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読書の幸せ

「食欲の秋」「読書の秋」と、秋の冠は色々ありますけど、私もご他聞に漏れず、それらを実感している今日この頃。
不思議ですね~自然とそうなるのは。そしてそんな言葉が一般的に流通するくらい、みんなしてそうなるというのは。

「食欲の秋」。これは個人的には、あの真夏のような残暑が終わって、と思ったら坂を転げ落ちるように日に日に最高気温がダウンしていった、10月ごろがピークでした。
夏はまったく食べる気しなくて、朝や、へたすりゃお昼も食べなくてもいいくらい(しかし元気ピンピン♪)だったのに、10月頃は、寒いと思ったら食べたくなるみたいな。なんか「食べればあったまるぞ」ていう気がしきりにするんですよね。クマが冬眠前に食いだめするのは、これに似た気持ちに突き動かされてるのかしらとか思いつつ

そして「読書の秋」。私はもっぱら、欲しい本があったらアマゾン、なければブックオフという読書生活なんですが、こないだ買い物帰り、いいお天気だしこのまま帰るのもったいないな~という感じで、ひっさびさにちゃんとした(?)本屋さんに寄ってびっくり、「えっこんな本出てたの!?」「あれっこの人ってばいつのまに」といった感じで、目に飛び込んでくる魅惑の数々、めくるめく世界 結局5冊くらい衝動買いしてしまいました
ブックオフもかなり魅惑の世界ですが、何度も行ってるとどうしても新たな発見は目減りしてね~。基本的に昔よく出回った本の方が多いし。

余談ですが、電子書籍。あれほんとに持ち運び便利で大容量な点はいいと思うのですが、こういう「めくるめく世界が向こうからキターーー」という、ずらりと本が並んだ本屋さんならではの喜びは味わえるのかしら?
アマゾンもそうだけど、欲しい本があらかじめ決まっていて、検索すればすぐ出てきてその場でゲット(まアマゾンは日数かかりますけど)という便利さはあるけど、頭の隅にもなかったような本を「面白そうじゃん」と立ち読みして「じゃあこの隣の本はどんな感じ?」とか、その場で読み比べて・・・といった、世界が目の前でどんどん拓けていくような喜びは。電子書籍使ったことないんでわからないけど、例えば「小説」で検索すれば小説一覧がだーーーっと出るから、そこで立ち読みすればいいとか、そういう仕組みなのかな?立ち読みも、例えば目次とか見て、好きな部分を好きなだけ読めたりするのかな?好きなだけってっても昔ならハタキ持った店主が登場する頃合まででいいんだけど、そんな仕組みならかなりリアル本屋さんに近くて喜ばしいけどな~。

さてその5冊も、2時間くらいあちこち立ち読みして、泣く泣くしぼった結果の5冊ですから、それ以外にもまだまだ読みたい本はいっぱい。
しかし読みたい本を全部買ってたら破産してしまう!ブックオフにはないし、こういう時は?そうだ図書館だ

というわけで、先日は会津に来て初めての図書館♪
村上の図書館はどーにも本の数が少なくて、新たな発見本は色々あったけど、求める本はあんましなかったという
というか個人的には、図書館ってのがもうそういうもんだと思ってます。専門分野がある人はウエルカムだけど、一般はブックオフ行けと暗に言ってないかという偏見が そもそもジャンルを細かく分けすぎていて、同じ人の本でもあっちこっちに分散してたり、なんか使い勝手悪いのよね~~(そこら辺、電子書籍みたいなのは便利だろうな)
会津はどうかな~??と、キレ~イな稽古堂(という名のカルチャーセンター)の2階に足を踏み入れると。

そこはめくるめくせか~い

忘れていた人の本がどっさり!こんなのがあったのか的本がしっかり!
いやよくよく見るとけっこう偏ってます 赤瀬川原平の本がずらっと並んでるのに、泉麻人の本が1冊もないとか、岩下志麻は数冊なのに曽野綾子は死ぬほどあるとか、なーんかこう全体的に、じっちゃん好みのテイスト?
かと思った矢先に、パンクな町田康の本が並んでる隣にはマツコ・デラックスまであるぞいらねーみたいな感じで、なんかあなどれません なんたって「戦場のメリークリスマス・シネマブック」なんていう素晴らしい過去の遺物まであって、若かりしたけしと坂本さんが対談してたりするんですもん

全体的に、やっぱり求める本はないというか(あっても予約10人待ちとか)、「これを置くならなぜあれも置かぬ!?」的なのが多くて「やっぱり図書館は・・・」なんて正直思った瞬間も多々でしたが、通い始めた今は、それを上回る新たな発見本が多すぎて、当分飽きることはなさそうです♪

特に赤瀬川原平がね~~!!こんなにいっぱい本を出してたとは知りませんでした 思えばつい最近出たような気がする「老人力」、あの時は「おお赤瀬川翁健在!」とうれしかったものですが、今見たらもう15年近く前だったんですね。って、ええ~~15年前!?!?じゃあトマソンなんて何十年前!?!?

