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第46話から遠く離れて

八重の桜・第46回は、主に徳富蘆花による「明治の中二病」でした
念のためですが私「中二病」を「思春期」くらいの意味合いで使ってます 「自己を確立するため過剰な自意識に振り回される一時期」みたいな。なので誰もがその時期を通過するし、通過した後は誰もがこっ恥ずかしく感じるという。
しかし今「誰もが中二病を通過する」とか言えるようになったのは、この明治時代に「自意識」すなわち「近代的自我」が出現したからとも言えるんですよね。もちろん江戸時代以前にも個別にそういう人はいたと思いますし、明治になったからっていきなり全員がそうなったわけじゃないですが、「自分は何者か」とか「何のために生きるのか」みたいな問題が、万人の中にあるもの、あっていいものとして公に「発見」されたのがこの時代というか。

徳富蘆花や、蘆花より1つ年上の夏目漱石、あるいは森鴎外、または今回タイトルだけ出てきた坪内逍遥などなどなど・・・この時代の有名な文豪は皆、そうした「近代的自我」を発見し、文学作品として表現することで、公に知らしめた人々とも言えますね。
江戸期の「戯作」、といっても私は江戸時代の読み物を(どころか明治時代の読み物も)熟読したわけじゃないのでイメージ程度ですが、登場人物がいかに興味深いことをやらかすか、あるいは興味深いことにまきこまれるか、そしてどんな教訓を得るかといった、純粋なストーリーを追う楽しさが江戸期の戯作なら、その時に登場人物たちはどう思い、その思いがどう絡みあって結論が来るのかといった内面描写=主観を重視し、その内面描写=主観によって読者を「これは俺だ」みたいな感じで引き込むのが近代文学というか。そうして読者の間でもどんどん「俺の自意識」が発見されていくのがこの時代。もしかしたらですけど、明治以前の物語は少年マンガに近く、明治以後の物語は少女マンガに近い・・・のかも?恋愛という題材が、明治の文学や一昔前の少女マンガで多く使われるのも偶然ではなく、「誰にでもある自意識のゆらぎ」を描写するには、恋愛が最適だからなのではないでしょうか。「自意識の揺らぎ」というとカッコいいけど、要は自分の弱さや醜さ、こっ恥ずかしさなどなどの中二病構成要素が、恋愛という形で他人と真剣に関わりあうがゆえに、あからさまになるという。
(江戸期の戯作にも恋愛ジャンルはありましたが、どちらかというと恋人同士の心の動きを追うよりもあらすじを楽しむというか。ま「今も読み継がれる名作」てのは内面描写とストーリー展開、どちらも兼ね備えているため説得力があるわけですが、この場合は、時代によりどちらにより比重を置くかくらいの意味で)

「そういう弱さ醜さをひっくるめて、「人間の本当」を描きたい」と、徳富蘆花君が再三言うのもそういうことですね。徳富君を初め明治の文豪は「写実主義」「自然主義」「ロマン主義」等々色んな分類がなされますが、それらはあくまでも表現方法の違いなだけで、表現したいものは皆同じ、「人間の真実・内面」です。
この流行は、明治の日本で突然起こったことじゃありません。そこにはやっぱり「時代の流れ」があって。
たぶん「ルネッサンス」とかがそうした流行の芽だったんじゃないかという印象があるんですが、そういう下地のあった西洋で、例えばフランス革命などを経て、それまでの貴族や平民といった身分がなくなった=身分制・封建制のもとでははっきりしていた「役割」がなくなった。それに変わって「1人1人の市民が自分の手で国を守るのだ」という考え方が出てきた。あるいは産業革命などで「1人1人の市民が社会で担う役割」が大きくなったe.t.c.
いずれにせよ、「個人」「市民」「権利」などが公に認められるようになって、結果「じゃあその「個人」とは何か」「市民とは何か」みたいに、その内面の模索が始まるという。

それが明治維新後の日本でも、西洋文明の流入も助けとなって、同じように起こったわけですね。「個人意識」という同根の花が、政治の世界に行くと「国民皆兵」になり、あるいは「自由自治」になり、文学の世界に行くと「中二病」の始まりとして咲くという

この「中二病」いや「近代的自我」の発見か?これは「国民皆兵」意識の高まり=「国家主義」の高まりとともに、「公に対する個」という形のアンチテーゼとして興隆し、大正時代へと続きます。同根の花なのにアンチテーゼとなり、決して相容れないのは、互いに鏡のように写しあっている存在だからでしょうかね。「長所と欠点は同じ性質の裏表」とよく言われますが、互いの弱さ醜さ恥ずかしさ=強さ美しさプライドを写しあってる。ウヨとサヨみたいに。

山川健次郎が、坪内逍遥の「近代的自我小説」を読んでる学生たちを「国家を担うための勉学をする者がそんなフニャけた本読むな」と叱りつけるのもこの構図ですね。そして徳富弟が国家主義者・徳富兄と対立していくのも。
徳富弟には元々「優秀な兄貴に比べて俺ときたら」みたいな劣等感があったわけですが、「そんな劣等感だって存在を認められてもいいじゃないか」という「自我の発見」、ひいては「そんな俺にだって国家主義の兄貴とは違う別の価値があるんじゃないか」という「個人の発見」、それらがこの時代、劣等感とその裏返しの優越感に右往左往して自分探しする「中二病患者」を、初めて「人間」として肯定してくれたんですね。
もちろん「中二病」ってのは、おそらく人間の普遍的な成長過程ですから、江戸時代にだってあったと思うんですが、それは公にはないことになっていた。そんなので悩むのは単なる「子供」であって、子供は公=他人を担ってませんから。加えて、役割がぴしっと決まってる封建制社会では、あるいは食べ物手に入れるだけでも必死な社会では、「自分はどんな人間か」「何のために生きるのか」なんて、優先順位としてはかなりどーでもいいですから。

江戸の人々を愛し、珠玉の江戸漫画を生み出しながら、療養生活のため隠居した杉浦日向子さんが、おそらくご自身の死を見つめながら書かれた一文。

「人生を語らず、自我を求めず、出世を望まない暮らし振り、いま、生きているから、とりあえず死ぬまで生きるのだ、という(江戸人の)心意気に強く共鳴します。何の為に生きるのかとか、どこから来てどこへ行くのかなどという果てしない問いは、ごはんをまずくさせます」

この文章に私も強く共鳴するのは、諦観と背中合わせの心意気=反骨精神に打たれるのか、それとも自分の未来をどんなふうにも妄想できた中二時代から遠く離れてしまったからか、あるいは「自由」と同様「近代的自我」をひたすら追い求めて、時に身食いするような状況すらもたらしているような行き過ぎ感を、現代にうっすら感じるせいか。

念のためですが、私は現代の「自由」「自我」「個人の権利」等々まったく否定していません。どころか「ありがたいセーフティネットだ」と大肯定しています。ありがたいセーフティネットだからこそ、タダだからってがぶがぶ飲み食いしたあげく、例えば「ほらこんなに弊害があるんだからもうやめないと」みたいに上から取り上げられたり、或いはまったく思いも寄らない経路で「こんなのいらない」とかなっちゃったりしたら怖いので、大事に大事にしましょうよという。

