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八重の桜・第15話

八重の桜・第15話の感想です。
実は今回、お出かけしていて前半を見れませんでした
なので今回の感想は、ほぼノベライズによるものですm()m

さて最初は、新島ジョーが出てきましたね。見れなかったけど
ジョーが到着したアメリカは内乱が終わって国家再建中、一方ジョーが別れを告げてきた日本は内乱間近。
余談ですがこれに似たことをというか真逆なことをというかを、父ことじーちゃんが実際に体験してます、満州で。
戦時中は満州製鉄で働いていたじーちゃん。戦争が終わって満州から引き揚げる際、心ある中国人に言われたそうです。
「敗戦でも平和になった君たちは幸せだ。我々はこれからまた戦争(国・共戦)だ」
この言葉が、後々まで深く印象に残っていたのだそう。

さて日本は内乱間近。さらには将軍も上洛したというのに、歩兵は居酒屋で酔っ払って、新撰組の斉藤に、武士の魂(?)であるちょんまげを落とされてしまうという士気の低さ。そういや銀さんたちは、将軍茂々のチョンマゲ切っちゃってたなあ
ここにかけつける新鮮組&別撰組。ああここはTVで見たかったなあ。ドラゴンアッシュと中村獅童、ハマるとすごくカッコよさそうなシーンでしたが、どうでしょう?カッコよかったですか??
一触即発だった新撰・別撰も、これでお互いを認め合い。てかこれじゃ他校のボスとケンカして仲良くなるという、昭和の少年マンガですね ああやっぱり見てみたかった!

ともあれ、そんな中、ついに突入してしまった内乱。第二次長州征伐。
しかしハナから幕府の足並みが揃わない、戦意も上がらない上に、始まってみたら武器が旧式!弾が届かないってあらまあどうしましょう
これは後に会津を舞台に、会話じゃなく、実際に目の当たりにさせられます。やだわ~~~悪夢~~~。こういうふうに、向こうの弾はドンドコ届いてる真っ最中なのに、こっちの弾が出ないとか、あるいは向こうまで届かないとか、そんで「あれっ!?あれっ!?!?」とか必死で焦る系の夢って、時々見るような気がするんですが、すっごい心臓に悪そうな悪夢です。それが現実なんておおう考えたくない。よく白河の戦いとか「東軍と西軍では武器の新旧が違ったのが敗因」とかサラッと書いてあって、私も「ふんふんなるほど」とサラッとわかった感じでいたけど、実際に目の当たりにするのはきっと、身に迫るオソロシさでしょうね

これを可能にしたのが薩長同盟。というか薩摩!
長州・カツラの言ってることは、後に賊軍となった時の会津の思いとほとんど同じで、良くも悪くも「一直線」ぽいあたり、意外と会津と似たもの同士なのではとすら思えるんですが、しかし薩摩は。薩摩はなんか違う!
「薩摩は兵は出しません。そうすれば同調する藩も出るから、幕府の布陣は穴だらけになります」
「お望みの洋式銃も、薩摩の名義で調達しましょう」
そうかキーパーソンは薩摩だったのか!私的に「薩長同盟」って、「戊辰戦争」とか「大政奉還」とかと同様、中学歴史で習う言葉の1つに過ぎなくて、幕末の動きってごちゃついててよくわかんないけど、なんかこの単語は必ず出てくるよなあ程度だったのですが、そうかこいつ(=薩摩)の動きがすなわち幕末の動きだったんだな!?って超今更 これはもしや中学でわかっとくことだったんじゃ
「会津とはどうなってる?」「すでに手は切りました」
あっさり~~~こわい~~~ この、風見鶏とはまた違う、冷徹な動き方がつくづくこわい~~~
以下はヨタ話として聞き流していただければですが、個人的大好きなオカルト本「闇の検証」(という、歴史上の有名人を霊視しちゃおうというトンデモ本)の中で、島津斉彬を評していわく
「つかみどころがない。えたいが知れない。人物として大きいんだけど・・・」
「情の面で少し変わった人かもしれない。使えるタマ、使えないタマをしっかり分けていて、使えなくなったら斬り捨てるというのが平気でできる。大きなことをなすためには多少の犠牲はないとはいえ、その犠牲に対する心の痛みが全然無いのよね。細かいことは気にしない、でもそれって細かいことなのか?」
「犠牲に対して心が痛まない。そういうことが許される時代ということがしっかりわかってる」
(ちなみに島津家全体に対して「家臣が死ぬことに対して、あっけらかんとしている。次がいくらでもいるって感覚」だとも)
あくまでも「霊視」というトンデモ話であって、これが「事実」なんて言いたいわけじゃまったくないのですが、個人的にこの評が、この時代の薩摩藩の動きに対する感想と、まったく一致しているのが面白いなと。「死せる斉彬生ける西郷を走らす」か?

