なんだかウヨサヨな八重の桜

八重の桜・第39話は、正直「この話をどう受け止めたらいいのかわからない」という感じでした。
しかし「どう受け止めようと私の自由で正解はない」という信念のもと、感想を書いてみたいと思います。。。

なんでこの話が「どう受け止めたらいいのかわからない」になるのか。
卑小な例で言えば、私の中のウヨとサヨが戦ってるって感じだからだと思います。
ウヨとサヨってあくまでも例ですけど、端的にわかりやすく現れるのはやっぱり先の戦争、すなわち日中戦争も含めた太平洋戦争の受け止め方ですよね。サヨ=戦争嫌い、ナショナリズム嫌い、日本は加害者でもあるe.t.c.みたいな。
で私は基本的にサヨなのです。いくら日本は日本で必死だったと言っても、中国や韓国から見たら「それはお前の事情だろう。こっちは単に迷惑なんですけど」であって。今子連れvs.非子連れの論争とかが頭に浮かんでますけどそれはさておき。
そういう「日本は加害者でもある」という視点は、忘れちゃいけないなとかねがね思ってました。それがないと独りよがりになってしまうし、同じことを繰り返す可能性も高くなるだろうと。

だから八重ちゃんが「あなたのお父さんを殺しちゃってごめんなさい」と土下座するのは、サヨとしてはアリでした。大アリでした。だってベビーカーがいるから狭いとかのレベルじゃなく、死んでるんですもん 同じように、日本の勝手な理屈で国を踏みにじられた中国や韓国には、日本人としてほんと申し訳ない気持ちでいました。

しかし3.11以降、私の中で一部ひっくり返っちゃったとこがあるのです。「日本人として」ってとこですけど。
ここら辺は、前にもちょろっと書いたのでここで長々やるのはやめときますが、要は
「私が「申し訳ない」と本気で思ってたつもりだったのは「日本人として」じゃなく、「自分とは関係ない昔の日本人がやったこと」だから、大した痛みもなく「悪いことした」ってオリコウサンに思うことができただけなんじゃないか。自分が当時の日本人だったら「こっちだってあんな目に遭ったのに、この上なんで「日本は加害者だ」とまで言われなきゃいけないのか」と、悔しさ無念さが先に立って、心情的に納得いかなかったかもしれない」
と、その悔しさ無念さなどを含め初めて実感として思ってしまったということです。もっとも昭和2年生まれの父&昭和7年生まれの母は、揃って「やっぱ日本は悪いことした」と思ってましたから、自分が当時の日本人だったらどう思ってたか、やっぱりわかりませんけど。

私の中ではこういう心情は「ウヨ」に分類されてます。そして今回の話はまさに、そのウヨとサヨのせめぎあいを喚起させるものだったんですよね~。
だってこっちだって、おとっつぁまや三郎を、その薩摩兵に殺されてるかもしれないんですよ。しかもそっちが会津に攻め込んで来たんじゃないの。勝手に攻め込んできて皆を殺して、そんで「殺された」って言うなら、攻めてくんなよ!

自分に関係ない、遠いとこならいくらでも理性を働かせて言えるサヨ言説とは違い、ウヨ言説は情念100%です いやこれはウヨへの偏見かも サヨだって自分に近ければ近いほど被害者意識全開ですからね~。元々被害者=弱者意識が強いからサヨになるんですし。
それはともあれ、こういう心情が一方にあるので、八重ちゃんの土下座は「どう受け止めたらいいのか」でした、賛同と拒否がないまぜで。
こういうのって、どちらの立場にシンパシーか、それによって真逆な感想になっちゃうんですよね、どちらが正しいとかそういうわけじゃなく。そんで往々にして、そのどちらも自分の中にあって。

余談ですが、その後の「いつまでそんなことしてんだ」っていう八重ちゃんのタンカもね~;;「早く元気になって私に報復しろ」というタンカそのものはよかったんだけど、土下座の後だったから感慨半分です。「いつまでそんなこと」って土下座するほど悪かったと思ってる人が言うことじゃないだろうと もちろん「わざとそういう強いこと言ってハッパかけてる」ってシーンなのは、頭ではわかりますよ~~。けど、せめて薩摩の女学生にカミングアウトされた八重が、裏では自分の罪を神様に祈っていて、だけど女学生の前ではそんな懺悔のそぶりも見せずに強気、とかなら「わざとだ」というのがよ~く伝わったと思いますが、あれじゃ逆ギレにしか見えませんでした、私には

そう、キリスト教の扱いもね~~~。なんでここでせっかくのキリスト教を出さない!?八重ちゃんの罪の意識を描くのに、これほど最適なもんはないじゃないか、と、それも残念で仕方ありませんでした。たぶん八重ちゃんが改宗したのは、ジョーと同じ宗教にっていうこと以外に、きっとそれもあったと思うんですよね~~。まあドラマでは、加害者・八重と被害者・リツをともに慈しむ佐久がそこを受け持ってましたけど。

しかも2人(というかリッちゃん)やけにあっさり和解しちゃうし。言ってることはいちいちごもっともなセリフで、かつ個人的にこういうのはすごく好きなテーマなので、それだけに、セリフが書き割り感満載で、さらにそのセリフですべてを説明→そのセリフで納得する登場人物という、説得力まるでなしな展開だったのが、残念でした 時間がないから仕方ないのかな??
(だからと言って「会津編が長すぎた」とは思いません。あの会津編あるからこそ今の展開を残念にも思うわけで、純粋に「時間が足りない」という感じです。しかし1年間のドラマを「時間が足りない」と思わせるのは大したもんだと)

史実どおり、八重が薩摩の学生を招かず、それまで八重の理解者だったジョーさんとも思いっきり喧嘩して(ジョーの理解が、サヨ的にどっか遠いところで止まっていたというのもよくわかる)、色んな葛藤の末、八重がその恨みつらみを乗り越えて薩摩の学生も家に招くようになる、という話が見たかったとつくづく思います。だって今までジョーの要求にはほとんど逆らわなかった八重さんが、初めてこれでジョーと大喧嘩するんですよ~!それだけ八重さんの中で大きかったってことなのに・・・創作が史実に及ばない歴史ドラマほど、がっかりするものはなし
(「清らにたかく」では、その辺がしっかりと、頭ではわかっているのにどうしても薩摩の学生を家によべない八重の苦痛までも描かれていたんですけどね~)

あ、山川はよかったですね♪ 「会津の気持ちがおわかりいただけたかな」っていう。
やっぱり「贖罪」とかって、ほんとのところは、同じ地平に立たないとわからないってとこが絶対的にありますもんね。。。「同じ体験をする」じゃなくて、「同じ地平に立つ」(ただし同じ体験をした方が同じ地平に立ちやすいということはあると思いますが。また同じ地平にいない、わからないからこそ力になれるっていうのも、多々あるとは思いますが)。一番欲しいのは謝罪とか賠償とかそういうことじゃなく「おわかりいただくこと」なんですよね。そうしてやっとスタート地点だっていう。でさらに言っちゃうとサヨってわりとこういう時「わかったつもり」になりやすくて。(一方ウヨは「そもそもわかるつもりはない」みたいな。え?偏見?

