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文ちゃんが、ゆく

タイトルは、菅原文太の代表作「仁義なき戦い」シリーズ監督・深作欣二により映画化された「蒲田行進曲」、その続編にして主役の大スター・銀ちゃんが逝ってしまう、つかこうへいの小説「銀ちゃんが、ゆく」から取りましたm()m

高倉健死去にはあまり心動かなかった私ですが、文太死去にはびっくりしました~~。ひそかに文太のプチファンだったもんで(なのに文太文太と呼び捨てにしてますが心理的距離の近さの表れということでご勘弁をm()m)
中学生のKK世代には「誰?拓海くんのお父さん?」とか言うくらい知らない人みたいですね 藤原とうふ店の文太じゃねーよ
(とダンナと2人で否定したのですが、フジテレビのワイドショー見たら、「北の国から」で文太がやってた役がモロ豆腐屋だったそうで、再度びっくり~~ 確かに雰囲気もそっくりだけど、もしや「頭文字D」の作者、ほんとに文太をモデルにした??)

「高倉健に続き、昭和の名優が~」というキャッチフレーズを昨日からよく耳にしますが、私の感覚では、高倉健=「ケンタカクラ」という感じで。「ミフネ」とかと同様、「高倉健」という固有名詞がひとり歩きしていて、実体のない「日本映画の象徴的存在」という感覚(そして高倉健の映画は「ブラックレイン」以外見たことなし)。
しかしリアルタイムで活躍していた人のせいか、「なんでそんなにすごい人って位置づけになってんだろ。映画はたいしたことないのに(←見たことないのにこの言い草)」という印象も一方にはあって。ほんとにすごい「昭和の名優」というなら、私の感覚ではリアルタイムで見たことない「鶴田浩二」とか、あるいはいっそ「バンツマ、アラカン、片岡千恵蔵」といった時代の人々という感じ。リアルタイムで見ていた人は、やっぱり「伝説」よりももうちょっと近いところにいるんですよね~

そして菅原文太は、さらに近い!はっきり言って個人的には、「昭和の名優」という感覚は全然ありません ワイドショーで松方弘樹が言ってた「高倉健は神様みたいな遠い存在。菅原文太は手が届きそうなところに存在している(けれど届かない)」という言葉が、昭和の感覚としては一番しっくり来るかな~と。
(今後ここらへんの「昭和の名優」予備軍として、梅宮辰夫とか松方弘樹とか来そうですが、同じような違和感が

例えば先述の「蒲田行進曲」も、私この映画大好きで、ダビングしてすりきれるほど見たものですが、しかしこれが「昭和の名作」かと言われたら;; 「名作映画」っていうと、なんか歴史に残ってお勉強にもなる芸術映画って感じがしてしまうのですが、「蒲田行進曲」はもっとぐっとくだけてて、下品でバカばっかで、涙あり笑いありの、庶民が見て楽しむ映画、しかしテーマのせいか役者さんたちの演技のせいか、どっかに確かに「反骨」や「悲哀」が流れてるという感じ。「歴史に残る名作とかじゃ全然ないけど、なんか妙に面白かった」という。そうちょうど作中の銀ちゃんのような、菅原文太のような。

高倉健のヤクザ映画シリーズ同様、菅原文太のヤクザ映画シリーズもトラック野郎シリーズも全然見たことないんですが、しかし文太は好きでした~ あのくしゃっとした目元と、むちゅっとした口元が大好きで♫ そう単に顔が好きだったんですね
たぶんこれは私のファザコンのなせるわざで、なのでほんとに個人的な「好き」です。父ことじーちゃんがちょっと文太入ってたんですよね といっても別に「チャララ~ン♫」というあの「仁義なき戦い」の音楽とともに現れるような、そんなじーちゃんでは全然なかったのですが、言葉遣いや口調、顔立ちとかが、ちょっとね♫

