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槇村ワールド全開

今回の「八重の桜」、私的には「槇村ワールド」でした
これまでに比べて出演シーンが多かったせいもあると思いますが、印象に残ったシーンがほとんど槇村がらみ!ていうか槇村そのものがどんどんパワーアップしてる!!演じてる高嶋兄?弟?がなんかもうノリノリで、下手にやったら浮いてしまって見るのが忍びないレベルの怪演なんですが、「えらく楽しそうにやってるな~」と、こちらも思わず笑いを誘われてしまうのがまた、このどっかおかしみのあるキャラにぴったりという、すごくうまくハマる結果に。

というわけで、今回印象に残った、主に槇村さんシーンを順不同に。

まずはなんといっても、「建前で言えばいいんだ。あんたの心の中まではどうこうするつもりはない」という槇村さんの言葉。
思いっきり「長いものに巻かれろ」な人間としては、これに大・大・大賛成です(会津魂はどこへ?
もっと言えば私「自由」ってのはこういうもんだと思ってます。「心は自由なのだ」。
ってオスカルが昔ベルばらで言ってましたけど。で後に「以前そう言ったことを訂正というか付け加える。「自由であるべきは心のみにあらず!人間はその身体、髪の毛一本にいたるまで神の下に平等であり自由なのだ」」という理念を語って、フランス革命に参加していくわけですが。
私は「革命」はあまり望まないタチなので、そうするとやっぱり「心は自由」でとどまっちゃうんですよね。社会を構成する歯車としては、髪の毛1本までの自由なんて望んでたらやってらんない。あわせるところはあわせる。でも!思うことは自由よね、と。これって「もっとも成功した社会主義」と言われた頃の日本の価値観がしみついてるだけかしらん??

それに対して「ええ~?」って顔で納得いかない八重ちゃん。そうよね「ならぬことはならぬ」≒「筋を通す」という人には「本音と建前が違う」なんて「嘘ついてる!」でしかないわよね。
「嘘も社会の潤滑油」と思ってる私は、だからこそ、そういうまっすぐさがまぶしく、好ましくさえあります。時にウザく感じてしまうかもしれませんが基本的には好印象。だけど、現実に何らかの結論を出そうとする時には、対立してしまうんですよね。。。

しかしこれを逆手にとって、「英語の授業」っていう建前で聖書を学ぶことにしたっていうのはよかったですね~♪こういう「建前」、大好き
「すぐやめろ」っつって怒鳴り込む槇村さん。それに対し「あなたが教えてくれた「建前」です」って言い返すあたりは、日中戦争でどんどん歯止めが効かなくなる関東軍が、止めようとする石原莞爾に対し「あなたが満州事変でやったことを真似してるだけです」と見事な切り返しで絶句させたという逸話を思い出してしまいました こうして自分の身に返ってくるのね。

で、絶句してすごすごと退場する石原さん、じゃなくて槇村さん、覚馬を見て「あんたの入れ知恵か」とピピンと
これに対する覚馬の言葉がよかったですね~!「西洋のものを学ぶなら、その根本にあるキリスト教を学ばないわけにはいかんでしょう」。
今ある民主主義とかその他色々の主義主張、あと関東軍とか出したんで思いついた武器や戦法、または日常の生活様式に至るまで、やっぱり「価値観」が違うんですよね。価値観の違いがそれらにも大きく反映している。
例えば戦時中のレーダーについてよく言われる話ですが、向こうはガンガン開発して取り入れたのに、こっちはあまりしなかった。ま「お金・技術・時間」の3拍子が揃いも揃って無かったってのが一番の要因でしょうが、その補強・言い訳として「機械に頼るなんて邪道」というのが出てきてしまうお国柄というのが。機械の精度よりも、職人技とか武士道とかの方が圧倒的に価値があった、という時代の空気を感じます(今でもかな?決して悪い価値観じゃないと思いますけど)。
って、西洋のものにどうキリスト教が組み込まれているのか、いまいち実感としてわからないので、日本のことを言ってますが(しかもけっこう主観)、しかし日本がこうなら西洋もそうだろうとは思えますね~。

けど日本って、覚馬が言うのとは反対に、槇村さん的な「換骨奪胎」がもう伝統芸ですよねたぶん。明治どころか「仏教伝来」あたりからイメージ的にはず~~~っと。
なんたって「本音は別にあっていい」ですから。根本にあるキリスト教とか仏教とかの「真髄」みたいなもんは、わりとどうでもいいんです。相手の本音も自分の本音も自由のまま、いかに自分の生活にあわせるか。
というので、ず~~~っとやってきた気がします。そしてこれはある意味、日本の強さだとも。
だってキリスト教みたいな一神教って、大げさに言えば「心の中まで従ってもらうよ。本音まで一致してなきゃそれは異教徒」って感じじゃないでしょうか??だからキリスト教と宗教戦争って歴史的に切っても切れなくて。
(ついでに「キリスト教的自己犠牲」っていうのも戦争と親和性があって、だから新渡戸稲造も「日本にはキリスト教は無いけどこれが」って「BUSHIDO」を書いたし、戦時中には日本のキリスト教団も(やむなくという面もありましょうが)戦争協力へと移行したし)