もう1つ、ちょっと長いですが橋本治さんのエッセイ「虹のヲルゴオル」より。
「芸をするというのはもちろん仕事の一種で、この仕事というのが実に「他人のためにすること」。ホントを言えばどんな仕事だって、みんな「他人のためにすること」なんだけれど、でも芸をするというのはもっと極端。「自分はどうあれお客さんのため」という「愛嬌」を必要とする」
「自分がそれをやって嬉しいだけじゃダメ。「自己表現」のレベルで喜んでいちゃダメ。それは「表現者」とか「アーティスト」のレベルで「芸人」じゃない。ちゃんと人前に出せるだけの水準を持った「技術」があって、それを自分のためじゃなくて、他人のためにニッコリ笑って見せられなくちゃ、芸人じゃない。これはもう、とんでもなく難しいことなんだけれど、でも芸人の子供は、小さい時からこの基本を仕込まれる。
ところが普通の人っていうのはこうじゃないんだ。こんなこと、大人になってから「他人の立場も考えなさい」って教えられて、それで「ウーン・・・」といって頭をひねらなくちゃいけないような、難しい問題なんだ。つまり一人前の「自我」とかっていうものを持ってから「他人のため」なんてことを身につけようとすると、まず第一に「自分の立場」という邪魔なものを消してかからなくちゃならない。「せっかく身につけた自我を、どうして私は奪われなくちゃならないのか?」なんていう、とんでもなく難しい話になっちゃって、簡単に頭を下げればいいところで、頭が下げられない。ニッコリ笑っちゃえばすむところで笑えない、ということになる」
「子供のときから芸人として仕込まれた人間というのは、ある意味で、子供の時から大人でもある人間なんだ」

ここで述べられている「芸人」と「普通の人」は、すごく極端に言えば「近代的自我が発見される以前」と「以後」に置き換え可能なのかもしれませんね。

明治期に発見された「近代的自我」という価値観は、「大正デモクラシー」の時代に向かって大きく花開きますが、それはあくまでも都会の中であって、当時の都会と農村の差はすさまじかったそうです。生活の差も、価値観の差も。たぶん今の中国とかも同じような感じだったり?

いやこれは大正時代や中国まで行かなくても、今でも身近に残っていたりします。ってダンナ実家のことですけど
八重ちゃんが「小説なんて絵空事」みたいなこと言ってましたが、この感覚は昭和一桁生まれの農村育ちである義父母とまったく同じです。たぶん義父母のあたりが、この感覚を受け継いでる最後の世代でしょうかね~?とにかく「趣味は読書」という感覚がまったくないという。
(私の父母も同世代、どころか義父母より2~3つ年齢が上な農村育ちなんですが、もうちょっとリベラルなのは、揃って若いうちに東京に出ちゃったせいかな?義父母は「引越ししても隣村」という、筋金入りの農村定住人生ですから)

急いで念のためですが、本読まないからって義父母は決して頭悪いとかそうゆうことはまったくありません。むしろ本好きな私とかより数倍賢いって感じです。
義父母に言わせると
「目的があるならともかく、趣味で読む小説なんて、どこまで行っても自分一人だけの楽しみ。他人とも共有せずその時間は他人の役にも立たないんだから、本なんか読んでる暇あったら働け」
というものでしかなく。山川健次郎君も似たようなこと言ってましたが、本好きな私にはこの感覚、衝撃でした~!!
私は今風に(?)実家でも学校に行っても社会人になっても「本を読むのはいいことだ」という価値観しかない世界、ネガティブな感覚としてせいぜい「インドア趣味=暗い」という程度しかない世界にいたので、義父母みたいな「読書=自分だけの楽しみ=単なるワガママ」という感覚は「初めて出会った」って感じでした まさに蒙を啓かれるというかウロコぼっとぼとというか。
けど考えてみれば「初めて出会う」どころか、これはおそらく日本の農村(ていうことはほぼ日本全体)で長ーく、つい最近まで続いてきた価値観なんですよね、私が知らんかっただけで
「読書なんてワガママなだけで、そんなにいい趣味ってわけじゃない」っていうのはある種の「真理」だと、本好きとしては感じます。そしてこういう価値観が、日本の共同体意識を支えてきたんだな~と。この「真理」を知ったら、野球の巨人戦は皆で見るべしとかヒマな時はつい編み物とかの生産的な手作業をしてしまうとか「渡る世間は鬼ばかり」に出てくるのはワガママばっかりと文句ぶーたれるつつ好んで見てしまうとかそういうダンナ実家の不思議な風習が「かつて共同体を形成していたもの」としてことごとく腑に落ちました。

ともあれ大正時代に話を戻して。
「大正デモクラシー」と呼ばれた時代、都会は、というか比較的裕福な層は、近代化・工業化によって物が溢れ、獲得した近代的自我を基盤にした「大正ロマン」「大正モダニズム」を謳歌し、謳歌しすぎてほとんど「世紀末的退廃」の様相すら示し始めてきます。
が、それを横目で見ながら工場で働く大多数の庶民層・農村出身層の胸中や如何。

長い伝統の末にではなく、明治期から急激に、すなわち地盤がしっかりしていないところに突然起こったこうした大変化は、「大学は出たけれど」といった具合に当時のプチブル層にも打撃を与えた昭和恐慌などの外的要因も加わって、戦争の時代=国家主義全盛の時代の前に花開いた徒花といった感じに、後世からは見えなくもないですが。
しかしその徒花があったからこそ、次に国家主義全盛の時代が来た、とも見えてしまうんですよね。もちろん戦争に至るまでには、もっと様々な要因がありますが、国民の意識として反動が起こったというか。そもそも明治~大正に生まれたこうした流れだって、前の時代の反動でもあるわけですし。
「自分探ししてられる連中は気楽でいいよな」という、時代の鬱憤が、そうした連中に対するアンチテーゼである国家主義を後押ししなかったか。役割分担がきっちり決まっていたそれまでの社会のように「俺らとは世界が違う奴らのこと」で自分をごまかすことができない、「自由な時代」ゆえの劣等感・鬱屈がそこになかったか。ちょうど劣等感や人間の弱さといった「近代的自我」が、明治になって発見されてしまったように、大多数の庶民が、手の届きそうなところに横目で見てしまったがゆえの発見。

「明治の生まれか。己の才覚だけで生きていく自由もまた、恐ろしかろう」
と、良くも悪くも江戸は遠くなったという感慨とともにあんつぁまが語るシーンは、まさにこれですね。そしてこの恐れは、たぶん現代の方が強い。あんつぁまの時代に「自由」であることを許されたのは、ほんの一部の富裕層で、しかもその彼らでも「自由」を選び取るには、とんでもない強固な意志が(今でもそうだと言われるかもしれませんが、おそらく今よりはもっと)必要だった。今は「自由」が広く行き渡っているから、その恐れにも広く直面する。どっちがいいのかはわかりませんけど。

私、90年代半ばごろから?「今って大正時代と似てるのかな~」とぼんやり思ってたんですよね、あんまし大正時代とか知らないにも関わらず
そういう「近代的価値観」が成熟して、ほとんど爛熟の域にまで達してそうなところとか、軍靴の響きが聞こえてきそう()なところとか。あのころ小林よしりんの「戦争論」とか出て、さらに驚いたことにそれが「感動!」すら呼んでて、「右傾化したな~」とゾワゾワ思いましたもんね;;
「大正時代の身の上相談」という本を読んでも、「現代の悩みってほとんどこの時代に既出なんだな~」と、つまり「当時の価値観って現代とそう変わってないんだな~」という感じでしたし(この本、相談内容は面白いんだけど、現代人がつけてるコメントが的外れでつまんない)。
なので、「今は大正と似てるのかも」=「何かあったら昭和初期みたいに、国家主義全盛になっていくのかも」とひそかにおびえていたのですが、しかし1つ大きく違うところは、大正時代の貧富の差。それも圧倒的に「貧」の方が大きかったという構図。「大正ロマン」なんてのはほんの上辺のベールに過ぎなくて、一皮向けばぜんぜん違う様相が現れる。もちろん上辺のベールも時代に影響を与える重要な要素であることは間違いないけれど、そのベールの下がマグマ溜まりみたいなもんで、その点現代はそこまで大正じゃない。
と思っていたのですが、しかし「一億総中流」と呼ばれていた現代日本も、だんだん「二極化」が言われてきて、また一つ大正に近づいたと。まあ私は何でも軍靴の響きに聞こえてしまう「サヨク病」なので、妄想と受け止めていただいて結構なのですが、「一億火の玉」とか言ってた日本の姿は、決して遠い他人じゃないのかもしれないぞと。特攻隊とか生み出した昭和だって、その前には大正モダンという、正反対な価値観だってあったわけですからね~。それでも!それでもああなった、というのが私には非常~に恐ろしいです。それだからああなった、だと尚こわいけど;; そしてさらに恐ろしいことには、軍靴の響きを聞きやすい私ですら、その時になったら一億火の玉になりそうな要素を確実に内包している、と3.11以降気づいてしまい

