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満開の桜~神指城・飯盛山編

会津若松市内、今はすっかり桜も散り終えてしまいましたが。
行く春を惜しみつつ、鶴ヶ城以外のスポットから今年の満開桜をお届けします♪

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まずは、行く手にもっさもさと咲き誇っている桜たち!
田んぼ&農道の景色の中で、ひときわ目立ってるこの桜の大群は~~?

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ご存知、神指城跡です。
(「こうざし」と読むことをつい最近知りました
上杉景勝&直江兼続コンビによるお城跡。
なんでも、盆地の山すそにつき拡張できない&山から砲撃されやすい鶴ヶ城よりも、もっと大きなお城を作って戦に備えようという計画だったそうです。
途中で、家康の会津討伐→関が原の流れとなり、築城途中で放棄されたまま今に至るそうですが。
この時代に山からの砲撃を見越してたってのがびっくりです 実際戊辰戦争の時は、小田山からの砲撃で命運が決定的になりましたもんね。
もしもここにお城ができてたら、戊辰戦争の戦況もまた違っていたのだろうか・・・?
などと歴史のifを思いながらしみじみ眺める城跡の桜。
ここは桜も見事だけど、ケヤキがすごいですよね~!

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大ケヤキのせいか、桜たちが見上げる高さのところで咲き誇ってるせいか、個人的印象としてはここの花見は「お大尽気分」
なんかこう、勇壮!豪快!って感じがする桜景色なんですよね~

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桜ごしに磐梯山が見えるのも、ここのステキなポイントです

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さてお大尽気分で桜を堪能したら、次は若松市内を一気に横断
西側の神指から、東側の飯盛山まで走って、たどり着いたこの一本桜は~?

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ご存知!石部桜です。
駐車場から桜まで歩くのがめんどくさくて、裏の山道から見下ろしてますの図
遠目にもさすが見事な存在感です!しかもたんぼの真ん中にどーんですもんね。

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この裏山には、東京電力の水力発電所があります。え~~こんなところにもさりげに東電が
猪苗代湖の水を会津まで引っ張ってくる、戸の口堰を利用した発電所だそう。
戸の口原で戦っていた白虎隊は、この堰の一部を通って、すぐお隣の飯盛山にたどり着いたわけですね。
ここの桜もキレイでした~

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では帰りましょうと山を降りたらわりとすぐ、現れるのが「旧滝沢本陣」。
殿がいて、白虎隊が出陣した場所ですね。
今脳内で、綾野剛さんによる再現フィルムが上演されてます

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ここら辺で通りかかった消防車のガレージですが、「飯盛屯所」とか、それも筆文字で書かれてると、なんか幕末の時代劇セットみたい

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というわけで、ここまで来たらもう、あそこに寄ってくしかないでしょう
ご存知、飯盛山です。

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参道のあわまんじゅうは、私的・来たらこれ買うってものの1つ
黄色い粟皮による、独特なもちふわ感がクセになるおまんじゅうです

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お山のてっぺんまで、今までは動くエスカレーターで登ってたんですが、今回は少しでもお金を節約しようと、初めて徒歩で登ります
しかし・・・ここを徒歩か。。。辿り着けるかな自分

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「98,99,100、ひ~~~疲れた~~」とおたけびあげながら颯爽と駆け上がっていく修学旅行生や(ああ若さって素晴らしい)、私より20歳は年上だろうと思われるジサマにゆっくりと追い抜かれながら(あれ?若さの問題じゃない??)、私は手すりにすがってギブ!!もう足ぱっつぱつで
途中のお土産やさんで資料展などを眺めて疲労をごまかしたりしつつ、なんとか辿り着きましたが、一時はここでビバークするしかないかなと覚悟しましたイヤマジデ

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やっと・・・着いた~~~~~
久しぶりなので、お線香も買ってご挨拶してこうかな。

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白虎隊の方にはもうどなたかの白煙が上がってたので、私は同じ女同士ということでこちらに。
おおこの慰霊碑、前髪クネ男が・・・じゃなくて山川健次郎氏が建てたのか
脳内で「八重の桜」のシーンあれこれを思い浮かべつつ、千恵さんご一家、雪さん、竹子さん、その他大勢の婦女子の方々へ

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ところで飯盛山のお墓近辺には、鶴ヶ城みたいな「大量の桜!」っていうのはありません。
(さざえ堂に行く方は桜並木がありましたが、今日は石段疲れにつきパス
それでも自刃の地へ行く方は、こんな感じでちょっとだけ桜に彩られ。

