満州製鉄~金と命の交換仕事

溶解用の燃料も、効率の悪いガスを使用していた。
高炉より発生する「高炉ガス」と、コークス炉より発生する「骸炭ガス」に空気を混合したものだった。
両ガスとも相当な発生量につき、これをみすみす逃す手はない--との発想だったようだ。

骸炭炉を含む周囲一帯は化工部である。本業(製鉄)の過程でコールタール、ベンゾール、流安などが製造され、副産物工場といわれた。
この骸炭炉が何かのトラブル発生の際は、ガスを含んだ黄色い煙を大量に吐き出す。「×分間で××円の損失だ」とかよく言われたが、その額はかなりのものだった。
「ガス釜」の場合困るのが天井を流すことで、釣り天井も未だない時代、硅石煉瓦だけの当時、著しく天井の寿命を縮めた。

ガスを燃料とする場合、もう1つ厄介なのがガス漏れである。
「高炉ガス」に含まれているCOガスがその犯人だが、何しろ無色無味無臭、得体の知れない曲者で、吸っていても気がつかず、ややあってから物の見事にひっくり返る、タチの悪い奴だ。
通常は何事もないが、ちょっとしたトラブルか風向きか、何かの拍子に、稀にではあるが流出するもので、こればかりは神様でも予知できない。

かくいう俺も一度だけ経験がある。夜勤時、出鋼口で作業中、意識モーローとなった瞬間、もろに後ろにぶっ倒れた。
幸い1米ほどの高さのある手すりに当たり、下の造塊現場への転落は免れたが、7~8米下の地金や鋼塊、ケース等が雑然としているところへ真っ逆さまとなれば、タダでは済まなかったと思う。
冬の冷たい風に吹かれてスーと意識が戻り、我に返った。その後朝に交代するまで別室で寝転んでいたが、頭の芯がガンガン痛んだ。しかし酔っ払い加減もほどほどのところで事なきを得たのは幸いだった。


製鋼は、常に危険と隣り合わせの重労働だったが、その分賃金の方は比較的良かったのではないかと思う。それは、神奈川の臨港線(鶴見線)に沿った諸会社を皮肉った次の一節にも伺える。

恋の東芝、浅野のギャング
桃色事件の富士電機
金と命の鋼管(=交換)会社

配属時の辞令には「日給2円50銭を給す」とあった。3交代制(3週間に1回連続)で、残業代を含め、月平均100円から120円の給料である。
就職する3年前、小学校高等科2年時担当の先生(初任で21歳)が、目尻を下げニコニコ顔で語るには
「本日は大変うれしい日である。即ち私の給料日で、一金36円を頂くのであーる」
と相好を崩していたことを思うと、3年間という時間差と地域差はあるにしろ、我々の給料もまんざらでもねえとニンマリしたものだった。ただ養成所出の我々は、歳の多い先輩連より率にして割高だったので、多少の妬みを受けたのは辛かった。

給料以外の諸待遇も極めて良く、社内においては戦時中とは思えぬほど、物資の不足は感じられなかった。
当時、製鉄所の炉前作業と薄板圧延作業が最高の重労働との定説だったため、労務加配米の意味で、1日出勤するごとに1枚貰う食券を、我々は1枚半ずつ貰った。金券を沿えて各課に設置されている食堂で弁当又は飯が食えた。当時事務員などは労働者とされていなかった。
そういえば一時、臨時雇いだったか大角力出の源氏山と一緒の時期があったが、彼は2枚ずつ支給されていた。女のことで相撲廃業(失敗)したと噂されたが、なるほど角力取りにはもったいない男ぶりだった。

また、食券と同時にタバコも1日出勤ごとに1個ずつ支給された(食券(米)といい配給制度の時代だった)。
「若桜」という奇麗な図案だったが、我々未成年にも一律支給された。
よほど在庫が豊富だったのか、もしくは遠からず兵役で死地に赴く身を憐れんでの温情か(?)、ともあれおかげで40年余、欠かすことなく延々と(煙々と?)吸い続けた。

「じーちゃんの昭和」目次
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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