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八重の桜中学

今回は「八重の桜中学」のお話でした
ま「同志社大学」が舞台な以上、学園ドラマという側面も必然的に出てくると思うので、こんな回もたまにはよいのではと

むしろ違和感あったのは、やっぱり八重ちゃんの描き方で;;いつのまにか「ジョー」呼びしてるし、いつのまにか洋装してるし。
って今回最初の10分見れなかったので、もしかしたらその間に描かれてたのかもしれませんが(だとしたら以下はすべてスルーでm()m)

前回「会津の者は・・・」や「建前と本音が違うなんてならぬことはならぬ」といった描写をわざわざ入れて、「会津で培った考え方を捨ててはいないぞ」という表現をしたのに、武家の娘としてはおそらくそう簡単に納得できないであろう「ダンナを呼び捨て」や「洋装」をあっさりした理由についてはスルーなので、なんだか「あれっ?」って感じでした。そもそも八重が「鵺」と呼ばれ、後世まであまりいい印象が持たれてなかったのは、ここら辺が大なはずなんですから。

私がこれに違和感持ってしまうのはたぶん、今まで何度か言及したことのある「清らにたかく」というマンガを読んでしまったがためだと思います。「この洋装・呼び捨てこそが、八重を理解するキーなんだ!」と、すっごく目から鱗を落としてくれたマンガだったので、ドラマでそのキーがスルーされたのが、二重に残念だったんですよね。

なぜ八重が、鵺と呼ばれ西洋かぶれと陰口をきかれても、ジョーと呼び捨てにし洋装を貫いたか。
もちろん、それがジョーの希望であったからということがまず最初ではありますが。
(しかしその場合、「八重=なんでも自己主張する女」どころか、「夫の要求に従い協力する妻」という、伝わる評価とはまったく違う面も浮かび上がります)
「清らにたかく」では、それプラス、自分の身を挺して夫に協力する姿として描かれています。すなわち

「怒りや不満は、上に立つ者の代わりに背負う役目が必要なのです」

ヘレン・ケラーの「ウオーター」は、その一言でこの世のすべてを一挙に理解するキーワードになりましたが、私にとって八重さんを理解するための「ウオーター」はまさに、「清らにたかく」に描かれたこの言葉でした。
ドラマでも描かれていた熊本バンドや、またアメリカンボードとの板挟みなど、このころのジョーはほとんど四面楚歌状態。
八重の洋装・呼び捨てなどは、ジョーに向かう不平不満を我が身に受けることでジョーを助けるべく、八重が確信犯的に行っていたのだと。だからどんなに「鵺」と呼ばれようとも全然平気、どころかむしろ「どんどん言いなさい。それでジョーへの不満がそれるなら」状態だったと。
もちろんこれはあくまでも創作であり、本物の八重さんがどんな思いを持っていたかなんてわかりません。ただ、「八重の桜」展で見た、「ジョーの生前は洋装での写真が多かったが、ジョーの死後に洋装はほとんどない。おそらく八重は「宣教師の妻」として洋装がふさわしいと判断して着ていたのだろう」という解説や、「家にある和室は、ジョーの死後作られた茶室だけ」といった説明などから、「清ら~」で描かれた八重さんはそれほど遠くないのでは、と思っています。「男女平等な夫婦」というのは、「名前呼び」など表面的な生活スタイルが舶来だからそう見えただけで、内実は「亭主関白な夫と、従う妻」でもあったのでは、という。

さて八重の桜中学に戻って。
徳富君があんなおとなしい、素直な子になってるとは!名前忘れたけど、「エジプトはどうこう」って英語で話してた、あの子くらいはねっかえりのリーダー気質だと思ってたのでびっくりでした。てかこれなら徳富君と八重、全然対立してないじゃん、むしろ仲良しじゃん
散々ヌエヌエ言っときながら、ヌエの仕立てた服を素直に着ているところは、いかにも頭でっかちの子供っぽくてグーでした 「清らにたかく」でも、「家に上がり込んで散々婦人の悪口言っては婦人の焼いた菓子食うくせに」と同級生に諫められた徳富君が、「関係ないだろう」と顔を真っ赤にするシーンがあるのですが、わかったようなこと言ってるくせに、人の好意に極めて無頓着で、何かしてもらうのも当たり前のように思っていて、なんにもわかってないとこがつまり子供なんですよね もっともヌエの着物を着ている熊本バンドたちは、そこら辺は若干わかってる感じでしたけど。

