スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

八重の桜・第21話

八重の桜・第21話の感想です。
いや~・・・重い回でしたね~

いきなり壮絶な戦シーンから話は始まり。
ここはオニカンの独断場でしたね~♪ 敵が近づいてくるのに耐え切れず、飛び出そうとする三郎に「スレッガーさんかい、早い、早いよ」じゃなくて「もうちょっと引きつけてからだ」と、現場経験者としての貫禄を。
いやオニカンだって戦国時代の武者じゃないんですから、そんな「歴戦の勇者」とかじゃ全然ないはずなんですが、何か戦国武士みたいな「戦を肌でわかってる」感がすごいのは、性格ゆえか獅童さんゆえか。初めて間近に経験する肉弾戦に、思わず腰を抜かす三郎といい対比になっていて、迫力ありました

そうして一夜明けた鳥羽伏見では、やはり会津側が苦戦の真っ最中。
「こうなったら槍で特攻」と、どこまでも現場な人・佐川が考えている時に到着したのは、救いの神・大砲隊を率いる大蔵!
史実ではこの登場シーンで1億2千万人が笑ったと言われています(言われてない)。だって大蔵様ってば、とめどなく派手に自由になっていくんですもん 最初の頃は「この優等生がなんで彼岸獅子入城なんつーぶっ飛んだことを思いついたんだろう?」と不思議でしたが、なるほどこれほど自由人なら彼岸獅子くらいやりかねん もはや昔日の優等生の面影はカケラもなく、どっからどう見ても佐川や斉藤のマブダチ。個人的には、目に力入れすぎて話すたびにいちいち鼻にシワが寄るのが、非常にヤンキーくさくて気になります

ところで、今回一番見るのを恐れていた、錦の御旗が上がるシーン
会津が朝敵になる瞬間なんか絶対見たくないし、予想では「なんだあれは?」「旗のようだ」「あのマークは・・・錦の御旗だ~~~」「うそだ~~我らが朝敵に~~~」と、阿鼻叫喚となる会津側みたいなのをイメージしていたので、そのシーンは
(/ω\)
(/ω・\)チラッ
としか見れないんじゃないか自分、と思っていたのですが 
予想外にアッサリでしたね~~ そしてそのアッサリ具合が、なんだかとっても現場っぽいなとリアルに感じられて。
上がった旗を実際に見たのは、よく考えればほんの一握りなんですもんね。そもそもその旗自体、慶喜が言ってたように「そんな旗は存在しないはず(偽造したな)」だし。
それが、口伝えで「錦旗が上がったらしい」という情報が駆け巡るうち、その意味というか価値もくっついて、現在理解しているように「錦旗が上がった=一巻の終わり」になったのかなと。現場は「朝敵」云々という、形而上的な(?)アイデンティティ喪失の危機よりも(もちろんそれもかなりあったでしょうが)、「それによって寝返りが出る」という現実的懸念の方がむしろ重要で。

しかしそんな中、「最後の一騎になるまで戦いつくすぞ!」と演説し始める慶喜。
もはや容保公が、あの忠義の人・容保公までがシラッと眺める煽りぶりです。なんでこう罪作りなことするのかなあ慶喜公は
百歩譲って「この時は本気でそう思ってた」ってんならまあ仕方ないけど、でもこの後の行動を思うにどうも違う、せいぜい「この時はそういう気分だった」くらいにしか思えないし 気分で人に命捨てさせすのヤメてよ~~~

そして慶喜公に呼び出される修理。
もう呼び出された時点で「ああついにこの時が」と思ってしまうのは、この後の修理の運命を知っているからに他なりませんが、なんとなく京都守護職を押し付けられた容保公とカブります。目を付けられた時点でもうオワリみたいな しかし何で修理だったのでしょうか?修理は普段からそういう、慶喜公と殿のパイプ役みたいな役目でもあったんでしょうか??
マジメに、犠牲を増やしたくない一心で、ある種の決意を持って「兵たちを率いていったん江戸へ戻り、戦略を立て直しましょう」と主張する修理。
確かにある意味これだけで、「敗戦の責任(の一部)」は修理にかかってくるかもしれませんが。
しかし「兵たちを率いて」「江戸へ戻り」「戦略を立て直す」ですからねっ!?兵を置き去りにして大将がトンズラするのとは、もう全っ然違いますからね!?頼みますよ慶喜公~~~

と、修理の運命が誰も知らないところでひそかに決定された同日同刻、会津パートを飾るのは修理の父&妻。
あ~も~諏方神社シーンもそうだけど、あざといわ~ まあ「ここでこのシーンを入れないでどうする」なシーンかもしれないけどさ。
しかしまだ会津には、開戦の知らせすら来てないのね 大事件は知らないうちに準備され、知った時にはもはや「起こったこと」になってしまっていて、なすすべもなし。

そして現場では、三郎が。
あの、腰を抜かしていた三郎が。腰を抜かすくらいスレてなくて純粋だったからこそ、進退の「要領」なんて不純なものは頭になく、ただやみくもに「お役に立ちたい」「山本家の男として恥じない戦いをしたい」という一心のあまり。

