なんだかウヨサヨな八重の桜

八重の桜・第39話は、正直「この話をどう受け止めたらいいのかわからない」という感じでした。
しかし「どう受け止めようと私の自由で正解はない」という信念のもと、感想を書いてみたいと思います。。。

なんでこの話が「どう受け止めたらいいのかわからない」になるのか。
卑小な例で言えば、私の中のウヨとサヨが戦ってるって感じだからだと思います。
ウヨとサヨってあくまでも例ですけど、端的にわかりやすく現れるのはやっぱり先の戦争、すなわち日中戦争も含めた太平洋戦争の受け止め方ですよね。サヨ=戦争嫌い、ナショナリズム嫌い、日本は加害者でもあるe.t.c.みたいな。
で私は基本的にサヨなのです。いくら日本は日本で必死だったと言っても、中国や韓国から見たら「それはお前の事情だろう。こっちは単に迷惑なんですけど」であって。今子連れvs.非子連れの論争とかが頭に浮かんでますけどそれはさておき。
そういう「日本は加害者でもある」という視点は、忘れちゃいけないなとかねがね思ってました。それがないと独りよがりになってしまうし、同じことを繰り返す可能性も高くなるだろうと。

だから八重ちゃんが「あなたのお父さんを殺しちゃってごめんなさい」と土下座するのは、サヨとしてはアリでした。大アリでした。だってベビーカーがいるから狭いとかのレベルじゃなく、死んでるんですもん 同じように、日本の勝手な理屈で国を踏みにじられた中国や韓国には、日本人としてほんと申し訳ない気持ちでいました。

しかし3.11以降、私の中で一部ひっくり返っちゃったとこがあるのです。「日本人として」ってとこですけど。
ここら辺は、前にもちょろっと書いたのでここで長々やるのはやめときますが、要は
「私が「申し訳ない」と本気で思ってたつもりだったのは「日本人として」じゃなく、「自分とは関係ない昔の日本人がやったこと」だから、大した痛みもなく「悪いことした」ってオリコウサンに思うことができただけなんじゃないか。自分が当時の日本人だったら「こっちだってあんな目に遭ったのに、この上なんで「日本は加害者だ」とまで言われなきゃいけないのか」と、悔しさ無念さが先に立って、心情的に納得いかなかったかもしれない」
と、その悔しさ無念さなどを含め初めて実感として思ってしまったということです。もっとも昭和2年生まれの父&昭和7年生まれの母は、揃って「やっぱ日本は悪いことした」と思ってましたから、自分が当時の日本人だったらどう思ってたか、やっぱりわかりませんけど。

私の中ではこういう心情は「ウヨ」に分類されてます。そして今回の話はまさに、そのウヨとサヨのせめぎあいを喚起させるものだったんですよね~。
だってこっちだって、おとっつぁまや三郎を、その薩摩兵に殺されてるかもしれないんですよ。しかもそっちが会津に攻め込んで来たんじゃないの。勝手に攻め込んできて皆を殺して、そんで「殺された」って言うなら、攻めてくんなよ!

自分に関係ない、遠いとこならいくらでも理性を働かせて言えるサヨ言説とは違い、ウヨ言説は情念100%です いやこれはウヨへの偏見かも サヨだって自分に近ければ近いほど被害者意識全開ですからね~。元々被害者=弱者意識が強いからサヨになるんですし。
それはともあれ、こういう心情が一方にあるので、八重ちゃんの土下座は「どう受け止めたらいいのか」でした、賛同と拒否がないまぜで。
こういうのって、どちらの立場にシンパシーか、それによって真逆な感想になっちゃうんですよね、どちらが正しいとかそういうわけじゃなく。そんで往々にして、そのどちらも自分の中にあって。

余談ですが、その後の「いつまでそんなことしてんだ」っていう八重ちゃんのタンカもね~;;「早く元気になって私に報復しろ」というタンカそのものはよかったんだけど、土下座の後だったから感慨半分です。「いつまでそんなこと」って土下座するほど悪かったと思ってる人が言うことじゃないだろうと もちろん「わざとそういう強いこと言ってハッパかけてる」ってシーンなのは、頭ではわかりますよ~~。けど、せめて薩摩の女学生にカミングアウトされた八重が、裏では自分の罪を神様に祈っていて、だけど女学生の前ではそんな懺悔のそぶりも見せずに強気、とかなら「わざとだ」というのがよ~く伝わったと思いますが、あれじゃ逆ギレにしか見えませんでした、私には