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桜の向こうには、郡上藩の慰霊碑が。
遠くは岐阜から、会津とともに戦ってくれて会津で戦死した方々の慰霊碑

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自刃の地から眺める鶴ヶ城。
といっても、右側遠くの木々こんもりのあたりに、うっすら見えるか見えないか・・・という感じですが
自刃の地には、従来の「お城が燃えたという勘違い説」を否定する案内板が新設されてました。
個人的には、この案内板の描写がとてもリアルに思えて、なんだかわかる気がします。というか、「お城が燃えてる燃えてない関係なく、これじゃどのみちダメだろう、それなら・・・」という方向へ、傷だらけの身で戸の口堰を超えてきた皆の意識が、議論しているうちにぐぐっと傾いたんじゃないか、とか。

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うってかわって下山はラクラク♪
せっかく飯盛山まで来たついで、ちょっと寄り道して、ここならではの桜も見ていきましょう。
お山のふもとにある、白虎隊記念館の方へ曲がります。

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記念館の道沿いには、「八重の桜」でもやってた、「石橋だから壊れません」「何ーー!?」となって、敵の侵入を容易にしてしまった「十六橋」の石橋や、日新館の石橋など、貴重な史跡が色々展示してあります。
郡上藩と同じく、会津と戦い会津で亡くなった水戸藩の方々の慰霊碑も。
新しいお花が上がってました

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徳富蘇峰による、会藩勤皇詩碑。
今脳内で、「八重の桜」の猪一郎君が筆を持ってます。
それにしてもトッポい平成男子って感じの徳富蘇峰だったなあ

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さて記念館の隣にどーんと咲いてるこちらが、飯盛山ならではの桜です!
ご存知、「太夫桜」

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石部桜と共に、会津の二大老樹の一つだそうです(しかし現在の木は二代目)
頭上を覆うように咲いているので、口あけて見上げてしまいます。

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ここまで来るともう、厳島神社への参道です。
う~むほんとに桜って、神社やお城といったジャパニーズ物件によく似合いますね~

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最後はあそこの桜で、行く春をしめくくりましょう。
町なかへ向かう途中、見事な桜雲になっている県立博物館をチラ見して~

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着いたのは、神明通りのど真ん中・ここです!

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ご存知「興徳寺」。
せっかくの看板も、写真ベタにつき判読不可能ですがなんでも由緒は会津初代の領主一族・蘆名氏までさかのぼり、戊辰戦争で焼け落ちるまではめっちゃ大きな寺院だったとのこと。
戊辰戦争では、容保公の弟・桑名藩主松平定敬(おお藩公行列の時「兄上を助けるために馳せ参じた~!」と言ってたあの人ね)の宿舎となり、土方トシもたびたび訪れたとあります。
また別の看板には「秋篠宮紀子様のご先祖のお墓がここに」とも。へ~~~紀子様って会津藩ゆかりの方だったのか

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しかし「会津の興徳寺」といえば、やっぱり一番知られているのは「蒲生氏郷公の墓所」ということでしょう
鶴ヶ城城主として亡くなった蒲生氏郷(と、会津に来て初めて知りました
そもそも「黒川城」だったお城を「鶴ヶ城」としたのも氏郷さん。ここら辺一帯を、今に続く城下町「会津若松」として整備したのも氏郷さん。
という具合で、会津的には欠かせないお方なんですが、我が家の子供的にはまったく知名度ないのが残念なのよね 戦国バサラに出てほしいわ~
(ていうか、京極マリアとか片倉小十郎とかまで出しときながら、なぜ蒲生氏郷を出さないのかバサラよ

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京都出張中&療養中に亡くなったため、遺体は京都に埋葬されていて、こちらの墓所には遺髪が納められているそうですが。
嫡男・秀行さんが立てたという、当時のままのお墓。上から「空・風・火・水・地」と刻まれている五輪塔なのが、なんだかとっても本物の史跡っぽい(いや本物の史跡ですけど

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武功に優れ、信長や秀吉にも一目置かれたほどの戦国武将でありつつ、文系男子でもあり、また城下町を作って民草に繁栄をもたらすのも上手(というか、町を繁栄させるのも当時の有能な戦国武将の条件の1つだったのでしょうが)。
ということで私的には、戦国武将の中ではかなり好きな人の1人なのですが、何より好きなのは、その辞世の句

限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き春の山風

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蒲生公の歌碑の前で、散りぞめの桜を眺めつつ、今年の会津若松の桜レポでした
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テーマ : ちょっとおでかけ - ジャンル : 旅行

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