「山河燃ゆ」はいまだ燃ゆ?

鈴木嘉一・著「大河ドラマの50年」を読んでたら、「山河燃ゆ」の章がとっても琴線に触れちゃって。
あまりに長くなりそうだったので、ここだけスピンオフしましたm()m

さて前記事にも書きましたが、1983年当時の日本はいよいよ低成長時代に。
中曽根内閣による行政改革を断行中で、この年に放映開始して大ブームを巻き起こした朝ドラ「おしん」大河ドラマ「徳川家康」とともに、「おしん、家康、隆の里」という流行語が生まれたそうです。すなわち「忍耐」ってことですね。
とはいえ時代はロンヤスの日米貿易摩擦まっただ中。
「忍耐」とは言え日本の貿易黒字はものすごく、おしんの時代はもはやファンタジーである一方、対日赤字がかさむアメリカでは、日本車ボイコットなどジャパンバッシングの流れが。
これらを解消すべくプラザ合意がなされ、日本が狂乱のバブル景気に突入するのはもうすぐ、1985年です。

こうした世相の中、大河ドラマは時代劇のマンネリズムを打破するため、「近現代路線」へと思いっきり方向転換します。
その第1作目が1984年の「山河燃ゆ」。原作は山崎豊子「二つの祖国」です。

これは原作はもちろん、見た記憶もまったくなくて ただオープニングの、どこまでもどこまでも続く1本道を延々と走っていく画面だけ覚えています。海外旅行とか無縁の頃だったので「へ~外国にはこんな広い野っ原があるのね~」と非常に印象深く。
今思えばアメリカ西部、おそらく舞台となったあたりの光景だと思うのですが、この映像一発だけで、日本とアメリカがもう国土からして(てことは気候風土文化歴史すべてが)まったく違うこと、および未知なる広い世界への憧れを思わせるオープニングでした。

内容は、太平洋戦争時の日系アメリカ人の群像劇。
明治時代に移民としてやってきた日系一世と、その子供世代の日系二世が、真珠湾攻撃から東京裁判にいたるまで、どんなことを経験し、どんな思いをしたかという。

「大河ドラマの50年」を読んで、一番見てみたくなったのが、実はこの「山河燃ゆ」でした。
本で紹介されていたあらすじがあまりにも私好みでさっそく会津図書館で原作「二つの祖国」を借りてきたところ。
いや~。。。想像以上にぐいぐい引き込まれました。

そもそも私、日系アメリカ人についてほとんど知らなかったんですよね。
いや箇条書きの情報として「昔のアメリカには排日移民政策があった」とか「戦時中は日系人用の収容所があった」とかは知ってましたが、実際のところ、例えば「馬糞が残ってるような厩舎に押し込められた」とか「忠誠を誓うテストがあった」とか、そういう具体的な、ひっでーーことは何にも。
なのでショックでしたね~~。「棺おけを担いでいけば成功する(かも)」とまで言われた荒地を、明治時代から開墾して、やっとのことでお金を貯めて持つことのできた自分の家や店や職などを、ある日突然全員奪われて、ただ「日系人」ってだけで収容所に行かなきゃいけなかったとか、「こ、こ、これじゃユダヤ人をゲットーに追いやったナチス同様じゃないか」と。しかも移民歴の違いか肌の違いか、同じ敵性外国人であるドイツ系・イタリア系にはそんなことはせず、日系移民にだけ。
アメリカには、日系アメリカ人には、そんな歴史があったのか~!!

戦争中につき、敵性外国人として反日感情が高まるのは、まあ当然かもしれません。おまけに戦前のアメリカは「自由と民主主義の国」である一方、人種差別が合法化していたという二面性を持つ国。
けど、ほとんどは善良な「アメリカを愛して生活してきた日系人」たちなのに、いきなり「スパイ予備軍」みたいに扱われ、すべてを奪われて収容所に入れられてしまったら、「アメリカに裏切られた」という思いが生じるのもまた当然ですよね。本当は敵じゃなかったのに、そうされたから敵になっちゃったって場合も。
自ら敵を作り出してしまう、こういうことはよくありそう。

