Merry Christmas, Mr.Lawrence

会津図書館に「戦場のメリークリスマス・シネマブック」という素晴らしい本があったというのはこないだ書きましたが。
ただしくは「戦場のメリークリスマス・シネマファイル」でした
こっれっがっもう!最高!!!

当時ともに30代だった、たけし・教授の9ページにわたる対談(たけしがこの先映画の方向に行くのがよくわかる)から始まって、たけしのラロトンガ島レポ、大島監督による制作秘話(映画のお金集めるのって大変なのね~としみじみ)、関係者各位による裏話、1ヶ月間のロケ日記、糸井重里を初めとする評論家による映画評、原作者の紹介やもちろん映画のあらすじ、写真もどっさり。ああ~こんな本があったなんて~~!

戦メリ大好きでしたから
父ことじーちゃんに映画館へ連れてってもらって(小学生は保護者同伴)、戦メリのビデオも買って(当時はシネマビデオ1本1万円以上)、クリスマス時期には毎年のようにやっていたTV放映も見て(今やらなくなりましたねー)、ピアノスコアも買って(途中で挫折)e.t.c.とにかく好きだったんです

元々YMOファンで、教授目当てに映画見に行ったのですが、子供ながらもその妖しい世界に一発でノックアウトでした
しかし悲しいかな、妖しさだけはしっかり伝わったのですが、何を言いたいんだろう?というのはサッパリ
映画館で初めて見て以来、折に触れては何度も見返して、もうセリフなんかほとんど覚えてるくらいなのに、内容は「なんでそうなる?」ってことばかりで。
この本読んで久しぶりに思い出して、やっと「そういうことかー」ってシーンが多々ありました。今ちょうどウヨサヨに興味あったとこなのもよかったかも。
(しかしデビッド・ボウイの最初の処刑が空砲だったのは、未だに意味わかりません ならあんなことする必要ないじゃんとしか)

思い返すと、「なんでそうなる?」と思ったとこって、ほとんど「(大島流の)日本の美学」に関するところなんですよね。
剣道の練習で「神に近づく」ってのもわからんし、226の思い出話を語ってたと思ったら、突然ジョニー大倉のハラキリになるのもわからない。だいたいハラキリシーンでは、どう考えても英国側の捕虜の方に同意だし、てかそもそも、どの言動取ってもロレンスとか捕虜側が言うことの方が納得できて(捕虜になるのは恥じゃないとかさ。ただし俘虜長はどの言動取っても、日本人をイエローモンキーと思ってやがる西欧人を体現してますが))、日本側、特に教授=キャプテンヨノイは何考えてんだかわかんない、ちょっと狂気入ってる、て感じで。

今は、剣道の練習(いや「鍛錬」か?)を評して「神に近づくつもりなんだよ。彼らは過去に生きている」ってのも、理屈でわかる気がします。
弓道だったか「マトに当てるコツは?」と聞くのはヤボで、「姿勢を正しくし動きを正しくすれば、つまり「正しい型」を身につければ、矢はおのずとマトに当たる」のだ、といった話を読んだことあるのですが、つまり「道」ってそういうことなんですよね。
「当てたい」なんていう卑小な自意識はそぎおとして、正しい型をまとうマシンになる。その時神と一体化する=極意を手にする、みたいな。いややっぱりよくわかりませんけど で、その「正しい型」っていうのは、過去から培われてきた「伝統」だから「彼らは過去に生きてる」
それを聞いたセリアズ=デビッド・ボウイは「救われないな」「言いたいことがあるなら言えばいいんだ」すなわち、未来に向かって自分の意思で生きればいいじゃないか、と。西欧合理主義ここに極まれり。
大島渚がこの本で、ロレンスのことを「西欧合理主義者」と説明していてびっくりしました。だって私が戦メリ中一番シンパシーなのがロレンスでしたから(他は皆どっかしらイっちゃってる)。これは西欧合理主義なのか!?じゃあそれは日本に当たり前のように浸透してるんだな~と。
もっとも上のセリフに対しては「いや日本人は遠慮しーだから、そんな簡単に言いたいこと言えないのよ」とも思いますが、それでもやっぱり私的には、神に近づこうと過去に生きてるストイックな純正日本人(?)ヨノイは、鋭敏に削りすぎてぽきっと折れそうな妖しい人に見えます。
もっともここに描かれている「日本(の美学)」ってすごい観念的な、マニュアル的な「美学」って感じで、「頭が先走ってる映画」って感じはしますけど。ちょっと机上の空論ぽいっていうか。そもそも日本の長い歴史の中では、この映画で描かれている時代の「神」観の方が特殊だったんじゃないかという説もあるわけで。