そう、キリスト教の扱いもね~~~。なんでここでせっかくのキリスト教を出さない!?八重ちゃんの罪の意識を描くのに、これほど最適なもんはないじゃないか、と、それも残念で仕方ありませんでした。たぶん八重ちゃんが改宗したのは、ジョーと同じ宗教にっていうこと以外に、きっとそれもあったと思うんですよね~~。まあドラマでは、加害者・八重と被害者・リツをともに慈しむ佐久がそこを受け持ってましたけど。

しかも2人(というかリッちゃん)やけにあっさり和解しちゃうし。言ってることはいちいちごもっともなセリフで、かつ個人的にこういうのはすごく好きなテーマなので、それだけに、セリフが書き割り感満載で、さらにそのセリフですべてを説明→そのセリフで納得する登場人物という、説得力まるでなしな展開だったのが、残念でした 時間がないから仕方ないのかな??
(だからと言って「会津編が長すぎた」とは思いません。あの会津編あるからこそ今の展開を残念にも思うわけで、純粋に「時間が足りない」という感じです。しかし1年間のドラマを「時間が足りない」と思わせるのは大したもんだと)

史実どおり、八重が薩摩の学生を招かず、それまで八重の理解者だったジョーさんとも思いっきり喧嘩して(ジョーの理解が、サヨ的にどっか遠いところで止まっていたというのもよくわかる)、色んな葛藤の末、八重がその恨みつらみを乗り越えて薩摩の学生も家に招くようになる、という話が見たかったとつくづく思います。だって今までジョーの要求にはほとんど逆らわなかった八重さんが、初めてこれでジョーと大喧嘩するんですよ~!それだけ八重さんの中で大きかったってことなのに・・・創作が史実に及ばない歴史ドラマほど、がっかりするものはなし
(「清らにたかく」では、その辺がしっかりと、頭ではわかっているのにどうしても薩摩の学生を家によべない八重の苦痛までも描かれていたんですけどね~)

あ、山川はよかったですね♪ 「会津の気持ちがおわかりいただけたかな」っていう。
やっぱり「贖罪」とかって、ほんとのところは、同じ地平に立たないとわからないってとこが絶対的にありますもんね。。。「同じ体験をする」じゃなくて、「同じ地平に立つ」(ただし同じ体験をした方が同じ地平に立ちやすいということはあると思いますが。また同じ地平にいない、わからないからこそ力になれるっていうのも、多々あるとは思いますが)。一番欲しいのは謝罪とか賠償とかそういうことじゃなく「おわかりいただくこと」なんですよね。そうしてやっとスタート地点だっていう。でさらに言っちゃうとサヨってわりとこういう時「わかったつもり」になりやすくて。(一方ウヨは「そもそもわかるつもりはない」みたいな。え?偏見?

今回の話を見ながら一番思い出したのは、おそらくサカキバラ事件を下敷きにした「アイシテル~海溶~」というマンガでした。被害者の母と加害者の母が、まさに「海溶」するまでを描く、とっても読み応えあるマンガで(確か照姫さまによるドラマ化もされましたね)。
個人の、しかも少年事件と、内乱・戦争という国家的事件という違いはあるにしろ、今回の八重の桜は残念ながら、このマンガほどの「海容」は描かれてなかったと思わざるを得ませんでした。。。

熊本の女学生たちは「うわキッツ~」でしたけど「青春」って感じもするのが救われてました。しかし「マナーなら」でいきなりなぎなた始めちゃうのはナイわ~~ナイナイ 「まずはうちとけないと」って八重ちゃん、うまくいったみたいな顔してるけど、全然アリス先生打ち解けてないから!むしろ怒ってるから!そりゃ怒るわ
余談ですが、剣道部だけど礼儀作法はまったく身についてないKKいわく「剣道はなぎなたには勝てない」んだそうですヘ~~ なぎなた=女子供がやるというイメージがあったんですが、意外と戦闘力あるのね~!
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信者の心、武士の心

