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沖縄道

と言っても、沖縄行ったら欠かせないあの高速道路のことではなく、「沖縄問題の本質を考える」ための本。
宮城能彦・著「沖縄道」。

沖縄大学教授である宮城先生、私はよしりんの「沖縄論」で知ったのですが、その時からこの方のバランス感覚は素晴らしいなと(私はもうちょっと昔の宮城先生の感覚に近いサヨクなので、若干意見の違いはあるのですが、それでもそう思う)。
よしりんも本で言ってたように「沖縄で「小林よしのりに協力する」だけでもけっこう大変なのに、実名出してあちこち案内してくれる。たいした男だ」その言葉通り。
ともすれば軍人目線で極端に突っ走ってしまうよしりんに、あくまでも住民目線を手放さないこういう方が案内人として側にいるのはとっても安心だなんて、一読者(ただしアンチ)として思っていたのですが、なんでゴー宣から離れちゃったんだろう・・・?

と、そんなふうに以前から気になってた方の本なので、さっそく注文して読みました。

内容は基本的に「沖縄論」や「誇りある沖縄」などで書かれていたことの再確認。それを宮城先生自身の言葉で再度伝えてくれるという感じなのですが、今読むと、書かれた一語一句がどうしても原発事故後の福島にまつわるあれこれとリンクしてしまい。
改めて、基地問題と原発問題、及びこうした問題が起こった時の人心の動きというか、形成される流れの類似点を思わされてしまいました。

例えば、新石垣新飛行反対運動の頃の、島のおばぁの言葉「飛行場を持ってこようとするのも大和人、それに反対するためにわざわざ来るのも大和人」
どうしても、主に首都圏の反原発グループを思い出してしまいます。twitter上で非難ゴウゴウだった企画「311パレードin福島」とかね。
反対することに反対してるわけじゃないんですよね。ただそれ以前に「葬式デモ」とか「福島に住むと死ぬ(と言わんばかり)」とか、さらには「今まで補助金もらってたんだからいいだろ」みたいな、それまでの騒ぎにすごく嫌な気分にさせられてたから、このパレードも「どうせそういうもんなんだろ」と受け止めちゃったというか。人の死を悼むどころか、それを運動のネタにしてるみたいに思えてしまって。

「沖縄県民が本当に怒る時は、実はこういった人間としての尊厳が冒される時や、沖縄人としての誇りを傷つけられた時なのだ」
と先生はおっしゃってますが、まさにそのとおり!上記のようなことをひっくるめて「フクシマ」として扱われるから怒りたくなるんです。
って私は所詮転勤族で、福島が故郷だという方の思いとは比べようもないのですが、そんな転勤族ですら事故後の福島にまつわるあれこれには憤ること多々だったという。

ただ先生は注意深く「「沖縄対大和」の図式にしてはならない。それが沖縄を腫れ物扱いにしてしまう」と警告してらっしゃいます。それを一番憂慮しているとも。
私は性格的に、既存のシステムより、無理解な人たち(?)の言動によりカチンときてしまうタチなので、これは気をつけなきゃな~と思ってしまいました。今は良し悪し含めてあれこれ言われてるけど、今後福島が「なんとなくアンタッチャブルな存在」にならないとも言い切れませんものね。

それにしても、上で「無理解な人たち」と書きましたけど、私も沖縄が好きでコザが好きで、だからこそ「基地賛成/反対なんてそんなに簡単に言えないんだよね~地元は」なんて、わかったようなことを思ってたわけですが、いかにその底にある思いをわかってなかったか、なのにわかってるつもりになってたか、去年の福島で生活して初めてそれがちょっと理解できた気がします。少なくとも、底にある「悔しさ」とか「もどかしさ」みたいなものは、実感としてまったくわかっていなかった。そう思うと、例えば被災した人の実感、福島が故郷である人の実感、それらは今きっと全然わかってないんだろうな~と思えて、つくづく「理解する」ことの難しさを思ってしまいます。言葉ではわかってたつもりだったけど、実感として理解していない、こういう「無理解の善意」がどれくらい厄介なものか。福島でそれを実感したつもりなのに、自分も立場の違う人に無意識にそれを侵してしまう可能性があるとは。