これは自己弁護かもですが、その要素はもしかして、人間として必須なんじゃないかと思われるからより恐ろしいんですよね~。そんでそれは見方によって美しかったり醜かったりするから、その美醜によって価値をつけられたり、逆に排斥されたりしがちだけど、それは決して排斥されるべきものじゃない、と同時に手放しでマンセーしていいもんでもない。長所と短所は裏表。ちょうど1枚の紙みたいなもんで、表をはがして捨てようと思えばもれなく裏もくっついてくる。
余談ですがそう思うと、国家主義者・徳富兄とロマン主義者・徳富弟が実の兄弟なんて、彼らはなるようにしてなったのでしょうがほんとよくできてるなと。まさに同根の花なんですよね。

しかし最も恐ろしいのは、そういうふうに「この道はいつか来た道」ではなく、今までに体験したことのないような道をたどって、想定外の、例えば戦争以外のゲシュタルト崩壊を起こす可能性だって、十分ありうることです。未知のコースだから「やばいぞ引き返せ」という軍靴の響きも聞こえず(←幻聴だし)、何十年か後にやっと「あそこに分岐点があったのかも」とわかるような。明治維新から太平洋戦争に至る流れだって、当時の人にとってはまさにそういう、「未知のコース上にあった未曾有の出来事」だったんですもんね。

ここまで、もしかしたら5行くらいで語れる話を、長々語ってしまった気がしますが
しかしこうして語っていると、私は前回(45話)を単純に「1回休み」の回として受け止めてしまっていたけれど、それは大いなる勘違いではなかったか?ほんとはあれは今回とセットで、「明治の時代」を語るために必要不可欠な回だったんじゃないか??という思いがヒシヒシと。

私がこう思えたのは、毎週拝見するのを楽しみにしている、emitemitさんのブログ「moonshine」で、以下のように書かれていたからです。
これを読んでもう、またしても目からウロコがぼっとぼと!!

「かつて女紅場の女学生たちが「ドリームって言われても困るわ~」と話してたとおり、時栄も、夫や姑に仕え子育てをして…という以外の生き方なんて知らないし、考えもしなかったはず。開明派・覚馬の妻にならなければ。その教えをのびのびと実践する八重の姿がなければ」

「明治は、新しい時代。武器をとるのではなく言論で戦う時代。誰もが夢を語ることのできる時代。焼野原から蘇り、栄える京都。あふれる西洋の美しい文物…。様々な「新しさ」「明るさ」や、時代を切り拓く挌闘が描かれる一方で、新しい時代についていけず苦労する会津人や、敢えて過去を忘れようとしない浩、そして、「新しい価値観を間近で見たからこそ」自尊心を揺るがされる時栄がいる。青木によろめいたのは時栄の弱さなんだけれど、その背景には時代の影があるんですよ。そして、彼女の不祥事によって、明治の光の中にいた山本兄妹が、足元にできていた思わぬ「影」に覆われ、当事者として体験する…。そういう陰影がほしかったんですよ」


今回語られたのは「明治の中二病」、すなわち「明治という時代に必然的に発見された近代的自我」の話でした。こうした「新時代の価値観」を一番よく表現できるのは、やっぱり徳富君みたいな「若者」でしょう。
と同時に「女性」もね。封建制がなくなって価値観が変わった、という新時代を描く時、「女性」って「若者」同様、変化の激しさを体現する場合多々なんですよね。「戦後、女と靴下が強くなった」なんていうジジイの繰言も、そういやありましたっけ
そもそも主人公の八重さんにしてからが、ハタ目にはその「新時代の象徴」的存在だったわけで。「男女平等で職業婦人で先進的。新時代の光をモロに浴びてる存在」というかね。
しかし時代が、しかも急激に変わる時には、必ずその負の面を引き受ける人も大勢いるわけで。光が濃ければ濃いほど陰影が強くなるのは物理の法則。まして明治というのは、「近代的自我」も発展したけど、「女は家庭にいて、男に従うもの」という「家父長制」も、天皇を家父長と見立てた「国家」主義の延長線上に発達した時代。
八重さんが主人公の話で時栄さんを描くのは、先のブログがおっしゃってたように、こうした「時代の光と影」を描けるってことでもあったはずなんですよね。つまり前回は今回とセットで「明治の女性と若者を使って、施政者目線じゃない「明治という時代」を描く」という、「1回休み」どころか「これぞ大河ドラマ」な試みではなかったかと。というかそうでなければ、なぜ他にもいっぱい描く話はある明治編に、しかももう終わり近くになって尺が足りない感アリアリなのに、あえて不倫話なんか入れたのか、意味がわからん  

それが前回、イマイチ伝わらなかったのは、脚本が大幅手直しされたのか、私の見る目がなかっただけか
ともあれ、ハタ目には「不倫」「駆け落ち」と、「ゴシップネタで視聴率を上げようとしているな」と思われて仕方のない回も、今回で終わり。
次回からはいよいよ、ラストスパートに向かっていく「八重の桜」なのでした。

あれ。気づけば変な連想ゲームばっかしてて、肝心の感想がないですね
ユキちゃんと八重ちゃんの再会はよかったです~~~!あの犬ころみたいだったユキちゃんが、すっかり落ち着いたおっかさまになってて できれば顔を合わせた瞬間、涙涙の再会シーンにしてほしかった。TVのこっち側の方がもう涙目になってるんですから
「迷った時は母親らしくじゃなく八重ねえさまらしく」という言葉は、個人的に久々のクリーンヒットでした。どうも明治編って、セリフが上滑りしていて白けること多々だったのですが、これは「覚えとこう」と。
ほんとに親って迷うことばかりで 「自分が傷つくよりつらい」からこそ、民治おとっつぁまみたいに「相談されたら反対してしまう」になってしまうんですよね;;「子供を信じきるのが一番難しい」って、まさにそのとおりです。
その民治さんも亡くなっちゃいましたね。神保父とか、懐かしの会津藩士を思わせるおとっつぁまで、好きでした

というわけで、次回はジョーが主役です!個人的に、来週のジョーには惚れてしまいそうなので、今から楽しみ 立て~立つんだジョ~~~
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

直ったよ

やっと復旧しました~~~
(というかコードがちぎれて火花散ったので在庫待ちだった)

この深い記事についてウンウンうなずきつつ、また1点抽出にてコメするね!

