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八重の桜・第11話

八重の桜・第11話の感想です。

今回は「予告編」というゾクゾク感な回でしたね。長州征伐の予告。あるいはいずれ鳥羽伏見で戦う三郎くん、及びその三郎くんを通じて描かれる、白虎隊など会津戦争で「年齢詐称してまで戦い、若い命を散らしていった子たち」の思いの予告。

個人的には、この三郎くんの思いがとっても印象に残った回でしたが、まずはそれ以外の印象に残ったシーンを。
最初は象山先生の暗殺!
この人の案にかなり期待していただけに、殺されてしまったのは残念でした。
本人に至っては、もう残念無念としか言いようがないでしょうね しかも「背中に傷があったからお取りつぶし」って、死んでからも報われない 敵に背中を見せて逃げたって言うけど、だって囲まれてたじゃんね 吉田松陰じゃないけど、そんなチンケな言いがかりを罪状にされる方が死罪より屈辱だと思うわ~
しかも会津と関わったのが暗殺の一因だなんて、なんでやねん 石清水八幡宮で「朝敵会津を討たせたまえ」みたいなお祈りにも「なんでやねーん」と思わずムカっときたけど、ほんとに理不尽だと思うわ~この状況の流れは。 
ついでにこの京都シーンでは梶原平馬の株が上がりましたね。なるほどだてにギラついた男の人じゃなかったのね 
個人的にどうもこの人は見るたび親戚の某叔父さんを思い出してしまいます こういう「俺は仕事も遊びも強いぜ」的な如才ない人って、必ず身内に1人はいるタイプじゃないですか?なんかリアルで。
それにしても今週も、先週の池田屋事件で会津藩がドヤドヤ駆けつけてくるシーンとかでも思いましたが、このころの京都って、今ニュースでよく見る、外国の市街戦してる町みたいなことになってたんですね
普通に庶民が生活したり遊んだりしてるようなとこで、武装兵士がゾロゾロ闊歩してたり、テロ事件が頻発したりなんて、今の日本にいるとすごく遠い話みたいだけどな~

そして2週にわたり安定のヘナチョコぶりを見せる慶喜公
「長州を追い出したのは帝の意思だったんだろうか(=会津が勝手にやりやがって迷惑な)」
「いや俺はそうは思ってないよ。ただそういう噂もあるからさ」
などなど、ハア?と呆れて口ポカーンしてしまうようなことを平気で言えるのが慶喜公 この人のこういうヘナチョコな・・・いや柔軟な性格のおかげで、南北戦争みたいな内乱は避けられたのだとは思ってますが、同時にやっぱり容保公や会津はそのとばっちりを受けたんだなと思われて仕方なく 長州には「奸賊」とレッテルを貼られ、一応味方(というか主君)のはずの慶喜公はこの有様という容保公がほんと不憫です。
もちろん孝明天皇は、そんなヘナチョコ発言などあっさり否定してくれますが いやあこの会議シーンは気持ちよかったわ~スカッとして♪ 最後に御簾が上がって、孝明天皇と容保公が(慶喜そっちのけで)見つめ合うところなんか、ようやく再会できた織姫と彦星みたいでしたよ

そうそう、容保公と横山トミーとのお別れシーンもよかったですね。
体壊してる上司と部下同士が、お互い相手を我がことのように労ってて。
秋月のことも以心伝心でしたしね。よかったよかった♪
私は白河口で戦死するのはてっきりトミーだと思ってたのですが、どうやらそれは息子さんのようですね。トミーはこのまま病死してしまうらしく

あと、ほんのちょっとのシーンでしたが、ユキの刺繍のところも。
大好きマンガ「清らにたかく」の作者・しよりさんによると、京都時代の八重は刺繍を趣味としていて、その作品も残っているそうで。
てことはつまり、八重は決して裁縫が嫌いなわけではない=単なる男まさりキャラではないという解釈のもと、家族の着物を喜んで仕立てるような家庭的な人として描かれていて、私もそれにかなり納得でした。なるほど嫌いだったら、わざわざ趣味で裁縫なんざしないわ~とは、自分を省みても強くうなづけます 一度「男まさり」という伝説になると、色んな個人情報が取捨選択されてふくらんだりするのも、よくあることだしね
で、今回の大河でわざわざユキの刺繍をクローズアップしてるってことは、これをきっかけに「目覚めた」って感じにするのかしら?なんて思いました。いずれにせよ、説得力があればどういう描写でも視聴者的にはかまわないので、今後に期待です♪

