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陸上自衛隊新発田駐屯地祭2

当日は兵営内を一般開放し、色々な部屋や施設、兵器などを見て歩き、軍隊生活の一端を垣間見ることが出来た。
また、兵舎前で等身大の兵隊人形が7,8名、実戦さながらに撃ち合っている戦闘場面は、よく出来ていて深く心に残っていた。
もう1つ子供心に印象的だったのは・・・


またジジイの繰言から始めてしまいましたが
2010年陸上自衛隊新発田駐屯地祭(のほんの一部の)レポ続きです。
上はじーちゃんご幼少のみぎりに体験した、現在の駐屯地祭の前身である、戦前の「軍旗祭」の様子ですが、現在は兵営内の一般開放はありません。
戦車やヘリなどを含む兵器の展示と、資料館の一般開放があります。

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戦車は、子供が乗っかって砲身を上下左右に動かすことが出来ます。
大人も乗っていいんだろうとは思いますが、かなり恥ずかしいと思います子供が喜ぶアトラクションみたいな感じですから。(マニアな方、がんばってください)
KK&Uも座ってみましたよ。
自衛隊のお兄さんが、後ろから支えて動かし方を教えてくれます。
座席も砲身も、スイッチひとつで動くのかと思ったら、意外と手動なんですね。

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いろんな大砲(って言うのこれ?)が並んでたり。
スミマセン、兵器に関する知識ゼロなもんで「あ~爆弾撃つやつね~」としか
ひとつひとつ説明板が出ているので、興味のある方は、ぜひ初夏の新発田へゴー。

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各種の銃も、大きいのから小さいのまで様々。
ほんとこういうの、名称とか全然興味なくって、後ろの看板見て「あっ映画とかでよく暗殺に使うやつ」とか
これらもすべて実際に持ってみることが出来ます。
が、ほんとーーに重いです。自衛隊のお兄さんが支えてくれるので、子供でもなんとか持てますが。
これ担いで歩き回るなんて、考えただけでゲソーっとなりそう

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戦闘機(というか新発田駐屯地はヘリ)にも乗ってみたかったんですが、あまりに行列が長くてパス。
こういう乗り物でも、ライフルや大砲(?)といったところでも、お客さんが自衛隊のお兄さんに専門知識を質問する光景が。
皆さん気さくに答えてくれるので、質問しやすい雰囲気です(私は初歩的過ぎるので遠慮しましたが

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ヘリのかわりに、ジープに乗ってみることにしました。
下の写真↓のような車に乗って、駐屯地の一部を一周できます。
これもけっこう行列でしたが、台数いっぱいあるのでヘリよりは短いかな~?

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並んでると、モジャモジャ君(KK命名)がふら~りと歩いているのを発見。
ちなみに今日の気温30度近く 大変ですね~~
せっかく暑い中着てるのにお客に素通りされてるさびしいキャラクターという感じだったので
「あの~写真撮っていいですか?」
と声をかけてみたら、こころよくOKしてくれたのみならず、「お子さんも一緒にどうぞ」
ということで、ありがたく一枚
Uは怯えていましたが、「こわくないよ~」とモジャモジャ君があやしてくれました。優しいね~
(でもやっぱりこわい

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それにしてもあまりに冗談みたいなカッコなので
「これほんとに実際に使うんですか?」
と思わず聞いたら
「使うこともあります」
とのことでした
冗談みたいなことが、戦争だとリアルになるのねたぶん。

さてジープの体験乗車は、乗る前に両側に銃を構えた迷彩服のお兄さんと記念撮影。
KKは銃を貸してもらい、なんだかポーズつけて写ってました。
が、ここら辺の写真はなぜかすべて紛失してしまい、載せられず
貴重なジープの中とか、車窓の景色とか、お見せできなくてスミマセン。
乗り心地はね~~。狭くて見晴らし悪かったです。窓に草ついてるし。
そういえばこの草は本物じゃなくて、どうやらプラみたいでした。
そして荷台みたいなとこに座ってたんですが、全然揺れませんでした。大したもんだ~。

車は、こういったジープ(って言うんですかねこれ?)や各種軍用車がどーんと並んでいるところをぐる~りと一巡り。
この時、手近にいた人に「駐屯地祭のパンフレットってありますか?」と聞いてみたら
「どうだったかな~。○○軍曹~、パンフレットってありましたっけ?」
と助手席の人に聞いてくれたりしたのですが、気さくな口調の中に混じる「軍曹」という響きが、ちょっと怖かったです(「鬼軍曹」とかよく言うじゃないですか)

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最後に、屋台に面して立っている、資料館へ。
上の写真左側↑ プレハブの建物です。

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外観こそあまり気合の入ってなさそうな資料館ですが、内容はなかなか興味深かったです。
普通に暮らしてたら、あまり見る機会ないものばかりですしね。
最初のコーナーは、自衛隊が駐屯している新発田城ゆかりのあれこれ。
以下、写真が暗くしかもボケボケですがお許しを

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戦前の、陸軍歩兵16連隊からの歴史が展示されています。
少し行くと、あっこれか~!これだよ!じーちゃんの言ってた「軍旗祭」の、ご本尊。
これそのものはレプリカらしいけど、昔の旗も飾られてるね。
よかった、これを見たかったんだ~。じーちゃんを偲ぶために。

