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アンナガーデン♪

先週末、アンナガーデンへ行ってきました~♪

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ブログ友達であるKさんに教えてもらって初めて知ったのですが、わ~~~なんかオシャレ~~~
かわいい雑貨屋さんとかカフェとかあって、へ~~福島ってこんなスポットがあったのね~~

場所は福島市。ということで会津から高速に乗り、福島西ICから行ったのですが、福島市はほとんど初めてな私(伊達市の親戚ん家に行く時、福島駅で降りたことがあるくらい)、福島市に降り立ってまず驚いたのが「会津とは山が違う!」
会津も福島市もともに盆地につき、地平線のどこを見渡しても必ず山が見えるのは同じなのですが、その山がぜんぜん違うんですよね~!
福島市の町なかからばーんと見えるのは、なんと言っても雪をかぶった吾妻小富士 これがまたキレイで!この日はお天気よかったこともあって、山頂の浄土平とかもすごくくっきり♪
「違う町に来たんだな~」との感慨を深くしながら車を走らせ、やがてKさんと初対面~~~

そう今回は、いつもブログでお話しているKさんとお会いするためにアンナガーデンに来たのでした♪
まずはガーデン内のピザ屋さんにてランチ。
中はセルフでいたって気楽な、雰囲気のいいピザ専門店。テーブルにイタリア新聞が貼ってあるのもいい感じです もっともKさんは「変わった!」と驚いてらっしゃったので、出来た当初はまた違う感じだったのかな?
生地は薄いクリスピータイプで、しかもけっこう大きめなのに1枚千円前後とお手ごろ価格 子連れ家族などにもうれしいお店かもです♪
お店の窓からは信夫山が見えて。信夫山って、Kさんに指差してもらってこのたび初お目見えだったんですが、ほんとに町なかにあるんですね~~ 町の真ん中にどーんとあって、町の人に「わが町のシンボル」として愛されてるあたり、会津でいえば鶴ヶ城みたいな存在なのかしらん?
ここでいやもうしゃべりまくり さらにお隣のカフェに移動して、ここでもますますしゃべりまくり!!
私は結構人見知りなはずなんですが、いつもブログでお話しているせいかKさんのお人柄か、しょっぱなから初めて会った気が全然しないんですよね~♪ おかげで気分はすっかり長年の友人と再会したような感じで、しかし「sheyさん」とか「ひまわり先生」とか、ブログでのみ知っているお名前とかが普通に出てきたりするのが、なんだかすごーく新鮮
そうそうこのカフェ「niconico cafe」もよかったです~♪ こじんまりしてて、コーヒー紅茶はもちろん、黒糖系・ゆず系など、ドリンクメニューも非常に豊富で 屋外には吾妻連邦を見渡せるというテラス席もあって、「後で行ってみよう」なんて言ってたのに、話に夢中ですっかり忘れてました いや~ほんと、楽しかった~~
さらにはジェラート屋さんに場所を移して、気づけばあっという間に夕方。
これだけしゃべったのに、まだ時間が足りない!って感じがしたのがおそろしいです ダンナさんとの恋人時代の話とか、もっと聞きたかったわ~(やっぱしKさんは相手から話を引き出すプロだわ!と改めて)

帰りはKさんのアドバイスに従い、高速じゃなく115号にしたのですが、これがまたすっごくいい景色で!!!
山の上から猪苗代湖に向かっていく感じなんですが、山から見下ろす景色のなんて雄大なこと 時間も高速と変わらないしタダだし(←重要)最後の最後まで楽しい時間を過ごせました。

ほんとに、ありがとねKさんm()m 機会があったら、またぜひお会いましょうね(次はカラオケで洋楽ざんまいってのはどお?
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東京なう!

東京駅なう!

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ってもう帰ってきてますけど
関東在住の親戚が、KK&Uをご招待してくれて、突然ですが急遽東京へ行ってきたのでした♪
ちなみにKK&Uはまだお泊り中です
行くと決定したのが前日だったので、東京に着いてからもなんか不思議で。「魂は今やっと那須塩原あたり」みたいな
加えてKK&Uにとっては、初めての親なし宿泊!あ、KKは修学旅行で体験済みだな
親戚の方が、ほとんど家族総出で東京駅まで迎えに来てくれて、ありがたやm()m
ちょっと緊張の面持ちだったKK&Uも、大好きな親戚なのであっという間に打ち解けあい
ママともども、半日東京観光してきました~♪

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東京駅、素敵ですね~~~♪
「戦中・戦後の混乱期、帰省するたびに1日並んでキップを買ってたので、東京駅の姿が目に焼きついてる」
と山風さんがエッセイで書いてらっしゃいましたが、この姿をきっと多くの人が見てきたんですね。
私&KK的には、駅もさることながら、周りのビル群にも「大都会だ~~!」と圧倒~
高層ビルが立ち並ぶ風景って好きなんですよね♪ 特に今日みたいな青空だと、光り輝いていてますますステキ
道向かいの郵便局ビル「kitte」からの眺めです。

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そういえば前、歴史ある建造物を残す残さないでバトルになってるって聞いたことあったけど、そうか~kitteのことだったのね!
色~んなこじゃれたお店が入ってるけど1階が郵便局ってとこに、変わらぬ歴史を感じましたよ
あっそうそう、新潟のケーキ屋さん「(だけど名前が)大阪屋」がテナント出店してるのもビックリでした~
ついでにここの地下で軽くランチ。
さすが東京、ご当地グルメが多々です。沖縄料理屋さんで食べるもよし、天ぷらや肉まん、パンやおいなりさんなど好きなものを買い歩きしてフードコートで食べるもよし。わりとお手軽価格なのもいいですね~
さあ、腹ごしらえも済んで、今日の目的地へ出発です

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まずは地下鉄押上駅直結・東京ソラマチに到着!
ご存知、スカイツリーのお膝元です。あ~~ここ、TVで見た見た~~
いや~~ここも、お店いっぱいですね~~!(←当たり前
私は会津も相当な都会だと思ってるクチなんですがそういう感覚保持者から見ると、こんなにお店やビルが必要なのかな!?と思うくらい、どこもかしこもお店やビルがあって、ひたすらすごいな~と
あの高層ビル群のちっちゃい窓1つ1つに人がいるのかと思うと、人の多さに恐れ入ります

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こんな「戦国時代」なお店もソラマチに入ってて、戦国バサラ好きなUがさっそく食いつきます
食品サンプルの専門店とか、民放TV局のキャラクターショップが一挙集結とか、色々あってけっこう面白い♪
中でもひときわ長蛇の列だったのが、このチョコレート専門店。

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あっそういや、「ニューヨークで人気のチョコレートピザ」とかってTVで見た記憶があるのは、もしやこのお店
さっきの郵便局ビルでも、そうそう新幹線で東京駅に着いた時「おかしランド」(という、グリコやカルビーのファストフード)を通りかかった時とか、ここソラマチでも思ったけど、「TVで見た本物がここに!」っていうのが、いたるところにごろごろあって驚くとともに、いかにTVでは東京発のネタが多いか、というか単に「東京スゲー!」というおのぼりさんならではの感激がじわじわと 

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そしてついに、東京スカイツリー ここでおのぼりさんの血が最高潮に沸騰します
スカイツリー、初めて間近で見ましたけど、いやこれはすごいですね そっくりかえって真上を見上げなきゃタワーが見えん
KKとか「これを見たら、人間バンザイだね」だって ほんと、よくこんなん作ったな~人間、と感心します

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しっかし東京は、あったかくていいですね~♪
ママKKU、歩きながら揃って「暑い!」「汗だく!」「これはもう初夏!」と騒いで、親戚の人に「会津はそんなに寒いのか」と驚かれました
なんせ来る時は雪降ってましたからね~会津
このお天気のよさが、観光気分に拍車をかけます 歩いていて解放感があるというか♪

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さすが3連休!整理券の行列もハンパなく、中の行列が外にまではみ出してるの図
けどスカイツリーって、完全予約制だと思ってたけど、今はその場で整理券ゲットできるみたいですね。
もっとも「今から並んで手に入るのは5時間後のチケット」とか、そんな感じみたいですけど
ともあれお天気よくて、空気も澄んでるし、今日来た人は素敵な東京見物ができることでしょう♪
しかし私たちの目的はこっちじゃないので、スカイツリーを横に眺めながらどんどん進み、ついたのはここ!