しかし国許の家族がガラスを割っちゃうってまたベタだな~ しかもそれで指を切って血がとか、「昭和の少女マンガへのオマージュかしら」と思うほどの既視感が
同じ既視感なら「あれっ今角場に三郎がいたような」の方がいいなオバケ好きとしては。いえね子供の頃、とあるオバケ本で読んだ、海軍士官として出征中のお兄ちゃんが好きだったピアノ曲が、ある時家族全員に聞こえて、あれっと思ったらずぶぬれで微笑みながら敬礼しているお兄ちゃんを(遠く離れて住んでいた家族も同時刻に)見た、後にそれが撃沈された時間だとわかったという話がすごく印象に残っていて。「へ~ほんとにそんなことあるのかな」という疑問とともに、死ぬ時にその思い出深いピアノ曲が、家族1人1人の顔とともに頭に浮かんだのかななんて思うと、なんだか死んでいくまでの時間がすごくリアルに伝わってくる気がして。

ともあれ三郎は、大蔵に見送られ
大蔵は一応現場の指揮官のはずだけど、そして何よりもはや手がつけられないくらい派手なアクションになっちゃってるけどいいです。三郎を看取ってくれるなら。大事な八重さんの弟だもんね、ドラマだし

それにしてもこのドラマって基本淡々としてるんで、こういう「残酷描写」みたいなのはそれこそサラッと場面転換でもしそうなところ、なぜかこういう時だけ妙にねちっこいんですよね~。覚馬が捕まるシーンもそうだったけど、やけに長く映してたり、スローモーションでダメ押ししたり。
元が淡々としてるから非常に違和感あるんですが。いえ残酷描写は嫌いじゃないからいいんですけど しかしこの分だと、竹子や大蔵嫁や雪さんなんかも、息を引き取る最期の瞬間まで映されるなきっと

そして激戦のさなか、急遽撤退を命じられて、頭の血がのぼりまくる会津藩士たちに取り囲まれる修理。
「戦を続けたら犠牲が増えるばかり」という修理と、「今戦を終えたら先に犠牲になった者の命が無駄になるってことだ」という現場の人・佐川。
く~どっちもわかる 特に佐川の言葉はよくわかる!!!今までの「現場の人」描写がここで効いて、そうか現場っていうのはこういうものなんだなと、佐川の心情がストレートに胸に。
修理の言葉は、犠牲となる現場を思う一心なんだけど、実際に現場にいる人には「何もわかってない。むしろ迷惑」にしかならないこともあって。
実際「わかってない」んだろうな。視点も違うし経験もないから「わかろうとしてるんだけどわからない」。頭で考えることと感情で思うことも違うし。いや人は一応、理性と感情の両方持ってるから(傾向の強弱はあるだろうけど)、佐川も修理も両方自分の中にいるんだけど、だからどっちもわかって切ないんだけど、わかるだけで相容れない面もあるのよね。
余談ですが、こないだたまたま「とくダネ」笠井アナが書いた「ぼくはしゃべるためにここ(被災地)へ来た」を読み返してたら、こういう「理性と感情の相克」みたいな話が目白押しで。いやずっと「理性」と言ってるけど、もしかしたら「別の感情」かな?2つの「正しさ」が相反する中で引き裂かれ続ける話ばかり。
目の前で助けを求める人がいる。でもそれに応えてしまうと、後々マズイことになる。さあどうするかという。
「助けたい」という感情か、「マズイ」という頭での判断どちらかを、「だってこっちが正しいんだから」と、片方全肯定&片方全否定でヒョイっと選べればラクなんですよ。でも自分の中では「どっちも正しい」あるいは「どっちも正しくない」という割り切れない思いがある。そこをあえて割り切って、最終的にはどちらかを切り捨てる決断をしなきゃいけないんだけど、でも決断したからってスッキリできない。切り捨てた方のことは、ずっと心に残り続ける。
私やっぱし、これが人間のスタンダードな姿だろうと思います。というか個人的に、こういう葛藤がない人(なんているかどうかわからないけど)は、あんま好きじゃないかもなとか。慶喜公とかはその点比較的、ヒョイっと選べる人、あるいは決断後にあんまし心に残らない人なんだろうななんて思ったり
(さらに余談ですが、この本の中で笠井さんは、基本的に「割り切って」、目の前で助けを求める人に「それはできません」という態度を取ります。が、たまに、割り切ることができず、個人的な助けの手を出してしまうことがあります。その時
「今やっている行為は、被災地ではギリギリなんだということを考えながら行動しないと、踏み誤ることになる」
とおっしゃっています。この「ギリギリ=一線」という感覚の有無も重要だなと。これがなくて、一方の正義感や使命感、高揚感などのままにずるずると引きずられて、気づけば「それは誰のため何のためにやってるのか?」という状態になってる例が、どれほど多いことか)
(しつこく余談ですが、この本の中で笠井さん、こういう「理と情の狭間」言い換えれば「個人として向き合う問題か、属する社会の一構成員として向き合う問題かの判断」により、対立が生まれ内部崩壊するのを防ぐための教訓として
・連絡手段の確保
・本社との価値観の共有
・充分な準備と継続的な取材班への支援
この3つを挙げてらっしゃいます。これはあくまでも「被災地における取材側」としての心得ですが、わりとどこでも(戊辰戦争でも!?)応用が利きそうな気がします)