こんにちは~
これおもしろいよ~~
https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/7761/1/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E3%80%80%E6%99%BA%E5%AD%90.pdf

ジョーとは14年しか結婚生活なかったなんて、びっくりだね。
あまりに薩摩の娘受け入れすぎだったよね、コレ読むと感じるよね。やっぱ時間??なさすぎ?でも今回のほうが神回より、視聴率よいんでしょう・?やっぱりみんな会津魂にあきてきたのかいなあなんて思うんだよなあ。

でもこの論文だと、どうも、武士の心をキリスト教より下に見ている気がして、それが私には気になったなあ~

で、あまちゃんのあの復興への確かな道筋というのに比べて、八重ちゃんのほうは、厳しい気がするね、全部あまちゃんにもってかれちゃったって言っていた人がいたけれど・・・。
たしかに大河としてはおもしろいけれど、見た後にずーーーーーんと引きずるものとか、重ねてしまうものがあるからか・・・。

これをあとちょっとで、どうやって昇華するかだよね。

でも、男女席を同じうせず とかでは、全然ないのね!(そういうものか??)

No title

前回が神がかっていたのでかなり拍子抜けです。下世話な話ですがお金かかってない感じがちょっとタルイ。(金かけりゃいいってもんじゃないですが)初めてリアルタイムで寝そうになっちゃいました。こうやって一話完結エピソードをちょいちょい織り込んでいくスタイルは民放ドラマに任せてほしいものです。
それにしてもあのドラマの 「アイシテル~海溶~」がサカキバラ事件をモチーフにしていたなんてこっちの方がびっくりです。あの事件の概要も真相も理解できませんがドラマの方が何となく引き込まれた感があったので。改めて見返すつもりはありませんが(メロリン出てるんで大河新撰組も×)マンガがあるなら見てみたいです。

Re: No title

sheyさんこんにちは~♪
ほんとに、前回「神だ!」と喜んでいた自分は何だったのかとorz
今回の話は、頭ではわかるんですけど、感情が納得いかない!逆に言えば製作側も、頭でわかってることを深く考えずドラマ仕立てにしただけなんじゃないかという疑念が(あの会津編を作ってくれた製作陣だからそんなことはないだろうとは思うのですが;;)
やっぱり「一話完結でわかりやすく」ってテーゼが降りてきちゃったんですかね~;;何も民放と同じところを目指さなくても、大河と民放で棲み分けしてくれればと視聴者は思うんですけどね~。民放ドラマは民放ドラマでいいし、大河には大河の良さがあるのに;;
「アイシテル」のドラマ、見てらっしゃいましたか!私はドラマの方は見てなかったんですけど、マンガの方を読んだら、少年事件の時の被害者側の報われなさとか、加害者少年にあてた被害者親からの手紙とか、サカキバラ事件がモチーフになってるなと感じました。
(少年の性格とか動機といった事件の背景は全然違いますけどね)
前編後編の2巻ですけど、もしよろしかったらぜひご一読を!そうそう加害者弟の視点で描かれた続編「アイシテル~絆」も前編後編で出てますよ♪こちらもドラマ化されましたっけね。
(けれど個人的感想としては、続編は八重・京都編のごとく展開が早くて、感情移入度は前作に劣りました;;ただ少年Aがおそらく「被害者側にとって理想的な、加害者のその後の姿」になってるのが、不思議と救い的な読後感はありましたけど)