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すみだ水族館~
私たちの目的地はここだったのでした
スカイツリーができた頃から「展望台より水族館を見てみたい」と言っていたKKのリクエストで、来てみました♪
「スカイツリーがあの混みようだし、入場制限とかかかってるかも」とちょっと心配だったんですが、こちらはそれほど大混雑ってわけでもなく、至ってスムーズに入れて一安心

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できたばかりなこともあって、どこもピカピカで、見やすい展示。
最初は川魚メインで「もしや「すみだ水族館」って名前からして淡水魚館なんじゃ?」と疑うママ、「「すみだがわ水族館」じゃないんだから」とKKに呆れられつつ見ていったら、次のくらげコーナーあたりから、わ~なんか本格的~~~
くらげそのものもキレイでしたが、くらげラボみたいなコーナーがあって、生後1日~のくらげを展示してたり。
上はペンギン水槽ですが、こんなふうにペンギンに通路を歩かせて、間近で見せたり。

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大水槽にエサをやる時は、ダイバーさんがエサをまいて、ちょっとした「魚寄せ」みたいな感じに
ちなみにこの「東京大水槽」、最初は「東京湾ってこんなに魚いるの!?」って驚きだったんですが小笠原諸島の海を模しているのだとか。そうか小笠原も東京都だったわね
ワニザメやウツボが悠々と泳いでいるのが、見ていて飽きません

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他にも、まるでシュノーケルで海中を見ているような気分になれるのぞき穴とか、なぜか観客の側にみっちり集まるペンギンとか、規模が決して大きくない分、「見せ方を工夫してるな~~」と思わせる水族館でした。
そうそう香りにも一工夫してるのか、水族館に入るとアクア系の香りがお出迎え、ペンギンコーナーでは(ペンギンの名前がライムだから!?)レモンライムの香りがあたり一帯にといった感じで、これまた印象的。
チンアナゴもどっさりいてUは帰りがけ、ショップでさっそくチンアナゴのスーベニアコインをゲットしてました♪

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というわけで、楽しかった水族館。
再びソラマチを巡りながら押上駅に戻り、ここでママはおさらばです
連休中、お世話になります&ありがとう親戚の人アーンド楽しんできてねKK&U

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帰りはソラマチでペタンコ靴を買って(ソラマチには¥3,900~のお手ごろ靴屋さんもあります。普段車ばかりで都会人ほど歩かず、そのくせ「せっかく東京行くんだから」と普段はきもしないヒールでスカイツリーまで来た挙句、すーぐ足が痛くなっちゃったおのぼりさんはぜひ!)。
来たついでに銀座で降りて、高層ビルと昔ながらの景色(いまどきシネコンじゃない映画館のある景色とかが逆に都会っぽい、あるいはNYっぽいと思った)が混在している魅力的な町を歩きつつ、都会の空気を吸収し
懐かしのNY物産・ディーン&デルカや、東京駅地下のお土産や駅弁等々どっさり買い込み、充実した疲れと、KK&Uがいないという不思議な感じとともに、東京を後にしたのでした。
今頃親戚の人と楽しんでるかな~?

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親の会に行ってみた

スクールカウンセラーさんとの初面談があった週末、月に一度の「不登校の親の会」がありました。

不登校の子を持つ様々な親御さんのブログを拝見していたら、そうした親御さん方が集まって色々打ち明け話できる「親の会」というのが、地域ごとにあるらしいというのがわかり。
このころは(今でもですが)「不登校」というのが私にとってまったく未知の事態だったので、とにかく色んなケースを見聞きしたい!そうして我が家との相違点や今後の進み方、具体的な対策などなどを知って、色んな疑問や不安を少しでも解消したい!という欲求が強くあり。
ともに「不登校」という体験を持つ親御さんたちが集まる場なら、まさにうってつけ!お茶でもしながら色んな経験談を聞いて、先輩ママさんがたに直接アドバイスをうけたり、同じ状況のママさんたちと「あるある~~」と共感しあえたりe.t.c...ああ~心惹かれる!!そんな場がうちの市にもないかしら!?
と、ネットで検索してみたら唯一出てきたのが今回の「親の会」。市内のフリースクール主催で、日付を見るとちょうど2週間後に月1の会があるらしく。
「この機会を逃したらいかん!」と1月末頃、急ぎお電話してみました

「あの~子供が今月から学校に行かなくなって、それで不登校の親の会というのに参加したいと・・・」と、最初は日付を確認して、参加申し込みをするだけのつもりだったのですが、相手の方がひとつひとつ丁寧に現状など聞いてくださって。
「あ、なんだかすごく親身だわ」とすごく安心し、安心ついでに時にボロボロ涙を流しながらひととおり話すことができて(このころは1日中泣きまくりため息つきまくりの時期でした)、思いがけず30分近くの「電話相談」タイムにm()m

「どうぞいらしてください」とのお言葉をいただき、週末朝10時、待ちかねて出かけた親の会。
んが、着いてびっくり!親がいな~い
フリースクール自体に子供が少ないのか、この日の「親の会」に参加した親御さんは私1人で
ちょっぴし不安になりながら部屋で待ってると、入ってきたのが理事長さん。
そしてこの方が、1対1で色々相談に乗ってくださったのでした
ママさんがたとお茶やお菓子を食べながら(←それが目当てか~!?)和気藹々と座談会・・・みたいな想像を勝手にしていた私 予想外の展開にちょっとびっくりでしたが、この時の相談は色々印象に残りました。

まずはこれまでの状況、そして現状をざっと話し。
メモを取りながら聞き終わった理事長さん、開口一番におっしゃったことは「僕はKK君のこと、よくわかる気がしますよ」
「それは「典型」ってことでしょうか?」と、「典型例なら対処法もスタンダードで、簡単なのかもしれない」という希望を持って飛びつくと理事長さんは「不登校は全部違います」。
あ、個別に見ようとしてくれてる、それだけ関わった不登校例が多いんだな、と、ここら辺に「プロ」としての信頼感がわく私。
続いて理事長さんは
「KK君はマジメなんですね~」
おお学校でも病院でもスクールカウンセラーさんにも言われたことがここでも!そうか~今までは、提出物は出さないわ勉強はしないわで、KKのことを(担任の先生と同じく)どっか「サボリがち」と思ってた私、全然間違った見方をしてたんだな~~~。そうだよあれだけおなか痛いのに今まで頑張って学校に行ってたんだもん
小5で転校したこと、転校前も後も友達はいっぱいいて、交友関係は私から見ると良好だった等を話した時に
「疲れちゃったのかな」
と言われたのも印象に残りました。私は単純に、転校してもすんなり馴染めてよかったよかった♪まあKKは友達づきあい上手だもんね♪としか思ってなかったんだけど、もしかしたら、今まですごーく気を張ってたのかな、と初めて。。。

そんなこんなで出たアドバイスが「今は休ませちゃっていいんじゃないでしょうか」
私的にはこれが一番印象に残りました!
というのも、今まで、学校や保健の先生、病院でのカウンセリングやスクールカウンセラーさんなど、色々な方に相談してきたわけですが、「休んでいい」なんて言葉は聞いたことがなく。「週1でも1分でもいいから、とにかく学校に」というのが、どこでも基本路線で。
と同時に「だけど無理強いはしないで」というのがセットで、そこら辺でいったいどうすればいいのか、学校との約束を守ろうとしたら無理強いになっちゃうし・・・と悩んでいた私としては
「確かに、行かせようとしても行かないので、休ませていいと言われるとすごく気楽になるんですが。ただ私は学校の保健の先生とか、すごく信頼していて、その方とか皆が揃って「学校に1分でも来て」というアドバイスなのは、そうしないと不登校が長引くとか、何か理由があるのではと」
と、疑問をぶつけてみたところ、理事長さんはしごくあっさり
「そりゃ~学校としては「学校休んでいいよ」とは言えませんよ 仮に先生がそう思ってたとしても、父兄に先生がそう言ったと学校に知れたら大ごとになっちゃう」
あっなーんだ!そうゆうこと!?
だからと言って保健の先生方への信頼感は変わりませんが、理事長さんのお答えも「そりゃそうだ」と腑に落ちて。そうか~今まで私が聞いてきたアドバイスは、「専門家として唯一絶対の処方箋」とかではなく、あくまでも「学校」としてのものだったんだな。そして今初めて「親」の意見を聞いてるんだな~。そういやこれ「親の会」だったもんね(人いないけど)と、ちょっぴり目からウロコ気分。
余談ですが理事長さんのお子さんも現在不登校だそうで、なるほどその意味でもこれはまさしく「親の会」だ~。「学校側」と「親側」の意見、どっちがより正しいとかそういうわけじゃなく、ただ「違う」ってことがあるんだな~と思ったひとときでした。(もちろん、理事長さんの意見と学校の意見がすべて対立するってわけでは、当たり前ですがありません。「昼夜逆転はしない方がいいと思ってる」とか、同じ意見もありました)

