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小田山ウォーキング

八重の桜で、江戸へ留学する三郎が、故郷の見納めに小田山に登ってきたという話を受けて
尚之助「三郎さんの言ったことが気になって、私も小田山に登ってみたのですが」
八重「いい眺めだべ。ご城下が見渡せて」
尚之助「つまり敵から丸見えだということです」
八重「ハア?」
といった会話が出てきます。
後に起こることを冷静に予想している尚さんと、まったくわかってない地元っ娘・八重の、いまいち噛み合ってない会話が面白いシーンですが、それはさておき小田山ってめっちゃご近所!ヨーク門田店に行く時とか、県道64号を走る時、日常的に見ながら走ってるところです。

というわけで、「尚さんの言ったことが気になって、私も小田山に登ってみた」の巻です
行き方としては、鶴ヶ城の南口を出ると・・・

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そこは湯川の桜並木がキレイな城南通りで・・・

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そのまま行くと突き当たる大きな交差点が、小田橋&小田橋通り。

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向こうの桜並木あたりがそうです。看板が見えてますね♪

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鶴ヶ城南口から車で、そうですね~5分くらい?
ちなみに山本家があったのは、この城南通りを、桜並木とは反対側の方に行ったところ。
鶴ヶ城から来るより若干距離はありますが、エリアとしては同じくお城の南口方面なので、たぶん八重ちゃんたちにはこの小田山、比較的身近な場所だったでしょうね♪
「おお~ここが小田山。登るの初めてだな~」
とちょっとワクワクしながら、看板に従って桜並木を車で行きます。

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ところが実は、ここはまだまだ小田山でも何でもなかったことが判明
上り坂を、住宅地を抜け、なんだか威厳ありげな建物を抜け・・・

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ず~っと登っていくと、やっと「小田山入り口」が出てきました!

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って遠いじゃん エリア的には城南仲間だけど。
ここら辺は「花見が丘」という番地になるようです。こんな広い住宅街だなんて知らなかった!

P→の看板に従い、「もし向こうから車が来たらすれ違えないんじゃ!?」とドキドキするような細い山道を走っていくと、無事に駐車場(という名の空き地)に到着。
空き地(に見える駐車場)には、こんな看板が。

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史跡だらけ
小田山ではないけど、西郷頼母の墓や自刃21人墓なども載ってますね。
しかし今回私が目指すのは、尚さんいわく「敵から丸見え」な場所・西軍砲台跡
ではそこまで~イッテQ!(それライバル番組~

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山道を歩くのは、いいお天気だと気持ちいいですね♪
坂道を上り始めたと思ったらすぐ、第一の史跡(の看板)がどどん

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でも(下)って。う~ん下に下りるのは大変そうだな~パス
隣に立ってる看板に従って、ドンドコ行きます

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わりとすぐ、今度はこんな看板が現れました。

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横にはこんな説明書きが。

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新島八重や白虎隊が、ここで銃の練習をしたんですってお墓を射的にして。ってオーイ八重ーー
射撃場跡(というかお墓)まで行ってみようかと思いましたが、すんごい獣道で断念
八重さんたち、この山をよく銃を担いで登れたもんです。力持ち伝説はたぶん本当。
と、手ぶらな私は既に息切れしながら、感心しつつ先へ進みます
いやほんと、こんなヒルクライム↓は久しぶりで

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歩いてると、どことなく懐かしの村上城跡・通称お城山を思わせる小田山。
と思ったらここもお城山なんだそうですね、葦名氏の(山頂には葦名時代の城跡が)。
なるほど~だから葦名氏のお墓とかあるのか!
と思いつつ進むと、次の史跡が。

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ここの史跡も確か、葦名家の時代のものだったと思います(うろ覚え)。しかしこれまた戊辰戦争で焼けてしまったそうで。
西軍砲台跡地への、会津藩必死の攻防が目に浮かびます。

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ちょっと行くと、今度は柴兄弟のお墓(があるお寺)への分かれ道が。
柴五郎の「ある明治人の記録」は、斗南での壮絶描写や、東京での生活など、興味深さテンコモリの内容ですが、個人的に一番感心したのは「よくこれだけ細かく覚えてるもんだな~」という、老人ボケとは無縁らしいその頭の働きでした(私なんか既に、かなりの部分が忘却の彼方なので

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こんな史跡も
ほんとに小田山って史跡だらけ!

