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「デート」を見た不登校親

何か手探りの状況で、何らかの答えを求めている時は、ふと目に入った景色やなんてことない会話、たまたま見ただけのドラマや映画等からも、普段ならやり過ごしてしまうメッセージを受け取ることはよくあるわけで・・・
以下、「デート」及び「モンスターズユニバーシティ」のネタバレです。

こないだ私の大好きドラマだった「デート~恋とはどういうものかしら」の、2時間スペシャル版がありました♫
たまたまCMで知って、普段なら面白そうなTVCMを見ても「たまたまその時間にチャンネルがそれだったら見るか」程度なのが、この日は放映5分前に8チャンに切り替えTVの前に座るという気合の入れよう
なんせ面白かったですからね~月9の「デート」は 文系ニート男子&バリキャリ理系女子という、まったく噛み合わない主役2人の機関銃会話と、会話に散りばめられた小ネタの数々、及びドラマ全体に仕掛けられた遊び心、けれど根本のところはものすごく真摯で、人間讃歌になっていてという、まさに「上質のコメディ」でしたから。

で今回のスペシャル版もそれらは健在、よってすごーく面白かったです♫
面白い中で、ふいを打たれてぐっと来てしまったのが、中盤、高等遊民がキレてしまうところ。
半年前まではだーらだーらと過ごしていた、高等遊民と言えば聞こえのいいニート・ハセヒロ巧が、リケジョのバリバリキャリアウーマン・杏依子と、「結婚生活の練習ということで、半同棲をしてみよう」と、週に何日かリケジョの官舎で主夫生活をすることになったわけですが。
杏は「理系だから」をちょっと逸脱してるレベルの理系。すなわちこの世のあらゆる事象は数値と物質であり、論理的に解明されるものであり、合理的であることが気持ちいいという。
頭いいから高給取りで社会生活営めてますが、ちょっぴり「自閉症スペクトラム」の域に入りかけてると言えなくもないくらいの徹底ぶりです。
なので日常生活も合理的にきっちりと決まっています。献立は曜日ごとに決まっていて、材料の分量も切り方も決まっていて、買い物の時間も食べる時間も食後のお茶の時間も(もちろんお茶っ葉を蒸らす時間も)分単位でマニュアル済み。それがわずかでも変更されると、合理性が失われてとっても気持ちが悪い。
一見、障害を疑うレベルのこだわりですけど、でもこういう「合理的=習慣=快適」っていうのは、たぶん人間なら誰でも、おそらく高等遊民的文系人間にも備わってはいるんですよね。その性質を、ドラマ的に極限までデフォルメすると、依子みたいになる。
(巧も趣味的なこだわりなら負けてませんが、依子のこだわりはそういったオタク的なものとはまったく異質)。
「普通の」人間なら意識的にあるいは無意識に自分の中でバランスを保ってるところ、ストッパーがなくてバランスを大きく崩してる状態なのが依子という。
ちなみに、ふとしたことで社会生活を営めなくなり、引きこもってしまった高等遊民・巧の姿もそうで、つまり人間、巧要素も依子要素も自分の中に共存していて、その傾き具合によって個性が変わるような類で。
2人とも変人だけど、でも自分の一部分を拡大した姿でもあるんですよね。

で、巧は依子のマニュアルに従って週に何日か、その生活をするわけですが、当然ながら疲労度ハンパなく。また完璧にできるはずもなく。
他にもちょっとしたことが重なって、ある日「やるべきことをマニュアル通りにやってない」と依子に責められた巧はぶちきれてしまうのですね。「半年前までニートだったんだぞ!!そんなにできるわけないじゃないか!!でも僕だって一生懸命やってるんだ!!けど君はそれを受け入れてくれないじゃないか!!」(うろ覚え)
こんなとこで「半年前までニートだったのに」と身も蓋もないセリフを言わせるのが「デート」の面白さですが
そんな開き直りみたいな身も蓋もないセリフも含めて自分の心情を、まるで子供が「うまくできない!」と、自分に対する怒りで泣いて周囲に八つ当たりするような心情を、素直にぶちまけてる姿に、思いがけなくぐっと来て、思わず涙目になってしまいました。もしかして、KKもこういう思いなのかな~と。
(KK&Uも一緒に見てたので、涙を誤魔化すのにちょっと一苦労

