残酷な神が支配する

もう「安全」か「危険」かじゃない、「安心」か「不安」かという争いなんだな~との思いが再燃しきりの、「青森の雪拒否」ニュース。
今更ながら、例年通り西会津に来てくれた大宜味村の方への感謝も再燃しつつ(毎年来てくださってるんだそうです)。

私も一応子持ちなので、「子供のために」と過剰に(としか私には思えない)放射能を遠ざけようとするママさんたちには共感です。というのは大嘘で、「放射能から子供を守る」みたいな人たちって、私から見るとほんとに「戦時中」みたいな感じで。なんかこう「負けるもんか!」みたいな。何に対しての勝ち?どうなったら負け?どうしてそんなに、まるで追い詰められてるかのように「不安」なの?同じ子持ちなのに、どうしてこんなに違うの?とずっと思ってたんですけど。

まー私は「人一倍ズボラ」「以前からアメリカ産でも中国産でも平気で買う食生活」「もちろんオーガニックとかにも興味ナシ」なので、そういう、個人の趣味や性格の違いだろうと、漠然と納得してたのですが。趣味の問題ならわかりあえないのは仕方ないというか。

でもねー。その「個人の趣味」が、あまりにも「子供のために」という錦の御旗になるのはどうだろうとも、ず~っと思ってたんですけど、まー確かに「個人の趣味」がそこまで加熱するのは「子供のため」でもあるんだろうとか思って、それもまあ納得してたんです。単に私がこの人たちより母性愛薄いんだろうとか。マンガ「アイシテル」のワンシーンを思い出しつつも。

「お母さん、ちゃんとやってあげてたでしょ?お誕生日には手作りのケーキ焼いてあげたでしょ?保護者会だって一度も休まなかったでしょ?ごはんだって無農薬の野菜で作ってあげてたでしょ!?なのにどうしてなの?裕一!!裕一~!!」
「うぜ・・・。「~してあげたでしょ」「~してあげたでしょ」「してあげたでしょ」何もしてねーやつほどしたことをあげつらうんだよな」
あるいは
「裕一君は(ごはん)何が一番好きなのかな?」
「カップラーメン」
「そう、それはお母さんがちゃんとごはんを作ってくれるからだね。だからカップラーメンがごちそうに」
「カップラーメンならゆっくり食べられるからさ。「これは~産よ」「これは何時間も煮込んだのよ」「ほら野菜たっぷりでしょ」ずーっと料理の自慢ばっか。チョーうぜえ」

くわ~~お前何様!!ありがたく食え!!と思う方もいらっしゃるでしょうが、この子は積み重なった母親への根深い不満があって、それが料理にケチつけるという形になって出てるだけなので、別に無農薬野菜がいけないわけじゃありません、当然ながら。
ただ、今「子供のために」と過剰な放射能恐怖症に陥っちゃってる人って、こういうお母さんみたいなパターンになってる面もあるんじゃないかしら?
とか思いつつも、このお母さんより更に育児に手を抜いてる私がそんなこと言うのは恐れ多いので、なるべくそう思わないようにしてたのですが。

この「アイシテル」というマンガ、ドラマにもなりましたけど、私はたまたま雑誌で最終回あたりを立ち読みしてたら、も~その回だけでもグサグサきて!
さっそく買ったら、いや~もう。。。「かわいそうだ、みんなかわいそうだ」という、被害者姉の彼氏の言葉になぜか救われる、そんなマンガ。
この加害者のお母さんも他人とは思えません。私なんてこんなに手をかけた料理もしなければ、幼稚園バッグのために徹夜したこともない、ほんとに超手抜き育児してるくせに
「必死で孤独で不安で・・・でも絶対に失敗は許されない。子育てを楽しむ?そんなの片手間に子供を育ててる人です」
というお母さんの言葉に「わかるよ~~~!!」とか

