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陰謀説は面白い

さてそんな感じで忙しかった11月も、ひとまず落ち着いた感のある今日この頃。
久しぶりにツイッターとか見てたら、やしきたかじんの最期を描いた本「殉愛」にまつわる騒動が、非常に琴線に触れてしまい。
貴重な休日を、自分じゃ読んでもいない「殉愛」のamazonレビュー数百個を読んで過ごすという、楽しくも無駄な時間ここに極まれりなことして潰してしまったのでしたああ~~~

そもそも私にとってやしきたかじん=「大阪の歌をいっぱい歌ってる大阪の芸能人」、それ以上でも以下でもなく。
好きでも嫌いでもない、いやどちらかといえば嫌いかな?という感じ。「そこまで言って委員会」とかは新潟でもやっていたので、たまに見てたのですが、いつからこんな偉そうになったんだっていういけすかなさがあって 訃報も正直「あらまあまだ60代なのに」程度。

そんな感じだったんですが、amazonのレビューを見て初めて知りました 大阪でのやしきたかじん人気に!
いや~ほんと、大阪で愛されてた人だったんですね~~~~!!!
もちろん「大阪人なら誰でもたかじん好きとか思わんといてー」という大阪人も多数いらっしゃると思います。けどなんというか、たかじんの知名度というか、存在感みたいなもんが、なんかもう私の感覚とは全然違う!
食や言葉などの文化の違い、価値観の違い等、関東と関西じゃ随分違うところがあるんでしょうが、関東甲信越東北から出たことない私は、今回初めて知ったこの「やしきたかじんの存在感」こそに、ほとんど「断絶」に近いカルチャーショックを覚えましたってちょっと大げさ
(そうそう、レビューの中だったかな?「大阪じゃ上沼恵美子と並ぶ知名度」という一節があって、ますます断絶が深まる思いでした だって関東甲信越東北人には上沼恵美子って、タイトル忘れたけどNHKの「四角い仁鶴がま~るく収めまっせ」の番組でしか知らない人ですもん(しかもその印象も「何このおばちゃんウザイわ~」でしかないっていう) しかしあの番組、「行列のできる相談所」等々の先駆けにして、こってこての関西ワールドという、思えば斬新なNHK番組でしたね~

そんなテイタラクなもんで当然、やしきたかじんの最期の様子にも、その後妻にも興味なし。なのになぜにこの「殉愛」騒動に惹かれてしまったか?
それはもう、「著者が百田尚樹だから」、その1点にほかなりません 後妻の重婚疑惑とか遺産のっとり疑惑とかは、基本的にどーでもいいのですが(しかし情報が出回るにつれて、後妻がほとんど犯罪レベルのアヤシさになっていくのは面白い限り

私にとって百田尚樹=「永遠の0」の作者です。でした。に近くなってる気もする今日この頃ですがさておき
「永遠の0」は、映画化が決まった頃に購読しました。私は太平洋戦争には興味あるけど、どちらかといえば「戦時下の生活」とかそっちの方に興味があって、武器マニア・戦闘機マニア系ではないので、あんまし零戦ものとか興味なかったんですよね。しかしあまりにも話題沸騰で、「号泣必至」みたいな宣伝が踊り狂ってたので、どれどれ?と。
で読んでみたら、うん、まあ、面白かったです。色んな視点の色んな証言から、1人の人間の姿を浮かび上がらせるという構成がまず面白いし、その証言自体が問答無用に引き込まれる!山田風太郎の「戦中派日記」シリーズ等で描かれていた、当時の人々の感情を再確認させられる、つまりリアリティがあって迫ってくるというか。

一方で、現代人を体現する姉やその婚約者である新聞記者、または「全部上が悪かった」という著者の考え方(?)などは、あまりにも紋切り型じゃないかと。なんかこう、わかりやす過ぎるみたいなところが引っかかりました。気に入った本、特にこういう本ならそりゃもう何度も読み返すタチにして、この本は1回読んだままというのが、私にとってこの本の感想そのものです(「戦中派」シリーズの表紙ボロボロ具合をお見せしたい

