科学と宗教

一見、対立して存在しているように思えるものは、実はこの世にどっちも必要で、むしろ相互補完している場合すら多々であって・・・
というのは個人的に好きなテーマで、本でもなんでもこういう視点があるかどうかが、心にスッと入ってくるかどうかの分かれ道になってる傾向が個人的にある気がします。
というわけで(?)心理療法家・河合隼雄さんの対談集「日本人の心」を読んでたら、スッと入ってきたあるお話。
「例えば目の前で恋人が事故で死んだ。その人に「先生なぜあの人が死んでしまったんでしょう」と聞かれた時「出血多量」と答えてもなんにもならないわけで」
「出血多量」に思わず大笑いしてしまったのですがこれはつまり「科学で人間は救えないこともある」という例なのでした。
河合先生いわく、科学とは普遍性。誰がいつどこからどう見ても変わらない答えになるということを、その答えを追求する学問。念のためですが、これは時を積み重ねるうちに新事実がどんどん明らかになることからもわかるとおり、「終わりなき追求」であり、その答えを追求すればするほど、「今ある答えは仮の答えに過ぎない」と思わざるを得なくなるようなもんです。科学とは普遍性ですが、その普遍性は皮肉にも「これは絶対ではない」という但し書きで担保されてるとも言うべきか。
しかし人間というのは、「自分」との関わりで物事を受け止めるものというのが、河合先生の定義。上の例で言えば、「なぜあの人が死んだのか」という問いは「なぜ私にとって大事なあの人がよりによって」という問いであり、それに誰がいつどう見ても普遍性ある「出血多量」という答えは意味を持たない。欲しい答えは「自分との関わり」の中でどう受け止めるかということなんだから。
じゃあこの問いに答えられるのは、科学じゃなく何だ、となると、これが「宗教だ」というわけなんですね。

河合先生いわく「宗教」とはそういう、人に対する「極めて個別の答え」であり、さらにその答えが「ある程度の普遍性」を持ってるものだと。人間が社会の中で生きる以上、その答えはある程度の普遍性を持つものであり、それがある程度の普遍性を持つから、ある特定の宗教集団が発生する。そしてそれが「ある程度の普遍性」を持つ、つまり「それを分かち持つ人が多く存在する」という事実によって、その宗教に帰属する人はますます安定すると、そういう構図だと。
余談ですがこれは「科学と宗教」に限らず、「客観と主観」「理性と感情」等々とも言い換えられるのかもしれませんね。「世界と自国」もそうかな?「自国も結局、世界の中の1つに過ぎない」という視点と「あくまで自国から見た世界」という視点の違いというかね。

ともあれ、宗教はあくまでも「ある程度の普遍性は持っている人間への答え」であり、民族や文化を超えて説得力のある科学的答えに比べたら普遍的に行き渡らない宿命を持っているので、近代科学が発展するにつれ、既存の宗教が後退していったのは歴史的必然とも言えます。あまりに科学が発展し人間社会を覆うようになったため、今じゃ逆に、「なのに私を救ってくれないなんて」と、ほとんど1点突破で科学否定にまで行っちゃいそうな気すらするほど、科学の「普遍性」というのは強力だと感じます。

私はやっぱし、科学と宗教どっちを信じるかと言われたら、そりゃ~科学の方が信用できるよと思うタチですが、しかしこういう、「科学が強力なあまり科学否定に」みたいな人間社会の皮肉も無条件に心惹かれるタチなので、この話もとってもスッと心に入りました。と同時に、いっつもどっか頭の隅っこにある気がする「放射能フォビアの反原発」が、この構図にまたキレ~イに収まるもんだな~と、感慨深くもあり。
放射能フォビアいわく「何万人に1人だから安心しろって、その1人が自分の子だったらと思うと安心なんかできない」
まさに「自分との関わり」なんですね。「何万人に1人」の「1人」が自分(に関わる)かもしれないと。そう言われたら、科学の出番はそこで終了です。「なぜあの人が死んだのか」と問う人に「出血多量です」という科学的な事実を告げても意味はないという。
こういう人が欲しい答えは、「何万人に1人だから」というような「たぶん」ではなく「絶対」なんですよね。「たぶん」なんて、足元がぐらぐらしているようで落ち着かない。「絶対」のところで安心したい。その意味でも、こうした人には科学の出番なしです。先に書いたように、科学は科学であるがゆえに「絶対」って言えませんもんね~。
「反原発はほとんど宗教だ」とよく言われ、私もハタから見た限り宗教だなと思ってましたが、なるほどこういう構造で宗教なんだなと納得した次第。