私の場合、2人目生んだらどっとラクになって、例えればオバチャンがすっぴん&サンダルで恥ずかしいとも思うことなく、どこへでも出かけていっちゃうみたいな自然体(?)に、子供と一緒にいてもいなくても変わらずなってきたんですが(わかりにくい例えですかね~?)。
1人目が乳幼児の頃は、ほんっとーーーに子育てが辛かったです。
まずおんぶやらダッコやらが体力的にキツい。その上睡眠時間ガタ落ちだから疲れが取れない。子供がいない時のペースがしみついてるから、子供との生活いちいちがストレス。子供と意志の疎通が出来ない。自分のやってることが正しいかどうかわからない。外に出れば「子連れはこれだから」の視線が痛い。
まさに「必死で孤独で不安で」そのもの。
子供が風邪をひけば「親なのに風邪を引かせて」、子供が何かすれば「親がちゃんと見てないから」ジャンクでも食べさせれば「親の自覚が足りない」e.t.c...今なら「考え過ぎ」で軽く一蹴しちゃうし、他のお母さんもまあこんなもんよね(似たもの同士なだけ?)と心底思えますが、1人目の頃は「自信のなさ」が、そのまま「周りがそう思ってるんじゃないか」という疑心暗鬼、さらには「ダメ母の烙印を押されたくない」という強迫観念になって、独り相撲、空回り。あ~今思い出してもヤだ~~

今放射能恐怖症のお母さんって、もしかしたらお子さんがまだ小さい人が多いんじゃないかしら?「小さければ小さいほど放射能の影響が大きい」なんていう説もあるし。
てことは、もしかしたら上記のような「育児の辛さ真っ只中」の人が多いんじゃないかしら?とか。
ただでさえ未体験の「母」業に四苦八苦状態だから、全方位的に力を入れて必死なのに、そこに「放射能」なんてのが降りかかってきたもんだから、そりゃもう「親として」をフル回転しなきゃいけないような感覚に陥っちゃってるんじゃないかしら?どこまでが「こんなもんよね」で、どこからが「考え過ぎ」かなんて、力のいれどころ・抜きどころが自分の中に確立してない限り判断不可能だし。
加えて子供が小さい=若いお母さんだと、「光化学スモックでも平気」「チェルノブイリ後の雨も気にしない」「随所がまだまだ不衛生で野蛮だった」という私ら昭和オババとは違って、ずっと安全・清潔が当たり前の時代だったのかもしれない。「80年代はスカの時代だった」とかいう本で、80年代から世の中の清潔志向が始まったなんつー説を読んだ記憶もありますし。

こういう「親として必死」な状態を効果的に救ってくれるのは「安全な数値」でもなく(だって「少しなら大丈夫」なんて言われても「心配」には変わりないし)、「そんなの大丈夫よ~」というママさんでもなく(ダメ母だから大丈夫と思えるだけでしょ)、「よく頑張ってますね」って認めてくれる「信頼できる人」なのよ~!
というお母さんの叫びが聞こえるような。え?幻聴?

いつも拝見させていただいてるKさんのブログに、「福島の子供を守ろう」系の、とあるお医者さんの話が載ってまして。

「(このお医者さんは)まあこういう反骨タイプの方ですから、自然子育て派、子供の個性自由を・・・という感じで、いいお話でした。(と当時思いました)障碍児をお持ちで、徹底して弱者の味方でもあります。言葉を返せば赤いとも言えます。
彼の絵本もたくさん出ていますし、育児本もエッセイ風で読みやすくよく読んで参考にしていました。

だから、こういうタイプの人が、今回、こういうほうに持って行くっていうのが、すごくわかるんですよね。ときどき私が言及する旧友も地域の若い母親の相談役であり、まさに母親の味方のタイプ。先生もそうだけど、打ち明けると「私のつらさをわかってくれた!!」というような気がするだろうし、実際、先生も私の旧友も母親を救いたいと思って動いていると思うんです。心底。彼らの過去を振り返ってもそうです。

だから始末に負えないというか・・・」

とあって。

なんだかすごーく、切なくなってしまったのでした

「私の辛さをわかってくれた!!」というその気持ち。
よーくわかります。あの辛かった育児中、求めていたのはほとんどそれだけというか。だから「アイシテル」がすっごいグサグサきたんですし。
こういうお医者さんに、私もたぶん救われていたんだろうと思います。実感としては、一番に救ってくれたのは、子供を成長させてくれた「時間」、そして空気読む能力に長けてて余計なこと言わない「ダンナ」ではありましたけど

