明治男のど根性~おカイコ様騒動

当時の田舎では、農作業とともに養蚕も盛んだった。
特に田畑のない我が家では、春・夏・秋のうち2回くらいは蚕を飼っていた覚えがある。

春蚕を例に取れば--
まず室内を消毒し、飼育する量数によって室内片側もしくは両側に、竹か棒で段々のある棚を組む。
名称は忘れたが、竹の皮で編んだ一米四方くらいの平ぺったい入れ物数十枚と、それと同数・同程度の大きさで、蚕が潜り抜けられる程度の目の網を用意する。最初の飼育の時は無論購入せねばならぬ。
そして、入れ物と同じ寸法・同じ枚数の敷き紙も必要だが、時には古新聞も使用した。
さらに、嵩で編んだアコーディオン式の巣(?)も入れ物と同じ数。

--と、養蚕を始めるには最低でも以上のものを用意しなければならず、最初の場合はかなりの負担となる。陽気によっては火鉢等に炭火をおこし、部屋を暖めねばならぬ。

道具が揃ったところで飼育にかかる。
作業工程の詳細な記憶は定かではないが、まず平ぺったい竹製の入れ物に紙を敷き、その上に数十匹の蚕を置き、餌である桑の葉を平らにかぶせて棚に上げる。
蚕は這い上がって桑の葉を食い、だんだんと成長するわけだ。桑を与えるのは1日1回くらいだったと思う。
この手法を3日くらい続けると、桑の食い残し(茎の部分)や、蚕のフンがたまり、入れ物の上が10センチほどのたかさとなり、持ち運ぶにも重くなる。特に踏み台に上がって棚への上げ下ろしなどは、かなりの重労働だった。
3,4日たったところで、高く積もった入れ物の上に網を敷き、その上から桑をやる。
蚕は物欲しげに網の目を潜り抜けて、桑の葉まで這い上がる。
そこで脇に紙を敷いた入れ物を並べ、網をそっと持ち上げてその入れ物に移す--餌場の移動である。
残ったカス(汚物)は、紙ごと別の入れ物カゴなどにいれ、戸外へ持ち出し処分する。主に肥料に転用されたが、紙の方は蚕の小便がにじんでいて、再利用は出来なかった。

この餌場の取替えは3~4日ごとに繰り返し、1ヶ月くらいだっただろうか、繭が出来上がるまで行われる。飼う蚕が多ければ多いほど、与える桑の葉も、出るゴミの量も多く、人の苦労もまた多い。

いよいよ蚕が「上る」頃、嵩製の巣を広げて上にかぶせて置くと、蚕はそれに這い上がり、繭を作る。
できあがった繭を1つ1つ取り出し、眉の表面を覆っているモヤモヤしたクズ糸を機械にかけて取り除く。
機械といっても小さく四角い箱状のもので、上部真ん中に何で出来たか1本の金属棒があり、この棒が手回しでグルグル廻る。そこへ繭玉を押し流すと、クズ糸が棒に巻きつき、きれいな繭が出来上がるのである。

そしてこの繭が金に換わり、今までの苦労が報われる--となれば幸いだが、どうも労多くして報い少なしの感がないでもない。労力は別としても、餌代から入れ物、網、紙、巣などの原材料費で、儲けの半分以上は消えるのではあるまいか?もちろん、桑と紙以外の用具は2回目から再使用できるが、いずれにしても儲けの裏には応分の苦労があるもんだ
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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