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会津藩公行列2015その1

さて会津藩公行列・本編の始まりです。
先頭はもちろんこの方々。

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会津藩奴隊です。
勇ましい露払い姿ですが、実は半分くらい女子なんですよね

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お次は葦名氏。
領主・葦名直盛に扮した横須賀開国甲冑隊・隊長の後ろから、甲冑隊メンバーが続々行進してきます

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例年だと、葦名氏から始まる会津の歴代城主の旗のみが行進してくるところですが、今年は鶴ヶ城再建50周年!
それを記念して、今年は歴代城主もパレードに参加しているそうです
ちなみに鶴ヶ城は、上の葦名7代目・直盛さんが南北朝時代、会津に来て、その前身となる東黒川館を築いたのが始まりらしく。
その後会津の領主は、約200年間・20代目まで葦名氏となります。会津といえば松平というイメージですけど、なにげに葦名時代が一番長いんですよね
(よろしければ、以前葦名氏のお墓などを訪ねたレポもどうぞ)

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んでその葦名氏は、そもそも神奈川県横須賀市出身なのだそうで
横須賀市には今でも「葦名」という地名があるそうです。
そのご縁で、今年は葦名氏に扮してパレード参加してくださってます。

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法螺貝を響かせながらの行進。
人数も多いので、毎年迫力あり、カッコいい甲冑隊の方々です

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横須賀開国甲冑隊、例年は会津藩が幕末時、三浦半島での海防を命じられたというご縁で参加してくださってます。
当時は多数の会津藩士が神奈川に移住し、そこで永眠した「会津藩士の墓」は、今でも横須賀市が大切に管理してくださってるそう。
会津の城主時代の最初と最後が横須賀つながりなんて、歴史の一奇という感じですね~。
毎年ありがとう

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葦名氏の次は伊達氏。
ご存知独眼竜・伊達政宗です

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兜の三日月が、遠目にも威風堂々!
扮するは「てっちゃん倶楽部」の方々です。

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会津に来るまで、伊達政宗といえば仙台、というイメージしかなかったワタクシ
来て初めて「えっ鶴ヶ城に伊達政宗もいたの!?」と知って、有名どころを押さえているな~会津と、かなーりびっくり&感心したものです
ちなみに会津の小学生は、修学旅行で仙台に行き、松島の海を見て(「会津には海がねえ」@覚馬あんつぁま)、独眼竜のお墓で独眼竜グッズを買ってくるのがお約束です

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伊達氏の後は、蒲生氏!

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たぶん会津若松市が、容保公、保科公と並んで推してるのが、蒲生氏郷公ではと。
南北朝という古い時代の葦名氏や(統治期間は長かったのにね~)、1年と短期間かつ「やっぱりホームベースは仙台」な伊達氏と比べると、「黒川城を鶴ヶ城に改名」とか、「城下町を整備」とか、さらに「鶴ヶ城城主として死去」とか、今に続く城下町・会津若松の礎となった方という親近感が、会津若松としては蒲生氏郷さんに対してある気がします。

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この兜が独特ですね~~ カッコいいのか悪いのかよくわかりません
扮するは、日野町手作り甲冑隊の隊長さん及び日野町商工会の皆様。

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藩公行列の始まりを飾るお囃子車に続き、蒲生氏郷公の生まれ故郷・滋賀県日野町からのご参加です。
氏郷公が会津に赴任した際、こちら日野町から職人衆も多数移住し、現代も有名な「会津漆」などはこの時に技法が伝わったのが始まりなのだそうです。

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続いて松阪市観光協会。
ママ的には「松阪牛ステーキとか、一度お金を気にせず食べてみたい」というイメージのみなのですがもちろんこちらも氏郷公つながり
サラリーマン氏郷公の異動順序としては、生誕地滋賀県日野→本能寺の変~小牧長久手の戦い→三重県松阪→秀吉の小田原征伐~奥州仕置→福島県会津若松、となるようです。サラリーマンと一緒にしていいのかよくわかりません

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松阪手作り甲冑愛好会の方々も続きます。
こちらの人数も多くて見ごたえ最高
 「甲冑」って全国で根強い人気があるんですね~

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そして何より、蒲生氏郷人気がすごいな~と
出生地はもちろん、各地の異動先でそれぞれ敬愛されているあたり、有能かつ人柄いい人だったんでしょうね~。

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蒲生氏のあとは上杉家。
上杉謙信の甥っ子・上杉景勝公です。

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これまた会津に来たばかりの頃は、「えっ上杉謙信の親戚まで!? う~む会津は有名どころ押さえてるな~」とかなりびっくり物件だったもの
しかもその上杉景勝を討つ、というのを口実に関ヶ原が始まったというのを知るに及んでは、歴史の転換点に一枚噛んでたなんて会津すごすぎ!とひたすらびっくり。単に私が日本史知らなすぎという気もしますが

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この後は加藤氏。
というか、上記の関ヶ原の敗戦により上杉景勝が左遷された後、再度蒲生家が返り咲いているのですが、嫡子がいなくてゴタゴタしてしまい、蒲生氏と入れ替わりにやってきたのがこちらの加藤さんです。

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私この人まったく知らなくて たぶん「鶴ヶ城歴代城主クイズ」とかあったら、一番最初に名前が出てこない人だと思います
で、先ほどwikiってみたら、ほうほう加藤清正や福島正則とかと同じく、子供の頃から秀吉に仕えていた1人だったのね。へ~「賤ヶ岳七本槍の一人」ですって でも私、七本槍も3人くらいしか知らないからな~
wikiによると、「65歳の高齢の上、伊予松山で藩政の基礎を固めていたことに加えて、温暖な瀬戸内から寒冷の会津盆地への移封はうれしいことではなかったといわれる」とのことで、なのに知名度も低かったり、なんだか色々気の毒だな~と
 