「なんでも軍靴の足音に・・というサヨク病」っていうくだりですが、あのね、今斎藤美奈子の婦人公論まとめた本を読んだんだけれど、彼女も歴史は60年ごとに繰り返すって言っており、K&Uさんと似たようなことを言っているのよね。
私は彼女サヨクと知らずにいたので、おもしろいことを書く人だと思ったけれど知らず知らずのうちに読者を(まあもともと彼女らも左寄ではあるexcept私)洗脳している文章を書いているというのが、私の印象ね。こういうのは、プロのやることじゃないなと、右派の私は思うわけよ。

というのは、私自身が、今から戦争突入ということは全く考えられないからなのよね(まあそれがウヨの真骨頂とでも言おうか・・・)。私が楽天的過ぎるのか。いや、一方的に東アジアが攻めてくるというのは不安だよ。でも、日本が太平洋戦争のような戦い方をするなんて到底思えないのよね。。。つまり私は明るく、今の政府を信じているっていうことになり、左派からしたら「そこがバカ」と言いたいところなんだろうね。

その、K&Uさんが「これから戦争に突入」という予感めいた不安は、政治を信じられないからだと思うんだけれど、どの程度感じるの?
秘密保護法とかいろいろ言われているけど、(私も詳しくは知らないが)あれ、限りなく脱原発派とかぶってると思うと、全く反対行動に共感できないのよね。だから、ファッショというか雰囲気イメージでああいう人らが反対することで、反対行動自体がうさんくさくなり、本当に大切で変えてはいけない部分がめくらましにされたらどーする?と、思うのね。

Re: 直ったよ

こんにちは~♪
パソコン復活おめ!火花出たらけっこうびっくりするよね(@o@)

あ私もなんか読んだことある気が >斎藤美奈子の「歴史は60年ごとに繰り返す」論
彼女がどれくらい例を挙げて言ってたかは忘れたんだけど、明治維新で価値観から何から方向転換して60年(=昭和初期)、先の敗戦で価値観から何から方向転換して60年(=現代)っていうのは、確かに似てはいるよね。もしかしたらある制度なり価値観なりの耐久年数というか金属疲労みたいなのが出てくるのは60年くらいなのかもしれんとか。2世代くらい変わった頃とか。
ただこれは、もっと分母や分子を増やさないと言えないよね。明治と昭和だけじゃデータ不足で印象論どまりかなと(^^;)

私はサヨなんで「ああこの人の考え方すっごく同じ。てことはこの人サヨだな」と思ってて(^^;) 実際、一貫して反戦・フェミだしね。処女作も、女性や妊娠が文学の中でどう描かれてるか、そこから書いてる男性の無意識のエゴイスティックぶりをあからさまにする「妊娠小説」だから(←これ面白かった!)
ただ、基本サヨなんだけど、従来のサヨのやり方・考え方を「終わってる」と思ってる人なんだよね。従来のサヨより相対化されてるというか。
だから従来のいかにもサヨみたいな反戦活動や、ギチギチの(幅のない)フェミみたいなのは、よく批判してる。Kさんがサヨだと思わなかったのは、そういうふうに従来のサヨを批判してるからじゃないかな?彼女が旧態依然としたサヨじゃないのは確かだから。
たぶん彼女は洗脳とかのつもりじゃなく、サヨにも色んなバリエーションというかグラデーションがある中の1つだと思う。まあ自分の考えを広く世に知らしめたいっていうのは、広義の洗脳欲求と言えなくもないかもだけど(^^;)

軍靴の響きはまあ幻聴だからね(>▽<) そんなにはっきりした「予感」じゃなくて、「可能性」というか。
私が自分をサヨだと思うのは、やっぱり戦争は嫌だってのが比較的前面にあるからなんだけど。「将来避けたいものは何?」「色々あるけど戦争だけはヤです」みたいなね。
だからほんのちょっとでも戦争の「可能性」を感じたら、もうとことん潰したくなっちゃうのよね、ほとんどは何事もないのにさ(どころかそういう潰し方をしたために反動が来てかえってヤバイかもしれないのに;;)ちょうど「公害とか事故とかは「あっても仕方がない」とある意味受け入れてるのに、放射能となったらちょっとでも危なく感じて受け入れられない放射脳」と同じだよね(^^;)

んで、なんでそんなに戦争が嫌なのかって言ったら、やっぱり太平洋戦争の負け方があまりにも悲惨だったからさあ。こんなんなるのは絶対避けたいと。
で、思うんだけど、当時の人だって「開戦を選んだら4年後こうなる」ってわかってたら、絶対やんなかったろうと思うのよ、当たり前だけど。
つまり、ほんとに想定外の未曾有の出来事だったわけよね、あの戦争というか敗戦は。誰もまさかあんなふうに日本が負けるとは思ってなかった。それまでは戦争って言えば勝ち戦だし、やれば基本的に景気が良くなる、勝ったから国際社会でも強くなるっていう、そういう戦争しか知らないわけだからさ(現代の私とかが、戦争=悲惨としか知らないのと同じような感じで)、日本が焼け野原になるなんて、ものすごく予想外だったろうと。
だいたいあの敗戦だって、決定的にズタボロになったのは戦争末期で、昭和16年の開始から2~3年かけて進んでいったのよね。その戦争の遠因となった日中戦争は昭和12年、満州事変は昭和6年・・・つまりあの戦争や極限状態は、ある日突然起こったことじゃなくて、ある程度時間をかけてああいう様相になってったわけよね。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と思ってるうちにズルズルと。

ただ第二次大戦は、日本だけじゃなく主要国みんなが戦ってた時代で、だから日本も戦争を選んだっていうのは大きいと思うんだ。今一応均衡取れて動きのない時に戦争は起こしにくいと思う。在日米軍はじめみんなストップしに来るだろうし(^^;)やってもせいぜい紛争どまりだと思う。今はね。

なので、今すぐに「特攻隊だー」とかそういう軍国主義・日本が復活するとは思えないんだけど、でも「気づけば人も生活も全然違っちゃってる、昔は楽園だった」っていう時代はありえると思ってるんだわ。
前みたいに軍国主義になってるかもしれないし、北朝鮮みたいになってるかもしれない(日本の性質って基本的に、北朝鮮ぽいというか軍国主義っぽいのになじみやすい気がしてしょうがない;;)
戦中派が体験したみたいに、まったく想定外の経路で、想定外の結果に導かれる的なね。結果=必ずしも戦争や敗戦じゃなく。

といっても「想定外の経路で、想定外の結果」ってなんだよ(>▽<)って感じだから、あんましそんな放射脳みたいにシンケンに心配してるわけじゃないんだけどね。
あんまし「そうなるかもしれないどうしよう」とか思ってると、そう思ってるがためにそうなっちゃったってのもよくありそうだし。
そうなるかもなあ、でもそれはもう時代の流れってやつだよなあみたいな感じで、じゃあ自分はどうやって生き延びようかなとか、人間の思いとか時代の流れって思わぬことが要因になって動いていくよなあ面白いなあっていう。

だから今の政府を信じられないというより、「人間の叡智によって、人間社会が昔より絶対いい方へいく」というのが信じられないという感じ? いや昔よりは明らかに住みやすいいい社会になったと思ってるけどさ。ばーちゃんが入院した時とか「人間ってこんなことまで解明してるんだ!医学の発展すげーーー」って感心したし(^^;)
ただ、いい社会になった弊害っていうのも、物理の法則的に絶対あるわけで、その弊害を避けようと発展→その発展による弊害→発展→・・・っていたちごっこの末に引き返せない、それが自分が今いる世界だっていう。それはもう政府の責任じゃない、普遍的なもんなんだろうなと思う。方向性は政府によって違うだろうけど。(ただ私はサヨなんで安倍ちゃんはやっぱし好かないけどね(^^;) 軍国主義や北朝鮮的なもんに、体質的にシンパシーがありそうって思っちゃうから)
秘密保護法とかも私全然知らなくてさ~(>▽<) それでよく偉そうに「想定外の経路で」とか言うもんだってことなんだけど、あれやっぱし脱原発系の人が反対してるんだ。確かにちょっと治安維持法みたいなイメージだもんね(^^;)。
でもほんと、「イメージでああいう人らが反対することで、反対行動自体がうさんくさくなり、本当に大切で変えてはいけない部分がめくらましにされたらどーする?と、思うのね」というKさんの意見には同意!
やっぱり政府としては、なんか意図というか理由があるから法案にしたんであって、その理由を知りたいのよね。まずはそれからというか。(私がその理由を知らないだけだったらごめん(>▽<))

戦争はやだよね

確かにね!!