そもそも私が月9「デート」にハマったのは、その台詞回しの面白さこそとっかかりでしたが、主役の1人がニートという設定、及びそのニート息子に対する母親の言動が、とってもツボったというのがあるんですよね。
不登校児の母親としては、どうしてもある種のアドバイスをそこに見ずにはいられませんでした。
で、風吹ジュンさんによる、押し付けない、見守る、でも手を貸してほしい時は全力で手を貸すというスタンスに、「すごく勉強になるな~」と。
と、ドラマを見た直後はそう思いつつも、でもやっぱりそうすぐに実生活で悟れるはずもなく。心の中の依子部分が、時にKKに対して大きくなってしまう場合もあり。
すなわち、「「一生懸命頑張る」なんてのは当然で、「できない」なんてのは努力不足。だってほとんどの人は当たり前のように頑張ってるんだし。ニートだったからこそ、きちんとできるように今練習しなきゃでしょ。そもそもこうした方が合理的であなたのため」
こういう気持ちが、「押し付けない」の一方には常にあったのを、画面からKKに思いっきり叫ばれた気がして、ああこういう気持ちでいたのかKKはと。
一方では巧部分も大きい自分は、「頑張ってるのに認めてもらえない」という子供っぽい悔しさもよくわかるし、それは依子みたいに「認めてもらえないのは努力が足りないからだ頑張ろう」という乗り越え方より、誰かに受け止めて貰った方が予後はずっとずーっといい、そうすると世界を信じられるからという実感も、結婚生活でだいぶわかってきたのに、やっぱり気づかずKKにそう思わせてたんかなあと。
そうそうこの喧嘩のあと、もう依子の部屋に行く気がしなくなって高等遊民生活に戻っちゃった息子に、風吹ジュンさんが声をかけるんですよね。「半同棲いかなくていいの?」って、ほれって感じで軽くひっぱたきながら。
これがまたよかった。声をかけられてますます「・・・」と布団かぶって丸くなる息子に対し、風吹ジュンさんは軽くため息ついて「まいいわ」って感じで明るく放置
そうかこんな時は「親として」なんて気張らずに放置でいいんだ。やっぱし「デート」は勉強になるなあ。
思えば、仕事でも親としてでも、通り一遍のことは覚えたけど、まだ流れもわからず応用も効かない、って時期が一番、なんか変な義務感で余計なことしてる気がします。「親としてこうあるべき」≒「こうすれば自分が親として認められるんじゃないかしら」的な意識で。そんな余計な承認欲求で動いたら、いい流れで動いでいるものを引っ掻き回して、かえって効率悪くなるかもしれないのにね。わからない時はでしゃばらない、余計なことしない。そもそもこれは息子の人生なんだから。
しかし仕事だと、1年経てばなんとなく流れもつかめて、先読みしながら動けるようになるのに、不登校息子のことだと2年たっても未だに五里霧中な気がするのが、やっぱり人間相手ならではなのか、他人事じゃないからなのか、わからないけど難しいなという感じです。
親といえばこの「デート」、なんとなく脇役のスタンスが全員親っぽいんですよね。
巧両親、依子両親と、実際に親が最大の脇役ということもありますが(もはや「父親役といえばこの人」な松重さん、相変わらずキュートで最高)、幼馴染のヤンキーや、恋敵すらも、ありようは「2人を見守る保護者」で、主役2人はまるで「皆に見守られながら成長していく子供」。
「1人旅なんて初めてなもんだからウロウロしてるよ(笑)」と、巧を物陰からスパイするヤンキー(と、その報告を受けて一喜一憂する親&恋敵)なんて、ほとんど「初めてのおつかい」状態です こういう構図だから、見ていてどこか安心感を覚え、かつ「親としての目線」で見てもハマっちゃうドラマなんだろうなあ。
(ちなみに小中学生もげーらげーら笑って見てました「デート」