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しかしなんだかさっきから、お墓ばっかりだな~
もしかして小田山全体が、昔からそういう場所だったのかな?(いや葦名時代の城山でもあるけど)
などと思いつつなおも山道をのぼっていくと、おお!ついにこの看板が!

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どれどれ~?

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おおほんとだ!お城が丸見えだよ尚さん!

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ちなみにお城手前にある、どでかい武道館みたいなのは鶴ヶ城体育館です。
鶴ヶ城の周りにはこの体育館初め、陸上競技場や県立博物館など、様々などでかい文化施設があるのですが、当時はこれら全部が鶴ヶ城だったはず。
ここからもう一曲がり、山道をのぼると。

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ついに到着!
下を見るとこんな立て札が。

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ああこの場所に大砲を置いたのね~
いちおうそこまで行けるよう階段がついてますが、今は草が生い茂って、つわものどもが夢の跡。

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お城がめっちゃよく見えるよ尚さん!
しっかしキレイなお城ですね~鶴ヶ城。特にこの時期、桜に囲まれると赤瓦も桜色に見えて、なんだかたおやか~な風情 いや夏も秋も冬もそれぞれにキレイだと力説しておきますが
 
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ここはまさに「いい眺めだべ。ご城下が見渡せて」という八重さんの言葉通りの場所でした。
県道64号のコナカやコジマなど、毎日通ってるようなお馴染みの場所から、会津村の観音様のバックに広がる磐梯山まで一望できます。
(写真右上の山すそに、白い棒がぽつんと立ってるのが見えますか?あれが会津村の観音様、すなわち磐梯河東IC方面です。あの山を越えると郡山へ)
ご城下をしばし見渡して、下山します。

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車を出して、来た道を戻っていくと、行きには気づかなかった史跡発見。
おおここが、葦名家のお墓跡か!どれどれちょっと寄ってみよう

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会津領主の歴史は葦名氏から始まります(しかもそれが20代目・200年くらい続いてる長い!)が、そのお墓跡は、はっきり言って、住宅地に囲まれた空き地って感じ
しかしお天気いいせいか、このぽっかりとあいた空間が、意外ととっても気持ちよくて

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桜のせいでしょうかね~?
なんだか落ち着く、心地よい場所でした。

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こっちは桜がなくてかわいそうだなとか
え~と確か、こっちが17代目で、桜のある方が16代目だったかな。
16代目の頃が一番栄えた時代みたいで、ああ~あんま恨みとかなさそうな人のお墓だから、この場所もなんだか気持ちいいのかしら?とか勝手な解釈

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さて来た道をなおも戻ると現れたのは、そうここ!行く時なんだろ?と思ったとこ。

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いきなり「シー」と言われて「?」でしたが
「ここは戦争で亡くなった人が眠っているところです」


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なるほど、ここに若松連隊があったんですか~
現在はこのお堂に、戦没者のお骨が安置されているのね。
しかしお堂の看板「だからここで遊ばないでください」じゃなく「静かに遊びましょう」っていうのがいいですね うん兵隊さんもたぶん、無邪気に遊ぶ子供たちのことは、微笑んで見守ってくれるんじゃないかな??
敷地には隣接して、動物たちのお墓も

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敷地の左側には、「思い出の塔」という、桜に彩られた時計塔が。
あれでも今ってお昼頃だけど。手入れしてないのかな?