ってすべてイメージ=主観で語ってごめんなさいですが。こういう「一神教的価値観」に対しては、表面は「受け入れてますよ~」とジャパニーズスマイルを浮かべつつ、本音は「別に」っていう日本流骨抜き作戦はかなり有効で、悪くないと思うんですよね。そこら辺が西洋人からすると「日本人はわけわからん」しまいには「日本人は嘘つき」になっちゃうのかもしれませんけど。
柔軟に見えて実は頑固、心の中は自由!というのが日本の芯だと個人的に思ってるので、そこを覚馬のように根本から変えてしまうのはどうかとも思うんですよね。もっとも覚馬も「キリスト教は必然的に入ってくる。その流れは止められない」と言ってるだけで「取捨選択すればいいのだ」と言ってますから、積極的に「キリスト教を広めよう」という立場とはまた違うんでしょうけど。どうでもいいけどこの話が、「お茶漬け食べていきなさい」が「はよ帰れ」だという、本音と建前の乖離ここに極まれりな都市伝説を持つ京都で行われているというのが、また面白いですね~♪日本の芯と西洋の芯の対決みたいな。

ところで「キリスト教はわけわからん」と言ってた八重さんは、今んとこキリスト教をどう思ってるんでしょうね?ジョーとの結婚、そこら辺オールスルーで「洗礼を受けた」だったので、逆に気になっちゃいました
まあ「中身なんかどうでもいい。ダンナの行く道は私の行く道だから信仰も合わせる」ってんなら、それはそれでいいんですけど。実際母1人子1人だった私の叔母さんなんかは、死期が近づいた頃、娘さんと同じキリスト教徒になって、一足お先に天国へ行きました。洗礼受ける前は聖教新聞愛読者でしたが
そういう「教義なんざ二の次」という例は珍しいことでもおかしいことでもないと思うので、それならそれで一言きちんと言及してほしかったな~と。それともこれから出てくるのかな?八重ちゃんのキリスト教観の変化とかは。

そして、ウエディングドレスは、やっぱり尚さんを思い出してしまいました(ついでに秋月さんとかあの辺も) あの時の八重ちゃんは、きれ~~~いだった~~~
ウエディング姿ももちろん綾瀬八重ちゃんだからきれいなんだけど、あの時ほどきれ~~~いに映してなかったですよね。ライティングとかの効果を含め、なんだかあえて「普通」に映そうとしてる感じが。

そう、なんだか今回は、槇村さん登場シーンは印象に残ること多々だったのですが、八重ちゃんシーンはなんだか「う~ん」って感じなのが多かったんですよね~。(そういえば結婚式シーンでも槇村さんがウザ微笑ましかった
女紅場をやめる時の演説も、なんだか会津戦争の時より心に響かなかったし。ていうか会津戦争での演説に味をしめて、演説シーンが多くなったって気がして仕方ないんですけど 「セリフですべてを語ろう、そして感動させよう」ってのは安易な上に、その意図を感じるとますますウザくなっちゃうので(演説そのものが基本的にウザいもんなんだからさ)、ここぞって時以外は頻発しないで欲しい。。。
それに続く「この会津もんが!」みたいなのも、演説が心に響かなかったせいか、なーんかわざとらしく思えてしまいました。会津と関連付けるのはもう大歓迎なんですけど、リップサービスみたいに使われるのはね~~。これまたここぞって時に出すとか、あるいは逆に常日頃から「これだから会津もんは」とネチネチ言われてる設定とか、でなきゃこづゆや赤べこみたいな小道具を出して欲しい。あっそれともあの演説が「ここぞって時」だったのか!?

何よりも結婚前夜(?)佐久が八重に「お前は人のしないことばっかりする変わりもんだけど、その、人に惑わされず自分のしたいことを貫くとこがいい」みたいなことを言ってたとこに、私はちょっと、しかし根本設定としての違和感が。
もしかしたらそう受け止めちゃったのは私の勘違いで、もっと違うニュアンスだったのかしれません。だとしたら以下書くことはすべて勘違いなので流してくださいm()mとお断りしつつ。
私ね~、八重ちゃんの「ハンサムぶり」はそうゆう、「他人と違っていいんだ。個性だ自由だ」みたいなことを貫くのがまず最初にあるんじゃなくて、「義侠心」というか「男気」というか、そういうとこにあると思うんですよね~~。これは私の八重ちゃんイメージが、マンガ「清らにたかく」でかなり出来上がってるからかもしれませんが。
まず最初に「見捨てちゃおけん」とか「私がかばっちゃる」といった男気(?)があって、それを貫いた結果、往々にして人と違ったことになるみたいな。どうも佐久さんの言い方だと、それが本末転倒になっちゃって、そこにジョーの「彼女はハンサム」がかぶさると、それこそ「ゆとり教育的個性の尊重」になっちゃうような危惧が。てかゆとりでも何でもいいんですけど、そういうヒロインなら今まで色んなドラマで散々描かれてるしな~とか。
勘違いだったらごめんなさいですが。

という感じで見た、八重の桜・第36回でした。
そういえば紀行で出てきたジョーの写真が、ドラマの槇村さんに似てるな~とも
と、結局最後まで槇村さんでした
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

男気上等!!