また私「日系アメリカ人」って、単に「アメリカに引っ越して永住した日本人」であって、英語はベラベラだし、市民権も持ってて、要は顔は日本人だけど中身は純粋アメリカ人ってな印象しか持ってなかったんですよね。NYとかで普通によく見る「○○系アメリカ人」のうちの1つというか。特にアメリカなんか移民の国で、色んな人種がいるのが当たり前だし。
一言で日系アメリカ人と言っても、背景がこれほど違っているなんて思いもよらず。

例えば、それこそ明治時代に移民としてやってきて、日本語しか話せないような日系一世。アメリカで生まれ母国語は英語であるような日系二世や三世。そうそう同じアメリカ移民でも、例えば日系人の割合が比較的高かったハワイ移民と、この本の舞台である西海岸に移住したアメリカ本土移民では、受けた人種差別の度合いが、てことはつまり「祖国感情」の土台も、まったく違ったそうですね。
また同じ二世でも、子供の頃に日本に渡り、日本で教育を受けて帰ってきた「帰米」二世、帰らず一人で日本にいる二世、日本をまったく知らない純粋アメリカ人である二世、日本人に親切にされたことがあったりして、日本への良い印象を持っている二世、同様にアメリカへの好印象を持つ二世、逆に日本人またはアメリカ人(あるいは両方)に差別され続けて、良い印象はまったくない、あるいは覆された二世e.t.c.
同じ「日系アメリカ人」でも、こうした個人の背景が違えば、自分のアイデンティティである「祖国」も、「祖国」に対する思いも違ってくるわけで。
皆が共通して持つ「アメリカに裏切られた」という思いは、その背景の違いを受けて、様々な道となって現れてきます。
「プロ・ジャパン」として大和魂を鼓舞し、大本営発表を信じる二世、「日本人」的なメンタリティはまったくない「プロ・アメリカン」なのに、アメリカ人からは「日系人」として扱われる二世、アメリカに家族がいるからと、日本人から差別される二世、家族の名誉のために「血の証」を立てようとアメリカ人として戦場へ行く二世、アメリカの正義を貫くことで日本のためになるべく、アメリカ市民としての責務を果たそうとする二世、日本やアメリカに何の希望も抱かず、誰の助けも借りず、ただひたすら生き延びようとする二世、老境に入ってすべてを失い、ただ遠い故郷を思って死んだように生きる一世e.t.c.

こうして遠くへだたったところから本で読むと、すべての登場人物に感情移入してしまいます。その相反する思いすべてわかる。けれどわかりあえない。同じ境遇の中で生きる、同じ日系アメリカ人ならば尚更、時に他国人同士よりもわかりあえない。同じなればこそ、違い=裏切りとなるから。

日系アメリカ人ならずとも、これは普遍的なことですね。立場を超えた理解はありうるのか、その立場の違いはどこから来るのか、その立場になった時、自分は果たしてどうするのかe.t.c...小はご近所づきあいから大は戦争まで。ただ大=戦争という非日常・極限状態になれば、それらはもっとあからさまに、大きな道の違いとして現れてくるというだけで。ちょうどこの「二つの祖国」で描かれているように。

そういえば「二つの祖国」では、東京裁判の部分が、被告はもちろん検察側や弁護人、さらに被告の家族や庶民感情といったところまで詳しく描かれていて、とっても引き込まれたのですが、それら日本人の姿もどこか、ここで描かれてきた日系アメリカ人たちとかぶります。それまで信じていた拠り所を失い、アイデンティティがゆらぐ中、自分はどうあるべきかと必死に運命と対峙する各々の姿。
「日本の自衛戦争であった」という清瀬博士による渾身の冒頭陳述に対し「過去の悪夢だ。あれは間違いだった」と筆を揃えて報道した日本の新聞(の鏡である庶民感情)を、米軍人として東京裁判に接する二世の主人公が「なぜアメリカのお先棒のような記事を書くんだ」と憤慨するところは皮肉です。私自身も「間違いだった」と思ってるとこがあるので余計に。
そういえば主人公の妻・エミーが、一貫して「愚かな人」として描かれているのですが、この人もかわいそうだなと。生粋のアメリカ人か、現代の日本人として生まれていれば、とりわけ放映当時のバブル日本に生まれていれば、「普通の人」として幸せだったかもしれないのに

