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KKの不登校について思ったこと

今日も番外編です。
よりによってカンフーパンダで号泣するかママ
の記事を書いていてふと思いついたことを、ちょっと覚えとこうかなと思ったのでメモです。

不登校とかそういうのは、ほとんど親が原因と言われますよね。
原因探しをしても仕方がない、過去にああすればこうしてたらと思うより、これからどうするかが重要だとも。

どっちもすごーーーくよくわかる気がします。
自分に当てはめて色々考えてると、やっぱり最終的には上記2点に行き着くというか。

私の場合。
やっぱし一番大きいのは、親である私の持ってる歪みが、KKに伝わってしまったんだろうな~と。
人が怖い、人間嫌い、人間不信。
10代の頃の私は、ほんとそんな感じでした。
これらって単に「自分が嫌い」の裏返しなんですよね。自分で自分のことを嫌いだから、他人もきっと自分を嫌ってるに違いない=他人を信じられない。他人に嫌われてる自分は、いつかいじめられる=人が怖い。そんな他人なんか大嫌い=人間嫌い。みたいな感じで。
もっともこの年代って、多かれ少なかれ「中二病」なので、これはわりと当たり前の感情なのかもしれません。だいたいにおいて10代って、自我が急激に成長する年代ですから、「なりたい自分」と「なれない自分」の間でせめぎあって、すべてに対して疑心暗鬼。で私の場合は、他に思い煩うことがなかったせいか、思う存分自分のことだけ考えてて、その結果ますます中二病全開、みたいな
そんな単純なことでも、一時はほんとに辛かったのですが、しかしそれも大学に入ったら「えっこんな人たちが存在してていいの!?(じゃあ私なんか全然OKじゃん)」と、「自由」を体感して、ちょっとラクになり。
社会人になって「私ってほんと自分のことしか考えてないんだな~」と、今までの自分の人間嫌いは、ほとんど自分の自己中から来てたんだと思い当たり。
ダンナと知り合って「人と一緒にいてもラクだな~」と、この世に自分が違和感なく存在しているような感じを得て。
そういうふうに世界に受けいれられ、世界を受け入れる感覚をだんだん覚えると、出会う人々も皆それぞれにいい人で、少なくとも人間ってそんな悪いもんじゃない、この世は捨てたもんじゃないって思えるんですよね。

で、今はそんな感じで過ごしてたつもりなんですが、10代の頃に固く信じてたことはなくなったわけじゃなく、私の奥の奥に引っ込められて見えないだけで、きっと根っことしてまだ残ってたんですね~;;
とにかく子供には、私のようになってほしくなくて。
私の10代の頃みたいな思考回路を、持ってほしくなかった。あんなみっともなくて辛いだけのもん、絶対抱えて欲しくなかった。
あの頃の自分が今の私みたいに思えていたら、友達も学校も、ひいては世界もまったく違って見えて、この世を楽しめたはずだから。

なので、10代の私に繋がりそうな、KKの繊細なとこ、逃げ出すところ、気の弱さみたいなとこは、「矯正した方がいい欠点」にしか見えず。
いや、もしかしたら、KKは気が弱かったり、逃げ出したりしてたんじゃないのかもしれません。ただ私がそれに怯えるあまり、かえってそうだろうと決め付けて、KKも自分自身をそういうふうに自己規定してしまってただけなのかもしれません。ちょうど不登校になる時、私が「弱い証拠」みたいに思っていた「連日のおなかの痛み」も、見方が変わったら「連日おなかが痛いまま1年以上登校していた」という強さだったのに・・・みたいな。