「今もう、どう接したらいいのか、KKが言ったこと1つに対してどう言えばいいのかとか、まったくわからないんですよね~
「アハハそうそう。腫れ物に触るような感じになっちゃってね」「そうなんです~~
なんていう話をしつつ、まとめとしては「あまり今の状況を「不登校!」とか大ごとに考えない方がいいのでは」ということでした。
「まだ中1ですからね。僕らからしたら中1は「まだまだ」「全然大丈夫」ですよ。あまり考えすぎて、KK君を追い詰めないで」
「いずれ学校に復帰するためにも、今はあえて学校から遠ざかって、学校関係のことを遮断する、というわけです」
しかし・・・私にはず~~っと1つの不安が。それは「そうして「まだまだ」と思ってるうちに10年20年とたって、ひきこもりになってしまうのではないか」という。それさえなければ本当に、「まだまだ大丈夫」「そんなに大ごとじゃない」と心から思えるんだけど。。。
と、「そうですよね♪」と明るく言えない私に、理事長さんはここのフリースクール卒業生の手記なども見せてくださいました。
何年か前小冊子にまとめたものだそうで、「色んなケースを知りたい」と思っていた私には、まさに色んなケースの、しかも当事者がその思いを教えてくれる、貴重な本!
これを拝見しながら、「この子はこないだ結婚式に呼ばれました」「この子は今県外の大学に行ってます」「この子は今2児の母ですね」と、一人ひとりを懐かしそうに話す理事長さん。ここで思い切って、学校でも病院でも話の流れ的に出せなかった、けれど常に頭にある一番の疑問を聞いてみました。
「この子達も、ブログや本とかで見る不登校の子たちも、ほとんどはみんないずれ社会に出ていけてますよね。でも一方、そのまま10年20年とひきこもる子も、ほんの少数なのかもしれないけど確実にいる。なぜなんでしょう?何が違ってそうなっちゃうんでしょう?」
理事長さんの答えは
「信頼関係の有無」
でした。
「昔は、ま昭和の頃ですね。その頃は不登校の子を無理やりひきずって学校に行かせるようなやり方もあったんですよね」
「ああそういえば私の学生時代とか、そういう風潮でしたね~」
「そうでしょう。そういうことを繰り返された子は、やっぱり人を信じられなくなっちゃう。
 例えば私が関わった中には、部屋でエアガン持って立てこもってるケースがありましたよ」
「エアガン!!」
「それももう何年もね。引きこもってると言っても、夜になって家の人が寝静まれば、部屋から出たり、自分でコンビニに行って立ち読みなんかもできるんですよ。でも昼間は絶対に出てこないし、誰も部屋に入れない。部屋のドアを開けると、バリケードが作ってあってね。床には画鋲がまいてあるんですよ。で本人はエアガン持ってその奥にいる」
「・・・・・」
「それほど親や人を信用できなくなっちゃう。そこまで信頼関係が失われると、そこからもう1度出てくるのは、やっぱり時間がかかる」

・・・・・・

そんなこんなで、予想とはまったく違った「親の会」だったのですが、理事長さんが非常にオープンかつ熱血で、お子さんの不登校から手がけた事例から、色々お話を聞かせてくださって、もちろんこちらの話も長々聞いてくださって、学校や病院とはまた違った視点から、大変印象に残った面談だったのでした。
ちなみに終わってから時計見たら、なんとお昼 うわ~~~2時間も面談してくださってたのか!!ほんとに、ありがとうございましたm()m

テーマ : 不登校 - ジャンル : 学校・教育

KKの不登校について思ったこと

今日も番外編です。
よりによってカンフーパンダで号泣するかママ
の記事を書いていてふと思いついたことを、ちょっと覚えとこうかなと思ったのでメモです。

不登校とかそういうのは、ほとんど親が原因と言われますよね。
原因探しをしても仕方がない、過去にああすればこうしてたらと思うより、これからどうするかが重要だとも。

どっちもすごーーーくよくわかる気がします。
自分に当てはめて色々考えてると、やっぱり最終的には上記2点に行き着くというか。

私の場合。
やっぱし一番大きいのは、親である私の持ってる歪みが、KKに伝わってしまったんだろうな~と。
人が怖い、人間嫌い、人間不信。
10代の頃の私は、ほんとそんな感じでした。
これらって単に「自分が嫌い」の裏返しなんですよね。自分で自分のことを嫌いだから、他人もきっと自分を嫌ってるに違いない=他人を信じられない。他人に嫌われてる自分は、いつかいじめられる=人が怖い。そんな他人なんか大嫌い=人間嫌い。みたいな感じで。
もっともこの年代って、多かれ少なかれ「中二病」なので、これはわりと当たり前の感情なのかもしれません。だいたいにおいて10代って、自我が急激に成長する年代ですから、「なりたい自分」と「なれない自分」の間でせめぎあって、すべてに対して疑心暗鬼。で私の場合は、他に思い煩うことがなかったせいか、思う存分自分のことだけ考えてて、その結果ますます中二病全開、みたいな
そんな単純なことでも、一時はほんとに辛かったのですが、しかしそれも大学に入ったら「えっこんな人たちが存在してていいの!?(じゃあ私なんか全然OKじゃん)」と、「自由」を体感して、ちょっとラクになり。
社会人になって「私ってほんと自分のことしか考えてないんだな~」と、今までの自分の人間嫌いは、ほとんど自分の自己中から来てたんだと思い当たり。
ダンナと知り合って「人と一緒にいてもラクだな~」と、この世に自分が違和感なく存在しているような感じを得て。
そういうふうに世界に受けいれられ、世界を受け入れる感覚をだんだん覚えると、出会う人々も皆それぞれにいい人で、少なくとも人間ってそんな悪いもんじゃない、この世は捨てたもんじゃないって思えるんですよね。

で、今はそんな感じで過ごしてたつもりなんですが、10代の頃に固く信じてたことはなくなったわけじゃなく、私の奥の奥に引っ込められて見えないだけで、きっと根っことしてまだ残ってたんですね~;;
とにかく子供には、私のようになってほしくなくて。
私の10代の頃みたいな思考回路を、持ってほしくなかった。あんなみっともなくて辛いだけのもん、絶対抱えて欲しくなかった。
あの頃の自分が今の私みたいに思えていたら、友達も学校も、ひいては世界もまったく違って見えて、この世を楽しめたはずだから。

なので、10代の私に繋がりそうな、KKの繊細なとこ、逃げ出すところ、気の弱さみたいなとこは、「矯正した方がいい欠点」にしか見えず。
いや、もしかしたら、KKは気が弱かったり、逃げ出したりしてたんじゃないのかもしれません。ただ私がそれに怯えるあまり、かえってそうだろうと決め付けて、KKも自分自身をそういうふうに自己規定してしまってただけなのかもしれません。ちょうど不登校になる時、私が「弱い証拠」みたいに思っていた「連日のおなかの痛み」も、見方が変わったら「連日おなかが痛いまま1年以上登校していた」という強さだったのに・・・みたいな。