だけど私の場合、備えあれば憂いなし派なんだよ、やっぱり。そして今の世の中で戦争になったらもう核は使うから太平洋戦争みたいに長引かないじゃん?だから・・・これも嫌いな言葉だと思うけど抑止力というのはやはりあると思うんだよ。

私がどうして右派かと言ったら、やっぱり出自なのだろうと思う。祖父が海軍だったからね。「えらいじいちゃん」て一家で思っていたし祖父は絶対的存在だったし、威厳もあったからね。(でも頑固で偏狭だったけど)
姉が高校でサヨの社会科教師にかぶれて、祖父と大げんかしたことあったからねぇ、祖父もかわいいかわいい一番孫の姉が反抗するとは今にして思うとさぞびっくり落胆したことだと思うよ。私もその教師に政経習ったけど、朝日礼賛だったからね、読売だった姉は恥だと思ったらしい。(でもそれもやっぱりおかしな話でね)

そして義父が元自衛官ね。もうこうなったら向かうとこてきなしだと思わない?血縁と姻戚がこうならさ(もちろん読売)

でも福島は保守的な人間が多いから、別に何も感じなかっただけで、福島出て、新米母だった市の育児講座がまさに左翼洗脳講座だったときに、目覚めたんだよね。あ、なんかこの思想おかしい。って。合わないって。

それから長野に行けば、まあ、左翼が多いし。先生がまずそうなんだ。君が代嫌い。私にはあり得ない文化だったの。

だから、韓国みたいに徴兵制があってもいいと思ってるよ。息子一人ぐらい自衛官にならないかとも思ってる。だって、徴兵制を否定する人は、じゃあそういういやなのは自衛官にやらせればいいって思っている人じゃないの?って思うのよね。自分は泥かぶりたくない(自分の子供には泥かぶらせたくない)っていうさ。
こんなひ弱な男が多い中、仕事にもつけないとか言っているのなら、体から、型から、軍隊させればいいんじゃないのって思ってるよ。うちの子も、そういう感じで「山村留学しようか」とかまじで考えてたほどで、親元離れて鍛えるということは、得るものが大きいんじゃないかと真面目に考えていたから。

それって、反原発でありながら、自分の子供は原発作業員になんてさせたくないって言ってるのと同義じゃないかなと。だから、反原発派から、原発作業員の詳しい被曝量とかを、きちんと調査して管理しようっていう機運にさっぱり持っていかないんだよ。ただ「作業員の方ありがとう」とか言ってりゃいいかと思ってさ。はっぴーさんの本をありがたがってさ・・・。違うんでないの?と思うよ。

そうでなくて、福島県の子供が将来原発で働くことにもなる可能性もあるんだったら、より細かい被曝線量のデータを出しておかないとならないってリーフレインさん言っていたけど、ホントは真の弱者の味方の左翼だったらそういうことを具体的に、福島県に言うと思うんだよ、内部被曝1㍉以下なんていう大雑把な数字で済ますなってね(注:リーフレインさんが左翼っていうんじゃないよ)。でも、違うでしょう。ヤツラのやることは。福島県政、た~だ糾弾でしょう。

戦争反対も同じ臭を感じるし、秘密保護法なんちゃらも同様だと思うんだ。

そこをすっ飛ばしての「軍靴」って、やつらが言うのが納得いかなかったんだけど、K&Uさんは違うと思ってたけど、改めて確認できてよかったです。

猿学の人の本読んだとこでこれからアップもするけど、確かに人間のやっていることって良い方には進まないよね。もう進化の枠から降りたってのが人間らしいよ。

だけど、K&Uさんの言うような「危機感」というのは生き延びる上で絶対的に必要だよね。そういうセンスを皆が持つことが大事だ。一方的に政治不信では、見えるものも見えなくなってしまう。思考停止になってしまう。良いところは評価しないと。何でも反対反対って、ほんとにバカかと思う。

あと、斎藤美奈子の9条の意見をトラバしておくから、参考までにね。

Re: 戦争はやだよね

こんにちは~♪ 週末忙しくて、返事遅れちゃってごめ~ん;;

抑止力は嫌いな言葉じゃないけど、どれくらい抑止になるのか私にはよくわからんのよね;;
米ソ冷戦時代ならともかく、今は・・・って話もあるじゃない?お互い持ちつ持たれつでがんじがらめになってる国家同士は核を使えなくて、使うのはゲリラばかり、とかさ。

そういえば前も言ってたね。お祖父様が海軍だったって。でもダンナ父も自衛官だったんか!
大喧嘩とは、お祖父様ショックだったろうね~~;;お祖父様にしたら「結果論で鬼の首取ったように言われても」ってとこも、きっとあったろうしね~;;
けど読売が恥になっちゃうのか(>▽<) 実家が朝日オンリーで、結婚したら読売で、福島来たら福島民報という節操のない私には、良くも悪くも「すごいな~」という感じだわ(^^;)
(ところで福島民報って左右どっちなんだろ?新潟日報は明らかに左寄りなんだけど、福島は民友と民報で左右受け持ってる感じなのかな??)

そうそう、理屈よりまず「合う合わない」でピピンと来るんだよね!だから私、思想は体質だと思うんだ。体質=生まれてから今まで取捨選択してきたものの総合というか。理屈で頭に上書きできるもんじゃないし、上書きしても身の丈に合わなくて、そのうちおかしくなってくると思う。

う~~ん私も徴兵制義務化はヤだなあ。というのは、泥かぶりたくないってのもあるかもしれないけど、それ以上に軍隊ってすごく特殊な専門職じゃん?だから職種の中でも「合う合わない」がすごく大きそうな気がして。
例えばスポーツ選手や看護婦さんとか(軍隊と一緒にするのは語弊があるかもだけど)、やりたくない人や合わない人に無理やりやらせても、お互い弊害の方が大きくなりそうでさ。私とか運動神経ないから悲惨な様子が目に見える気がする(^^;)
まあ合う合わないなんてどんな職種もそうなんだけど、命のやり取りするところだから余計にね。ほんの少しのミスで全員の命取りみたいなさ。だからモチベーションみたいなのがより必要とされる気がするんだよね。
そうそう愛国心とかもさ「強制じゃなく自発的じゃないと意味がない」って言われるじゃん。それと同じような感じがする。
1週間くらいの「体験入隊」みたいなのだったら、お互いの理解のためにいいと思うけどね。というか私もしてみたい。私らのお守りする隊員は大変かもだけど(^^;)

そういや私もさ~、家で「軍隊方式」にしたいな~とかねがね。「21時入浴。22時消灯。口答えすんな」みたいな(^^;)。けっこうマジで思ってるんだけど、でもやっぱし親子だとダメなんだよね~;;お互い甘えが出ちゃって。

