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超絶どうでもいい雑感

いつにもましてどーでもいい「ウヨサヨ」雑感です
さて小林よしのりの「戦争論」で「自分はサヨクなんだ」と知った私。
それ以来折に触れ「サヨクのどこが悪いのよ!」と思ってたんですが。

私がサヨク体質になったのは、やっぱり「自虐史観」が大きいのかな、とか時々思います。
もっとも、子供の頃から好きな本も灰谷健次郎さんとか松谷みよこさんとかだったし、新聞は朝日、政党は社会党、野球はロッテ(これは関係ないか?)という家庭環境だったりしたので、もともとその素地があったのかもしれませんが。
同世代より高齢な両親だったので、小学校の頃とか授業参観で「「戦争」について話してくれませんか」と親が先生に頼まれるのがちょっぴし誇らしかったり、その頃だったか、ちょうど朝日新聞の「声」欄で「戦争」にまつわる思い出話の連載が始まったりしてこれが子供心にめっぽう面白かったりして、自然、当時「主流」だった(と現在言われる)「自虐史観」にもすんなり馴染み。

と、そういうサヨク体質の私が言うことですからバイアスかかってるかもしれませんけど、少なくとも当時の「自虐史観」って、今まことしやかに語られるような「日本を貶める」とか「軍人をけなす」とか、そんなんじゃなかったと思います。
昭和20~30年以降、戦争が終わった、というか負けたことで「(主に終戦直前の)戦争生活は大変だった」という、それまでタブーだったことが堂々と話されるようになって、「飢えが」「銃後が」「軍隊生活が」「空襲が」「引き揚げが」と、あらゆる面で「大変だった」という体験談がどわ~っと出てきて。
で、そうした「日本人が体験した大変だったこと」というのが出尽くして一段落した頃、「日本は大変だった大変だった言うけど、同時に他の国を大変な目にあわせてたって側面を忘れてないかい?」みたいな視点が出てきたのが、たぶん昭和40~50年代以降じゃないかと。つまり「それまであったのが一段落して(=飽きられて?)新しい視点が出てきた」という、誰の陰謀とかそういうのじゃまったくない、ちょうどそれまでのサヨク言説が飽きられた頃に小林よしのりが出てきたってのと同じような、なんつーか自然の流れみたいなもんだったと思います。
この「新しく出てきた「加害者日本」視点」は、私が「声」欄とか読んだ頃はたぶんまだ出てきたばかりで、一般に広まり始めた時期だったと思うのですが(だから私とかも面白がって読んだんだと思いますが)、今でも「真っ当な考え方だよな」と思います。自分が被害者被害者言ってるばかりじゃ、あまりにも想像不足ってもんでしょうっていう。
そして当時は、出てきたばかりってこともあってか、紋切り型に「軍人は悪かった」とか「中国は被害者だった」とか、そんな感じじゃなかったという実感もあります。軍隊生活のしんどさとか、(A級はともかく)BC級戦犯やシベリア抑留兵などへの同情とか、そういうのはまず大前提としてあったし、中国引き揚げも「関東軍なんじゃそら」ってのと同時に、中国現地民への恐怖も語られていた。ただしそこに「でも現地民がそうなるのも、無理はないという事情もあったとも言える」という視点がつけくわえられた、というだけです。これは決して「満州開拓民がそういう目に会うのは当たり前だから甘んじろ」ってのとは違うんですよね~。そんなこんな含めて、それが「先の戦争が描き出した姿」だったという。
しかし、私が子供の頃に出会ったそうした「新しい視点」は、時を経るほどどんどん贅肉がついて、行き過ぎて、そして紋切り型になって、「姿」じゃなく「イデオロギー」を伝えるものになってしまったんでしょうか?確かに「戦争反対」というイデオロギーは大切だと思いますけど、というか私自身そういうイデオロギー持ってますけど。でも少なくとも、小林よしのりとかが言うような「日本のために戦った軍人を悪く言い、日本よりも中国の方が大事だと言うのが、反日・自虐史観」ってのは、私の実感では違うと思いますよ~。満州帰りの戦中派だった私の父ことじーちゃんも、戦争反対で右翼嫌いだったけど、本間中将とか昔の日本とか、ある種の思慕・敬愛を持ってたと思いますし。もし本当によしりんが言うような教育がなされていたのだとしたら、それは時を経たあまり前提を忘れて「先の戦争が描き出した姿」が変わってしまったんだと思うし、その後に反動でネトウヨが大量発生するのも無理はないと思います。