Re: 信者の心、武士の心

Kさんこんにちは~♪
「信者の心」と「武士の心」を分けて考えるのは面白いね、わかりやすいし。
けど肝心の前提が・・・「武士の心」=「絶対に敵を許さない」=「ならぬものはならぬ」で、それを「信者の心」=「敵を愛せ」と対比するってのが・・・どうなの?そうなの??
「武士の心」ってまず第一に「忠義」だと思うんだけどね~。「主君のためには自己犠牲もいとわぬ」みたいな。
(だから教義に殉ずるキリスト教と、その点で相性よくて、旧武士階級がキリスト教に流れたなんてのもそのためでしょう?)
「絶対敵を許さない」って武士道か~??むしろ「敵であっても正々堂々と」みたいなのが武士道なんじゃないの?「ならぬことはならぬ」も「正々堂々」的な意味合いであってさ。
日清日露だか「このころの戦には、まだ武士道が生きていた」なんていう語り口を目にした記憶があるけど、決して「敵を許さないからコテンパンにしろ」って意味じゃなく、むしろ逆だった気が。
(だから八重さんがなかなか許さなかった(許せなかった)のは、「武士の心」というより、単に八重さん本人が愛憎ともに強い性格だからだと個人的には思うなあ。愛情豊かな人って、憎しみとか感情全般が激しい気がするよ)
そういうとこで、前提そのものに違和感がある上に、「その点「信者の心」は敵を愛し赦すことであり」なんて流れになると「あのキリスト教徒による戦争の歴史は何だよ」と(^^;) カトリックとプロテスタントはお互い愛し許しあってるのかい?とか(>▽<)

なので「ん~~そうかな~~?」と思いつつも、しかし八重さんとジョーの事実関係というか流れはそのとおりだと思った。
ジョーの晩年だったんだね、八重が薩摩学生を受け入れたのは。しかもそれがジョーのほとんど遺言に近かったから頑張ってそうしたわけでしょう?八重さんけなげ・・・(T_T)
相手を赦すことで自分も赦されるっていうのは、ほんとによくわかる気がするし、その境地を目指したいと思うんだけど、ドラマだと八重ちゃん「既にその境地にいます」って感じでさ~(いつの間に(@o@))
その境地に至るまでの葛藤こそが、神ならぬ身の人間にとってのドラマであって、私はそれが見たかったんだけどね;;

絶対前回の方が面白かったと思うんだけどな~~;;たぶんお天気のいい3連休中日という外的条件のせいよきっとそうよ(>▽<)
まあ「会津魂!」とか「会津の義!」とか、興味ない人にはまったくどうでもいいことだろうしね~(^^;) 私にとっては、会津の悔しさみたいなもんは、311以降にリンクしちゃってるとこがあるから、なかなか飽きないんだけどね;;

あまちゃん見てなかったんだけど、さすがクドカンだね~(@o@) 見てない私でも流行ってることは知ってるからね~!すごい(@o@) 岩手も会津みたいに盛り上がってるのかな♪
福島=会津在住の自分には、同じ「被災3県」と言っても、やっぱり「岩手・宮城」「福島」ってちょっと分かれちゃってる気がするんだよね。福島も津波被害は大きかったんだけど、岩手や宮城はそれ以上だったし(町が丸ごとって一体(@o@))、逆に福島は原発の方で「町が丸ごと」だし。。。で「あまちゃん」はストレートに津波被害からの復興で、「八重の桜」はやっぱし、福島の問題とリンクして見てしまう。「会津は逆賊じゃねえ」の部分がね;;両方あわせてやっと「被災3県」って感じがする(けど今後はリンクして見ない方がいいのかもしれないという予感が(T_T) なんだか「自業自得」的な結論だけになりそうでさ)。
できれば「八重の桜」もどかーんと行って欲しかったけど、どかーんと行きようがないかもしんないねこっちのドラマは(^^;) 前半がすごい重かったし(そこがまたいいんだけど)、その重さをたぶん後半で昇華しようとしてるんだろうけど、「昇華」というより「(単純な)明るさ」路線になってる気がしてしょうがない(>▽<) そうすると、前半の重さがある分、単に気が抜けたみたいな感じになっちゃうんだよね~、前半のあれこれを引き受けてるのはガオだけでさ;;
「明るさ」は「昇華」した結果おのずと出てくるもんでさ~、単純に「前半は暗く、後半は明るく」みたいなのを目指すのは違うと思うんだけどね~。

学校は一応「席を同じうせず」だと思うんだけど(だから女学校と分かれてたしね)個人宅での西洋風パーティーは違うんだね。それともドラマだからかな??
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