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清らにたかく~ハンサムガール山本八重

会津の町なかでは、昨今どこを歩いても「八重の桜」「新島八重」e.t.c.
提灯だったり旗だったり、ポスターだったりステッカーだったりと、とにかく来年の大河ドラマを盛り上げようという意気込み溢れる光景がそこかしこに。

ですが新島八重って、大河ドラマに決まるまでは会津でもあんまし注目されてなかった印象があるんですよね。

去年ここに引っ越してきて「会津って戊辰戦争な町だったんだ!」と初めて知ったワタクシ
さらにそれを知っても「ところで戊辰戦争って何?」というテイタラクだったワタクシ
鶴ヶ城とか飯盛山とか色々観光してまわるうちに、当時の人名なんかをやっと覚え始めた今日この頃ですが。

その印象の限りでは、会津で一番有名な当時の女性と言えば、まず「西郷頼母の妻・千恵子」
これは、KKの小学校が明治時代の元女子校ということで、この方の辞世の句「なよたけの~」から名づけた会があるとかないとか、そういう話が学校からのプリントに載っていて知りました(←いまだによくわかってないあたり
のちに武家屋敷とか行って、ああこの人たちかと。
「敵か味方か」のご令嬢とともに、歴史好きな上の年代には特に有名な気が。

次に有名なのはやっぱり中野竹子でしょうか。いやこっちの方が一番かも。
お墓のある会津坂下には「嗚呼 壮烈」「女白虎隊」などと墨痕鮮やかに書かれた「戦中派向け?」な看板があったりして、「白虎隊の美談と同じような感じで有名になった人なのかな~?」とか。「若くして戦死した」というのもポイント?
会津まつりでも欠かせない人で、少なくとも「会津戦争で戦った女性」と言えばこの人一択という印象が。

その次は山川捨松かな~?これまた会津武家屋敷のお人形さんで知った人ですが。
昔、幕末や鹿鳴館が出てくるドラマとか時々あって(大河ドラマかな?民放かな?佐久間良子とかそのあたりが出てたような時代の)それで名前はうっすら知っていたような印象はありますが、「会津出身だったんだ!」と武家屋敷で知って驚きました。

後は今年の会津まつりでも出ていた、瓜生岩子や海老名リンなど。たぶん鶴ヶ城だったと思うのですが「会津が輩出した偉人たち」みたいなコーナーで、西郷四郎などとともにパネルを見た記憶が。

けれど新島八重は、そうしたところであんまし見た記憶がなかったんですよね。
(記憶にないだけかもしれませんが

で、「大河ドラマになる」と知ってから、「どんな人なんだろ?」とwikiなどで検索してみると・・・

いわく、ダンナである新島譲すら「見た目は決して美しくない」(う~~むヒロインとしてはどうなのか)。
いわく、戊辰戦争では銃を取って男顔負けに戦った(なんか勘違いしてそー
いわく、男女平等の先駆者で男まさり(ガチガチのフェミみたいな人かしら?
いわく、それを見た世間からはかなり批判された(性格キツそうだもんな~
いわく、日清・日露では看護婦として活躍(ハイハイ偉い人だったのね)e.t.c.

ひっどい感想が並びましたが八重にまつわる箇条書き情報を仕入れるほどに
「立派な人ではあるんだろうけどさ。あんまし心魅かれるとこがないな~」
という印象が正直抜き難く。
これを大河でやるとしたら、その立派な部分を過剰に美化して、容姿も美化して(綾瀬はるかちゃんだし)
「頭が良くて運動神経も良くて努力家で時代を見る目もあって、ハンサムウーマン=スーパーウーマンだった」
みたいな偉人伝になるのかしら?ああまったく感情移入できないつまんなそ~~~

と思っていたのです。
が。

「清らにたかく~ハンサム・ガール」という、八重を主人公にしたマンガがありまして。
作者は「永遠のはじめ~会津酒造物語」など、他にも会津に関するマンガを手がけている松尾しよりさん。この「清らにたかく」も、大河ドラマ決定以前から、ずっと描きたい話だったとのこと。
確かに、いわゆる便乗本とは違って、八重への、会津への愛が、読むとヒシヒシと伝わってきます。
(先ごろ、会津親善大使に任命

