満州製鉄~頭が良くてはつとまらぬ!?

製鋼作業の工程は、まず高炉より出た溶鉄を、混鉄炉、予備製錬炉を経由して平炉に装入し、30トンほどの自家屑(スクラップ)と石灰などを混入し、ガスを通して1000℃以上に加熱する。
炉内では、溶解(沸騰)するとともに化学反応を起こし、地金は沈下し、鋼滓(スラグ)が上面に浮く。
浮いたスラグを、釜を少々傾斜して階下のノロ鍋に流し出す。必要に応じて鉱石・石灰を炉内に装入、また流滓、を2~3回繰り返す。
これによりC分を初めSi、S、P、等の不純物を除去し、成分分析の結果、目的の製品規格に合致したところで(溶鋼温度1300℃)取り鍋に出鋼し、造塊現場に送られる。
造塊とは字のごとく、ケースの中に溶鋼を流し込み、固まったところでケースを引き抜き、鋼塊を圧延工場に送り、半製品となるわけである。
出鋼した空釜は、ドロマイトやマグネシアという補修材を投げつけて補修し、また溶鉄を装入して同じことを繰り返す。
装入-出鋼が1チャージで、当時のタップ-タップが約8時間くらいだった。つまり1日出勤(8時間勤務)して1回出鋼すれば終わりである。

一見、簡単で楽そうに思えるが、本作業もさることながら、それに付随する段取りや後片付け等も並みの苦労ではなく、加えて高熱の中での肉体労働、塩をなめ水を飲みながらの悪戦苦闘である。

かつて教習所へ入所の折、職種(課)を決めるにあたり簡単な適性検査を行ったが、それとは別に、誰も彼も「機械課」「工作課」の希望者ばかりで、「製鉄」「製鋼」「圧延課」の評判はすこぶる悪く、希望者は皆無の状況だった。
仕方なく係の先生、検査結果などお構いなく、顔と身体を見て半強制的に「製鋼課」と決められた。「頭が悪く身体がいい奴」が決め手となったらしい(?)。なるほど「頭がよくてはあの仕事はつとまらない」。

安全面に関しても、ほとんど問題にされていなかった。
防具といえばズックの前掛けだけ。足袋に分厚いゴム底の草履ばき、ねじり鉢巻はしたが、ほほかむりなどする人はなかった。
いかな高熱現場での作業も、タオルで顔を覆うがごとき格好は「炉前工の風上にも置けぬ」という変なプライドがあり、一丁前とは認められぬ戦時下ならではの野暮な風習があった。
おかげで炉前工は顔の片側一面が、圧延工は両ほほ骨あたりと眉の間、鼻先が赤く焼け、北風吹きすさぶ冬期間などはドス黒くなるので、「こいつは炉前だ」「あいつは圧延だ」と、一見して職種がばれた。
しかし当の本人たちはいたって平気の平左で(たとえ年頃の若者でも)ある種の誇りさえ持っていたのだから見上げたものだ。

不思議なことに、マスクも一切使用することがなかった。第一市販されていたかさえ定かではない。
「マグネシアは体に悪いが、石灰は肺の薬だ」とか「Si粉は肺に毒だが、炭粉は体にいい」などと先輩から吹き込まれ、もうもうたる埃の中でコキ使われたもんだ。
しかし40何年たった現在でも、体に何の異常もないところをみると、案外本当だったのかも知れぬ(?)
やけどをしてもニガリを塗ってごまかすのが関の山で、少々の怪我は極力隠し通すのが普通だった。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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