さらに「泣き面に蜂」とはこのことか。将軍茂々・・・じゃなくて家茂まさかの死去!
まさかねえ、まさか死ぬとは誰もが思わなかったでしょう。
たぶん薩摩なら、まず考えることは、次の手をどうするかという現実的な手段でありそうなところですが、容保公は、ひたすら自分を責めるのみ。こんなところが斉彬公とは正反対っぽい感じ。私は断然容保公の方に好感ですが、人柄の良さと、政治家としての資質は、時にお互いを削りあってしまうものなんでしょうかね~。次に出てくる人のように

というわけで次に出てきた人、慶喜
こういう状況なんだから、天下安泰のためにどうか将軍にと懇願する春嶽に対し
「よく似た話があったな。公武合体のため、天下のためと言われて、奥州の一大名が京都の守護を引き受けた。身を粉にして働き、今も四苦八苦の有様じゃ」
上はノベライズでの言葉ですが、いいぞ慶喜 言ってやって と、初めて慶喜の言葉にスカッとしました
しかしこの状況で、「宗家は継いでも将軍は継がない」なんつー斜め上のことを平気で主張できるのは、PTAの役員決めすら針のムシロに思える小心者にはある意味うらやましい 人に嫌われるとか平気なんだろうかな~
しかしね~もしそうならせめて引き受けた嫌われ役は最後まで貫いてほしいわ。さんざんヤなことしといて途中で自分だけ逃げちゃったら、支えようとしていた人がモロその煽りを受けるのよ。って上の言葉を見る限り、わかってやってるんだろうから言うも空しいけど。

「私はもうそなたたちに担がれる神輿ではない」
との不敵な言葉を残し、春嶽に「ザマーミロ」的な思いをさせてくれたのはありがとうですが、しかし征長に向けて「たとえ千騎が一騎になるとも、一歩も引かぬ」だの「命を惜しまぬものは余とともに」だの、この人が言えば言うほど、白々しくなるのはもはやお約束 いやこれは「アジテーションという言動が本質的に持つ怪しさ」なのを、この人が言うことで表面化してくれてるのかもしれん。見てる方は「だまされんなよそこの人」としか思えないもんね。そんなことまで思い知らせてくれて、今回はほんとにありがとう慶喜公

最後に会津パート。
お武家様の子って、やっぱりこんなちっちゃいうちからピシッと教育されるんですね。暮らしぶりとかモロ庶民ぽいですが、やっぱしこの人たちエリート層なんだわ~と再確認。
しかしうらはちょっと精神的に余裕がなくなってる様子。今までホンワカと山本家に馴染んでる様子が続いた分、「あ、確かに人が変わっちゃってる」→「それだけ状況が悪くなってピリピリしてる」とわかる描写でしたね。会津藩の状況の悪さが、廻りまわって家庭にまで影響を及ぼして、一番弱いとこ=みねさにしわ寄せがみたいな。
八重とユキの
「幕府が動き出したら戦なんてすぐ終わるもんだと思ってた」「私も」に「私も」と思わず井戸端会議に参加してしまいました たぶんこれが当時の、一般庶民の見かただったんでしょうね。いやもしかしたら江戸城の閣僚たちも。
「今年は米もダメだ、これからどうなるんだろう」とかも、薩摩みたいに海経由・沖縄経由の貿易とかで立て直したお金持ち藩じゃなく、基本お米で成り立ってる藩が、そのお米が苦しいのに軍制改革って、そりゃもう相当厳しいよなあと。今からやっても遅いけど、でもやらないわけにはいかない、しかしそのためにさらに苦しくなるという、これまた悪夢のような悪循環
余談ですが、私の実家・新発田には「会津街道」が通っていて、江戸時代の参勤交代時とか、会津から米が運ばれてくる時とか、この街道もよく使われたのだそうです。そう昔は会津って、新潟に米を輸出するほどの米どころだったんですよ!いやまあ今も米どころなんだけど、私は引っ越してくるまで知りませんでした 新潟米の知名度に比べて、なんか損してる気がします
それはさておき、そういう物資を輸入・輸出する際、陸路と海路では圧倒的に陸路の方が高くついたんだそうです。で、これも会津藩の財政を苦しくする一因で。
そういや現代でも、新潟と比べるとガソリンとか明らかに高いしな~。これはタンカー直と陸路経由の違いなのかしら???
海の有無は色んな面で、各藩に影響を及ぼしてたんですね。