私が、基本はおおざっぱでめんどくさがりなくせに、一方ではルールとかに弱くて、変なとこで心配性なのも、根っこに「人が怖い」がまだ残ってたからかもなあ、とも。
ほんとは人一倍サボリたいくせにサボれない。ルールがあったら守らなきゃいけない。「やりたくない」なんて単なるワガママ。そんなワガママ言ってたら人に嫌われる。そう、人前での行動原理のすべては「人に嫌われたらどうしよう」。
今ではそんなに、人間が怖いと思うことも、そこから来る人間不信もなくなったと思っていたのですが、そんな考え方が「癖」みたいな感じで残ってたのかもですね。
加えてKKの場合、第一子で、てことはほんとに日々「これでいいのか?」と自信がなくて。「自分の育て方に対する自信のなさ」が、「子供の将来への自信のなさ」や「周囲の人間への不信」に一直線に繋がってたというか。「人間が怖い、人間不信」って、先にも書いたとおり「自分が嫌い、自信がない」の裏返しですから、そういう状態の時は「不信感」が強化されちゃうんですよね
その結果、自分では「かなりおおざっぱな育児」をしていたつもりだったけど、「人に嫌われないように」って、気づかぬうちに先回りやピントはずれの心配を、そこここでKKにしてたんだろうなあと。加えて私の場合、初めての子のためか「育児が辛かった」という記憶が生々しいので、「おおざっぱ」も「受容」じゃなく「放任」になってて、KKが「親の愛情」をあまり受け取れなかったかもと。

KKの不登校のきっかけは、前にも書きましたがとある同級生たった1人との確執です。
KKがず~っとトイレや保健室に行っているので、グループでの作業が進まない。KKはサボってる。そうしたことを、ず~っと言われ続けていたという。同級生的には「からかい」程度の気分で。
そうするとKKはますますそこから逃げたくなり、しかし先生もその同級生と同じように見ていたので、同級生に理解を求めることはせず、KKに「逃げちゃダメ」という指導をするばかりで、KKは教室にもトイレにも保健室にも、精神的にはどこに行っても逃げ場がなくなり、追い詰められていった。。。

しかし、その同級生とはもとからそんなに仲いいわけでもなく、その同級生仲間とも特に接点はなく。
KKの仲間は普段どおり、昔どおりで、お互い気にせず楽しくやっていたように見え。
私からしたら「だったらそんなわかってない級友なんて無視して、わかってくれてる友達の方がずっと多いことを支えにすればいいのに」としか思えなかったのですが。
なぜ、たった1人の同級生のネチこい否定で、KKはそんなに追い詰められた気分になってしまったのか。

これはやっぱり、私がその同級生や先生同様の考え方をしていたからに他ならないと思います。
不登校なりかけの頃なんかモロそうだったことは前にも書きましたが、それ以前から、ず~~~っと。
世の中に出れば、絶対その同級生みたいな子は当たり前にいるんだから、という恐怖感。
そして、今のままのKKだとそんな子に負けちゃうかもしれない、という不安感。
そのためには、ルールや役割をしっかり守れて、友達と明るく過ごせる強い子にならなきゃ、といった「こうあらねば」という義務感。
こうした、私が勝手に囚われてしまってる恐怖感や不安感、義務感。こういう恐怖感や不安感を、私自身が克服できていないので、おそらく日々の育児の中でKKにも知らず知らず刷り込んでいたのかもなあ、と。
そして刷り込まれた義務感に従って、KKは一生懸命頑張り。頑張っても果たせないことを、おそらくKK自身が許せず。
つまり、誰よりもKK自身が自分のことを、その同級生や先生や私と同じふうに考えてしまっていたので、「たった1人のわかってない奴が言ってること」と笑い飛ばせず、自分で自分を責めて追い詰められてしまったのかな。。。という気が。

いっくら「そんなことくらい気にするな」って言っても、それを気にしてきたのは私なんですから、KKが気にするようになって当たり前、なんですよね~;;
「ルールに沿う」のも「友達と明るく楽しく」も、単なる義務感、しかも「○○にならないため」という、本質から大きく外れた義務感でやってるだけなら、苦しいだけで意味がないですよね~~;;

これが正しいかどうかは実際のとこわかりませんが、しかしこう思い当たった以上、そこを私が(自分自身を)治していくのは意味のあることだろうなと。何より私自身が、この世を心から「そんなに悪いところじゃない」と信じたいですもん。今までもそう信じてたつもりだったけど、どっかで根っこに引きずられていた。
だからって決して、根っこに残ってる「人間=世界不信」を排除するってわけじゃなく。個人的には、これはスパイスみたいな、あるいは病気やストレスといった危険信号みたいなもんで、これはこれで重要な役割があると思ってます。これがあってなおかつ「でもやっぱりこの世って捨てたもんじゃないよ」と心から子供に伝えられるようになれたら、本物だろうなと。極端に言えば、これを子供に心から伝えることさえできれば、親の役目は果たしたと言えるんじゃないかとすら

「子供を信じる」「親が心配して先回りしない」等々の、不登校に関する金言は、単なる小手先のテクニックではなく、これを具体的に言ってるんだな~と思えます。
特に「先回り」は思い当たること多々で 先回りすることで、ほめるより注意・小言が多くなり(「だから言ったでしょ」とか)、未知のこと、ひいては未知の世界に、潜在的な不安を植え付けてたな~と。

私から見るとKKは、私なんかよりもずーーーっと、人を信じる力が潜在的にあるように思えて。
これから思春期で、それがひっくり返るかもしれないけど、これはそれこそ「KKの根っこ」として残ってほしいと願わずに入られません。

ついでに、こないだちょっとうれしかったこともここにメモ書き。
基本的に今、昼間はゲームダメという取り決めなのですが、こないだどうもKK「艦コレ」をやってたみたいで。
twitterとかで私も名前だけは聞いたことのある「艦コレ」。一応「昼間はゲームダメの約束よ」と釘を刺しつつも、「ところでそれってどんなゲームなの?」と、ちょっと興味がわいて聞いてみたりして
その中で「KKが好きな戦艦は何なの?」と聞いてみたら、なんかね、すっごくうれしそうだったんですよ
私もその顔を見てうれしかったし、「そういえば、相手のことならどんなくっだらないことでも聞きたい知りたいって、「好きな人」に対する態度その1だよなあ。忘れてたなあ」なんて、なんだか初恋時代の片思い気分まで思い出し
「その戦艦の声優が好きなんだよね~」とかのKKに関する新事実なんかも飛び出し「ゲームはダメよ」で終わっていたらきっと味わえなかった、予想外に楽しいひとときだったのでした。
しかし「ゲームはダメよ」もあまり譲りたくないところなので、ここら辺でまた私的には葛藤が生じるのですが、とりあえず不登校の金言その2「子供に寄り添う」の具体的行動としての、「子供の趣味の話を聞く。子供はすごく楽しそうに話します」というのは事実だと体感しました

テーマ : 不登校 - ジャンル : 学校・教育

スクールカウンセラーさんに会ってみた

心理カウンセリングの数日後、中学のスクールカウンセラーさんと初対面。
KKが小学生の時も、小学校のスクールカウンセラーさんとお話したことはあったのですが、その頃は純粋に「ず~っと続いてる内臓疾患系」の問題だったので、スクールカウンセラーさんにも未知のことでどうにもアドバイスできず、また私の方も「それにしてもなんかピントはずれすぎないか?」という思いが、話を聴いてるとヒシヒシとしてきて、結局その1回で終了。

以来「スクールカウンセラーさんって、それほどアテにならないのかも」という偏見がうっすらあったのですが
今回のカウンセラーさんは、私的にはその時よりはず~~っと信頼できる!と思える方でした
たぶん今回は「身体症状が出ている不登校」なので、カウンセラーさん向きの問題だったこと、一方親の方はまったく思ってもみなかった未知の問題だったこと、加えて頭はパニックで「とにかく誰かに相談したい」とがっついてる状態だったこと、などが信頼感に結びついたんだと思います。
カウンセラーさんの方も、とにかく親と子に寄り添ってくれて(「その先生は、ちょっとひどいですよ。ありえない」とか)、「ああここでは不平不満とか思うこと全部言っていいんだ」と、初回からしっかり思わせてくれたというか。