で、なんでこんなことを書いてるかと言うと、やっぱり原発事故なんです。
私、「サヨク=「加害者としての自分」ってのを視野に入れる」もんだと思ってたんですよね~。
そういう視点がどっかにあれば、簡単に「自分は正しい」なんて言えない。そう言えないところから出発しようぜみたいな考え方が、例えば「自虐史観」になったり、あるいは(「被害者の人権」てのはみんな考えるから)「加害者の人権」に寄り添う立場になってみたり、「差別的発言」ってのがもうたまらなく嫌だったり、「共存」ってのがなんだか好きな言葉だったり、みたいなとこに現れてくる。
これが「優等生的なきれいごと」ってのもよくわかるんですけどね。ちょっと突くと矛盾が吹き出てきますし(ま、矛盾を内包しない考え方の方が、逆に怖いとも言えますけど)。

で、原発事故に当てはめた場合、私は思ってたんですね。福島擁護に回るのはサヨクの方だろうと。
どっかで「加害者意識」を感じないと、バランスが取れなくて落ち着かないサヨク体質だと、「福島で東電の原発事故」と聞けば(まるで「戦時中は日本のために中国に迷惑かけて申し訳ない」と思ってしまうように)「自分たちが使う電力のために、福島に迷惑かけて申し訳ない」というのがまず来てしまうし、そういう「自分たちがやってることは正しいとは言えない」という感覚が出発点にあれば、原発事故をモロにくらって生活に打撃を受けた生産者側に対して、「毒をこっちに持ちこむな」なんて口が裂けても主張できない、「こっちのせいで申し訳ないことになってしまったんだから、何とか共闘しよう」という方向に行くか、せいぜい「まあしょうがないな。自分の生活をかけて加害者になるのはお互い様だから、お互い文句は言えないね」と、なるようになるのを見守るくらいで、少なくとも鬼の首取ったように迷惑迷惑騒ぐことだけは、体質的にできないだろうと。
今自分が福島県民だから福島をかばいたくてそう思うのかな?いや、私はたとえ東京にいても新潟にいても、こう思ってたと思います。もうなんてか、そういう「思考回路」「体質」だから。
サヨクの言うことが優等生的キレイゴトであるゆえんは、「誰もが弱者であって悪者ではない」って点ですから(と思いますから)。困ってる人はもうそれだけで批判対象からはずれてしまう(=てことは、ほとんどの人が批判対象から外れる)はずなんですよね。
実際、ネトウヨが「サヨク」として忌み嫌うマスコミなんかは、基本こういう「みんなで助け合おう」なスタンスですよね。「首都圏の電気のために福島が」って言葉も、何度か聞きましたもん。

しかし、ネットで勢いよく福島を擁護するのはネトウヨ系が多いんですね~私にとってはかなーり意外なことに。
なんでネトウヨかと言うと、言葉の選び方とかがネトウヨ独特だったりするから(もっとも反対側も同じなので、なんとも言えませんが)。ま要は「ウヨク」方面の考え方がしっくりくるって人たちでしょうか。「正義」とか「義務」とか「真善美」とか言いながら、実際はそれを方便にした差別が大好きで、弱者を見たらさらに引きずりおろさずにはいられない人たち
と思ってたんで、そういう人たちが今回の原発事故に際して、「福島は同じ日本人。だから救う義務がある」「「野菜が怖い、自分が助かりたい」なんて感情は捨て去るべき臆病なエゴ」という感じで、擁護にまわるのを見ると、「真善美とか口だけじゃなかったんだ」と、かな~り意外で「見損なってましたごめんなさい」と若干反省(これは今自分が福島県民だからだと思います。他県民だったら、そのありがたさより、その「純粋な動機がはらむ危険性がこわいのよ」とか思うかも)