どうも!なんかね~どうしても、「DOCTORS」の、政伸と芸風がかぶるんだよね・・・・・兄はもう少しスマートでいてほしかったけど、(しっかし政伸も、秀吉弟のときとか好青年だったのに、離婚劇からすっかりキャラかわったね~)でも、たしかにおもしかったね。ぴったりの演技というかさ。

それでね、八重たんはほんとに、美しさ、若さ、純粋さ、とかそういうものを封印したんだべか?との変わりようなのよね、どっかりすわったというか、みずみずしさがないというか、(たしかにいつからキリスト派になったかとか、わからん・・・)でもそれは後で書くけど、たぶんそういう演出なんだよね。

でも、悩みをジョーに打ち明けないところはほんと男気だよな・・・。だから本当に夫婦って相性だと思う。今まで、尚さんも「自分で勝手に決めて」「勝手に死んで」みたいなとこがあったでしょ。で八重たんもそうだ。そこでいきなりジョーが「何でも言って」と来る。人はそんなに変われないから、やはり絶妙なタイミングでジョーとめおとになれたんだろうなと思いました。

そこいくと、うらと後妻はどう違う?となるがね。まあ脇役だから仕方ないか・・・

でも、西島さんのほうがジョーより先にテロップが来るんだよ(なんで!?ずっとそうなの?でオオトリは松方弘樹だよ!なんで??確かに前回は特に良い役だったが)

それにしても八重たんほど母親と一緒な女も珍しい。夫がどっちも居候っていうのも超かわってる(当時は居候って普通なの?財力があれば)母上への違和感をK&Uさん書いているけど、たしかにそうだね。まあ・・・私が思うに八重たんはフェミ元祖だと思うが、どうだ?私はフェミ嫌いだが、こういうフェミは好きだ。つまりは男と同じ犠牲というか苦労というか覚悟を持ち続けるという、つまりは女が男の位まで上がるフェミです。そこでジョーが女に下りきて、ちょうどいいところで合うんだろうと思う。

私は一般的なフェミが嫌いなのは、自分はそこに甘んじていて、男に下りてこい下りてこい、社会に認めろ認めろというところなんです。個人主義も似たようなもののように感じます。ようは自分が自由でいたいために、環境に訴えかけている、そこがどうも。

八重たんをそうやって、第二幕で演じ分けているとしたら、はるかちゃんはやっぱり大女優だね。上野樹里に非難囂々だったのとはやはり大違いだと感心しました。

美とかアンチエイジングとか、「女子」とかいうのは、若いうちだけに許された女の本懐(っていうのだろうか??)であり、ある程度の年齢になったら、女の役割はそこではない、ということを如実に演技、表情、服装だけど、そういうので表していると思います。たかだか、演技しているはるかちゃんは、1年とかいうスパンの中のはずだもんね。

「会津もんは簡単に恭順しねえんです」も、私的には拍手でした!!



Re: 男気上等!!

こんにちは~♪

あ、あれは兄の方なのね?(いまだに見分けがつかない上に調べる気もないとゆう(*^^*))
私なんか昭和で止まってるからさ~「「HOTEL」にどっちかが出てたんだよね確か」程度で;;しかもそれもTDRのヒルトンが舞台だから知ってるだけで;;
なんとなく弟の方がはっちゃけてて、兄の方は落ち着いてる感じがしてたんだけど(なのにあの槇村さんは如何に(^^;))・・・まあ兄弟ってそういうもんかもね。

だねえ。ほんとにそう思うよ「夫婦は相性」。凸凹がいかにぴったりハマるかっていうね。
ドラマを見ただけの個人的印象だけど、尚さんとジョーは「自由人」ってとこが似たもの同志なのよね。新し物好き=好奇心旺盛=枠にとらわれない的な。だから八重としっくりいくのは既定路線に思える。
(ついでに山本家全般、特に家長のおとっつぁまからして、そういう気質だったと思うんだ。「ならぬことはならぬ」連発してはいたけど、それは家長としての役割であって、実際は松重さんの言うとおり「現代に生まれていたらスマホとかいち早く試してみたいタイプだと思う」っていう(かわいい(>▽<)
だから山本家も、武家だからぴしっとはしてるんだけど、どっかそうで。そもそも「ならぬことはならぬ」って教え自体が、皮肉にも「心の自由」を生む土壌になることがあると思うんだよね)
ただそういう根っこの体質は同じなんだけど、尚さんはとにかく八重に気を使って、上からベールを包むような感じで接するのに対して、ジョーはけっこう土足でズカズカみたいな(>▽<)
これは尚さんとジョーの性格の違い=表出方法の違いに過ぎないんだよね。もちろんそれも重要で、それでダメになっちゃう場合も多々だけど、八重ジョーの場合はKさんの言うとおり、「絶妙のタイミング」があったから凸凹がうまくハマったみたいな。たぶんタイミングがずれれば、テトリスみたいにハマらないで落ちてったりもしたかもだよね。
八重ジョーに限らず、そういうことはいっぱいありそうで、そう思うとまさに「一期一会」だね~~。(そういやジョーは八重との出会いを「必然で奇跡」と言ったそうだよ)