で、このマンガがすんごくよかったんです~~~

そもそもは綾瀬はるかちゃんなみの美少女じゃなく、きちんと「ブサイク」として描かれてるのがグー(おかげで感情移入できました
そしてそうした世間の評判を、従来のイメージどおり「気にしない」どころか、「女すもうとり」と言われればガーンとショックを受け、好きな人に振り向いてもらえないことを悲しみ、「自分はかわいくない」ということを諦念として受け入れ・・・そう、すごく自然体な、かわいく優しい性質の女の子として描かれていて。
優しいんです八重ちゃん ダンナや弟、家族の着物などを縫ってあげるのが好きで(っていうか趣味とかじゃなく、当時はそれが女の役目だったわけですが、純粋に着物を作ってあげようという気持ちがあったからそれを厭わず)、姪っ子が「私にも作って」と頼むと「じゃあ三郎の着物が終わったら作りましょうね~♪」「ね~♪」とニコニコして。ダンナをかばい、義理のお姉さんをかばい、涙は隠れて、あるいは冗談に紛らわせて流し、しかし存在がコミカルなので、それがまったく押し付けがましくならず。
「女だてらに銃など持って男に勝った気になってる、みっともない女」
と、まるで私がそれまで八重に持っていたようなイメージを、好きな男に直接言われる部分があるのですが、これまた私のイメージみたいに「正論でガツンと言い返す」ようなことはせず。おだんごやけ食いして、涙を流して、でも意固地になったりコンプレックスをこじらせたりせず、素直に大らかに受け止めて、許してしまう。
「女だてらに銃を持つ」のは、自分が力持ちであることを自覚していて、だから弟など弱い子の分まで自分がかばってあげようと、どんどん強くなっていった結果だということを、家族や友人(や読者)は知ってる。だから彼らはそんな八重を愛しているし、八重もそんな彼らを愛している。そして彼らとともに生きる会津を。

新島八重に関する史実はあまり残っていないそうで、上記のような、マンガに出てくる八重の思いやエピソードは作者のフィクション多々です。
が、私はこれ読んで「ああ新島八重って、ほんとにこういう人だったのかもな~」と、素朴に思えて仕方なく。
そう思うと、後年の京都に行ってからのこととか、すべてが無理なく繋がってくる気がするんですよね~

「美徳を以って飾と為す」なんて、「女であるからには美しいと言われてみたかった」という思いが根底にあったからこそだと思うし。
新島譲とのなれそめ(井戸のふたに腰掛けて裁縫してたという、当時ではありえないオテンバ)とか、夫婦で男女平等を実践したとかなどは、「自分は美しくない」という諦念ゆえに、人間としての原点に基礎を置いた(置かざるを得なかった)八重と、その理解者であった譲がいたからなせるわざだと思えるし。決して私が当初思ってたような、昨今のフェミみたいに頭でっかちなところから来てるんじゃなく、ましてや劣等感と優越感の狭間で強情になってるとかのわけでもなく。
譲のために慣れない洋食を作り続けたのも、家族の着物を喜んで仕立てていた、愛情溢れる性質の延長線上では。同志社設立に協力したのも、伊東悌次郎など近所の子に砲術を教えていた経験、及びその子たちが戦死していくのを見た経験があったからでは。日清・日露で篤志看護婦になったのも、戊辰戦争をくぐりぬけたからであって。そういった、会津で育まれた個人的な「芯」から、すべてのことは表出してたんじゃなかろうか。
「文明開化」の世になると待ってましたとばかり、会津でのことはすっぱり気持ちを切り替えて、新時代を謳歌した人だと、「自分は強い」「女だからってナメないで」みたいに現代的な自我でガチガチになってる人だと、箇条書きの情報を読んだだけではそう思ってたけど。
そんなんじゃなく、むしろ逆な、すごく愛情深くて、親しみ深くて、根底にある会津を、「芯」を決して手放さなかった、ハンサムガールだったのかもな~と、素直に思えたのでした。

そんな八重に共感するからこそ切実に伝わってくる、戊辰戦争での思い。
「人を殺めて殺めて それほどにあの(幸せな)日々に戻りたかった」
「家族を守れたら、会津を守れたら、私はどんなに血で汚れてもよかったのです」
と、その愛情深い性質ゆえに銃を取り
「私の幸せ、それは私の家族、私のお城、私の会津。命をかけて守りたいもの」
という存在だったそれらを、ついに守りきれなかった慟哭。