しっかし慶喜は相変わらずの慶喜節♪
「あれは皆を静めるための方便だ」ってよくもまあアッサリ~。明らかに静めるどころか火を着けてたくせに~
ここで初めてはっきり、容保公が反旗を翻してましたね、徳川ご宗家に
もちろん「いやそれだけはカンベン」は今までも多かったんですけど、それはどちらかと言えば哀願というか、お願いであって。
こんなに、怒りをもって「断固拒否」ってのは、たぶん初めてじゃないかと。
ああ、なのに、これほど強い怒りも「徳川を朝敵にせよというのが会津の家訓か」「家臣たちが朝敵の汚名を着て死んでもいいのか」などなどの殺し文句で、問答無用に消火され
実際「じゃあどうするのが一番よかったのか」と言われたら、私はもうまったく何も言えないのですが。うーんここまで来たらもう自動的にこういうズタボロ状態になっちゃうしかないのかな。やっぱし「ここ一線」てのは大事ですね。なんだか一線を踏み誤って引きずられてしまった典型例にも見えてきます容保公&会津が
(ていうかそもそも家訓が「一線なんか引くな。殉じろ」だしね)

というわけで、容保公は泣く泣く慶喜とともに退場
私が社会科の授業で習って、唯一覚えている徳川慶喜のエピソード「鳥羽伏見で逃げた奴」も、今までの慶喜が慶喜だったんで、「ああこいつならやりかねん」と素直に思えるのがスゴイです
しかしここでご宸翰を置いていったのは、この重苦しい展開の中で唯一ほっとしたシーンでした おかげで「慶喜に拉致されたんだ」ってのがはっきりわかってほんとによかったと。
戦に負け、さらに置き去りにされたオニカンたちの、もはや怒りすらも沸いてこない虚ろな空気といったら ほんとに、今更だけどほんとにダメでしょ総大将がこんなことしちゃ!!!

さて会津存亡の危機に際し、国許では家老会議。
しかし萱野ってあんまし出ないし、出れば小者っぽいし、不思議な描き方だな~。これは最期を際立たせるための伏線なのかしら??
修理父の「死ねばよい」と力を込めて言い切るサマもすごかったですね。武士としての覚悟もあるのでしょうが、何より親にああ言われちゃ、外野はそれ以上のことは何も言えません。唐突ですがビートたけしの孟母が、その昔たけしが事件を起こした時、「こういう時に親が子供をかばうと、外野はもっとうるさくなる」という信念のもと、TVカメラの前で「死刑にしてくれ」と言い放ってたけしを救おうとしたことを思い出しちゃいました

山本家にもようやく、大砲隊全滅の知らせが。もちろん覚馬は捕まってるなんて詳細情報はなく、大砲隊に所属して戦っていること前提で。
さらにそれを受けた山本家では「今頃江戸に戻って三郎と再会しているかも」なんて希望を必死に話してて、覚馬の詳細どころか、三郎も江戸に留学中という情報で止まっているのが切ない
こういう情報の時差は・・・ましてや非常時なら仕方ないんだろうなあ。「情報化社会」の現代ですら、情報には個別の時差があるんだから(ていうか、なまじ「情報化社会」ってことになってるから時差の存在が許されず、疑心暗鬼が深まって、世の中全体にいらん不信感が生まれてる気もしなくない)。そもそもその情報を知ってもどうにもならんしなあ。
しかしやっぱし、おとっつぁまはいいな~。というか、おとっつぁまも含め、家老や佐川たち現場の会津藩士たちの気持ちが、これまでの積み重ねでよく伝わってるから(プラス、個人的に3.11後「郷土を守りたい」という心情が前よりも身近にわかる気がするようになったことから)、一概に「ここは尚さんの言うとおり、恭順一択でしょ 何を悩むことがある?」とか思えないもんね、この「反戦平和!9条護持!」な私ですら。以前は「戦をしたいなんて、しかもどう見ても勝ち目の無い戦をしたいなんて、主戦派ってバカの集まりじゃないの?」としか思えなかったのに。

なのでその後に続く八重の言葉もよくわかります。「何年も都をお守りしてきた会津がなぜ朝敵?」「だからこそ取り返したい。負けっぱなしなんてイヤ」
私よく太平洋戦争を思う時「あの時満州を返しときゃよかったのに」「国際連盟でタンカ切って飛び出して、気持ちいいだろうけどやってることはバカ。それを讃える庶民もバカ」とか思ってたんですけど。
しかし今は当時の人が、なぜそれほど満州に執着したか、そして松岡の言動になぜ喝采したかも、なんとなくわかる気がします。「今満州を返したら、先に犠牲になった者の命が無駄になる」という、まさにオニカンが憑依したような思いが実感としてあったからなんですねたぶん。プラス「こっちはなんも悪いことしてないのに、なんでそんな要求呑まなきゃいけないんだ」という、これまた強い実感も。
これはなんというか、ある意味当然な思いというか、たぶんどこの国だってそう思うでしょう。いやむしろ外国の方が「自分たちの血を流して奪い取った領土なんだから、返さなくて当たり前」という思いは常識かも。日本は島国だから、「勝ち取った領土」という意識の蓄積は、たぶん欧米とかより薄いだろうしね。
もちろん、だからってその思いのままに行動するかどうかはまた別で、それがとっても重要なんですけど。少なくとも「我が方の犠牲の上に成り立った満州」や「列強にいいようにあしらわれる悔しさ」みたいなのに、私みたくまったくシンパシーを抱かないまま結論出すのと、思いっきりシンパシー感じてる上で結論出すのとじゃ、同じ結論でもなんか違うというかね。そうちょうど笠井さんが感じたあの相克のように。