しかし一つだけはっきりと変わらず思うのは、やっぱり「賛成/反対と簡単に割り切れない」ということ。
これは原発にしろ放射能の安全/危険にしろ、やっぱりそう思います。宮城先生も、基地と原発の類似点に触れた章でおっしゃってます。
「原発事故以降、反原発的なムードが一気に高まり、自然エネルギーの可能性が「クリーンで再生可能な夢のエネルギー」として一気に注目されている。しかしかつては原子力も「夢のエネルギー」としてアピールされてはいなかったか」
「安全か危険か。白か黒か。ゼロか百かというだけの発想。今の日本に蔓延している空気」
「もう「これ一つで一気に解決」という「夢」の解決策はない。エネルギー問題も安全保障も、日々コツコツとバランスを取りながら工夫していくことの積み重ねが重要なのだ」
まさにまさに。もっとも安全保障は、私は基本サヨクで、どうしても「軍隊はなきゃないに越したことはない」という思いが捨て切れませんが(というか捨てちゃダメだとすら思う)、それを基底部に置いてバランスを取っていくことはできると思う。。。と言うのは簡単、実際は非常に難しいですが。

この難しさは「日本国民であり沖縄人であること」という、伊波普猷について書かれた章に、個人的にリンクします。
「日琉同祖論」を主張した伊波普猷。「琉球処分」で近代国家・日本に組み込まれ、同化していくのは、ある意味避けられない過程だったのかもしれない。
しかし日本に同化されていく過程で、失われていく琉球の文化や心、さらには日本による沖縄蔑視と、それ以上に沖縄自身が、自分たちの文化が劣ったものと否定してしまいがちになる、そうしたことに彼はどれだけ心を痛めたか。
沖縄を日本として肯定するなら沖縄独自の文化は否定される、沖縄独自の文化を守り肯定したいなら日本に同化できない。
こういう二者択一と戦ったのが伊波普猷なのですが、しかしこれは・・・難しいですね。というか単純に、二者択一にすると簡単で、物事進みやすいから、どうしてもどちらかに色分けしようという流れになってしまうわけですが。
「基地や原発と共存してきた町を否定せず、基地反対・原発反対を唱える」という難しさとまったく同じです。私はこれができないから、基地賛成/反対とすっぱり割り切れないんですもん。そしてこれは、基地や原発の賛否のみならず、放射能の安全/危険とか、単なる人間関係ですら、あらゆるところに存在している。
ここをエイヤっと飛び越してどっちかに属すればラクではあるんでしょうが、そうしたら最後、本当に知りたいことはわからず、ほんとうに目指したいところには到達できない。自分にとって正しいと思うことがはっきりしていれば、そもそもこんなことで悩みませんから、悩む時は悩んだままでいればいいとか思ってしまいます。この難しさから逃れるために単純な結論を求めるとロクなことにならないっていうのは経験則。しかし世の中、結論(=往々にして二者択一)を出さなきゃいけないことが多すぎるのも事実で。。。

「「基地に反対するのはわかる。では何をどうしたいのか示してほしい」という外部の声に答えるのが、沖縄県民としての課題」
と宮城先生はおっしゃってます。ああLIVE福島でのTOSHI-LOWさんの言葉が思い出されるなあ。あの時TOSHI-LOWさんもまさにこうおっしゃってたのよねMCで。
しかしこの結論の出ない状況で、これに答えるのは、やっぱり難しい。。。福島でも、浜中会津それぞれで状況や、そこから来る要望が違うし、個人の職業や環境、状態によっても違う。そして一個人の中ですら、相反する複数の思いがある。個人的には自分の答えを見つけるまでいつまでも考え続けていたいけど、そういうわけにもいかないんだろうなあ。。。
「沖縄県民のある個人が一貫して反米や反日というのではなく、その時々の状況や立場によって態度を使い分けているということもある」という言葉や、そこで紹介されていた、職場では「移転賛成」、家では近所の人に頼まれて「移転反対」の署名をしたという方のエピソードなんかに、私はすごいシンパシーを覚えてしまうのですが

