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デート~最後の家族

あけおめです ってもう2月も末で道路の雪もかなり溶けてますが ことよろです

今年の年末年始は、飛露喜に加え、会津娘を初体験♫
の話や、年末から持ち越してる星野リゾートスキー旅行に加え、今月行ったアルツ磐梯など、作成中のネタは色々あるのですが、どうもこの頃パソコンでがっつりとレポ書く時間がなく(写真入りレポは、なんだか異様に時間がかかる
なので今日は日記がわりに軽~く、だけど久々に「おおっこれ書きたい!!」と思ったことをつらつらと。

さてTVドラマというものを、基本ほとんど見ないワタクシ。
トレンディドラマ真っ只中が青春真っ只中だったせいか、どうもドラマならではの嘘くっさい演技やセリフまわしがまず気になっちゃって、ドラマの内容に入れ込めず(たぶん半分はW浅野のせい)、「TVドラマってつまんない」という固定観念がどーんとできちゃったので、あんま積極的に見る気がしないんですよね。
たぶんこれは慣れの問題で、例えば読書習慣があんまりないと、文体や何かにまずひっかかっちゃって、内容がすんなり頭に入ってこないというのと同じなんだと思います。表現がしっくり来れば入れるんだけどという、体験が少ないゆえの間口の狭さ。
加えて、「毎週同時間見なきゃいけない」という縛りのきつさ。我が家のTVライフはだいたい、夕飯時みんなが集まった時にテキトーにチャンネルザッピングして「今日は何見るー?」「あっこれ面白そうじゃん」でバラエティ番組→その後その局つけっぱなしのまま誰も見ない、というのが身に付いちゃってるので、「決まった時間に決まったものを」というのがけっこうシンドいんですよね まこれも慣れの問題が大なのでしょうが。(なので、1年視聴し続けた「八重の桜」は、私的にはかなーり画期的なことでした

余談ですが、こういう選択の仕方の元ほとんどバラエティしか見ない我が家では、日テレ圧勝です なにか「気づくと日テレ」というパターンが非常~~に多くて。
昭和のマンザイブームを覚えているママ的には、「楽しくなければTVじゃない」といえばフジ、という感覚があるので、この日テレ圧勝具合は「いつの間に」という感じで、かなり不思議です。ダウンタウンの笑ってはいけないも鉄腕ダッシュもイッテQも、我が家で数少ない「だいたいこれを見る」と決まってる番組はぜ~んぶ日テレだもんなあ。ついでに朝のワイドショーもZIPとスッキリ
ここら辺はフジの凋落と何か関係あるんでしょうかね~。ダウンタウンの「ガースー」とか、プロデューサーやディレクターの色が前面に出てくるとことか、なんかフジっぽいもんなあ。

それはさておき
そんな感じである日もつけっぱなしだったTV画面。
21時になってドラマが始まってたのですが、いつもどおり、夕飯終わったので誰も見ることなく、そのままちゃぶ台(死語)で各々うだうだ。
してたんですが、なんかこのドラマのセリフまわしがこの時は妙に耳に入ってきて、しかもそれがなんか異様に面白くて
普段はBGMにすらならないつけっぱなしTVなんですが、この時はみんなして時折画面をチラ見しては、時に笑って「何これ面白い」と。
それが月9「デート~恋とはどんなものかしら」でした。
いや~月9なんて、ママそれこそ20年ぶりくらいの勢いです ママの「ドラマって嘘臭くてわざとらしくて」(←だからドラマなんですけど)という偏見をある意味作り上げたのが月9といっても過言ではないですから。
しかしこれは面白かったですね~。嘘やわざとらしさも、これくらい突き抜けたらもう芸として見入っちゃうという
この点、「八重の桜」の尚さんがかなり貢献してます。とにかくこの人のペラペラした長ゼリフが、まず聞いてて気持ちいい、次にそのセリフが異様に面白いという♫
そう「八重の桜」を1年見続けた者としては、尚さんとおっかさまが親子、そしてマイベストキャラだったおとっつぁまが、尚さんの恋人のおとっつぁまであるという配役もツボでした おとっつぁまの、真摯で口ベタでお茶目なおとっつぁまぶりがまた見れてうれし~~~♫
またこれは、そうした役者さん方の力量によるものか、あるいは脚本の力量によるものか、おそらく両方なのでしょうが、そういう「嘘やわざとらしさを突き抜けて、ほとんど荒唐無稽」なつくりだからこそ、その奥に「誠実」とか「芯」みたいなものが、嘘くさくなくわざとらしくなくほの見えるという、その塩梅の素晴らしさ 「おしるこに塩」と同じで、表に出すぎちゃダメ、立派なことを声高に堂々と述べ立てるようじゃただの自己満足、荒唐無稽な奥にひっそりとあるからこそ、塩がしみるんですよね~。
とりわけ不登校児の親としては、おっかさまの述懐がしみました~~~ まるで三谷幸喜の室内劇を見るかのような、秀逸かつ膨大なセリフの押収に心惹かれ、笑いながら見れるドラマと思ってたとこに、まったく予想外に出てきたこともあって、余計に心つかまれちゃって。昔から優しい子で、子供時代のあれこれを今でも覚えてる、自分に責任がある、自分が死んだ後は、あの子なりにやっていくだろう・・・
「自分が死んだあとは、あの子なりにやっていくだろう」って、片面から見れば随分無責任な、勝手に放り出す親みたいな言葉ですが、しかしもう片面から見ると全然違って。親として(あくまでも子供によかれと思って)道筋つけてやったり提案したり、親の望む方向にそれとな~く向かわせたりっていうのは、やっぱり「支配」であって。何よりも「あの子なりにやっていくだろう」っていうのは、底に子供に対する全幅の「信頼」があるがゆえで。
不登校のまま1年たって、なんとな~~~く、前よりそういうのがじわじわとわかるような気がしてきている今日この頃だからか、この時のおっかさまの言葉もまた、じわじわ~~と来ました。同時に、そうしたおっかさまの述懐を物陰に潜んで聞きながら、幼子のように膝を抱えてうずくまってる高等遊民30歳の姿も。
(この次の回だったかな、いよいよ自分からデートに行こうとする息子にカンペキな009のコスプレを作ってやるおっかさま&「なんだか恥ずかしいな30歳にもなっておふくろにこれ着せてもらってるなんて」と早口で浮かれてる高等遊民尚さんもツボりました 他にも、おとっつぁまの思い出話や、無表情のまま怒ったり駆けつけたりする杏さんの切なさ等々)

