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会津藩公行列その2

会津藩公行列・続きです。
頭の中で、映画「天と地と(の「炎」)」のサントラをガンガンと流してご覧下さい

続きは、会津藩の重鎮ぞろぞろコーナーからです。
まずは会津若松観光物産教会副会長さんによる、家老で白河口隊総督・西郷頼母。

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この人の場合、本人よりも(?)妻子一族の悲劇が有名ですね。
みな自害して果てた中に一人、息も絶え絶えに生き残っていた姫を薩摩藩士が見つけたところ
「敵か味方か。味方ならばとどめをさしてくれ」
と苦しい息の下から頼まれ、赤熊も思わず涙したという場面の再現が、西郷頼母屋敷を復元した「会津武家屋敷」でも見られます。
白河口の戦いは、会津の敗戦がこれで決定付けられたものだそうで、白虎隊の陰に隠れがちですがある意味もっと悲劇的だった「二本松少年隊の戦い」なども、ここから派生します。そうそう敵側に、板垣死すともがいたってのも個人的にビックリでした。え?常識?

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続いて、城代家老・田中土佐。
戊辰戦争で自刃し、今は近藤勇のお墓もある天寧寺に眠っているそうです。
扮するは、歌手・俳優の岸浩太郎さんという人(ですがウトい私たちは「誰?」
この馬が暴れ馬(?)で、他の馬のようにおとなし~く歩かず、くるっと後ろ向いてみたり足をガツガツいわせてみたり。
他にも2~3、こういう気の荒い馬に乗ってる人がいましたが、こればっかりは運としか言いようがありませんね

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いよいよ本陣です。会津の旗がやってまいりました。
御大登場です!

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最後の会津藩主・悲劇の殿様、松平容保公です。
ほんとこの人は、知れば知るほど「気の毒だったなあ」としか。
鶴ヶ城に、若かりし頃(というか、おそらく幕末の一番大変だった頃)の写真や書が飾ってありますが、どちらも神経質そうな、几帳面な印象で、「ひたすらマジメに頑張ってただけなんだろうにな~」とか。

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馬に乗ったこの松平容保公が、会津松平・本家第14代ご当主です。
すごい!本物が残ってるのね~
ちなみに先代=第13代は、残念ながらこの夏亡くなられたと新聞で報じられていましたが、なんと松平容保公のお孫さん!(てことは馬上の方は曾孫さん!)
ちなみに故・秩父宮勢津子妃も、同じく容保公のお孫さん!勢津子妃の甥っ子さんは、後に会津松平家から徳川へ養子に入り、現・徳川宗家第18代ご当主!
「幕末」なんて遠い時代だけど、こうした方々の存在を通すと、確かにそこにあったんだな~と思えてきますね。

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続いて若殿・松平喜徳公。
扮するは第一中学校・生徒会副会長です。ちなみに生徒会長は、保科正之ご正室・菊姫で、そういや私らの頃はどんなに頭や人柄が良くても、女子は副会長どまりだったな~と、昭和オババしみじみ
喜徳公は、最後の将軍・徳川慶喜の実弟にして、容保公の養子だった方です。さっきから私、容保公を「最後の会津藩主」と連呼してますが、本当の「最後の会津藩主」はこの喜徳公でした。ただその時期はあまりにも短く、名目上という感じではあったのです。
この人もまた、気の毒としか言いようのない「歴史の不運」をモロに浴びてしまった人ですね。養子に来たタイミングも不運なら、その後に実子が生まれて家督がそっちに行っちゃったりと、置かれた立場も不運。
激動の歴史にまきこまれ、やっと明治として安定した時代、妻子ないまま37歳でこの世を去ったそうです。

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続く本陣家老・神保内蔵助。
先ほどの、暴れ馬に乗った田中土佐とともに自刃した人だそう。
こちらは「厳選なる審査の結果選ばれた」一般の方が扮しておられます。
パンフレットを見ると、一般の方も、市内・市外、東京埼玉山形新潟と、各地から応募して来てくださったようです。ありがたや~

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もう1人本陣家老・萱野権兵衛。
天寧寺でお墓を見た時「どっかで聞いたことある名前だな」と思ったら「早野凡平」でしたというどーーでもいい話はさておき(そもそも「萱野ゴンベエ」と読んでるのが間違ってる気も
この人は実際、よく知られているみたいですね。戊辰戦争終結後、主君・容保公の罪をかぶることでその命を救い、自らは処刑されたという「忠臣」として。
この人の息子さんが、「斗南藩」のところでちょろっと触れた、食べ物どうこうで切腹してしまったという話が伝わっている「郡長正」です。何もアンタそんな死ななくても・・・とか庶民としては思ってしまいますが、元・家老息子だったり、父親がこうして偉大だったりすると、そうも言ってられないこともあるんでしょうか??

