最高のものだった。
(続く)

「じーちゃんの昭和」目次
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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