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またまたウヨサヨな雑感

またもお米に関する残念なニュースが
ニュースそのものに関しては、前に書いたのと同じく「残念としか言いようがない」だけで、ここは元々、線量も高く調査した時も数値が出たので、「仕方ないとしか言いようがない」としか。
それもあり、しかも私は前にも書いたとおり、新潟ジジババからもらった新潟米を食べてるので、ほんとなら本当に何にも言えないんですが(しかし言い訳させていただくと、新潟のお米だから食べてるわけじゃなく、タダで家にあるのでありがた~く食べてるわけなので、このお米がなくなったら普通に会津米を買って食べると思います。前にも書いたけど、魚沼産と会津産、どっちがより危険かはビミョ~~だと思ってますし)、しかし福島好きになった福島県民としてはどうにも気になって仕方がない、モヤモヤすることが最近ず~っと。

それは、「福島産のお米は怖いから買わない」と言う人が、泣く泣く作付け断念した福島の農家に対し「素晴らしい」と褒める一方で、作り続けた農家に対し「なぜ危険な米を作り続けたんだ」と、責めること。
あくまでもネットを見た限りでの印象で、もちろん買わない人全員がそうだなんてわけじゃありませんが。
「応援するために」と福島のお米を信頼して買ってくれた人がそう言うなら、せっかく寄せてくれた信頼を傷つけてしまったわけでわかります。けどそういう人は概して、「大変だろうがもっと検査すべきだ」「もっと情報公開すべきだ」と同情しつつ真摯なアドバイスこそすれ、「なぜ作った」なんて責めたりしないんですよね。
自分の命をつなぐためにやむなく(危険かもしれない)お米を買わないことを「当然だ」とする人が、自分の命をつなぐためにやむなく(危険かもしれない)お米を作った人を声高に「悪」と責める。これが私には非常~~~にモヤモヤします。それは単に「自分の命だけが大切!自分の命を救うためなら他人の命は二の次!」と、声高に主張しているだけじゃないの??と思っちゃうから。
なので、そういう人がその一方でお米を作らなかった人を「素晴らしい」と褒めるのも、それは単に「自分の命のためにあなたの命を捨ててくれたのが善だ」という、なんてかすごく都合のいい感覚じゃない??と思えてしかたなく。
いやもちろん、自分の命をつなぐよりも相手の命を考えて断念するのは、ものすごく「善」な、尊い行為であることは疑いもありません。「自分の命を繋ぐことが当然」だと思えば、ますます「有り難い」ことです。こういう人に私もなりたい。
けれど、それが「他の農家を責める」人によってなされると、なんというかすごくグロテスクな、それこそ軍国主義化の日本で多発した「美談の強制」に近いものを感じてしまうのです。

私は小林よしのりの「戦争論」以来、よしりんの一連の主張及びそれによって(と個人的に信じている)目覚めたネトウヨの一連の主張、すなわち「個を超えて公(≒国家)のために」っていう、やたら立派なお題目が本当にもう「危険だ危険だ」と、それこそ「危険厨」のように一貫して不安に思っていました(今の放射能騒ぎについては、比較的安全厨寄りですが)。
だってこの思想って、行き過ぎると明らかに「個人の人権」を潰すから。その証拠によしりん「人権」って言葉を毛嫌いしてるし。
「人権」を嫌う人の主張する「公」なんて、そりゃもう全体主義にしか行き着かないでしょう。そんな「美学」に殉じる必要なんてない!って、先の戦争で甚大な犠牲を払ってやっと、やっと得たのに、なんでわざわざ手放そうとするの!?それこそ平和ボケよ!!!
「人権」は「公」の対立軸じゃない、むしろ「公」を考える時には絶対に必要なものじゃないの?「私に私の人権があるように、あなたにあなたの人権がある。だから「公」という概念ができてくる」ってのが順序でしょうよ。

という考え方に照らせば、「危険なお米」を食べない人が「危険なお米」を(やむなく)作る人を責めるのは、「人権」じゃありません。単なるミーイズムです。よしりんがミーイズムを嫌って「公」を強調するのはわかるけど、そのために「人権」をなきものにしようとしたら、ミーイズムと真逆だけど実は同じっていう怖さに行っちゃいます。それが怖いのよ。

この頃放射能関係のネットを見ていると、この手のミーイズムに陥った(としか私には思えない)放射能恐怖症の人が妙~~に目がついちゃって。これはたぶん、福島県民としての被害妄想もあるかとは思いますが
あちら側の人は「がんばろう福島」な人を「同調圧力に満ちて、「国のため公のため」みたいなご立派な思想に殉じる、使命感溢れる国家社会主義みたいな人」と思ってるかもしれませんが、「がんばろう福島」な私から見るとあちら側の人もまったく同じに見えます。特にその「使命感」にはウンザリします(と言いつつこれも、ある種の「使命感」を持って書いてるとこもありますが。うっとおしくてごめんなさいね~
お互い「日常生活」を維持しようとしているだけなんでしょうにね~。やっぱり「ベクトルは真逆だけど性質は同じ」というのが、一番わかりあえないのかもしれませんね。

この「個と公」及びウヨサヨ雑感は、考えれば考えるほど、ウヨとサヨがひっくりかえったり(←真理に1歩近づいた!?)、入れ子構造になってたり(←またまた1歩近づいた!?)、その理由らしきものを抽出していくと、日常生活のアレコレや、ひいてはすべての生態系にも通じていそうな結論にもなりそうで(←近づいてったら見えなくなった!)、なかなか頭の中でまとまらず、なんだかいつもどっかで考えているような命題の一つです。今回の放射能騒ぎにもすごく通じる部分がある気がするんですが、うまく結論つかず
とりあえず今回言ってスッキリしたかったことは「農家を責める必要ないでしょ」でした

(そういえば橋下新・大阪市長が圧勝って、サヨな私はやっぱり「ええ~~~」でしたが、何かの論評に「橋下氏の「君が代」云々なんかはエサだ。サヨク側にそっちを食いつかせといて、現実的な案を求める投票者に目くらましをかけると同時に「やっぱサヨは役に立たない」と印象付ける作戦だ」(←かなり意訳)みたいなのがあって、なるほどな~~~とすごくわかった気がしました。私は「強力なリーダーシップのもとで新しいことをして多大な犠牲を出すより、変化はなるべくゆっくりしてった方がいい」という日和見体質なので、橋下さんとかは体質的にもうニガテなんですよね。ここら辺の「保守/革新」が「ウヨ/サヨ」とごっちゃになってるのが、色んなベールになっちゃってますね)
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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