ついに赤紙!・・・だけど

昭和20年8月10日すぎ、全満の当時19歳の男子全員に赤紙が来た。
俗に言う「一銭五厘の召集令状」である。
それ以前、19歳に達した男どもは「在郷軍人第二国民兵」とされ、「カンエツテンコ」と称する「徴兵検査」のごとき行事が施行され、その際その筋の偉い人(軍人)から
「戦況も風雲急を告げる折柄、いちいち徴兵検査などやっている余裕はない。今後は必要に応じ赤紙でドシドシ引っ張る」
と告げられていた伏線がある。

8月13日、床屋で丸坊主となり、夜11時ごろ、着の身着のまま、奉公袋を下げて、市内3箇所の集合場所へ、各100名近い人々が集められた。この日の床屋はどこもかしこも満員の盛況で、ずいぶん儲かったことだろう。

夜半、どこへ行くのか知らされぬまま、ガタゴト夜汽車に揺られて鞍山駅を発った。
汽車の運行もスムーズに行かず、止まったり休んだりで目的地も定かでなく、さして急ぐ旅とも思われなかった。
翌日、下車したのは奉天だった。
昼過ぎだったと思うが、出迎えの兵に引率されて歩き始めた。どこを歩いたかどこへ行くのか、皆目わからぬまま、ただ黙々と歩き続けた。

やがて陽もとっぷり暮れて、真っ暗闇の中、飲まず食わずの強行軍だ。時々5分間の休憩があり、その場で横になり仮眠する。わずか5分だがこの休憩はありがたかった。
この体験から得たものは、人間は歩きながら眠れることである。もちろん熟睡ではない。夢の中をさまようがごとく、雲の上を泳ぐがごとく、さながら夢遊病者である。斃れそうになると前後左右の人に接触する。そのたびに瞬時我に返り、転ぶことはない。

翌日、中国人民家もまばらな田舎部落に、ひとまず一服する。
ここまで来ると疲れと腹ペコは極限に達していたが、折から通りかかった一隊(兵隊)から、引率者が交渉の果て、いくばくかの握り飯を分けてもらい、むさぼり食った。梅干もなければ塩気もない、米の固まりそのものだ。
食い物もなければ行き先もない、無い無いづくしで招集かけた軍上層部の考えは理解に苦しむ。

その日はその場に野宿となった。まったく「行き当たりバッタとともに草枕」だ。
夜中、雨に見舞われたが退避するところもなく、軒下や木の影などに身を潜めるが効果はない。
翌日「敗戦」の噂を耳にするが、半信半疑のまま、またぞろ何処へともなく歩き出す。アテもなければ目的もなく「ネグラ定めぬ渡り鳥」だった。

ようやく着いたところが、奉天市内の大きな学校跡らしい空き屋だった。
なんのことはない、奉天郊外をグルグル無駄骨折りながら廻っていたものらしい。
ここにはかなりの数の兵隊が駐屯していた。我々も分散され、従前からの兵と混入、ひと部屋10人くらい、ふとんもなければ枕もない、むしろ1枚の床の上でごろ寝の生活だった。
粗末な物ながら、南瓜や芋を煮た食い物にもありついた。古年兵など、毎日酒くらっては怒鳴り散らし、かなりの荒れようだった。

何するでなくただゴロゴロすること2~3日、ある日突然、我々新兵(?)は身に着ける軍用品一式を支給され、一同解散となった。班によっては「好きなだけ、持てるだけ持ち帰れ」とのことだったと聞く。
とにかくここにおいて、ようやく訳のわからん団体から解放され、三々五々それぞれの家路につく。

さて帰るといっても汽車はストップ、乗り物も無ければ金も無い。仕方なく友人U君と歩きながら心細い道中を続け、無事鞍山へたどり着くことが出来た。
中国人などは各家の前や塀の入り口で、家族や近所の連中が一団となり、子供のころ絵本で見かけた赤いキンキレのついた青竜刀のごとき刃物や棒を手に手に備えを固め、通行する日本人をジロジロ睨んでいた。幸いにも未だ終戦直後のこと、専守防衛で襲ってくることはなかったが、あまり気持ちのいいものではない冷や汗道中だった。

それにしても奉天から鞍山まで、歩けば2~3日近くはかかるはずだが、どこで休みどこで寝たのか全然覚えていない。
唯一、鞍山の2つ3つ手前の駅から、手押しで走るトロッコのような車を無断拝借し、顔見知りの同類者5~6人で、鞍山駅までぶっ飛ばした覚えがある。

赤紙での召集から解散に至るまで、一連の出来事は、やることなすこと腑に落ちない点が多すぎた。
おかげで、やれ「軍上層部は8月15日以前に敗戦を知っていた」とか「有り余る物資をみすみすロスケやパーロに奪われるのはケッタクソ悪い、いっそ日本人にくれてやった方がマシ--と集めた」とか、様々な憶測を呼んだ。
事実「物資欠乏」のこの時期ですら、関東軍においては、戦いに負けたとは到底信じられぬほど、前述の被服類はもとより、酒・タバコから缶詰、乾パン等がゴマンと倉庫内に山積みの状態だった。その反面、武器と来たらまったく逆で、「ショマ、ショマメーヨー」で何もなかった。
腰に下げる短剣の鞘は木製、しかも中隊にただ1本だけ。小銃もまた然りで、営門(門はなかったが番兵の立っているところ)を通る際は引率者の1人だけ代表で銃・剣を着用せねばならぬため、その都度かわるがわる交代で着用する有様だった。残念ながら「これじゃ戦争勝てるわけねえ」と納得した。

心身ともに疲れはしたが、まずは何事もなく「衣料貰った分だけ儲け」で済んだのは幸いだった。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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