翻ってサヨクはこういう時、弱いですね~。「野菜が怖い、自分が助かりたい」という人を「エゴだ」なんてバッサリ切り捨てられないですもん。むしろ「エゴのどこが悪いのか。当たり前じゃないか」と、どうしても一方で擁護したくなる。「当たり前だから、そう思うみんなが助かるような道を見つけたいんじゃないか」と思うんだけど、その道を見つけるのが困難で、結果的に「どっちの味方なんだ」とか「結局キレイゴトでおしまいじゃないか」になってしまう、情けないことに。

「反原発」も、元はと言えば「みんなで助かろうぜ」という気持ちから出たものです。だから昔、忌野清志朗が反原発ソングを歌って東電(というか東芝EMI)から発禁食らった時、渋谷陽一は「原発反対なんてテーマには断固反対、そんなのロックじゃない、だって事故になったら放射能浴びて死のうぜってのがロックでしょ!?」とロングインタビューでからんだんですし(「権力に反抗する」てのがロックだと思ってた私は、そのぶっ飛んだ「ロックな言葉」に目からウロコ)、その「みんなで助かろう」は「戦争反対」と同じ根っこから出発してます。そしてその「戦争反対」は「だって殺し殺されるなんてヤでしょう」っていう、それこそ当たり前なとこから出発してる。
だから「サヨク」で「戦争反対」な私なんかは、このご時勢だしもう絶対に「反原発」のデモにでも参加するところなんでしょうが・・・しかし、なぜか参加する気になれない、違和感があるんですね~。大江健三郎とか、あの沖縄の時なんかは、もうまったく「がんばれ」としか思えなかったし、今でもそれは変わらないですけど。
なのに、なぜかあの反原発デモには乗り切れない自分が。そう、例えれば「ウヨクはバッサリ切り捨てられていいね。私はどうしてもそんなにバッサリどっちかにつけないわ」というのと同じような気分、その「屈託なさ」にどっかついていけなさを感じるような。

しつこいですが私は「9条って素晴らしい理念だよな~」と本気で思ってる「戦争反対」派だし、あの沖縄戦の集団自決は「皇民化教育」てのがかなりの影響を与えたと思ってるし、個々の隊長には若かったり置かれた立場だったりで同情すべき点は多々あるから「悪魔だ」みたいには思わないけど(むしろ自分と変わらない人間がそういう立場に立たされてしまうってのがこわいところだと)、やっぱり「守るべき住民が死んで軍人である自分の方が生き残ってしまった」という、いわば「過失致死」という「結果責任」だけはやっぱりあると思うし(上記のように「情状酌量」の思いはヒシヒシとありますが、「過失致死だけど情状酌量につき無罪」てのと「まったく事故とは無関係な無罪」ってのは、結果は同じでもまったく違いますから)、「皇民化教育」てのも同じだと思います。素晴らしいものに行き着く教育でもあるけれど、怖さもある。そういう認識を持てたのが、あの犠牲を経たからこその「成長」じゃないかと。その点は今の「原発」に対する思いともまったく同じです。

