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仕事の極意は不登校にも通ず!?

さてKKが中2の6月、思い立ってパートを始めることにしたママ。
なぜこのパートに応募したかというと、時間帯や時給などの条件が合っていたことに加え、「ちょっとやってみたい仕事」「ちょっと着てみたい制服」だったから。
動機も安易なら職種選択も安易です
職種は接客業で、ママほぼ未経験。「でも以前にバイト等で経験はありませんか?」と面接で聞かれ、「学生時代に喫茶店とかなら」と答えたら、「それで十分です」エエ~~ 学生時代ってもう30年近く昔で、しかも短期のちっちゃい喫茶店バイトなんですが
雇われる側も安易なら、雇う側もけっこう安易でした。そして入ってみたら案の定、常に人手不足の職場でした
もっともママ的には、始める時こそ安易でしたが、しかし安易に辞めるつもりはなく、「こちとらダテに専業主婦10数年やってません。使い物にならない自信だけはたっぷりあります」という覚悟を胸に、「何も知らないんだから最初は叱られて当たり前。とにかくやるだけやってみよう」と意気込んで乗り込みました。

しかし、「何も知らなくて当然」とはいえ、最初はやっぱり試行錯誤の連続でした。
使い物にならない自信満々ではありましたが、それにしてもこれほど仕事ができないか自分、という。
ありがたいことに、職場の方々は皆さん優しかったので、私も「すみません」「すみません」を連発しつつ、納得しながら徐々に仕事を覚えていくことができましたが。
しかし陰では「も~うあの人ほんと使い物にならない」「あの人と一緒に入ると尻拭いが大変」とか、か~な~り~言われていたのではないかと思います。なんせ自分で贔屓目に見ても、言われて当然なレベルでしたから
幸いそれを表面に出す人はほとんどいなくて、むしろ私がいたたまれなくて「すみません私が一緒だとやりにくいでしょう」と頭を下げると、「大丈夫よ~みんな仕事と割り切ってやってるから」と、否定はせずに気持ちを楽にしてくれたりする職場だったのは、本当に幸運でした。

とはいえ、自分のダメっぷりは自分が一番よくわかっていて。
周りに人がいない時や休憩時間など、自分のあまりの不甲斐なさに、涙がこみ上げてくることもしばしばでした。
自分で自分が、情けなくて悔しくて。
涙を流しながら思ったのは、「ああKKももしかしたら、今こういう気持ちを味わってるのかな」でした。
もしそうなら・・・ちょっとKKの心に近づけた、気がする、なんて。

時には家に帰ってきてからも、今日の職場での無能ぶりが頭を離れず、KK&Uの前で思い出し泣きしたことも。
そんなママを見てKKは「そんなに辛いなら辞めればいいじゃん」
この時は泣きながらも一瞬、キタ━(゚∀゚)━!と思いましたね 仕事をすること、働く背中を見せることのチャンス到来!
「いやいや3ヶ月やそこらで辞めてたら何にもなんないよ。仕事は続けることでそのうち覚えていくんだから」
とべそべそと泣きながらこんなお説教くさい返事をしましたが、果たしてKKの心に入ったかどうか?(「じゃあ泣かないでやればいいじゃん」とか0か100かで受け止めただけかもしんないしね
ただまあ、「嫌ならやめればいい、ってもんじゃない」という価値観を伝える機会が来たのはよかったなと。もっともこの価値観もケースバイケースで、昭和の時代みたく絶対的なもんじゃないですけどね。

しかし言葉通り、こんなに自分のダメさ加減を職場で突きつけられて涙しても、「もう嫌だ仕事に行きたくない。辞めよう」とは、これっぽっちも思わなかったのは、我ながら不思議でした。
専業主婦になる以前も、仕事で悔しい思いをしたことはもちろん多々あります。
でもそういう時のほとんどは、例えば自分がやらかした失敗を「ほんの小さいミスなのに、あるいは悪気はなかったのに、キツく注意されたのが悔しい」とか、「良かれと思ってこうしたのに、わかってもらえなかったのが悔しい」とか、そういう、どちらかといえば自分を被害者のように感じてしまうがゆえの悔しさで。
だから「こんな加害者たちに囲まれてるような職場は嫌だ」と思ったり、そのせいで仕事へのモチベーションも下がったりして、結局転職したりしたのに。
でも今回は、相手がキツかろうと優しかろうと、注意されれば「あっそうだったんだ」「よしこれで一つ覚えた」。こちらに悪気がなかろうと良かれと思ってしたことだろうと、あるいはささいなミスだろうと、「失敗しちゃった。次はここに気を付けよう」。そうすると必然的に「早く今言われたことを次で試してみたいな~」という、次回へのモチベーションにしかならないので、「辞めよう」には向かわないのです。

