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グッバイ、ジョー

今回はやっぱり泣いてしまいました ジョーが死ぬなんてもう先週からわかってるんだけど、人が泣いてたり死んでたりすると、条件反射的につられ泣きしちゃって

というわけで、グッバイジョーのシーン。
いやその前の、徳富君と小崎君を両脇に従えて机の横に倒れふすところからよかった ひげ面もあいまって「殉教者」っぽくすら見えるジョーの全身から、おそろしく静かな迫力が切々と。
どうでもいいけど私この2人、ずっと徳富兄弟かと思っていて、最後「小崎君、聖書を読んでください」のところも、「ああもう死の間際で意識が混濁してるんだな」とすら思ってました 小崎君だったんですね(って誰?って感じだけど

そうそう、この聖書を読むところ、もうちょっと説明があってもよかったんじゃないかな~と。ノベライズを読んだら「小崎君・・・最後の祈りを」、そして地の文で「最後の祈りは安らかに天へ召されるようにと祈るものだ」と説明があったので、信仰のない私は「すごいな~」とぞぞ~っとしたんですよね。死刑囚が最期に(執行室の隣にある)仏間に入って、まだ生きてるのにお経を上げてもらうみたいな話を聞いた時、すごーく怖かったんですけど、それと同じような恐怖と畏怖が湧き上がって。なのでそれを八重ちゃんが「待って」と止めずにいられない気持ちもよくわかるし。キリスト教徒ならあのシーンの意味はよくわかっただろうけど、一般のジジババ視聴者に、あのドラマ描写だけで伝わったかな~??

そして最期、2人きりになって「気がかりなのは八重さんのことだけだ」あたりから、私の涙腺もいよいよ決壊 八重ちゃんの泣き方がもうかわいくてかわいそうで。2人とも最期に会えてよかったな~~とティッシュ引きちぎりながら切実に思いました。綾瀬はるかちゃんもよかったし、ジョーもよかった やっぱしこの人は、ジョーの生まれ変わりだわ

ただお葬式シーンはもっと大掛かりでもよかったんじゃないかと。画面だと、なんだかこじんまりしたお葬式って感じだったけど、紀行を見たら大層な葬列だったみたいですもんね。ジョーの偉大さをもうちょっと印象づけてもよかったんじゃとか。まあ予算も残りわずかだろうから、贅沢言えないかしら?

悲しみに沈む八重を、しかし叱りつけるあんつぁま。なまじのドラマなら2人の回想シーンでもバンバン入れて、視聴者の涙を感動と思わせたまま終わらせようとしそうなところ、「いつまで泣いてるんだ」とスーパークールな展開をするところがいかにも今年の大河ドラマ風 「これは新島さんが作ろうとした世界だ」というあんつぁまのセリフは確かにそのとおりで、そう言われると確かにやる気が出てくるし、さすがあんつぁま、ここぞという時にあんつぁまがいてくれてよかったと思うシーンではありました。

そして久しぶりの捨松との再会。
ここで捨松が篭城戦のことを語って「薩長など、恐れるに足らずと思いました。あら失礼ホホホ」と、明るくさらっと言うのがあまりにもよかったんで、もうちょっと場面を盛り上げて欲しかったと。ここにいる淑女方はほとんど薩長側なはずなんで、捨松が「薩長など」と言ったところで「まあ」とざわめくとか、それで捨松が「失礼ホホホ」と笑うのがあまりにも邪気がない感じなので、思わず一緒に笑っちゃったとか、願わくばそういうGJシーンにしてほしかった。スミマセン会津目線で見ているので、会津シーンになるとどうしても細かい要望が多くなっちゃって