日記がわりに軽~くのつもりが、なぜこうも長文になるのか
今ちょっと我に返りましたが続けます。そんなわけで「デート」が私的に久々に面白いTVドラマで(と言いつつ、昨日は忘れて見逃しちゃったけど)、「他の人はどうなんだろう」と、ドラマ感想サイトなんかをネットで見ていたら、ここでやっと今日の本題です「55歳からのハローライフ」というドラマの感想サイトが、なんだかすごく気になっちゃって。
(ちなみに「デート」の感想は軒並みけっこう高評価で「そうでしょうそうでしょう♫」と)
「55歳からのハローライフ」というのは、1話完結の連続ドラマで、NHKだったかな?どっかでけっこう前にやったドラマだそうです。還暦間際の年代になった各主人公が、退職の危機を迎えたりその妻だったり、ホームレスに転落するのを怯えたり同級生がホームレスになってたり、といった感じの。
それだけならよくあるドラマですが、気になったのが「原作:村上龍」ということ。そういや村上龍ももう還暦頃だよなあ。しかしいつの間にかこんな小市民な話を書いてたとは。これはちょっと読んでみたいぞ!

というわけで、久しぶりに図書館へゴー 久しぶりなんで、背表紙見ると読みたい本てんこ盛りで、「55歳からのハローライフ」始め、タイトルに惹かれた、同じく龍ちゃんの「最後の家族」、山田風太郎のエッセイ「秀吉はいつ知ったか」や、瀬戸内寂聴の「わたしの源氏物語」等々、入り乱れて借りてきました 頭が水を欲するように本を読みたがってる時って、こういうふうに入り乱れて読むと、それらがミックスジュースになってまた別の味わいも楽しめるんですよね♫

で、すごーーく印象に残ったのが、「最後の家族」。
いや~龍ちゃん、いつの間にこんな小市民な話を、小市民に寄り添った話を書くようになったんでしょう
まあ「ひきこもり・不登校」というテーマは、「共生虫」とか「希望の国のエクソダス」とかでも書いてたから、ある意味お手の物かもだし(しかし私は未読)、「普通の女子高生」みたいな話も「インザミソスープ」とか、あるいは女子高生何十人だかにインタビューした本もあったから(これはともに読んだけど、なんかあまり心に響かなかった)、それらのミックスと思えば、村上龍が「最後の家族」を書いても不思議じゃないんですが。
しかし私にとっての「村上龍」といえば、電車で暴力騒ぎを起こす仲間を眺めながら「お腹すいたわ」と言い放つ「限りなく透明に近いブルー」や、「この世をすべて破壊してやるぜダチュラ」な「コインロッカーベイビーズ」、あるいは「弱者は死ね」という「愛と幻想のファシズム」。非常に昭和な感覚で申し訳ないですがそういうイメージしかなかったので、かなーーりびっくりでした。「吉祥天女」から「BANANA FISH」「YASHA」に連なる作品を描いた吉田秋生が、「海街diary」で普通の、ごく普通~~~の日常を、しかし鋭く描いて琴線触れまくりみたいな衝撃が。いや吉田秋生はまだわかる気がするけど、村上龍の今までの作品なら、この「最後の家族」に出てくるような人たち、とりわけこのお父さんなんかは「弱者だから死ね」って言われて終わってたような気がしてたんだけど、何この寄り添い方、そしてこの明るさ、ハッピーエンド具合。