今まで、保健の先生を交えた学校との面談、心理・精神科での面談、そして今回のスクールカウンセラーさんとの面談としてみたわけですが、私の中ではそれぞれ重なりつつも役割分担があるという感じがしました。
学校の面談では、具体的に、学校ではどういう状況か、学校にどうしてほしいかといったことのすり合わせ。
心理の面談では、具体的に、家ではどういう状況か、家でどうしたらいいかという相談。
そして今回のスクールカウンセリングでは、具体的なことよりも、パニクってる親の感情を受け止めてもらうという効果が大きかった気がします。
もちろん具体的なこともお聞きしましたが、3番目の面談だったので、セカンド(サード?)オピニオン的な感じになってしまい、目新しいことは特になかったのが正直なところです。あ、でも急いで念のためですが、それはそれで重要だと思います。同じだったら「大事なことなんだ」とわかるし、もし違えば学校や病院で再度聞いて深められますもんね で今回は違うことが特別なかったという。
それ以上に今回は、親の方がまだまだ頭パニクり状態で、ちょっと話せば涙がこみ上げるという感じだったので「学校への不満とか、解決に結びつかない愚痴とか、そんなのを言って時間を取っちゃっていいのかな」ということを、学校の内部にありつつ学校とは一線を画している立場の人にぶっちゃけられたのは、胸のつかえが下りた気分でした。保健の先生とかにも、言えば聞いてもらえると思うんですが、他の仕事で忙しいだろうし、「数ある生徒や先生の中でKKの味方」という立場にもなれないから(なっちゃったらむしろ問題)、心情的にそういう人を求めるなら、もしかしたらスクールカウンセラーさんがベストなのかなと。それでうま~くカウンセラーさんと学校の間で調節していただけたりすれば、言うことなしですもんね♪

何よりこの方の雰囲気というか、とにかく子供の味方、子供を決してネガティブに見ない、というのが一本芯として通ってるみたいなとこが、KK小6時の先生を思い出して、時々目からウロコとともに、信頼できると思える方でした。
例えばこれは2回目のカウンセリング時ですが、ちょうどこのころ心理カウンセリングで決めた「1週間の振り返り(で褒めまくる)」を、KKが「もういい」「これが一番ヤだ」と、ほんとにイヤそうな顔で言い出して。
ダンナは「だってあれ褒める内容がわざとらしいもん 俺も横で聞いてていたたまれない」という評で、私も自分で褒めつつ「「灯油をヒーターに入れてくれた」なんてことを「すごく助かった」とか大げさに褒めるのも確かになあ」とか思っていたので、やめた方がいいのかなとカウンセラーさんにお聞きしてみたところ
「もしかすると、不登校のことで罪悪感があるところで、そういうふうに褒められると、素直に受け止められなかったり、かえって「こんなことくらいしか褒められない」と気が重くなったりするのかもしれませんね。KK君がそう感じてると思うと、ちょっと切ないというか」
という感じ。実際のKKの心情はわかりませんけど、とにかくKKが悲しんでること・苦しんでることを常に念頭に置いて「切ない」と思うような受け止め方が、これ以外にも言葉の端々から伺えて。「この方とも時々会って、自分の受け止め方をそのつど調整したい」と思いました。(ちなみに「でも褒められること自体はうれしいと思いますよ」とのことだったので、今んとこ「振り返り」は時間短縮しつつ続けています)

具体的な提案、例えば「保健室登校する時は、休み時間にかぶらない時間帯で行く手もあり。また事前に保健の先生に連絡すると色々スムーズかも」とか「ゲームの時間はこのままで。増やすなら「行けたらごほうび」という形で」なども色々頂きましたが、一番の成果としては「信頼できる人に色々聞ける場をまた1つ得た」という安心感でしょうかね~

というわけで次回の予約を。
しかし「一番早いところだと・・・」で、ほぼ1ヵ月後!うお~ここもか ほんとカウンセリングって、どこも混んでるんですね~

そして旅はまだ続きます この1週間後、今度は地域の「不登校の親の会」へ!
個人的には、この時の会(?)が、学校での面談に次いで、強力に印象に残ってるかもです

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心理カウンセリングを受けてみた

2月初め、1ヶ月前から予約していた心理カウンセリングがありました。
このカウンセリングは以前、欠席が増えてきた2学期頃にも1度受けたことがあるので、先生とはママKKともにすでに顔見知り。(その時はKKの症状がその後軽快してしまったので、そのまま終了)
第一印象は穏やかな若いお兄さんという感じで、しかもKKとか子供に非常~に丁重な態度。ソーシャルワーカーさんも、「あの先生なら知ってます。若い男の人同士ということで、KK君も色々話しやすいんじゃないかな」とオススメだった先生です。
私としては今回もぜひKKと先生が話し合って、専門家である第3者の視点を知る機会を持って欲しい、というか単純に「信頼できるお兄さん」と定期的に会える機会があるのはいいことだ、と思っていたのですが、今回はKK断固拒否!!
「なんでカウンセリングなんか受けなきゃいけないの」
「精神科なんて行きたくない」
「話すことなんてなんもない。ていうか話したくない」
前回はそこまでの拒否感はなかったように見えたのですが(まあ前回も喜んで行ったわけではなかったけど)、どうも今のKKには、「自分の不登校について語ること」および「精神科」「カウンセリング」といったレッテル(?)が非常~~~に苦痛らしく。
精神科って別に特殊な病院じゃなく、単に「足の怪我」「胃の病気」「心の不調」みたいに、病院のジャンルがそれぞれ違う中の1つなだけよ。パパも同じとこ通ってるし。ていうかKKのカウンセリングは「精神科」というより、思春期メインの「心理相談」だから、もっと軽い気持ちで受けていいのよ。世の中色んなとこに色んな専門家がいて、あっちに倒れかけたらあっちにいる人にちょっと支えてもらって、こっちに倒れかけたらこっちの人に・・・っていう感じでさ。
等々言ってみるも、KKの拒否感情はおさまらず。小児科から精神科へ移動しながら、病院の壁を殴る蹴るなんて暴動まで表れ、あ、こりゃほんとに無理だなと。
カウンセリングの先生も、そこら辺はよくわかっていらっしゃって「じゃあKK君はここで待っててね」

で、私だけ受けました。
まずは今までの経過&今はどういうふうに過ごしているかをざっと話し。
これから、というか今日この時からどうしたらいいのか。自分がハイハイ覚えたての赤ちゃん気分だった私としては、「この時は手をこう動かして」「足をこう曲げて」といったレベルで教えて欲しいことが、1日の中でテンコモリ状態だったので、色々聞いて色々提案をいただきました。
昨日あたりから挫折しそうになってる「予定表」については。
「先週から始めて、今週から2週間目ですね。今週だけもう1週続けてみてください。というのも、1週間くらいたつとどうしても「中だるみ」の時期が出てくるんですよ。そこを乗り越えると定着する場合もありますから」
けど起床も遅くなって、もはや予定表の意味は午前中ナシ。それをまた続けようとハッパかけることで、あんなふうにキレたり、また頭抱えてうずくまるようになったらツライ(私はルールがあると、とにかくそれに従おうとしてしまうので、続けるとなったらまた朝からKKを怒り続けることになりそう
「お母さんとしては、最低限どれくらい、KK君が勉強していたらOKですか?」
う~ん2時間、いや1時間かな?ほんとの本音を言えば時間割どおりだけど、最低限1時間でも勉強してくれれば・・・
「じゃあそれだけは約束ということで、そこは譲らない線にしましょう」
それならKKも私も、なんとかいける・・・かな?

他にも、ゲームの時間は1時間半等、学校と決めたことも再確認。
「いっそ「朝ゲームしていいよ」の方が、朝起きてくるのかなとか。昼間もいっそ「ゲームでも何でも、好きなことを好きなだけ」の方がいいのかなとか迷っちゃってて」
という私の疑問に、先生はキッパリ「無制限のゲームはダメです。依存症や昼夜逆転になりやすいから」
ややややっぱりそうなのか 不登校本には「ゲームでも何でも好きなことを好きなだけ。昼夜逆転なんてキニシナイ!学校や仕事に行き始めれば治る」とあって、「それもアリなのかな」と思いかけていた私、専門家に直で言われるとコロッと翻っちゃうあたりが、ほんともう「どうしていいかわからない」ぶりです

