「脱原発論」を読んでみた

嫌いだアンチだと言いながら、ついつい小林よしりんの本は読んでしまうワタクシ
今回の「脱原発論」も、「どんなこと言ってんだろ?」とつい読んでしまいました。

で、読んだ感想は
「相変わらず、自説に対して都合のいいことは我田引水で拡大解釈、都合の悪いことはほとんど触れず誹謗中傷。結果的に印象操作で煽りまくりって感じだな~」
「読者がよしりんの操作どおりの印象を持つのがヤだな~」
よしりんの本を読んで、いっつも強く思うこの2点が今回も。
個人的にはよしりん本って細かいとこで同意することがもけっこうあるにも関わらず(しかもアンチとして悔しいことに、同意ポイントが年々増えてきてる)、どうしても好きになれないのはこの2点(特に後者)のためです。

けっこうタメになったとこも多かったですよ。
特に最終章、九州の洋上風力発電の研究なんかはまったく知らなかったので、へ~~~と思ったし。
最後に持ってきたのは読後に希望と余韻を持たせるためだと思いますが、まさに「未来への希望はけっこうあるんだな~」と、研究している方の真摯な様子が伝わってくることもあいまって、このアンチですら素朴に思えました。
代替エネルギーは絶対に必要でしょうから、その可能性は可能性として、それこそこの本みたいに煽って、世論を興して推進するのもアリだと思います。

そこから
「今はこういう可能性があり、それは近い将来必ず実用化されるだろう。つまり原発は近い将来不要になる」
という「段階的廃止」を訴えるならわかりますよ。けどよしりん「だから原発は即時停止」なんですよね。いやそれはさすがに無理があるだろうと。「未来の可能性」でもって「現在の状況」を置き換えるのはヤバいだろうと。

さらによしりん、「即時停止」を訴えたいあまり、上のような「段階的廃止」派すら「原発推進」派にしちゃうんですよね。「原発問題に中庸はありえない。反原発(即時停止)でないなら結果的に原発推進に与している」みたいな感じで。
これがヤなんですよ~~~。そんな論法で言ったら「自分の主張と少しでも違う奴は全部敵」じゃないですか。まあよしりん本ってそれが特徴なんで、言うも空しいんですが。そんでそうやって枠を狭めていった結果、後からAとBが変なふうにリンクして、どんどんつじつまが合わなくなって行って・・・みたいなことになってくんですよね。
なのでこういう「二者択一」みたいな論法は気持ち悪いのですが、それ以上に気持ち悪いのが、そんな論法に違和感覚えず、よしりん本を鵜呑みにしてやれ保守だサヨクだと「どれが敵か、どれを叩いてスッキリすればいいか」という方向のみにアンテナが発達してしまう読者の存在。よしりん今「ネトウヨ生みの親」と認識して(やっとかい)、必死にネトウヨを攻撃中らしいですけど、なんだかなです

まあよしりんのやり方も、頭では理解してるつもりです。例えば白をピンクにしたいとなったら、私なんかはそういう「変化」による思いがけない副作用の方が怖いので、念入りに少しずつ赤インクを1滴ずつ垂らしてった方がいいという考え方なんですが、よしりんは最初にどぱーーーっと赤インクをぶちまけろって感じなんですよねたぶん。そんな悠長なことしてられるか、だいたい一気に赤ぶちまけたって世の中そうそう真っ赤にはならない、希釈されてやっとピンクになるかならないかくらいなんだから、っていう。今回だったら「即時廃止を訴えても、せいぜい段階的廃止にしかならないんだから、段階を効果的に進めるにはこれくらいぶちあげなきゃ」っていう。
この違いはもう体質の違いとしか言えません。んでどっちがいいかっていうのは状況次第、結果論。

またよしりんがネトウヨ攻撃するのもわかってるつもりでいます。たぶんこれは「脱正義論・ネトウヨバージョン」なんだろうなと。自分が生んだネトウヨを日常に戻そうと、よしりん必死なんだろうなと思います。
けど本の描き方自体が全然変わらないんなら、同じじゃんね~とも思っちゃいますよ。神輿の違うネトウヨを生むだけじゃんとか ネトウヨって体質ですから。