今回の話を見ながら一番思い出したのは、おそらくサカキバラ事件を下敷きにした「アイシテル~海溶~」というマンガでした。被害者の母と加害者の母が、まさに「海溶」するまでを描く、とっても読み応えあるマンガで(確か照姫さまによるドラマ化もされましたね)。
個人の、しかも少年事件と、内乱・戦争という国家的事件という違いはあるにしろ、今回の八重の桜は残念ながら、このマンガほどの「海容」は描かれてなかったと思わざるを得ませんでした。。。

熊本の女学生たちは「うわキッツ~」でしたけど「青春」って感じもするのが救われてました。しかし「マナーなら」でいきなりなぎなた始めちゃうのはナイわ~~ナイナイ 「まずはうちとけないと」って八重ちゃん、うまくいったみたいな顔してるけど、全然アリス先生打ち解けてないから!むしろ怒ってるから!そりゃ怒るわ
余談ですが、剣道部だけど礼儀作法はまったく身についてないKKいわく「剣道はなぎなたには勝てない」んだそうですヘ~~ なぎなた=女子供がやるというイメージがあったんですが、意外と戦闘力あるのね~!
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神回だった第38話

今回の「八重の桜」は、あまり簡単にこういう言葉を使うのは憚られるのですが、あえて言おう!カミであると!(ギレン?
もちろん個人的な、おそらくどっぷりと会津目線に漬かって見ているがゆえの「神」感想だと思いますが 篭城戦の回以来、久々にBSと本放送、二度見してしまった回でした
まあ戦争話でもありますしね。生き死にに関わる話って、ドラマチックな緊迫感を作りやすいし。人が死んでくとこって見ちゃうもんなあやっぱし

まずはちょこちょこと印象に残ったところを。
木戸から発せられる「賊徒は討たれなければ」。感慨深いですね~。
西南戦争って私的には「会津を滅ぼした側が、会津と同じように滅ぼされた戦争」としてしか知らないのですが、反町巌によると「親兄弟が敵味方に分かれて戦っている」状況だったとか。ある意味、会津戦争より辛い戦争でもあったんですね;;しかも負けた側だから辛酸をなめるってんならともかく、勝った側なのに・・・ですもんね。

この西南戦争に際し、「やっと仇が討てる」との思いしきりなのはもちろん、会津藩きってのやんちゃトリオ、すなわち山川・佐川・斉藤。
この時山川が書いてた「薩摩人~」の旗は、会津武家屋敷にあるそうですが(私は未見。というか記憶ナシ)、モロ山川~って感じの字でしたね 「八重の桜展」で山川の書を見た時の、「まんまるっこくてぶっとくて、やんちゃな子供みたいな字だな」という印象そのままでした

西南戦争の知らせは、京都の覚馬&八重にも届き。
回想シーンの「薩摩と会津は似ている、武士の魂が通う国同士」「じゃあなんで会津を救わなかった!?」という、西郷と八重の対峙は、今こうして見るとちょっと意味深でしたね。八重の問いに答えなかった西郷は、この時すでに「武士は滅びるさだめだから」と思っていたのかな・・・?

と、なんとなく「滅びの美学」に引きずられそうなところに「女学校が許可されました♪」とウキウキ飛び込んでくるジョー、よかったですね~~ 「そうだ、今は「新時代」なんだ」と、はっと夢から覚める感じ。
しかし「戦を避けるために学問をしなければならない」というのは・・・これはジョー&八重&覚馬に共通の思いで、というかおそらくこの時代に学問を重視した人たちすべての思いで、さらには今回の大河のテーマの1つでもあると思うのですが、しかしどうなんだろう?当時の学問の家元である西洋は、この後もガンガン戦争してますしね~。。。

一方こちらは、今の新時代こそが夢にしか思えない、過去を引きずってる男たち。
反町巌の下、抜刀隊に志願するオニカン&斉藤です。
この時の、反町に向かって斬りつけそうな気迫で1番乗りするオニカン&いぶかしげな反町もじわじわとよかったけど、その後の対峙はもう!!!私的に今回の、そして会津編以来の久しぶりな、名シーンでした
殿からもらったあの刀を抜いて、型をキメるオニカン。これもヘタな人がやると、見てる方が恥ずかしくなっちゃいそうな所作でしたが、さすが獅童さん、ピシッとキマってる 
そこに通りかかり、上役として=エラソ~に言葉をかける反町。ここで薩摩藩士時代の旧名を呼びながら、先ほどにも増して殺気に満ちて近づくオニカン!思わず後ずさりする横の人がいい効果を出してました。おかげで高まるドキドキ!
ここで満を持して「元・会津藩士、佐川官兵衛!」ですよ!!うあ~~~カタルシス!!!「八重の桜」はこういう時あえてベタな展開にせずさらっと流すもんだと思ってたので、まさかこんなにちゃんと名乗りをあげてくれるとは、ほんと思いがけないカタルシスでした。どうだソリマチ参ったか(←意味不明)
さらにその後説明臭い恨み言を吐くことなく「一番乗りして手柄を立ててみせましょう」とだけ言って去っていくオニカンの背中が、いかにも昔の、男くっさいドラマな香りがして、念入りにカッコよかったです 昔の(父ことじーちゃんが見てたような)男向けドラマは、なんせ「男は黙って缶ピース」みたいな美学(?)がある時代ですから、セリフで1から10まで説明しない、むしろその一言で、いかにカッコよく、言葉にならない万感の思いを伝えるかが勝負みたいなとこがあるんですよね。今回ここで「20時からもう1度このシーンを見たい」と思うほどにシビレました
またこの獅童さんの万感の思いを伝える演技があったればこそ、その会津と手を組んで西郷どんを倒さなければならない反町巌の感慨も、一層深く伝わったような気がします。

というわけで、舞台はいよいよ田原坂へ。
しかし西南戦争のことはほとんど知らない私 この「田原坂」ってのも、「越すに越せない田原坂とかいう言葉は聞いたことあるな~」とか、「そういや昔「田原坂」っていうドラマがあったっけ」とか、そんな感じで。
なのでここの話も、「田原坂の意義」とかそういうことはまったく思わず、ただオニカン&斉藤という会津武士鑑賞シーンとして見てしまいました。斉藤が久しぶりに髪ボサに戻っていて、やっぱしこの人はこっちの方がカッコいいなとか
ここでオニカンが発した「命は1つ」ってのがまたよかったですね。会津戦争で数多くの戦死者を見てきたがゆえの説得力という感じがして。
オニカン殉職シーンは、昔の男くっさいドラマにありがちな陶酔感が今度は鼻について、私的には名シーンじゃなかったのですが「戦場で死ぬという望みが叶った。ありがてえ」はやっぱしよかったですね。あの時、殿からお酒を賜った時と同じ「ありがてえ」。「ああこの人も「あの時に死に遅れた」と思い続けてここまで来たんだな」と、その時間の長さがしみじみわかるような感じ。こういう人は、昭和の時代もたぶんいっぱいいて。
そうそう「官だの賊だのは時の運。武士は死に物狂いで戦うだけ」もまあまあよかったですね。そういう武士がこの世からいなくなる、それがこの時代だったんだなと。
いやいなくなったわけじゃないな。この心情はその後「戦争の世紀」である20世紀まで引き継がれ、さらに戦争が終わってもその心情は、高度経済成長時代の「企業戦士」を通じて現代にまで引き継がれてる気がします。「力合わせて、戦って、食べられて でも私たちあなたに従い尽くします 立ち向かって、黙って、ついてって でも私たち愛してくれとは言わないよ」という「ピクミン愛の歌」が、サラリーマンの共感を呼んで大ヒットなんていう悲しい逸話があるくらいですし

もう1人、過去を引きずってる会津人・山川。
ここでバッタリ出会った西郷さん、最初は幽霊かと思いました、ありえなすぎて
だってこのせっぱつまってる戦況で西郷どんが丸腰に着流しで犬を探してるなんて、どう見ても霊魂がさまよってるパターンでしょうこれ
なので最初は、山川と対峙しているうちに西郷がいつ消えちゃうのか、そればかりが気になってたのですがまさか消えないとは!じゃなくて見ているうちに、ここが私的に今回一番の名シーンになろうとは!