「でっち上げでもなんでも、今は新政府が官軍会津は賊軍」とアッサリ言える尚さんは、もちろんそんな会津に思いっきりシンパシー感じてる人です。こういう人は時に味方には理解されず、敵にはもちろん敵と見なされ、なかなか孤独ですけど、そんなグチもこぼさず、自らのすべきことを淡々とする尚さん、よいわ~~~ほんとにいい男と夫婦になったね八重ちゃん(と思うにつけ猪苗代の別れが

そしてまったくの無実の罪で幽閉中の修理。
一緒に見てた子供にも「なんでこの人が切腹?」と聞かれたんですが、実はママにもよくわかりません(ついでに「切腹ってどうやるの?1人で切腹しても死なないじゃん」とも聞かれましたが、こちらは懇切丁寧に「頚動脈を」とか「中には何時間も苦しんだ人も」とか具体例を挙げてまで答えて、KK&Uを固まらせました)。
目を皿のようにしてこの40分見ていたはずなんだけど、やっぱりなぜ修理が切腹なのかわかりません 流れはわかる。けど理由がわからない。あの怒り沸騰の、その場の空気?江戸引き上げ=結果的に敗戦を進言した、その責任?もしそうなら、いずれは負けていたわけで、いずれは誰かがその責めを負ったわけだよなあ。あっその誰かってもしや慶喜公??だとしたらほんとうまいよな~~慶喜~~。さすがあの引き際がうまい元総理の息子え?それは関係ない?
いやそれとも慶喜公なら、たぶん容保公あたりに責めを負わせるよな。それがある意味容保公の役目だし。そうかじゃあ修理はまさに、容保公の身代わりになって死んでいったのか??ん~やっぱり納得いかない。

この2人の対話シーン、とりわけ修理は、今までは「殿に付き従うひたすら忠義の人」という、わりと飼い犬的な感じオンリーだったけど、ここでは容保公を包む兄みたいに見えました。「いいんだよ。悲しまないで」という、守る人・修理と、守られる人・容保。守る側もつらい立場だけど、こういうふうに守られる側も、また辛いだろうな~~
「どうしても、どうしても助けることができない」
と、その一言にあまりある悲痛な心情がこもっている容保公と対峙して、静かに笑みさえ浮かべる修理。「じゃあ私は殿のお役に立てるんですね」みたいな。ああなんだか武士道に同性愛がくっついてくるのもわかる気がするわ~(←この涙腺攻撃シーンでよりによって何を考えてるのか)あるいは「僕が死ぬことであなたを救えるなんて光栄です。そんな役目を僕に与えてくれてありがとう」という、キリスト教的価値観にも通低するような。
その後の「殿の命によって逃亡しやすくなってます。どうか生きてくだされ」というのもよかったですね。まあそれで実際に修理が逃げるとは、おそらく殿も秋月も思ってないんでしょうけど、でもそうせずにいられない、もはや「祈り」みたいな。

こういう時の辞世の句って、普通だったら自分の無罪やその悔しさ、あるいはその喜び(というのはヘンだな。つまり使命感というか)とか、そういう「自分の信念」みたいなもんを訴えたがる気がしますが。中野竹子の「もののふの~」はまさにそうですね。
でも修理は違うんですね。「(自分はいいけど)親が心配だな~悲しむだろうな~」という。ななななんて器が大きく、優しい人なの~~~ なんかこう、人間としてのバランスが取れてる人なんだな~みたいな印象を受けました。

というわけで次回は、「戦雲、東へ」が変わって「弟の仇」
江戸へ行ってたはずの三郎の死が山本家にもたらされ、ついに八重の中にジャンヌダルクの萌芽が!
さらに私的に(/ω\)(/ω・\)チラッになりそうな「江戸城無血開城」も次回登場です!
「さて、そうとなったら、振り上げた拳をどこへ下ろすかだな」ゾワゾワ~
スポンサーサイト

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

No title

こんにちは。
すごい!またまた超大作(@@)
オニカンは確か人を切って謹慎くらうほど会津の中でもかなりの武闘派ですから違和感ないっす。むしろこの位頼れる人がいないと心もとないです。
確かに。ガオシルバー大蔵は別人でしたね。鳥羽伏見の慶喜の洋装も史実なのかわかりませんがちょっとついていけません。
三郎のシーンもちょっと懲りすぎですよね。板の間で死ねたんでしょうか?もっと壮絶だったのでは?って開きそうな涙腺が少しばかり小休止しました。
確かに錦旗のシーンは思いのほか静かでしたね。一介の兵にとっては何のこと?ってな感じかもしれませんしね。
それにしても、またまた問題提起してますね~。修理の切腹の理由?この大河だけ観ると???なるのもわかります。俺自身も分かっているから分かってるだけでそれ以外に選択肢がなかったのかって思いますもんね。ここは歴史に詳しい方にお任せして。殿から直接「切腹を申しつける」なんてシーンは予想を超えてすっかり涙腺全開となってしまいました。内蔵助の言葉も胸が締め付けられました。まったくこのドラマの親父たちはかっこいいですなぁ。

萱野シンゴは会津で徹底抗戦を貫きそして頼母の盟友ですからこれからバンバン出てくるでしょう。確かに今のままでは会津を全て背負うには小者感が否めませんね。萱野のお子さんも会津を背負うって意味では神保親子に負けない数奇な運命を辿りますしね。