でも、それが「沖縄の雪」「瓦礫」などに形を変えてしまうのは。。。救うことが福島・東北への攻撃になってしまうのは。。。どうして?
誰かを心底救おうとすることが、どうして別の誰かを追い詰めることになってしまうのだ??
それが「救い」というものなら、神様、私は「救い」なんて拒否したいぞ。

毎度毎度青臭くってすみません
でもこれ本当に、ずーっと考えてるのにわからないまま年だけ取ってしまって。

ていうか、いくら感情は理屈じゃないったって、本当に「危険」なレベルならともかく、関東とかの「安心したい」レベルでそこまで放射能敵視しなくても、と思うんですが。
車の排ガスならそれほど気にしないのに、電気の排放射能(?)だとほんの少しでも不安って・・・どっちも自分たちの生活がそれで成り立ってたのに、やっぱり電気の方は地方に押し付けて忘れてたのを、今でもまだ忘れたままでいたいんだとしか思えないわ。
というのは、不安をさほど感じていないから出る言葉かしら?福島に肩入れしたい気持ちのなせるわざかしら?
そういうバイアスがかかってる故かもしれませんが、私的には、そうした「受けてた恩恵」を忘れて、ある日突然「関係ない危険物」によって生活を破壊された「被害者」が、福島・東北という「加害者」を討つ!これすなわち正義!みたいな話になってるから、ヤなんですよね~。
「被害者vs.加害者という正義の物語」じゃなく「辛い人vs.辛い人という生存本能(エゴ)の物語」という語られ方なら、どんなに気持ちいいか。いや気持ちいいどころか神様を呪いますが、少なくともエゴという人間の醜さよりももっと醜い「正義」は見なくて済みます。解決はしませんけど。

あれなんか、思ってたとこと違う方向へ着地しちゃったな~
なんか簡単な方へ行っちゃったというか

なんか知らないけど、「沖縄の雪」ニュースを見て、「母親」とか色々考えてたら、「日出づる処の天子」で描かれていた「誰にも、自分自身にすら、自分を救えなくなった時に初めて見える(しかし決して救ってはくれない)仏」とか、あるいは「残酷な神が支配する」で描かれていた「救ってくれるからこそ自ら遠ざけねばならない神」「世界を破綻させないために生贄を求める神」とかがやたら思い浮かんで、なんだかとっても悲しくなってしまったのでした。

とセンチメンタルになりつつ、今日回収の放射線線量計を忘れていて、あわてて幼稚園に届けに行くべく1歩外に出たら、すごーくいいお天気で。
あんなに苦労してやっと一区間くらい除雪状態を維持する程度だった駐車場の雪を、そして除雪した結果「どうすんだろこれ」と呆れるくらい山になってた雪を、そんな人間の労力なんて軽~く笑い飛ばすかのように、太陽があっさり溶かしていて。これを人間がやろうとしたらえっらく人手いるだろうな~ってくらい広範囲の雪を、あっさりとね~。
TDRの「レジェンド・オブ・ミシカ」をカーステでガンガンかけながら、照り返しも暖かい青空の街を走ってたら、今度はだんだん「ごらん世界は美しい」みたいな気持ちに。簡単ね~

というわけで、色々想像してみたんだけど、なぜそんなに不安なのかは、やっぱりわかりませんでした、という、長いわりには実のない話だったのでした
「安心」についても長々書きたかったんだけど、次回にします。
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

コメント

たしかに^_^;

K&Uさん、こんばんは!
たしかに今回のニュースは興醒めしました。
青森の雪に比べれば、タバコの煙の方が有害でしょ、それから××さんのオヤジギャグも!・・・って職場のスタッフと話してました。
放射線と比べられる××さんも可哀そうですけど^_^;

Re: たしかに^_^;

FLYFISHERmanさんこんにちは~♪コメントありがとうございます!
まさか青森まで拒否されるとは!という感じですよね。しかも数値は従来と変わらない結果だったにも関わらず。。。どうしてそこまで怖いんでしょうね?ていうか本当に怖がってるのかな??
トバッチリを受けた××さんには気の毒ですが・・・そのトバッチリ加減に思わず笑ってしまいました(^^;)