ともあれそうした普遍的なことをガッチリと描きつつ、当時の日系アメリカ人が置かれた境遇・歴史、様々な考え方などを知ることができた「二つの祖国」、そんなわけでとってもいい本でした。「現代日本に安住している日本人」としては、こういう相克、幸いにもあまり体験しなくて済むおかげで、その立場になるまで実感として知らない・わからないままなんですよね。それでますます誤解を生んだり、理解から遠ざかったりする。

なのにこのドラマ、思いもよらぬことに
「日系アメリカ人像を歪めるドラマなのではないか」「日本人の反米感情をあおり、日米関係を悪化させるのではないか」
という反発が持ち上がったのだそうです。しかも当の日系アメリカ人社会から。
なぜーーーーー
私が日系アメリカ人だったら
「そうともよく書いてくれた!」「こういうことがあったことを忘れないでほしい。一人でも多くの人に見てほしい」
としか思えない内容なのに。

当時のNHKチーフプロデューサーは、そうした反発に対し、朝日新聞にこう書いています。

「私どもはこのような日米両国のかけ橋として生きた無名の人々を描きたく、その布石として主人公を2.26から日中戦争中の日本におきました。彼はこの青春時代に日本の犯した偏見の不当さ、報道管制の恐ろしさを体験した上でアメリカに戻る。だからこそ、戦争の狂気のもたらす様々な事態に、自由と平和を尊ぶ一個の人間として生き抜き、多くの人々の共感を得て、アメリカと日本の真の友好の基礎を築いていくのです。
つまりこのドラマは、単なる日系二世の物語ではなく、日本人が自分たちの生きてきた時代を振り返り、こうした人々の姿を通して戦争や人種を超えた人間の美しさを見出すところに目的があります。アメリカはもちろん、文化を異にするすべての国や民族との相互理解に役立ち、真の世界平和を考えるよすがともなるに違いない。そういう願いを込めて製作されているものです。
私どもには、決して日系米国人の祖国アメリカに対する忠誠と名誉を傷つけるつもりはなく、それが血や種族の問題を超えて、すべてのアメリカ人にとって当然の心の問題であることも、理解しています。前述のようなストーリー展開が「誤ったナショナリズムで反米感情を煽る」ものではないことはもちろんです」

まさにそのとおり!
私からすると、強くうなづきこそすれ、反発する部分はまったくないように思えるのですが。
しかしそう思うのは、やっぱり私が「現代日本に安住している日本人」だからなんですね。
どんなに理解したいと思い、そして少しでも理解できたつもりでいても、それはやっぱり、時間的にも距離的にも遠い「他人事」としての理解に過ぎなくて。
それがよーーくわかったのが、上記の翌日に、同じく朝日新聞に載った、アメリカ在住・白井昇氏の文章↓。「カリフォルニア日系人強制収容所」という著作もある方です。

「何よりも日系人を刺激しているのは、「日系人とは2つの祖国感情によって祖国に対する忠誠心が二分されている人たちだ」と、米国人一般が受け取りかねない点である。今後米国主要都市でNHKの「山河燃ゆ」が放映され、米国のマスコミで煽られることにでもなれば、それでなくても対日感情が悪化している時期に、排日圧力諸団体を揺さぶると憂慮されるのである。今日系人が懸命に運動している(大戦中の強制収容に対する)補償請求問題も、反対者に口実を与えかねない。
戦後、日米間に甘い蜜月が続いて日系社会は平穏無事に見えたが、打ち続く貿易摩擦によって、今では完全に冷却してしまった。蜜月時代は史上稀で、日米関係には常にどこかに、排日感情が滞在してきた。
日米間に事あるごとに、日系人がもろに飛び火を被る。米国人にとって、日本人と日系人の見極めがつかないからだ。皮肉なことに、父母から伝承した日本の文化を身につけて日本にある種の親近感を持つ日系人、特に二世たちは、日米間の板ばさみになり被害を受けながらも、日米親善を祈らざるを得ない立場に置かれている」

