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八重の桜第40話

先週、自分の中のウヨサヨ戦争が勃発してしまって、どう受け止めていいかわからなかった八重の土下座問題
どう受け止めていいかわからないと、自然、そのことについて折に触れ悶々と考える=戦争継続することとなり。
で悶々と1週間たった今では、7:3の割合で「あれはやっぱしおかしいでしょう」というウヨが優勢になってきてます(困ったもんだ) 

こういうわけわからん状態の時に、別のものに置き換えて考えてみるっていうのはポピュラーな理解方法だと思います。
で私も考えました、こんな例えで。
「日中戦争で死んだ中国人兵士の家族が、相手の日本兵に「お前のせいで死んだ」と言う」
これは・・・アリかな。うんアリだ。
「沖縄戦で死んだアメリカ人兵士の家族が、相手の日本兵(というか地元の防衛隊)に「お前のせいで死んだ」と言う」
ナイナイナイナイナイわーーこれはない!!!

「これのどこがウヨだ」「サヨ以外の何物でもない」と人によってはお怒りかもしれませんが、こう思ってしまうんだから仕方がない
それはさておき、上記2例で反応が違うポイントは私の場合、相手の国籍によるものではなく、アウェイかホームかってことによります。
すごくざっくり言うと日中戦争は日本が侵略側、沖縄戦はアメリカが侵略側。侵略した側は「招かれざる客」以外の何者でもなく、さらに侵略した側で死ぬのは殺し殺される役目を持った兵士だけですけど、侵略された側は自分の町が戦場です。田畑も一般人もおかまいなし。
そうやって勝手に来て町を破壊した挙句「お前のせいで死んだ」とか言ってる奴がいたら、どこのジャイアンかって話ですよ。正当防衛じゃないのこれ?盗人猛々しいとはこのことだ~~~

やっぱ日本vs.米中だと色々アレかな? 中国はその後勝って満州引き上げとかまた色々あったしね~;;
じゃあまったくの他人事ってことで、アメリカvs.イラクとかはどうでしょ?アメリカ側の理由がなんだったのか、イマイチ私にはわからないままですが、とりあえずあんだけ強引なやり方で戦争を仕掛けてイラクに乗り込んでったアメリカ兵の家族が、自分の国を守ろうとした元イラク兵に向かって「お前のせいで死んだ」・・・いやいやいややっぱしありえないでしょーーー
もしそんなこと言うのだとしたら、それはまったく「勝者による敗者いじめ」、あるいは「思いっきり相手国を見下してる」としか思えません。「「正義」のためにやむなく殺した」とかじゃなく、「侵略されて当然、殺されて当然な奴らなのに、なんでそいつらに逆に殺されなきゃなんないんだ」と思ってるからそう言えるんだという。
そこで「ああなるほど」と思ったのが、「会津は賊軍と教えられたんじゃないのか?」という八重の言葉にうなずくリッちゃん。ドラマ見てた時は「そりゃそうだろな」と思ってほとんどスルーだったけど、なるほどこれが重要だったんだな 西郷どんや岩倉たちのようなカッコつきの「正義」じゃなく、「絶対正義」だと心底信じることができれば、こういう思考回路になるんだなと。
(加えてリッちゃんの場合は、女に殺されたという「不名誉」から脱するために、人一倍それが強くなっちゃったのかもしれませんが)

ここまでぐるぐる考えて、やっと土下座も飲み込めるという ていうか考えてみると、土下座というリアクションよりも、そういう恨みを持つリッちゃんの方に、上記のように「おかしいやろ!!!」と納得いってなかった感じ。
しかし「ああリッちゃんは「侵略側の独善性」を体現してるんだな」と勝手な理解をして納得いった今は(たぶん製作者側は「戦争はどっちもどっち」的な意図で描いたんでしょうが まあ確かにどっちもどっちな面もあるんでしょうけど、アウェイかホームかで戦争に対する概念も随分違う気がするな~)、リアクションは土下座でも何でもいいです。例えばそこで最大級の謝罪をするイラク兵がいたら「できた人だな」と思うし、逆に「お前らが来なきゃ俺の家族も殺されなかったんだよ」と言い返したら「そうだよなあ」と思うし、アメリカ兵家族の痛みと自分たちの痛み、ともに大事にしたいからノーリアクションだったら、とってもその気持ちはわかる気がします。できれば八重ちゃんもその場はノーリアクションで、看護して心が通じ合った結果として詫びてほしかったけど。