この「体質の違い」って、一言で言えば「ハト派かタカ派か」みたいなもんです。「穏健派か急進派か」かな?たとえ目的は同じでも、この違いで手段が大違いになっちゃいがちなんですよね。で手段が違うともう敵になっちゃう。そりゃそうですよね、例えば同じ「人を助ける」が目的でも、その「助け方」が違うと結果も違うってことになりがちだから。

あるいは「(見方が)相対主義的か絶対主義的か」て違いもあるかな。
私は例えば「からくり民主主義」みたいな
「AとB、どっちにも同じくらい分があってしかもお互いからみあって存在している。どうしましょう?」
で止まってるみたいな本が好きなので、よしりん本みたいな
「絶対A。だってAはこんないい点があるしBはこんな悪い点がある」
みたいなのはもう体質的に大嫌いなんですよね。偏見を助長する質の悪い煽りにしか見えないから。反射的に「だってAにはこんな悪い点があるしBにはこんないい点が」と言いたくなってしまう(でそういう見方をしないよしりんファンを「プチよしりん」として嫌ってしまう

あれ気づけば私もよしりん本の印象しか言ってないな
そうそう「脱原発論」の感想。そんなわけでタメになったところもあったのですが、そしてよしりんの主張「即時停止」は、赤インクぶちまけてるんだろうな~と理解は出来るのですが。
ですがやっぱり受け入れられないな~と。企業とか必死で節電してやっと予備電力を保持しているという、この綱渡りみたいな状態を、新エネルギーが実用化されるまで長期にわたって続けるのは危険じゃないかと。さらにこれは妄想ですが、そんな状況を打破するために「電力自由化」なんてのが支持されるようになったら、そっちの方がなんだか怖い気がするし(「町山&松嶋さんの「未公開映画を観る本」で「水男爵」の話を読んだら、ライフラインに直結するもんを自由化することにめっちゃ用心深くなってしまい

そしてもう1つ、やっぱり福島の描き方がね~~~。あれ読んだら郡山なんかも「人が住めない場所(=てことは作物なんかも作れない場所=そこでできた作物は危険なもの)」ってことになっちゃいそうじゃないですか。
そりゃ線量は今の日本の中じゃ高いですよ。年間1mシーベルトだって守れるに越したことはありません。ただ、1mシーベルトを超えたからって、健康被害が出るかどうかは「わからない」んですよ。どんなデータをどう見ても、結局は「わからない」。年間20mだって「わからない」の範囲内です。低ければ低いだけいいのは当たり前で、事故前は年間1m未満も当たり前だったからそうなってるだけで(よしりんだって「ICRP基準に科学的根拠はない」って書いてるじゃないですか 真逆の意味でだけど)
それで色々勉強会とかやって、避難するリスクしないリスク、皆が真剣に考えて今ここに至ってるのに、「トロトラスト患者」の「放射性物質は蓄積していく。30年後に死亡者数があがった」なんて例を出して「内部被曝は怖いぞ」と煽り、上記のように「念のため」で決められた「閾値なし説」をもって、「「閾値アリ説」は「ホルミシス説」と同じくらいのトンデモ」と印象づけ、「大人が年間1mなら子供は年間0.25m」だと主張した後に郡山の線量を出して、対比でめちゃめちゃ高線量だと印象付け・・・
トロトラストってこの本で初めて聞いて勉強になったけど、今回のセシウムとは性格も取り込み方も違うじゃないですか それをもって「内部被曝」全般として印象付けられても。てなこと言うと「じゃあセシウムはいくら吸っても安全なんだな」という白か黒かみたいな反応をよしりんはしそうだけど。
また、ホルミシスなんて誰~も信じちゃいません。いや少数は信じてるかもしれないけど、避難しない人たちは別に「放射能は安全だ」とか「ホルミシス」なんてのを信じてるわけでも、そんなのにすがってるわけでもありませんたぶん。「わからない」というのを言葉通り受け止めているだけでしょう。すなわち「わからないほど差は出ないけど、わからないから気をつける」という。これまた「白か黒か」な思考法の人には難しくて、つい「わからないから気をつける、じゃあ危険ってことじゃないか」ってことになってしまうのでしょうが(よしりんも批判している「福島県の医療費無料化ならず」も、そこらへんが関係するんじゃないかと思います。「全員病院にかかりやすくするって、そりゃ危険だからだろ。やっぱり福島は危険なんだ」ということになっちゃうんじゃないかという。「わからないから万全にしたいんだ」っていうのは、そんなにわかりにくいものなのかしら??)
また「子供は年間0.25m」って、おざなりに「会津地方や県境を除く」とか書いてるけど、そんなの会津地方だって無理ですよ。てかよしりんいわく「0.05の東京」だって無理でしょう。福島に限らず、関東・東北のほぼ全域から子供を避難させないと。いっくら危険を煽りたいからって無茶言うわ~って感じです。