おお、良いじゃないですか、慶喜公、私好きですね。

私も数年前までは余り好きでは無かったのですが、やはり原因は鳥羽伏見での一件ですね。

この件で慶喜批判してるケースが多いのですが、これは逆に慶喜公に対し過剰評価し過ぎてる面があると思いますね。

慶喜公は将軍でも特殊であって、歴代の将軍は政治を老中に任せることで政治責任は老中に集まり将軍は不偏不党のカリスマを保つことが出来るが、慶喜公の場合は自ら積極的に政治をしてる。

やはり政治をする以上必然的に野党勢力と与党勢力が生まれますからね。

あと慶喜公にとってハンディだったのは、主流の権威として伝統のある徳川吉宗系の血筋でなく傍流の水戸系の血筋だったことで主流の血筋を重んじる人々にしてみれば

「あんなの将軍として認めない」

となるわけで、これは慶喜公の器量とは別なところにあるハンディですね。

鳥羽伏見直前なんかひどいもので、慎重論を唱える慶喜公に、

「止めるなら慶喜を刺してでも」

と言われる始末で単に

「将軍だから制御出来たはず」

と思われると逆に過剰評価かなと思ってしまいます。

それと私が鳥羽伏見の戦いの件で慶喜公を責める気になれないのは、例えば多くの家臣が

「戦いは止めましょう」

と言っている中で

「いや、絶対戦う!」

として無理やり家臣を戦場に送り込み、それで家臣を置いて逃げ出したのなら慶喜公を責めますが実際は逆です。

慶喜公は終始慎重論で煮え切らぬ態度に家臣は暴発寸前で後に桑名藩士が語ってますが、慶喜公が制止しても戦をするつもりだったそうで、自分の意志とは関係無く戦いが進み、それで逃げ出したから

「すべて慶喜公が悪い」

とするのは「?」といった感じです。

じゃあ脱出する直前

「一歩も引くな戦え」

と言ったことをどう説明するか?

当時、神保修理の行動を察した会津藩士から将軍が帰東するのではと思い始め帰東を阻止しようとしていて、ある意味監禁してでも戦いを続けようとしていた。

だから慶喜公は非情な手段を持って自分の意志とは関係ない戦い継続を阻止したのでしょう。

良くも悪くも慶喜公体制の元で一致協力体制が出来なかったのが弱点ですね。

会津好きな人はけっこう慶喜公嫌いな方いますが、慶喜公について調べるのは幕末の最良の教科書変わりにもなりますし、時には感情押し殺してでも調べるのも良いですよ。

「人間だから好き嫌いあるのは仕方ない、でも食わず嫌いは良くない」

これは今まで私が歴史に向き合って実感した結論ですね。

会津の視点、慶喜公の視点、両方マスターするとかなり歴史の幅広がります。

ちなみに現在の徳川慶喜家を受け継いでいる徳川慶朝氏は慶喜公の孫と松平容保の孫との間に生まれた方です。

Re: No title

sheyさん
オニカンはいいですね~。獅童さんの「漢」な感じがぴったりハマってると思います♪
大蔵は(>▽<) しかし回を追うごとに彼岸獅子が楽しみになってきてるのは確かです(^^;)
三郎は、死ぬの早すぎですよね??実際は江戸へ戻る途中か到着してから亡くなったんじゃなかったかと(うろ覚え)。まあこれは前回の林さんもそうですし、ドラマの方が苦しみが少なかったということで、よしとします(?)
そうなんです、修理が敗戦の責任者になってしまうのが結局どうもよくわからない。そもそも修理がどういうスタンスの人なのかってとこからよくわかりませんでしたからね(^^;) 「八重の桜」で見る限りでは「お小姓?」=じゃああまり政治に関与しない立場なのかなと思ってましたし。とりあえず「誰かが責任を取って収めなきゃいけない」ってとこにぽこっとハマっちゃった不運な人と受け止めました(^^;)
殿自ら切腹を命じに来てくれて、修理は救われましたね~~。殿が話している間のあの微笑と「殿はすべてわかってくださっている」の言葉に打たれました(T_T) 今こんなに深く誰かを思うことなんて、そうそうないよなあとか。そうそう神保内蔵助もよかったですね。当時の人はほんと今とは価値観が大違いで、良くも悪くもスケールがでかいですね~
あっあの人は頼母の盟友なんですか!?ん~それはまた微妙な立場に;;
そうそう郡長正でしたっけ??日新館だったか、彼が自害してる場面の人形を見たことがあります。
その時はかなり時代錯誤に感じてビックリした上に「もうちょっとガマンして年寄りになれば懐かしい思い出話になるのに」と、ちょっとしたことで死に急ぐ若人を非難したい気持ちになったんですけど、今はちょっと変わって「「賊軍会津」の汚名をそそぎたいという心理が常にあったから、ちょっとしたことでも過敏に受け止めなきゃいけなかったのかな」「お父さんが立派だったから、それに泥を塗るようなまねはできないという心理があったのかな」と色々思って、「かわいそうだったな」と切ない気持ちになってます。

Re: タイトルなし

T.Nさん
そうですね~。「大将が逃げるなんてとんでもない」とは言え、「じゃあどうしたらいい」と言われたら言葉に窮するのは確かですしね。はっきり白旗を掲げて終戦にすればよかったのにとも思いますが、徹底抗戦派を説得するのに時間がかかりそうだし、何よりそうすると慶喜公は逃げられなくなるから、それはありえない選択肢だったでしょうね(^^;)