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しかし旗だけは(?)カッコイイと思った加藤氏の後は。
いよいよ「ここから会津藩が始まった」と言っても過言ではない、保科氏の登場です。
いやほんとの会津藩初代は家光時代の加藤氏なので過言なんですけど加藤嘉明公の息子時代に「改易」という不名誉な形で会津藩の統治終了してしまった上に、その後に来たのが家光の異母弟にして家康の孫というピカピカのサラブレッドさらにこの血統が以後の会津藩のアイデンティティともなっていくというわけなのでね~。なんかほんとに色々と気の毒ですね加藤嘉明さん(←もはやさんづけだし

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サラブレッド・保科正之公に扮するは室井市長です。
毎年ニコニコと愛想よくパレードしているのが好印象な市長ですが、それにしても沿道から「市長~~」と声援が上がってたのには、伊達政宗が会津にいたのと同じくらいびっくりしました

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正之公の正室・菊姫御一行が後に続きます。
今年の当番校、5中の女子たちです。いやあ皆さん、大人っぽくて美人でした~~~
ちなみに、この輿車を押してる男子や、旗を持って歩いてる子達も、皆さん当番校の生徒です。お疲れ様

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そうそう輿車後ろで、身を乗り出して手を振っているのは、若殿・保科正経役の会津若松駅長です
こちらも市長同様、けっこう沿道から声がかかっていたのが印象的でした。電車利用の方には馴染み深い「駅長さん♫」って感じなんでしょうかね~
地元のお祭りって、こういう地元っぽさがまた魅力だと

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保科家は3代目の時に会津松平家となりますが、さあ藩公行列はここから一気に200年ぶっとび時代は幕末へ。
会津葵の旗の後からは、京都所司代チームがやってきます。
京都所司代・松平定敬公に扮するは、三重県桑名市長さん。

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と、桑名市観光協会の皆様。
松阪市に引き続き、三重県からはるばるのご参加です。
幕末に京都守護職を命じられた容保公を補佐すべく、実の弟である桑名藩主・松平定敬公が京都所司代に任命。
おかげで会津と並ぶ朝敵認定され、戊辰戦争では会津を経て函館まで転戦。
と、このあたりは「八重の桜」で実感もって知ることができました。見てなかったら未だに「そうは桑名の焼き蛤」としか認識してなかったと思います
後に容保公の後を継いで、日光東照宮の宮司もされていたとのこと。最後まで兄と徳川家に忠節を貫いた人だったんですね。
 
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「遠路はるばるありがとう」チームはまだまだ続きます。
次は「銀ちゃんのためなら階段落ちやりますよ~」の
そして「ゴリラとマヨラーとドSと山崎パン」の
あの新選組です!(どの新選組なのか

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土方トシの生まれ故郷・東京都日野市からお越しの皆様です。
顔が写ってなくて申し訳ないのですがm()mこちらの方↓が、今年の「ミスター土方歳三」(なんて賞があるのね)なんだそうです。
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トシの生誕地、かつ会津に来たのは近藤勇亡き後の新選組なので、ここでは実質トシがリーダーです。
負傷していたトシは会津・東山温泉でしばし湯治し、その間そこからほど近い天寧寺(レポこちら)に、処刑された近藤勇の遺髪だったかな遺品だったかな?を埋めてお墓を建てたそうです。大事に持ってきてたのかな~?

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こちらも大所帯のチームにつき、ひときわ見栄えがするのですが、加えてなんだか美男美女が多い気が
この人なんてもう、「That's 土方」でしょう!

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この方も「おわっ美人~~」と。
女の子もけっこう多くて、新選組人気が伺えます。

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というか、この大所帯を見るにつけ、「地元で愛されてるんだな~トシ」と毎年微笑ましく
こういう、地元が胸を張って物産自慢してる光景って好きなんですよね~ってトシを名産品扱い

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お次は斗南藩。
ご存知、戊辰戦争にて会津藩消滅後、青森にてお家再興を目指して作られた藩です。

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容保公の長男にして斗南藩藩主・松平容大公に扮するは、青森県むつ市長・宮下氏。
まだお若い人で、沿道では「イケメンね~」と感嘆する声しきりでした

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徒歩で付き従うは、山川大蔵改め、山川浩。
個人的に「八重の桜」で、一番好きになったのがこの人です 演じる玉鉄さんの雰囲気も含め(カッコイイのにどっか笑えるという、ダイハツのあんちゃんキャラが妙にかぶって) いつかこの兄弟のSPドラマとかやってくれないかなあ。できれば玉鉄&前髪クネオコンビで♫

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その大好きヒロシ他に扮しているのは、むつ青年会議所の方なのですが。
なんとむつ市の方々、もう10年以上会津まつりに参加してくださってるそうで
斗南藩は実質1年、しかもそれまでもそれ以後も斗南での生活は過酷そのもので、最終的に残った会津藩士は50戸ほどだったそうですが、その歴史を大事なものとして扱ってくださってるんですね~むつ市の方々

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「若き家老・山川浩」に続いて、「老いた家老・西郷頼母」。
こちらも毎年、作家・今野敏さんが扮してくださってます。どうやら西郷頼母役は文化人枠みたいですね
このあとからは、いよいよ戊辰戦争に突入です!
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

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