「何度も恭順して、女子供も篭城していた会津を、なぜあそこまで追い詰めた!?」
く~~~~~今までずっと基底部にあったこの思いが、ここでまさか直接西郷にぶつけられる展開になろうとは!!!先の、ソリマチに名乗りをあげるオニカンシーンと同じ、思いがけないカタルシスが!!!
と盛り上がったところへ、ダメ押しの「今のこの国は、会津人が流した血の上にある!」、そして私の記憶が確かならば、今までBGMとしては使われたことがないテーマ曲が、ここでどーんと!!!

「お前らに会津は渡さねえ!」と叫びながら槍で戦った黒河内先生、「生まれ変わってもまた会津で」と誓って逝った神保&土佐、「お先に参ります!」と鶴ヶ城に向かって死んでいった白虎隊士e.t.c.e.t.c...
「新しい国を作るためだから仕方がない」と討伐されていった会津藩士の面々が、テーマ曲とともに浮かんできて、もう涙・・・も出ない。すごく泣きたいシーンなんだけど、安易に泣いてスッキリすることは許されない、そんな雰囲気すらあって、ただひたすら「すごい!今回はすごい!!!」と感動してました。だってこのセリフって、同時に太平洋戦争後の、現代の日本にもつながってくるんだもの。今あるこの国は、あの敗戦を戦い抜いた人たちの、もっと言えば、時代が忘れ去ろうとしている死者すべての血の上にある。ここでテーマ曲がBGMとして使われたことに「そうか、これが今回の大河のテーマだったのか」とも思えて。

余談ですが、この日会津は「会津まつり」真っ最中で。
中でも一番盛り上がるのは、降伏した日に行われる「会津藩公行列」(というコスプレ大名行列)なんですが、この行列出陣の前に鶴ヶ城で行われるのが「先人感謝祭」です。神主さんが祝詞を挙げて、現松平家ご当主たちが榊を供えるまつりごとですが、「慰霊」でも「供養」でもなく「感謝」なんですよ!初めて知った時は「すごいな」と思いました。

そのテーマに答えるかのように「忘れたことはない」という西郷どん。
そして「もう内乱は起こさせない。おいがみな抱いていく」
会津藩士も薩摩藩士も、こうして滅ぶしかなかったのだ。我々が滅ぶことで平和になる、と。
そう言われちゃったら、もう帽子を空に叩きつけるしかありませんね。適応できない者は死ぬしかないのだ、あの戦で死んでいくのは「仕方がなかった」と、今まさに適応できずに死んでいく敵に言われちゃったら。
この帽子を言語化するのが覚馬&八重の「他に道はなかったのか」ですが・・・う~~んどうなんでしょう?他に道はあったのか??適応できない者が生きる道は???ここら辺、私には「学問をすれば戦は避けられる」と同じくらい、わかりません。いや確かに、学問をすれば色んな意味での選択肢が増えて、その分単純な、わかりやすい戦は減らすことができると思います。わかりやすい戦は。
ただそれ以上に、会津も薩摩もこういう道を辿ったのは、「もう少し時がゆるやかであったなら」という、結局それに尽きてしまうような気がします。それは仕方のないことだったのか?学問をすれば、そういうラジカリズムも避けることができるのか??「適応できない者は死ぬしかない」にNOと言える世界を作れるのか???

木戸に直談判しに行った覚馬は、まるで滅びゆく会津側から次世代の希望が芽吹くよう、その種が木戸から覚馬へ引き継がれるかのように思いがけず握手してしまうわけですが、直後の木戸ミッチーの倒れっぷりがよかったですね。思わず画面に「あっ危ない」と声をかけてしまうほどの演技でした

鹿児島では西郷どんの最期。
ほんとに西南戦争のこと知らなくて、「西郷さんって田原坂で死んだんだよね。だから田原坂ってあんなに有名なんでしょ」と思ってたくらいな私は、今回初めて、熊本とか色々転戦したあと鹿児島で死んだというのを知って、なんだかしみじみしてしまいました。「こんなに流れ流れて戦ってたのか」とか、「最期はやっぱり故郷に戻ってきたのか」とか。
しかし「八重の桜」が京都編になってからは、服装などもあいまって会津編とぷっつり切れたような気がしていたんですが、この西南戦争の既視感はすごかった たぶん刀で大砲に向かってくところが、その昔の会津戦争まんまって感じがしたのかもしれません。これで本当に、終わるんだなあ。
吉川どん、よかったですね。最後の方はもう、貫禄といい表情といい、広島つながりもあってか菅原文太を彷彿とさせるくらいでした 目を細めて微笑みつつ口元がむうっとなってるとことかね♪ いえ文太さん自身は仙台出身ですけど、なんか広島弁な印象があって あの水球で肩パットのモニカがねえ

というわけで次回は、次世代の芽を体現する女学生の姿!
そういえば小学生のころ「なかよし」に、女医さんを目指す明治の女学生みたいな話があったな~。ストレートな「学問の希求」が、子供心にとっても爽やかで、今でもこうして覚えてるくらい好きだったものです(ラストは恋愛に引きずられたような感じでしたが
あっそうそう忘れちゃいけない、珠玉のギャグマンガ「はいからさんが通る」もありました!「お裁縫なんかより、英語や数学が好き」という、大正時代のはいからさん♪ 青春時代の教室で、女子の貞節を教えようとする先生に「「元始、女性は太陽であった」と平塚らいてう先生はおっしゃってます」「私たちは殿方に選ばれるのではなく、私たちが殿方を選ぶのです」と堂々反論した華族のお嬢さん・環が、色々あった末この青春の輝きそのままに、満州へ馬賊を追っかけていく(!)というラストは、今でもじわっと涙ぐんでしまうシーンの1つです。
てことはさしづめ今回は懐かしの男ドラマ、来週は懐かしの少女マンガかな~?個人的には予告で八重ちゃんが言ってた「けど会津出身の私は・・・」という意味深なセリフが気になりますが。

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会津十楽♪

先週土曜日、「会津十楽」に行ってみました♪
これは鶴ヶ城を舞台に、蒲生氏郷時代にタイムスリップしてみようという、今年が初試みのイベント。
「郷人」という、個人的に好きなよさこい集団も出るそうなので、その時間にあわせて鶴ヶ城にインです

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お堀では、葉っぱが色づき始めてました
「紅葉に包まれる鶴ヶ城」になるのももうすぐでしょうか

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鶴ヶ城に入るのはしばらくぶりです♪
久々に来たら、お城前の芝生には、ぐわああああたまらんな物がズラ!

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相変わらず写真がヘタで迫力が伝わりませんが
「葦名家」「伊達家」「蒲生家」「上杉家」(「蒲生家」Ⅱ)「加藤家」「保科家」「松平家」・・・鶴ヶ城の、歴代城主の旗です!有名どころ多々なのがすごいでしょ
今週末に行われる会津藩公行列では、これらの大旗が先頭きって堂々行進してくるんですが、いやもうこの時のカッコよさときたら・・・鳥肌モンです(おかげで旗フェチになっちゃいました~

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おおステージもできてますね~♪
今日は戦幕フェスティバル、来週は出陣式の舞台です!