う~~んこれは考え方の違いですけど、「自分が好き好んで始めた戦争じゃないから、自分だけ逃げてもいい」とは私は思えないです;;百歩譲って一般人ならそれでいいですけど、トップにそれは許されないと。一般人の役割とトップの役割は違いますから。
自分はトップにならなくてほんとによかった~と日々安堵している一般人のくせに、そして「じゃあどうすればよかった」という対案もないくせに、すごく偉そうに厳しいことを言ってしまうと、「自分が好き好んで始めた戦争じゃない」→「だから自分だけ逃げる」というのは、戦争を止められなかった上に、さらにその戦争が始まったら兵を見捨てて逃げるという、トップとしては二重にダメな行為だと思います。止められなかった戦争をいち早く終わらせるために逃げたという見方もできますが(常人には思いつかない手段をこれまでに思いついてきた慶喜公ですから、実際その意図も多々なんでしょうが)、なんというか「自分に命を預けている兵たち」のことをあまりにも考えていない。そういう感情的な面で、私はどうも慶喜公はイマイチですね~

慶喜公で評価するのは、将軍職を引き受けてからの幕政改革ですね。あれはもっと続けさせてあげたかった。前も書いたんですけど、大阪でいち早く海外の代表に宣言するなんて、国内の視点だけじゃなく、海外との関係を最重要視していたわけで、国内が一致協力体制にさえなってれば、幕政改革はたぶんかなりいいとこまでいったと思います。そして日本の近代化をしつつゆるやかに幕府解体に向かっていったんじゃないかと。ほんとにもったいなかったし、慶喜も悔しかっただろうなと同情します。
あ~あと血筋もそうですね。ちょっと同情します。篤姫なんか読むと、江戸城大奥では水戸は非常~~~に悪印象だったそうですもんね(^^;) あとはやっぱり、慶喜公の(「自分に命を預けた兵」とかがピンとこないような)性質もあるでしょうけど。誰も信頼できない環境で、さらに血筋のハンデを乗り越えて結果を出さなきゃいけないからそういう性質・考え方になったのか。それともそういう性質だったから誰にも信頼されず、血筋のハンデがさらなる重圧になったのか。鶏と卵ですけど、いずれにせよやっぱりちょっと気の毒ですね。

おお~~慶喜家も容保公の曾孫さんですか!現・徳川宗家のご当主も容保公のひ孫だし、すごいわ会津松平(^^)
そういえば高松宮妃も慶喜公のお孫さんでしたが、容保公のお孫さんである秩父宮妃とは大変仲が良かったそうですね♪

No title

どうも^^悲しい回でした・・・でも修理さん・・・男だ!!と、思いました。ガオシルバーは戦闘シーン見て、怪獣と闘ってきただけあるなと(笑

でもなあ~・・・福島人でなくても、これ見てたら、なんでなんで?って思うと思う。だって、気がススマナイ京都守護職という火中の栗を拾って帝に忠誠を誓ったのに、いつのまにかあんなになって、京都を追われ、それで江戸を追われるの?って。孝明天皇の後の天皇はなじょしてたの?・・・発言権なしか?
あんなに帰りたかったのに。磐梯山が待つって言ってたのに。

お か し い でしょ、どうみても!!前、あの村上弘明だかの意味深な笑いあったけどあれ関係あり?

私やっぱり何か見落としているのかな?何か、ここまでの間に、会津はひどい大穴なことをやってたの?

いきなり賊軍になるなんて、不自然すぎて、八重の気持ちがすごーーーーくよくわかる。ただ会津が馬鹿正直だっただけなの?ほんとにほんとにこの大河でそれしか描いてきてない?

そいでさ、なんで、会津武士の矛先が、みんな修理に行くかな。よしのぶに行くべきだろうよ。つうかさ、三郎もいきなり出ていって撃たれるし、白虎隊も落城と間違って切腹したそうだし、よしのぶが修理を隠れ蓑にしたこともわからんし、その会津の「逆慧眼」が敗戦の理由?(厳しいこと言うけど・・・)

やっぱり小泉ジュニアじゃなくてココはモックンに演じてほしかった。やっぱりどう見ても小泉ジュニアは軽薄な悪人にしか見えない。

モックンはどう演じたんだろうか。

Re: No title

どもども♪コメントしつこく送信しちゃってごめんね~m()m あれっ反映されてない!?って焦っちゃって;;
(。「あなたが避難した原因は、アナタの中にある」ってまさに!だわ~)

修理さん、あの微笑みが素晴らしかった!
ガオシルバー、毎回見るのが楽しみになってきてヤバイんだけど(>▽<) 現代ならきっと「天上天下唯我独尊」とか刺繍した特攻服を心底カッコいいつもりで颯爽と着こなしてるでしょこの人♪ 

だよねだよね!!!私も八重さんの気持ちがよーーーくわかるし、幕末会津に対する思いはただ1つ「理不尽」しかないな~
大穴というか、後世の目=結果論から見れば色んな批判はありうると思う。最大の大穴・京都守護職を引き受けなければとか、もうちょっと柔軟だったらとか、秋月を左遷しなければとか、いくらでもね。でもさ、そういう「欠点」や「失敗」はあっても、それがそんなに、まるで「悪いこと」みたいに責められることだろかと。結果論から見た欠点は美点の裏返しでもあって、欠点をなくしたらせっかくの美点もなくなってしまう類のもんだし、何より気が進まないことも「お上のため徳川のため」って投げ出さずに一生懸命やったんだから立派じゃない!?なのにそれが報われない(どころか朝敵になっちゃった)ってのが一番クルんだよね~(T_T) だからせめてその気持ちだけは汲まなきゃと思ってしまう。慰霊みたいな意味で(村上弘明の意味深な笑いって、京都守護職時代のかな?ならたぶん「うま~く押し付けたぜ」みたいな意味じゃないかと)