「全部上が悪かった」って、「全部日本が悪かった」とどこが違うんでしょう??個人的には、一昔前の「日本が悪かった」すなわち「自虐史観」をひっくり返すために、「全部マスコミが悪かった」「踊らされた国民が悪かった」等々、「別の悪者」を設定するのが流行りのように見えてしまうここ10~20年なのですが、その1つに思えてしまいます。「戦中派」シリーズとかだとその辺、さすが渦中にあった人、しかも渦中にあってとんでもなく冷静な目を持ちうることができた人だけあって、上を批判しつつも、戦後まもなく始まった東条叩きへの違和感、米内の言葉への評価、ひいては「しかし彼1人の罪ではない。彼よりも罪に問われるべき人間は他にもいる」「原因などというものは、もっと前からあって」等、十把一絡げに断罪することなく書いています。(これは「戦中派」シリーズじゃなかったかなあ??うろ覚え)

これは今回の原発事故に置き換えると、私自身すごく共感してしまうところがあって。
「東電が悪い」「政府が悪い」色々悪者設定はできますけど、何がどう悪かったのかとなると、ほとんど結果論なんじゃないかという印象なきにしもあらず。事故があったからあそこが悪いここが悪いなったけど、事故がなかったらそのまま済んでたんじゃないか、たまたま今問題が起こって、今の責任者=「悪」としているだけなんじゃないかとか。
東電も政府も、未曾有の災害、未知の事態に際し、一生懸命国民の事を思ってやってた気がするのは、私がほとんど被災してないからかもしれません。被災した人はそんな他人事みたいに物分りよくなる必要はまったくないと思います。ただ私の感覚としては、少なくとも先の大戦の時よりは、国民に、全方位的に、気を遣って試行錯誤して頑張ってるという印象がやっぱりあって(ただ「未知の事態」への「試行錯誤」につき、うまくいかないこと多々だという)。
1点あーあと思ったことは、事故直後、与野党一丸となって頑張るどころか、ここぞとばかりに足の引っ張り合いしてたことです。い、い、今そんなことしてる場合かーーー。今はとりあえず協力体制で行って、その中で協力したとこ理不尽だったとこ等々はきっちり記録しといて、後からそれを武器にすればいいじゃないか、なぜ今この時に文句ばかり言って足引っ張るのさ、と思ったことを覚えています。「国民のことを考えるよりも政権争いか」と。

そう思うと、先の大戦時の上層部もそんな感じだったのかな~と。基本的に、今より国民のご機嫌を伺わない時代だったんだろうな~とは思いますが、そうは言っても国民がぼんぼん死ぬのを静観できるような、そんな政府じゃないだろう。国民のためにそれなりに頑張ってはいたんだろう(何が「国民のため」かという点で、また色々枝分かれしそうですが)、ただし政権争いというか陸海争いみたいな「事情」も確かにあっただろう、みたいな。つまり「永遠のゼロ」で、「全部上のせい」と簡単に断罪されていた「上」にも、実際はそりゃもう葛藤やら何やらがあっただろうというね。
(加えて資源不足。石油はもとより、各地の銅像やらお寺の鐘やら、果ては一般家庭の鍋釜まで供出させなきゃ武器が作れない、さらには作る人までいないから女子供を徴用。ほとんど「米がないから雑草で飢えをしのぐ」レベルでしょうこれ。何かの作戦立てるにも実行するにも、これは大きな足かせ=葛藤の源になってたんじゃないかと思います)

そう思うと、なんか同情しちゃうんですよね。十把一絡げで一方的に断罪されるというのが。これは自分が断罪されるのを恐れる気持ちも多分にありますが。例えば「踊らされた国民が悪かった」というのも一面の真実なんでしょうが、でもその国民の中に自分もいると思うと、「違う!みんながみんなそんな踊ってたわけじゃない!」とか言いたくなったり

またこの「踊らされた国民」、例えば「国を守るために」と特攻を選んだ人たちにも通じることですが、それは決して「悪」ではない。ここらへんは「永遠のゼロ」や「戦中派」シリーズ等にもあるとおりで。去年「八重の桜」を見ながら散々考えたことでもあるのですが(よろしければ拙ブログの「八重の桜」感想記事、白虎隊のあたりなども見ていただけるとありがたいです)、こういう考え方が昭和まで綿々と引き継がれていて、それが極端な事態になったら極端な形で発動されたという面も、あるんかな~とか。
さらには上の人もそんな感じで、「それのどこが悪いんだ。立派なことじゃないか」という考えの持ち主だったら。
水木しげる翁が「士官学校出の若いパリパリ将校が上官になった部隊は玉砕を選んだ。上官が潔く死ぬことしか考えてないから。叩き上げで国に子供がいるような年取った上官だと、生き延びる方を考えた」といったことを言っていて、なるほどな~と思ったものです。「上官」1人によっても性質は変わる。あらゆる局面にあらゆる選択があって、あらゆる選択にはあらゆる背景があって。その集大成は、そんな簡単に紋切り型では語れないはず。

