満州製鉄~鉄の都よ高炉の炎~

南満州鉄道--通称「満鉄」の連京本線(大連-新京)の大連駅を出発して、当時のドン行汽車で10時間くらいで鞍山駅に到着する。
駅は片田舎風の小さな建物だったが、この町が「鉄の都よ高炉の炎」と歌われた、人口6万人(日系人のみ)、全満第6位の「鉄都」鞍山市だった。
鞍山駅から次の立山駅まで、鉄道に沿って延々と続く巨大会社が、東洋一と言われたKK昭和製鋼所である。

まず人目を引くのが巨大な2基のガスタンクで、高さ98米、直径20米くらいで、鞍山市民が一年間使っても使い切れぬ貯蔵量だと聞く。
当時としては珍しい、千トン溶鉱炉が9基、空にそびえ、それに付属する熱風炉や冷却塔、さらには巨大な2基の骸炭炉(当時は戦時下で、コークス炉とは呼ばなかった)や、昼夜の別なく独特の音を発し続ける選鉱(貧鉱処理)工場などなど、ケタはずれの巨大建造物が黒煙や蒸気を吐き出しながら連立する勇姿は、度肝を抜かれると同時に壮観そのものだった。

教習所2ヵ年の課程を終え、配属された現場が製鋼部の第一製鋼課であった。
規模は150平炉が6基、300トン予備製錬炉が3基、600トン混鉄炉の2基から成り、付属する装入機4台、原料機4台、造塊側の取鍋起重機4台、型(ケース)の裾付及び型抜き、隣の圧延工場(灼熱炉経由)へ移動するペンジュラム起重機(とか言ったと思う)2~3基という構成だった。
人員は、甲・乙・丙組(当時はA,B,Cとは言わなかった)の三交代者に、副原料係や製造係等の常昼勤者をひっくりめて、500人くらいの数だったと思う。
これと同規模の第2製鋼課、第一(大型)、第二(小型)、第三(薄板)圧延課とその付属工場を含めたものが、製鋼部となる。

会社全体としては--忘れてしまったので定かでないが、「製鋼部」のほか、「総務」「製鉄(溶鉱炉関係)」「工務(工作部門)」「動力(電気関係)」「化工(コークス炉を含む副産物工場)」など8つくらいの部に加え、市郊外に3~4つの鉄鉱山があり、そこで働く工員はもとより、山そのものが会社の資産である(「採鉱部」)。
更に、掘った鉱石をはじめとする各種資材や副原料を運ぶ電車・汽車、社外の通勤バス(大型バス10台くらい)、その他一切の運搬事務を行う「運輸部」があった。

だいたい以上のごとき構成で、その規模の大きさは、まさに東洋一を誇る半官半民の大企業だった。
満鉄より分離独立した昭和2年創立時の資本金公称2億円、従業員数は戦時下のため公表されていないが、通称2万人と言われていた。
更に戦雲急を告げると、本渓湖煤鉄公司(鞍山より歴史は古く、小さな高炉が2~3本立っていた)と東辺道開発KKが合併して「満州製鉄KK」となり、ますます巨大化し飛躍発展の一途をたどった。
東辺道は鉄鉱石の採掘が主力で、60%という富鉱が平炉工場に搬送されていた。

理事長(社長とは言わず、常務は理事と呼ばれた)は、元・東京市長だった陸軍大将の岸本綾夫氏であった。
一度だけ拝顔の栄を得たが(といってもグループで、「かしらー右!」の敬礼だけ)、ズングリムックリの小男で勲章などつけていない平服姿だったにもかかわらず、「大将」という先入観もあってか、それなりの貫禄はあった。敬礼した途端「敬礼が悪い、やり直せ」と一喝されたことを覚えている。

「じーちゃんの昭和」目次
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コメント

祖父が。。。

安永と申します。
祖父の就職先は満州製鉄でした。
父も満州で生まれました。
その頃の事をあまり聞けぬまま祖父は他界しました。
宗教の事で仲が悪かったので。。。
もっとお聞かせ願えますか。

Re: 祖父が。。。

こんにちは。
満州製鉄ですか!ではお祖父様もお父様も、鞍山にいらっしゃったのですね。
父に聞かせたかったです。たぶんすごく喜んで、それこそ色々お話をお伺いしたかったことでしょう。
私も知っていることは父の手記(≒「じーちゃんの昭和」カテゴリ)にあることばかりで・・・もっと聞いておけばよかったと悔やまれます。
昔の人がだんだんいなくなって、満州国はじめ昔のことあれこれが、今度こそ本当にこの世のどこからも消え去るんだなあという気がしますね。

懐かしの鞍山

昭和22年8月に葫蘆島から佐世保に引き上げた小野と申します。
終戦当時、鞍山富士小学校(国民学校)の1年生で終戦となり引き上げた者です。
父は昭和13年から鞍山の昭和製鋼所に勤務確か選炭とか?云う部署で仕事をしていた様です。終戦からしばらくしてロシヤの軍人が我が家(社宅)にもやってきて家の中を土足で上がり捜索して帰ったのを思い出します。社宅の近くに古賀さんとか長谷川さんという方が住んでおられ又終戦後に長谷川のおじさんと父に連れられて製鋼所に落ちた爆弾の穴に鮒がたくさんいてそれを釣りに連れて行ってくれたのを思い出します。勘太郎月夜唄(伊那は長谷いと引く煙)を長谷川のおじさんが歌っていたのを思い出します。その父は10年前に母も3年前に亡くなり思い出が薄れていきます。

Re: 懐かしの鞍山

初めまして。コメントありがとうございます。
鞍山にいらっしゃったのですね!しかも昭和製鋼とは♫
父に、小野様のコメント、見せたかったと強く思います。さぞ嬉しく懐かしく思ったことだろうに。。。
小野様のご両親ももう亡くなられたのですね。当時を知る人がどんどんいなくなる中、小野様のように満州のことを覚えている方というのはとても貴重だと思います。父の見た景色を私も見たいと思うのですが、見ていない人間にこればっかりは無理ですもんね。「爆弾の穴に鮒が」なんて、想像では絶対に出てこないリアルな生活感です。
今はなき、だけどかつて確実にあった満州の時代を、後世に語り継ぐべく、これからもどうぞお元気でいてくださいね。
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