>反原発でありながら、自分の子供は原発作業員になんてさせたくないって言ってるのと同義じゃないかなと。
これは腹立つ!でも、う~ん軍隊否定と同じなのかな~??軍隊はけっこう今災害派遣とかで、サヨクで従来の認識は改まってると思うんだけど。
でも思ったんだけど、サヨクはやっぱり戦争反対も含めて「そういう事態以前」のとこにいる人たちなんだよね。「自分の子供が戦争(原発)に行かなくても済む社会にするために」っていう。だからたぶん実際に「そういう事態」になっちゃうと弱いのよ。事態を否定して逃げるしかできない。さもないと「そういう事態協力」になっちゃうからっていう。
一方ウヨクは「そういう事態」の時に何をしようっていうとこがあるのかな?「予防と対処」両方必要なうち、予防をサヨが、対処をウヨが受け持ってるみたいな??いやウヨにはウヨ的予防法があるし、サヨにはサヨ的予防法があって、相容れないって感じかな??
ただサヨ的予防が(ウヨ的予防もだけど)効果あるかどうかは結果論だし(逆におかしな方向に行く可能性もあるよね。そういえばいつも思うんだけど、敵を倒すための訓練が災害救助に何よりも役立つっていうのが、人間社会の一筋縄ではいかないところだとしみじみ思う。普通に考えてこうすればこうなるっていう予測は、すごく限定的なんだよね)サヨも自分のこととなったら必死に対処すると思う。原発はやっぱし「他人事」だからああなるっていうのが大きい気がするな。自分の電気のために済まんっていう回路がどっか途切れてる(ほんとはサヨこそそう思う種族だと信じてたんだけどね;;)。
だってこの私にしてからが「ああ一億火の玉ってこういう思いのなせる業だったのかもな」って、自分のこととしてちょっと理解できた、ような気がしたもんね。それまでは
「国家総動員法」とか上からの命令があったからイヤイヤやってただけでしょって思ってたとこがあったけど、それだけじゃなく、1人1人の「自発的な、モチベーション」も大きかったんじゃないかな、と実感として。
そんで山本太郎の手紙についての、主に反原発な人々の声をまとめたtogetter見たらさ、なんかもう礼賛一方なのね。私にはほとんど特攻隊とかへの賛辞と同様に見えちゃった。なのでたぶんこの人たちも
他人事じゃなくシンパシーがあれば、きっと一億火の玉になるなと確信した(>▽<) やっぱり「他人事か否か」っていう感覚が明暗を分ける気がしたわ。私だって福島に引っ越してなかったら、今みたいなシンパシーは抱けなかったかもしれないもんね;;

猿学の人って、河合雅雄さんかな??あの人面白いよね♪(あんまし本読んだことはないんだけど、対談集とか見た限りでは)
ここ兄弟全体が、医者とか心理学者とか、「人間とは何か」みたいなことに関わる人たちなんだよね(しかもみんな優秀(>▽<))。それも面白いなあと思って。 

トラバありがと!あとでブログにお邪魔するね♪

予防かぁなるほどなぁ

思想は体質か~、そだね!
だけどさ、その体質の違いがあっても、会話ができるようでありたいじゃん!今、それが本当に難しくなっているのが、残念だよ。

だから、イランの核縮小の話のような外交的にある一定のところに決着したというようなはなしは、イスラエルとかが文句言っているかもしれないが、とりあえずは「是」だと思う。中味の吟味はそれからだね。

中国とか韓国ともそういうふうにやってほしいものだが、。。。

徴兵義務化、合う合わない、なるほど。その視点は抜け置ちていた。私、うちの息子らがそういうの合いそうだと思うからだろうか?でもなあ、体とか型から入るのってすごく大事だと思うのね。それは私が体力勝負なバイトを始めてより一層、その心情が定着したんだけどね。
そこはK&Uさんとは違うね。「考えるより先ずやってみろ!」のタイプの人間だからかもしれない。合う合わないなんて派生するものだ。的なね。そして子供や若者にはそういう経験が圧倒的に不足していると思う。今の子たちこれから困るよなあって思う。
同じ意味で、結婚だってまずとりあえずやってみろ!なんだと思うな。
でもこれって、まさにウヨ的体質だななんて思うよ。左翼って、いろいろ理屈は正論だけど、結局、やんないじゃない?そこに「しない善より、する偽善」を感じるんだよね。
理屈こねてたら一生結婚できないよ、みたいなさ・・・。

私は、徴兵制も賛成だし、長男とか三男に自衛官も勧めているし、長男に、原発に行ってはどうかという話もしているよ。いや、長男鉄でさ、福島の電車とかそういう会社に入りたいとかいうわけよ。だったら、福島なら、原発も考えてみたら?というような話よ。さすがに尻込みしているけれどね。

でもリーフレインさんとも話したけど、「でも今のままの待遇とか検査の曖昧さだったら、息子は、やれないよね、でも、将来、わが息子を福島第一に安心して送り出してもいいってなるように、ちゃんとしていってほしいってことを言っていかなきゃだね」って話したの。そういうことこそ、なぜ左翼はやらないんだって思うんだよ。作業員大変て言って、脱原発にを利用してるだけじゃないのか?とね。実際に作業員のことだけに集中して署名とか陳情とかやれよ、っていう話。

「そういう以前の人」・・・そうだねいいこというね。そして逆一億層火の玉か。なるほど。前に言っていた、危険派と安全派の行動裏返し・・と似ているよね。タローが礼賛・・・世も末だよね。

小泉さんとタローが手を組むとかいうのでもちきりだけど、きょうは週刊現代を買ってきた。プレジデントも買うべきかも、とか思っています。小泉氏、私は世迷い言?と思っていたけれど、もし本当に原発ゼロになったらそれは一番いいことではあるんだよね。ちょっと考えてみようと思う。

そうそう、河合雅雄さん、めちゃおもしろい。すっごく抜書きしたから、またアップするね。もしかして河合隼雄さんと兄弟?





Re: 予防かぁなるほどなぁ

こんにちは~♪

イランもね~、一時はイラク戦争再び!みたいな感じだったけど、やっぱしアメリカ国内でも相当不評だったのかねあのイラク戦争が。
海外のことって、目的とか裏がありすぎて、よくわからんって感じ(^^;)

うん、「やってみなきゃわからない」っていうのはすごくよくわかるんだ。自分がこれに向いてる向いてないとかは、やってるうちにわかる場合大だし、そんなの二の次でやんなきゃいけないって場合もまた大だろうし。
結婚なんかはまさにそうだよね。ともに生活してみなきゃわからない、あってると思っても絶対あわないところも出てくるはずだから、そこで「向いてない」とか投げ捨てないで乗り越えないといけない、そうするとまた違う世界が見えてくる、その繰り返しみたいなね。
ただやっぱし、結婚もそうだけど、基本的には「そこに飛び込んでみたい、やってみてもいいな」っていう、前向きなモチベーションがやっぱしあって、ていうのが前提だと思ってしまうのよね。相手に愛情があるかないかで結果が大違いみたいなさ。
無理やり「この人と結婚しろ。ヤでも別れるな」って、やっぱし弊害の方が大きくなりがちだと思う。「別に好きでもないけど、いい人そうだし、結婚してもいいな」と思えるかどうかっていうか。
まして自衛隊って特殊だし、やっぱし好きで入る人じゃないともたないんじゃないかなと思ってしまうのよね。風立ちぬみたいに飛行機が好きとか、「I LOVE 国防」(←っていうバッヂが駐屯地祭で売ってて笑った(>▽<))だったりさ。そういや高校時代「親に負担かけなくてすむから」って、自衛隊の看護科に行った友達がいたわ。すごい自立してたんだな~って今になって感心してしまうんだけど。
私の中ではなんとなく、消防士とか看護婦さんとかと並ぶところがあるんだけど(プラス、プロスポーツ選手。とにかく体を酷使しそうって意味で)、いやいや看護婦やってる人とかには患者として会いたくないじゃん(^^;)病院だって困ると思う。取り返しのつかないミス発生しそうだし。そういう意味で、普通よりモチベーションが必要な職種だと思ってしまうんだわ。
けど、皆が義務としてやるようになったら、そこら辺は変わるかもね。「軍隊ってどんなとこですか」って聞かれた水木しげるが、(さぞかし「毎日ビビビビ叩かれて非人道的な組織だ」って言うかと思ったら)「普通の会社と同じですよ。色んな奴がいる」って答えてたし。まもしかしたら今もそうかもしれないけど。