長々どうでもいい、終わったことを書いて、しかしちょっとスッキリした「八重の桜」
しかし今週の八重の桜は・・・すみません、自分の中にあった会津編から持ち越されていた糸が、先週でぷっつり切れた感があるせいか(堪忍袋の緒ではありません。あくまでも緊張の糸とか、連続感とかそういうもの)、どうにもドラマに感情移入できず。ドラマって、積極的に感情移入しに行かないと楽しく見れないんですね;;

興味深かったところはいくつかあって、まず最初の頃の府議会。ええ~~~立候補してないのに当選!?けっこうヤじゃないですかそれ??こういう、今ならええっ!?と思うような試行錯誤あれこれが蓄積された結果が、現代なんだな~と改めて。
子供の頃ベルばらで、ロベスピエールや黒い騎士が「三部会!三部会!」と3つの身分が一堂に会する「議会」設立に必死になっていたのを「それってそんなに重要なことなの?」と思い、また一方アントワネットが「国王様の権限を奪おうとするなんて、ほとんど反逆罪!」とばかりに三部会に反対してるのを「なんで三部会ごときが「王家への反逆」になるの?」と思い、いずれにせよそんなに「議会」ってもんが重大なのかと不思議だったのですが、今はもちろんわかります。「選挙で選ばれた民意の代表者による議会で物事を決める」って、輝かしき民主主義の第1歩で、贅沢し放題の国王とかいらなくなりますもんね
しかしそんなベルばらや今回のドラマみたいに「民意だ議会だ新しい夜明けだ」みたいな受け止め方一辺倒も、今ではもはやできないな~と。その裏にある「選挙や民主主義の危うさ」みたいなもんも、その後の歴史の蓄積でわかっちゃってますからね~。
例えば日本があの負け戦に突き進んでいったのは昭和初期、それまでの、納税額による制限選挙が撤廃されて、25歳以上の男子による普通選挙が実施されたことも一因だと聞いたことがあります、風の噂に これにより有権者が急に、しかもどえらく増えて、徳富君の言ってた「世論」が、いよいよバカにできない力を持ち始めたんですよね。ましてやその「世論」が、折りしも不景気やら外圧やらでルサンチマンがたまりまくっていて「彼我の違いとかよくわかんないけど、いっそ戦争でも起こって世の中ひっくり返っちまえばいいんだ」とかだったら・・・(ていうか徳富君もその世論を煽ってた方だけど) 
いや別に覚馬やロベスピエールたちが「選挙!議会!未来は輝いてる!」的な受け止め方するのはいいんです。「管見」=「未知なものへの夢」な時代で、試行錯誤の時代なんですから。現代人としては「ああこのころはまぶしかったんだな」と思うと同時に、せっかくこの時代に得た大事な道具なんだから、注意して使わないと、と改めて思うばかりです。(それにしてもあんつぁまって人望あったのね~)

寺島とジョーも、なんだかウヨサヨみたいだな~と。どちらも「日本の未来を思えばこそ」で、ただ手段というか視点が違うだけなんですよね(八重の桜は、こういう対立が繰り返し描かれてるな~)。
しかしジョーの板ばさみぶりは気の毒;;確か死ぬのも金策で駆けずり回ってた時だったし、心臓悪化もきっとこの板ばさみ具合と無縁ではなかったでしょうね。
しかしそんなふうに、存続さえ危うかった一私学が、今や西日本を代表する大学の1つなんですから、やっぱり立派な先生だったんでしょうねジョーは。「死せるジョー、生ける卒業生たちを走らす」みたいな。

今回は熊本バンドも卒業しましたね。
余談ですが、「八重の桜」展で、同窓生が八重に宛てた手紙がありました。生徒たちの名前をよく知らないので第何期生かはわかりませんでしたが、手紙いわく「ジョー先生を偲ぶ会で集まりましたが、この記念に、全員一致で八重夫人に手紙を書こうということになり」(うろ覚え)。
先生の死後、生徒たちが偲んで集まるというのはまあそれほど珍しくないのかもしれません(でも「すごく慕われてたんだな~」とは思います)。けどその席上で「先生の奥さんに手紙を書こう」って、しかも全会一致でって空気になるのは、そうそうないんじゃないかな~と。家に招き、クッキーを焼き、服を作りと、肝っ玉母さんのように生徒たちの面倒を見て、ジョー先生同様に慕われていた八重さんの姿が伺えるような