で、今回一番印象に残った三郎くんの思いなんですが。
個人的には、前にも書いたとおり、三郎くんだったら「清らにたかく」あるいは「あした咲く花」の描写の方が、私は好きです。自分を「ヒョロヒョロ」扱いする強い姉・八重の言動は、単なる強さじゃない、優しさから来るのだと誰よりも見抜いていて、八重を心から慕い、そのため八重にとっては心の支えという存在でもあるという。だからこそ八重は篭城戦に臨んで、あえて三郎の袴をはき「1つは殿のため、1つは三郎の仇を取るため」と銃を取った。

しかし今回の大河ドラマの描き方も、これはこれでアリだなと説得力ありました。当時の、そしてもしかしたら今も案外変わらない、若者特有の等身大の気持ちというかね。
工藤選手の息子さんがそんな熱い若者役にぴったりハマっていて、佐川官兵衛とのシーンなんか、獅童さんの迫力もあいまって引き込まれるものがありました。
国難に際して、自分も役に立ちたい、国を守りたいという真摯な思い、お前だけを死なせはしないという友情、次男・三男としての立場や、家長代理としての責任感e.t.c.
これら全部ひっくるめて「若さ特有のヒロイズム」と言ってしまうこともできますが、そして私はどっちかというと、そういうヒロイックさはあまり好きじゃないというか、「ロクなことにならない」とブレーキかけたいタチなのですが。
しかし、こうしてあまり好意的に受け入れられない反面、どっかでとっても愛しいように感じる部分も確かにあって。愛しさと切なさとみたいな(心強さはあんまし感じませんが

若い頃は、例えば太平洋戦争とかで、赤紙待たずに志願していった若い人たちとか、あるいは特攻隊とかには、「死に急ぐ」というヒロイックな気持ちが透けて見えるような気がするのが、どうしても好きになれなくて。なんかこう「お国に騙されてる!」みたいな憤りがして。
加えて
「軍隊に入ったら白米食べられるから志願したんでしょ。それだけ貧乏だったってことでしょ。特攻隊だって志願兵だって、自発行為と見せかけて、実はそうせざるを得ないように仕向けてただけでしょ。名誉だとか圧力とかさ」
と、そういう状況に追い込む「システム」が、非常ーーーにヤで。これは今でもそうです。

そういう拒否感・嫌悪感は今でもあるのですが、しかし今は同時に、ここにあるのは「騙されてる」「システムの問題」だけじゃないな~とも。突き詰めれば「自己犠牲」という「神の領域」が確かにあると。いやこれは神っていうか動物にもありますし、そもそも突き詰めるのが間違いの元かもしれませんけど。
けど神と動物の間で揺れ動く人間にとっては「最も尊い」「なくしちゃいけない」と思うものは、そこに確かにある、気がする。「自己犠牲」なんていうと究極だけど、「愛しい人や場所のために」「自分じゃない、他のために」って、わりと普遍的なことで。
だから厄介なんですよね。そういう部分を巧妙に操ってヒロイズム発動させたりする「神じゃない人間が作り出すシステム・流れ」とかも確かにあるから(と、堂々巡り

けどその、突き詰めれば「自己犠牲」に行き着く思いは、やっぱり否定できないなと。実際に死んでいった人たちへの最低限の礼儀としても否定したくないし、何よりその強い思いにどうにも心打たれてしまう部分が確かにある。そういう意味でとても愛しく、そしてそれが結局はシステム・流れに還元されてしまうこともあるのがとても切なく。
何年か前、「15歳の志願兵」というドラマがあったんですよね。見なかったけど
戦時中の旧制中学が舞台で、戦争に対しては比較的冷めた見方をしていて、そんなヒロイズムに騙されるような感じじゃない生徒たちが(だってエリートの卵ですから)、ふとしたきっかけですごく使命感が燃え上がってしまい(だってエリートってもともと使命感強いですから)、何百人もの子たちが志願するという、実話に基づくドラマ。
「冷めた感覚」と「燃え上がる使命感」という、ハタから見ればものすごい飛距離ある感情が、1人の人間の中に同等に存在してるという真実、その一方をたやすく燃え上がらせてしまう言説や集団心理(ましてや若者なら)、親や大人たちの切なさや思惑あれこれe.t.c...あらすじ見ただけで、すごくわかる気がする!これは良質ドラマ!と思ってしまいました、見てないけど(どうもドラマって見逃しちゃうのよね 八重の桜は頑張って見てるけど)。否定しようもない「真善美」がグロテスクに変わる、けどそのグロテスクな有様は確かに「真善美」を含んでもいるという解決の無さ。そしてそれを可能にする「集団心理」というもの等々が、とても琴線に触れて。

