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つわものどもが夢の跡

こないだ磐梯・南ヶ丘牧場へ行ってきたのですが、その帰りに寄り道してきたのが戸ノ口原古戦場

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相変わらず下手な写真で見にくいですがm()m 49号線を、磐梯・猪苗代方面へ向かう時に必ず目にするこの看板。かねてから気になってたんですよね。
確か白虎隊がここで戦った後、ここから洞窟経由で飯盛山へ・・・という場所だったと聞いていたのですが
「ええっここから飯盛山って、車で行ってもけっこうあるよ!?」
という感じで。

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看板に従い、49号から横道に入るとすぐ!現れたのがお墓群↑
古戦場跡だけかと思ってたけど、お墓も残ってたんですね。
お墓自体は少ないけど、これでなんと46人分だそうです
個別のお墓=名前が判明してる人は5~6人で、あとは「戦死二十人之墓」といった具合に合葬されてるそう

そこからすぐのところに、ちょっとだけ広い空き地が。
おおここが古戦場!?

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お天気のいい秋の午後で、太陽がサンサンと降り注ぐ広場なせいか、思ったよりおどろおどろしい雰囲気はなく。
怒りとか悲しみとかはもう薄らいじゃって、「つわものどもが夢の跡」という感じしかしませんでした(←個人的印象)
しかし「人がいっぱい死んだとこ」と聞いたUは、車の中から出てこようとせず

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弁天洞穴ってここの近くにあるのかしら?
そういうルートを知ってるあたり、さすが地元っ子ね~
しかし白虎隊の皆さん、よく傷だらけの身でここから飯盛山まで歩いたもんです。
しかも洞穴ってこんな水路↓だし

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飯盛山にある戸の口堰洞穴。さっきのとこからここに繋がってます。
けっこう水の勢いがいいのに驚きます

慰霊碑の横に立ってる看板には、このような文章が。
あえて「土佐人」と名乗って供養塔を作ったところに、プライドと、会津への情を感じます。
(両軍98士ですって!じゃあさっきのお墓群でもまだ半分なんだな)

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奥には、戊辰戦争とは無関係な民間伝承「夜泣き石」も。
「泣いてる捨て子を、もののけがとって食おうとした時、この石が子供の足を押さえたので子供が助かった」
という、葦名時代の言い伝えだそう。石に足型があるとのことで、なるほどちょっとくぼんでるとこがあるかな?
「子供の夜泣きがとまる」というご利益もあるそうで、よだれかけみたいなのが柵にかかってたりしましたが、そうした舞台装置と、うっそうとした木陰にあるせいで、背後の明るい古戦場より、こっちの方がムードあってこわかったです

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「お邪魔しました」と最後にもう1度慰霊碑に手を合わせて、お待たせU!さあ帰りましょう

と49号に出た途端、ハンドルの上にピョンと出てきたのが大型バッタ
あっさっき慰霊碑の前にいた時、なんか足がチクッとしたな~と思ったのは、これか~!!
虫嫌いなママとUとで散々さわぎながら、無事草むらにバッタを返して再び車を出しましたが。
会津村の観音様の向こうに、山に抱かれて広がる会津の町が見えてきたら、「もしかして若松城下に帰りたかったのかな?」なんて思ってしまいました。
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

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