うらは、八重ジョーとは違って、たぶん京都守護職とか会津戦争がなければ、そのまま「可もなく不可もなく」で添い遂げただろうに・・・という感じだよね。「必然」でも「奇跡」でもないけど、ず~っと寄り添っていけば時間が関係を「運命」にしてくれるみたいな。穏やか~なそういう関係も好きだな~♪
後妻は・・・どうなんだろね?後に大事件を引き起こすあたり、うらより才気煥発なタイプだったのかなとか思うけど、覚馬がそういうところに魅力を覚えたのか、それともこれまた「寄り添った時間の積み重ね」によって、なんとなくそうなっちゃったのか・・・ようわからん(^^;)

え、ジョーより覚馬の方が先だったの!?へ~~~
それって主役以外は年功序列とかって不文律があるのかな?あるいは製作者側が「これはあくまでも群像劇です。2人の恋愛を描くドラマではありません」って念を押してるってこと??
そういや「同志社」も覚馬の発案だったし、あくまでも「3人(いや八重抜きで2人か?)で作った」って感じだったよね。まあ実際そうとも言えるんだろうけど。

やっぱしフェミなのかなあ。。。私はなんとなく八重って、フェミと誤解されてるけど実はすごーく古風な女性ってイメージあったから。「夫を立てる」とか、そういう価値観ね。
このドラマ見ると「どこが?」って感じでもあるけど(^^;)文字通り「夫唱婦随」みたいなね。だって八重って、目立ってるように見えて、実は夫の提案に付き従って、サポートしてって感じだもん。たまたま夫がああいう、当時は世にも珍しい人だったから、それに同意して行動してたら必然的に目立っちゃったってだけで。

フェミはね~~。。。私もどーもピンとこない分野なんでイメージで語っちゃうけど、つい最近まで、フェミ=「女が男の位置まで上がる」だった気がするのよね。特に就職関係では。
「女が総合職につけないのはどういうわけだ」とか「女だけ自宅通勤でなきゃ不可なんておかしい」とかさ。そういや「オヤジギャル」とかもこの頃の流れだな。世間では「男の趣味」ってなってるもんを、女もしちゃうぞっていう。
私にとってのフェミのイメージってこうで、こういうフェミの皆さんが言う「女には門戸が閉ざされてる」感は、私もとっても同意だったんだけど、なのにフェミがイマイチだったのは、その上昇志向の強さみたいなのが、なんか苦手なのよね。「どうよあたしってすごいでしょ」みたいな自己顕示欲がそこじゃどうしてもセットになるし。ま一言で言えば「キッツイな~」っていう(^^;)
今それが「下りろ下りろ」になってんなら、たぶんその頃の「門戸が閉ざされている感」がある程度(その頃のフェミの皆さんの尽力により)払拭されて、でもそうなったら今度はキッツくて、反動でそうなってるのかもしれないね~。
もしかしたら昔のフェミは「弱者層(から抜け出そうとしている強者)に支援を」、今のフェミは「(強者層から脱落しかけている)弱者に支援を」なのかもしれない、と思ったり。

そうだね~、同じ侮辱を受けても、もうなぎなた振り回すことなく(なぎなた自体がないけど)、なんか「貫禄!」って感じになってきたよね。着物もいかにも京風な、地味&上品だし。
会津時代の「マフラー?そしてどてら?」っていう服装がもうなつかしい域よ~(^^)

「会津もんは簡単に恭順しねえんです」、ああこれすっごい残念!!ほんとだったら私も、めちゃカタルシスな場面だったはずなのになあ;;直前の演説シーンでノれなかったばかりに(T_T)
あの演説シーン、学園ドラマとかで校舎の屋上に上がって「みんなー、俺はこうこうこう思う!」とか叫んで、それで生徒が拍手喝采とか、あるいは長渕ドラマで長淵がパトカーに囲まれて、ここぞとばかりに長渕節を披露とか、なんかその手の寒さを思い出しちゃって(そんな感じのドラマなかったっけ??)、イマイチだったのよねーー;;ああいう、「ドラマ内での説教=見せ場」っていうのは。。。
といっても、金八先生の「腐ったミカン」が放送室に立てこもる話(=話の半分くらいはミカンの説教)なんかは大好きだったし、そうそう八重の桜でも、殿を前にしての大演説会なんて泣けてしょうがなかったから、結局はシンパシーがあるかないかなのかもだけど(^^;)

確かに演説多すぎ(><)

こんにちは。
私の中での槇村氏のイメージはほぼあんな感じですが高島(兄)はここんとこバイオレンスなVシネなんかに出てて弟より怪演が多いですよ。槇村ワールドなんてまだまだ青いって感じ。
あんつぁまが余りにも良い印象に描かれているので槇村さんはもっともっと悪者になっていくのでしょうね。(時栄さんなんかはどうなっちゃうんだろう?)
ハンサムウーマンという言葉の意味は人それぞれ解釈は違えど人と違うことをするとか女性がしないことをするっていう意味ではないですよね。この辺は違和感バリバリです。
献身的に弱者を守る(今の男はそうじゃないって言われそうですが)って姿が当てはまると思います。