というわけで、思いがけず「KKはいつもこういう思いをしていたのかもしれないな」「受け入れてくれない私への怒りと、自分の不甲斐なさに落ち込む気持ちが常にどっかにあったのかもな」と、ふっと心で理解できたような気がした「デート」。
ふっと共感できた気がしたけど、でも一方ではやっぱり、「そうはいっても「できない」で終わってちゃダメでしょ」と、相変わらずしつこく思う気持ちもあるわけです、ママの中には
ほんとにしつこくて申し訳ないKKよだけど、しかしこの気持ちも手放しちゃいけないという思いが、ママにはひしひしとするんだよなあ。そんな相反する思い投げ捨てて、「なんとかなるなんとかなる」って心から思ってKKに寄り添えば、ママだってすごく気楽になると思うけど、でもこういう「世の(どうでもいいかもしれない)常識」も、持ってないとヤバイんじゃないかなと、どうしても思って捨てられないのよね。
「なにも依子みたいなスーパー秀才になれと言ってるわけじゃない。ただ皆が学校行って勉強してる時間の半分でも勉強したら?受験生なんだからさ」とか「せめてもうちょっと早起きしたら。生活習慣は大事だよ」とか、KKには言わないけど心の中に。
どれも私的にはごく当たり前の、いや「半分でいい」と言ってるんだからむしろ譲歩してるくらいに思える事柄なんですが、まあ依子もあのマニュアルが依子にとってはごく当たり前の、日々苦もなくこなしている事柄だからなあ。「それがなぜあなたにできないの?」と思ってしまうのは、やっぱし傲慢なんだろうなあと、依子を通してわかったり。

わかったりしますが、けどやっぱりママとしては、せめて高校くらいは行って欲しいわけです。高校、あわよくば大学、そして会社という、ママの感覚で言えば「可もなく不可もなく食いっぱぐれのない、大多数の人が行くレールに乗って欲しい」という。
つまり「人並み」になってほしい。学校も生活習慣も「人並み」に。すべては将来「人並みの生活」を送るために。飢え死にしないために。
そう、すべては野垂れ死にして欲しくない。これなんです。食うや食わずの生活なんて送らなくても済むくらい、ほどほどのお給料と安定を享受できる会社に入って、そのためには大学も高校も、なるべく選択肢が増える進路が望ましい。そのために、つまり「人生の保険」のために、今やりたくもない勉強をやっとく。後で後悔しないように。

これが当然の考え方だと思ってしまうは、私が昭和世代だからなのでしょうか? レールに乗ってさえいれば取り敢えず安心と、このご時世でも身に染み付いてそう思ってしまうのは。
1~2ヶ月に1度くらい、心理カウンセリングを受けているのですが(本当は受けるのはKKなのですが、KKは受けたくないとのことで、すっかりママの愚痴吐き場に)、こちらの先生は、私とはもうまったく考え方が逆で
まだ若いお兄さん先生なのですが、「保険という考え方だと、たぶんKK君は勉強しないでしょうね」と。「何か「これがやりたい」というのがあって、そのために勉強する、という順序じゃないと」
といった内容が、お兄さん先生からはこれまでも再三出てきて。つまり「夢を持って、その実現のために頑張る」みたいな価値観ですね。
これがもう当たり前のような感覚なのが、私にはプチカルチャーショックで。これって先生が平成世代だから? 今はこれが流行? それともこれが「真実」なのかしら?
私は昭和なせいか個人的な性格のせいか、「レール信仰」が拭い難くあって。「そんな夢みたいなこと言ってる人の中で実現できるのは、ほんのひと握りの運がいい人または優秀な人。凡人は夢なんか見ず、レールに乗るのが結局は幸せ」という価値観。いや先生のおっしゃることに真っ向から反対する気はないんですよ。それはそれで、実現したらどんなに素晴らしいかと本気で願いますけど、けど現実問題として、大多数は食べるために働いて、夢は趣味として楽しんでるんだからそれでいいじゃないかと。せめてKKの「夢」が例えば「介護士」とか「大工」とか、そこに至るレールがある程度できていて、食いっぱぐれもない職種ならもうそういう順序で大賛成ですけど、KKの夢って「音楽」ですもん。ママ的には「「音楽」と書いて「のたれじに」とルビを振る」みたいな

