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八重の桜ノベライズ4巻

今週の八重の桜は見れなかったので、かわりにというわけでもないですが「八重の桜」第4巻の感想を。

本当は買わないつもりだった「八重の桜」ノベライズ最終巻。
いや会津編(1~2巻)までは買ってたんですよ。字で読まないとわからんところが多かったし、何よりも早く続きを知りたくて知りたくてという、純粋なワクワク感があって♪

けど京都編はね。普通に面白いけど、まあそんなに買ってまで先を知りたいとかはないかな~と。
とか思ってるうちに、回を重ねるごとに「なんか違う」と、自分の中の会津編と明治編を繋ぐ糸のようなもんが、あちらこちらで途切れるような感覚に襲われることが多くなり、ついに先日「薩摩の女学生」で、最後に残ってた5本くらいの糸が一度にバッサリ切れたような感覚に

しかもツイッターとかを見ると、この先さらなる絶望が待っているようで
「会津編が好きだった人は、むしろこの先を知っておいて今からショック耐性をつけといた方がいい」
という悲劇的な声まで
ショックを受けるのがわかっていてお金を払うとか、なんという罰ゲーム。てか八重の桜がそんな罰ゲームのような代物になろうとは、1年前の今頃は思ってもみなかったな~。放映開始をただワクワクと待ちわびていたあの頃が懐かしい・・・
等々、色々遠い目になりつつも、こないだとうとうノベライズ最終巻購入;;
「この門をくぐるものは一切の望みを捨てよ」と最初のページに書かれてあるつもりで、おそるおそる読み始めたら・・・
(以下ネタバレ多々ですのでご注意!)

意外や意外!面白かったんですよ!!

というのもこれからは、「いよいよ本格的体制作りが始動する中央政府」「槇村vs.覚馬を軸にした京都府議会=地方自治」「同志社を大学にするための資金繰り等=大学の自治」と、この3本柱がどことなく相似形を描きあい、絡み合いながら1つの物語を構築していくわけです。
(そういえば「自由自治元年」の旗をおっ立てて突き進んだ「獅子の時代」の秩父事件も、このころですね)
自由民権運動、国会開設、条約改正、徴兵制度、教育勅語、そして想像以上にページを割いて描かれていた日清戦争e.t.c...と中央視点の歴史の流れが描かれる一方、その中央の事情をモロにかぶる地方自治体の様子を、まるで昨今の政局争いの縮図のような槇村と覚馬でもって描き、その合間に東大・早稲田・慶応などの大学や創設者や学生たち、政府関係者など、新時代の価値観の担い手諸々が続々お目見えしてきたりすると、色んな人が入り乱れ、いつしか大きな流れになっていったあの会津編の緊張感を再び思い出すと同時に、「ああ明治だなあ」という、時代に対する感慨深さも沸き起こり。

この緊張感、時代に対する感慨深さ、これぞ大河の醍醐味!

会津編ファンとしては、その後の会津人たちがサヨナラ公演として、ひととおり顔見世興行してくれるのもうれしいですね♪
殿、照姫、頼母、秋月、広沢、斉藤、時尾、ユキ、二葉、うらe.t.c.e.t.c....
気分は「いよっ!待ってました!」と大向こうから声をかける観客です まさかの徳造&お吉まで!うれし~~ 亡き梶原平馬のかわりに出てきたテイさんにいたっては、果たして何人が覚えているのだろうか?(てっきり覚馬&うらに次ぐ泥沼展開になるかと思いきや、通行人として1回出たきりでしたね

中でもひときわ声援を送りたくなるのが、浩&健次郎の山川兄弟。ノベライズ最終巻で、会津編ファンの思いを一身に背負う役割がこの2人に。
てかさ~~~、本当はこれ、八重ちゃんがやるはずの役回りよね なんたって「あなたは、会津そのものだから~!」なんだからさ。
それが今や、八重に向かってそう叫んだ浩が会津そのものになってるという;;かわいそうでしょ浩が!報われなさすぎて←と言いつつなぜか笑ってしまうのはキャラのせいか

浩はともかく(←ヒドイ)、史実の八重さんもこれじゃちょっと報われなくありませんか?
実際は、遠い京都で様々な偏見にあいつつも、プライドを持って「生涯一会津女」を貫いたであろう人だったのに。。。まるで真逆に描かれている感じがします。おかげで「新時代になったら早々に会津を捨てて、京都で新生活を謳歌した人」という従来イメージの固定化にすらつながっちゃってる感じ。加えて従来イメージ「悪妻」というのも、キャラに深みや説得力がなかったせいで、まんまになってる感じ;;
たぶん製作側は、八重さんを悪者にしないようにとか、「善意の配慮」でそういうキャラに「改良」したつもりなのかもしれません。けどそれって裏返せば「史実の八重さんの良い面が汲み取れず、従来どおりのイメージを従来どおりに受け取っていた」ということに他ならないわけで。それじゃあ「改良」した結果、逆に従来の「悪妻イメージ」補強に一役買っちゃってるように見えるのも論理的帰結、むべなるかなよね。
史実に嘘ついて良さげにするのと、「なんでこれが悪妻なのよ!いい奥さんじゃん」と史実を別な面から見て擁護するのとじゃ、話は全然違います。前者は美化と言いますが、後者は史観の違いです。で私は後者で描くとばかり思ってたんですよね、八重ちゃんを(だってそういう新解釈がなかったら、なんでわざわざドラマ化する必要が?)
けどこの大河は、特に京都編は、そうじゃなかった。。。

