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八重の桜・好きなキャラ&シーン

「僕はカットしたくない。全部が大事なシーンのセリフだから。これが収まる速いテンポで撮って下さい」
とお願いするけど、
「撮ってみたが、尺がオーバーしたので編集でこれとこのシーンはカットしました」
とか結局言われるわけです。こっちは全部を計算して書いた台本なのに、大事なセリフやシーンが抜けてしまってる。そのストレスがすごくて。


と語るのは脚本家・山本むつみさん。ではなく三谷幸喜さん。今までのご自分の作品をインタビュー形式で語った本「三谷幸喜 創作を語る」の中の一節です。
しかしこの本読んだら、ああもう「八重の桜」も、山本むつみさん絶対こうだったんだろうなとか、勝手に思えて仕方なく
「やっぱしあれは、途中でブレまくったあげく迷走した大河だったんだ」と、この本を読んで勝手に確信しました

「(脚本がカットされるのは一般的に)台本の段階で長くなってしまい、どこか削らなきゃいけないって時。それから、僕はちょっとイヤだけど俳優さんの意向で、このセリフはいらない、このシーンはいらないと言われて削られるケース。それから、撮影してみたけど尺が伸びちゃったから最終的に編集でカットする場合」
「出来上がりを観ると、「なんでゆっくり芝居してるんだろうな、このシーンをもっとスピーディにやれば削られたシーンも入ったのに」と思う」
「丸ごと削られたそのシーンがないとこの物語は成立しないのに、そのことに僕以外のスタッフが気づいていないということが良くあった。(略)やっぱり削ったシーンは必要な気がしたな。ドラマ自体がぎこちなくなっていた」
「(「総理と呼ばないで」では)局側は心温まるいい話を期待していた。僕はシットコムのようなスピード感あふれる演出をして欲しいとお願いしたけど、意図が伝わってなかった。その時点でもう意思統一ができてないわけですね」
「僕とスタッフの意思統一ができていなかった。僕以上に思い入れを持った人が現場にいなかった」
「もっとこうすればいいのにって、映像的ではなく芝居の演出について思ってましたね」
「自分が演出してプロデュースするなら別だけど。脚本家の思いが強すぎると、出来上がったものはギクシャクしちゃうのかもしれない」
「(「合言葉は勇気」は、制作会社のプロデューサーと局のプロデューサーと自分の)3人がやりたいものを集めて、それから創ったわけです。気心も知れてたし、相反するものがなく、好きなものが一緒だった。僕以上にこのドラマに強い熱意を持ったプロデューサーが現場にいた。それがやっぱり求心力というか現場全体をまとめていく力となる。ドラマに「まとまった感」が出たのは、波多野プロデューサーのおかげなんですよ」
「(「新撰組!」は)いっぱいクレームもきたけど、それでもプロデューサーは「一切テコ入れする気はない。三谷さんは好きなように書いてください」と言ってくれた」
「「あまちゃん」があれだけ世間に受け入れられたっていうのは、もちろん宮藤さんの力が大きいけど、脚本家だけの力じゃないとも思うんですよ。脚本を現場で具現化する人、それから全体を引っ張っていくプロデューサーがいるんだと思う。宮藤さんがよっぽどディレクターと打ち合わせてるか、それとも宮藤さんの描く世界が本当に大好きなスタッフがいるってことですね。それはとても幸せなことだと思うなあ」
「(「振り返れば奴がいる」で)あのラストを思いついた織田さんはすごいと思う。役者は、全身全霊で入り込んだ役は、その作品の中で完結させたい。これはどんな役者でもそう思う。織田さんは司馬先生を演じるということにあの時の自分の人生のすべてを賭けてたと思う。すごく気迫があったし、やり切った感覚もあったと思う。だから中途半端に去っていくよりは、死にたいと思ったんじゃないかな」