ああ「永遠のゼロ」のことを書きたいわけじゃなかったのに、こうゆうのを書き始めるとなんだかやけに長くなり
「戦中派不戦日記」から、「そうそうそうなの!!」と共感しまくりの9月1日の章を引いて、閑話休題。
(共感しまくりで紹介したいのところは他にもいーっぱいありますが、とりあえずここを 特に若い人なら、やっぱりこう思うよなあ)

新聞がそろそろ軍閥を叩き始めた。「公然たる闇の巨魁」といい、「権力を持って専制を行い、群島を持って言論を窒息せしめた」といい、「陛下を盾として神がかり信念を強要した」という。そして
「われわれ言論人はこの威圧に盲従していた事を恥じる。過去の十年は。日本言論史上未曾有の恥辱時代であった」
などと、ぬけぬけと言う。

この糾弾は一面、確かに事実である。不合理な神がかり的信念に対して、僕などは幾度懐疑し、周囲の滔々たる狂信者どもを、あるいはバカバカしく思い、あるいは不思議に思ったかしれない(略)

とはいえ、実はなお僕はみなのこの信念を恐れていた(略)。不安ではない。戦争などいう狂気じみた事態においては、「日本は神国なり。かるがゆえに絶対不敗なり」とか「科学を制するは精神力なり」とかいう非論理的な信仰に憑かれている方が、結局勝利の原動力になるのではあるまいか、とも考えていたためである。合理的な考え方が、動物的といっていい今の人間世界では或いは間違っているのではないか、という恐ろしい疑いのためである。

しかし、非論理はついに非論理であり、不合理は最後まで不合理であった。

さて、この新聞論調は、やがてみな日本人の戦争観、世界観を一変してしまうであろう。今まで神がかり的信念を抱いていたものほど、心情的に素質があるわけだから、この新しい波にまた溺れて夢中になるであろう--敵を悪魔と思い、血みどろにこれを殺すことに狂奔していた同じ人間が、一年も経たぬうちに、自分を世界の罪人と思い、平和とか文化とかを盲信し始めるであろう!

人間の思想などいうものは、なんという根拠薄弱な、バカバカしいものであろう。もっとも新聞人だって、こういうことは承知の上で、今の運命を生き延びてゆくためにこういうことをぬけぬけと書き出したのであろう。そして国民はそれに溺れる。

それでよいのである。それが日本を救う一つの道なのである。しかし過去において完全には溺れなかった自分である。将来においても決して溺れ尽くすことはあるまい。

しかし、このことは渦中にあっては、案外難しいことである。


さてそういうわけで(?)私にとっての百田尚樹=「永遠のゼロ」の作者、そして「永遠のゼロ」を読んだ限りでは、別にウヨでもサヨでもない、ただまあ零戦のことをあえて取り上げるってことは多少ウヨ入ってんのかなあ?という程度の印象で、たかじん同様、好きでも嫌いでもないという感じ。
もっともその後、「ちまたでは「ウヨ系論客」としても知られているらしい」「なんでも安倍ちゃんと仲いいらしい(そういやたかじんも「委員会」スペシャルで、安倍ちゃんと肩を並べて風呂に浸かってるという、見ているだけで暑苦しくなるようなワンシーンを演じていたことがありましたね)」といった情報が細切れに入ってきて、やっぱりたかじん同様どちらかといえば嫌いな方かな?といった程度で、でもわりとどうでもいい感じだったのですが。

去年、八重の桜が終わり近くになった頃、「他の「安倍ちゃん寄り」っぽい人たち数人とともにNHKの経営員会入り」、その直後に「再来年の大河ドラマは「吉田松陰の妹」」という情報が入って以来、私の中では一気に胡散臭くなってしまいました 再来年の大河ドラマってもしかして、「八重の桜」を苦々しく思っていた安倍ちゃんの要請?と思って。
(ちなみに大河ドラマは例年、放映中のなかばに再来年の大河ドラマが決まるのですが、この時はあと1月で放映も終了という頃にやっと発表と、えっらく遅かった)