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と思ったら、これはガダルカナルで会津連隊が総攻撃(≓玉砕)に出た時間なのだそうです。
「思い出」というには、あまりにも悲しい思い出ですが、お前らを忘却のかなたには追いやらないぞという仲間の思いのようなものが、ネーミングから伝わってくるような。

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塔の裏には、ガ島の遺骨収集に参加した県内の人たちの名前が。
「遺族」や「生存者」といった肩書きのもと、1982年か83年まで記録されていて(うろ覚え)。
昭和50年代後半。このころはまだ、戦争の記憶をリアルに持っている人が大勢いたんだな。

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私は戦争だけは避けたいし、当時の人たちもきっとそう思ってただろうと思うので、戦争で亡くなった人たちは、軍人も一般人も等しく「犠牲者」であり「気の毒」であり、あまりこう「素晴らしいと褒め称える」とか「ありがとうと感謝する」なんていうのは、ちょっと違うなとず~っと思ってたんですよね。なんかこう、勝手な言い分だな~みたいな感じがするのと、戦争美化につながっちゃいそうなのが怖いのと。
しかし原発事故以降、どうもこの考え方が自分の中で覆されちゃった感覚があるんですよね~
福島原発で、それこそ命がけで作業してらっしゃる方々や、故郷を守りたい・復興させたいと願う方々なんかを思うと、そこにあるのは私の場合、「ありがとうという感謝」や「(褒め称えまではいかなくても)頭が下がる、尊敬する」に近い思いで(もしかしたら「共感」すらあるかも)、逆に「犠牲者」とか「気の毒」なんてのに、どっか上から目線を感じてしまう。
で、もしかしたら、当時の人たちが軍人さんたちに対するリアルな思いとかも、これに近かったのかな~とか。原発事故前はまったくピンと来なかったけど。
もちろん、だからって戦争や原発事故がヤなのは変わりないし、そんなことはなきゃないに越したことがないのは当たり前です。「気の毒」という言葉はなんだか不適切な気がする今日この頃だけど、でもやっぱり「この時代でさえなければ、こんな死に方をすることもなかっただろうに、不運だ気の毒だ」とも思うし。でも、それだけじゃない、と。
(ていうかマッチングもありそうですよね。パリパリの職業軍人に「犠牲者だ」なんて言ったら怒られそうだし、赤紙で泣く泣く引っ張られた人に「素晴らしい」とか言ったら「ふざけるな」だろうし)
などと思いつつ、大きい慰霊碑のかたわらに「満州」の文字を見つけ。
「お?」と裏を見ると。

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会津から満州に移民し、敗戦間際のソ連軍侵攻による混乱に巻き込まれ亡くなった、開拓団の方々の慰霊碑でした。
そうか~~会津からも行ってたんだ~~
私の父ことじーちゃんも満州帰りなので、なんだかじーちゃんの旧友のお墓にでも出くわしたような気分です。もっとも満州といってもかな~り広いので(一応国ですから)、じーちゃんのいた鞍山と満州会津村では、きっとかなり離れていてお互い行き来もなかったろうとはと推測しますが。
「満州引き揚げ」の際のあれこれは、今も語り継がれる悲話ですが(え?語り継がれてない?)、じーちゃんいわくこればっかりは、満州のどこにいたかという運、そして自分の年齢や体力などの運、だったそうです。そして開拓地から、敗戦の混乱きわまる中を命からがら逃げてきて、やっとたどりついた収容所で、日本への引き揚げ船を目前に力尽きる人も数多くいたとも。

帰りたかっただろうな~~~~~~

みんなどんなに帰りたかっただろう。ガダルカナルで玉砕した人たちも、日清日露の戦死者も、慰霊碑横の石碑に刻まれた、満州会津村のこの1人1人も。

とかちょっとしんみりしつつお堂の前で手を合わせ、さて帰ろうと振り返ったら・・・

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桜並木が!
まるで「お帰り~~~」という遺族の方々の声が両側から聞こえてきそうな桜並木が!

そうか、みんな故郷に帰ってきたんだ。体は異国に眠っていても、たとえ死ぬ時は辛い思いをしたとしても。
なんて思いたくなった一瞬でした。
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

コメント

Re: TM音源

こんにちは。
それが、なにぶん20年も前のことで、テープとかすべて処分してしまって(汗)
お役に立てなくて申し訳ないですm()m
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