村上の傘

村上に引っ越して1年くらいの頃だったかな?ガスの点検に来た人と「村上は慣れましたか?」「歴史あっていい町ですね」みたいなことを話してたら
「人によっては、村上の人はプライドが高くて付き合いづらいって言うんですよね。なんせ昔からの城下町だから。うちは神林なんですけど、時々聞きますよ」
といったことをおっしゃってて、へーそういう面もあるのかな~?と思いました。
神林が村上のお隣だからってのもあるのかもしれませんね。「近いからって、ウチみたいな城下町と隣町を一緒にしないで」みたいな意識が、隣町にはビンビン伝わってくる、とか
私は転勤族という通りすがりで、しかも町の景色という第一印象からして、村上っていいな~城下町の雰囲気あるな~と思ってウキウキ生活してたので、あんまりそういうのは感じませんでした。むしろ、同じ城下町のはずなのに、どっかヤンチャなイメージがある実家・新発田市に比べ、村上はなんだかおっとりしてて品があるのはなぜだろう?とか(いや決して新発田が下品だとかそういうわけでは
なんか知らないけど、人づきあい苦手な私が、「村上の人はいいな~過ごしやすいな~」と、ずっと思って今までこれたんですよね。
その始まりはたぶん、村上の傘。。。

Uが赤ん坊だったので、村上に来て1年ちょい頃だと思いますが。
雨の村上ジャスコ・通称ジャスプラの駐車場に車を止めて、「けっこう降ってるな~。まいっか。入り口まですぐだし」と、赤ん坊のUを横抱きにして走ってたら、横からさしかけられる傘。見るとお姉さんが、私たちを傘に入れながら併走していて。
びっくりでした。見知らぬ人に傘をさしかけるなんて、しかもその見知らぬ人と一緒に走るなんて、そんな労力かけるなんてありえない(←超絶メンドクサガリ)。
で、「すみませんほんとに」「助かります」とペコペコしながら言うと、「いえいえそんなこと」とかの謙遜や、親切オーラ全開の笑顔なんかはまったくなく、ただ一言「赤ちゃんが濡れちゃう」。

「私」が「親切なこと」を「してあげる」ではなく、ただただ「あの子濡れちゃう!」→「赤ん坊は弱い、風邪引いたら大変!」→「ここに傘がある」で、この行動に至った、それには「知らない人に躊躇する」とか「一緒に走るなんてメンドクセー」とかの「私の事情」は関係ない、みたいなお姉さんの意識に。。。「親切なことをする」なんて自意識はハナから度外視したお姉さんの「親切」に。。。二度びっくりでした。

私はこんなふうに、「親切」なんて考えることもなく、人に親切にできてたかな。。。(いやできてない。今でもできてない

おそらく今まで、傘じゃなくても人様に親切にされたこと、いっぱいあったと思うのですが(実際いくつか思い出すこともありますが)、親切を受けてこんなにびっくりしたのは初めてでした。(たぶん「お母さんダメじゃない」と、お姉さんに叱られた気分だったので、ひときわ印象深く覚えているのかもしれません おかげで以来、車に傘を常備するようになりましたが、それはさておき)

これをびっくりするくらい受け止めたのは、もしかしたらその前に出会っていた、もう1本の傘のおかげかもしれません。これはUがまだおなかの中にいた頃。。。
みぞれまじりの幼稚園出口。役員会が終わって、さて駐車場までひとっぱしり・・・と思ってた私に、ほんの顔見知り程度で、あんまししゃべったこともないようなママさんが
「傘持ってないの!?じゃこれ持っていきなよ。うちすぐそこだから傘なくても平気」
びっくりでした。よく知らない人に傘を貸すなんて(返ってくる保証もないのに)、しかもいくら近いったって、わざわざ持って出てきた傘を人に貸して、自分は濡れて走るなんて、そんな労力かけるなんてありえない(←超絶メンドクサガリ、てかどんだけ走るのヤなんだ)。