そう、面白かったと言っても京都編での、主に八重ちゃん周りに対する違和感は、ここでも変わりません;;
特に43話なんか「吉本新喜劇か?」と いやほんと、あれ読んだ瞬間盛大にコケてそのまま坂道でローリングストーン化するくらいのオチ具合でしたよ私の中では。その直前が吉本新喜劇どころか、浩渾身のぶつかり合いの場面、あの(私にとってのみ神回だった)西南戦争での魂の叫びに匹敵する場面だったので、余計に「八重ちゃんあんたは出てこなくてヨシ」感が
それだけならまだしも、そんなんで一丁上がり的に和解するとか、安ううう。このやっすいドラマ形式はどうにかならんもんか。そもそもどうして「会津の怒り」とか「悔しさ」みたいなそういうもんを、ことごとく安くお手軽に扱うのか?(「薩摩の女学生」とかさ~~;;) そういうのを大きく昇華させるために「生涯一会津女」だった八重さんを主人公にして、会津編をあんだけ描いたんだと思ってたのに ついでにここでも魂の叫びを八重によって無にされる浩あわれ(ってついで呼ばわり

ほんとだったら「あなたは会津そのものだから」の八重さんが、「会津の怒り」や「悔しさ」みたいなものをしっかり表現して、そのかわりに「いやそうは言ってもね」ってブレる対比キャラを浩あたりにお願いすればいいんですよね。浩は脇キャラだし中央政府にも食い込んでる立場なんだから、そういう相対化にはうってつけのはず。今はなぜか主役の八重ちゃんがブレちゃって、脇役の浩が会津そのものになってるけど。
主役の行動を見て、視聴者が脇キャラとともにあれこれ批判なりブレるなりするのはスタンダードです。だいたいキャラの立った主役っていうのは、視聴者の夢や希望を体現する存在である一方、それだけキャラへの反発も強まるわけだから、たいてい脇に1人や2人「俺は主役にはなれねえ」という影の存在、視聴者の現実やら反発やらを背負う役割のがいるもんです。って知ったのは「サルでも描けるまんが教室」でしたけど カッコいい番長の横には「おやび~ん」という情けない子分が、宮本武蔵の横には又八が、モーツァルトの横にはサリエリが、といった具合に、視聴者を納得させるための「影の主役」が。
でもね~、主役がブレちゃダメでしょうと。主役がブレたら同時にそれまで構築してきた世界観もブレちゃいませんか?それとももしやこれが本来の目的だった??あの長い長ーい会津編は、次の朝寝坊するうっかり官兵衛のドジっぷりを際立たせるため、後で嗤うための、殿との長ーい感激飲酒シーンと同じ意味だったってことかしら?(ヤバイ冗談のつもりで言ってたら腹立ってきたぞ

といった違和感は色々あるのですが、ただ最終巻は、ホームドラマ形式の比重が大きかったこれまでと違って、時代のうねりというか、「より大きな感じ」が加わったので、その点ちょっと会津編の感触に戻ったかなと。ジョーの死去という重大事件もありますしね。いやあ最終巻でのジョーを見てたら「今いっぱい大学があって自由に学べる私たちの幸せは、こういう人たちのおかげなんだな」とか素直に。

徳富君もすっかり欠かせないキャラになって。いや徳富兄弟か。そうそう最終巻では、山本家も色々すごいことになってきますね。無理にドラマを作らなくてもドラマ性あるエピソード山盛りなので、純粋にドラマとして面白そうです。徳富蘇峰も、わりとジャーナリズムの功罪とか、「人心の流れ」とか、現代とも直結するところがあって、色々物を思わせられます。

と、あれこれ言ってきましたけど、最終巻では総まとめとして
「会津はどうすればよかったのか」すなわち「この世から戦争はどうすればなくなるのか」
という問いかけがどーんと出てきます。そして問いかけたまま終わっていくという。
言ってみれば今回の大河ドラマは、主人公に感情移入させてその世界を疑似体験させるという、主観一人称小説、すなわちアトラクションとしてのドラマではなく、「会津藩」をまな板に乗せて、解剖し内臓を並べて色々解説した結果「さてあなたはこの問題についてどう思いましたか?200字以内で答えなさい」といった、客観的・論述テスト的ドラマなのかもしれませんね。
そういう客観的(=他人事)なドラマっていうのは、個人的な嗜好としては決して嫌いじゃないです。むしろ好きです。あれこれ分析して、ちょっと思考の幅が広がったような気になれるから。その意味では「八重の桜」興味深い大河ドラマであることは確かです。地元の1人としては「舞台の上だと喜んでたら、実はまな板の上だったとは」という一抹の寂寥感はぬぐえないものの。
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

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