いやこれはよしりんの場合、危険を煽りたい「だけ」じゃないというのも頭では理解できます。この人の「読者である子供への恩義、及び愛しいと思う気持ち」は本気だな~と、今までの本でも折々思いましたから。今回も「福島の子供のことを、純粋に心配してくれてるんだな~」と、このアンチにすらその心情は伝わってきます。自分でも言ってますけど、基本「情」の人ですからね~この人は。それは確かだと思います。

しかし、そこに反原発としての主張が上塗りされて、という感も否めないんですよね。
まあ参考文献見ると、かな~~~り危険寄りな本が並んでるので(武田センセとか)、よしりん本当に不安なんだなとはよくわかりますが。
心配なのはよくわかる、しかし「即時停止」を主張したいあまり、たとえ福島への風評被害につながろうとも「放射能はとにかく危険」という赤ペンキをぶちまけてる本ですからね。広島の産婆さんの間では奇形児の噂話が多かったという肥田医師の話をあえて紹介した後に「事実は事実として伝え、覚悟を促し、そして何かあった場合国と東電が責任を負うべきだとはっきりさせておく。本当に福島のことを考え、偏見を防ごうとするならそうするしかない」とぶちあげたって・・・よしりんが言ってるような「放射能怖い。郡山危険」に、福島にいる人たちは1年以上晒され、自分らで勉強し、覚悟して今に至ってるわけなのでね~・・・なんかお家のゴタゴタがやっと整理されて気持ちが前向きになったってとこに「聞いたわよ~今あれがこんなふうにゴタゴタして大変なんですってね~。覚悟しなきゃね~」ってわざわざ口だけ出したがるおせっかいオバチャンみたい そんでこういう人って得てして、思い通りの反応が返ってこないと「何よせっかく心配してあげたのに」とか怒り出したりして

実際よしりん書いてますもんね。「福島の住民に不安を与える煽り派と言われぬように、わしも今後は見て見ぬ振りするか?」とかって。「不安を与える」以外では関われない、不安を共有しないなら勝手にしろってことですかね?コワ~ なんでそう白か黒かなんでしょ??
福島のほぼ全域で放射線障害が出ないと、反原発は訴えられませんか?町ごと故郷を追われた人が多数いるだけでも大惨事なのに、それじゃまだ足りませんか?
「今回の福島の放射線障害は幸いにも、チェルノなどに比べるとなんとか軽症で済みそうだ。しかしこれは幸運が幾重にも積み重なったおかげで、しかもこれほど幸運で済んだにも関わらず、浜通りでは町ごと住めなくなって終わりのない避難生活を余儀なくされている住民が多数いる。風評被害により苦しんだ地域は更に広い。幸運であってもこれだけの被害をもたらすのが原発だ。だから原発やめよう」
でいいじゃないですか。って、強く強く思うんですけどね~。日々「福島は負けない」とかで苦労話てんこもりな新聞とかに晒されてない県外の人には、それじゃまだインパクト足りないのかしら?
 
この本でいっちばん気になったのが、上の「福島」の描かれ方ともう1個、「進歩主義」についてのとこだったんですが、長くなったのでまたいずれ とりあえず「悪のレッテル」として「進歩主義」を使うのは(よしりんの常套手段だけど)いただけないなと。
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コメント

あなた本当は小林が大好きでしょ?(笑)
俺は1800円?も出してこんな本買わねーもん

Re: タイトルなし

あはは、そうかもしれませんね(笑)「戦争論」以来のアンチなんですが、「愛と憎しみは表裏一体」みたいなもんかも。
ブックオフに出回るのが待ちきれなくて買っちゃいました(^^;)

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