見慣れた日常が、ちょっと見方を変えるだけで、まったく違う世界として現れてくる。目玉が変われば世界も変わる。
これを軽妙洒脱な文章で教えてくれたトマソン・路上観察の本は、読んだ時以来、確実に私の背骨の一部になりました(しかしトマソン関連を1冊も置かないのはなぜなのだ会津図書館。それとも「美術」コーナーにでもあるのか??わかりにくいよー)。
直接的な路上観察に限らず。もちろんそれはそれで「ナニコレ」に通じる面白さがあって、趣味として大事ですが、個人的に原点となったのは「東京路上探険記」。新聞の「尋ね人」コーナーを追ううちに、見知らぬ個人や家族の物語と、新聞読者であるその他大勢のうちごく数人の視線が、ある時一瞬スポットライトのように交差して、やがてまたもとの大多数の中にまぎれていってしまう。
あるいはコーヒーに注いだクリームが、中心点は動かず周囲をぐるぐると巡るさま、これは東京である。
・・・といった、視点の面白さ。自分の周囲のものを見ていくと、いつしかメビウスの輪やクラインの壷のように違う世界に導かれる。言い換えれば、今までになかった目玉を獲得して、その目玉でもう1度見慣れた世界を見ることができる。その目玉の集大成がつまり「トマソン」。四谷階段、無用門、虚無をかばう庇、原爆タイプe.t.c.
「自由」ってのは「行動範囲の大小」とかじゃなく、実はこういう目玉を獲得することが本質なんじゃないのかい、なんて思ったものでした。

大好きだったトマソンですが、その行き着く先もまた、印象深かったんですよね。
トマソン黎明期、すなわち「何かがおかしい」という違和感が発生して、確立期、その違和感が3つ集まった時に「トマソン」という概念を発見、新しい目玉を得て発展期~成熟期へ。その目玉で町に出ると、いたるところにトマソンがある。今までどうして見えなかったんだろうというくらいたくさんのトマソンが。さらには次々と別分野のトマソンが現れ、合流し、発展していく。ここら辺はほんと、読んでるだけでワクワクしました♪新しい目玉を得て、世界が広がる面白さ。
そうしてトマソン世界は膨張し続けていくわけですが、しかし万物流転。全盛を迎えると、次には必ず衰退期が来るんですよね。
ついには海外で採集されたトマソンなんてのも出てきて、しかもそれらはケタ違いだから、成長期なら「すごいトマソン!」と驚いたであろうものが「ああアタゴタイプね」といった具合に機械的に分類されて済んでしまう。規模が大きくなるのと反比例するかのように、当初のあの純粋な感動・喜びはなくなっていってしまう。
仕方ないことで、物事は必ずそういうものなんでしょうけど。
「一線で活躍し続けるミュージシャン」なんてのは、いかにそれをズラして、いかに落ち着くかなんてのが勝負なんだろうし。
あらゆる「運動」とか「組織」とか、思えばみんなそうですね。生物の一生も。はからずしてこういうこともまた「トマソン」は見せてくれました。

個人的な背骨パーツは他に、曽野綾子や灰谷健次郎などありますが、そんなわけでトマソンも私の中では、手放せない、手放さない方がいいなと思える大事なパーツでした。トマソンって単なる「ナニコレ」じゃなく、視点、つまり物の見方・個人の考え方でもありますからね~。私的にどうしても興味深いウヨ・サヨの問題も、半分くらいはトマソンが踏み絵になる気がします(会津図書館で、赤瀬川翁による「大和魂」「日本男児」といった本を発見してびっくりしました。読んだら「やっぱり赤瀬川翁の考え方は好きだな~」と再確認しましたが)



そうそう、背骨のパーツとなった灰谷健次郎の批評本なんかもあって、これまた興味深く。こんなの普通の本屋さんにはまずないし、ブックオフにはある・かも・しれないけど、当たりハズレが大きそうだから買うまでにはいかないしね~。
なんて時に、図書館ってほんと便利ですね♪ この批評本と赤瀬川本数冊、それに橋本治だの山田風太郎だのを借りて読んでたら、原発事故以降かねがね気になってたウヨサヨ問題や太平洋戦争なんかがすべてごった煮になって、頭の中でミキサーが高速回転し始めて収拾つかなくなってます

昔はこういう高速回転、よく楽しんでたもんです 全部がミキサーされた中から、何かの共通点や法則性が見えそうで、違う世界が見えてきそうでっていう楽しさ。読書の楽しさ。
それができなくなったことが、2回だけありました。1回は学生時代、すっごい極端なダイエットをした時
道に落ちてるキャンディを拾って食べようか、考えてる自分に気づいた時はぞっとしたもんです
あの時は考えることといったら「食」オンリーで、読書の楽しさなんかどーでもよかった。世界の法則なんてどーでもよかった。
そしてもう1回は、初・育児の真っ最中。昼間も辛くて夜も辛くて、考えることといったら「寝かせてくれー」のみ。本屋で立ち読みなんて、赤ちゃんいたらそうそうできないし、家で本読んでもなんだかんだで細切れだし、そもそも本なんて読みたいとも思わない。そう思う自分に気づいたときはガクゼンとしたもんです 今まで「本がなかったら生きていけない(って大半はマンガですけど)」とまで思っていた自分が、本を読みたいと思わないなんて。

山田風太郎さんは、あの飢えと非常事態である戦争時代の中で、そりゃもうぼーーーだいな本を、それこそ胃じゃなく魂が貪り食ってるような勢いで本を読んでます。
が私ときたら、ちょっとおなかが空いただの、私的非常事態(=初育児)に陥っただけでこの始末。ここら辺が山風さんと凡人の違いでしょうか
しかし同時に、あの時代は、今から思えば飢えであり非常事態であったものが、当時の人には日常だったのか、なんても思ったり。その感覚は今、とってもわかる気がするだけに。

読書は楽しみ。あるいは逃避。食や睡眠など生きるために必要不可欠なことがとりあえず満たされているがゆえの、あるいは逃避できる心の余裕があるがゆえの、精神上の純粋な楽しみ。読書を楽しめるのは幸せです。
(ほんとは借りてきた本あれこれの感想文を書くつもりだったのに、前説で終わってしまいました
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テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌

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