と、ここでも「泣き面に蜂」、会津の町で火事が勃発!
火元である「後之分町」って、調べてみたら今で言えば七日町のレオ氏郷南蛮館あたりみたいですね。んで八重ちゃんちは、そこから桂林寺通りをずーっとずーっと、山鹿クリニックや竹田病院も通り越してまだ行った先。なるほど確かに火元からはけっこう距離ある っていきなり竹田病院とかローカル情報出されてもですよねえ えーと鶴ヶ城のお堀っぱたに大笑屋っていうラーメン屋があるんですけど、そのお店と山鹿素行生誕地の間の通りを行くと、ピサの斜塔みたいな病院があって、そこを曲がると(ますますローカル情報
ついでにみねさがいるかもしれない諏方神社は、後之分町と八重ちゃんちの中間くらい。ピサの斜塔の横道入ったところにあります。このピサが山鹿クリニックでしてというどうでもいいローカル情報はさておき、なにーーー!?大丈夫かみねさーーー!!
ちなみにこの諏方神社、TVではやけにちっちゃい神社でしたけど、当時はもっともっと広い神社だったはずです(今は規模縮小)。当時の本殿は戊辰戦争で焼け落ちてしまったそうですが、鳥居には今でも弾痕が残っているとか。へ~~そんな戦跡があったなんて知らなかった~ 山鹿クリニックのあたりなんて、幼稚園のお迎えで毎日のように通ってたのになあ。

次回は無事みねさも見つかってほっとしたのもつかのま、慶喜、春嶽に勝も加わって、三つ巴の化かしあい。西郷と岩倉も顔を出しと、だんだん闇が立ち込めていくような中、ここだけ妙に白く輝くような、お久しぶりの殿&帝のツーショット。行く手を照らす光のようなこのシーンが、まぶしすぎてむしろ不吉です これ絶対光が消えて、殿を真の闇に置き去りにするためのまぶしさでしょーーー。やめてよーーー
と、ゾクゾク満載の次回ですが、個人的に一番楽しみなのは、元祖ツンデレ(?)中野竹子初登場なのでした。メイサ期待してます!
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

No title

こんにちは。
相変わらずジョーは男から見ても男前ですしオニカンとハジメの対峙にはゾクゾクしましたよ。どちらも戊辰生き延び組ですから期待度はますます上がりますね!
さて、戊辰戦争ではよく語られる銃器の火力の差。悲劇を助長するには適した表現だと思いますがこれが戊辰以前、鳥羽伏見以前からその差が歴然だと理解していたならばそれでも新式を買えない会津のお台所事情は想像より遥かに厳しいものだったということですね。
薩摩の駆け引きによりその矢面を完全に会津に向けられたわけですがこの時のサカモッさんのあっさりした関わり方こそ史実のような気がしました。(あくまで武器商人。俺も龍馬は好きですし龍馬ファンには申し訳ないですが)里見白虎隊のように「何故龍馬を斬ったぁ~」と修理が新撰組屯所に押しかけるシーンは脚色が過ぎるって今でも思います。
4年もいればいくら田舎侍といえど情勢が読めます。会津武士が交渉下手というよりは風見鶏的なことを最も嫌う藩だったのかもしれませんね。もっとお金があればグラバーさんもこっちに売ってくれたなんてことはないですかね。それもムリですね。

Re: No title

こんにちは~♪
おおオニカンとハジメ、見ごたえあったようですね!土曜の再放送に期待しようかな♪
そういえばどちらも警察に行くんでしたっけ?確かハジメと時尾さんが結婚する時も、仲人の一人がオニカンだったというし(大蔵も仲人の一人)、お互い通じ合う仲の2人だったのかもしれませんね~(^^)
そうですね~。わかってても軍制改革できなかったというのは深刻です。ドラマで再三出てくる「頑固だから」ももちろん一因でしょうが、一番大きかったのはやっぱり財政でしょうね。余裕が無いと保守的にならざるをえないし。
私は坂本龍馬ってもともとあまり思い入れが無いので、このあっさり出演はなおさら違和感ありませんでした(^^;)。それよりも薩摩や長州の動きの方が気になる~みたいな。当時の会津藩もたぶん、問題は薩摩や長州など当面の敵の動きと、それに対して自分たちがどう動くかであって、誰がお膳立てしたとかの謎解きは、優先度低かったんじゃないかと思うんですよね。秋月さんとかいたら、そういう情報も仕入れてくれたのかもしれないけど。
ああ!確かにそのとおりかもですね!>交渉下手というよりは風見鶏的なことを最も嫌う藩だった
グラバーって、この時代の武器商人だったんですね(@o@)。なんだかお花が咲いててオシャレな建物がある長崎の観光スポット、としか思ってなかったので、そのラブ&ピースなイメージと武器商人のギャップに今更ながら驚いてます(^^;)

Re: No title

こんにちは♪

メールがなぜかエラーになってしまうので(汗)、貴ブログサイトのメール欄の方に送信してみました。
うまく届いていますでしょうか・・・?ドキドキ
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