そう、「最後の家族」、明るいんです。「おとぎ話」っていう読後感が湧くほど、最後が明るいです。内容はそんなに明るくなくて、さすが龍ちゃんリアルですけど(と言ってもそれまでの、細部を視覚的にグロいほど描写するリアル感じゃなく、登場人物たちの心理描写が小説家的にさすが上手くて、すっと入り込めちゃうのでリアルに感じる)、なんか「村上龍がこんな希望に満ちたものを書くなんて」という驚きが。

といっても、もともとこの人は昔のフジテレビ並に明るい人で、例えば自伝的小説「69」の頃からもう、「楽しく生きなきゃ人生じゃない」という強い決意を明確に現してました。もちろんそうできない人もいっぱい出てきて、あとがきでも「そういう人をあえて悪く描いた」と、確信犯的に書いてましたが、そうできない人にもつい目が行ってしまう、人柄というか作家としての資質みたいなもんと同時に、「でもあえて悪く描いて振り切る」という決意みたいなもんが、この人の作品の特徴だと思ってたので、今まで振り切ってた人に寄り添い、しかも希望に満ちたラストを用意するという「最後の家族」を貫く優しさみたいなもんにびっくりして、どういう心境の変化なのか村上龍、と。(還暦にもなるとそうなるのかなあ

「最後の家族」は、「高等遊民」の息子がいて、尚さんとは違ってたまに暴力もふるって、おとっつぁまは「家族の幸せのために俺は働いてるんだ」という、高度経済成長を引きずった企業戦士で、「夜の10時になっても俺が帰ってから、みんなが笑顔で食卓を囲むのが家族の幸せなんだ」という家庭を作って、いち早くそれに反発した娘は「本当の意味での自分の進路」というのを考え始めていて、そうした家族に対しただ受動的なだけに見えてたお母さんは、ひきこもりNPOや何かを通じて、受動というよりじっくりと見つめて、色々なことがわかるようになっていく、という、そういうお話です(どういうお話なのか)。そういうお話なので、不登校児の親としてはすーーーっと引き込まれちゃって。我が家とは状況の違う部分はもちろん多々あれど、「海街diary」みたいに、直接関係ないシーンや言葉が、自分にとっても関係あるものとして心に来る、しかもそれが全編にちりばめられてるという感じで。
中でも一番印象に残ったのが「「一緒に食事をする」っていうのは、目的じゃなく手段。それが目的になるのは違う」。ああとってもわかるわ~~。頭ではとってもよくわかってるのに、こと学校のことになると「学校に行きさえすれば」「進学さえすれば」って、どうしても考えちゃうとこがあるなあ。まだまだ心の底から体感できてないんだなあ。

そしてもう1つ、ぐぐっと心に来たのが「誰かを救おうとすることは、誰かを支配しようとすることと、容易に入れ替わる」
そう!そうなの!!ほんとそうなの!!!
頭ではわかってるの!!!そうじゃないかな~???と思ってたの。こうしてそれをはっきり言語化してくれるものに出会えて、ほんとによかった!
あとがきいわく、「この作品は、数う・救われるという人間関係を疑うところから出発している」のだそうです。
すごくよくわかる、気がします。私も、自分が実際にできるできないはともかく「「気の毒な人」は救うべき」というサヨク精神旺盛だから(ある程度はみんなそうだと思いますが)。そして「でもそれはどっかで「支配」に通じる」とうっすら思ってるから。「救う」に限らず、「愛情」とかもね。
「最後の家族」では、各々がその呪縛から解放されたとたん、川が流れて海にたどり着くように「収まるべきところに収まった」という幸せな大団円が訪れます。あまりに収まりよすぎて「おとぎ話」という読後感がわく所以 もっとも「愛の幻想のファシズム」とかも、途中経過はかなりおとぎ話感がありましたが
しかしこのハッピーエンドぶりは、身につまされながら読む側としては、やっぱりうれしかったです。こういう幸せな読後感=希望を得ることは、たとえ作り話のおとぎ話ではあっても、不登校家庭には小さなパワーになるんじゃないか、少なくとも無駄にはならないんじゃないかと。

あ、「55歳からのハローライフ」も面白かったですよ。最初に「55歳~」を読んだせいか、「最後の家族」はその続編みたいに思えました。なんかやっぱり、どの話も「希望」があるんですよね。龍ちゃんどうしたのだ

まったく違って「おおっこれは書きたい」と思った、山風さんエッセイのことも書こうと思ったのですが、いかんせん長くなったので、これまで
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テーマ : 読書感想文 - ジャンル : 小説・文学

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