そうそう会津シーンといえば、今回は秋月さんがサヨナラ公演で出てきましたね♪
年をとって、ひげのせいか「剛直な仙人」といった印象すら。へ~~小泉八雲と同僚になるのか~
以下どうでもいい余談ですが、小泉八雲が西南戦争について書いていたエッセイがちょっと面白かったのでご紹介。
熊本で人力車に乗りながら、20年以上前の西南戦争について車夫が話しているという設定なのですが。
車夫いわく、西南戦争(エッセイ中では熊本戦争)の時、とある橋を逃げてきたら、めっちゃこわい感じの薩摩のサムライ3人にとっつかまって、その場で一緒に立ってろ逃げるなと、プチ拘禁状態に。
理由もわからず顔も見えない、不条理きわまるシチュエーションの上に3人が発する殺気がものすごくて逃げられないという、まさに八雲の「怪談」状態です
で、しばらくそうしてたら、現れた騎兵の将校を、突然3人のうち1人が無言で首を切り落とし(ヒョエ~)、さらに現れたもう1人をまたまた、さらにもう1人、と、計3つの首を抱えたところで3人は車夫を置き去りで去っていったという。。。
それは誰だったのか、殺されたのは誰だったのか、八雲の問いに答えて車夫いわく、調べてみようとも思わなかった。どころかこのことを誰かに話そうとも思わず、長いこと秘密にしてきた。
「それはまたどうして?」と八雲が聞くと
「びっくりした目つきで私を見て、気の毒そうに笑いながら、答えました。
「しゃべったりしたらいけませんでしょう。つまり恩知らずになりましたでしょうからね」
私は叱られたような気がしました。
そして私たちは、また、先へ進むのでした(終わり)」
3人の佇まいが不気味なのもさることながら、現代に読むと「歴史」の範疇でしかない西南戦争が確かにあったんだなと、細部が謎めいているがゆえに妙なリアリティをもって浮かび上がる気がするのも面白いです。が、とりわけ興味深いのは最後の車夫の言葉。
八雲は、幕末~明治期に時々いた「近代化して失われゆく楽園・日本」を心から惜しみ愛した西洋人の1人。西洋人の目から見た日本の美しさ、素晴らしさを描いたエッセイは、今読んでも、いや今だからこそ?面白いです。これもその1つで、「恩知らずになるから黙ってた」というのは、西洋人・八雲にとって「日本の精神性・美徳」として感銘深く映ったのでしょうね。
しかし日本人の私としては、これが「内部告発を自粛する同調圧力」として働くことがあるという見方をしてしまうのもまた事実 いや美徳なのも確かだと思うんですけど。八雲の時代のように単純に礼賛はできないけれど、しかし「悪」ではないのも事実。だから困っちゃうんですよね、いいとこどりできなくて。

そしてもう1人、会津目線視聴者としては忘れちゃいけない梶原平馬が!!
髪も服もぼろぼろな平馬さんが、子供たちには食え食えと(あのお礼の品を平馬が受け取らないとこ、台所を預かるテイさんががっかりしてたように見えた)すごく優しくて、子供たちととても楽しそうにやってる回想シーンが、涙目になるほどよかったです~~ さらにその後、御所人形の絵が出てきて「ああもしかして、生き別れた息子を子供たちに重ねて見てたのかな」なんてうっかり思っちゃったら、もう涙ドーー
テイさんも、最初はなーんかこう「正妻ですから」って感じで落ち着き払ってる語り口調がカチンとするわ~、と二葉さんとともに思いながら見てたんですが御所人形の絵で霧消しました。そうか~小学校か。たとえ自分は子供にも会えないまま、会津から遠く離れたところでひっそり死んでも、子供たちとあんなに楽しそうに過ごして、次世代へつなぐ役割を果たして死んでいったのなら、平馬さんもって瞑すべし。。。

来週は「再び戦を学ばず」
覚馬がついに、そして殿も出てきて、いよいよ今作品の総決算へと突入ですね。
どんな展開になるのか、ハラハラドキドキ・・・
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

サラバだけが人生

大河の最後のほうは悲しいよね・・・、人の晩年はやり悲しいものなんだろうか?と、いつも秋すぎて後半になると思うよ。でも八重ちゃんは美しくて白髪とかがなく、篤姫がそれなりに白髪とかあったのを思うと、何か演出かと思ってしまう。
(江はどうでもよい)

ジョーとのグッバイシーンはもうたまりませんでしたね。二人の演技最高。演技派ってこういうことを言うのだな。マジとマジのぶつかり合いですね。良い物を見せてもらったです。それ以前にセリフがよく、これは私もブログで再現(できたら)しておきたいです(だれか書き取っている人いないかな・・・)