一方では、KKの「音楽」を応援したい気持ちももちろんあるんですよ。せっかく高校行くなら、自分が学びたいと思ったことを学べるとこに行って欲しい、そうすれば楽しい高校生活になるだろうし、例えその先の進路が狭まってもKKに悔いなしなら、その後も生き抜く気力は湧いてくるだろうし、とか。
ただ、KKのやりたい音楽科のある高校が少ないのと、しつこいけどやっぱりもう片方にある「食いっぱぐれ率が高くなるかも」という不安が、ともすればKKに「人並み」を求めてしまうんですよね。巧の叫びは心に迫りつつも。

そんなふうに、相反する思いで常に揺れ動いてるところに、「デート」の次の日見た「モンスターズユニバーシティ」。
ご存知、ピクサー「モンスターズ・インク」の続編映画です。
Uが夏ディズニー行って以来、ず~~っとディズニーにハマっていて先日は「このDVD見たい」との仰せによりレンタル。
「モンスターズ・インク」は、人間を怖がらせるのが仕事であるモンスターの世界に、人間の女の子が紛れ込んできて、モンスターと擬似親子みたいになるという、子供から見ても面白いし、親目線でも実感としてわかるという、まさにピクサーらしい傑作でした。
ピクサーって、トイストーリーでもニモでも、子供向けと思わせつつ実は大人目線、おそらくは家に帰れば1人の親でもあるスタッフたちが、実感込めて作る映画っていう感じが共通してあるんですよね。
ですが「モンスターズユニバーシティ(以下「MU」)」は、前宣伝では「マイクとサリーが大学生活であれこれ」という内容らしく、小中学生とその親には、まったく興味のない話。
もとよりマイクとサリーも、特別好きなキャラというわけでもないママ、見たいという気持ちはあまりなく、Uのおつきあいでダラダラと見ていたのですが。
いや~さすがピクサー。一見興味なさそうな内容でも、取り立てて好きなキャラじゃなくても、見始めれば引き込まれる力はここでも在でした
どんでん返しの連続なので飽きない作りなわけですが、そのどんでん返しが「いかにも作った」って感じじゃなく、それぞれに説得力あって、ある種普遍的なところに到達してるのがピクサーなんですよね。間口は広く、話は深く。だからどんな一見さんでも、どこかしら自分に置き換えて納得できるような話になっているという。

ネタバレ込みで話を紹介しますと。
「MU」すなわち「モンスター大学」は、エリート最高峰学府。モンスター界の花形職業である「(対人間の)怖がらせ屋」になるには、ここの「怖がらせ学部」を卒業するのが一般的なルートです。ちょうど「官僚になるなら東大法学部」みたいな(ちなみにモンスター界には、名前忘れたけど早稲田みたいな対抗馬大学もあるらしく)
ここに、必死に受験勉強して見事一般入試で入学してきたのが、丸い一つ目のかわゆいモンスター、マイク。「モンスターなのに怖くない」と侮られてきた小さい頃から、「将来への夢は怖がらせ屋」で、その夢を叶えるべく努力に努力を重ね、今ついに夢の実現への輝かしき第一歩を踏み出した、というところです。
そのマイクがMUで出会ったのが、後に相棒となるサリー。しかし初対面の印象はお約束ながら最悪で、何せサリーは官僚を、じゃなくて怖がらせ屋を代々輩出してきたエリート一族・サリバン家の息子。ガタイの良さとともに怖がらせ屋の資質もナチュラルボーンで、大学では勉強せずともトップクラス。もちろん優越感とエリート意識もたっぷりで、つまり庶民から努力で成り上がったマイクとは、何から何まで正反対なわけです
こんな2人が、お約束ながら渋々チームを組んで、他の落ちこぼれメンバーとともに一致団結、大学内での選抜競技に見事優勝するぞといったストーリーなのですが。
これだけ聞くと「あーあーあーハイハイハイ」でしょ 「友情努力勝利ね。仲間を大事に努力さえすれば夢は叶うって奴ね見る価値なし」でしょ 私もそう思ってました見るまでは。
しかーしご安心 ピクサーがそんな薄い映画を作るわきゃありません というのも・・・

っていつもながら、気づけばえらく長くなっちゃったので、続きます。
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テーマ : テレビドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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