余談ですが、幸いKKも「学校行ってないのに昼間ゲームしちゃダメでしょ」と自分で言ってる優等生ぶりなので、今んとこゲームは夜に決めた時間のみです。(しかし一度「これだけ」ということでパソコンで動画見ることを許可したら、それ以来昼間は圧倒的にパソコンに向かう時間が増えてしまいました
KKが上のように優等生ぽいこと言うのは、根がマジメなのと、不登校という今の状態を「悪いこと」と思ってることと、親の意を先回りして汲んでることe.t.c.等々があるのかなと思うんですが、これらも不登校本だと「それこそが不登校になった理由」であり「軽減・払拭すべきこと」であるという感じに書かれていること多々です。
しかし個人的には、それには一理あると思いつつも、「でもそういう感覚は持っていて欲しい」とやっぱしどっかで思ってしまってるんですよね。「そんな「学校行ってない」なんて気にしなくていいんだから、ゲームもバンバンやれば」と自信もって言ってあげたい気もするけど、そこまで腰が座ってない、この自分のどっちつかず加減に、自分で困ってます;;

さて先生から新たに出た案としては「1週間を振り返る」
「1週間を振り返る時間」っていうのをKKと一緒にキッチリ取って、できたところ・よかったところを挙げる、ほめる。そうして自信をつける。認められていると感じさせる。
「ほめる」というのは、不登校本でも不登校サイトでも学校の話し合いでも、かならず共通に出てくることなんですが、しかし改めて、意識してやってみようとすると難しいんですね~~!今まで決して、ほめてなかったってことはないと思うんだけど、意識してほめるとぎこちないというか、空々しいというか。いっそ「よその子」と思った方が、私の場合ほめやすいのかもしれん;;

ほめる際、先生から出されたアドバイスとしては
「結果より経過をほめるのが大事」。頑張った結果じゃなく、頑張ったことをほめるということですね。
例えばこれは2回目のカウンセリング時でのことですが、こないだ7時半に起きてきたものの結局10時までリビングで寝てたということを話して「そんな感じで朝起きられなくて~」と言ったら、先生すかさず「7時半に布団から出られたってのがすごい!それは振り返りの時にでもぜひほめてください」と。
(しかしKKが平日、普通の時間に起きてたのはそれ1回きりで、ほめたからって早く起きれるようになったってことはないですけどね
あと「短く端的に」。私とかついつい、ほめた時に「こことここは悪かったけど、ここはよかった」とか、「いつもこうだと最高」とか、「じゃあ次回も頑張ろう」とか、余計なことまで言ってしまいがちなんですよね 確かにこれじゃ、ほめてるんだか暗にけなしてるんだか、あるいはプレッシャーを与えてるんだか、わかりませんね;;

他にも色々あった気もしますが、とりあえずこのカウンセリングで印象に残ったのは「1週間を振り返ってほめる」「ネットゲームは依存症になる」「昼夜逆転は好ましくない」の3点でした。正確には「という信念をこの先生は持っている」とわかったというか。

ちなみに今現在、KKの1日は、絶対動かせないのは、夜の自己学習1時間、夜のゲーム1時間半のみ。
あとは基本フリーですが、夜の時間以外のネトゲは禁止 ニコ動でもyoutubeでもネットを見るのはかまわないけど、ゲームはやめてと(ただしUと2人プレイでプレステとかやるのはOK
この基本形は、この時できたと思います。

という感じで、みっちり1時間くらいカウンセリングしていただき、外に出て「KK君お待たせ」。
子供の目線に背をかがめて、さらに「お待たせ」と言いながらKKに頭を下げるのに、わ~プロだな~という信頼感が。
「次はKKも一緒の方がいいんでしょうか?」と、絶対ヤダと首を振ってるKKを横目にママが聞いてみると「もしKK君が来たかったらおいで」と、あくまでKKに向かって。さらに「お母さんがカウンセリング受けるのはいい?」と。へ~~子供にも確認するのね~~
最後に、「じゃ、KK君今日はありがとう」と上体を120度くらいに最敬礼して見送る先生。なんかすごいわ、プロだわ。

というわけで、次回の予約を入れて、今回のカウンセリングは終了。
しっかし「なるべく早く予約を入れた方がいいですね」ということで取れた予約が2週間後って、心理方面のクライアントっていっぱいいるんですね~~!(そういや小児科の先生も、「小児科はわりといつでも予約取れるけど、心理は人気あるので予約急がないと」って言ってたっけな~

そして1日おいて、今度は中学のスクールカウンセラーさんとお会いします
(続く)

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不登校親はパンダで泣く(T▽T)

今回はちょっと番外編って感じで。

さて1月後半は泣いてばかりだったことは前に書きましたが。
このころは、それまで普通に見てた本や映画でも、思わぬところで泣いてしまうこと多々でした。
ある日の夕飯時なんか、「今日はこれ見よう」とKKがセットしたDVD「カンフーパンダ」で、ママまさかの号泣
もちろん心の中でですが、しっかしいったいカンフーパンダのどこに号泣ポイントがあるとゆうのか  いや映画自体は良質アニメだし、DVDを買うくらい家族で好きな映画でもあるのは確かですけど、「泣ける映画」では決してないコメディで、しかももう何度見たかってくらい見返してる作品なのに

たぶんそれだけ情緒不安定だったんですよね~
今まで、自信まで行かずとも、なんとも思ってなかったこと・無意識に正しいと思ってたことがすべてひっくり返されて、自分の中の判断基準みたいなもんがすべて「それじゃダメだ」とリセットされた状態にあったこと、そういう「指針を失くした」状態から来る、不安・恐れ・自責e.t.c...心の中はそれしかなくて、なんとかそこから抜け出したくて、あらゆるものから答えを得ようと、見るもの聞くものすべてを無意識かつ具体的に自分と結びつけて、心を揺さぶられていたんでしょう。

私がパンダで思いがけず号泣したシーン。それは亀仙人=ウーグェイ導師が亡くなるところです。
「内なる平和、内なる平和」と唱えながら座禅を組んでるシーフー老子からそのシーンは始まります。
この、悟りを得ようと座禅を組みつつ、どうしても悟れないシーフーの姿からして、「受容と共感、受容と共感」とお題目を唱えてるだけで、その境地に行き着けない自分とかぶって、既に身につまされてるのですが
(ちなみに「受容と共感」とは、問題を抱えてしまった子供、いやもしかしたら広く「子育て」に対する重要キーワードです)
そこに弟子から「敵が襲撃してきます」との知らせが!
シーフーがあわてふためいて、「悪い知らせです」と師匠であるウーグェイ導師の元へ駆けつけると、導師いわく
「「知らせ」は知らせ。良いも悪いもありません」
そういや「不登校」だってそうだよなあ、と思ってたら、「いや悪い知らせです。ヤツが町を襲おうとしています」と食い下がるシーフー。
それに対しウーグェイ導師は
「それは悪い知らせですね。君が竜の戦士の力を信じないならば、ですが」
こ、これはまさにママと不登校KKのことじゃないか!
KKはいつか自分で自分の道を見つけていける、その力を持っているとママが信じきれてないから、「不登校=悪い状況」とオロオロしてるんであって。
この導師の口調がまた終始穏やか~で、時に引いて、時にアップで語りかけられると、先述したような心境でいる人間としては、直接教えを受けているような気になっちゃうんですよね
「パンダ!?あれは竜の戦士なんかじゃない、偶然です」
「偶然などない、すべては必然です」
うんうんそうだ、今の不登校だって必然だもんな~。それまでの色~んな積み重ねの結果だもの。
と、頭がすっかり「不登校」モードになったところで、さらにダイレクトに迫ってくるウーグェイ導師。
「今のままでは、君も、竜の戦士も、運命を全うできませんよ。人を支配できるという幻想を捨てない限り」

ここら辺からもう涙腺決壊。

「例えばこの木です。私の望むように花を咲かせたり、実をならすことはできません」

「できることもあります!こうやって実を採ったり(と木を揺らして実を落とすも、その実が反撃するかのようにシーフーの頭を直撃)、種を自分の好きな場所に植えることだってできる」

「ですが、君がどうしようと、その種からは桃しかなりません。どんなにリンゴやミカンを望んでも」

「・・・桃では敵を倒せません」

「きっと倒せますよ。君が心から信じて、育ててやれば」

「方法は!?どうすればいいんですか。お力を貸してください!」

「ただ、信じればよいのです。約束してください。きっと信じると」

うお~~~んおんおん、うお~~~んおんおんおん
と、声を出して泣いたわけではありませんが、あの時はもうほんと心の中で号泣状態でした
なんでか涙が止まらなくて止まらなくて。

