或る日の一休

前回の続きで、カサイ本を読んで思ったあれこれです。
思いの丈をそのまま書いてたら青臭さ全開になっちゃいましたが、ご容赦を

って気づいたら、前回はカサイカサイとめっちゃ呼び捨てにしてましたね失礼千万!
ど~もあの人、とんねるず石橋に「カサイ~」と呼び捨てにされてた頃の印象が強くて、呼称=「カサイ」って感じなんですよね なので呼び捨てに決して他意はありませんが、ここでは「カサイさん」にします。

で、そのカサイさんの本の中には、報道ならではの悩みから出発して、実は普遍的なことなんじゃないかという葛藤や感想がいくつも紹介されています。
例えば、避難する時、ちんたら歩く前の老人を抜いてしまったとか、「ここで津波に来て欲しくない!」と切実に願いながらも同時に「ここで津波が来たら衝撃映像ゲットのチャンス!」と思ってたとか、津波で家が流された人に「もうここには住めないでしょう」とインタビューしたら、「いやーまたここに住むんじゃないかな」と軽~く答えられて衝撃を受け
「郷土愛とか、家自体への愛着とかそういう話ではなく、ただ、なんとなく、またここに住むでしょうというテイスト。でもそれがかえってリアルな答えなのかもしれない」
と思ったとかe.t.c.
そうそう、TVカメラの前で遺体が見つかった時の話もありました。この時の放送は私も「とくダネ」で見ていて、「遺体発見!」シーンや、それを受けての遺族の様子など、正直「ええ~ここまで写しちゃうか~」と、見たがる自分とあんまし見たくなかった自分、というかそういう見たがる自分を嫌悪する自分とかが葛藤していたので、よく覚えてます。
視聴者がそうして自分の中で相反する思いを抱いたように、その場にいたカサイさんも、放映する前も、またこれを放映した結果も、やっぱり賛否両論だったようで、こういうのを知ると、やっぱりTVの影響力の大きさというか、身の内にカメラがグーッと寄ってくる感覚が新聞よりあるな~気をつけなきゃな~と思わされます。

さてこんなふうに色々印象深いエピソードの中で、一番印象に残ったのが、被災地で食べ物を盗んでいる人を見かけたという話でした。
(もっともこれはカサイさんではなくディレクターの体験で、実際にカサイさんが体験したのは阪神大震災の時ですが)。
「火事場泥棒」的な盗みじゃなく、純粋に、食べるものがなかったゆえの泥棒。子供連れで、2日も食べてなくてとか。その前に、カサイさんたち報道ですら「衣食住」に困っていた話があって、それじゃあ被災者はどんなにか、とリアルに伝わってきている中でのエピソードです。
現場自衛官の「そっとしておいてあげて。我々も止めないので・・・」という言葉。海外で、震災時の日本人のモラルの高さが賞賛されていたこの時期「真実を報道するために写すべきか、写さないべきか」という、「記者魂」と「人情」の葛藤。

飢えのために盗みをするのは悪か否か?
これ「飢えたネコに施しを与えるのは善か否か?」とともに、子供の頃からずーーーっと答えが出なくて、だからずーーーっとどっかで考え続けてるような命題です
個人的に興味がある「太平洋戦争」とか「ナチス」とか「基地」も、また昨今の「放射能騒ぎ」も、その放射能騒ぎでも出てきた「福島農家」とかも、私にとってはすべてはこの問いに収斂されるというか、この答えを出すヒントになると思われるから興味を持ってしまうという感じで。それがカサイさんに同化して読んでたら、突然モロにどーんと出されたので、めっちゃこの本が心に残ってしまったのでした。

私の知る限り、この問いに対してはっきりと答えを言ったのは1人だけです。いやたぶん、ブッダとかキリストとかも答え出してると思いますが、私は知らないので
私の知ってる唯一の解答者、それは一休さんです。というか武者小路実篤です。

武者小路実篤の短編戯曲に「或る日の一休」てのがあるんですが。
ある日一休さんのもとに泥棒、というか「こんなクソ坊主生かしちゃおけん」というテロリストみたいなのが来まして。
そこで泥棒と一休さんが「なんでお前はあんなことを言ったんだ」みたいなのをあれこれ問答するんですね。一休さん、かなり反骨なお人で、ぶっ飛んだ言動を色々してましたからね~
でその問答中に一休さん
「飢えてする盗みは悪ではない」
と、きっぱり答えてるんですね~

これ読んだの確か小~中学生の頃で(しつこく読み返すタチなので、それ以来何度も読んでたとは思うのですが)、その他の問答はもちろん、この話自体もすっかり忘れてたんですが、カサイさんの本を読んだらこの答えだけが強力に思い出されました。
たぶん子供心に、トゲのようにささったまま内部化していたのでしょう。おそらくは「そうだ!よく言い切ってくれました!」という、大人がそう断言してくれた感動とともに、子供心にも「それは否定しないとまずいんじゃないか・・・?」とも思った、その葛藤によってより深く、ぐっさりと内部化。
「飢えのために盗む」ってつまり「生き延びるために罪を犯していいか」ってことですが、個人的には、そもそも生きること自体が「生きるために日々誰かから何かを奪ってる」行為じゃないのかという思いが抜き難く。
それを「悪じゃない」と言い切るのは、イコール「あなたは生きていてもいいんだよ」と許してくれるのと同じなんですよね。ありがとう一休さん!中島みゆきの「エレーン」にも言ってあげて

