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会津藩公行列2015その2

会津の歴史絵巻・藩公行列、続きです。
南北朝時代から始まった行列も、いよいよ幕末・会津松平家時代。
やってきたのはこちらです。

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朱雀隊&青龍隊。
戊辰戦争時の、会津藩主力軍です。
パレードでは毎年、大砲を撃つのが見所

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撃てっ!

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耳をつんざく轟音
すっごい迫力です!
ちなみに朱雀隊の先頭にいるこの人は、佐川官兵衛です。
そうあの「オニカン」、またの名を「うっかり官兵衛」ですよ~

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この藩公行列の前日、鶴ヶ城体育館の近くを通ったら、とある石碑前に黒スーツ集団&神主さんが集まって、何やら先人感謝祭みたいなのをやっていて。
何の石碑だろうと後日行ってみたら、なんとオニカン顕彰碑でした

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オニカンは西南戦争時に熊本で亡くなったので、お墓も九州(と喜多方)にあるそうなのですが、10年前くらいにこれを会津で建てたそうです。
石碑の横には、熊本関係者のお名前も刻まれていました。
しかしあんな壮絶なうっかりをやらかしたら(「しまったああああああ」@八重の桜)下手すりゃ末代まで言われて肩身の狭い思いをしそうなところ逆に会津まつりの前日に祭祀をしてもらえるくらい慕われているなんて、やっぱり人柄よくて好かれるタチだったのかな~というのが一番印象的でした wikiの写真見ると、けっこうチンピラ風味で「どこの平沼銑次だい?」という感じなのですが(野性味と愛嬌と誠実を兼ね備えた獅童さん@八重の桜、ピッタリでした
 
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越後口を守る朱雀隊、日光口を守る青龍隊の後から、満を持してやってくるのは本陣!

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会津葵の家紋も華々しく。
「會」の旗印をなびかせて。

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松平容保公、ごとお~ちゃ~~~く

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会津松平家・第14代目、容保公のひ孫さんです
なんか「本物だ~~~」という感じがしちゃいます。

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容保公の後ろからは、若殿・喜徳公。これまた歴史の不運的に気の毒な若殿で。
徳川慶喜の実弟で、12歳の時養子入り。1年後に鳥羽伏見が起こり、「あのカステラ野郎の弟」ということでおそらくちょっぴり居心地悪かったのではと推測される中(八重の桜でも、ちらっとそんな描写がありましたね)家督を継ぐのですが、追い打ちをかけるように戊辰戦争敗北、家名断絶、容保公の実子・容大公による家名存続。後に容保公との養子縁組は解消し、旧松川藩を継ぎますが、やがて37歳で死去。
なんか「会津版・和宮」という感じの、はかない印象の人です。なので見るといつも、「この人をパレードにしっかり参加させる会津の人は優しい」と思ってしまいます
扮するは、今年の当番校・5中の生徒会長です。ちなみに毎年イケメン生徒会長が出ているように思うのは、化粧のせいか才色兼備なのか

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その後からは、家老・萱野権兵衛。
今年のまつりガイドでは「ごんべえ」ってルビふってありましたけど、たぶん「ごんのひょうえ」だと思うんだよなあ。どうでしょう?
従来イメージだと、「一番偉い家老・西郷頼母がいなかったために、繰り上げ切腹になってしまった家老」「後に息子も学校で切腹死」というエピソードが伝わるのみでしたが、八重の桜ではシンゴちゃんがいい味出してましたね♫ おかげで(たとえ実際のキャラとは違っても)「個別キャラ」=「確かにこの世に生きてたキャラ」という感じで把握できた気がします。これがドラマの効能というやつでしょうか。

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その後ろからは、白虎隊
殿の御一行を、背中を守るべく行進してきます。
後にその白虎隊も、滝沢本陣から出陣していきますけどね。

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5中の3年生ずら~り
めごいなあ

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おっ!あれこそは奥羽越列藩同盟旗
五芒星ってなんか妙にカッコいい旗印ですよね~~

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今年も来てくれました!新潟県は長岡市・米百俵まつり実行委員会による、長岡軍銃士隊です。
行列の先頭を飾る奴隊の人いわく、長岡の米百俵まつりには会津から奴隊も参加しているそうです。相互交流素晴らしい

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先頭で指揮を執るのは、山本帯刀。
一応実家が新潟である私は全然知らなかったんですけど戊辰戦争の中ではけっこう有名な人らしいですね。
なんでも武田信玄の軍師・山本勘助の流れを汲む家系という説があったり、後に養子に入って家を継いだのが山本五十六であるとか。
この方の口上がよかった 「我ら長岡藩、列藩同盟のなんちゃらで会津藩とともに戦うためになんちゃら」だったかな? よかったと言ってる割にけっこう忘れちゃってますがすごくよかったと思ったことだけは覚えてます。

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有能な家老で、河井継之助とともに戊辰戦争でも活躍したそうですが、ここ会津にてついに敗戦・斬首。
お墓は若松市内の飯寺(と書いて「にいでら」と読む)に今でもあるそうです。

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クリックで拡大します↓
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私的にはここってCO-OPへの通り道でしかないので、買い物帰りにたまたまこの石碑を見つけた時は「えっこんなとこで新潟県民が!?」とかーなーりびっくりしました(こういうふうに、日常の中に史跡が普通~な顔しているのが歴史ある街・会津の面白さ)
さらにそれが藩公行列にいる人たちだと知って、ますますびっくり。
パレード内の山本帯刀さんは、かなりコワモテのおっちゃんですが実際は享年24歳だったそうです。

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その後からは山本帯刀とともに会津入りした、河井継之助。
会津に向かう時点で既に負傷していたそうですが、険しい山越えの末ようやく新潟を抜け、会津に入ってすぐあたりのところ・只見町で死去。
そののち山本帯刀は、残りの仲間と会津若松までたどり着き、やがてCO-OPの近くで亡くなるのは前述のとおりですが。
あれっ今年は馬に乗ってないのね。予算削減??