たぶん、自分でも心の奥の奥ではわかってたことが、画面から思いがけず語りかけられた動揺、及び奥の奥ではわかってたのに、実際は全然わかってなかった、そのことをわからされたっていう動揺がすごかったんだと思います。加えて、そのシーンの音楽につられたとか、先述したように、自分の基盤みたいなのが崩れてて、必死に救いを求めてる心境だったんで、言葉の一つ一つがものすごいパワーを持って響いたとかね

おそらく「洗脳」って、こういう時にこういうふうに効果を発揮するんでしょうね~。「新興宗教」とか「自己開発セミナー」みたいなやつとか。
偏見かもですがそういうのって、救いを求めてる=「それまでの基盤が崩れて、自分では判断できない、心の防御すらできない」状態の人を、単なる洗脳ターゲットと見なして近づいてくるのがヤ。さらに言えば、洗脳するために「それまでの基盤を無理やり崩して、心の防御を強制的に剥ぎ取る」ことすらしそうなのが激しくヤ。どんなにうまいおためごかしを言ってたとしても、その根底に「人を支配したい」という欲望をビシバシ感じるからヤなのよね。

しかし、それほど「人を支配する・される」ということに拒否感持ってる私が、自分の子には無意識にそうしていたということ。
しかも「無意識に」と言いつつ実は「心の奥の奥では(「パンダ」で泣いたように)わかっていて」「あくまでも親としての責務や善意のつもりで」「支配しようとしていた」ということが。。。

念のための言い訳ですが、私はKKに対して「いい学校に入れ」とか「エリートになれ」みたいな野望を持っていたわけじゃ全然ありません。
成績なんてどうでもいいと思ってたし(まあ良ければ良いに越したことはないし、テスト前とか、勉強に「努力して取り組む姿勢」を要求していたのは確かですが)、職業だって、それで食べていけてKKのやりたい仕事なら何でもいいと思ってたつもりです。つもりっていうのは、将来「それで食べていけて」と「KKのやりたい仕事」の間に誤差が出てきたら、「それで食べていけて」の方を私は押すかもという
けど、少なくとも大事なのは成績や職業なんかよりも、私みたいに人とうまくやれなくて、人間不信に陥って、社会不適応一歩手前みたいな、そんな暗黒の青春を送らないこと!すなわち「明るくて、コツコツ努力できて、人に好かれて」的な、そういう人間になって欲しい!
それだけは確かだったし、それが何よりも優先順位の最上位でした。そして、こう願うのは「親の愛」ゆえだとも。
だってぶっちゃけ言えば、他人の子がどんな人間になろうとかまわないもの でも自分の子が自分みたいに歪んだらきっと辛いだろうと思うにつけ、自分みたいになりそうな芽は、芽のうちにつんでおきたい、そうして「あるべき理想の子」になれば、この世はKKにとってきっと幸せな世界になるだろうという。
その点、私はエリートやらを育てたいわけじゃなかったけど、「自分が大学行けなくて苦労したから、お前にはいい大学に入ってほしい」とか「子供の頃家が貧乏で悲しかったから、お前は金持ちになれ」といった親とまったく同類なんですね。そしてそれは、よく言われる「親の見栄」や「世間体」あるいは「子供を使った自己実現」とかじゃなく(百歩譲ってその要素があったとしても、その優先順位は低い)、あくまでも「子供には幸せになって欲しい」という、わりと純粋な「親の愛」の一種だと、今でも思ってます。だから「愛情」ってこわい、とも。

しかしどんなに桃をリンゴやミカンにしようとしても、桃の種から育つのは桃。KKはリンゴやミカンじゃなく、ましてや昔の私なんかではハナからなく、KKという桃なのに。
「自分の子」というだけで桃と自分と同一視するあまり「桃じゃ社会に負けてしまう」と思い込み、リンゴやミカンにするのが親の愛だと信じて、結果的に桃を否定し。。。

「きっと倒せますよ。君が心から信じて、育ててやれば」
「ただ、信じればよいのです。約束してください。きっと信じると」

ここら辺はもう1回、自分のためにもっと詳しく書いて頭を整理するつもりですが。
ともあれ、今まで何回も見た「カンフーパンダ」なのに、こちらの状態によっては思わぬ号泣を呼び起こすっていうのは、「いかに普段の状態は心が防御状態で、良くも悪くも色々感じなくて済むようになっているか」を体感するできごとでもありました。
と同時に、「いい作品てのは、例えば「不登校」とか今抱えている問題そのものが描かれていなくても、必ず普遍的なことが描かれているから、いつ誰がどこで見ても「いい作品」なんだな~」「その良さが、こちらの状況によって見えたり見えなかったりするんだな~」なんても思ったり。
(けどたぶん、いい作品というか「好きな作品」って、その時はそこまでダイレクトに見えなくても、防御されてる心の深い部分にどっか引っかかるから「いい作品」「好きな作品」と思うんでしょうね~)

ちなみにこの時期、それまで同じように何回も読んでいたはずの「赤毛のアン」や「海街ダイアリー」などでも、同じような体感を得ました
いや~「赤毛のアン」とか、だてに100年残ってませんね 時代も環境も文化も違うのに、そこに描かれている、親子関係を成り立たせるための「愛情」その本質は、まさに普遍で。(マシュウなんてまさに、「受容と共感」「子供をただ信じる」を体現している!)
うちはモロ、マシュウ=ダンナでマリラ=私かな~と思うのですが、大きく違うところはマリラが「愛情って何?こわい」なんて思うことなく、自分でも気づかずに「愛情の本質」をガッチリ持ってる人だってことだな~と。
そうそうそのほか、不登校や受験、広がる未来とその挫折などなど、描かれたネタも内容も現代に通じていることに、何度も読んでたのに初めて気づいて、今更びっくり~!(アンって一時不登校児だったんですね ついでにその時のリンドおばさんのアドバイスも、現代と同じ)

「海街ダイアリー」は吉田秋生のマンガで、「パンダ」同様、直接不登校について描かれてるわけじゃないのですが、「家族」ひいては「人間同士」の関わり合いについて普遍的なことが、読めば読むほど全編からにじみ出るという感じで。特に何でもない会話ひとつ取っても、私には「正しいコミュニケーションのありかた」を教えてくれるように思えました。「バナナフィッシュ」や「夜叉」みたいな派手さはないので、これまた私が普通の状態だったら、スケッチを眺めるようにサラ~ッと読み終わって「ああいい話だったね」で終わってたと思いますが(実際、雑誌で読んだ時はまさにそんな感じだった)、今は1ページ1ページ、スルメを噛みしめるように読んでる感じです

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学校との話し合い

1月後半、KKが初めて保健室登校した次の日、ソーシャルワーカーさん、担任の先生、保健の先生、私による4者面談がありました。
私にとっては、不登校について(個別に話すことはあったけれど)外部の人も交えてきちんと面談するのは初めてのことで、緊張しつつも、この日を首を長くして待っていたって感じでもありました。

まずは、先日ソーシャルワーカーさんにお話したこと、すなわち去年から今までの経過を、ここで再度皆さんにお話して、共通見解を持ち。
そこから、今後どういうふうに行動するか、皆で案を出し合って決める。
という感じ。

今までの経過を聞き終わった保健の先生「KK君はマジメなんですね~~~」
とにかく頑張ろうとする、頑張ろうとしすぎてしまう。昨日の保健室でも、休み時間も取らずに自習してましたよ だから疲れちゃうんですよね~
今まで私が漠然と「サボリ」と思ってたところを、「そうじゃなく逆にマジメすぎるんだ」という見方を一発でしてくれた保健の先生、私はこの方とひざ突き合わせて話すのはこれが初めてだったのですが「あ、やっぱし信頼できる人かも」と。

ソーシャルワーカーさんは司会&各案の補強という感じで、私はこのころ「朝起きてから寝るまで、何をどうしたらいいか逐一教えて欲しい」状態、担任の先生はアテにならずなので、必然的に保健の先生がこの面談の大黒柱に。
で、保健の先生&補強としてのソーシャルワーカーさんが出してくださった提案は、これ。
「1日の予定表を作る」
あ、大前提として「1日1回1分でもいいから保健室に立ち寄る」というのはありましたが、これは親が「行け行け」というのではなく、本人しだいなのでちょっと横に置き。
まずは、朝起きてから寝るまでの予定表を本人が作って、それに沿った生活をする。
ただしその際くれぐれも気をつけるのは、絶対に可能な予定表を作ること!!!
「この時間に起きた方がいい」とか「これくらい勉強しなきゃ」という考えで作るんじゃなく、本人が「これならできそう」と思える予定を。
なぜならこれは、学校を休んでてもだらけず、決まりどおりに生活を送るとかそんなためじゃなく(それもなくはないですが)、何よりも本人に「達成感」を味あわせるためのものだから。
「できた!と思える経験を積み重ねて、本人が自信を積み重ねるのが目標」
「親はとにかく、できたらほめる。何でもいいからほめて、自信をつけてあげて」
「親の方がやることを押し付けないで。本人が自分の決めた予定表で、自分で行うのが大事」