ていうか、熊本バンドがあんな苦労して京都に来たなんて知りませんでした!
金森君でしたっけ?親が焼身自殺したとか、拘置所に入れられたとか、な、なんか壮絶なことが
経歴といい、教育レベルの高さといい、まったく異質な、しかもけっこう多人数の集団が、いきなり同志社にやってきたんですね。これは一悶着ない方がおかしいくらい。

この悶着に「眠れなくて」と弱音を吐くジョー。というか吐かせる八重ちゃん いやそれはいいんです でもやっぱり・・・この時の演説が上滑りな印象は否めない。。。この演説がジョーに大きな力を与えるという設定なのも、「ええっこれで納得しちゃうのかジョー」と、逆に安い感じに拍車をかけるという悪循環に
理由はたぶん
「キリスト教も熊本バンドもよくわからない。でも良いものは良い」
という八重ちゃんが、それらのどこをどう「良い」と思ってるのか、描かれてなかったからだと思います。だから言葉に説得力なくて上滑りという印象に
まあ金八先生なら、これで1ヶ月は引っ張るとこでしょうけど、こっちは学園ドラマじゃないしね~。時間かけてじっくり描けないのがつらいとこですね。 

けどこの熊本バンド、見てたら「ああだからキリスト教って苦手なのよ」とも思っちゃいました。「歴史に出てくるキリスト教の在り方」のカリカチュアみたいな。個人個人のキリスト教徒には、特に何にも思わないのですが。

とにかく自分たちは正しくて(実際正しいこと言ってはいるんだけど)。
だから自分たちを批判するなんて、ありえなくて(実際正しいこと言ってるからなあ)。
そもそもこの「正しい教え」を知らない時点で「隣人」じゃなく、憐れむべき「野蛮な未開人」(「憐れみ」ってキリスト教では重大な要素らしいですねそういえば)。
正しい我々としては、野蛮な未開人にもこの教えを押しつけて・・・じゃなくて授けて、我々のように進歩させてあげましょう(100%善意)

私基本的に、歴史に出てくるキリスト教を、こんなふうに思ってます。めっちゃ偏見ですけど はるか昔の大航海時代から、世界大戦に至る帝国主義の膨張まで、底にはこの「キリスト教的価値観」があったんじゃないかと。
いや決して「マッド宣教師」の群れが植民地を作ったとか、そんなんじゃないですよ 基本はその国の都合、他国との兼ね合い、政治経済e.t.c.そういった、もっと現実的な条件が色々あっての結果だと思いますが、ただ、その底にはこうした「キリスト教的価値観」があって、それが色々な条件に基づく行動を補強・後押しした面があるんじゃないか、と。おそらくはつい最近まで、いや今も??
ここら辺は先週覚馬が言ってた「西洋の物には、その底にキリスト教がある」にも通じる部分かもしれませんね。宣教師と南蛮文化と侵略がセットになった戦国時代なんかは、それがまだダイレクトに存在していてわかりやすかったという。
(もっともこういう「自分は正義で、それを理解しない者は敵で」って、キリスト教に限らず宗教一般、もっといえば人間自体がそういうもんかもしれないですけど)

上のような私の偏見そのままに、同志社改革要求をつきつける熊本バンド。
この時のジョーはもろ金八先生でしたね~~!!腐ったミカンをかばって、警察の会議室で大弁舌をふるう金八先生、あるいは「愛の公開授業」を実現するために(だったかな?)職員室で涙ながらの大演説をする金八先生 この時なんか、明らかに武田鉄矢が感情移入のあまりアドリブ多々で、それを聞いてた周りの先生役が、マジ泣きして言葉に詰まってたのが、画面から伝わってきたくらいです 今回のジョーは、なんだかこれらのシーンを思い出してしまいました。金八っつぁんのようなアドリブではないだろうけど、その入魂ぶりが 惜しむらくはそこに至るまでの積み重ねが少なかったので、金八先生の時のようなグルーブ感も薄くなってしまったことでしょうか。
(会津編みたいに、西南戦争などの政治パートと、同志社・学園ドラマパートを同時並行で描くわけには・・・かえって薄くなるかな;;)