原発事故以降、あれこれをどうしても太平洋戦争時と重ねあわせて理解したくなること多々だったのですが、戊辰戦争も、これまた太平洋戦争と重ねると、双方がよりいっそう理解できるような気がして。
「このハンパない濡れ衣感は、東京裁判に対するある種の人たちの怒りと同質なのかしら?」とかね

命は大切、しかり。戦争は嫌、しかり。
私も根本には上記2つがガーンと楔のように入ってます(だから護憲サヨク)。
しかし郷土愛というのか、人を含めて自分が住むところを愛する気持ちも、特に原発事故以降よくわかる気が。
いや「しかし」と対立するもんじゃないはずなんですよね本当は。郷土愛ゆえに、命は大切・戦争は嫌なんであって。
しかし同時に、郷土愛ゆえに戦争になってしまうこともやっぱりあって。
昭和初期にファシスト党から贈られた石碑が飯盛山にありますが、白虎隊(中野竹子も?)の逸話なんかは、そうした時に美談としてすごーーーく都合よく使われたんですよね。「死して会津を守る鬼になる」と切腹していった白虎隊士が作中に出てきますが、太平洋戦争時はこうした上級藩士=職業軍人だけじゃなく、一般庶民皆が白虎隊のごとく護国の鬼になるような教育が存在していて。
私はそういうのを「美談仕立て」にするっていうのがものすごーーーくヤで。
なのでこの八重みたいな「愛するものを守るため戦います(キリッ」みたいなのも、本来ならあまり賛同したくないタチなんですが。
しかしだからといって、郷土愛そのものはやっぱり否定できないなと。命は大切だけど、その命が生かされてる郷土も大切な存在なのは、おそらく普遍的な心情であって。「そのために命を捨てるのが美しい」だの「命より上位の価値がある」だのいう、やたらヒロイックな煽りに同意できないのは変わらないけど、「そのために命をかけるなんてバカだ」と、遠くから簡単に断罪するのも真逆で同質としか、この原発事故が起こった今は思えないわ。何か大事な部分が欠けてる考え方という意味で。
「郷土愛(=愛国心)」は確かに煽って膨らませやすく(感情だからね)、したがって利用されやすいものだけれど、だからって「臭い匂いは元から断たなきゃダメ」とばかり、「悪」として根こそぎない物にしようとすると、それはそれでおかしなことになる。「水は多すぎると洪水で命を押し流すけど、少なくてもまた脱水症状で死んでしまう」みたいな。
(しかし戊辰戦争~太平洋戦争までは「郷土愛」=「殿/陛下」であって、ここら辺の感覚は、私いまだに心の底からは実感できないのですが。これが実感できないと、結局当時の感覚はつかめない気も)

あれなんか、よくある結論になっちゃったな。
そして気づけば、新島八重の話がどっかにすっ飛んでる

再度念押しですが、実際の八重がどのような人だったかはわかりません
作者も言ってるように、あくまでもこれはフィクションですから、本当は最初に私が思ってたとおり「正論好きで「ならぬことはならぬ」で人を追い詰めるのも厭わない、どうにも苦手な気の強いおばちゃん」だったのかもしれない
ただ、この本を読んで、ほんとはそういう人じゃなかったのかもと思えたら、とっても納得がいって、かつ八重に親しみを感じることができたのは事実です。以前はあんまし見るのが楽しみでもなかった「八重の桜」も楽しみになりましたし
新島八重について同じような悪印象を持ってらっしゃる方、そのため「八重の桜」もイマイチ楽しみじゃないという方には、ぜひ読んでみてほしいマンガです!

また、後書きいわく「客観性の欠片もなく、会津への愛だけで描いている」作者と、「公正中立な立場で歴史研究をされている(から、ネームに対して)おっしゃりたいこともあったのではないだろうか」という監修・野口信一先生のコンビも最高です 個人的にはこのマンガで野口先生の名前を知ったおかげで、その本を読むという楽しみが増えました
あと、ほんとどーでもいいことですが、覚馬が西島秀俊さんに似ている マンガの覚馬はもっとごっつくて、西島さんとは顔とかイメージ大違いのはずなんですが、なぜかそっくりに見えます目元が似てるのかな?

第1巻・会津編は現在発売中、第2巻・京都編は来年1月発売だそうです。
会津を愛する作者さんが、京都に生きる八重の中にどう会津を見出してくれるのか、今から楽しみです。願わくば大河ドラマも、このマンガみたいであってほしいてかもうこのマンガを原作にして欲しい
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

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