いきなり出された「予定表」というのがよくわからず、具体的な書き方について疑問をぶつけまくるママ。それはどれくらい細かく作るのか?その日の朝作るのか寝る前に作るのか?勉強は科目ごとか?ゲームや読書なども「○時~○時まで」といった具合に予定を決めて行うのか??
「基本的には、昼間は学校の時間割どおりでいいんじゃないでしょうか」
学校に行ってた時、夜はず~っとゲームだったんだけど、この時間はどうしましょう?
「それは多すぎ。ゲーム1時間、宿題=自己学習1時間半にしましょう」
それは押し付けにならないかな?KKが素直に聞くかな??
「本人がイヤと言ったら、そこは話し合いで変更しても可。例えば「登校できたらご褒美に30分延長」といった方法もあります。本人が私(保健の先生)と話し合って決めてもいいですよ」
「本人がヤなことはヤと言えるようになり、じゃあどうしたらいいかを周りと話し合って決めていけるようになるのも重要な勉強。KK君は今までイヤと言わずに抑え込んできたんじゃないかな」
「予定表はルールとして縛るものではなく、あくまでも本人が「達成感」を得るためのものであり、自分の生活を自分で作っていく「自律」のための練習だから」
なるほどなるほど。特に「ヤなことはヤと言って、じゃああどうしたらいいか周りと話し合って決められるように」というのは、個人的にすっごくいいな~~~と。私自身が若い頃は、「意見が対立した時は極力自分の意見をひっこめて、波風立てることなく収めるべし。それが相手を尊重することだ平和主義だ」という、とんでもない間違いを真実と思い込んでたあげく、人嫌いになっちゃったって感じだったので、KKには絶対そんなふうにならないでほしい!「自分と違う人間との、意見のすり合わせ」はスキルがいるので、今のうちから場数を踏んで身につけないとだしね。
しかしそれを親がやると、今はまだどうしても「結局はKKへの意見の押し付け」になっちゃいそうだし・・・例えば予定表ひとつ取っても、それが表どおりにやれなかった時はどうしたら?「やりなさい」と怒ったら、それはまた押し付けになりますよね~
「そういう時は保健室に電話下さい」
えっそんな簡単に電話しちゃっていいんですか!?
「わからない時はいつでも連絡下さい」

先にも書いたとおり、このころはほんとに「今この時、どうすればいいのか!?!?」という状況がほとんど毎時間おきってくらい、「五里霧中」な心境だったので、「いつでも連絡可」はとっても大きな救いに感じました。もっとも実際は、「そうは言っても忙しいだろうし」と遠慮しちゃってあまり電話できませんでしたが、そう言ってもらえただけで、なんか「もしもの時はここに命綱がある」と安心できたというか。

というわけで、基本は「予定表」。登校刺激は親はせず、来週も休んでるようだったら保健の先生&担任の先生が来宅してくださる、ということに落ち着き、面談終了。
それまでの色んなことや、これからの方針、KKがあんなこと言ってたこんなことしてたそれにどう対応すればいいか等々、大から小まで色々話しあったのは初めての経験で、ほんとによかったです。

ほとんど口を挟まず(挟めず?)ただ座っていた担任の先生も、最後に「こないだと今日、こうしてお話を伺えてよかったです。KK君を誤解していたことがよくわかりました」と言ってくださり。
私も、こうした面談は初めてでしたが、KKが不登校になって以来、今までの判断基準みたいなのがすべて崩れて、ひとつひとつの言動を覚えている真っ最中の赤ん坊になっていたように思っていた自分が、ハイハイしながらここにたどり着いて、広げられた命網の中に、何も考えずに思い切って飛び込むような、「相手への無防備な信頼感」みたいなのを、生まれて初めて体感したような気分でした。

そして次の週。
KK休みっぱなしにつき、週の半ば、保健の先生と担任の先生が約束どおりご来宅。
保健の先生の明るく元気な説得で、その次の日は保健室登校したものの、以後ずーっと休み。
その後も来宅してくださったのですが、どうもKKは保健の先生も苦手みたいで
ダンナいわく「いい先生なんだけど元気良すぎるっていうか、あのズカズカ入り込んでくる感じが苦手なんだろうな~」 へ~~私は回を追うごとに「ほんとにこの先生は行動力と配慮をあわせもった、信頼できる人だなあ」という信頼感が増していたので、意外と言うか、難しいものね~~~;;
2度の来宅時は、言われたことに「はい、はい」と返事するだけで、「それはできない」とか「したくない」なんていうところから始まる「話し合い」には至らず。唯一「それはどうかな」という感じでちょっとだけ問い返してたのが、前に書いた「20%できれば」のところで(最終的には保健の先生の説明に「はい」と言ってましたが、)後にダンナに解説してもらって「ああKKはそこが引っかかってたのか」と。
一応「1日1回は学校に顔を出す」という目標もあったので、「すみません今日も行けなくて」「いえいえ無理強いはさせないでくださいね。今KK君電話に出られますか?」という保健の先生とのやりとりは毎日あったのですが、KKは保健の先生だろうと担任の先生だろうと、電話には頑として出ず。これじゃ保健室登校も無理かな~~~

ちなみに保健の先生は、なんとご自身も「元不登校児の親」だったそうで(「説得力があるのはそのせいなのかなあ」とダンナもしみじみ)
中高時代は対人恐怖症・視線恐怖症のような状態だったそうで、「10年くらいかかりましたよ」とおっしゃってました。
今、そのお子さんはなんと接客業についてるそうで すごい!素晴らしい!こういう話を聞くとほんとにうれしくて泣けてきてしまいます 今の状況がすべてじゃないんですよね~~

ところで肝心の「予定表」は。
話を聞いただけで、具体的に予定表を見ながら「こういう書き方を」と指導を受けて始めた予定表じゃないので、果たしてこれでいいのかどうか、わからないままでしたが、とにかく4者面談の次の日からさっそく始めてみたものの。
始めて3日くらいは、保健室登校した日も含め、予定に沿って生活していたのですが、その後は1度起きたものの昼まで起きず、ダ~ラダ~ラ。その次の日は起きて勉強始めたものの、休み時間にほ~~んの30秒で終わる用事を頼んだら「今休み時間なのに~~~~!!!」とキレて、その後久しぶりの、頭を抱えてうずくまるポーズが復活してしまい。
「ああこれもストレスになってるのか」と、ママも暗澹
たぶん、「不登校」という、それまでの指針が崩れた状態で、新たにすがれる指針が「予定表」になっちゃったんですよね。KKにとってじゃなく、ママにとって。
一応、予定表を作るのはKKで、ママも予定表通りできればほめてた(つもりだった)し、「これはKKが達成感を感じるためのプログラムなんだ」と、頭ではわかってた(つもりだった)んだけど、私の中ではいつのまにか、それ以上に「学校行ってなくても、こうして時間割どおりに勉強してるんなら」と安心するためのツール、及び単なる「新たなルール」になっちゃって。
そのルールを得て、たとえ不登校でも予定表に沿っていればOKと、やっと思えた状態のところで、またそれが崩れて、ああもうどうしたらいいのか。
ウツ病ダンナは「予定表で1日勉強ってのもどうなのかな~。基本は好きなことしてた方がいいんじゃないのかな。そうしないといつまでたっても元気が出ないんじゃ?」と言っていて、しかし私の信頼する保健の先生が出してくれた案が予定表だし、いったいもうどうしていいかわからない

ちょうどよく次の日が、これまた待ちかねていた病院による心理カウンセリングの日だったので、この予定表のこと及びそこでキレられてこれからどうしようというのも、カウンセリングに持ち込むことにしました。
(続く)

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