私が、基本はおおざっぱでめんどくさがりなくせに、一方ではルールとかに弱くて、変なとこで心配性なのも、根っこに「人が怖い」がまだ残ってたからかもなあ、とも。
ほんとは人一倍サボリたいくせにサボれない。ルールがあったら守らなきゃいけない。「やりたくない」なんて単なるワガママ。そんなワガママ言ってたら人に嫌われる。そう、人前での行動原理のすべては「人に嫌われたらどうしよう」。
今ではそんなに、人間が怖いと思うことも、そこから来る人間不信もなくなったと思っていたのですが、そんな考え方が「癖」みたいな感じで残ってたのかもですね。
加えてKKの場合、第一子で、てことはほんとに日々「これでいいのか?」と自信がなくて。「自分の育て方に対する自信のなさ」が、「子供の将来への自信のなさ」や「周囲の人間への不信」に一直線に繋がってたというか。「人間が怖い、人間不信」って、先にも書いたとおり「自分が嫌い、自信がない」の裏返しですから、そういう状態の時は「不信感」が強化されちゃうんですよね
その結果、自分では「かなりおおざっぱな育児」をしていたつもりだったけど、「人に嫌われないように」って、気づかぬうちに先回りやピントはずれの心配を、そこここでKKにしてたんだろうなあと。加えて私の場合、初めての子のためか「育児が辛かった」という記憶が生々しいので、「おおざっぱ」も「受容」じゃなく「放任」になってて、KKが「親の愛情」をあまり受け取れなかったかもと。

KKの不登校のきっかけは、前にも書きましたがとある同級生たった1人との確執です。
KKがず~っとトイレや保健室に行っているので、グループでの作業が進まない。KKはサボってる。そうしたことを、ず~っと言われ続けていたという。同級生的には「からかい」程度の気分で。
そうするとKKはますますそこから逃げたくなり、しかし先生もその同級生と同じように見ていたので、同級生に理解を求めることはせず、KKに「逃げちゃダメ」という指導をするばかりで、KKは教室にもトイレにも保健室にも、精神的にはどこに行っても逃げ場がなくなり、追い詰められていった。。。

しかし、その同級生とはもとからそんなに仲いいわけでもなく、その同級生仲間とも特に接点はなく。
KKの仲間は普段どおり、昔どおりで、お互い気にせず楽しくやっていたように見え。
私からしたら「だったらそんなわかってない級友なんて無視して、わかってくれてる友達の方がずっと多いことを支えにすればいいのに」としか思えなかったのですが。
なぜ、たった1人の同級生のネチこい否定で、KKはそんなに追い詰められた気分になってしまったのか。

これはやっぱり、私がその同級生や先生同様の考え方をしていたからに他ならないと思います。
不登校なりかけの頃なんかモロそうだったことは前にも書きましたが、それ以前から、ず~~~っと。
世の中に出れば、絶対その同級生みたいな子は当たり前にいるんだから、という恐怖感。
そして、今のままのKKだとそんな子に負けちゃうかもしれない、という不安感。
そのためには、ルールや役割をしっかり守れて、友達と明るく過ごせる強い子にならなきゃ、といった「こうあらねば」という義務感。
こうした、私が勝手に囚われてしまってる恐怖感や不安感、義務感。こういう恐怖感や不安感を、私自身が克服できていないので、おそらく日々の育児の中でKKにも知らず知らず刷り込んでいたのかもなあ、と。
そして刷り込まれた義務感に従って、KKは一生懸命頑張り。頑張っても果たせないことを、おそらくKK自身が許せず。
つまり、誰よりもKK自身が自分のことを、その同級生や先生や私と同じふうに考えてしまっていたので、「たった1人のわかってない奴が言ってること」と笑い飛ばせず、自分で自分を責めて追い詰められてしまったのかな。。。という気が。

いっくら「そんなことくらい気にするな」って言っても、それを気にしてきたのは私なんですから、KKが気にするようになって当たり前、なんですよね~;;
「ルールに沿う」のも「友達と明るく楽しく」も、単なる義務感、しかも「○○にならないため」という、本質から大きく外れた義務感でやってるだけなら、苦しいだけで意味がないですよね~~;;

これが正しいかどうかは実際のとこわかりませんが、しかしこう思い当たった以上、そこを私が(自分自身を)治していくのは意味のあることだろうなと。何より私自身が、この世を心から「そんなに悪いところじゃない」と信じたいですもん。今までもそう信じてたつもりだったけど、どっかで根っこに引きずられていた。
だからって決して、根っこに残ってる「人間=世界不信」を排除するってわけじゃなく。個人的には、これはスパイスみたいな、あるいは病気やストレスといった危険信号みたいなもんで、これはこれで重要な役割があると思ってます。これがあってなおかつ「でもやっぱりこの世って捨てたもんじゃないよ」と心から子供に伝えられるようになれたら、本物だろうなと。極端に言えば、これを子供に心から伝えることさえできれば、親の役目は果たしたと言えるんじゃないかとすら