その点あの「福島農家」に対するバッシングは、ほんとにイヤ~でしたね~。農家を叩く人みんな「飢えのために罪を犯すな。正義のために死ね」って言いたがる人たちみたいに見えて。そのくせ「命を守ろう」とか、これまたキレイな話にしようとしていたりしてさ~何だかもう。てか福島農家が作付けするのは別に罪じゃないんで、ここに出すのはそもそもお門違いですが。
「食べたら死ぬ」みたいな被害妄想に駆られて、福島農家を加害者扱いするあなたたちは同時に「生きるために福島農家から何かを奪ってる加害者」でもあるのよわからないの?とか。

ここで一休さんです
「飢えてする盗みは悪じゃない」の言葉に従えば、福島農家もそれをバッシングする人も「悪じゃない」ってことになるんですよね。
立場が違うだけで、どっちも自分が生きるために他から何かを奪ってる=飢えて盗みをしている人なだけなんだから。決してどちらかが「悪」ってわけじゃない。
ほんとーにそう思います。ここを押さえないで、放射能恐怖症の人は往々にして「正義」に立ちたがるように見えるからヤなんですよね~。ま向こうさんも「絆」とかの言葉に対してそう思ってるのかもしれませんが
この一休さんの考え方に沿うと、相手を憎まなくて済むのがありがたいです(ただし機嫌のいい時限定)。

しかしながらこの考え方だと、心の平安は得られますけど、争いは止まず、解決しないのが困ったもんですね~
ていうか、「飢えてする盗みは悪じゃない」、これを突き詰めると、新自由主義上等、戦争肯定になってしまいそうじゃありませんか??盗まれた方はおとなしく餓死していけばいいんだみたいな。いやだ~~~社会福祉国家好きな平和主義者としてはまっぴらごめんです。一休さんの言葉に感動すると同時に「否定しないとまずい」という気持ちが働くのはこのためですね。

もっとも「突き詰める」のが間違いなのかもしれませんが。ピンクを突き詰めて赤(または白)と結論づけたら、それはもうピンクとは別物ってことが、世の中よ~くありますからね~

それはともかく、いっくら生態系の中で「弱肉強食」や「殺し」がシステムとして欠かせない=飢えてする盗みは悪じゃないとは言っても、動物だって敵に襲われれば逃げるように、やっぱしそんなのゴメンだというのもまた自然。ん~じゃあどうしたらいいのかしら???
ルール?もちろんそれも重要だけど、あんましアテになりません。いかにルールを破らずに盗みをするかみたいな世界だから。それに、ルールに頼りすぎると全体主義になるし。困ったな~~

じゃあさ~「飢え」自体をなくせば、問題そのものが成り立たなくなるんじゃないの?
そうだよ「飢えてする盗み」をしなくて済むくらい、みんなが豊かになればいいんだよ!
ハーイ私も双手を挙げて賛成します と、みんなで思ったから人間が進化し、文明が進歩し、科学が発達して、その延長線上には原発も。

としか私には思えないので、原発=鬼畜米兵みたいには思えないんですよね~どうしても。
もちろん、廃棄物の問題を解決できないまま始めてしまったたのは致命的エラーだと思いますし、金の力で地方に押し付けていいとこどりする構造もかな~りヤですが、それは原発に限ったことでもないしね。
ましてや立地市町村や、東電で働く1人1人のことは言わずもがな。
ただ「組織と個人」っていうのは、ちょうど「報道と人情」みたいに、相反しながらも切っては切れないので「組織は悪かったが1人1人は悪くない」と、一休さんのようにびしっと言い切れないのが辛いところ。逆に言えば「1人1人が悪かったから悪の組織(ってなんじゃそら)になった」とも言えないわけですが。だいたい「悪」なんて相対的なもんですしね~この「生きる」という原罪に比べれば

そして悲しいかな、そうやって「飢えをなくせばいいんだ」と、人間がどんなに進歩しても「飢えてする盗み」はなくならないんですね。
飢えなくて済むよう、余剰=安定を生み出そうとすれば、その余剰のために争いが起こり、田畑を大きくしようとすれば水泥棒みたいなのが起こり、じゃあもう共同体で守るシステムにすればいいじゃんってなったら、共同体同士で争いが起こり、もうさ大きくなりすぎて争いのリスクもパネエからこういうのやめね?って思っても、気づけばその巨体を維持するだけでも膨大な栄養が必要で、結局どっかから栄養を盗んでこないと死んじゃうような状態になってて。そしていかにルールを破らず盗みをするかというテクニックだけが発達して。

ちょうど双曲線の「飢え0」原点に、途中までは飛躍的に近づくけど、決して原点には行き着けない(で別な方へ行っちゃったり)とか、あるいは原点に近づくにつれて目盛りの単位もどんどん細かくなって、数字的にはいつまでたっても大きいままとか、イメージ的にはそんな感じで。

って今回の話そのものが、双曲線のようにあさっての方向へすっ飛んでるわけですが
ほんとは「飢えた猫に施しをする」のと絡めて書きたかったんですが、収拾つかなくなりそうなのでやめときます
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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