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見物客もけっこうたくさん。
ちょうど、ここら辺のアスファルトに集まってた人たちが、突如鳴り渡る音楽にあわせて芝生広場になだれ込み、「イエーイ!」「ホ~ウ♪」とノリノリで踊り始めたので、「何事か」とガン見してるところです

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ナレーションいわく「今ハヤリの「フラッシュモブ」をやってみました」だそうです。
ああよく動画サイトなんかで見るアレね~♪
今日のイベントは時代が時代なので、これも今の流行モノというより、「バサラ」とか「かぶきもの」の一環、って感じに見えてしまうのが不思議なタイムイスリップ感。

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今は芝生ですが、当時はここら辺一帯、本丸の建物がいっぱいあったようで。
今でもこの芝生広場を囲むようにして、お庭跡↓や御三階跡など、色々な碑が立ってます。

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蒲生氏郷公は、それまで黒川だった町を、自身の出身地にちなんで「若松」と名付け、さらに黒川城を「鶴ヶ城」とし、さらにさらに会津若松の城下町を築いたという、いわば現在の会津若松の基礎を形作ったとも言える殿様。
もっとも蒲生公時代の鶴ヶ城は7層黒塗りだったそうで、江戸時代の白いお城を見慣れた目にはかなり「イギョーッ!」って感じに映ります

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おおいつの間にか、英・中・韓国語のパンフレットが常備!
大河ドラマによる観光人気UPを実感します♪
ちなみにこの裏は、ボロボロ鶴ヶ城の写真。

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キレ~イによみがえったんだな~と、改めてしみじみ

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おっ!ステージでは何やら始まりました。
「戦幕フェスティバル」実行委員長(だったかな??)による、京都で捕まった山本覚馬です

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この後ムシロを脱ぎ捨て武者姿になり、「進撃の巨人」の主題歌とともにステージを所狭しと駆け回るあんつぁまなのでした

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こちらは若松出身のシンガーさんなんだそう。
「あかべこあかべこ赤い牛~♪」というフレーズが、今も耳を離れません

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ドナドナのように悲しげな赤べこソングを背中に、会津十楽の屋台の方へも行ってみます♪

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冷菓子=アイスクリームは、会津の牛乳「べこの乳」製
下の「会津天宝」はお味噌屋さんで、その味噌で漬けた各種お漬物は、新潟のジジババちゃんに大好評なお土産です♪

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こちらは甘味処。
この「はっとう」っていうのが気になって食べてみたら、ちょっとウッディな味わいのお餅に、香ばしい黒ゴマ味噌だれがまぶしてあって、おいし~~~
なんでもこれはゴマじゃなく「エゴマ(別名じゅうねん)」、つまり「じゅうねんみそ」をからめてあるんだそうで、生地はそば粉ともち粉をあわせたものだそう。いかにも「山国」系の、素朴な味わいです。
お店の人いわく、一説には「あまりにおいしくて、当時庶民には「ご法度」だったからこの名前」だそうですが、それも納得という感じの、現代のスーパーではあまり売ってない味で、もっとバクバク食べたかったです(1枚がちっちゃくて、一口で食べ終わっちゃう

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ついでに、きなこをまぶして食べる笹餅も持ち帰り。
これまた餅がびよ~~~んと伸びる柔らかさで、笹の香りとともにおいしかったです
お隣のお店は、生ハム&チーズをその場で切って作る「ザビエルセット・ぶどうジュースつき」。
「お帰りのバスの中でいかがですか~♪」という呼び声とともに、私が見た時はわりと切れ目なくお客さんが並んでいて、皆さん遠くからいらっしゃってくれてるんだな~と、心の中で十字を切りました(蒲生氏郷になったつもりで

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高山右近のお店もありました
そういやこの人もキリシタン大名だったんでしたっけ?
売ってるものは「南蛮肉鍋」(肉じゃが?)と「南蛮泡酒」(想像つかない)です。

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加藤清正は馬肉で勝負
ていうかこの人もキリシタン大名・・・じゃないよねえ?? あっもしかして「キリシタン大名」じゃなく「秀吉側」というくくりか!?

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食べ物以外も色々。
いわき生まれ・郡山育ちのスポーツ用品店「XEBIO」もあります。って平仮名で書くと妙にかわいいな

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お隣で天然炭酸水「侍魂」もゲット(しかしなんちゅーネーミング
奥会津・金山町では、なんと地下から自然の炭酸水が湧き出てるそうで
炭酸があまりキツくなく、さっぱりとしていて、我が家ではシークワーサー原液なんかを割る時に重宝してます

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こんな体験ブースも。
ていうか体験だよね?まさか鎧1000円で売ってるわけじゃないよね??

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今日は芝生がお茶席になってました♪
隣には蒲生氏郷のために建てられた茶室・麟閣があって、こちらでもお抹茶がいただけますが、今日はともに大盛況

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昭和村の名産品・からむし織り。
からむしってあまり聞いたことない名前ですが麻のことで、越後上布や八重山上布などもからむしを使っているんだそうです。
(なのに写真が小さくてスミマセン

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城下町のセットみたいな眺めになった、今日の鶴ヶ城♪

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ステージでは、先ほど華麗な(?)踊りと歌を見せてくださったお2人への表彰式が。
マイクでしゃべってらっしゃるのは、ゲーム「戦国BASARA」のナレーターさんだそう(確かに普通にしゃべっててもイケメンボイスでした
浴衣姿の女性は、「八重の桜」で会津の方言指導をしてらっしゃる方なんだそうです。

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一際目立っていたこちらは、去年の「戦幕フェスティバル」優勝者
武田信玄と、その息子・真田幸村です
ていうか真田幸村が女の子だったことにビックリ~

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続いて、今回の「会津十楽」実行委員長・蒲生氏郷さんです
こちらも女性だったんですね~!「会津は幕末だけじゃない」との言葉が力強く
これは滋賀県・三重県とともに、大河ドラマ「八重の桜」ならぬ「氏郷の松」の出番でしょうか
(いやその前に保科正之か?)

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最後に、コスプレイヤー勢ぞろい。
女子率の高さにまたまたびっくりでした

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そして次に始まったのは・・・

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お待ちかね「郷人」!
カッコイイ~~~!

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実際カッコイイんですよ、イケメン多くて♪
(そっちのカッコよさか~~い

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会津・下郷を拠点とするよさこい集団「郷人」。
「会津歴史絵巻」とも言うべき豪華絢爛なよさこいには、初めて見た時から目を奪われました!
踊りの途中で大きな「鶴ヶ城」の旗が上がるところなんかもう、背中がゾクゾクするようなクライマックスなんですが、今日は本物の鶴ヶ城と一緒に見れるなんてカンゲキ

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こんなちっちゃい子たちも
アナウンスいわく「今は総勢80人くらい。上は80歳から、下は0歳まで、どうぞご参加ください」だそうです

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今回は、「八重の桜」にちなんだ新作も。
ピンクの傘を使った演舞が華やかです
けれど今回はステージが狭いせいか、ちょっと人数少なめだったのが残念でした。一番最初に「郷人」を見た時の、奴隊がいてなぎなたがいて唐人凧が立ち上がって・・・っていう、あの会津スペクタクルの感動が・・・

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と思ってるうちに、ステージの両側には!
キターーーーーーこれこれ!!!

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そしてこの翻る旗!!!
ぐあああああカッコイイ~~~

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ほんとこの、横断幕&旗がバーンと上がる瞬間は、鳥肌立ちますね~~
しかも今日は、後ろに本物のお城つきですもん ああこれを見れてうれしい・・・♪ 

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「会津十楽」、今年は台風接近により、以後2日間は残念なことに中止となってしまったのですが
来年も鶴ヶ城で再会できるのを楽しみにしています

さあそして今週末はいよいよ「幕末」、会津まつりですよ~~
(厳密には会津まつり(藩公行列)も、蒲生公時代とか斗南藩時代とかあって、幕末オンリーではありませんけど

追記:今年の藩公行列のゲストは、梶原平馬さんと山本みねちゃんだそうです

テーマ : 福島県 - ジャンル : 地域情報

花筏!