前述のように、当時のアメリカはジャパンバッシング真っ只中。
「二つの祖国」の東京裁判シーンで弁護人が、「歴史における戦争の大部分は経済戦争ではなかったか」と主張するシーンがありますが、アメリカで生活している日系アメリカ人にとって、「山河燃ゆ」に書かれていることは過去のことじゃないのか!今も戦時同様、星条旗への忠誠を疑われ、試される現実が続いているのか!そしてそれはもしかして、アメリカに限らず。

本の内容に驚き、さらにそれが過去じゃないことに驚き、と思いがけないダブルパンチを受けた「二つの祖国(山河燃ゆ)」でした。
しかし強制収容の歴史を描いたドラマが、まさかその補償請求の足かせになるなんてなあ。善意の暴走にも似た構図かなあ。

これらの議論を受けて結局、NHKはアメリカの在留邦人・日系人向けのTV局で「山河燃ゆ」を放送中止としました。
一方、読売新聞には日系アメリカ人としてのこんな声も。

「私も戦争中、米陸軍日本語学校や情報部に勤務した。私にとって「米政府に忠誠を誓う」とかは形式の問題に過ぎず、米憲法の信条デモクラシーの支持と擁護のために戦ったと、自負している。
NHKのドラマ解説書で読む限り「山河燃ゆ」の内容には私も批判的である。二世、三世の気持ちもよくわかる。しかし、TVドラマは放映されて初めて賛否の対象となる。米憲法は言論の自由を保障する。まずはドラマを放映させるべきではないか。
(その上で)内容に不備があったら視聴者が批判し、次の作品に生かしてもらうこと。それが言論の自由の意味するところだし、民主主義の基本だと思う。そのためにこそ私たちは闘ったのだから」

この意見を書いたのはニューヨーク在住で、主人公と同じ「帰米二世」である方。
アメリカで生まれ、戦前の日本に15年間暮らして大学教育を受けるも、日本の軍国主義に反発して帰米。日本の赤紙がアメリカまで届けられたそうですが、デモクラシーのない日本の徴兵に応じる気はなく、日本国籍を捨てたという経歴の持ち主です。
「二つの祖国」には、「これのどこが自由と民主主義の国じゃーい」という場面多々ですが、しかし作中に確実に存在する、心あるアメリカ市民及びこうした意見を見ると、アメリカの自由と民主主義はやっぱしすごいな(良くも悪くも)と思ってしまいます。

社会問題になってしまった番組の責任者として、局内外の対応に追われたチーフPは、NHKの廊下を歩きながら「この一件でどこかに飛ばされるかも知れないな」と思うこともあったそうです。

「プロデューサーの仕事の1/3は、トラブル時の危機管理です。どこへでも出向くし、どんなことにも耐えなければならない。矢は外からだけではなく、局内からも飛んできました。報道局の幹部からは「言わんこっちゃない。大河は秀吉か家康をやってりゃいいんだよ」と非難されました」

そんな逆境の中、製作側は結束して収録に当たりましたが、視聴率は平均21%とふるわず。
次作「春の波濤」も視聴率が上がらない上に、持ち上がったのが盗作騒動。
そうしたあれこれに心折れたNHKは、当初5~6年は続けるつもりだった近現代路線大河を、3作目・橋田壽賀子オリジナル「いのち」で終わることに決定しました。
しかし中にはこんな声も。

「世を挙げての軽薄短小ばやりの今の時代に、その風潮に流されず真正面から「現代」に取り組み、時代の中での人間の行き方をひたむきに問いかけたこのドラマ(山河燃ゆ)の意義は大きい。
平均視聴率20%は確かに低いが、これだけ内容の濃いドラマを、日曜の夜、20%もの人が見たことの意味の方が重要なのだ。
(主人公の生き方には)戦後日本の原点がある。その意味で、これは明治の自由民権への苦闘を描いた「獅子の時代」の系譜に繋がる歴史ドラマだったといっていい」日経新聞編集委員(当時)・松田浩

もって瞑すべし。
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テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

コメント

Re: こんにちわ

こんにちは。コメントありがとうございます。
残念ですよね。すごく見ごたえありそうなドラマなのに。
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