ヨノイが思い出話した後、急に思いついたかのようにジョニー大倉の処刑を、しかも捕虜に見せることにしたってのも、あれたぶんほんとにその場の思いつきでしょうね 226の話なんかしてたもんだから「よーしお前らに我ら日本の美学を見せてやる」とか思いついちゃって。でもジョニー軍属は朝鮮人ですけど
そこら辺に日本の美学の独善性が顔を覗かせる上に、さらに捕虜にも(被害者にも)ハラキリを見せるという。まあアメリカでは死刑執行時に遺族がその場に招待されるそうですけど、見たくない人にまで無理やり見せなくても。
で結局、被害者の西洋人捕虜はその場で自殺してしまって。しかしヨノイは「やべっ無理に見せたら死んじゃったよ」とかあわてることなく、「あっぱれだ。礼を尽くせ」。
いや私、今までうっすら「やべっ」を隠すためにあえて落ち着いて誤魔化そうとしてるのかな、とか思ってたんですよね。しかし違いますね。「やばい」なんて思ってない、本気で「義に殉じた、あっぱれな行為」だと感じてますね。だからそれに対して「礼を尽くさなければ」ってすごく善意で。
しかしそんな価値観が、何トンチンカンなこと言ってんだ~!人死んでんねんで!と思う西欧側(や私)に通じるはずもなく。「これは黒豆だ」「いや虫だ」って、永久に答えの出ないすれ違いです。価値観共有しない人間にとってその善意は、すごーく独善的だってのだけは確かですけど。
さらにヨノイ、そうして反発されたのを「じゃあ皆でこの答えを見つけよう。神に近づくべく修行することで」といった意味合いで、「48時間の行」を命じます。独善的善意のダメ押し
ヨノイも同じ行をしてますから、その点この人はほんとに卑怯じゃない、美しい人なんです。限りなく「罰」に近い断食行だけど、ヨノイはたぶん「罰だけ」のつもりはなく、真剣。しかし捕虜(と私)には「日本人の考え方はわけわからん」のみ(「反抗した罰だ」の方がまだわかりやすい)

その行の最中、ヨノイの愛するセリアズが率先して断食をやぶって、さらにラジオも発見されて、その責任者としてロレンスが処刑されることになって。
ロレンスには納得いきません。別に自分がラジオ持ってたわけじゃないのに、なんで処刑?誰でもいいのか?
対するヨノイは「誰かが責任を取らなきゃいけない。誰でもいいんだ」
あーこれ現代の日本でも普通にありますね~。でもこれ日本だけかしら?東京裁判だって「誰でもいいけどとにかく責任者を処罰」って感じじゃなかった??とにかく名目さえつけばお前責任者って感じで。
ただ、日本にこれは強固かもしれないですね~。集団性強いから本当は1人の責任なんてありえない。しかし秩序は守られなければならない。集団性を保つためには、秩序もより強く保たれなければいけませんからね~。でこんなことになる。日本では真実よりも秩序が大事。というより日本的真実の追求は、秩序(システム・型)を追求せず犯人を追及することになりがち?

このシーン、すなわちロレンスがヨノイによって「君を責任者ってことで処刑するよ」と言い渡されるシーンは、ヨノイの部下の葬儀中なんですね。この部下、上司ヨノイのことがもう好きで好きで、「隊長殿の心を乱す悪魔セリアズ」を殺人未遂して切腹してしまうという。忠義心ってしまいにはホモと見分けつかなくなるのね
でハラたけし軍曹が「勤務中の事故死ってことにすれば遺族は恩給がもらえるから」ということで、今「名誉の事故死」としてのお葬式真っ最中なんですね。真実を偽ることで秩序が保たれて、皆が平和になるならいいじゃないかと。
出てくる日本側エピソードで唯一共感できるのがここでした。「ハラ軍曹ってああ見えてけっこう優しいのね」と。正論なんかいらない、皆が平和に暮らせればそれでいいと本気で思います。これは西欧合理主義ではないのかしら?

しかしその犠牲になるロレンスは当然ですがたまりません。「真実<<<秩序」の象徴であるお葬式の祭壇をぶち壊し「お前らの神だ。神がお前らを作った。私は呪う!お前らの神を!!!」と叫んで暴れ狂います。あの温和なロレンスが。
祭壇前でお経を読んでいたハラはしかし、そんな犠牲者の叫びなんぞ羽虫の音ほどにも感じないよって風情で、平然と読経を続け、秩序を守り続けます。
ウヨとサヨ。秩序(型、伝統、共同体e.t.c.)と、それを支えるための犠牲。平和は秩序にあり、しかしそれを保つための犠牲も必ず必要、となったら、平和が好きで犠牲が嫌いなサヨはどうしたらいいんでしょう?ウヨは犠牲を平気で他人に押し付けて「美学」とか言いそうだけど。え?偏見?