台風一過!

会津・福島はモロ直撃コースかと思われたんですが、個人的体感では意外と軽めに通り過ぎていった感じ。
とはいえ南会津で流された人が出たり、湯川・阿賀川などもちょっと水が出たりと、何もないわけではなかったようですが。
しかし全国的、特に上陸地点に近い西日本方面では、かなりの被害があった模様ですね 皆様ご無事だったでしょうか。

「京都・嵐山もえらいことに!」というニュース映像ではびっくりしました!昨夜から今朝にかけて何度もTVに写ってたのが、なんと旅館・花筏!
なっつかし~~~~~!!!
ここ泊まったわ~~~!!父ことじーちゃん&母ことばーちゃん&ダンナ&ママ&おなかの中にいたKKとで!!

たった1泊でしたけど、最初に台風ニュースであのあたりの映像が写ったのを見た時、やっぱり見覚えがあるんですよね。
で、「あれ~ここ、あの時泊まったあたりじゃない?なんかすごくデジャブなんだけど」とダンナとも話してて。そしたらやっぱり、背景に見覚えのある筆文字で「花筏」とあって、うわ~~~なつかしい~~!!
と同時に、見覚えあって懐かしい光景に、材木とかがズタボロで積みあがっているのが、なんとも切なく。
今朝もその花筏から中継していて、さっそく母ことばーちゃんに電話したら、「見てる見てる!仏壇にも報告したよ~」

バンツマを筆頭とする昔のチャンバラ映画をリスペクトしていた、今は亡き父ことじーちゃんの希望で、10年以上前のまさにこの9月、3泊4日の京都旅行に行ったのでした。
ママ実家はあんまし旅行に行かない一家だったので、こんなちゃんとした旅行はママの記憶にある限り、ほとんど最初で最後で。
いい旅館でしたよ、花筏。
部屋が広くて、大きな窓からすぐ下に川が見えて。渡月橋からもすぐだったもんね。
この川を眺めながら、自分で作る湯葉だったかなお豆腐だったかな、そんなんを食べたの、今でも覚えてます。
泥だらけになっちゃった嵐山のメインストリートとか、あの時はどこ行っても抹茶スイーツだらけで、「それにしても抹茶すぎる」と思わず笑っちゃったり
この京都旅行の目的は、「名所旧跡の町・京都を巡ろう」ではなく、「チャンバラ映画を生んだ町・京都を巡ろう」だったので、花筏に到着して、いの一番に行ったのは、バンツマの眠る「二尊院」!
「阪東妻三郎」と言えば、(じーちゃんにとっては)日本の歴史に残るヒーローなのに、そのお墓は至って平凡な「田村家代々の墓」だったのが、逆に非凡さを感じたものでした。今の人向けには古畑・・・じゃなくて田村正和さんのパパと言った方がわかりやすいかな?
もう1人のチャンバラヒーロー・大河内伝次郎さんが、ギャラのすべてをつぎこんで作ったという大河内山荘も嵐山にあって、もちろん雄大な庭園を眺めながらお抹茶をいただいたものでした。
太秦も忘れられませんね~。「映画の殿堂」で、山中貞夫・牧野省三等、名前を聞いたことがあるかないかというニッポンチャンバラ映画の黎明期を作った映画人≒京都人たちのパネルを見てると、「チャンバラ映画を作った町・京都」って、もしかしたら「名所旧跡の町・京都」に負けず劣らずのすごいことなんじゃ、なんて思われてきて。

とはいえもちろん、清水寺・金閣寺・四条河原・三十三間堂等々、名所旧跡も巡りましたよ~。
祇園の「坂之上」という、こちらはいかにも「ああ京都の町家だなあ」という感じの、こじんまりした、しかし部屋に置かれた花や調度&懐石料理がすっばらしい宿に移動して、タクシーの運転手さんが「そうそう千年前にそこの角でね」とか軽~く言うのに、「これがニッポンの底力か~」と驚かされたり
個人的には、なんだか土下座して泣いてるヘンな銅像の前を通りかかった時(ヘンなって言うなー)、タクシーの運転手さんが「あれは高山彦九郎だね」と教えてくださった途端、「一緒に写真を撮ってくれ!!!」といきなり興奮しだして車を急停止させたじーちゃんの姿が忘れられません
なんでもこの銅像、この高山さんって人が、幕末京都に行った時、御所があまりにもボロリンとしているのを見て、思わず泣いちゃったというシーンを再現したものだそうで。
「だから銅像も御所の方を向いてるんだ」というタクシー運転手さんの一口メモにも、じーちゃんいたく感心した様子
今では聞いたこともない人ですが、尋常小学校高等科卒のじーちゃん世代には、楠木正成とかと並ぶヒーローだったんだそうです。いわゆる「皇国史観」ってやつですね。
しかしじーちゃんなんか、私が物心ついた頃から社会党で朝日新聞な人だったのに、子供の頃に習った、おそらく思想的には真逆と思われる人物への尊敬とかそういうのも、消えずに共存してるもんなんですね~。
歴史上の人物を過剰にageたりdisったりする「時代の都合」とか、「教育の恐ろしさ」とかとともに、こういうふうに相反する価値観をあわせもつのは大事なことかもな~、なんて、土下座泣き銅像と一緒にニコニコ写真に納まるじーちゃんを思いだしては、感じます。

3泊4日で行ってきた後、撮り貯めた写真で自作したアルバム(「嗚呼!銀幕のなんちゃら」とか、ページごとにノリノリなコメントつき)を見返しては「まだ時間が足りなかった。次はあそこへ行こう、ここも行こう」と、京都旅行第2弾を夢見ていたじーちゃんでしたが、結局果たせないまま亡くなってしまい。
今朝ばーちゃんと電話で、花筏のTV中継を同時に見ながら、「もう1度連れてってあげたかったね」とひとしきり思い出話に花を咲かせました。
花筏、及び京都、及び今回被害にあわれた各地が、1日も早く復旧いたしますように。

テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

八重の桜中学

今回は「八重の桜中学」のお話でした
ま「同志社大学」が舞台な以上、学園ドラマという側面も必然的に出てくると思うので、こんな回もたまにはよいのではと

むしろ違和感あったのは、やっぱり八重ちゃんの描き方で;;いつのまにか「ジョー」呼びしてるし、いつのまにか洋装してるし。
って今回最初の10分見れなかったので、もしかしたらその間に描かれてたのかもしれませんが(だとしたら以下はすべてスルーでm()m)

前回「会津の者は・・・」や「建前と本音が違うなんてならぬことはならぬ」といった描写をわざわざ入れて、「会津で培った考え方を捨ててはいないぞ」という表現をしたのに、武家の娘としてはおそらくそう簡単に納得できないであろう「ダンナを呼び捨て」や「洋装」をあっさりした理由についてはスルーなので、なんだか「あれっ?」って感じでした。そもそも八重が「鵺」と呼ばれ、後世まであまりいい印象が持たれてなかったのは、ここら辺が大なはずなんですから。

私がこれに違和感持ってしまうのはたぶん、今まで何度か言及したことのある「清らにたかく」というマンガを読んでしまったがためだと思います。「この洋装・呼び捨てこそが、八重を理解するキーなんだ!」と、すっごく目から鱗を落としてくれたマンガだったので、ドラマでそのキーがスルーされたのが、二重に残念だったんですよね。