そんなわけでこの本は、どこを取ってもシンパシーだらけという感じではあるのですが、中でも一番共感したのは「母が遺したもの」について書かれた章。
以前「集団自決は軍命か否か」の議論が盛り上がったことがありました。「沖縄ノート」の著者・大江健三郎を相手取って「軍命を下した」とされた側が訴訟を起こしたりと、色々な意味で切ない盛り上がりでした。
その訴訟で「軍命はなかった」という証拠となったのが、宮城晴美・著「母の遺したもの」。
実は私、あの騒ぎの時に名前はよーく聞いたものの、この本読んだことなかったんですよね。
にも関わらず、宮城先生がこの本について書かれていることは、「あ~わかる~そうだろうな~」と、とっても共感してしまって。以下ちょっと長いですが引用。

「これはあまりにも悲しい書物である。特に後半、宮城産のお母さんが晩年「実は軍命はなかった」と隊長に告白して以降、次第に態度を硬化させた隊長が、軍命問題の最大の責任者は当時の役場職員にあるとして反撃していく様子は、悲しすぎて読み進めていくことが辛い。
お母さんが「軍命がなかったこと」を胸に秘め続けなければならなかった日々を思って胸が詰まり、同時に、極悪人にされて残りの人生を辛く生きてきた隊長のことを思って胸が詰まる。そして、隊長に反撃されて以降の、お母さんの苦しみ。戦争で苦しんだ人たちが数十年もたった後もさらに苦しみ続けなければならないこと、戦争で生き残った人が行き続けていくと言うことの営みの悲しさで涙が溢れてしまって、なかなか最後まで読み続けることが出来ない。
「母の遺したもの」は、軍命があったとか、なかったとか、そんな表面的なことを言うために書かれた本ではないと私は思う」


まさに!まさに!(と読んでもいないのに
そうなんです!あの集団自決の騒ぎの時も、今回の福島に関するあれこれも、どうしても生じる憤りに近い違和感は、「利用されている」感から来るんです。「どちらかの陣営に都合のいいネタとして利用されてる」みたいな。しかしそうするとどうしても敵味方、賛成反対という二者択一になってしまい、共有したい思い、わかりたいことなんかはどっかへ行ってしまう。何より失礼ですよね。隊長も役場の人間も住民も、それぞれ色んな思いがあってああなってしまったのに、それを自分の主張のために利用するなんて。それこそ「人間の尊厳や郷土への誇り」を踏みにじる行為じゃないですか!しかし救われないことに、それは「無理解な善意」がなせるわざであって、しかもこんなこと言ってる私自身がそれに足をすくわれること多々なのですが。

そもそもこの本に書かれた逐一を福島の現況に結び付けて勝手な解釈するのも、「沖縄」をネタにしているだけと言われればそのとおりという気も。沖縄を理解するための本なのに、勝手にこっちとの類似点だけ見つけて喜んでるような。
しかし「自分の頭で考える」ために「自分にひきつけて考える」のが、結局一番誠実な態度であるような気もして。
そうすることによって相違点が浮かんできて、両方ともがより理解しやすくなる気もしますしね。
ともあれこの本は、私にとって読んでよかった本でした。

他にも例えば、辺野古移設に絡む利権の話。この「利権」も原発と切り離せないんでしょうが、それに加えて「「利権」って私たちと切り離された「悪」じゃなく、私たちの欲求を、この資本主義社会で形にしようとすると「利権」という形になってしまうのかもなあ」などと思わせてくれたり。
あるいは「(たとえ普天間問題などで連日ニュースになっている時も)TVや新聞を見ない限り、たとえ「沖縄」という「現地」にいても、どこかよその出来事」という感覚。とてもよくわかる気がするわ~~。そしてこの感覚は、意識して片方に持ってないといけない気がするわ~~