作家で山田風太郎さんて人がいて、私その人の視点みたいなもんをすごく信頼してるんだけど、その人が「だって会津かわいそうだよ。会津は何も悪いことしてないもん」って言ってたのを読んで、「やっぱし!?でしょ!?」って、もう「わが意を得たり」って感じがしちゃった(>▽<)

八重の桜でも、上記の「批判」みたいな部分はけっこう描かれてるんだよね。「会津は頑固で」なんて何べん出てきたかって感じだし、秋月たち身分が低い者が取り立てられることへの嫉妬や融通の効かなさとか、色んな面で遅れてるってあたりとかね。殿も思いっきり家訓ぬ振り回されてる存在として描かれてるし、覚馬や尚さんの描写はそういう体質へのアンチテーゼにもなってるし。
ただ、そういう存在である覚馬や尚さんが、同時に会津を一途に思う人として描かれていたり、殿がそうなる動機とかもきちんと描かれてるじゃない?だから単純な「会津が悪かった」的な「結果論の批判」になってないんだよね。他人事の批判じゃなく、思いっきりシンパシーを抱いた上で批判しているみたいな。

あとやっぱし、薩長が色んな面で会津より進んでて、会津はうま~く追い込まれたってのもあるよね。色んな面で進んでる国が、本気で戦争を仕掛けてきたら、仕掛けられた方はもう逃げられないよ。150年たってもアメリカとイラクみたいなことが起こるんだもん(^^;) イラクが負けたのはアメリカのせいか、イラクのせいかは結局「どの面から見るか」が答えになるだけで、あとはまあどっちにどれだけシンパシーを持ってるかっていう個人の感情で決まっちゃう気がするね~~;;戊辰戦争も同じで(で私は8割がた会津にシンパシーと(^^;))

うん、修理はようわからん。。。あきらかに慶喜のせいだと思うけど(^^;)慶喜にその責めを負わせるわけにいかんし、その代わり殿に責めを負わせるわけにもいかんし、ってことでどんどん水が低きに流れていった結果、関わっちゃった修理に行っちゃったのかなとしか私には思えない;;たぶんすごい空気だったと思うんだよねあの時の会津陣営は。そういうすっごい怒り悲しみの時って、それをぶつける対象が欲しい時があるじゃない?あの集団心理版というか。語弊があるかもしれないけど、原発事故直後の東電ヒラ社員みたいなもんかもしれないね修理は(^^;)
三郎と白虎隊は・・・どうだろ?また違うというか、八重さんの思いを形にしたらああなるんじゃないかなという気が。ただ白虎隊は、飯盛山に着いた時点で矢尽き刀折れの状態だったから、もう城下が勝ち目ないと悟った時点で切腹してたかも、てのはしよりさんの受け売りだけど、ヘタに城下に参戦して敵に捕まるなんつー「武士の恥」を晒すよりは、もう潔く、みたいなね。

モックンの慶喜も、確か見たはずなんだけど覚えてないんだよね~。養子に行く前仲間たちとノビノビやってたワンシーンしか(^^;) 小泉ジュニアだと「見た目は上品なのになぜか品性・品格を感じられない」という絶妙さがハマりすぎだね~(>▽<)

No title

「ならぬものはならぬ」というのはある意味会津の長所でも短所なんでしょね。

会津の郷土史家の畑敬之助氏は「戊辰怨念の深層」でこう述べてます。

「タテマエは幕府の維持と公武合体の強化といっても、諸藩の多くはそれぞれ別な方向に向いて歩き出していた。にもかかわらず断固として長州を倒そうとする態度には、冷静さと客観性を失った偏執狂的異常さすら感じる」

また勝海舟の日記にも禁門の変の残党刈りにおいて会津が捕らえたものすべて首をはねたことを耳にし、これらの人々も生かしておくことも出来ないのかと会津を批判してます。

会津は味方になれば頼もしいかも知れませんが一度敵対すれば恐ろしい存在ですね。

話は慶喜公に戻しますが、鳥羽伏見の評価には二つの見方があると思います。

一つは結果を重視する見方ともう一つは結果までの状況や過程を重視する見方、

私は後者の立場で、やはり結果から

「見捨てた」

という表現と

「見捨てざるを得ない状況に追い込まれていた」

とではニュアンスがかなり違いますからね。

では逃げ出さざるを得ない状況とは?

これはまだまだ研究の余地が残っていることですが、まず慶喜公が以前にも述べた通り、血筋や政治的立場で幕府内にも敵対勢力がいて軽んじて見られていたこと、それと体制的に各事バラバラに動いていた状況も致命的でしょう。

鳥羽伏見の戦い直前の状況を述べれば大坂側の慎重路線が前線部隊に水平展開しておらず、江戸の薩摩藩邸焼き討ちの報告が届いたあと、血気にはやる兵士が蜂の巣を突っついた状態となり、感情の赴くまま戦場に向かったといいます。指揮命令系統もバラバラで、ある意味数の多い幕府側が相手をなめてかかったといえます。

要するにサッカーの試合に発生するフーリガンに近いような状況で個人の力量で止められるか?