まあ大河ドラマって伝統的に、「戦国、江戸時代、幕末」をローテーションでやることになっているので(その他の時代だと視聴率が取れないから)、幕末ドラマ終わったあとにすぐ幕末、てのもアリっちゃアリなんですが、しかし戦国時代ならともかく、幕末ってこの3つの中じゃ伝統的に、比較的視聴率取れない時代で、実際「八重」も視聴率的にはぱっとしなかったし(しかし会津では絶対60%超だったと思う!会津に視聴率測定器ないから数字としてでないけど)、普通だったら「八重」の後そんなすぐにまた幕末やるかなあという感じ。しかも中身が、当時放映中だった「八重」とまったく同じようなヒロイン主人公、ただし舞台は「八重」で敵として描かれた長州側(「八重」じゃけっこう敵側に気を遣った描き方で、そのあまり会津の方が「自業自得」って感じに描かれてた印象すらするのにさ)・・・これはどう見たって、お友達のNHK経営委員を使っての、安倍ちゃんによる「八重」への反撃じゃないかと思ってしまうのは、単に私がとことん会津側だからかもしれませんが

しかしそんな器のちっちゃい理由で、大河ドラマの題材が決まるもんなんだろうか、そもそも「経営委員」って、そんな大河ドラマの題材とかにまで口を出せるもんなんだろうか等々の常識が、「そんな面白い陰謀みたいなのがあるわけなかろ。安倍ちゃんだって大河ドラマに一喜一憂するほどヒマじゃなかろうし。単なる偶然でしょ」と、かろうじて私を押しとどめていたのですが。

今回の「殉愛」騒動、及びこれだけ騒動になってるのに、こういうのにいち早く食いつきそうなワイドショーが揃ってガン無視というのが、「もしかしたら面白い陰謀ってのはけっこうTV界にはあるのかもしれない」と、非常に興味深かったのでした。TV界に強い百田尚樹なら、色々やり手なのかもしれないとか思って。
ともあれこの「殉愛」疑惑、及び「NHK経営委員って、大河ドラマの題材を決める権限があるの?」という、私にとってのみ重要な疑惑(でもこれ、私の思ってる通りだったらけっこう怖いことだと思う。どっちも)の行方を、とりあえず今後も見守りたいと思います けどなんだか「殉愛」疑惑は、うやむやになってしまいそうだなあ。
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テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

コメント

数ヶ月前ですが、萩へ旅行に行ってきました。萩市は誘致もしてないのに大河が決まってしまって困惑してましたよ。乗り気じゃないです。決まったからには御先祖様に恥はかかせられないと急いで準備してました。上が全くやる気無いようですけどね。総理の意向があったらやる気を見せると思いますよ。

後、萩市の観光名所に「八重の桜」のポスターが目立つように貼ってありました。週刊誌で言われてるような、山口県民による八重の桜批判等一度も聞いた事も無いそうです。

ブログ主様は長州がお嫌いなんですね。それ故の今回のエントリだと思えました。

それと、総理大臣を安倍ちゃん呼ばわりは不愉快に思いました。

私は会津にも数回旅行に行きましたが、長州も会津も好きですよ。だから、こんな悪意を感じるブログはとても悲しくなります。

以上、現大河主役県から失礼しました。

Re: タイトルなし

こんにちは。コメントありがとうございます。

困惑ですか。そういえば会津も、「新島八重」が決まった時は「誰?」という困惑があった気がします(^^;)「保科公を大河ドラマに!」っていう声はありましたけど、このタイミングでしかも新島八重は、誰も想像してなかったと思います。大河ドラマになると決まって、喜ぶ層とそうでもないそうでもない層がいるんじゃないでしょうか、どこの地域も。

> 後、萩市の観光名所に「八重の桜」のポスターが目立つように貼ってありました。
そうですか!ありがたいですね~~~m()m 桂ミッチーとか、いい役どころでかっこよかったですしね♫
そういえば萩市だったかな?長く白虎隊を祀っているところもあるそうですね。

長州、特に嫌いってわけじゃないですよ。会津は好きですけど、長州嫌いはそれとイコールじゃないですから。
安倍ちゃん呼ばわりで不愉快にさせてしまってすみません。私の中では安倍首相は「安倍ちゃん」呼びが一番しっくりきて、このブログはそういう私の勝手な思いをぐだぐだ書くためのものですので(^^;)
(もしも安倍ちゃんと面と向かって会うようなことがあったら、さすがに安倍ちゃん呼びはしませんよ)

こちらの方では、というか近所のビデオレンタル屋さんでは、「八重の桜」は置いてないのに、「軍師官兵衛」はしっかり揃ってます(>▽<) 官兵衛、人気あるんですね~!
大河ドラマは見たり見なかったりですが、大事なコンテンツだと思っているので、これからも大事なものとして続いて欲しいです。
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