うちは、下の子はわりと根性あると思うんだけど、上はなーんか向かなそうなんだよね;;
でも、子供が自発的に「入りたい」っていうなら止めはしないけど。そういうキツさとか覚悟の上で入るなら。自衛隊も原発もね。ましてそれが「社会に貢献したいから」みたいな立派な理由を持って行くんなら「よくそこまで育ってくれた」と思ってしまうよたぶん(*^^*)

左翼は、というか反原発は「安心して原発に行ってもいいように」っていう発想はないだろうなあ。皆が原発を親のカタキのように思うことでこの世からなくさないとってのが反原発だから。「原発ってけっこう働いても安全じゃん」→「原発そのものも安全じゃん」ってなるのは何よりも避けたいことだろうなあ。ここら辺は戦争に対する私の感覚と同じかも。
ただ私、その意味で原発と自衛隊は違うとは思うけどね。原発やその事故はもともとが「破壊」や「殺傷」目的じゃない、ほんとに純粋な事故だからさ。これが石油コンビナートだって同じよ。軍隊はその点もともとの目的が違う。
けどいずれにしろ、危険だけど私たちが必要としているていうんであったものだから、そこで働く人があまりにも劣悪な環境てのはやっぱしおかしいとは思う。どうしたって危険なのは確かだけど、改善できるならして危険度減らすに越したことはないよ。

左翼も「危険を乗り越えて、それでも志願します」っていうのは、けっこう好きだと思うんだ。たぶん山本太郎とその賛美者も、「危険を乗り越えて、それでも俺はやるぜ」っていうつもりなんでしょう(^^;) 
だから「泥をかぶる」という心情はわりと普遍的なもんだと思うんだけど、それがどこに結びついてるかなんだよね。国家なのか社会なのか家族や友人なのか、みたいな。どこに結びついても一長一短だけど、どこにも結びつかないのも困ったもんだと思うし。。。

ああでもこういうこと言ってると、確かに自分が「左翼って、いろいろ理屈は正論だけど、結局、やんないじゃない?」そのものだって気になってくるわorz
こういうことただ考えてるのが好きというか、個人的趣味なのよね。「実際に「社会」を変えよう」という気はサラサラなくて、「社会」がどう変わるかに興味があるだけで、どう変わってもその中で日常生活を営むぞという;;

あそうそう、河合隼雄さんと兄弟。なんか2人とも京都弁なせいか、「こうすべし」みたいにギチギチしてない感じがいいんだよね。「こうするとこういうふうになるんですなあ良くも悪くも」みたいな。

向き不向きね!

モチベーションそうだねえ、看護師、ってことは医師も入る?外科は体育会系だっていうけれど・・
でも医者ってチョット違うよね。頭良くないと無理だしね。¥・・・エリートだから、体育会系っぽいのを避けようとしてて、外科医目指す人減ってんじゃないのかねえ~??眼科とか皮膚科とか増えてるっつーじゃんね。

そう、私は子供に自衛官、消防士、救急救命士、警察、看護師、ここらを推しているんだけど・・というか、長男が体育会系だからそういう仕事が向いているだろうという、そういうのがあるのかもしれない。でも弟らはわかんないけど・・・。でも、やっぱり3.11あってから、こういう方々の働きに感動することが続き、茶の間で自然に「おまえらもこういう社会のためになる仕事についてくれ」という話になっているのは、大きいね。だって、彼ら、かっこよすぎじゃない?「男だ!」と思ったもんなあ・・・。わが命よりもだれかを何かを守るという姿は、今まだあったのか、と思ったの。

そうかー原発そのものをなくす、かあ・・・。でも現に廃炉作業は必要なんだし、処分場問題も同じでいくら即時停止にしても、本当にゼロになるまでの作業とかを何も考えてないよなあいつら、って思うんだ。

まあ、原発作業に行けとはいわないが、反原発なら、処分場問題を取り入れてくれといいたいね~。小泉さんにやらせればいいのだ。

Re: 向き不向きね!

医者も入ると思う。軍隊とはまた違う特殊な専門職だと思うけど。
外科って体育会系なのか!私あの天皇陛下の心臓手術?風船か何か使ってスタジオで実際にやってるとこ見たら、外科医って手先器用じゃないと無理だなって思った(^^;) でも眼科とかの手術も、素人から見るとすごい細かいけどね~

私にとって体育会系=根性あるって感じ。エリートとかもけっこう性格が体育会系の人は多いんじゃないかな~?だってもう小中学校のうちから、できる子は勉強も一番、部活でも選手って感じだもんね(かといってそんなにガツガツしてないの。しぜ~んな感じというか「好きだからやってます」って感じでやっちゃうんだよね~)

だねえ。やっぱり「プロとして人命救助する技術を持ってる」ってすごいよ!さらにお風呂とか設置しても、避難者のためで自分たちは入らないとか、とんでもなく体力使うのにご飯とか「避難者も満足に食べてないから」って隠れてレーション食べたりとか、そういう倫理感の高さっていうのもすごいしね。みんな「仕事ですから(お礼は入りません)」って言うでしょう(ブルインがあった仙台の基地の人、「ヘリが使えなくて助けられたはずの人も助けられなかった」って言ってるうち、思わずって感じで泣いてしまってたのが忘れられない(T_T) 津波のせいなのにさ~)どんだけ使命感が強いのかと。

ただ私やっぱし、「自衛官、消防士、救急救命士、警察、看護師」のうち、自衛官は存在意義がちょっと違うと思うんだわ。やっぱし原則論として自衛官は「戦争」=「命を奪う」ためにあるもんで、災害救助はその技術を真逆なことに応用している。極論だけど、本来は命を救うための医者が、その技術を生かして殺人している(中絶なんかまさにそうよね)のと同じというか。すっごい極論だし、それで被災地での自衛隊への感謝に変わりはないけどね。ただそういう「真逆なことに応用できる」のが人間社会の面白さだな~と。あ警察もそうかな?(まあ戦争だって「自国を防衛する」という意味ではまさに「自分の命よりも誰かを何かを守る」ではあるけど)

そう、私反原発の「原発を親の敵のように思って」っていうのがダメなんだわーーー。あまりにそのエネルギーが強いと逆に「原発がかわいそうじゃん」って思ってしまう(>▽<) できた経緯は色々だろうけど、基本的に私らのために電気を作ってくれてた物なのにさ~~~。その恩恵を受けてたのに、事故起こしたとたんそんなに力入れて嫌うなんて、あんまり非情じゃないかと(^^;) 自分たちの町に原発がないのは、たまたま豊かだったりしただけかもしれないのにさ~。私あの事故はやっぱり「津波のせい」ってまず思っちゃうんで、そのせいもあるかもだけど(他の理由はかなり結果論寄りだと思ってしまうのよね)
事故で町を追われたとか、生活の糧が奪われたとか、そういう、事故でほんとに実害を蒙った人たちがそう言うのは当たり前だと思うけど、「福島産はやめて○○産の食べ物を買いましょう」程度で済んでる人たちが、鬼の首とったかのように言うのはおかしいじゃんって思ってしまう。Kさんのいうとおり、「原発をなくすために何が必要か」っていう方向から行くならいいんだけど、「原発を憎むことでなくそう」という気分の問題にしちゃうと、原発~原発を受け入れた市町村~福島県~っていうふうに、どんどん憎む範囲が広がっていくだけな気もするのがヤなのよね。

親の敵ねえ~

そうだね~でも左翼って原理主義的な気がするので、K&Uさんが話せるサヨでよかったよ~逆に、K&Uさんみたいなサヨって、いるのだろうか?誰か著名なおすすめな人いたら教えてね。

自衛官、そうね。たしかに!その戦いのための・・のところが左翼はイヤなんだね。それから、原発だって、いずれ核戦争、っていうふうに言うからイヤなんだってのもあるんだろうし・・・。