昔の自分とはなんでこんなに気の持ちようが違うんだろう?
もちろん、この仕事は私にとって、KKの不登校に対する自分なりの決意表明って面もありましたから、そうそう簡単に挫けるわけにはいかないというプライドもありましたが、そんな義務感で無理やり頑張ってる気分はそこまで強くなく。
じゃあなんでだろう?やってみたい仕事だったから?
うんそれも大いにあると思うけど、でも昔の仕事もそれなりにやってみたい仕事を選んでいたはず。ああでも昔はそれ以上に「安定」重視で仕事を選んでいたかもなあ。加えてその頃の自分は、やっぱり今より甘えたおこちゃまだった
昔は、まあまだ若かったことも大だと思いますが、とにかく「受け入れて欲しい」という気持ちが強すぎて。
すごく自己中で、空回りしてたんですね。「安定」条件を満たした上で、それなりに「してみたい仕事」を選んだつもりではあったけど、それよりも「頑張ってる自分を見て欲しい」という承認欲求の方が前面に立ってて。仕事でそんな個人プレイいらないのに、他人の目ばっかり気にして、他人に評価されたがりの褒められたがりだった・・・

余談ですがこのパートを始めた頃、仕事から帰ってくるとマンガ「おたんこナース」を読んでは共感してました
職種は違えど、新人ならではの気負いや失敗の数々、それらを1つ1つ受け止め乗り越えていくさまがもう、「わかるわかる~」という感じで。「すみません」を言った回数、1日64回とかね
そこで自分でも意外だったのが、このマンガ、20年前から折に触れ読み返す大好きマンガではあったのですが、しかし内容は面白いと思うものの、「共感」てのはそこまでなかったんですよね。「なんでこんな嫌なことばかりなのに辞めようとは思わないんだろう」「なんでこんな意地悪な先輩を嫌うことなく、笑顔で喋れるの?」とか、むしろ不思議で。
それが今読むとすべて納得・共感できるのが意外で。前はあんなに「この先輩意地悪~」「怖い~」と思ってた先輩キャラも、今読むとそれほど意地悪には見えなかったり。苦労があっても「辞めたい」じゃなく、「じゃあどうしようか」に自然と向かうのもシンパシー。
仕事への考え方のみならず、例えば糖尿病患者夫妻と主人公のチームリーダー体験が軸になった「管理しようと一生懸命なのは相手をかえって追い詰める。ポジションを与えると人は自発的になる」という話や、アル中患者への対処法「あんな性格じゃ病気は治らない、は間違い。病気だからあんな性格なのよ」「必ず治ると信じる」といったエピソード等々なんかは、不登校の受け止め方にも通じることも多々あって。
(常々思うんですけど、「○○のことなんてまったく書いてないのに、○○に置き換えて考えることもできる話」っていうのは、名作の証だと思います。つまり普遍的なことが描かれているという)

もちろん、今回仕事を始めてみたら途端に、昔の「私を認めて」症候群が治ってた!ってわけじゃ全然ありません。
最初のうちは、まったく使い物にならないからこそ、スキあらば少しでも「役に立つ自分」を演出しようと、余計なお手伝いしてみたり、褒められそうなことをしてみたりe.t.c...
その都度諸先輩がたに注意されては矯正。すなわち
「人のやってることに手を出さない」→その人の仕事を奪う事になるから。やるなら同じ工程じゃなく別な工程、または先読みしてその先の工程をしなさい。それこそが手助けになる(ま状況に応じてだけど)
「余計なことはしない」→何かわけがあってそうなってるのかもしれないんだから、思いつきや勝手な判断で手を出さない。
「待つ時は待つ」→待ってる間に余計なことして、かえって迷惑になることもある。それくらいならあえて何もせず、待つことも重要。
「優先順位を考えて」→今はまだ優先順位がわからないから仕方ないかもだけど、しなきゃいけないことを思いついた順でやるのは、効率悪いしチームワークも乱す。常に優先順位を意識して動きなさい。