こんにちは

K&Uさま、メールありがとうございました!
(アドレスがわからなかったので)こちらにおじゃまさせていただきます。

さっそく、ここ3-4回の「八重の桜」の感想を拝読しました。
とってもおもしろ~い! 読みごたえがすごいのに読みやすくて。
で、ふと気づきました。
私、こちらのブログ、以前にもうかがったことがある・・・!
瑞穂の国から・・・というタイトルにも覚えがあるし。
たぶん、Twitterでこちらのブログへのリンクがあって、それを辿ったのだと思いますが。
そのときは、その記事だけを拝読して、ブックマークしそこねていたので、
今回のご縁でばっちりブックマークできてうれしいです^^

OPテーマの新しいタイトルバック映像、
福島県民百面相が消えて八重ちゃん百面相に・・・は私も残念に思っていましたが、
「今までの登場人物一覧=故郷のために戦った人々百態」というK&Uさんのアイデアに膝を打ちました!
それらをすべて包み込んだ八重ちゃんと子どもたちが傘の花・・・想像しただけでうっとりです。

それから、コメント欄で話題になっていたOPクレジットでの役者名が出る順番ですが、
私、これをチェックするのが大好きでして^^;
主人公の次(二番手)が配偶者でないことは、今年に限らず、多くあります。
・「篤姫」では、瑛太演じる小松帯刀(夫、家定=堺雅人は三番手)
・「天地人」では、北村一輝演じる上杉景勝(妻、お船=常盤貴子は三番手)
・「江」では宮沢りえ演じる茶々が二番手、水川あさみ演じる初が三番手(夫、秀忠=向井理は四番手)。
・昨年「清盛」では、玉木宏演じる義朝が二番手(妻、時子=深田恭子は三番手または四番手)。

二番手、三番手は、役者さんの格というよりは、物語上での役の重さ、という観点での序列になっていることがほとんどだと思います。

今作「八重の桜」も、尚之助もジョーも三番手なので、
物語としては、八重・覚馬の兄妹物語…というのが主題ってことなんでしょうね。
私としては、襄が本格登場したあとは、八重→襄(二番手)~~(中略)~~あんつぁま(大トリ=クレジット用語で大トメと言います笑)を望んでいたんですが、叶いませんでした~。

長くなりましたが、これからもブログおじゃまさせていただきますね。
よろしくおねがいします。

Re: 確かに演説多すぎ(><)

sheyさんこんにちは~♪
ええっ高島兄って、Vシネに進出してたんですかっ(@o@)
イマイチこの兄弟の見分けがつかないと思ってたんですが、思い出しましたよ~!目がくりっとしてる方が兄で、まいう~の石ちゃんみたいな顔してる方が弟ですよね?(どういう理解の仕方(^^;))
ええ~あの兄って、爽やか優等生キャラオンリーだと思ってたら、槇村でもまだ青二才とは(>▽<) いつのまにかどこかで吹っ切れてたんですね(^^;)
槇村さん、どんどんダークになってってますよね~。しかも初登場時から「煮ても焼いても食えない俗物」って感じだったから、それも違和感ないとゆう。これはやっぱり高島兄の力なのかな?そういうキャラをすごく楽しそうに演じてらっしゃるので、なんか必要以上に腹立たないんですよね~(^^)
時栄さんはどうなるんでしょうね~?どういう解釈で描かれるのか、楽しみです。
ですよね!!後半3行まるっと同意です。
特に私は、それまで八重のことを「人と違うことをした、新時代の価値観の女性」っていうイメージで捉えていたのを、「清らにたかく」でsheyさんおっしゃるようなハンサムウーマン描写を見てウロコが取れた感があるので(*^^*)よけいに「違うだろ~~」と思ってしまいます。「そんなヒロインなら、90年代に柴門ふみがもう描き尽くしたじゃん」とか(^^;)。
まあ「自分の職をなげうってでもジョーについていく」というエピソードの後なので、そこから「献身」というのも読み取れるのかもしれませんが・・・この「献身的に弱者を守る=ハンサムウーマン」って私にとって、八重に対するウロコが取れたキーポイントなので、そこはガッチリと描いてほしかったな~という思いが否めませんです。

Re: こんにちは

エミさんこんにちは~♪
我が家のパソコンメールがイマイチ不調な時があるので、こちらにしてしまいました;;
メールすべてに返事を書くのは大変な労力だと拝察いたします。わざわざお返事いただいて&読んでいただいて本当にありがとうございますm()m

ええっ前にも読んで頂けてたなんて!!(@o@)
(どなたがツイートしてくださったんだろう??その方にも感謝ですm()m)
私も今年の春ごろからエミさんのブログをお気に入り登録して、以来毎週楽しませていただいております(^^)v そのエミさんに読んでいただけてたなんて、うれしいです~~♪♪

あのOP変更は福島県民としても残念です(T_T) NHKの「復興応援」の意気込みを感じる企画だったのに。。。
(殿や神保父あたりを毎週見れたらウットリ~という個人的欲望も大ですが(>▽<))
とはいえ福島、というか少なくとも会津は、「八重の桜」効果が明らかで!!ありがたいな~と頭が下がると同時に、50年という歴史による「大河ドラマ」のブランド力を今更ながらに感じています。