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続いてやって来たのは、ご存知!白虎隊。
大熊町の白虎隊と共に、本陣を前後から守ってるんですね。

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こちらは第一中学校の生徒たちです。
その学年に在学中、当番校に当たる確立は決して高くないですからね~♪歩いてる皆さん、ラッキー

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沖縄戦におけるひめゆり学徒隊のごとく、会津戦争なら白虎隊って感じで、今や会津に欠かせない代名詞的存在ですが、これが19名+1名だけじゃないってご存知でしたか!?え?常識?
私は引越し後に飯盛山に行って、初めて知りました その数なんと350人余だそうで、けっこうな大部隊だったんですね

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そして、白虎隊と言えば「愛しき日々」♪
ってわけでもないですが 今年のスペシャルゲスト・堀内孝雄の登場です。
ちょうど小雨が降ってきてしまって、寒そうにフードをかぶってらしたんですが、ここら辺に到着するときっちりフードを取って。
ひょうきんな仕草やスピーチで、観客を沸かせてくれました

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先ほどの岸浩太郎氏とともに、「会津親善大使」であるらしい堀内孝雄氏。
「おかげさまで会津を歩いていると「愛しき日々」「愛しき日々」と声をかけられてうれしい」と話してました
「愛しき日々」は、その白虎隊ドラマを見たことない私でもなぜか知ってるという不思議な主題歌 そんなにヒットしてたっけなあ??
この後、鶴ヶ城での帰陣式で歌われたそうです。

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次は、長岡藩銃士隊。
新潟県長岡市の「米百俵まつり実行委員会」の皆さんです。
新潟ってことで「いよっ♪待ってました!」という気分に

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とはいえ、同じ新潟でも長岡藩なんかはこのおまつりのとおり、会津藩とともに戊辰戦争の激戦を戦い抜きましたが(新潟市内中心部のちっちゃい公園なんかにも、戊辰戦争跡の碑がぽつんと建ってたりします)、私の実家・新発田なんかは、奥羽越列藩同盟を裏切って新政府側に寝返っちゃったりしてるので、ビミョーなとこですけど

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ともあれ長岡藩銃士隊は、そのガトリング砲が行列の目玉の1つ
号令に合わせて、いざ発射!
どんな大砲なんだろうと思ったら、パパパパンという連発銃なんですね

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米百俵まつり実行委員長さんによる、軍事総督・河井継之助。
「新潟日報」ではこの人についての連載コラムがあるくらい、越後史の中で有名人物なようですが、私にはなんだか難しそうで「要はエラい人だったんでしょ?」と読まないままだったのが、悔やまれます
戦闘中に負傷し、新潟から山越えして県境の南会津にかろうじて入るも、その傷が元で、こないだの豪雨によりかなりの被害が出た南会津・只見町にて亡くなった由。

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続いて照姫の輿車
こちらは皆さん、一般参加です。
照姫とは容保公同様、会津松平家8代当主の養子となった人で、容保公の義理の姉にあたるそう。
戊辰戦争時には、鶴ヶ城に篭城してともに戦ったそうです。
当時の鶴ヶ城では「迷惑にならないよう城に入らず自害する」という西郷頼母の婦女子一族のような例もあれば、「ともに篭城して炊事・治療などに当たる」と戦った女子たちの例もあり、照姫はさしづめ後者のリーダー格。
現場は「鶴ヶ城ボロボロ写真」でおわかりのように、官軍の砲弾がバンバン打ち込まれる、まさに戦場で、砲弾を爆発しないように布で押さえるなんつー危険な任務も、これら婦女子が行っていました。
写真が遠いですが、輿車の後ろを歩くカップルは、ヘンリー・スネルとおけいさん。
スネルとは当時の武器商人で、当時は日本に3つくらいしかなかった先の「ガトリング砲」その他の最新鋭武器を調達し、奥羽越列藩同盟にも影響を与えた人物だそう。
おけいさんはスネル家の子守をしていた少女で、戊辰戦争後に他の会津人たちと、当時ゴールドラッシュ(だったのね)に沸くカリフォルニアへと移住しました。「日本人女性移民第1号」だそうで。
こちらに扮しているのは、当番校である第一中学校女子です。