「子供を信じる」「親が心配して先回りしない」等々の、不登校に関する金言は、単なる小手先のテクニックではなく、これを具体的に言ってるんだな~と思えます。
特に「先回り」は思い当たること多々で 先回りすることで、ほめるより注意・小言が多くなり(「だから言ったでしょ」とか)、未知のこと、ひいては未知の世界に、潜在的な不安を植え付けてたな~と。

私から見るとKKは、私なんかよりもずーーーっと、人を信じる力が潜在的にあるように思えて。
これから思春期で、それがひっくり返るかもしれないけど、これはそれこそ「KKの根っこ」として残ってほしいと願わずに入られません。

ついでに、こないだちょっとうれしかったこともここにメモ書き。
基本的に今、昼間はゲームダメという取り決めなのですが、こないだどうもKK「艦コレ」をやってたみたいで。
twitterとかで私も名前だけは聞いたことのある「艦コレ」。一応「昼間はゲームダメの約束よ」と釘を刺しつつも、「ところでそれってどんなゲームなの?」と、ちょっと興味がわいて聞いてみたりして
その中で「KKが好きな戦艦は何なの?」と聞いてみたら、なんかね、すっごくうれしそうだったんですよ
私もその顔を見てうれしかったし、「そういえば、相手のことならどんなくっだらないことでも聞きたい知りたいって、「好きな人」に対する態度その1だよなあ。忘れてたなあ」なんて、なんだか初恋時代の片思い気分まで思い出し
「その戦艦の声優が好きなんだよね~」とかのKKに関する新事実なんかも飛び出し「ゲームはダメよ」で終わっていたらきっと味わえなかった、予想外に楽しいひとときだったのでした。
しかし「ゲームはダメよ」もあまり譲りたくないところなので、ここら辺でまた私的には葛藤が生じるのですが、とりあえず不登校の金言その2「子供に寄り添う」の具体的行動としての、「子供の趣味の話を聞く。子供はすごく楽しそうに話します」というのは事実だと体感しました
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テーマ : 不登校 - ジャンル : 学校・教育

コメント

親に原因なのかなあ~~

よかったね~!!

しかしさあ、人を信じられなかったっていうのはさ、K&Uさんは親も、信じられなかったの?その「親に原因」ていう思考回路から行くと、K&Uさんがそういうふうに思うのには、親に原因があるのだろうか?ということにならないだろうか?(なんか私とんでもないこと書いてるような気もするが・・・・素朴な疑問)

クロキチ君~~!!親が味方になるってどういうことなのか、コメントしてください~!!
私も聞きたいよ。

No title

Uさん、はじめまして。
全体の流れは3日ほどかけて読ませて頂きました。
ほんとに大変な状況、辛いお気持ちなのだと思います。
実は自分にも、短い間でしたが不登校経験がありまして、加えて妹も高一から不登校児でしたので
何か参考になればと思い、コメントさせて頂きました。

それで、まず最初に聞いて欲しいのは
「義務教育の間の出来事は、大抵の事は水に流せる」ということです。
気持ちをしっかり保っていれば、まず心配ありません。大丈夫ですよ。
高校に上がれさえすれば良い、くらいでいいと思います。
実際、自分もきちんと高校は卒業しまして、今は仙台で働いておりますし、妹にしても、ちょっと危なかったですが、通信制の高校に入りなおして、今は福島県警の災害対策本部で頑張っています。
官僚や政治家にでもなるのでなければ、出席日数にこだわらなくても大丈夫なんですよ。


しかしそれとは別に、記事を読んでいて、KK君の辛さのほうに気持ちが持っていかれてしまいます。
それが何故なのかは、今の自分には良くわかります。
KK君は、学校でのトラブル、ストレスを、一人で対処して、がまんにガマンを重ねて、先生にも理解されないまま、ずっと頑張ってきたのですよね。
それでも、どうしても良い方法が見つらなくて、最終手段として「学校に行かない」を、選ばざるを得なかったんだと思うんです。
溺れながら、必死に掴んだ糸口が「学校へ行かない事」しかなかったんですよね。
それは、KK君の必死さによってたどり着いた最後の答え、アイデンティティと言えませんか?
これを、本当に認めてあげられるのは、親であるUさんしか居ないと思うんです。
学校なんて、いくら敵に回したっていいんですよ。
KK君からしてみれば、自分の必死の決意を否定するために、敵である学校や病院に対し、支持を仰ぎに行かれてしまうのは、とても悲しい事なのではないでしょうか?