なのにドラマの八重ちゃんは、やっぱり糸が切れちゃったせいか、ど~~も感情移入できないんですよね;;アリス先生への「お言葉が過ぎるのでは」とか、なんであんな不快な言い方するのかしらん?「常にジョーをかばう気持ちがある」&「物事をはっきり言う」というキャラ設定から導き出される表現が「ケンカ腰」って、いやそりゃ違うでしょ~~~ もうちょっと穏やかに言っても、キャラ設定は崩れないと思いますよ~~。こないだの「いきなりなぎなた」もそうだけど、表現方法が「なんか違う」、っていうか、ぶっちゃけ「浅はか」キャラに見えちゃいます八重ちゃんが;;

今回のサブタイトル「妻のはったり」も、はっきり言ってよくわかりませんでした このエピソードを入れることで製作側は何を言いたいのか?みたいなとこが(別にはったりかまさなくてもジョーをかばうセリフはいくらでもあるだろし)
サブタイにするくらいだから(製作側には)きっと重要なことなんでしょうけど、意図も重要度も必然性もまったくわからんかったです 単に「やっぱり八重さんは私に勇気をくれる」ってセリフを言いたかった?まさか「自責の杖も、八重ちゃんのはったりがあったからできたことだ」とか??だとしたら、尚さんの「会津戦記」を思い出してなんだかな~です。何でそんなよくわからん創作エピを、わざわざ史実にくっつける必要があるのか?史実だけで充分納得いくと思うんだけど、と。

とはいえ「自責の杖」は、やっぱし信仰のない現代人なんで、納得というより「ジョーってすごいな~」とポカーンと口開けて見てた感じですけど いやでも当時の学生もそうだったんじゃないかな~。「結果的に「あてつけ」というんじゃなかろうかこういうのは」とか思っちゃいました
もうちょっとジョー寄りに、例えば「これでもう同志社は終わりだ」くらいの絶望感があったとか、そういうジョーの内面を描けば、あれくらいやっちゃうかな~とうっすら納得しなくもなかったんじゃ・・・と思います。妻のハッタリがあったおかげだとか、創作エピソードを理由にしてさらに不可解にするよりはさ~

そうそう徳富君への贈る言葉「思い上がんなよ」(意訳
これはいかにも教育者っぽい感じがしてよかったですね~。一人ひとりの個性をちゃんと見て、ついつい教育的指導をしてしまうという。生徒がオヤジになっても、先生がヨボヨボになっても、こういう姿をみると、やっぱり先生は先生だなあという感じがしちゃいますね~。

というわけで、文句ばっか言ってすみませんの第40回でしたm()m
あと10回か、早いなあ。
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

No title

こんにちは~~

たしかに、「はったりがどうした」ですよね~!!&結局はジョーの弱腰にみな心が離れるという・・。
私にはどうもやさ男ジョーにしか見えずに、感情移入ができないのね・・・。あの手の甲たたきも、どう?普通折れない?手加減?のような(冷

あとは、あんつぁまが当選てのも、すごい・・・。でもこういうシステムだと本当に人望のある人がなれるわけでしょ。
「やる気」と「人望」どちらが大事なのかという問題はあるが・・・。

きょうは小4の参加日で学級会だったのですが、(話し合い)こんどの学校のイベントみたいなのに、クラスとして出し物をいろいろするのを、どうやって決めるか?いついて意見を子供が言うんだけど、「好きなモノ」「くじ」「順番」「班ごとに」とか意見が出るが、圧倒的に「好きなモノ」が多いのね。で、理由として、「くじとか順番とかだと、自分のやりたくないモノにあたってしまって悲しい」「自分のやりたいものなら頑張れそう」と、子供たちが異口同音に手を挙げて述べる訳よ。・・・・「やる気」って大事なんだなあと、よく教育論者のエッセイとか読んで「勉強しろはダメ。本人のやる気が・・」みたいなのの、意味がやっと本日わかったきがした。子供は好きなことには全身全霊を傾ける生き物なのね。
(で、半分で双子の別なクラスにいったので、結末は見ていない)

今の政治家なんてやる気でだけなっているわけでしょ。で、たなぼたで首相になった福田さんが目も当てられない放り出し方を見ると、やはりなあ・・・やる気って・・・とか思うわけだ。

(って、全然関係ない話題になってるごめん!)