河合先生は、「科学と宗教は、どっちが正しいとかじゃなくて層が違う。層が違うのに科学で対抗しようとか、同じ層に乗ってケンカするのは得策でない」といったようなことをおっしゃってます(かなり意訳)。
確かに、先の例みたいに、「目の前で恋人が死んだのはなぜ」と嘆く人に、「出血多量だからさ・・・」と答える人がいたとしたら、お前大丈夫か?というくらいズレてるわけで、これはそのまま科学と宗教のズレ。それくらい位相の違うところに存在しているわけですね。
しかし今の放射能フォビアって、私の目には、「宗教なのに科学で対抗しようとしている」ように見えてしまうんですよね。なんかほら、変な科学者持ち出してみたり、変な菌頼ってみたり、科学の土俵で対抗するにはショボいもんを持ってきて対抗しようとするから胡散臭いそんな感じがあります。しかしこれは逆に言えば、それほど「科学」が現代の「宗教」として根付いている一例である、とも思えてしまいますね。「科学は私を救ってくれない」という人すら「科学(っぽいもの)」に頼ってしまうという。いや単にそういう人は、もともとが宗教的体質なので何でも信仰の対象にしてしまうってだけかな??

かくいう私も、宗教と比べたら科学の方が信頼できると思ってるタチで、「科学の土俵」とか言ってるのこそ「科学絶対」とか思ってる科学信仰の表れじゃん?と自分ツッコミ入れながら書いてますが。
しかしいきなり話がぶっとんで申し訳ありませんが、そんな私でも「八重の桜」とか見てると、「ああ普遍性で個人は救われない」と、自分の中の宗教を希求する心に思わず気づかされてしまうというか
来週最終回を迎える大河ドラマ「八重の桜」、あの話は私の見た限りでは、薩長会津どちらにも肩入れせず、極めて公平に、つまり誰がいつどこから見てもある程度の普遍性を持つ解釈で、会津戦争を語ろうとしているという印象を受けます。もちろん人間の歴史ですから、数式や量ではかれる科学的普遍性とはまたレベルが違うんでしょうけど、それは科学の世界でも、ガリレオのように数式化できる科学と、ダーウィンのように数学に乗せにくい科学があるのと同じようなもんで。
しかし会津好きな私としては、「八重の桜」を見ると「もっと会津に寄り添ってくれ。会津という個別のことを語ってくれ」と思ってしまうわけです 客観よりも主観を語ってくれと。
そしてこういう自分の思いを考えるにつけ、「客観てのは結局、他人事だからできるんじゃないか」という疑いを抱いてしまうわけですね~。放射能フォビアの方々が「低線量だから大丈夫だって」という「科学的知見」に対し、私から見るとほとんど憎んでいるかのように絶対認めないのは、「それを認めたらアイデンティティの危機」とか「マジでわからない」とか色々あるんでしょうが、こういう「他人事」感を恨むっていう思いもあるんじゃないかな~と、ここでやっと実感できるような。「しょせん他人事なんでしょ」っていうヤーな感じは、まさに「福島のことを心配してます」と言いながら決して福島の味方にならなかったある種のサヨクへの不快感として体験済みですから。
つまりどっちも「こっちのことをわかってくれ。こっちの側に立ってくれ」という思いが底にあるのは共通なんですよね。そして今幸い、当初の予想よりも放射能被害が少なくて済みそうな福島側としては、もう堂々と「科学的普遍性」を証拠として主張できるということで、ここでは「科学」と「宗教」が相互補完の関係になってる。まあ反原発という「宗教」も、私から見るとアヤシイ「科学」と相補になってる感がありますけど。
もっとも「科学」と「宗教」の相互補完ってよくあることで、ナチスの「民族の優劣」なんか有名ですもんね。「宗教」を希求する心があまりにも強いと、「科学」すら使われてしまう。それに異議を唱えられるのはやっぱり科学で、「そっちの科学よりこっちの科学の方が普遍性がある=説得力がある」というとこが勝負なんでしょうね。

あっなんだか話がどんどんズレていく
思うままに書いてたら、何を書きたいのかわからなくなったといういつものパターンになってきたので、ここらでやめますがとりあえず言いたかったのは、人間社会っていうのは、つまり人間社会を形作る常識や法といったものは、この「科学」と「宗教」の間でグラグラしているものなんでしょうねということと、しかし科学も宗教も、もとは人間が、よりよい社会というか自分に都合のいい世界を見出すために生み出されたもんだろうに、それが自己目的化して人間をグラつかせるのは、まさに私の好きな「人間社会の皮肉」そのもので面白いな~ということと、何より河合隼雄さんの対談集「日本人の心」は面白かったよということなのでした
(中でも科学史家・伊藤俊太郎さんとの対談は、個人的にかな~りエキサイティング
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