さて来週は、会津まつり真っ最中の「西南戦争」!
オニカン殉職シーンもあるし、吉川どんの最終回でもあるし、何より「使い捨てられた士族たちの反乱」ということで、おまつりも楽しみですが大河も楽しみです♪ しかし今回オニカンと一緒に出てきた斉藤は、個人的にレオナルド熊さんに見えてプチショックでした まさか野良犬が熊になってしまうとは;;
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

泣くな、ジョー!!

演技ってわかっててもね・・・・。あまりにヘタレすぎだ!

ジョーは、「自分の黒い部分を隠して、とんでもないいい人を演じる」って言っているんだけど、じゃあ、クウガの五代雄介は??「サトラレ」(思ったことが相手の脳の中に伝わってしまう医師役。自分は知らない。でも腹黒いところが全然ない青年)は??と思ってしまうんだよね。・・・・つまり「地じゃん!」みたいに思うところが、ある。(参考*オダギリジョーの魅力http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011480830

全然つくってやってるように見えないぞジョー!泣いてんじゃない!!うちの4男は「新しい夫は、なれなれしいから僕この人嫌い」と言っていましたし・・。

八重ちゃん最初10分というか1分というか、なんかの瞬間に、顔をくちゃっとしてジョーに笑う絵があったんだけど、(なんだっっけ?)あれはすごくよかったです。

ジョーって呼ぶのに「八重」じゃなくて「八重さん」なのよね。でもこれは前夫もそうだったよな。そんなぶっとい妻だったのだろうかね。

あと前フェミのことを書いたけれど、私も、八重ちゃんは、夫を最後は立てる派だと思うよ。いろいろ夫にずけずけ言っても(・・・・私みたい)

熊本バンドが出てきて、うちの次男が「きょうはおもしろかった」といってたよ。学園ドラマだからか・・・。なるほどね。

しかし・・・ああいうのってキリスト原理主義っていうのじゃなかろうか?もう私あいつらののさばりようを見ながら「ぶっちめしちまえ!」って言ってたもんね・・。まああれを収める意味での必要な涙なのかもしれないが、やっぱり「涙たまる」程度にしておいてもらいたかったなあ~~・・・。どうしても、泣き虫海江田を思いだしてしまう。

やっぱり必要なのは、ジョーのような大きな意味での隣人愛だよね。これ見てさ、科学者と放射能怖い派・危険派がわかり合えない現実を「なるほど」と思ったわけよ。相手を認めるって本当に戦争だね。
襄にできたのは、外国に行っているから、外国から同じ日本人同士がなぜ争う?というのを避けたいと心底思っているからじゃなかろうかね。

やっぱり、科学者と危険派の間をつなぐ第三者が必要だね。ジョーのような人・・・(でも泣くでない!)。

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Re: 泣くな、ジョー!!

こんにちは~♪
レス遅くなっちゃってごめん!届いてるよ~
(後でブログ見てみるね!)

うん、私もあれは地だと思うな~。ってオダギリのことよく知らんのに(^^;)
でもオーラの泉のを読んだら、今回の「生徒たちを助けようと泣く新島先生」とか、やっぱりハマって見えるんだよね~。絶対この人、根っからピュアなんだって。
http://k-tantan.blog.so-net.ne.jp/2006-01-14 オーラの泉・オダギリジョー編(前編)
http://k-tantan.blog.so-net.ne.jp/2006-01-17 (中編)
http://k-tantan.blog.so-net.ne.jp/2006-01-18 (後編)