クレジットの順番、そういえば記事でも何度か触れてらっしゃいましたよね♪
それらを拝読して、こういう見方があるのかという面白さ&長く大河を見てきた方ならではのスキルの蓄積みたいなものを感じたのも、エミさんのブログに引き込まれた一因です。
詳しい解説ありがとうございますm()m そうか尚さんも2番手に来ることはなかったんですね~。
覚馬がこのドラマ内でそこまで中核を担っていたとは、私的には予想外でした。クレジットから読み取れることも大きいですね!
(私も「八重→襄(二番手)~~(中略)~~あんつぁま(大トリ=クレジット用語で大トメと言います笑)」が、一番しっくり来るような気がします)

そういえば話はちょっと逸れますが、今朝のZIP、ご覧になりました?
俳優の山田孝之さんが映画の宣伝で出てらしたんですが、「友達3人のうち誰になりたい?」というクイズで出た選択肢が「玉鉄・小栗旬・殿」で♪
さらに真っ先に殿を選択肢からすっ飛ばしてました(実際に殿の旗をぶん投げてた(>▽<))
最終的に、残り2択で悩んだ結果、目をつぶって玉鉄さんを選択してらっしゃいましたが、「みんな同年代なので仲がいい(玉鉄は兄貴って感じ)」とおっしゃっていて、実際殿を「ゴー」なんて呼んじゃって、微笑ましい限りでした。
ここら辺のイケメン俳優はけっこう相互交友ある上に、それらの方たちがわりと「八重の桜」に出ていたんですね~(@o@)
私は「八重の桜」で見る前は、玉鉄さんはじめほとんど知らない方たちばっかりだったので、「NHKすごい!」と、超今更ですが感心してしまいました(^^;)

私も引き続き、毎週拝読させていただくかと存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。

No title

ほんと、こちらのURL、どなたのツイートにリンクされてたんでしょうね~。
今となっては謎ですが、知りたいですね~。感謝です。

会津は観光が盛り上がっているようで、何よりです^^
ていうか私もめっちゃ行きたいですもん!!
いかんせん、こちらは九州なので、なかなか本州に出ることも難しく・・・(笑)
せめて、「八重の桜」展でも!と思うのですがそれも九州には来ない(涙)
いつか小銭を貯めて鶴ヶ城・・・御薬園・・・と思っております。

で、ZIPの情報ありがとうございます!
めっちゃニヤけながら読みました(^▽^
「八重の桜」ファンにとってはたまらない人選です~!
でも確かに、あのあたりはもともと仲良い感じなんですよね。
山田さんは、小栗さんが出ている「Woman」のリアルタイム放送初回を見た後、
「すばらしいドラマ! 旬がうらやましい~俺も出たかった。絶対最終回まで見る!」
みたいなことをTwitterでつぶやいていて、なんて率直で気持ちの良い人だ、と感じ入ってました^^

それにしても実際、今年の大河スタッフのイケメン投入力はハンパないですよ!!
このイケメン大河にすっかり慣れてしまった自分が怖い。
来年の通常営業に戻れるか心配です(笑)

Re: No title

こんにちは~♪

ほんと、大河の影響ってすごいんだな~と実感してます!
一過性で終わることなく、続きますように。。。
「めっちゃ行きたい」と言ってくださって、ありがとうございます!!歴史の知識豊富なエミさんなら、きっとディープな会津観光を楽しんでいただける気がします♪
確かに九州からは遠いですよね~~;;私も福岡や長崎等、心魅かれるものがあるので一度散策してみたいのですが、北日本からはなかなか容易に行けませんもの;;
しかし北日本からすると、奄美や沖縄にもすぐ行けそうな気がするのがうらやましいです♪
(そういえば沖縄旅行の際に福岡空港で乗り換えたのが、唯一の九州体験です(^^;)v 明太子や宮崎マンゴーなど、お土産を見ているだけで、ちょっと九州旅行気分ではありましたが、できれば空港の外に出てみたかった(T_T))

> 「すばらしいドラマ! 旬がうらやましい~俺も出たかった。絶対最終回まで見る!」
かわいい~~~(>▽<) そしてここでも「旬」呼びとは。やっぱりあそこら辺のイケメン界は仲いいんですね~(^^)。女子としてはたまらんシチュエーションです(とさりげなく女子自称(^^;)v)

ほとんどが八重で知った方達だったんですが、知れば知るほど、ほんと今年ってイケメン大河だったんだな~と。改めてNHKに感謝です。
またそれが、一時のジャニーズ乱用みたいに、「とりあえず知名度のあるイケメン適当にぶちこんどけ」じゃなく、キャスティングとしてもピッタリなのが今年のすごいとこですよね。殿に激似の綾野剛さんはじめ、オダジョーさんや小泉jr.等々、役者さん本来の個性を、思いがけず引き出す配役という感じがします。

来年は・・・黒田官兵衛=V6岡田君、としか知らないのですが(^^;)イケメン界に八重未出演の俳優さんは誰がいるんだろう??あ、山田さんが出るかも(>▽<)
岡田君は昔、戦時中の韓国王子か何かのドラマで見て、すごく印象に残ったんですよね~。理知的&ちょっと冷たい感じで、それが妙に色気あって似合ってて(なので「永遠の0」はたぶんピッタリなはず!)
次回の大河にも、うまくハマることを期待しています♪

