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情報の伝わり方~タテとヨコ

この頃思うのが、いや~会津は、放射能に関しては運が良かったなと。
TVで見た限りでは、千葉の柏とかよりマイクロシーベルトの値が低い。
TDRのある浦安あたりと同じか、それ以下くらいです。

だからといって「福島は千葉より放射線量が低い」とは、もちろん言えないわけで。
当然のことながら福島の原発周辺町村や、風向き・山向きのおかげでもろに来た福島市などは、首都圏のように小数以下じゃなく、整数で出てますから
かといって、会津~南会津及び柏を例に取れば、「福島は千葉より放射線量が低い」というのも一概にウソとは言えないわけで。
もっとも会津や柏の中でも、さらに高低があることも考えなきゃいけませんし、これから先の風向きによってどう変化するかもまたわからないので、ほんと一概には言えないのですが。

こう考えると果てしないですけど、私がキライな本とか考え方は、まさにこの「一例をもって「福島は千葉より放射線が高い(低い)」と結論付ける」ような感じなのが共通してます。ゴー宣とか いや時々、よしりんとまったく同じこと思ってる時もあるんですけど、基本的にどうもね~
本当に理解したいなら、結論を急がず、できるかぎりスポットを細かくして全体像を浮かび上がらせるしかないはずなのに、結論をすっきり出すために、あるいはそれまでの結論をひっくり返すために、一例をもって印象付けるようなやり方。特にそれまでの結論をひっくり返したい時なんかは、わかりやすく、かつ新鮮な感覚を味わえるこうした手法が取られること多々なんですよね。結論だけを性急に求めると逆に理解から遠ざかるのに。
と思いつつ、私も自分が信じたい結論に対しては無意識にそうしてることあるので、ここら辺は自戒を込めて、ですが

そういえばこの「スポット(=物事)を細かく分ける考え方」については、私の愛読オカルトマンガ「永久保怪異談」シリーズでも触れられてました。
「古武道」とか「陰陽道」なんかに詳しい人には今更なんでしょうが、なんでも「気」には陰と陽があり(これ自体はどっちが善とか悪とかじゃない)、そのどちらにも早い・止まる・遅いの3種類=三勢がある、さらにそれが春の木、夏の火(以下略)といった五行に分けられる、また気持ちいい・悪いという主観でも分けられる、つまり2×3×5×2で、ここまでだけでも60種類くらいには分類できる・・・という。
ここで、陰・陽とか、主観的な善・悪で分け方が止まっちゃってる人は、神と悪魔が戦っている・・・などの考え方に陥りやすいとのこと。
とってもわかるわ~~。ていうか個人的には、善悪がはっきりしてる世界より、してない世界の方が救いがあって好きだわ~

と、例を出してわかりやすくするつもりが、かえって何言いたいんだかわからなくなってしまいました
もう1つ、この頃思う「情報の伝わり方・理解の仕方」について気になってること。上のはヨコへの伝わり方ですが今度はタテへの伝わり方で、これもやっぱり今回の被災、こちらは津波から来ているのですが。
宮城だったか岩手だったか、明治や昭和初期にも大津波が来た地域で、「立っていられないくらいの地震が来たら津波が来るぞ」と、代々教えられていたので助かった、という「口伝は侮れない」という話と共に、防波堤について調べた記事を読んで。
その防波堤は、昭和初期の被害をもとに、それまであった他の防波堤を補強する意味で作られたそうですが、あくまでも当時は「この防波堤は津波を防ぐためのものではなく、避難時間を稼ぐため」に作られたんだそうです。少なくとも当時はそういう意識が共有されていた。
その意識がだんだん「防波堤があるから大丈夫」に変化していき、今回逃げ遅れた人が出てしまった、逃がすための防波堤が、逆にそれがあったために逃げ遅れてしまった。
ここら辺、すっごくリアルにわかります。個人的には、戦中派の両親を持ったためか、今回の災害あれこれを、つい先の戦争と比べてしまうのですが(「あの津波がアメリカ軍だったら、やっぱり「もう戦争やめよう」じゃなく、「一億総火の玉」方向になっていたのかな」とか埒もないこと)、リアルな戦争体験者がいなくなりつつある今、まさに私も今そうなってるとこもあるんだろうなと。自分でも気づかず。
もちろん他にも、なんか日常生活の色んな面に応用できそうな話ですね。


かといって「初心忘るるべからず」だけがいいのかと言うと、そうも言い切れません。いや忘れないに越したことはありませんけど、「時間と共に変化していく」ってのは、これはもう、人間の性ですもの。
私も父ことじーちゃんが死んだ時は、「いや確かにここに死体があるから死んだのはわかるんだけどさ。でもなーんか死んだ気がしないんだよね」という気持ちがずーっと続いたけど(特に父は、最後は何ヶ月か入院してたので、家にいないのも「え?病院にいるだけでしょ?」っていう感覚がずーっと続いて)、やっぱり日常をあれこれしてると、そのうち父が死んだ状態に「慣れ」てくるんですよね。頭ではわかるんだけど信じたくない、というより、ほんとに純粋に信じられないという感覚だったのが、自然と、ああもうこの世にいないんだなって普通に納得できるようになって。半年か1年くらいたった頃かなあ??
そうえいばお葬式かなんかの時、「故人はこれから新しい名前を持って、お釈迦様(だっけ?)のもとで修行して、49日(だか半年だか)たったらもう俗世を離れて、次のステージへ進みます」みたいなお坊さんの話を聞いて(うろ覚えなんで全然違うかもしれませんが)、「そんな~~。離れなくていいよ。そんな修行しないでいいからここら辺に漂っててよ」と思ったもんですが、1年くらいたったら、「ああもう次のステージへ行っちゃったのかな」と自然~~に思えて。
と思ってても、こうして言葉にするとやっぱりちょっと条件反射的に涙目になってしまうので、まだまだきっぱりとは割り切れてないんでしょうけど。
なので「100日法要」で「まだ信じたくない」という遺族の気持ちは、至極当然だと思います。だってまだ100日ですもの。しかもうちの父みたく、お医者さんにも「見込みナシ」と診断されたわけじゃなく、昨日まで元気だったんですもの。

おっとまた話がそれてしまいました
というわけで(?)初心を忘れて環境に適応するから人間は進んでいけることもある、時間による変化が救いになることもあるというのもまた事実だと思うので、とするとほんとどうしたらいいんでしょうね? とりあえず「防波堤は時間稼ぎのつもりだった」という話は、個人的にすごく含蓄深かったので、忘れないようここに記しておく次第です。
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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