なぜ八重が、鵺と呼ばれ西洋かぶれと陰口をきかれても、ジョーと呼び捨てにし洋装を貫いたか。
もちろん、それがジョーの希望であったからということがまず最初ではありますが。
(しかしその場合、「八重=なんでも自己主張する女」どころか、「夫の要求に従い協力する妻」という、伝わる評価とはまったく違う面も浮かび上がります)
「清らにたかく」では、それプラス、自分の身を挺して夫に協力する姿として描かれています。すなわち

「怒りや不満は、上に立つ者の代わりに背負う役目が必要なのです」

ヘレン・ケラーの「ウオーター」は、その一言でこの世のすべてを一挙に理解するキーワードになりましたが、私にとって八重さんを理解するための「ウオーター」はまさに、「清らにたかく」に描かれたこの言葉でした。
ドラマでも描かれていた熊本バンドや、またアメリカンボードとの板挟みなど、このころのジョーはほとんど四面楚歌状態。
八重の洋装・呼び捨てなどは、ジョーに向かう不平不満を我が身に受けることでジョーを助けるべく、八重が確信犯的に行っていたのだと。だからどんなに「鵺」と呼ばれようとも全然平気、どころかむしろ「どんどん言いなさい。それでジョーへの不満がそれるなら」状態だったと。
もちろんこれはあくまでも創作であり、本物の八重さんがどんな思いを持っていたかなんてわかりません。ただ、「八重の桜」展で見た、「ジョーの生前は洋装での写真が多かったが、ジョーの死後に洋装はほとんどない。おそらく八重は「宣教師の妻」として洋装がふさわしいと判断して着ていたのだろう」という解説や、「家にある和室は、ジョーの死後作られた茶室だけ」といった説明などから、「清ら~」で描かれた八重さんはそれほど遠くないのでは、と思っています。「男女平等な夫婦」というのは、「名前呼び」など表面的な生活スタイルが舶来だからそう見えただけで、内実は「亭主関白な夫と、従う妻」でもあったのでは、という。

さて八重の桜中学に戻って。
徳富君があんなおとなしい、素直な子になってるとは!名前忘れたけど、「エジプトはどうこう」って英語で話してた、あの子くらいはねっかえりのリーダー気質だと思ってたのでびっくりでした。てかこれなら徳富君と八重、全然対立してないじゃん、むしろ仲良しじゃん
散々ヌエヌエ言っときながら、ヌエの仕立てた服を素直に着ているところは、いかにも頭でっかちの子供っぽくてグーでした 「清らにたかく」でも、「家に上がり込んで散々婦人の悪口言っては婦人の焼いた菓子食うくせに」と同級生に諫められた徳富君が、「関係ないだろう」と顔を真っ赤にするシーンがあるのですが、わかったようなこと言ってるくせに、人の好意に極めて無頓着で、何かしてもらうのも当たり前のように思っていて、なんにもわかってないとこがつまり子供なんですよね もっともヌエの着物を着ている熊本バンドたちは、そこら辺は若干わかってる感じでしたけど。

ていうか、熊本バンドがあんな苦労して京都に来たなんて知りませんでした!
金森君でしたっけ?親が焼身自殺したとか、拘置所に入れられたとか、な、なんか壮絶なことが
経歴といい、教育レベルの高さといい、まったく異質な、しかもけっこう多人数の集団が、いきなり同志社にやってきたんですね。これは一悶着ない方がおかしいくらい。

この悶着に「眠れなくて」と弱音を吐くジョー。というか吐かせる八重ちゃん いやそれはいいんです でもやっぱり・・・この時の演説が上滑りな印象は否めない。。。この演説がジョーに大きな力を与えるという設定なのも、「ええっこれで納得しちゃうのかジョー」と、逆に安い感じに拍車をかけるという悪循環に
理由はたぶん
「キリスト教も熊本バンドもよくわからない。でも良いものは良い」
という八重ちゃんが、それらのどこをどう「良い」と思ってるのか、描かれてなかったからだと思います。だから言葉に説得力なくて上滑りという印象に
まあ金八先生なら、これで1ヶ月は引っ張るとこでしょうけど、こっちは学園ドラマじゃないしね~。時間かけてじっくり描けないのがつらいとこですね。 

けどこの熊本バンド、見てたら「ああだからキリスト教って苦手なのよ」とも思っちゃいました。「歴史に出てくるキリスト教の在り方」のカリカチュアみたいな。個人個人のキリスト教徒には、特に何にも思わないのですが。

とにかく自分たちは正しくて(実際正しいこと言ってはいるんだけど)。
だから自分たちを批判するなんて、ありえなくて(実際正しいこと言ってるからなあ)。
そもそもこの「正しい教え」を知らない時点で「隣人」じゃなく、憐れむべき「野蛮な未開人」(「憐れみ」ってキリスト教では重大な要素らしいですねそういえば)。
正しい我々としては、野蛮な未開人にもこの教えを押しつけて・・・じゃなくて授けて、我々のように進歩させてあげましょう(100%善意)

私基本的に、歴史に出てくるキリスト教を、こんなふうに思ってます。めっちゃ偏見ですけど はるか昔の大航海時代から、世界大戦に至る帝国主義の膨張まで、底にはこの「キリスト教的価値観」があったんじゃないかと。
いや決して「マッド宣教師」の群れが植民地を作ったとか、そんなんじゃないですよ 基本はその国の都合、他国との兼ね合い、政治経済e.t.c.そういった、もっと現実的な条件が色々あっての結果だと思いますが、ただ、その底にはこうした「キリスト教的価値観」があって、それが色々な条件に基づく行動を補強・後押しした面があるんじゃないか、と。おそらくはつい最近まで、いや今も??
ここら辺は先週覚馬が言ってた「西洋の物には、その底にキリスト教がある」にも通じる部分かもしれませんね。宣教師と南蛮文化と侵略がセットになった戦国時代なんかは、それがまだダイレクトに存在していてわかりやすかったという。
(もっともこういう「自分は正義で、それを理解しない者は敵で」って、キリスト教に限らず宗教一般、もっといえば人間自体がそういうもんかもしれないですけど)

上のような私の偏見そのままに、同志社改革要求をつきつける熊本バンド。
この時のジョーはもろ金八先生でしたね~~!!腐ったミカンをかばって、警察の会議室で大弁舌をふるう金八先生、あるいは「愛の公開授業」を実現するために(だったかな?)職員室で涙ながらの大演説をする金八先生 この時なんか、明らかに武田鉄矢が感情移入のあまりアドリブ多々で、それを聞いてた周りの先生役が、マジ泣きして言葉に詰まってたのが、画面から伝わってきたくらいです 今回のジョーは、なんだかこれらのシーンを思い出してしまいました。金八っつぁんのようなアドリブではないだろうけど、その入魂ぶりが 惜しむらくはそこに至るまでの積み重ねが少なかったので、金八先生の時のようなグルーブ感も薄くなってしまったことでしょうか。
(会津編みたいに、西南戦争などの政治パートと、同志社・学園ドラマパートを同時並行で描くわけには・・・かえって薄くなるかな;;)

さて来週は、会津まつり真っ最中の「西南戦争」!
オニカン殉職シーンもあるし、吉川どんの最終回でもあるし、何より「使い捨てられた士族たちの反乱」ということで、おまつりも楽しみですが大河も楽しみです♪ しかし今回オニカンと一緒に出てきた斉藤は、個人的にレオナルド熊さんに見えてプチショックでした まさか野良犬が熊になってしまうとは;;