ケチはぁ・・・
・「神様が認めた夫婦」というセリフをきくあたり、尚さんファンには受け入れられないだろうなと思うわけであり。。。(というか、尚さんファンはもう見てないか)
・徳富イケメン君じゃないほうの人はたしかに「だれ?」だし、冷たすぎと思いました。
・聖書の意味、私も、わかりませんでしたが、八重ちゃんの悲壮感でなんとなくわかりました。「葬送行進曲を流せ」みたいなもんなのかなあと。でも説明不足だね。字幕とかしてもよかったのね。

しかしここからあんつぁまに命令される八重ちゃん。もう死期が近いの?(もしかして来週?)人死にすぎ・・・
八重の所に連れてきた人っておっかさま?
しかし、最後は血族しか残んないなんて、いいのか覚馬!と、思ってしまいました。やはり晩年の熟年離婚はいかんでしょ。母上と妹がいるから救われてるけど・・・。・・・という物語にしてもよかったんじゃねと思うよ。でも相変わらずえらそう&八重を子分にしている姿にイラッときた。もっとおちぶれなさい!

(西島さんこのごろCMも出過ぎだけど、早く結婚しなさい!福山といい、竹ノ内といい、ジャニタレといい、なんでこんな40からまりのいい男が結婚しないかね。織田裕二が二刀流の偽装婚とかいろいろ言われたけど、それでもエライと思うよ。・・・と、思うと、江口つぁんとかはえらいよ。たぶんほんとにいい人、いい男「あんちゃん」ままなんだろうなあ。森高があんなキレイなのを見ると。最悪なのは浅野忠信と永瀬正敏)

あと、MEGUMIは誰?離婚したの?なんかその辺よくわからなくて、あれれ?妻対決?とおもっちゃった。しかし、あの濃い顔は、会津人て感じしないよなあ・・・とか思うわけよ。

秋月さんはいいかんじに老けてるよね。もっと他の配役がなんで老けないかと思うよ。演出かねえ・・・。年齢って大事だとおもうんだけど、(でも八重ちゃんの老け顔ってイメージできないし、ずっとあのきれいなままな気もする。黒木瞳みたいに)

K&Uさん・・・八重ちゃんのサイドストーリーも冴えてるね!小泉八雲さんでエッセイを想起するなんてさすが歴女!

Re: サラバだけが人生

順調に年取ってるのはおっかさまだけ?後は秋月さんとか、ルックス以外のとこで人気がある人だけだよね(って婉曲表現のつもりでめっちゃ失礼(^^;))

ジョー!!!よかったよ~~~!!!ほんとに、2人の息がぴったりあってたって感じだったね。
はるかちゃんもよかったけど、やっぱりジョーがよかった~~~!ほら始まる前はわりと散々な言われ方だったじゃん。それが見事挽回!みたいな感じでスッキリしたし、Kさん男を見る目あるわ~と思った(^^) 全国のオダジョーファンもきっと喜んでるだろうね♪
セリフの書き起こし、私が見た中ではこちらのサイトとかhttp://doramablo.blog59.fc2.com/category98-1.html
詳しく書かれていて、わかりやすかった♪

もっとおちぶれなさいワロタ(>▽<) そういえば覚馬も老けないよね~。でも今週の「やっと会津に帰れるな」にはちょっと泣けた(T_T)
ほんとに、山本家は血縁以外残らなかったんだね~。まあ戦争さえなければ、尚さんやうらさんと穏やかな二世帯住居生活できたんだろうけど。。。

織田裕二が二刀流の偽装婚?えっそうだったの!?(それってバイってこと?(@o@)) でもなんとなく西島さんもそっち系と言われても納得してしまう感じがあるわ(^^;) 浮いた噂とかもあんまし聞かないしね~(福山とかは女遊び真っ盛りですって感じがするけど(>▽<))
江口は私の中ではすっかり「サウスバウンド」のお父さんになってて;;そういえばあれってトヨエツで映画化されてたのね(@o@) うーんトヨエツならまだ竹之内の方がしっくり来るな~。永瀬正敏は昔好きだったんだけど・・・ああいうアーティスト系な人はその自意識がだんだん鼻につき始めるのよね;;