性格というか、印象もちょっと似てました。って文太の性格なんざほんとのところは知っちゃいませんが反骨精神旺盛で、「男の美学」ありまくりで。と同時にお茶目で、周りの人に遠慮しちゃって、どっか照れ笑いしてるのがつい目元に表れちゃって、「いかんいかん男の沽券が」みたいな感じで、むうっと口元を引き締めてる、みたいなところが。
この「照れ」っていうのが、父ことじーちゃん世代の「古い男」に時々見受けられる、私にとっての魅力、かわゆさです(そういや高倉健は、目元が笑ってなかったからあんましファンじゃなかったのかもな~)

このかわゆさが炸裂して大好きだったのが、定年間近の、伝説の名刑事にして古畑の大先輩という役柄で出てきた、「古畑任三郎」シリーズの一作「最後のあいさつ」。もうかわゆすぎて何度見たことか
そもそも田村正和も、なんか父ことじーちゃんを思い出させる俳優の1人で。もちろんじーちゃんはあんなスッキリした美老人じゃなかったですが表情とか空気感とか、確実に「昭和初期の古い男」を引き継いでいる俳優の1人だと思います田村正和。
かたや「この人の立ち姿の美しさを活かしたいと思った」と三谷幸喜に言わしめた、スッキリと美しい古畑正和。かたや叩き上げの、ほとんど犯人のヤクザよりヤクザっぽいおやっさん刑事 昭和の正統派2枚目というエリートコース(でもちょっぴり個性派)を歩んできた田村正和と、長い下積みを経てギラついた個性派俳優という独自路線を突き進んできた文太に対する、三谷脚本独特の「あて書き」が功を奏して、二重の魅力となっていた1本でした。「おやっさんももう年なんで、俺たちがこっそりフォローしてるんですよ」と、若手刑事が古畑にこっそり耳打ちするような、後輩に慕われつつも労られ、フォローされてなんとか仕事している、「去りゆく老兵」を体現しているのも、かつてはギラついたトラック野郎だった白髪の文太に似合って物悲しく。
(余談ですが、津川雅彦が古畑の同級生かつ犯人として出てきた1本も、同じような「あて書き」の魅力でよかったです~♫かたやバンツマ2世の田村正和、かたやマキノ一族の津川雅彦、ともに「昭和の伝説的映画界」のサラブレッドにして、もちろん出身地もキネマの天地・京都。しかし性格も趣味嗜好もおそらく正反対という2人が、同級生として共演というのがもうツボで 「なんで呼ばれたんだろう。だってそんなに仲良くなかったんだよ」という古畑のセリフも味わい深し

話は「人情派刑事の、孫娘に対する愛情が義憤となり・・・」という、文太にぴったりな。それに対して「独善で人を裁くことはできない。気持ちはとってもわかりますが」というスタンスを貫く古畑もまた魅力的でした。が、何より魅力的だったのが、モスバーガーの差し入れに「古畑~。オリャこんなこじゃれたもん、食うたことないよ」とボヤく文太、あるいは「・・・モスラバーガー食うか」と手を伸ばす文太、または古畑にドアをノックされ「はぁ~い。。。開いてるぞ~」と答える文太e.t.c...すみませんほんとどーでもいいシーンばかりで しかしこういうシーンに萌えてしまうんだからしかたがない、私にとってのかわゆさ爆発シーンの数々でした 一見ヤクザっぽくすらある古い男の、茶目っ気、照れ、優しさ。それらは声高な正義感ではなく、あくまでも自分1人の反骨精神から来るのだという、それがもう板に付いてて、こうしたほんのワンシーンみたいなもんにも、どっか必ず醸し出されていて(ちょっとこじつけ?