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もう1つ子供心に印象的だったのは・とある部屋にひときわ恭しく飾られていた一本の旗である。
これが連隊旗-すなわち「軍旗」で、当日の主人公のお姿だった。
ところが-である。旗とは名ばかり、生地などまるでなく、ふちのフサだけの凡そ旗らしからぬ代物で、ボロッちいことこの上なしだった。
もっとも当時の軍旗などは、ボロければボロいほど尊しとされていたらしい。即ちあまた幾多の戦闘で「戦雲弾雨をかいくぐり、赫々(かくかく)たる武勲をうちたてた」と、まあ旗のイカレ具合が戦果のバロメーターという訳だ。
当時の文献や写真で見た限り、どこの連隊の軍旗も決まってボロだったように記憶する。
それにしてもどこの部隊も連隊も、全部が全部手柄を立てた訳でもあるまいに。現に「又も負けたか八連隊」と言われていた連隊もあったくらいだから。


陸軍歩兵16連隊旗は、明治17年8月、宮中で明治天皇から授与された。
日清、日露の両戦役、シベリア出兵、満州事変に日支事変、ノモンハン事件を転戦し、太平洋戦争ではジャワ攻略戦、ガダルカナル島争奪戦、ビルマ防衛線など連隊の先頭に立ち、61年間にわたって越佐健児とともに活躍した。
昭和20年9月、仏印サイゴン東方ホンカンで奉焼され消滅した-と伝えられている。



日清・日露から勝ち戦ばかりだった陸軍は、ガダルカナルでついに敗北。
新発田歩兵16連隊は、仙台や会津などの部隊とともに構成された「第二師団(約1万人)」として、ジャワ島からガ島へ。
しかし、総兵力3万人中、死者約2万、うち1万5千人は餓死という、「餓島」の様相を呈しながら、やがて歴史は敗戦へと動いていくのです。
このガダルカナルのコーナーで最も印象に残ったのが、その時亡くなった兵隊さんの鉄カブト。
弾の跡のある、ボロボロに錆びたカブト等が、並んで、ケースにきちんとおさめられているのを見ると。。。
「命は消耗品」だなんて。「あっさり死ぬことが美学」だなんて。
絶対に違う。いやそう思う人は思えばいい。でもだからって自分以外の人の命まで軽々しく考えないでほしい。
命を使い捨てるような戦争の仕方はやめてほしい。(そもそも戦争がヤだけど)

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こちらは、新潟および16連隊ゆかりの著名軍人。
山本五十六元帥の写真もありますね。
って、あっ私ってば本間中将の写真撮るつもりが、もろ切れてるじゃないですか~(ヒドイ失礼
やっぱりお祭りにはインスタントじゃなく、デジカメ持っていくことにしましょうね~。何枚でも撮れるし、その場でわかるから。

他にも新発田出身の軍人さんの、勲章ワンサカから陸軍大学校の卒業証書から何から飾られてたり、戦後の自衛隊の活動・平和的貢献や外国での共同演習のパネルなど、色々興味深い展示があります。
出入り口には各種パンフレットもあって、これまた色々いただいてきました。

この頃になると、屋台ももう仕舞い支度。
1個100円とかで売ってたバザー用品が、もう「はいすべてタダ~」「タダですよ~」
でも実にいらないものばかりで といいつつ、子供用のpicoと大皿をタダでもらってきましたけど


そうそう、本間中将とは、「バターン死の行進」の責任者として、戦後マニラで処刑された本間雅春氏です。
軍事マニアの方や高年層には有名な軍人さんですよね。
なんでも若かりし頃、16連隊にも所属していたそうで。

ということで、ここはまたじーちゃんに〆てもらいましょう。


新潟県佐渡出身で、フィリピンの露と消えた悲劇の将軍、本間雅春中将が連隊所属当時、作詞・作曲したと伝えられる新発田陸軍歩兵十六連隊歌

東に高き飯豊山
西には清き加治の水
下越の平野にそそり立つ
あやめの城は此処にあり
我が十六 我が十六
我が連隊は御国の護り

今は昔、懐かしく、あやに悲しき十六連隊。




昭和2年生まれの満州帰りで、新聞は朝日、政党は社会党(後に社民党)。
昭和ヒトケタらしい、シャイで寡黙でちょっぴり茶目な性質の内に反骨精神を秘め、「戦争なんてロクなもんじゃない」と言い、右翼めいた考え方(民族主義イデオロギーみたいなの)は嫌ったじーちゃん。
ですが、ここ陸上自衛隊の駐屯地祭は好きでした。
昭和初期、おそらく16連隊はまだまだ勝ち戦途上の一番華やかな時代で、じーちゃんも夢と希望に満ち溢れた(?)少年時代で。
その頃の懐かしさが多分にあったのでしょう。元気な頃は「軍旗祭(とまだ呼んでいた)に行ってくる」と、よく出かけていたものです。

そのじーちゃんも亡くなり、すべてはまさに、今は昔、懐かしく、あやに悲しき・・・

願わくば、どうか当時に逆戻りしないことを。
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テーマ : 新潟県 - ジャンル : 地域情報

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