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続いて、中野竹子と「娘子隊」
「むすめっこ隊」じゃなく「じょうし隊」でした。え?常識?
扮するは今年の当番校(高校部門)、ザベリオ学園高等学校です。
中野竹子も有名な人だそうですね。イメージ的には「会津のジャンヌダルク」??
照姫護衛のため自発的に娘子隊を結成、後に鶴ヶ城へ向かう途中、湯川の柳橋で官軍と激突、薙刀をふるって戦うも、銃弾に倒れました。
薙刀には辞世の句が巻かれていたという話が伝わっています。
「武士(もののふ)の猛き心に比ぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」

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続いて薙刀隊。
「会津なぎなたスポーツ少年団」です。

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こちらも人数多くて壮観!
そしてさすが日々練習している子達だけあって、ぴしっと角度の決まった動きが素晴らしい

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さて行列もそろそろ終盤。
会津若松市区長会による、留守備「玄武隊」です。

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玄武隊は、当時は隠居世代である50歳以上のシニアチーム。
「白虎隊」と同じく、あくまでも予備隊でしたが、戦況の悪化の前には実戦隊も予備隊もへだてなく。
再来年の大河ドラマ主人公「山本八重」の父も、玄武隊士で戦死しているそう。

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ということで、後ろに続くはその「山本覚馬・八重」兄妹。
福島復興応援大河ドラマ「八重の桜」決定につき、今年急遽参加した輿車です。
一般参加のこちらのお2人も美男美女でしたが、TVでは誰がキャスティングされるんでしょうね~?楽しみです♪(実際の八重さんはあの~、そんな特別美人ってわけじゃなかったそうですが
この人も、照姫同様「篭城組」でともに戦い、「会津のジャンヌダルク」ならぬ「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれたそう。
有名な篭城組には他に、山川捨松なんかもいます(こちらは逆に「鹿鳴館の花」と呼ばれたほどの美人さんだったそう。「逆に」ってすごい失礼なこと言ってますが)。ちなみに山本八重は後に、同志社大学創設者・新島襄の、山川捨松は後に、明治の元老・大山巌の奥さんになっています。

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最後の行列は、会津新撰組。
「会津新撰組同好会」の皆さんが扮しておられます。

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会津に残った、新撰組三番隊長・斉藤一が、「会津新撰組」のリーダー。
後ろを振り返っているのがその人です↓

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七日町・阿弥陀寺にお墓があり、連休最終日には会津まつり共催行事として、墓前際を含む「会津新撰組まつり」も行われます。
やっぱり人気あるんですね~~新撰組

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しんがりを務めるはおはやし太鼓。この車が通ると、今年の会津藩公行列も終了。
いや~~見ごたえありました

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KKの小学校ママさんによると「でも今年は人数少なかった気がする。前は米沢とかあったんだよ」とのこと。
やっぱし原発騒ぎとかの影響なのかな?
しかし初見の目にはも~う充分すぎるくらい、会津まつり堪能させていただきました~~

行列に参加してくださった各団体・学校の皆様
および市内市外果ては県外から一般参加してくださった皆様
そして、時を越えて会津のために遠路はるばる馳せ参じてくださった
「蒲生公時代」滋賀県蒲生郡日野町の皆様
「保科公時代」長野県伊那市の皆様
「浦賀奉行」神奈川県横須賀市の皆様
「京都所司代」三重県桑名市の皆様
「新撰組」東京都日野市の皆様
「斗南藩」青森県むつ市の皆様
「長岡藩」新潟県長岡市の皆様

素晴らしかったです!
ありがとうございました!!!

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最後に番外編もありま~す
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