「同じように平和を願い、同じように「二度と沖縄戦の悲劇を繰り返してはならない」と考えているはずなのに、どうしてその手段がこうも異なってしまうのか」(そしてそんな、単なる手段が、いつしか目的化してしまう)
この本で書かれていることは、すべてこの疑問が形を変えて表れたものだとも言えます。そしてこれは、沖縄に限らず、ウヨサヨが関わるすべての問題、ひいては友人同士、家族同士の間でも、およそ人間社会ならば普遍的なことで。
この文章は「「殉国」ではなかったのか」という章にあるのですが、今までならば「殉国」とすることに一抹の危機感を覚える私ですが(サヨクですから)、「福島」に当てはめると、自分の中でけっこう反転してしまうものがあるんですよね。殉国美談が嫌いなのは変わりませんが、そんな美談仕立てにしなくても、そのベースとなる感情はある意味自然なものかもしれないと実感するような。だからこそ、使い方を間違えたり、極限状態になるなどして、それが強調されると恐ろしいんですよね。「殉国」に限らず、真逆の「命を大切に」だって、行き過ぎた結果の危険性はまったく同じです。こんなこと、去年以前はまず考えなかったな。もっぱら「殉国」方面の危険性しか考えられなかった。

と、長々書いてしまいましたが、これでもまだ半分くらいです
もっともっと、引用したかった言葉はテンコモリなんですが、キリがないのでこの辺で。

う~むしかしなぜ宮城先生、ゴー宣から退いたんだろう??
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テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

コメント

私も・・・

K&Uさんのおっしゃりたいことが伝わってきました。
私も「原発反対」って言えない!もちろん原発が怖いことは知っている。なければこんなことにはならなかった。
でも・・・。

だから、そう堂々と公言できる人に「ふぐしまのことほんとにしってんの?」って言いたいのです。
あるブログ友に、福島在住者に「この期に及んで原発に反対しないあなたは、私たち被災地の苦しみを何一つわかっていない」って言われた・・・。でも、その人、大阪の人だったんですよね。「やっぱりな・・」って思いましたよ。

あと、太陽とか風とか新エネルギーに注目しすぎている今の世の中と、原子力導入の発想は一緒だろっていつも突っ込んでいます。そんなことでまた福島を食い物にすんじゃない!って。

でも脱原発の気持ちはわかる。だから切り捨てずに丁寧に説明して行く。これはゼロリスクとかの人たちに対しても一緒。
これが私の2年目の目標です。(難しいが・・・)

Re: 私も・・・

そうなんですよね!原発が危険なことなんかよくわかってる、福島だからこそよくわかる、だけど・・・という感じ。
Kさんも新エネルギーに対するこの盛り上がり、やっぱりそう思ってらっしゃいましたか。なんかこう、白じゃなきゃ黒みたいに、反対側にど~っと行くのがこわいんですよね。そんなんじゃ絶対どっかで反動が来るか、或いは同じこと繰り返すことになる気がして。これを怖いと思う人と思わない人に、もしかして世の中分かれるのかしら??
「原発に反対しないから被災地の苦しみを知らない」なんて、ちょっとひどいですね。被災地は生活立て直すのに精一杯で反対運動してるヒマなんかないの、ちょっと考えたらわかりそうなもんなのに。
こういうこと言う人って、もう「目的のためなら」になっちゃってるのかしら?まあ「原発反対」自体は別にいいんですけど、そういう人って、大熊町の中学生たちの「親が原発で働いて自分たちを養ってくれた。だから原発があってもいいと思う」という言葉を、どう受け止めるんでしょうね?大熊町ってまさに「被災地」そのもので、反対している人たちが安全な場所でデモしている間も、事故収束のために高線量の原発内部で働いてる人たち多数の町ですけど、こういう言葉や立場は「利用できない」から「切り捨て」なのかしら?

