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ド派手な日光東照宮

さて「とりっくあーとぴあ日光」を堪能して、車は日光東照宮へ。
さすが世界遺産! 道路標識には必ず、しかもひときわでっかく「世界遺産・日光東照宮→」といった案内が書かれているので、迷いようもなく。
山の中腹にどーんとある駐車場に15時頃無事到着。さすがにこの時間だと、駐車場も待ちなく停められました。
ここから厳かな雰囲気漂う山道を登っていくと~

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いきなり視界が開け、立派な建物どーん!

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「おお日光東照宮って、意外とハイカラな建物だったのね~~~!」
とはさすがにママも思いません すごく綺麗な資料館です。
徳川家康の子供時代のパネルとか入口に飾ってあったり、2階に鎧兜が飾ってあるのが見えたりして、江戸幕府にはまったく興味ないけど家康の若かりし頃=戦国時代なら好きなUは「入りたい~~~」。
しかしけっこう高そうな別料金なので、今はパス 帰りに時間があったらってことにして、とりあえず江戸幕府を崇め奉る東照宮の方へ行ってみましょう。

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隅にはひっそりと「剣道復活の地」なんて石碑が↑
えっ剣道って滅亡してたの?(「ああ~戦後のGHQだろ」@パパ) そしてここで復活したの?
色々「なんでまた」と思った石碑でした。日本の剣道がダメなら欧米のフェンシングだって、ね~?そしてなぜに日光東照宮で??
なんて話しながら歩いていくと、 おおっ!!

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どかーんと建ってる「東 照 宮」を見ると
「ついにキタ━(゚∀゚)━!」
という感激が、どかーんとやってきます

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内容も関連もよくわからないんですが(そして調べる気もないとゆう)「松前神楽」という、北海道の出し物をやっていました。
よくわからないけど神社にお神楽はよく合うわと、見入ることしばし。
その隣には、これまた謂れも関連もわからない(そして調(ry)五重塔が。
「期間限定!今なら別料金で中に入れますよ」
とのことでしたが、その「中に入る」ってのが、単に普段は入れない柵の内側に入れるだけで、実際には塔の外側をぐるぐる周遊して中を覗けるってだけらしいので、パス
にしてもさすが世界遺産だけあって、駐車場に博物館に五重塔と色々別料金ぼったくってますね~

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とはいえ、この景色↓を見るとやっぱり壮観で、「おおっ世界遺産」と。
チケット売り場からの眺めです。チケットもわりとぼったくり価格で、おまけに売り場には「日光東照宮と言えばこれ」ってくらいの陽明門は「現在補修工事中で見れません」という案内がありましたが、もはや「世界遺産じゃ仕方がない」という諦めの境地です

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チケットを買って、いよいよ中に入っていくと、「おおっ!!」(←何度目?

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相変わらずのへぼ写真で、あんまり「おおっ!!」が伝わりませんが、第一印象は「派手~~~~~!!!」
ほんと予想外に派手でびっくり~~という感じでした。色彩感覚が中国風というのか、日本的ワビサビとは程遠いカラフルさで、装飾も華美で。

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個人的イメージでは家康って「人生は重き荷を背負ってどーたらだから虚飾はいらん」っていう印象が(その前の秀吉が成金イメージだから余計に)あったので、イメージと違って金ピカなのが「ええっ!?」と。
パパいわく、ここは家光が作った(というか改築した)そうだから、「家康のイメージと違う」というより、単に「家光が派手好きだった」のかしらん? それとも現代の「欧米文化ってカッコイイ」みたいな感覚で、中国文化を真似したのかしらん??

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「派手~~~!!!」と並んで、もう1つ強烈な第一印象だったのは、石灯籠。
そこにもここにもズラーーリとあって、しかも頭上が苔むしてたり、中には鳥の巣みたいなことになってたりと、やたら古そう=歴史的価値がありそうなのに、あくまでも脇役という感じで隅っこに追いやられてるという印象なのが、存在意義がわからなくて不思議という

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近寄ってみたら、下に石灯籠を寄進した人の名前と日付が書かれてるんですね。
で、見てびっくり↓黒田長政ですってーーー

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思いがけずこういうのを見ると、「おお歴史上の人物って、ほんとにこの世にいた時期があったんだ」という実感が、ふっとリアルに湧いてきます。
「これは面白い」
と、あちこちの灯篭を見て回りましたが、歴史キャラは有名人しか知らない私には、「「京極」とか「松平」とか、なんか聞いたことあるような家名が色々あるな~」という感じで(会津若松市民としては「保科」も見つけたかった)
日本史に詳しい人なら、東照宮の石灯籠巡りだけで、半日は優に楽しめちゃいそうですね♫