ただ新島譲って今は、おとなしいフェミニストで、坊さんや八重より力弱くて、泣き虫でe.t.c.っていう「軟弱さがウリです」みたいなキャラが前面に出てるけど、八重さんの証言によるとすごいキレやすかったらしいのよね。そもそも「死罪覚悟で脱国。1年かけてアメリカへ」ってのも常人にはできないし、そこできちんと学問を修めて、帰国して(現代まで残るほどの)学校を作って・・・って、相当骨がないとできないよね。
だからたぶん、アメリカ行って変わったんだと思うのよね。めちゃめちゃキレっぽくて、もしかしたら「荒っぽい」くらいの人だったのが、自分を押さえることをアメリカで学んで、必死に我慢して、頑張ってたみたいな感じの人だったんじゃないかと。

最初の10分見れなかったのはイタかった;;
ていうか八重が「ヌエ」とか言われたのは、「清ら~」の作者の人も言ってたんだけど、「ブサイク」ってのも大きかったと思うんだ(^^;)。初めから綾瀬はるかちゃんみたいだったら、現代でももっと違って、それこそ「先進的な女性」みたいな当時憧れの存在として語られてたかもしれないと、八重の桜見てもしみじみ思うよ。だってはるかちゃんの和洋折衷姿、全然おかしくないもん♪ 美人って、見た目の説得力ってやつがあるもんね。

「ジョー」「八重さん」は実際そうだったらしいよね。
「夫婦は対等」って言いながら、そのアンフェアさにジョーは気づいてない、みたいな感じがするよ。

うん、やっぱりKさんも前に言ってた「役割分担」な人って気がするよね、八重さんは。
「平等だ対等だ」=「どっちが上か下かにこだわる」とかじゃなく、「役割に上も下もない」的な。ただ「女だから教育はいらない」とか、そういうシステム的な理不尽さは理不尽として感じていただろうと思うけど。

私も熊本バンド、面白かった♪「ああキリスト教の暗黒面がよく描かれてるな~」とか思って(^^;)。まキリスト教に限らずだけど。
ヤンキー先生なら鉄拳制裁もアリだったかもね(>▽<) そんでけっこう通じ合いそうな気がする。まあ私には新島譲って「羊の皮をかぶったヤンキー先生」なんだけどさ(^^;)(そんでオダギリジョーは、ヤンキーの皮をかぶった羊かな~??)
私キリスト教と武士道(特に江戸以降の、理屈になった武士道)って、その求道的なところとか、原理主義的なところとかも含め、けっこう同じようなこと説いてるんじゃないかと思う。ってまたまたよく知らんくせにだけどイメージで(^^;) だから熊本バンドみたいな若い旧士族たちがキリスト教にのめりこむのもよくわかるな~、のめりこんだらこうなるよな~って感じ。しかも彼らって、かなり迫害されて京都に来たでしょう?そりゃもう原理主義的な、信仰心の塊になっちゃうなとか。

>これ見てさ、科学者と放射能怖い派・危険派がわかり合えない現実を「なるほど」と思ったわけよ。
私も思った!この熊本バンドとその他学生の対立って、普遍的なもんだよな~と。
「どちらも絶対に排除しない」という強い意志と、「どんなに時間がかかっても」という忍耐力が必要なんだろうね。育児とかもそうなんだろうけどさ。
でもそれって私には、言うはたやすいけど・・・という感じで;;それこそ「信仰」でもないと、途中で「やっぱ無理なんだ」って思っちゃって、続けるのは容易じゃないな~と。自分の子ならそれでも縁は切れないから頑張るしかないけど、他人の、しかも科学者と放射脳をそこまで自分の子供と同じくらいの責任感で思えるかどうかよね;;
(ジョー&八重も「同志社の子供は自分たちの子」っていう信念でやってて、なんとか成功したけどさ、金八先生に出てきた「腐ったミカンの論理」を語った、荒谷二中の老先生なんか、一生懸命ミカンを人間にしようと頑張ってたんだけど、学校にも理解されず、ミカンたちにすらニセモノ扱いされ、転校するのを止められなかった自分を責めて、もう敗残兵みたいなの。なんっにも報われない、ほんと尚さん状態。たぶんそういう人は大勢いると思うんだよね。歴史に残るのは成功したジョーだけだけど)

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