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今週は戦国、来週は幕末

あっという間に秋になってしまいましたね~

越してきて以来「会津の、いや福島の夏は暑い」と毎年1回はブログに書かなきゃ気が済まないくらい例年は暑~い暑~い会津の夏なんですが、今年は過ごしやすかったですね~
気温も35℃を超えることはあんましなかったような気がするし。そもそも夏が短かったですね今年は。実質8月中の3週間くらいだったんじゃないでしょうか。6月7月の猛暑ってのがなかったし、8月末には早くも夜風に乗ってリーリーと虫の声が聞こえてきましたもんね。

秋になったという判断材料は、夜の虫の音、朝晩の涼しさ、スッキリした青空と雲e.t.c.など、色々ありますが、ここ会津には、会津ならではの判断材料がもう1こあります。
すなわち「浜通りと気温が逆転した日から秋

って私が勝手にそう決めてるだけですけど
海に面した、気候温暖な地・浜通り。海風が通るので夏も涼しく、太平洋なので冬もさほど気温も低くならずと、わりと一年を通して温暖なんですよね。

対して気温の上下動が激しい、こちら内陸部
個人的印象では、夏の最盛期は浜通り+4℃=中通り、中通り+4℃=会津。冬の最盛期は浜通り-4℃=中通り、中通り-4℃=会津。という感じです。ある日突然会津の仮設住宅に住むことになった浜通りの皆様の苦労がわかろうというもの

というわけで、下手すりゃ「今日の最高気温は、浜通り25℃、会津35℃」が続いた真夏日も、どこかでターニングポイントを迎えるわけなのですが、私が気づいたのは先週だったか先々週だったか。「今日の最高気温は、浜通り27℃、会津25℃」くらいになってた日がありました!おお~今日から秋か~~
(もちろんそれからも、上下動を繰り返しつつ、だんだん-8℃差に近づいていくわけですが)

そんな感じで、今やカンペキに秋となった会津地方。
今秋、いや今週・来週の3連休はイベント続きです♪

まず今週は「会津十楽」。
って今年初めてのお祭りでよくわからないのですが、一言で言えば「戦国時代」っぽいです 鶴ヶ城を舞台に、蒲生氏郷の頃の「食」「物産」「その他文化」を集めてみましたという。
蒲生氏郷がキリシタンだったので、「南蛮肉鍋」「ザビエルセット」といった、「とりあえず「南蛮」ってつけてみました」的食べ物屋台なんかが多数出るみたいですね♪
土曜日には、去年もやった(けど我が家は未見)「戦幕フェスティバル」も、あわせて開催されるようです。
「戦国BASARA」好きで、「おおザビー様~~」とかノリノリになってる7歳児がいるようなご家庭は、ぜひ遊びにいらしてみてください

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そして来週は、いよいよ会津まつり!
町のポスターは「八重と会津まつり」になってました そこまでするか。

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(こちらは宅配される「会津まつりガイド」。クリックで拡大します)

なんと言っても気になるのは今年のゲストですが、さ~て誰が来るんでしょうね~~??
芸能人1人も来ないというのは考えられないので、今必死で出演交渉しているのだと思いますが、そろそろ10日を切るのにまだ発表されないというのは・・・う~ん誰だろな~~??
無難な線としては山本家、すなわちおとっつぁまやおっかさま、三郎あたりかな~と思うのですがどうでしょう。あと時尾さんとかね。西島・長谷川・殿クラスは、厳しいかな~?なんか将棋倒しとかの事故が発生しそうだし
おとっつぁまとかは、ファンとしてはとっても来て欲しいのですが、こちらは鶴ヶ城のプロジェクトマッピングにも来て下さったんですよね、綾瀬はるかちゃんたちとともに。
だから今回はいいかな~と。特に綾瀬はるかちゃんなんて、もう何度会津に来てくれたことか!ありがたいことです。
個人的に一番来て欲しいのは、「殿とゆかいな仲間たち」、すなわち殿&大蔵&オニカン&斉藤なんですが、いや~~ここら辺が来るなら、徹夜で場所取りしなきゃだな さらには全員揃ったら・・・ヤバイ神明通りがエライことになる(こういう妄想時期が一番楽しかったり
しかしこういう妄想してるとふと思うのが、一年前のあのクランクイン会見は、今思うとめっちゃくちゃ豪華だったな~~と。なんせ八重・あんつぁま・尚さん・大蔵人格変貌前が、あの鶴ヶ城に勢ぞろいだったんだもんね~

というのを前フリに、実は「会津の秋と言えばおそば」と、ちょっぴりディープなおそば屋さんを紹介しようと思ってたのですが、前フリがあまりにも長くなってしまったので別の機会に
予報ではイマイチお天気が芳しくない3連休ですが、おヒマでしたら、どうぞ会津に寄ってみてくださいませ 今週末の会津は「戦国」、来週末の会津は「幕末」がキーワードですよ~♪
(しかし人気の時代2つを押さえられる会津って、やっぱしすごいと

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槇村ワールド全開

今回の「八重の桜」、私的には「槇村ワールド」でした
これまでに比べて出演シーンが多かったせいもあると思いますが、印象に残ったシーンがほとんど槇村がらみ!ていうか槇村そのものがどんどんパワーアップしてる!!演じてる高嶋兄?弟?がなんかもうノリノリで、下手にやったら浮いてしまって見るのが忍びないレベルの怪演なんですが、「えらく楽しそうにやってるな~」と、こちらも思わず笑いを誘われてしまうのがまた、このどっかおかしみのあるキャラにぴったりという、すごくうまくハマる結果に。

というわけで、今回印象に残った、主に槇村さんシーンを順不同に。

まずはなんといっても、「建前で言えばいいんだ。あんたの心の中まではどうこうするつもりはない」という槇村さんの言葉。
思いっきり「長いものに巻かれろ」な人間としては、これに大・大・大賛成です(会津魂はどこへ?
もっと言えば私「自由」ってのはこういうもんだと思ってます。「心は自由なのだ」。
ってオスカルが昔ベルばらで言ってましたけど。で後に「以前そう言ったことを訂正というか付け加える。「自由であるべきは心のみにあらず!人間はその身体、髪の毛一本にいたるまで神の下に平等であり自由なのだ」」という理念を語って、フランス革命に参加していくわけですが。
私は「革命」はあまり望まないタチなので、そうするとやっぱり「心は自由」でとどまっちゃうんですよね。社会を構成する歯車としては、髪の毛1本までの自由なんて望んでたらやってらんない。あわせるところはあわせる。でも!思うことは自由よね、と。これって「もっとも成功した社会主義」と言われた頃の日本の価値観がしみついてるだけかしらん??