なんて思ってしまいます。
2年目の目標、素晴らしいですね!でも本当に難しそう・・・というか疲れそう・・・
私は一人であれこれ考えるだけで、Kさんみたいに行動したり、説明したりという努力は「疲れそう・・・」と放棄してしまいがちなので、もうちょっと行動寄りにしようかな。。。行き詰った時は相談に乗ってくださいね。

No title

はみちゃん。お久しぶり~
PCを買い換えてから、ここのアドレスが分からなくて・・・
そしたら久々に見に行ったIMAで、はみちゃん見つけたもんで^^
ちょっと来ない間に、更新もマメにしてあるし、福島県民になっちゃってるし(驚)
さらにHNも変わってる!!(笑)

原発の事、わたしも色々と考えてる
事故が起こるまで、何も知らなかったから「知りたい」と思う
わたしは頭が悪いから難しい事は分からないし、自分の言葉で言うのも苦手だけど
古館伊知郎の報ステ見てると勉強になります
「原発 わたしはこう考える」のコーナーあるでしょ?
23日の放送の
http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/03/blog-post_25.html
この人の意見に、わたしは賛成
わたしの言いたい事が全て詰まってるわ!

それから原発を積極的に誘致した福島県民と
それに関わったW部恒三と、その一族の責任はどうなのか?
原因とか責任とか、きちんと考えなければいけないと思う

原発の問題。はみちゃんが沖縄の基地問題と重ねて考えるように
わたしは野良猫問題と重ねてます(笑)
これが意外と共通点があるんだよ

あ!わたしの近況として・・実は、また猫を飼ってしまったよ
もう絶対飼わない!と決めたのに、拾っちゃったんだ
飼えば可愛いんだけどねi-235

Re: No title

うたちゃん!!超久しぶり~~~♪♪ ごぶさたしてごめんね~~~(><)
IMAに書いてよかった!でないと連絡取れなかったかもだもんね;;
私も前のPCが怪しくなっちゃって、そこに前のHPのデータ一式入ってたんで
すっかりいじれなくなっちゃってたんだよね。で、もっぱらこっちのブログの方に。
書くのがクセになると、なんとか継続できるもんなのね~(いつ飽きるかわかんないけど(^^;))
あ、HNはなんか自動でこれが出てきて(プロフィールと連動?)いちいち直すのがめんどくさいからこうしてるだけという(^^;) なので従来どおりの呼び方でいいのよ。私は「KGB」って呼ぶから♪

原発関連は、福島にいると毎日ニュースでやってるから、どうしても考える割合が多くなっちゃうんだよね。。
吉岡さんの意見、「責任の所在」と「安全検証」か。なるほど~という感じ。確かにこのままだと、なし崩し的に再稼動とかにもなりそうだもんね、何も変わらず。
誘致した責任、そうだね~。。。私はやっぱ地元びいきというか、福島寄りな気持ちがあるんで(W部とか、小学校の運動会にも来たんだよ~頑張ってるんだな~と(頑張る方向性が違う気もしなくはないけど(^^;)))、そこら辺はどうしても避けて通りたい気持ちがあるんだけど、でも繰り返さないためには必要なんだろうな。決して「糾弾」のためじゃなく、それこそ時代背景から何から含めて「検証」という意味でね。

ノラネコ問題、確かに似てるかも!なんかさ、ノラネコ問題考えると私の場合、アフリカとかアジアの難民援助」みたいなのとかなりリンクしちゃうんだけど、そういう「援助」とか「支援」で出てくる問題と、原発や基地問題は、けっこうかぶってる気がして。
うたちゃんの場合は、もっと積極的にノラネコと関わってるから、もっと具体的に問題の形が見えてるんだろうな。

え、もう飼わないって決めてたの!?
それをくつがえさせるなんて、どんなネコちんなんだろう??(^^)
あ、そういえばうたちゃんのブログアドレスも前のPCなんだ~(>_<)。差し支えなかったら今度教えてちょ~♪
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