そうそう、それからどの先輩からも常に言われたことが、「無理しない」「焦らない」
私の場合、自分の無力さを省みず・・・いや自分の無力さを痛感しているがゆえに一層かな?ついつい無理をしては、そのため失敗するというパターンが非常に多かったんですよね
ただでさえデキないんだからちょっと無理してでも効率上げないと・・・という心がけは悪くないとしても、失敗して逆に皆の足を引っ張っるので、結果的に効率ダダ下がりという。
さらに場の雰囲気に飲まれやすいタチなので、忙しくなってくると、「もっともっと無理してでも急がなきゃ」→結果焦ってロクなことにならず。
ほんとに、この2つはいつ誰にでも言われてたなあ 私も、失敗するのは主にこの2つの時だと自分で気づいてからは、「スムーズにテキパキ」という理想はとりあえず置いといて、「ドジでのろまなカメ」からせめて「のろまなカメ」に進化すべく、時には「焦らない焦らない」とブツブツ唱えながら動くことにしました。先輩は失笑だったでしょうが、不思議と、そうするとほんとに焦らなくなるんですよ~

といったことを逐一注意され、アドバイスされ、なるほど納得よし次からは、と1つ1つ覚えていくわけですが。
これらって仕事の基本のみならず、不登校KKへの対し方でもあるな~と。
子供がするべきことを親が横取りしない、余計な言動、ましてや評価目当てなんかで勝手な言動はしない、待つのも仕事のうち、時には待つことで後々こっちの都合が悪くなることがわかっていても、ただじっと待つことに耐えなきゃいけないこともある、優先順位を考える、そして何よりも、無理しない、焦らないe.t.c...

そういえばやっぱり最初の頃、まだまだ覚えることてんこ盛りで、優先順位どころか基本的な仕事の流れすら覚えきれず、ついていくのが精一杯だった頃。
頭の中は常に、「今これをどうしたら?」から始まって、「次は何すれば?」「もしこれがこうなったら?」あるいは「昨日やったこれはどういうこと?」等々、時系列も重要度もごったまぜの疑問オンパレード。
で、説明を受けながら、あるいは作業をしながら、浮かんでくる疑問はその都度全部ぶつけてたんですね。仕事を早く覚えたくて、疑問をその場ですぐに解消したくて、説明の流れとか相手の状況とかあまり考えず。
そんな自己中質問魔にも、皆さんほとんどの場合ちゃんと答えてくれましたが、ある時あるベテランさんが言いました。「それは今聞くことじゃない」

言われてやっと気がつきました。ああそういえば私の質問パターンって、KKにもUにもパパにも、いっつもこうだったかもなあと。
「いつお風呂入るの?」「ねえご飯まだ食べないの?」といった正しき生活習慣から、「このプリントどうした?」とか「あの予定どうなった?」とか、ちょっと大事な質問を思いつこうもんなら、その時KKたちがTV見て笑ってたり、おしゃべりして楽しんでたりする空気も読まず割って入り、「今いいとこだからちょっと待って」とか生返事が来たら、「そんなのより大事なことなのに」と勝手に気分を害し・・・
疑問や要求、あるいは怒りなどの感情はもちろん、単なる質問だって、生じた時に相手にただぶつければいいってもんじゃない。質問ひとつするにも、優先順位やマナーがある。自分が今すぐスッキリするためだけに、それを乱してはいけない。
「人に感情をぶつけないようにしよう」とか、「空気読もう」とか、つまりは「自己中にならないようにしよう」と常々思っていて、どころか傲慢にも、昔よりはだいぶ出来るようになったとまで思い込んでいたのに、こういうとこで無自覚な自己中が顔をのぞかせていたんだなあ。

それ以来、職場でも家でも、質問するタイミングには気を配るようになりました。そうするとその場の空気はそのまま変わらず、お互い気分良く受け答えできることがわかり。
その場の空気を読む練習になると同時に、不登校KKに対する「余計なことを言わない」練習、すなわち、何か話しかけたい時にワンクッション置くという練習にもなってる気がします。

そんなこんなで、パートを始めたら、時に不登校関係の勉強にもなりつつ、「やってみたい仕事を通じて、社会(=目の前のお客様)に善意を還元したい」→「そのために早く仕事を覚えたい」→「そのために頑張る」という、仕事に対する基本姿勢を、この年になってやっと体得した気が
 
この先KKが不登校を克服したり、仕事で頑張れるようになるのにも、やっぱりこういう順序が必須なんだろうな。
他人の評価といった承認欲求や、昭和の価値観みたいな義務感「だけ」じゃ、いつか行き詰まる。心理カウンセリングの先生がいつも言ってた、「将来の保険のために今頑張る、じゃなくて、夢や希望のために必要なこれを頑張る、という順序じゃないと」という言葉、それまでは「そんな絵空事」と思ってた面なきにしもあらずだったけど、今ママが頑張れてるのって、まさにそのためかもしれないもんなあ。

にしても、こうやって書いていくと改めて、自分の未熟さに赤面しますわ~~
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テーマ : 不登校 - ジャンル : 学校・教育

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