「八重の桜」を一緒に見ていたKK@小6が、三郎を見て
「なんで戦争なんかにそんなに行きたがるの?」
と聞いてきて
「う~んなんでだろうね~。俺が何とかしなくちゃって思っちゃうんだろうかね~」
などと、ダンナともども歯切れ悪く答えました。
決してそんなふうに思わないでねという気持ちと同時に、そんなふうに思う人間になってほしいという気持ちもどっかになくはないので、どうしても歯切れ悪くなっちゃうんですよね。「ね~~、バカだよね~~」と答えられればスッキリできるのでしょうが。

今回の三郎たち、ひいては後の白虎隊にも連なる当時の若い子たちの思いは、おそらく太平洋戦争中の「15歳の志願兵」たちと一緒だったろうと思います、見てないけど 
ほんとのとこは、その時代の空気を体感してない私には決してわかりませんが。けどこれは人間の根本部分に関わることであり、自分の中に両方あるから肯定も否定もできない思いである以上、決して他人事じゃない、過去のことじゃない。ただ「戦争」という非日常は、とりわけわかりやすい惨さをもってそれを見せつけてくるというだけで。

三郎くんの場合はもう1つ、親への愛情もありましたね(15歳の志願兵にもあるのかもしれないけど)。
「鉄砲の家は一段低く見られて、上に言ってもなかなか取り上げてもらえない。父上のご苦労、俺はずっと見てきたから」
この時の尚さんとの語らいシーンもしみじみと良かったですが、この後の父上とのシーンもまたよかったですね。ていうか個人的にこのお父上、前回あたりからどんどん好きになってきちゃって
俺は子供に同情してもらうほど落ちぶれちゃいないぞ、何度でもぶつかってきて親を乗り越えろという、親としての矜恃と教え。昔の親って偉いなあ(私はKK&Uにこんなふうに教え諭すことはできないな)。そしてそんな中、子供の成長に感無量な親の愛情もしっかり伝わってきて。
しかしそんな微笑ましい親離れ子離れが、戦争に出す出さないと直結してしまう時代は、辛いな~~~

次回はついに蛤御門!
会津藩最初で最後の勝利となった戦いですが、勝った戦ですらこのゾクゾク感なら、会津戦争に入ったらどうなるのかしら?今からゾクゾクです

あっそうそう、今週の祝日、3/20(水)は、八重の桜にも出てきた春の風物詩・彼岸獅子が、鶴ヶ城その他にお目見えです
よろしかったらぜひどうぞ♪
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

No title

こちらを見るまで工藤さんの息子さんだってことすっかり忘れてました。その位違和感無く入り込めましたよ。ただそこまで現在の15、6歳と幕末の15、6歳と比べてそんなに大人なのかなって少し違和感を覚えるのも事実です。昔は数え年だろうし。確かに15歳の志願兵を正当化するためにちょっと詰め込みすぎな感も否めませんが、ただ布石としたらもっと幼少三郎とのエピソードも少し欲しかったですね。
 もう一つ布石としたら鳥羽伏見での慶喜公の「容保殿、共をせよ!」と無理やり我が殿を敵前逃亡させるに至るまでのヘナチョコぶりがもう充分出来上がっていますね。これも見たくないけど見なくちゃならない史実なのでかなりイライラして見てます(><)
 いろんなイベントが目白押しでいいですね~。彼岸獅子是非見に行きたいといいたいところですがなかなかこちらも雑用が山積みで足を運べません。

Re: No title

こんにちは!コメントありがとうございます♪
工藤さんの息子は、意外なほど2世臭がないというか、すんなり役にハマってますよね。演技力高し!
そうですよね~考えてみたら、昔の15歳って、今の13~14歳くらい?昔は色んな不文律的制度が、今より強力だったので、モラトリアムしてることがあまり許されずに、大人にさせられちゃう面が今より大きいとは思いますが、子供は子供ですしね~。もうちょっと三郎とのエピソードの積み重ねが欲しかったのも同じくです。今までは影の薄い次男坊という感じでしたもんね(^^;)(だから反抗期が目立つのかもしれないけど)
慶喜公はね~~~(>▽<)毎回あまりにも不愉快すぎて、だんだん見るのが楽しみにすらなってきちゃいましたよ~;;「次はどんな不愉快なこと言ってくれるんだろう」みたいな(^^;)。おかげで殿の清廉っぷりは際立つし(^^)v
あら~残念です。でも年度末ですし何かとお忙しい時期なのでしょうね;;しかも今年の彼岸獅子は週半ばの祝日だし(去年は3連休だったんですけどね~)
どうぞお体壊さないようお過ごしくださいね。
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