「神」をテーマに見ていくとこの映画、ヨノイが「神になろうとしてなれないキチガイ」なら、セリアズは「神になってしまったキチガイ」って感じなんですよね。キチガイとか言って申し訳ないけど、ヨノイもセリアズもかなーりエキセントリックな人間ですから。少なくともハナから神なんて目指してないロレンス的人間=観客から見ると「神と狂気は紙一重」って感じで。
本の中で大島渚が語ってたんですが、なんとヨノイとハラ、最初は滝田栄と緒方拳で考えてたんだそうです しかし緒方拳が大河ドラマ主演とかぶりそうで、結局やめたという。
小心者のふてぶてしさを演じたら天下一品の緒方拳と、重厚でありつつもスキっとした前田利家@「おんな太閤記」がカッコよかった滝田栄、あピッタリかも♪ていうかこっちの方が「日本の美学」にリアリティが出たかも。
この映画が妖しくて、「日本の美学=トンデモ」にしか見えなかったのは、たけしと教授(のいけないルージュマジックばりのメイク)だからって点が大きいと思うもん 画面から飛び出る異質さみたいな。まあその「狂気」がこの映画の魅力でもあるわけで、ハラ軍曹なんかたけしのおかげでドキュメンタリー的実在感すらあるのは否めませんが。
(ちなみにこの時の大河ドラマは「峠の群像」の大石内蔵助役、滝田栄は翌年の「徳川家康」でこれまた主役という)

最後の方、ヨノイが俘虜長から武器ファイルを得るために、「病人も全員整列」ってまたまた無理難題を持ち出して、どこから見ても瀕死の重病人を「お前らはうそついてる!」って言い出します。
もうこの頃になるとヨノイは発狂してるとしか思えないわけですが、今ならこのシーンの意味はわかります。つまり日本が好む「精神論」を見せてるわけですね監督は。「病は気から!根性出せ!」みたいな。案の定そんな精神論むなしく、捕虜はコロッと死んでしまいますが←いや笑うとこじゃ。
で、「死んだぞ(どうすんだ)」みたいな空気の中、ヨノイが取った行動は「斬る!」。
why?って感じですけど、「ここまでやっても命令に従わない俘虜長お前を斬る!」ってことで。もうほんとに頭おかしくなってますねキャプテンヨノーイ

この時に出てくるのが、おそらく戦メリで第2第3位を争う名シーンであろう、デビットボウイから教授へのキス。
キスといっても、右頬と左頬に口づけする、「祝福」みたいな。ちなみに吉田秋生は「河よりも長くゆるやかに」で「突然キスすることで戦意喪失させる、戦メリ戦法」と描いてらっしゃいました

これで俘虜長は助かり、ヨノイは更迭、セリアズは生き埋め。
敵を愛し、味方を救い、自らは犠牲になったセリアズ。禍の神は愛と祝福の神になった!?
人間はなかなか神にはなれません。だからウヨは美学の名の下犠牲を他人に押し付け、サヨは犠牲になることを厭うあまり世界を崩壊させ、神と動物との間で今日も生きている。神になることを強制しても、動物に戻っても、おそらくどちらも人間には住み心地悪い。
しかしそんな人間から見ると、動物がある種潔くて美しいのと同様、神はやっぱり美しいです。いくらキチガイとか言って自分はそうなれないことを必死に言い訳しても、やっぱりそれは美しい。正しいことは美しく、そしてグロテスク。
かつて「捕虜になるくらいなら自決する」と素朴に信じ人にも強制していたハラ軍曹が、自分の時は自決もせず、恥ずべき捕虜として生き延び、不名誉な処刑で死んでいくのも、まさに神と動物の間ですね。

戦メリ中おそらく不動の第1位である名シーン、捕虜となったハラ軍曹と戦勝国の軍人ロレンスの会話。
「(明朝の死刑への)覚悟はできてます。ただ1つ、私がやったことは他の兵隊がやったことと同じです」
ああ~~どれだけの人がこう思って死んでいったことだろう。勝敗は時の運とはいえあまりある理不尽。
それに対するロレンスの返事は
「あなたは犠牲者なのだ。かつてのあなたやヨノイ大尉のように、自分は正しいと信じていた人々の」
そして
「セリアズのことを覚えていますか?」
「不思議です。昨晩彼の夢を」
この本読んだ後このシーンをyoutubeで見たら、不覚にも涙が
犠牲になったセリアズ、犠牲になる自分。今ならもしかしてわかりあえて、皆がまったく違う関係になれたかもしれないのに。
「考えてみれば、セリアズはその死によってヨノイの中に、実のなる種をまいたのです」
ロレンスはヨノイから、死んだセリアズの髪を預かり、ヨノイの故郷の神社に奉納してくれと頼まれたのだそう。
つまりヨノイにとって、セリアズはもう敵国の兵士ではない、敵味方を超えることができたのだと。
しかしそのヨノイも既に処刑され、ハラも明日にはこの世にいない・・・
ハラはロレンスに懐かしそうに語りかけます。
「あのクリスマスのことを覚えてますか?」
敵味方を超えた一瞬が確かにあった、二度と戻らないあのクリスマスのことを。