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あれっ!!そして何よりも「河井継之助といえばガトリング」ってくらいセットだったガトリング砲が、今年はないぞナゼ~~~
朱雀青龍の大砲に並ぶ見ものなのになあ、残念

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今年はガトリング砲がないのも残念でしたが、どうも神明通りでのパレード全体がいまいち迫力ない感じがしました
行列の間隔が空きすぎて、どうも間延びする印象だったのと、たぶん一番大きな原因は、BGMの音量が小さかったこと。
やっぱりこれは、小室哲哉「天と地と」がガンガンとお腹に響くくらい鳴ってないと 今年は18万3千人と過去最高の人出だったにも関わらず迫力不足な感じでひときわ残念だったので、来年はぜひボリュームをもう1個上に

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さて続いてやってくるは、中野竹子率いる娘子隊。
今年の当番校・会津工高女子チームです。
工業高校なので女子は数人くらいかと思ってましたが、意外とたくさんいることにびっくり 

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そして中野竹子がすんごい美人なことにもびっくりーーー

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さらにその後ろからは、スポ少なぎなた部も。
なぎなたなので、工業高校とは反対にこちらは男子が少ないんだろうと思ってたら、意外とそんなことはなく。
確かに街中でも練習帰りなのか、なぎなた担いで自転車乗ってる男子とか、たまに見かけますけどね

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本部前で軽く型を見せてくれます。
けっこう大人数なのですが、さすが日々鍛錬しているだけあって、みなぴしっと同じ角度で決まってます

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なぎなた隊に守られてやって来たのは、照姫
中野竹子の一行がなぎなた持って馳せ参じたのはそのためですものね。実際は照姫に合流できないまま戦死してしまいましたが。
照姫に扮するは一般応募の方です。なんと埼玉からわざわざ!アリガタヤ

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その後はヘンリー・スネル&おけいさん。
奥羽列藩同盟に武器を調達したのがスネル。スネル家の子守がおけいさん。戊辰戦争後、スネル率いる会津人数十名は、ゴールドラッシュに沸くアメリカ西海岸に渡り、開拓地「若松コロニー」を作ったのだそうです。
(しかし偏見かもしれませんが、武器商人したり、ゴールドラッシュと聞けば西海岸に渡ったりと、スネルってのはどうもヤマっ気多々な人物だったんじゃという気が
享年19歳で亡くなったこのおけいさんの墓がアメリカで見つかったことで、壊滅したまま歴史に埋もれていた「若松コロニー」の存在がわかったのだそう。

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後ろを固めるは留守備え。
ま戦力外通知というやつですね通常なら

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朱雀青龍白虎玄武のうち、主力部隊は朱雀青龍。
50歳以上の玄武は主に若松城下周辺で戦い、八重のおとっつぁまもこの隊で戦死しました。

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扮するは会津若松市区長会の皆様。
ここらへんに来ると、パレードも終盤です。

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例年ならばトリを飾る、会津新撰組御一行です。

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近藤勇亡き後、会津にやってきた土方トシをリーダーとする新選組は、先ほど東京日野市からお越しの皆様により演じられましたが、こちらはその後の新撰組。
仙台へ向かう土方たちと別れ、会津に残って戦った斎藤一たちによる新撰組です。
ここでは赤熊たちとの立ち回りが演じられます。おおっ遠いがカッコいい

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続いて、たぶん今年初参加チーム・会津蒲生氏郷公顕彰会。
こんな会が会津にあったのね てか、前半の日野町・松阪市と一緒にパレードすればいいのに

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「思いきや人の行方ぞ定めなき 我が故郷をよそに見んとは」
「限りあれば吹かねど花は散るものを 心短き春の山風」
氏郷公の和歌を旗になびかせての行進です。

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どちらも切なく詩情たっぷりの、いい歌ですね~。やっぱしこの人、けっこう好きかも

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実際これだけ各赴任地で慕われてるあたり、いい人だと思うんですよね~。
知名度もそこそこあるのに、ドラマや戦国バサラとかのゲーム系にはなぜかあんまり出てこないのが惜しい!
いつか滋賀・三重・福島3県共同誘致による大河ドラマ「郷の松」とかになってほしいものです

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次は白河歴史文化協会の方々です。
こちらもこんなつけたしみたいな位置じゃなく、本来ならば長岡銃士隊とか、西郷頼母とかと一緒に行進すべきチームなのではと

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こちらのチームはなんといってもこの子がかわゆく
沿道からも「あれあれ」「かわいい~~」の声しきりでした。

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同じ福島といえど最初の頃は、白河=だるま又はラーメン?くらいでピンとこない町だったのですが(郡山出身の女優・芦名星さんもお好きだそうですね白河ラーメン
八重の桜、そして那須や東京方面へ遊びに行ったりしてからは「ああ白河ね」と、具体的な街としてインプットされました。
ほんとに関東との県境なんですよね。白河の関の重要性が、会津から那須やTDRへ行く時に体感できるという

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こちらの旗も五芒星がカッコいいな~~

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「歴史文化協会」なんていう小難しそうな名前の会なのに、老若男女たくさんの人が練り歩いていたのがびっくりの、白河歴史文化協会の方々でした。

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最後はお囃子車で、今年の藩公行列は終了。
あ、最後の最後はゴミ収集車&忍者だったのはもちろんです

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といった感じで、藩公行列は終了。
次回は番外編として、はるかちゃん祭りです
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

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