No title

 はじめまして、通りすがりの者です。はじめに長文失礼します、とお断りしておきます。大河ドラマ 『八重の桜』 の感想で熱く語られているのを、興味深く拝見させていただいて、少し私も感想をのべたい、と思った次第です。

 私は今回の内容で、前後の文脈はともかく、槇村正直の 「わしゃそこ (心) までは奪わん」 というセリフが気にかかりました。ドラマにおけるセリフが、先の展開への前置きになる性格を持つのは仕方ないとして、展開からいって 「信念を曲げろとまではいわぬ」 というような表現ではなかったかと思うのです。

 覚馬の妹なので配慮はしているが、槇村はここでのやり取りで八重を幼いと見下しているように見えます。槇村のセリフは一つ一つは嫌味のある響きなのに、全体としてまとまるとそれが消えてしまう。言葉の流れを追っていくと、軽くあしらえるはずの八重が、強情で手を焼いて槇村の感情がたかぶるのでしょうか。エキセントリックなキャラクターの設定を生かすためなのか、八重が困っているはずがそれをかすませる槇村の態度です。八重が困る部分がうすれると、後半視聴者の感情移入するところで弱くなると思います。

 嫌味な部分はちゃんと八重を困らせ、またそれを断固拒否することによって八重の芯の強さを引き出してほしいと思いました。きっと脚本を書いている山本むつみさんは、とてもやさしい方なのだと思います。

 父親の権八が、鉄砲が習いたい八重に命を奪う殺傷兵器であることをさとす場面の描き方といい、母佐久の、一歩下がって包み込む愛で守ろうとする演出といい、人柄のよさが出ているような気がします。凄惨な戦場を描く鶴ヶ城籠城戦のシナリオを執筆する際には、さぞかし心を痛めたことでしょう。お疲れ様でしたと言いたい気持ちです。

「槇村さまにお願いがあってまいりやした」 と八重が訪問した時点で槇村は要件がわかっていたでしょう。槇村が、自分がクビにしたと言われた八重の反発にまずいうのは 「耶蘇と結婚するのじゃろう」 くらいの語意の度合いで八重に疑問を持たせる方が適当ではないかと思うんです。


 それに対してセリフが出やすくなり、八重が 「それが何か」 となれば、セリフとセリフがぶつかり合い、人と人がぶつかり合って少し戸惑う視聴者が、ドラマとの距離を縮めて入りやすくなるように思うのです。

「年ごろの女生徒を預ける親の身になってみい」 と槇村に言われてもまだ八重の疑問はとれず、 「日本ではもうキリスト教は禁止されていねえはずです」 「そんなもんは建前にすぎん」 と。

 八重が復職を頼んだときに槇村が生徒たちの前で宣言しろという。

 旦那様が (自分が信じる人が) 信じるものだから自分も信じるというのは、いろいろな物語などでたくさん目にしているので、時代や環境、偏見に逆行して戦う主人公の重要な場面で主張するのはわりと見る側の心に引っかからないのでは、と思います。

 八重ほど芯が強く、強情でありながらいいものを取り入れる先進性の持ち主なら、キリスト教のよさを自分が認めたセリフや演出がもっとあったらいいと思いました。

 夫婦のやりとりの中でちょこっと出しておけば、物語の中で艶というか光沢感がでるような気もします。

 私は八重の強さは母性本能だと思いました。母性本能と書くと語弊があるかも知れません。

<a href="http://www.success-fighter.net/column/business_hints/05.html" target="_blank">ビジネスマンの心構え 第5回 潜在能力の力を開発する</a>

 八重は鉄砲をあつかって戦った女性なので、女だてらにだとか男勝りだとか言う人がありますが、母性本能のたくましい人だったのではないのでしょうか。

 そういえば最近は、強い母親という言葉をあまり耳にしません。話題に取り上げられてないだけかも知れませんが。

 むかしは今みたいな複雑な状況と違い、よその家の子供でも叱ったり、自分の子供への愛の拡大が環境にもおよんでいたように

 私は母性という響きにはもっと男性的な強さも包まれているように思っています。もうそんなことは何かの形で検証されていたり、研究が確立していたりしてるのでしょうが(無学ですみません)、母性の中心はどこにあるかわかりませんが、女よりに傾けば母性をくすぐる男に、それこそ子供ほっぽらかして走ってしまったりするのじゃないか、そんな風に根拠もなく思ってしまいます。

 そしていい方 (?) の母性は、山本家に連綿と続いて受け継がれてきたもので、母佐久から八重に伝わり、八重が自分のものとしたのだと思います。

 ただ八重が女紅場から追い出されるときに、女生徒が誰からともなく歌い始め、合唱になるシーンが、鶴ヶ城が陥落したとき会津藩士がやったのと似た展開なのですこし興ざめしました。演出が重なるのが悪いわけではないですし、歌が人を動かす力になるのは何度描かれてもいいと思います。ただ登場人物の心理が、志半ばで去る残念な気持ちと、不当な扱いに対する悔しさ、さまざまな念が入り乱れる時間が省かれていたので、もう少し悔しさを抱いて八重が教室を離れていく時間をかかなければ、心理描写が不完全に感じました。