→だってなんかさあ、いまいち、私ものれないんだよな・・。あと2カ月かあ・・・。やっぱりジョーがもう少しなんとかならんんかい!と思ってしまうのよね。

ウヨサヨはね・・・。わたしも結論出ないね。やはり、キリスト教をもってして、どこまで世界平和に導けるんだっつーのという、そこがね。

東京プリズンのことまた、書き写したの連絡するからね。
アメリカ人にとってイエスも人だけど神だっつうなら
日本人にとってヒロヒロも人だけど神っていうのをなんら貶められる必要はないってことを主人公に言わせています。

そのとおりと思うね。

Re: No title

こんにちは~♪

ジョー、実際の杖は折れてたもんね (((( ;゚Д゚)))(まあ想像より細い杖だったけど)
しかしそれを大事に取っておくところがよくわからん(^^;) イエスの遺体をくるんだ布をとっとくみたいな感覚??
ジョーはね~、今はひたすら優男なだけのキャラだけど、たぶんこれからが見せ場だと思う!心臓も悪くなるし、最後の死に方もかなり壮絶だから;;「あの優しいだけだったジョーが」みたいな感じで、どれくらい鬼気迫る演技を見せてくれるか、期待してる♪

あんつぁまもびっくりだよね(@o@) 正直、そんなに人望があったのかと今更ながら(^^;)
立候補ナシでっていうのは、個人的にPTAの役員決めとか思い出してゾゾゾだったんだけど(>▽<)、確かに民意がより正確に反映されるシステムではあるよね(まあ「民意」自体のパイが小さいから成り立つものでもあるんだろうけど)。

へ~~~なるほどね~~>「好きなもの」
確かにその方がやる気が出るし、やる気があったらより素晴らしいものにはなるだろうな~。
私とかついつい「長い人生やりたくないものだってやんなきゃいけないの!今はそのための練習期間なの!」とか上から説教してしまうからなあ;;「宿題」とか「お風呂」とかさ~~
(てか今更こんな説教をしている時点で、幼児時代のしつけに失敗した感が(^^;)) 

>キリスト教をもってして、どこまで世界平和に導けるんだっつーのという、そこがね。
そう!それそれ!結局、「自分の命のために他の命を食う」っていう原罪を持った人間のための、人間による宗教だからさ~。「無理だろ」って思っちゃうよ(^^;)
もしかしたら、世界がすべてキリスト教徒になればとりあえず平和になるのかもしれないけどね。皆同じ価値観を持って、同じルールに従えるならさ。
しかしそのためには他宗教との戦争必須で、さらに言えば、そうして一元化されても、今度はちょっとの宗派の違いで激しい内ゲバになるよね。一元化されればされるほど。ウヨサヨも価値観の違いだから、同じよね。
「八重の桜」でも、「キリスト教」の他に「教育」とか「議会」とか、「これさえあれば世の中平和に」みたいな希望に満ちたものとして描かれてるツールがあるじゃない?「ああ当時はまぶしかったんだな」って思ってしまう。。。今はもう「これさえあれば人々は全員夢と魔法の王国に」みたいなもんは存在しないってわかってるもんね。

そういえば誰だっけかがどっかの本で書いてたんだけど(←このうろ覚え(^^;))
伊藤博文が明治憲法を作る時、たぶん彼はヨーロッパで、西欧近代社会を支えているのはキリスト教だと肌で感じたんじゃないかと(あんつぁまが言ってた「西洋の物には、その底に必ずキリスト教がくっついてる」ってやつだね)。
で宗教がそんなにガツンと強くない日本がそれに対抗するためにはってんで、わざわざ「大日本帝国は万世一系の天皇が統治する国」って規定したんじゃないかと言うのね。つまり日本版キリスト教・・・っていうと語弊があるかな、日本的絶対神概念の誕生ね。
そう聞くと、それが第二次世界大戦とかああいう、どんどん追い詰められた結果ああなっちゃうのは、まあ自然かなと。元々の、できた経緯がそうなら、転がりようによってはそうなっちゃうよなあとか。「絶対神」とか、たぶん日本にはあんまなじまない感覚だもん。だから頭で理解しようとすると、暴走しやすい「机上の空論」てやつになっちゃったりとかね。初期の熊本バンドみたいな(^^;)
ここら辺の憲法制定あたりのことも、もしかしたら「八重の桜」で出てこないかな~と期待してるんだ。伊藤博文も出てるしね♪ ただ、「視聴率のために!」ってんでホームドラマを貫く恐れもあるから、期待しすぎないようにはしてるけど(T_T)(個人的には、ここら辺を描かないで何のための明治大河ドラマだと思っちゃうんけどね)
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