さすがにこの時は「駐車場すぐそこだから大丈夫~」と、傘は借りませでしたが、そのお気持ちはありがた~~く、そして心の奥底にけっこうズシリと、いただきました。

私はこんなふうに、「自分の損得」とか考えることなく、相手を信じて人に親切にできてたかな。。。
そもそもこんなふうに、人を信じることなんてあったかな。。。

村上に越してきて、短期間のうちに出会った2本の傘は、私の未熟な性格に連続パンチを入れるに充分でした。

こういう人達に近づきたい。

で、それ以来、周りが何か手が足りないとか、どっか負担が集中しているように見えたら、あまりよけいなこと考えず、ちょっと手を出してみることを心がけ。
とはいえ最初は、「なに親切ぶってんの?」という自分ツッコミが鳴り響く中、かなりギクシャクと「親切」してたと思いますが、「自分が今何をすべきか」が見えたら「自分がどう思われるか」とかはひとまず考えず、癖にするべく回数こなして。(ここらへんはいまだ修行中
そうこうするうちに、幼稚園・学校や地域の役員なんかでも、昔は「役員なんてしたい人がするんだよね。こういうの得意な人や出たがりな人が必ずいるから」とか思ってたのが、実は「みんなしたくないし、物理的にできない人もいるんだよね。だから仕方ない、時間のある人でなんとか協力し合っていきましょう」なんだってのが、だんだんわかってきたり。(とか言いながら小学校の方はほとんどノータッチでスミマセン
ここでイジワル集団だと、そういう時に陰で何か言われていたり、しでかしたことや、時にはまったく関係ないことで笑いものにされたりといったことが、なきにしもあらずですが、ここが「村上の人っていいな~」と思えたとこで、少なくとも私の印象では、そういうことって全然なかったです。ここでは「誠意を持ってすれば誠意は通じる」みたいなとこが必ずあって、その積み重ねが相乗効果になって、相手や場に対する安心感、そして信頼感が自然と培われて・・・みたいな。
頭上に傘が2本もさしかけられる町では、足元には無数の傘がいつも準備されている・・・私にとって村上は、そんな町でした。
もっとも、村上以外の町でもそうなのかもしれませんね。新発田にもそういう友達はいるし。ただ私が今まで子供みたいにイジけてたので、村上に来て初めて広範囲に実感できただけで。
それと、人付き合い苦手なのは相変わらずにつき、手は出してもあまり深い付き合いしなかったので、お互いヤな部分を見ずに済んだのかもしれません。通りすがりの親切どまりで。

ともあれ、そんなこんなで6年間、村上にお世話になりました。

異動が決まりつつある頃、それをポロリと言うと、周りの皆さんは口々に「ええーっ!!うそーー!!」「すっごい残念!」「残りなよ」等々、またまたびっくりするくらいおっしゃってくださいました。
もちろん社交辞令が多分にあるでしょう。また「残念」と言っても引っ越した後は、何事もなく生活は続くでしょう。
でもこれらの言葉が、社交辞令4割以下に本音6割以上、つまり本気で「残念」と思ってくれてる、と思えたこと。
そしてそれらの言葉に対し、昔みたいに「社交辞令のやり取り」なんて思わず、「そうなんだよ~すっごい残念なんだけどさ~」と、これも本気で思い、そのまま伝えられるようになったこと。
つまりは今までよりも、人を好きに、そして人を信じられるようになったこと。

周りの人を信じられるって幸せなことだな~と、実感しました。

これが村上からもらった大きな財産です。
これがもっと血肉化され、ぐらつかない土台になるまで村上にいたかったけど、それは次の場所での宿題・・・ですかね~

私に大きな財産をくれた村上の方々、本当にありがとう。これからもどうかお元気で、ずっとお幸せに。
そうそうそれから、瀬波海岸、瀬波温泉、三面川にお城山、黒塀通りや町屋の風情、トラヤのパンに川村のコロッケ、おっと忘れちゃいけない「さんきょシュー」、キジにタヌキにクワガタに白鳥にKK兄ちゃんのお友達(動物カテゴリー?)、その他、村上を形作る色んな存在。
みんな好きでした。お世話になりました。ありがとう。
スポンサーサイト

テーマ : 新潟県 - ジャンル : 地域情報

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する