純情可憐な幼少時代

物心ついてからの我が家は、母親がいても寝たきり同然の身、上の兄姉3人は成人して近郷の農家へ出稼ぎまたは兵役で不在、年に一度顔を見せる程度で、親父と2人きりのさびしいものだった。実際、親父を除く親兄姉とは何の交流もふれあいもなく、母親の二文字は知っていたが、いわゆる「母親」は存在しなかった。

戸外での肉体労働しか能のない親父の、いい加減な家事で育てられた俺は、俗に言う親父っ子であった。親父いなけりゃ夜も陽も明けず、どこへ行くにも金魚のフン、冠婚葬祭その他雑用の日雇いにもついて行き、晩飯は2人でご馳走になった。
祝言で貰って帰る折り詰めや、不祝儀の俗称「葬式饅頭」などは最高の楽しみだった。紅白の寒天やかまぼこ、黄色いナルトのきれっぱしが入っている折り詰めはこの世の最高級品で、現在のマツタケやフグの比ではなかった。

隣の新発田、中条などには自転車に乗せられてちょいちょい行った。それがまた、運悪く駐在(警察)にしょっちゅう見つかり、その都度、お目玉、説教、時には罰金を取られた。1日2~3回乗り合いバスに貨物自動車とその外では馬車かリヤカーが通る閑散とした田舎道で、自転車の2人乗りはことのほか厳しかった。現今の都会の状況に照らし不思議でならない。

警察の目をごまかし、2人乗りで近郷近在の催しにも数回お供をしたが、中に近所の連中が額をあわせてニヤニヤと話の種に上る催しがあった。×歳以下入場お断りのイワクつきだったが、後年考えるにどうも「衛星博覧会」のごとき物だったようだ。「素っ裸の姉ちゃんが寝そべっている等身大の人形」のワンカット以外、全然記憶にない。
「女角力」の触れ込みで見た角力も、果たして女がふんどし〆て相撲を取ったかどうか覚えてない。
草競馬も見たが、馬がかけっこしているだけ(当たり前)だけで何の興味もなかった。そもそも珍しくもない農耕馬を見るのに大勢の人が集まるのが不思議だった。
以上3つはおぼろげながら思い出に残るほんの一場面だが、普通子供ではお目にかかれなかったモノだけに、もっとよく見ておくべきだったと、7~8年経って後悔したものだ。
スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する