色々と書き連ねましたが、この映画ほんとに大好きです。
もしよろしかったらこちらの、youtubeによる感動のラストシーン&あの音楽をぜひ。そしてたけしの「Merry Christmas,Merry Christmas, Mr.Lawrence」に涙してください
そういや昔、坂本龍一が戦メリを弾いているピアノの傍らで、来日したデビッド・ボウイが頬杖ついて聞き入ってるという、そんなのありか!?いいのかこれをゴールデンタイムに流しても!?と狂喜した番組がありましたが、昔みたいにTVでまたこの映画、クリスマスにやってくれないかな~。ウヨサヨが一回転した今、けっこう琴線に触れる人多数なんじゃないかしら?
スポンサーサイト

テーマ : 心に残る映画 - ジャンル : 映画

コメント

No title

こんにちは、初めてコメントします。
『戦場のメリークリスマス』は内容が難解で、そういうのを考え結論を求めるのが好きなので大分楽しめました。
空砲の銃殺刑について個人的な見解ですが一筆書かせていただきました。

私はセリアズとヨノイが魅かれ合っている(同性愛というより人類愛に近くそれがテーマに関わると考えています)と思っているのですが、それは2人に共感するものがあるからと考えています。
1つ目はお互いが死を求めている節がある事です。
ヨノイは2・26事件に参加できなかった事を死に遅れたと後悔していました。

セリアズも弟を傷つけた事が心の重荷で、戦争が始まると飛びついたと言ってます。
そして戦争で楽をしたくなかった(自分に罰を科す意味か)と言っていて、それが兵士の中の兵士と評されたり、収容所での死を恐れない反骨行動になったんじゃないかと。

2つ目は人を愛する(人類愛的な意味で)事が出来なくなっていたんじゃないかという事です。
だからヨノイは簡単に人に死を科す。
セリアズも32歳で独身の少壮の弁護士と言われたがただそれだけの男と言っています。

で、ヨノイは冒頭の裁判でセリアズの死を恐れない堂々とした態度に、自分と同じ死を求めるものを感じて興味を持ったのではないかと感じました。
普通なら大して調べもせずにスパイ容疑で死刑にする所を敢えて尋問を申し出て、いきなり生きるべきか死ぬべきかそれが問題だなと言っています。
その不自然さにセリアズもエッという感じで目が泳いでいました。
セリアズが自分と同じかどうかを確かめる尋問にみえます。

で、ヨノイがセリアズの言う事は信じられると言ったのに、他の裁判官がその証拠は何もないと却下しようとしていました。
だから高名な精神家(何なのかは不明)という立場で、セリアズのスパイの判断をする為に、空砲の銃殺刑を仕組むように意見具申したんじゃないかと思います。

で、セリアズが目隠しを拒否したり死を恐れる態度を一切示さなかったので、死刑逃れの嘘は言ってないと判断して、スパイ容疑を解いたんじゃないかと思います。
ヨノイが隠れていて後ろから出て来たのも、ヨノイが仕組んだというのを臭わせる意味かと思われます。

さらに普通なら空砲で助かったとホッとするはずの所を「やられたよ」と騙された事を怒るような態度から死を恐れていないどころか死を求めているようにもみえます。

Re: No title

こんにちは(^^)コメントありがとうございます♪

ああ~なるほど!隠していること(があれば)を、命乞いをして吐かせるために一芝居うったってことですか!
確かにそれだとよくわかります。硝煙の向こうからヨノイが現れるのも、セリアズが潔白だと証明しようとした彼の企みだという感じで、前半の裁判シーンとつながりますね!その後死を免れて捕虜収容所へ移されるのも納得ですし。

ヨノイとセリアズのキャラ設定及び2人の結びつきも同意です。ハラとロレンスはまさに「人類愛」でつながってる気がしますが、ヨノイとセリアズはその「人類愛」を受け入れられない2人、それゆえにつながってる2人という感じがします。結果的にこの4人で「人類愛」の表と裏を、補強しあいながら描いているというような。

ともあれず~っとわからなかったシーンの意味が、1つ謎が解けました♪サンタクロースさんありがとうございました。
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する