ここら辺の石灯籠がほとんど、元和4年だっけな3年だっけな、同じような時期に集中しているのがまた不思議で、「この年に何かあったのかな?」と素で聞くママ
「その年にここができたんだろーが」@パパ「当たり前でしょ」@KKと返されて、あっそうか!それは思いつかなかった~~(←バカ
そういや「元和偃武」なんていう言葉も聞いたことあったわ。「War is Over」みたいな、祝祭感あふれる語感で。そうか~~ここって、何か当時の象徴みたいな場所だったのかもなあという実感が、またもやふっと。
そしてここに皆が競うように石灯籠とか奉納する様子とかがまたリアルで、「みんな徳川家に対して必死だね」と冷笑を浮かべたらKK再び「当たり前でしょ」。
まあね~当たり前なんだけど、なんかその必死さが手に取るように浮かび上がるのが、なんだか非常に面白く

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↑「おお現代の天皇陛下も灯籠を寄付するのか~!さすが現代は鉄製だ」
と思ったら、単に立札だけで(それとも私が見落としただけで、どっかに寄付してくれたものが飾ってあったのかしら)、この鉄灯篭は伊達政宗寄進だそう さすが独眼竜、やることが派手ですな~~

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皇室関連の立札はもう1つあって、「こうやまき」の隣に「悠仁さまご誕生おめでとうございます」みたいな看板が立ってました。
なんでも悠仁さまのお印が「こうやまき」だそうで。
そしてこれを植えた人は、なんと家光だそうです おお家光って、ほんとにこの世にいた時期があったんだ~~~

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この木の隣にあるのが、超有名物件その1「見ざる(ry」。
建物自体は厩だそうで、ぱっと見は、あんましぱっとしない建造物です
しかしやたら人だかりしているので、「何事?」と思って行ってみたら有名お猿で、ダンナと2人「え?これ?」

ちなみにダンナは歴史好きだけど、東照宮は初めてなのでこのテイタラク。私は修学旅行で来たはずだけど、中禅寺湖しか覚えていない有様なのでこのテイタラクです 修学旅行で飯盛山に来たダンナが「白虎隊の墓ができたのは平成になってから」と言い張るのを呆れていたけど、人のことは言えないと悟りました

一方KK&Uは、この「見ざる(ry」=「見猿・言わ猿・聞か猿」という、古来から伝わる猿のキャラだとずっと思ってたそうで
「いや「見ざる」っていうのは昔の言葉で「見ない」ってことで~。それを東照宮がこういう猿にしたからたぶん有名になって~」云々と実物見ながら説明したら、「えっじゃあ「見猿(ry」ってただのダジャレ!?」とけっこうびっくりしてました そうよね~古式ゆかしい伝説キャラかと思ってたら単なるダジャレだったって、意外とカルチャーショックかもね~
(と思ってwikiを見たら、どうも「三猿」は世界にあって、決して日本語のダジャレとも言い切れないそうです KK&Uの方が正しいのかも!?)

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こちら↑はKKが見つけた、龍?象?なんか意味ありげな彫刻。
実際何か意味あったと思うのですが、忘れてしまってスミマセン
たぶんこのド派手な日光東照宮、1つ1つの装飾にきっとそれぞれ意味があるんですよね~
とはいえ半分は、伊達政宗みたいに戦国の気風がまだ残ってた当時ならではのド派手趣味の成せる技じゃないかと、個人的には疑ってますが

余談ですが、Uが寝る前の読み聞かせ本として「戦国ヒーローマンガ」シリーズがありまして
その中の「伊達政宗」の晩年が、ママ的にとっても印象深んですよね~。
若い頃はド派手でケレン味たっぷりで、天下取りの野望でギラついてた政宗も、戦国に遅れて生まれてきた悲しさ、もはやどうあがいても天下取りは無理と悟って、最後は真摯に家光に仕え、家光からも厚い信頼を寄せられていたそうで。
その老政宗が、病身に鞭打って最後に家光に面会した時、こう言って聞かせたそうです。
「私が死ねば、あの戦国の世を実際に知っている者は、上様の周りから1人もいなくなります」
「しかし決して、あの時代を忘れず、あの時代に戻さぬように」
これはマンガなんで、実際にそんなこと言ったかどうかはわかりませんがしかしとってもリアルだな~と。あの時代をリアルに知っている人がやがて1人もいなくなる、あの時代をリアルに知っている人は、程度・手段の違いこそあれ「反戦」じゃない人はいない、というのが。そうまさに、今消えかけている私の親含めた「戦中派」ってやつです。
政宗たち「戦中派」の死によって戦国の気風も消え去り、江戸300年の「泰平の世」が続き、やがて幕末~明治、そしていまだ私たちの歴史は続く・・・なんとも感慨深いですね~

あらなんだか長くなっちゃったので、超有名物件その2ほか多数は次回に続きます
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テーマ : 国内旅行記 - ジャンル : 旅行

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