ですが、そんな「筋金入りの(?)戦争反対」な私は、そこから「沖縄の基地反対」へはすっと行けないんですね。なぜかと言うと、同時に「そんなひどい「基地」と一緒に生きている街があり人がある。そして私はなんだかそういう町が好きだ」という感情の方が、「基地反対」という感情より強いから。
「戦争反対」が「基地反対」に行くのはよ~~~くわかります。でも、もしも「共存」という意識が「戦争」をなくすものならば、「基地と共存」という「敵すら味方であらざるを得ない」というスタンス、強さこそ「戦争」からもっとも遠いものなのでは、とかと思ったりして。
いや実際は、色々な歴史や事情があってそうなってるだけで、別にコザの町とかが「戦争反対イデオロギー」でそうなってるわけじゃ決してないです。でもそういう「事情」を考えるにつけ、すっぱり割り切って「基地反対」を叫べない、というのも自分の中でまた確かなもので。
「基地反対」を叫びながら、なおかつ基地と共存している町を切り捨てないようになれれば一番いいんだろうけど、それは「みんなが助かろうぜ」という道を探す困難さと同様、私にはとっても難しくて(だからって「基地賛成」なんてのもとっても言えないですよ。それとは違うんだけど、でも・・・という忸怩たる思い)
加えて「基地の人間を鬼畜米英みたいに見たくない」という、これまたキレイゴトながらしかし本心、という思いもあるんですね。たぶん「加害者の人権」を重視するサヨク体質が、多分にそう思わせるんでしょうけど。「基地反対」を叫びながら、その基地にいる人間のことは切り捨てないというのも頑張ればできるんだろうけど、「基地反対」の思いが強くなればなるほど、彼らを「鬼畜米英」として見る思いも私は強くなりそうで、それがどうにも。
それもこれも「極力敵を作りたくない」という「戦争嫌い」体質がなせるわざなんですけど、現実の前にはやっぱり「キレイゴト」で「どっちの味方なんだ」になってしまうんでしょね。思いは同じなのに。

というわけで、「反原発を叫ぶ」のが「福島に残って頑張る」という人を切り捨てる、あるいは追い詰めるのと同じになるんじゃないか?と私には思えてしまって。「原発とか放射能とかほんとカンベンなんだけど」と、福島に残っている人こそ一番思ってるんですけどね(当たり前ですね。実際にそこに住んでるんですから)、なぜか遠い場所で騒ぎが大きくなればなるほど、そこに住んでいる人を追い詰める結果になるような気がするのは、私の気のせいでしょうか??どうしたらそうならずに済むんだろ??
それと同時に、東電もね。どうしても「鬼畜米英」みたいに「敵」とするには違和感がある。もちろん「過失致死」の罪はあると思いますよ。だから被災した人にはできる限り誠意を持って、補償をきちんとしてほしい。ただそれとは別に、東電個々の人に対しては「情状酌量」の思いも、やっぱり同じくらいあります。沖縄集団自決の個々の隊長みたいな、あるいはたまたま沖縄の基地に配属されたアメリカ田舎のあんちゃんみたいな立場になっちゃったね~大変だね~という(人ごとみたいな言い方ですが、住民の大変さ気の毒さとはまた別に「気の毒」とほんとに思います)。だからこそ、誠意を持ってあたってほしいと。ってエラそうに望みすぎですかね?私たちがこの立場に立たされたら、という時のお手本になってほしいというのは。

ああ~~取り留めなく書きなぐってたら収拾不可能に
この原発騒ぎで、ウヨサヨはそれぞれどういう立場にたってるんだろう、あの「首都圏にガレキ受け入れ反対」と言ってるのは、果たしてサヨクなのかどうなのかとか考えてたんですが、よくわかりませんでした。でもど~~もウヨクではなさそうだってのが、サヨクとしてはほんとガッカリっていうか(ウヨクの皆さんごめんなさいね~)
ともあれ今回福島に来てやっと「サヨク的キレイゴトの限界・卑怯」とか「サヨクが枝分かれして対立していく構造」なんてのが、実感として一部わかったような気もします。気分はほんと、優しいこと言ってるくせに自分の息子一人も救えないアムロ・レイの母です(そして「虫も殺せない子だったのに」と泣いて突っ立ってるだけという

しかし世の中、ウヨサヨなんて関係なく、捨てたもんでもなくて。
昨日の「報道ステーション」でも、毎日夕方やってる福島ローカルTVでも、「福島の出店や観光地にお客さんがいっぱい来てくれた」というありがたいニュースが流れていました。お客さんのおばちゃんとか、ほんと素朴に「頑張ってという気持ちでね、来ました」みたいな。
最終的に人を救うのは(逆に人を苦しめるのも)、きっとウヨサヨとかとは別次元のところにあるものですね、とわかりきったような結論で〆。
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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