私は鳥羽伏見に関する幕府側の責任をすべて慶喜に求めるのは余りに過剰評価だと思っています。

「トップは逃げ出してはいけない」

確かにそうですが、この論理は軍の隊長クラスだと私は思います。

慶喜公は軍のトップよりも政治家的要素が強いと思いますね。これは少し弁護になりますが、慶喜公は何も残された人々のことを考えず逃げ出した訳ではなく、一部の関係者には一緒に連れて行くものと残って終戦処理する人を伝えてます。

そうまでして逃げ出さざるを得なかった理由、それはやはり国の混乱を防ぐ為でしょう。

こういうとアンチ慶喜派の人々から「うそつけ、ただの臆病ものだ」と言われますが。

江戸に戻った慶喜公にフランス側から協力の具申があった時に慶喜は以下のように述べて断わっています。

要点を絞ると、国の最高意思決定権は朝廷(天皇)にあり、一部の藩の策略で朝敵となったがかといってこれに逆らえば、国の秩序が混乱し戦国の世のようになる」(詳しくは徳川慶喜公伝参照)

とまあ、慶喜公は国の秩序まで乱して戦う意思は無かったようで、鳥羽伏見の際、幕府軍が携えていた「討薩の表」の趣旨は、朝廷に

「薩摩はこれこれこういう理由で幕府に挑発してきます。打ってもいいですか」

という伺いを朝廷に出して、それで受理されてからの戦闘、というのが慶喜公の趣旨だったといえます。

単に武力一点張りでなく政治的に相手を追い詰める方法ですね。

すみませんねこんなだらだらと、私、慶喜公について語ると長くなるものですから。

最後に言いたいのですが今回の大河ドラマや各種物語で慶喜公は悪役にされるケースが多く、慶喜公にマイナスな先入観をもつ方がいます。

でもそれがすべてではありません。私もK&Uさんと同じで、K&Uさんは会津に住み会津の郷土と歴史をとても愛している。私も私で、以前は静岡に住んでいて静岡が好きになり静岡の幕末維新時を調べたことあります。

静岡は維新後慶喜公が30年住んだ地でであり。静岡で活躍した旧幕臣を調べると慶喜と関わりある人もいて。また慶喜公に仕えた人物も子供を鳥羽伏見の戦いで亡くしたり、箱館戦争で戦った幕臣もいます。こういった面はあまり知られていませんが。

「幕臣を見捨てた、非情な人物」

と言われている人物に果たしてこんなに廻りに人が集まるだろうか?

ということで私も慶喜公にマイナスなイメージを持っていたが慶喜周辺人物を知るにつれて考え変わりました。

「慶喜は公的な立場で心を鬼にして脱出しなければならなかったが決して本心で見捨てた訳で無ない」

と私はそう思ってます。

大河ドラマや会津関係の本から見える部分が決して慶喜公のすべてでは無いです。

長々失礼しました。




Re: No title

はい、私も「ならぬものは~」に限らず、人間の性格はおよそどんなことでも長所であると同時に短所になりうると思っています。
それが長所になるか短所になるかは、どんな立場になったかで変わるというような。
う~ん「偏執狂的異常さ」とは思いませんが、必死だったのだろうとは思います。バラバラになりつつある諸藩をまとめるために。そしてそれはやはりタテマエでもなんでもなく、幕府のためでしょうね。
ただこういう「(何事につけ)一途な性格」というのは、ある一線を越えやすくなるのは確かだと思います。

そうですね。 「見捨てた」と 「見捨てざるを得ない状況に追い込まれていた」では全然違います。
ただまあ誰でも、「見捨てる」=「そういう状況になったからやむをえず」だとは思うんですよね。理由もなく人を見捨てるようなことを、あんまし人はしないんじゃないかなと。
確かに、幕府がかなり弱体化していて、もはや将軍自ら取る指揮系統も、うまく機能しなかったのだろうというのは、想像に難くないです。私の理解の仕方では、ちょうど昭和初期、中国で軍部が謀略が起こしまくった時の日本政府みたいなもんかなとか。それから原発事故が起こった時の日本政府も、けっこうガタガタでしたね。非常時に弱かった。
ただそれでもやっぱり、「だからトップには何の責任も無い」とも思えないです。私はトップの個人誰かに責任を負わせるのはあまり好きじゃないんですけど、あまり言い訳は聞きたくないというような。これはもしかしたらアンチ会津の人が、会津好きの人の言説を聞いて感情的に反発したくなるのと同じ種類かもしれませんね。

でも慶喜公にしたら、自分で言い訳できない以上、誰かが代弁してくれないと、ほんとに立つ瀬がないでしょうから、T.Nさんのように弁護する方の存在は必要だと思います。

ああ静岡にご縁があって、そのつながりで慶喜公LOVE(?)でいらっしゃるんですね♪
個人的にそういうのとっても好きです!「自分たちの町を、自分たちが愛している。その思いを堂々と表現する」というのが大好きで。そういうふうに愛されてる町っていいな~と思えて仕方ないんですよね♪
私もたぶん、静岡に転勤になったら「そうはいっても慶喜公も気の毒だった」と、会津LOVEのまま思うかもしれません。実際、私は会津から見たら「戊辰戦争で裏切った」新発田に実家があるんですけど、新発田も会津もどちらも好きですし。頭で、情報で理解したことなら、「どちらかが好きならどちらかが嫌いになる」で終わりかもしれませんけど、衣食住をともにして「情」がわいた存在なら、そんなふうに簡単に「黒か白か」みたいにはなりえませんものね。

私も、長々と失礼しましたm()m

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。