と、こんなに一気に書いてしまうと、ややこしいですよね。ごめんなさい。
良ければまた、お邪魔させて頂いてもよいでしょうか?





Re: 親に原因なのかなあ~~

Kさんどもども♪

う~~ん親はあんまし「信じるか信じないか」とか思ったことなかった;;ただ10代の頃の「人間への不信感」は、多少母親の影響があるかなとは思うけど(母親は人間不信だったってわけじゃなく、むしろこの世を楽しんでるタイプだったけど、なんというか「自分が一番大切な人なんだな」みたいにうっすら思ってたから(^^;))
でもこれって、あったとしてもほんと「影響」程度で「親が原因」とはあんまし思ってなかったな~。ただKKの育児を思い返してたら、自分の若かりし頃も同時に思い出しちゃったみたいな(>▽<)

もしかしたら記事で「親が原因」って書いたの、語弊があったかも??私の場合、「自分にも原因があったんだ」と思うことで、KKへの接し方がかなり変われる気がするんで、そのための備忘録として書いたのが大きいんだけど、決して「親「だけ」が原因」って思ってるわけじゃもちろんないんだ。
なんかさ、今の世の中、親に限らず「○○が原因」てなると、「○○が悪い」=「○○を糾弾しろ」にしちゃう風潮があるけど、そういう意味でも決してなくね。原発事故とか(といきなり話が飛ぶ(^^;))、それこそ色ーーんな原因があったわけで、中でも一番の大きな原因は津波&地震だけど、それを「悪い。糾弾しろ」と言ってもしょーがないし、次の原因として「あの制度が対応できてなかった」「この設備がマズかった」等々色々原因があるわけだけど、それらは事実の1つ1つとして、そこを直せばいいだけだし的な。それを「責める」のはまた別の次元の話で。

クロキチさんの「親が味方になる」っていう言葉、たぶん私がそうするためにも「自分にもその一因があった」って思うのは重要な気がしてるんだ。

Re: No title

くろきちさん、はじめまして。
Kさんからご連絡いただいて、くろきちさんのコメント、お待ちしてました♪
お忙しいのにお時間かけて読んでくださった上に、貴重なアドバイスまでいただいて、本当にありがとうございますm()m

くろきちさんご自身が経験者だったんですね(@o@)
「まず心配ない」という言葉、そしてくろきちさんと妹さんが実際に立ち直って立派に働いておられること、本当に励まされます!
(私が不登校で一番心配なのは、このまま長期のひきこもり状態になってしまわないかということなので・・・)

KKの辛さ。。。コメント拝見して、またちょっと涙目になってしまいました;;
そうなんですよね。KKは今まで本当に頑張って、頑張っていてついに力尽きた、という状態なんですよね。。。
そこをまず忘れないようにしなければ、と改めて思いました。

> それは、KK君の必死さによってたどり着いた最後の答え、アイデンティティと言えませんか?
> これを、本当に認めてあげられるのは、親であるUさんしか居ないと思うんです。

「親がありのままを受け止める」って、きっとそういうことなんでしょうかね~~。
今は、このころの記事の心境よりは多少落ち着いて、「ちょっと心を休めるために学校も休もう」という思いになりつつあるのですが、私の場合それもどこかマニュアル的(=「いつか学校に行くための」といった)で、心から認めてる、とは言いがたい状況だったかも。。。
くろきちさんのお言葉、もっと心にしみこませてみます。

学校や病院。。。そうか。。。
今思うとあの頃はほんと不安でパニクってて、KKよりも私の心を受け止めてもらうために必死だった気がします;;
「必死の決意」・・・そうですよね。KKも必死だったんだな~。。。

よろしかったら、またぜひお話伺わせてください!
不登校中、どういう気持ちでいて、どういう変化があって、再出発できたのか、親ができたことできなかったこと等々、色んなことをぜひお聞きしたいです。
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