No title

はじめまして。
私は青森出身なのでこのニュースを見た時すごく腹立たしかったです。
少数の反対意見があるだけで中止してしまうというのも何とかならないものかと思ってしまいます。検査して正常なら行政も毅然とした態度でいてほしいです。長々とすみません。

Re: No title

はじめまして&コメントありがとうございます。
こじさん青森ご出身ですか。お気持ちとってもわかるような気がします(福島県民としては特に)
本当に、今や検査して正常でも「嫌だ」と言われればそれに「共感」しておく、という感じですものね。前々から「迷惑と言ったモン勝ち」みたいな風潮になってるような感じがしてたんですが、あまりにもバランスを欠いた「個人の権利」の主張は、逆に首を絞めて全員が生きづらくなるのに・・・とか思ってしまいます。「共感」も確かに有効なんでしょうけど・・・。

あ~わかってもらえて・・

こんにちは、いつも鋭いコメントありがとうございます~
山田先生の引用文ですが、そうなんですよね・・私は著書も、著作絵本も、編集雑誌もきっちり読み込んでいって、そして、目の前で講演も聞いているからひじょう~に「あ、この先生、私らの気持ちをわかってくれているんだ」「こういうふうに肩の力を抜いて子育てすればいいんだ」ってすごく思ったのですよね・・・だから、今回、6月かな、福島の不安なお母さんの健康診断に来るっていうときに、名前を見て「ああっ・・こっちなんだ。。でも山田先生なら、へんなふうにならんかも」って一抹の期待は持っていたんです。でも・・・あとはもうご存知の通りです。

「人のためにやっている」っていうのが伝わるので、そういう人は認めるべきかもと思ったんですが、どなたかにそれも却下されて「だって間違ったことを布教しているんだから、迷惑」それもそうだなあと思ったり・・で回答は出ていません。

でも不安に寄り添おうとするとそうなってしまうっというのもわかるんであって・・

それがどうして攻撃になってしまうか・う~んそうですね・・どうしてなんだろうか・・・

Re: あ~わかってもらえて・・

そうなんですよね。不安に寄り添おうとするとそうなってしまうって、すごくよくわかる。。。というか、こないだ私自身がしてしまいました。KKの学校ママさんが、子供が部活で警戒区域の隣町に行くので心配、と話してらして、私自身は1日2日なら大丈夫と思ってるんですが、やっぱり「それは心配だね~」と。
決して社交辞令とかではなく、「それは心配だろうな~」と心底思って、寄り添いたいという気持ちで。けどこれ、その町に住んでいる人が聞いたらいい気持ちはしないだろうな~とも思いつつ。
というか、会津・福島がまさに他県の人からそう言われているんですもんね。その不快感をよくわかっている私にしてからが、中に入れば同じことをしている。決して悪意からではなく、ただ見知らぬ町の人より、目の前の人に共感したいという理由から。
ただ、そのママさんが「ま心配だけど行くけどねv-221」というスタンスだったのには救われたというか、一番共感しましたけど(私もたぶん同じような行動をすると思うので)。
「心配なあまり危険になりそうなものはとにかく排除」というのが、やっぱりあんまり好きじゃないんですよね。もちろん、場合や程度によって排除もやむなしということはいっぱいありますけど、それが「正義」っぽい顔をすると違和感が。「甘い」と言われそうだけど。「人のためにやっている」っていうのは確かに尊いことで、「正義」なんですけど・・・ん~堂々巡り。。。「排除」と「攻撃」は結びつきやすいな~とだけは漠然と思うんですけど。
内緒コメの方は、後日ブログにおじゃまして内緒コメさせてくださいね。
ひそかに興味あった方なので、ご紹介のをじっくり読んで考えたいなと(かな~り偏見だらけの長文になっちゃうかもしれませんがi-229

Re: No title

うわ~~そ、それは凹みますね!(><) 禁止語句の設定なんてあったのか。。。すみませんでしたm()m
もう1度書いてくださるのを楽しみに待ってますね! 
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