それにしても秘密保護法案にしてもそうだが、リトマス試験紙というかひとつ反対だとすべてドミノのように反対する人生になっていくのが左翼のオソロシイところだ、というか、悲しいところだよと思う、最近、不安について考えるんだけど、これもブログにしようかなと思っていたんだが、「何かを,誰かを信じる気持ちが少ない人」が不安になるんじゃないかね。例えば、彼の愛情に不安てのも、彼を信じられないからだし、政府発表が不安てのも、政府を信じられない。

というと、きんぱっつあんの「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい」って切に思うし、反対ばかりの人は嘆くどまりで、人を信じて傷つきたくないっていうことなんじゃないだろうかなと思う。

でもさ・・・たとえば、彼が私を信じているから彼を信じるんじゃなくて、私が先に彼を信じるという生き方のほうが、ラクだし自然だし精神衛生上いいのになあと、思ってしまうんだ。まあ、国に対してもそうだけど・・・。

そしてコメントの最後の段落。。。。まさにそのとおりよね。その程度で済んでるひとたちが。よ。
謎だねえ・・・。どんな清い水の中で生きたいと思うんだろうかなと。自分も臓物と糞袋のカタマリなのにね。

そして、震災直後爆発渦中から、私は原発が気の毒だなあって思っていたよ。あれほど酷使してきて40年、(動物なら老人だ)、事故がひとたびおきたら、こんなにダメ出しされまくって・・。千と千尋だったか、忘れたけど、人のためにこんな化け物扱いされて、かわいそうだと思ったよ。だから「どうかお鎮まりください」って祈っていた。神と仏でいえば、神性に近いね。仏は慈悲だけだけれど、神はふつうは慈愛に満ちているがひとたびなにかあると人間に災厄をもたらすという・・・。

せっかく八百万の国なんだから、原発の気持ちとかに思いをはせる人が、もっといても、いいと思うんだよね。私は福島第一には、お疲れ様といいたいんだよ。そんなこというとまた工作員と言われるからあれだけど。

(なかなか、八重ちゃんにいけないよ~)

Re: 親の敵ねえ~

うん、右でも左でも原理主義的な考え方が嫌いっていうのもあるんだけど、会話が成り立ってるのはたぶんKさんが一貫して「同意はしないが理解はしよう」っていうスタンスで接してくれてるからだと思う。だから安心してKさんとは違う考えも話せるし、Kさんの考えに対しても「なるほど一理」って思うもんね。
著名な人・・・311前なら斎藤美奈子を挙げてたけど(^^;)今はう~~ん。。。ぱっと思いつくのは山田風太郎さんとか?エッセイとかだと、アル中ハイマーのトボけたじーちゃんって感じしかしないんだけど(>▽<)戦中派日記シリーズとかとあわせると、この人の「無常観」は筋金入りだなと。でもサヨって感じじゃないな。司馬遼はサヨ寄りだけど、この人も、世界を理解する時のビット数というかジグゾーパズルのピースがものすごく多いなあという感じがして信頼感が。でもどっちも、今この時代のあれこれの答えを直接言ってるわけじゃないけどね~死んでるから(^^;) 考え方というか物事を見る時のメガネみたいな感じで参考になる人って感じかな~??あ最近の人だと、堀井憲一郎さんは好きかも♪ ディズニー本で有名な人なんだけど、新書でいくつか出してる本読んだら、考え方がすごくしっくり来た!文体とか好みが分かれるかもだけど。

うん、元々の反原発ってそうだよね。原発=原爆っていう。
でも今回の事故って、それとは全然関係ないと思うんだけどね~;; 自衛隊の飛行機が墜落事故起こしたら「自衛隊をなくせ戦争なくせ」につながるのに、民間飛行機が墜落事故起こしても「飛行機なくせ」にはならないってのとかと同じようなもんを感じる。JALとかは自分たちも利用するからなくせとは言わないけどってことでしょ?そこでまた違和感が生じるんだよね。福島原発から受けてた恩恵(=電気)を考えたら、反対するにしても「憎む」方向にはいかないと思うんだけど、てことはとことん恩恵を感じてなかったんだなっていう。

うん、不安と不信は因果関係そのものだよね。ま根拠もないのにやみくもに信じるってのもどうかと思うけど、政府の人間だって自分と同じ人間で、思いつくことは(よっぽどの変人じゃない限り)そうそう変わらないと思えば、少なくとも全肯定や全否定はできないと思うんだけどねえ。未曾有の危機になった時「国民なんか救われなくてもいい」と思う政治家なんていないだろうし、その時に保身を考えない政治家もいないだろうし、その兼ね合いよね。プラスその時代の空気というか。私原発事故の時にあんなにゴタゴタになったのは、それだけ大きい未知の事故だったってのもあるし、巨大津波も同時発生して手が廻らなかったってのもあると思うけど、どの方向にも顔を立てなきゃいけない平時の民主主義をそのままやってたからってのもあるんじゃないかってうっすら思うんだわ。決して決して民主主義がいけないってんじゃなくてね。それだけ、今は民主主義が徹底してるいい時代なんだな~と改めて気づいたというか。ヤクザや軍隊が徹底した上意下達組織なのは、基本が非常時のための組織だから=非常時にすばやく動くためだろうしね。

そうなのよ、サヨの限界ってそれなのよね >人を信じて傷つきたくない
ほんとだったら風評で苦しむ生産者の方にシンパシーを抱くはずのサヨが、そうじゃなかったっていうのは、ちょっとショックだったなあ。。。でも近代化が行き渡ると全体的にそうなるのかもしれない。昔みたいに助け合わなくても生きていかれるかわり、自分を守るのは自分だけ、さもなきゃ自業自得みたいなのが行き渡ってね。良くも悪くも。

あっ!!やっぱしKさんもそう思ってた!? > 震災直後爆発渦中から、私は原発が気の毒だなあって思っていたよ。あれほど酷使してきて40年、(動物なら老人だ)、事故がひとたびおきたら、こんなにダメ出しされまくって・・。
なんかさ「ボールさんが痛くてかわいそうでしょ」っていう、「お前が痛々しいよ」的発言みたいで恥ずかしかったんだけど(*^^*)、でもやっぱしそう思っちゃうよね~~~
もしかしたら、政治的なウヨサヨ思想よりも、こういうとこで合う合わないの方が大きいのかもね。政治的な部分は置き換え可能だけど(私は311以降ちょっと置き換わっちゃったことは否めない;;)、こういう「どういうことをかわいそうと思うか」みたいな感覚はまた違うもんね。まあ「事情を知れば変わる」って部分かもしれないけど。原理主義的な人って、事情を「聞く耳持たん」みたいな感じがしちゃうから独善的に映るのよね。
(そういえば上で挙げたホリイさんも、私の直感では「原発気の毒」と思ってくれそうな人だ。そんで山風さんは反原発のあれこれを見て「人間の滑稽さよ(ワラ」って感じで、司馬遼さんは原発をぼーーだいなピースをもとに位置づけしつつ、廃炉までの道のりを示してくれそうって感じがする)

原発シニア隊とかさ、きっと「日本の未来を背負う新エネルギー」を作るぞっていうんで、色々賛否両論あっても、それこそ日本の未来を背負うような気持ちで関わってたと思うんだわ当時。今の原発の姿を見て、おそらく一番悲しんでる人たちだよね。なんかその気持ちを思うとさ(T_T)
今の原発事故から逆算して、当時のその気持ちを否定する気には全然なれないし、原発にもね。「お疲れ様」そのとおりだね~~~

オダジョいいね~~~!!ハマり役だよ♪
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斎藤美奈子の「憲法改正反対」

斎藤美奈子「たまには時事ネタ」からもいくつか抜粋してあります。 本日はそのうち、憲法ネタについてです。
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