MEGUMIと二葉さんは妻対決だったね~~。梶原さんが京都に行ってる間にみたいな。私は、覚馬とうら以上に泥沼かと思ってたんだけど、ドラマでは戦争後に梶原さんが心折れちゃって、二葉をそこに巻き込まないよう離縁したって感じになってたね。

八重の桜が終わってしまう

通りすがりの者です。いえ、本当はずっと読ませていただいてました(笑)

いよいよ八重の桜も次週で最終回、寂しいものがあります。今回の大河から新しいカメラを使っているとのことで、その試行錯誤もあったのでしょうか、1級のキャスト、1級のスタッフの持つ潜在的ポテンシャルをいかんなく発揮したとは言い難い結果になってしまったらしいようなことをニュースで見聞きしましたが、福島の復興、歴史上でまだ有名でない人物を扱う、高品質に仕上げる等とそのハードルはどんどん上がって行くという大変な環境の中で制作された作品なので、後年の評価にその志の高さは現れるはずだと思います。

時間は限られ、膨大な資料と格闘され、それだけでも大変なのに、さらにたくさんの歴史上人物を史実に基きながらドラマとして描くのを、ただテレビの前で大した考えもなく1視聴者が批判するのを大目に見てもらえるならば、少し書かせていただきたく思いお邪魔しました。

「グッバイ、また会わん」 タイトルからすでに来るものがありましたね。新島襄が最期に残した言葉なんでしたね。八重の涙のシーンは、感覚の鋭い部分に応えました。でも、ちょっと八重に感情移入がし難い所があったのです。K&Uさん曰く 「ジョーが死ぬなんてもう先週からわかってるんだけど」 、と八重も父権八、弟三郎を失くして、ジョーを失ったら自分がどうなるかはわかっているはず。

だとすれば取り乱してはいけない、武家の女性でなくともそうと思うのではないかと。八重はこの時点で自分の悲しみと対決が始まっていると思うんです。

死を目前に 『夫婦としての2人』 に引き継ぐものは、寄り添いの距離を保つことは、ここで始まっていなくてはいけないのではないか、と思います。2人は無言の交換を、悲しい表情の中に輝く目で交わすこととなり、その 『無言の交換』 を描かないから、たくさんの言葉でその 『間』 を埋めてしまう。

悲しいことに八重は、ジョーの、「あなたがいてくれたから…」 という愛に返すものを持っていないように見える。だからその際に、「ありがとなし、私を妻にしてぐれて」 と感謝の言葉を言う。

無理に作る笑顔がより悲しさを演出するような部分を持って来なかったのは、直情的なキャラだからなのでしょうか。

「私がここにいねえと、ジョーがさみしがる」 悲しみにくれる八重に、覚馬は一喝。新島襄の妻はこんな意気地のねえ女だったのかと。これは八重のジョーを失った悲しみと愛を描く上での筋書きと、覚馬という人物の大きさの両方を描く場面だったからでしょうが、遂に八重は、覚馬の妹という立場をドラマでは越えられなかった。

城を守るために鉄砲で戦った女八重、その気丈さ。八重の強さは俵を持ち上げたり、男と取る腕相撲だったり、もっと心の強さが描かれてもよかったと思います。

覚馬が言うセリフ、「赤十字の看護の神髄には、敵味方の区別なく、傷付いたものに手をさしのべることにある」 これは覚馬という偉大な人物に言われて八重が実践するよりも、現場で八重に言わせた方がいいように思います。このドラマは 『八重の桜』 なのですから。

八重はもう、ジョーから受け取った愛は、彼に返すことができない。それを、他者の救済という形でジョーに届けられる、看護婦人会の話を聞いた時八重は、すぐにそれを思い付いたのではないでしょうか。

八重には、心の葛藤を孤独な時間の中でもっとしてほしかった。鶴ヶ城籠城戦が終結した日、八重が歌を詠む場面では特にそれを感じました。「ここにいると思った」 と言いながら佐久が出て来た時には、ここでたとえそれが誰であれ人と絡ませる必要があるのかと、むしろ独りで 『自分』 と対峙して悔しさを滲ませる最大の機会ではないかと思いました。