そんな文太を語るのにはずせないのは、私的にはこれです!NHK大河ドラマ「獅子の時代」です!!ダッダカダダッダカダダッダカダダッダッダッダ
もっとも私、文太のファンと言っときながら、実際にちゃんと見たのは「獅子の時代」と先述の「古畑任三郎」と「千と千尋の神隠し」のみ、しかもゲスト出演や脇の声なんかじゃなく、主役を張った「獅子の時代」の内容はほとんど忘れてるという、どう見てもファンじゃないファンなんですが
しかし、私が文太ファンになったのは、まさにこの「獅子の時代」を見てしまったためですから!
余談ですがフジテレビのワイドショーで、「北の国から」はじめ、文太が出演した主にフジのドラマを紹介していた時、軽部が「ここには出てませんけど、僕は「獅子の時代」も印象に残ってます」とわざわざ他局ドラマに言及してまで「獅子の時代」をプッシュしていたのを見て、初めて軽部のことを見直しました と同時に、「「獅子の時代」って意外と根強い人気作なんだな」と、改めて心強く なんたって当時小学生女子だった私が、文太のみならず、幕末及び大河ドラマというコンテンツ、オープニングテーマ曲、果てはタイトルまで、すべてに心をときめかせた大河ドラマでしたからね~(そのわりに話の筋とかまったく覚えていず、文太が会津藩士だったというのも会津に来てから知ったテイタラク
なかでも、北海道の刑務所に送られてボロボロになる文太とかもう 話の筋はわからないのに、1つ1つのシーンに萌えていました そうこれは私にとっては、後の「戦メリ」にも連なる系譜、すなわち「男くささ」に萌えた、たぶん初めてのドラマなのでした。ストーリーのあそこがここがよりも、「男たち、美しく」を体現するキャラクターやその関係性の魅力、シーンの魅力等々に心を鷲掴み、そしてそれらを魅力と感じたのは、その底にある「エロス」を感知してしまったからだという(そして顔がタイプだったからその後もファンになっちゃったという

この「獅子の時代」については、以前こちらでさんざん書いたので、もしよろしかったらぜひご覧になってみてくださいませm()m 「獅子の時代」の裏話あれこれ、出演に当たっての文太のイカすコメントなどもあります

思うにこの「獅子の時代」の魅力は、60年代末から始まり、70年代に花開いた「左翼の時代」、つまり主に若者による「反権力・反体制」という(真剣なんだけどどっか祝祭ぽくもある)時代の空気が底にあったから、という気もします。もちろん「獅子の時代」に描かれた「反抗」は、若者特有の熱に浮かされてるがための「反抗」とはレベルが段違いなわけですが、なんかあの時、獅子の時代を見て感じた「幕末~明治」への憧れめいた気持ちとか思うとね。
ベトナム反戦運動に、パリのカルチェ・ラタン、日本でも安保反対や全共闘なんかが流行し(一貫して「反権力」を描いた文太及びその映画も、根っこは兄弟かもしれん。大学紛争華やかなりし頃の東大学園祭における橋本治のキャッチコピーとか、まさによね)。そうそう今「新作!」と話題になってる、当時大流行だった「ベルばら」でも、「歴史を作るのはただ1人の英雄でも将軍でもない、我ら人民だ」「我らは祖国の名も無き英雄になろう!」なんて輝かしいセリフとともに、大貴族の地位を投げ打ってフランス革命に参戦するオスカルという、まるで「自由自治元年」ののぼりをたてて突き進む銑次のようなシーンが、そういえばクライマックスでした 小学生女子としては「獅子の時代」とともに心わしづかみされた作品の一つです。そういやこの最終回の銑次突撃シーンはどうしても「明日に向かって撃て」なんかのニューシネマを思い出してしまうなあ。既存のシステムに抗いもがき、結局システムに負けて死んでいく若者たちを描いた、あの時代の一連の映画。若者時代に見ると憧れ、若者を脱しかける時代に見ると「バカだな」、若者が自分の子供世代になる時代に見ると、なんだかとても切なくなるという。。。(「ベルばら」とか、今読むとオスカルのおとっつぁまに泣けて泣けて

訃報を聞いても、「急いでトラック野郎レンタルしてこなきゃ」とかはまったく思わないのですが、あの目元・口元を思い出すと、「死んじゃったのか~~」と寂しくなります。。。というわけで、まだ文太がギラギラしていた頃の「獅子の時代」オープニング(「会津若松市」の名前しっかり♫)及び、ほとんど文太の魅力を堪能するための回になってる「獅子の時代・最終回」を見ながら、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ(淀川さん憑依~
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テーマ : 訃報 - ジャンル : ニュース

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