「八重の桜」って私思うに、例えばウヨクには「これほど血を流してもまだ戦争という手段をあなたは保持しますか?」と問いかける一方、反戦サヨクには「敵が攻め滅ぼそうとやってきたらあなたはどうしますか?」と問い、薩長好きには「会津を犠牲にしたことについてはどう思いますか?」と問いかける一方、会津好きには「会津には他のやり方もあったのではないですか?」と問う、どの視点から見ても居心地悪く、しかも正解を出せないドラマだったと思います。すごく大げさかもですが、いわば「この世界がこの世界であるのはなぜか」を描いているような。描きたいのはキャラじゃなく世界、平たく言えば群像劇。
加えて、脚本家さんの「誰も悪くないから断罪できない」という信念あるいは体質。これらが醸し出す内容は、「八重の桜」というタイトルや綾瀬はるかちゃんから想起して、キャラに感情移入するドラマとして見ようとしていた人には、「あれっ?」て感じだった気がします。
キャラに感情移入するドラマ、すなわちほぼ主人公の一人称視点で進み、主人公との関係ですべてが敵味方に分けられ、誰に感情移入すればいいのかわかりやすく、批判や賛同はキャラの性格上の欠点や成長などに還元される、そういうドラマと「八重の桜」は正反対な印象を受けます。批判や賛同といった視聴者の感情は、キャラに還元されるよりも、そのキャラを成り立たせている「世界の構造」そのものに向かいがち。それこそが「歴史ドラマ」の面白さ、視野を広くして歴史を見る楽しさでもあると思うのですが、そういう作り方をしつつもキャラに感情移入させるドラマを作るのは、非常~に難しく、かつバランス感覚が要るものだと思います。キャラの魅力を見せる話なら、「多少のデフォルメ」も「キャラの新たな魅力」と力づくで済ませられるところも、こういうバランスに依って立つ世界の話だと、極言すればほんの1つの見せ方、1つのセリフの切り取り方で、ドラマ内での意味が変わり、危ういバランスで成り立っていた世界のどっか根本が崩れてしまいかねないといったような。そしてもしも、そのバランスを取りながら行く道筋が、脚本家さんにしか見えてなかったら。そのバランスの果てに見える世界に、脚本家さん以上に思い入れを持つ人がいなかったら。さらにはそれが1年間積み重なったら。
思い入れがない、というのは別に「この作品を大切に思わない」ってんじゃなく、目指す方向性が脚本家さんとは違う、というくらいの意味です。製作する側が、自分の製作物を大切に思わないわけがありません。ただ目指す方向性が、「関係性を見せる話じゃなく、主人公がどかーんと活躍する話にしよう」とか、「辛気臭い戦争の話じゃなく、視聴率が取れるような方向を目指そう」とか、その製作物を愛するがための方法論が、脚本家さんと現場のスタッフその他で食い違ってると、ストーリーのつじつまがあわないところが出てきたり、最悪当初描きたかったものはまったく骨抜きにされちゃったり、とかいったことにもなりかねず。
この「現場スタッフとの意思統一」は、上に挙げたように三谷さんもおっしゃっていて、本の中にはその忸怩たる思いを語るところが何度も出てきます。どころか極端な話、三谷さんはそのために映画製作に向かったとも言えるくらいで。
「三谷幸喜 創作を語る」を読むにつけ、山本むつみさんも、きっとそうだったんだろうな~と思えて仕方ないです。あるいは上記のような問いを投げかけられて怒る層からのクレームとかもあったのかなあ??私的には後半の「個人的にありえない3部作」すなわち「薩摩の女学生への土下座」と「腕相撲で遺恨解消」と「最終回及び前回の、殿の名誉回復系セリフ一挙削除&セリフ差し替え(というかぶっちゃけ、最終回と前回のすべて)」は、どれくらい当初の企画に沿ったものだったのか、ぜひ知りたいところです。

というわけで(?)前フリだけで早くもこんなに尺が伸びてしまってるわけですがそんなこんなありつつも、およそ30年ぶりに1年間見続けた大河ドラマでした。改めて、関わったすべての皆様にありがとうございましたm()m
ここで1年間を振り返り、去っていった皆様に花束を捧げるつもりで、好きなキャラ&シーンベスト10を!
と思ったのですが、それにしてもあまりにも尺が長くなっちゃったので、さらに長くなりそうな好きなキャラ&シーンは次回にします タイトル詐欺すみません;;
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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