スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

荒れない成人式

昨日の福島民報、大熊町や浪江町など、避難先で成人式を迎えた若者の記事が載っていました。
もちろん新聞社の人が取捨選択したんでしょうけど、紹介された意見はみんな「頑張って復興させたい」「故郷のために努力したい」などなどで、けなげだなあと。もちろん、ここ数年日本全国で流行している「荒れる成人式」の気配はカケラもなく。
そういえば昨日ニュースステーションで紹介されてた、去年成人式を迎えたという岩手の2人もけなげでした。茶髪や細マユなど、見た目は今風に荒れてるんだけど、言動というか考え方がまったく荒れてなくて。

やっぱり今年は震災後だし、福島だけじゃなく、全国的に「荒れない成人式」なのかしら?
と思ってたら、やっぱり荒れたところは荒れたみたいですね立川とか沖縄とか。もちろん全員じゃなく一部ですけど。

あの震災で、今回荒れた地区が被災を受けてたら、彼らはそれでも成人式で騒いだかな?
たぶんだけど、被災地の成人たちと同様、こうして成人式を迎えられたことを改めて嚙み締め、「未来を築く君たちに頑張ってほしい」という大人の挨拶を素直に聞き、共同体の一員としての決意を新たにしたんじゃないかな??
パワーがありあまってるのに、そのパワーを注ぐ目的を日常の中に見つけられず、非日常的イベントに変えることで生き延びてるような彼らは、そんなちっさい非日常なんか消し飛ぶような、被災地みたいな「本当の非日常」の中に置かれれば、パワーをそそぐ目的を見つけて生き生きできるんじゃないかな?

それともパワーがあまってるんじゃなく、実はただ甘ったれてるだけで、「本当の非日常」の前に立たされたらペションとなっちゃうかな??それならなんかガッカリいやでもそれはないな。若さパワーって、そんなにヤワじゃないはず。

ともあれ、被災地の成人式の記事を見て思ったことは、唐突にも「エースをねらえ!」に出てくるセリフでした
「若い優秀な男たちが、先を争うように死んでいった。今皆が生きていたら、どんなに日本のために活躍したことだろう!」
これは太平洋戦争を述懐したセリフですが、山田風太郎さんの「戦中派日記シリーズ」なんかを読むと、このセリフが真実であることがよーくわかります。特に高学歴な人ほど、当時の教育も価値観もしっかり身についてるので(当時の高等教育って、今とは存在意義が違いますから)、純粋に使命感に燃え、またそうして死んでいく友達を「お前一人を死なせはしないぞ」と純粋に想いやり、なんつーかまさにけなげなんですよね(多分は「若さゆえ」)。本当に、この人たちがみんな死ぬことなく帰ってきていたら、日本のためにどれだけ活躍しただろうと。

もちろん、被災地の青年と当時の青年では、置かれた状況が大きく違います。当時の青年は「死」に向かっていたわけだけど、被災地の青年は生き延びて「戦後の復興」を担った立場に近いでしょう。
ただその根底にある思いは、同質だなと。

「日本精神が欧米の科学に負けた。これからは科学教育に力を入れなければダメなんだ」
という、彼らの犠牲の上に立つ、あまりにも辛く苦く悔しい認識が、高度経済成長の原動力となり、技術大国ニッポンを生み・・・だとしたら、原発もその延長線上だった、という気がしてなりません。それがもはや加速度がついて止めることのできない時代の流れとなった時、「人間=今の技術でコントロールはできない」とか「廃棄物をどうすることもできない」といった枝葉の、しかし本質的なことは先送りになり、いつしか先送りにしたことは忘れ、先送りにしたことはいずれ必ず帰ってくるという自然の法則も忘れ。って人ごとみたいに言ってますけど

あららまた話がそれちゃった
本当は3連休に行ってきた裏磐梯スキー場のレポをするつもりが、福島民報で見かけた新成人たちがあまりにもけなげだったので、ついついエールを送りたくなった成人の日でした。
スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。