その様々な思いが昇華してあの歌になった、それで前半のドラマに区切りが付き、後半の八重の戦いの源泉にと結び付いていったのではないかと思うのです。悔しさのバネ、です。

もう、来週で最終回なのでこんな感想を書きたくないのですが、ドラマに動かされた心のやり場を持て余すゆえ、失礼した次第です。乱筆、乱文ご容赦ください。

Re: 八重の桜が終わってしまう

こんにちは~♪ずっと読んでくださっててありがとうございますm()m 確か以前もコメント下さいましたよね?(^^)

もう最終回、早いですよね~~(@o@)
カメラ、そういえば新しいんでしたっけ!?何か大変な時にブレブレに動いてたな~という思い出しかなく(^^;)(あと鶴ヶ城以外のCGがショボかったな~とか(>▽<))

> 時間は限られ、膨大な資料と格闘され、それだけでも大変なのに、さらにたくさんの歴史上人物を史実に基きながらドラマとして描く
そうなんですよね~~。加えてオリハルコンさんおっしゃるとおり、様々な縛り・プレッシャー。作る側は本当に大変だと思います。色々残念なところもありましたが、基本的には「ありがとうNHK」です。
(京都編で、テコ入れなのか計画通りなのか、どうも「迷走」に見えてしまったのが残念です。「主人公が空気」と言われても、会津の群像劇を貫いていたら)

そうですね~。そういえば八重の桜展で見た「ジョー臨終の図」(という絵)には、枕元を固めてるのはお弟子さんたちで、八重はジョーの足元に座っていました。ドラマみたいに、2人で心の丈を語り尽くして・・・という最期では、なかったんでしょうね~~
ただ、私も父が亡くなった時そうだったんですが、余命宣告されていても、いざその日が来ると「そんな突然な」という感じで。「一週間後ならわかるけど今日!?」みたいな(で一週間後も同じように思うはず(^^;))。たぶんこれは、何人看取っていてもそう思う気がするので、あそこで八重ちゃんが泣くのは、私的にはOKでした(戦争中とか、非日常ではまた違うんでしょうけど)

なるほどそういえば「あなたがいてくれたから…」と「ありがとなし、私を妻にしてぐれて」では、同じく相手への愛や感謝のように見えて、微妙~に違いますね(^^;)

ですね~。>遂に八重は、覚馬の妹という立場をドラマでは越えられなかった。
「ほんの小さい頃から一貫して、あんつぁまの背中を追いかけてきた妹」という設定なんだな~と。それにしては覚馬の描写が薄かったのも残念です(T_T) 看護婦を勧める覚馬というのも悪くはないけど、オリハルコンさんおっしゃるとおり、それを八重自身がジョーにつながるものとして見出していくという描き方の方が説得力あった気がします。
「ハンサムウーマン」はNHK、解釈の仕方を絶対間違えてると思いました(>▽<) この大河が個人的に残念になってしまったのも、半分以上ここに理由がある気がします。
「けなげな妹」「けなげな妻」設定と、新時代を謳歌する「新婦人」設定を両立させることができず、「ハンサムウーマン」はもっぱら怪力・気の強さという描写で終わってしまったように見えるのが非常に残念で。ジョーの言う「ハンサムウーマン」をまともに解釈すれば、上記の(一見相反する)設定をつなぐものとなったはずなのに;;

なるほど~。そういえばあの歌も篭城戦で出てきて、それっきりですね。
ぶっちゃけ言うと、八重ちゃんの中では、あの歌を詠んだときの心境とか、つまりはあの篭城戦がどういう位置づけになってるのか、京都編が進めば進むほどさっぱりわからんかったです(>▽<) そんで私思うに、これはたぶん製作側が「戦を美化してはいかん」と表面的なところで判断した結果、そういう内面を描くことを放棄したのではと邪推してます(^^;) 先に言ったように「製作側は大変だったろう」「ありがとうNHK」という思いは変わりませんが。

ともあれ、色々文句言いつつも、1年間見続けた大河は「おんな太閤記」以来、たぶん30年ぶりくらいです(>▽<) 文句を言うのも楽しみのうちということで(?)、来週が待ち遠しいですね♪
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