 八重が肩を落として校舎から出て、関わることのなくなった教場を去る足を踏み出すところでどこからか歌声が響いてくる、ふと振り返ってその方向を見上げると、生徒たちが合唱しながらしきりに手を振っている。

 優しい人は登場人物が困ったらすぐ救いの手をさしのべて助けたくなる。

 ドラマというのは、見ることで心に痛みをともなう打撲や傷を負い、それに対する処方がなされるもので、薬や手当で適切な処置を受けて見る者が和んだり、あえてほったらかしにされて打撲や傷を自然治癒させたりする効果があるものだと思います。でも薬を飲むタイミングを間違えば効果も薄れます。

 今回は東北の復興のための、精神的な支えになれば、という思いのたくさん詰まった作品で、それに従い処方された 『薬』 も自然と膨大な量になったのでしょう。しかし多すぎて、どれを飲めばいいか迷ったり、送り手もかつてない傷跡での初めての経験を突き付けられたプレッシャーと戦うことになったはずで、 『薬』 の効果のぶつかり合いには手が回らないようなこともあったかも知れません。

 それは視聴率という、大して作品の質に関わりのない指標に、今の社会が必要以上にとらわれ過ぎているから私が勝手にそう思っただけで、特に大河ドラマという芸術作品においては、後年評価が定まる重厚な深層が見出されたり、この 『八重の桜』 という作品から、なにか社会に、潜在的なムーブメントがおこる可能性を秘めている予感が感じられるのです。

Re: No title

こんにちは~♪&初めまして!コメントありがとうございますm()m

>「信念を曲げろとまではいわぬ」 というような表現ではなかったかと思うのです。
私もそう思います。「信念を入れ替えて、心から従え」じゃなく「とにかく表面だけあわせておいてくれたらいいから」みたいな、日常生活では普通~によくある譲歩だと思いました。
その譲歩案をはねつける八重ちゃんの姿は、「一途な性格」を描いているんでしょうけど、見ようによってはうまく感情移入できなくなっちゃいますよね。

>きっと脚本を書いている山本むつみさんは、とてもやさしい方なのだと思います。
「悪役」設定というものを基本的にしない方ですよね。「善人悪人は一面からの見方に過ぎない。色んな事情があってそうなったんだから」という信念があるように思えます。それがとても魅力な反面、勧善懲悪でスカッとしたドラマにはなりにくいんでしょうね(^^;)
あと、上の「一途な性格」もそうなんですけど、「芯が強い」「強情」「先進」といったキャラ設定が、微妙に違和感ある描写で説明されているのもなんだかなです(^^;) うまく言えないのですが、例えば「明るい人」設定となったらとにかく笑顔!とか、そういう、確かに間違いじゃないけどなんか上っ面だなと感じてしまうような。
これはもしかして脚本ではなく、演出や外野の声その他の影響の方が大きいのかもしれませんね。篭城戦まではそれほど気にならなかったのに(私もおとっつぁまやおっかさまの描き方好きです!)、ここに来てそういう違和感が大きくなっているので。。。

>私は八重の強さは母性本能だと思いました。
もう「そう!それ!」という感じです(>▽<) 八重の「強さ」はそこに還元されると思うのに、表面的な「気の強さ」みたいなとこで描写されているように感じて、それが違和感なのです。
前回の、薩摩の女学生を介抱するところも、ジョーの「当然です。あなたは私たちの子供なんですから」は、多分にキリスト教的な人間愛から来る言葉なのでしょうが、八重の場合は持って生まれた愛情深さというか、ある意味キリスト教の根っこの部分が、教義として教えられなくても既に身の内に宿ってるがゆえという感じがします。ジョーへの接し方も、たぶん母みたいな感じだったのだろうと(まあ夫婦ってもん自体そうなりがちでもありますしね)
子供が授かってたら、きっといいお母さんになったんだろうな~という感じの人だったんじゃないかと思ってます。

私も女紅場のシーンは、感情移入できませんでした。。。「手っ取り早く泣けるシーンにしよう」という製作側の意図が丸見えな気がして。真剣に作ってくれれば自ずと泣けるし、意図が丸見えだと逆に冷めちゃうのにな~とか。ああでも、そうとも言い切れないかな?やっぱり。。。

今回の大河ドラマは本当に、難しい要素がいっぱいあったと思います。プレッシャーもハンパなかったでしょうし。
その中で、会津をきっちり描こうとしてくれたこと、「復興」へのまなざしがあったことはヒシヒシと感じましたし、色々違和感はあるにしろ、そのこと自体は一地元民として感謝以外の何物でもありません。
願わくば「獅子の時代」や「山河燃ゆ」のように、「今思えばあの大河ってすごかったんじゃ?」と、当時の視聴率による価値判断を離れた頃にもう1度再評価されるとうれしいのですが。
(さらに願わくば、脚本家さんの頭にあった本来の話を見てみたい(^^;) たぶんかーなーり変わっちゃったんじゃないかとうっすら思うんですよね~。脚本家さん自身も無念なんじゃと思うくらい。まあ長期連載モノはどれもそうなのかもしれませんが)
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