それに対して「ええ~?」って顔で納得いかない八重ちゃん。そうよね「ならぬことはならぬ」≒「筋を通す」という人には「本音と建前が違う」なんて「嘘ついてる!」でしかないわよね。
「嘘も社会の潤滑油」と思ってる私は、だからこそ、そういうまっすぐさがまぶしく、好ましくさえあります。時にウザく感じてしまうかもしれませんが基本的には好印象。だけど、現実に何らかの結論を出そうとする時には、対立してしまうんですよね。。。

しかしこれを逆手にとって、「英語の授業」っていう建前で聖書を学ぶことにしたっていうのはよかったですね~♪こういう「建前」、大好き
「すぐやめろ」っつって怒鳴り込む槇村さん。それに対し「あなたが教えてくれた「建前」です」って言い返すあたりは、日中戦争でどんどん歯止めが効かなくなる関東軍が、止めようとする石原莞爾に対し「あなたが満州事変でやったことを真似してるだけです」と見事な切り返しで絶句させたという逸話を思い出してしまいました こうして自分の身に返ってくるのね。

で、絶句してすごすごと退場する石原さん、じゃなくて槇村さん、覚馬を見て「あんたの入れ知恵か」とピピンと
これに対する覚馬の言葉がよかったですね~!「西洋のものを学ぶなら、その根本にあるキリスト教を学ばないわけにはいかんでしょう」。
今ある民主主義とかその他色々の主義主張、あと関東軍とか出したんで思いついた武器や戦法、または日常の生活様式に至るまで、やっぱり「価値観」が違うんですよね。価値観の違いがそれらにも大きく反映している。
例えば戦時中のレーダーについてよく言われる話ですが、向こうはガンガン開発して取り入れたのに、こっちはあまりしなかった。ま「お金・技術・時間」の3拍子が揃いも揃って無かったってのが一番の要因でしょうが、その補強・言い訳として「機械に頼るなんて邪道」というのが出てきてしまうお国柄というのが。機械の精度よりも、職人技とか武士道とかの方が圧倒的に価値があった、という時代の空気を感じます(今でもかな?決して悪い価値観じゃないと思いますけど)。
って、西洋のものにどうキリスト教が組み込まれているのか、いまいち実感としてわからないので、日本のことを言ってますが(しかもけっこう主観)、しかし日本がこうなら西洋もそうだろうとは思えますね~。

けど日本って、覚馬が言うのとは反対に、槇村さん的な「換骨奪胎」がもう伝統芸ですよねたぶん。明治どころか「仏教伝来」あたりからイメージ的にはず~~~っと。
なんたって「本音は別にあっていい」ですから。根本にあるキリスト教とか仏教とかの「真髄」みたいなもんは、わりとどうでもいいんです。相手の本音も自分の本音も自由のまま、いかに自分の生活にあわせるか。
というので、ず~~~っとやってきた気がします。そしてこれはある意味、日本の強さだとも。
だってキリスト教みたいな一神教って、大げさに言えば「心の中まで従ってもらうよ。本音まで一致してなきゃそれは異教徒」って感じじゃないでしょうか??だからキリスト教と宗教戦争って歴史的に切っても切れなくて。
(ついでに「キリスト教的自己犠牲」っていうのも戦争と親和性があって、だから新渡戸稲造も「日本にはキリスト教は無いけどこれが」って「BUSHIDO」を書いたし、戦時中には日本のキリスト教団も(やむなくという面もありましょうが)戦争協力へと移行したし)

ってすべてイメージ=主観で語ってごめんなさいですが。こういう「一神教的価値観」に対しては、表面は「受け入れてますよ~」とジャパニーズスマイルを浮かべつつ、本音は「別に」っていう日本流骨抜き作戦はかなり有効で、悪くないと思うんですよね。そこら辺が西洋人からすると「日本人はわけわからん」しまいには「日本人は嘘つき」になっちゃうのかもしれませんけど。
柔軟に見えて実は頑固、心の中は自由!というのが日本の芯だと個人的に思ってるので、そこを覚馬のように根本から変えてしまうのはどうかとも思うんですよね。もっとも覚馬も「キリスト教は必然的に入ってくる。その流れは止められない」と言ってるだけで「取捨選択すればいいのだ」と言ってますから、積極的に「キリスト教を広めよう」という立場とはまた違うんでしょうけど。どうでもいいけどこの話が、「お茶漬け食べていきなさい」が「はよ帰れ」だという、本音と建前の乖離ここに極まれりな都市伝説を持つ京都で行われているというのが、また面白いですね~♪日本の芯と西洋の芯の対決みたいな。

ところで「キリスト教はわけわからん」と言ってた八重さんは、今んとこキリスト教をどう思ってるんでしょうね?ジョーとの結婚、そこら辺オールスルーで「洗礼を受けた」だったので、逆に気になっちゃいました
まあ「中身なんかどうでもいい。ダンナの行く道は私の行く道だから信仰も合わせる」ってんなら、それはそれでいいんですけど。実際母1人子1人だった私の叔母さんなんかは、死期が近づいた頃、娘さんと同じキリスト教徒になって、一足お先に天国へ行きました。洗礼受ける前は聖教新聞愛読者でしたが
そういう「教義なんざ二の次」という例は珍しいことでもおかしいことでもないと思うので、それならそれで一言きちんと言及してほしかったな~と。それともこれから出てくるのかな?八重ちゃんのキリスト教観の変化とかは。

そして、ウエディングドレスは、やっぱり尚さんを思い出してしまいました(ついでに秋月さんとかあの辺も) あの時の八重ちゃんは、きれ~~~いだった~~~
ウエディング姿ももちろん綾瀬八重ちゃんだからきれいなんだけど、あの時ほどきれ~~~いに映してなかったですよね。ライティングとかの効果を含め、なんだかあえて「普通」に映そうとしてる感じが。

そう、なんだか今回は、槇村さん登場シーンは印象に残ること多々だったのですが、八重ちゃんシーンはなんだか「う~ん」って感じなのが多かったんですよね~。(そういえば結婚式シーンでも槇村さんがウザ微笑ましかった
女紅場をやめる時の演説も、なんだか会津戦争の時より心に響かなかったし。ていうか会津戦争での演説に味をしめて、演説シーンが多くなったって気がして仕方ないんですけど 「セリフですべてを語ろう、そして感動させよう」ってのは安易な上に、その意図を感じるとますますウザくなっちゃうので(演説そのものが基本的にウザいもんなんだからさ)、ここぞって時以外は頻発しないで欲しい。。。
それに続く「この会津もんが!」みたいなのも、演説が心に響かなかったせいか、なーんかわざとらしく思えてしまいました。会津と関連付けるのはもう大歓迎なんですけど、リップサービスみたいに使われるのはね~~。これまたここぞって時に出すとか、あるいは逆に常日頃から「これだから会津もんは」とネチネチ言われてる設定とか、でなきゃこづゆや赤べこみたいな小道具を出して欲しい。あっそれともあの演説が「ここぞって時」だったのか!?

何よりも結婚前夜(?)佐久が八重に「お前は人のしないことばっかりする変わりもんだけど、その、人に惑わされず自分のしたいことを貫くとこがいい」みたいなことを言ってたとこに、私はちょっと、しかし根本設定としての違和感が。
もしかしたらそう受け止めちゃったのは私の勘違いで、もっと違うニュアンスだったのかしれません。だとしたら以下書くことはすべて勘違いなので流してくださいm()mとお断りしつつ。
私ね~、八重ちゃんの「ハンサムぶり」はそうゆう、「他人と違っていいんだ。個性だ自由だ」みたいなことを貫くのがまず最初にあるんじゃなくて、「義侠心」というか「男気」というか、そういうとこにあると思うんですよね~~。これは私の八重ちゃんイメージが、マンガ「清らにたかく」でかなり出来上がってるからかもしれませんが。
まず最初に「見捨てちゃおけん」とか「私がかばっちゃる」といった男気(?)があって、それを貫いた結果、往々にして人と違ったことになるみたいな。どうも佐久さんの言い方だと、それが本末転倒になっちゃって、そこにジョーの「彼女はハンサム」がかぶさると、それこそ「ゆとり教育的個性の尊重」になっちゃうような危惧が。てかゆとりでも何でもいいんですけど、そういうヒロインなら今まで色んなドラマで散々描かれてるしな~とか。
勘違いだったらごめんなさいですが。

という感じで見た、八重の桜・第36回でした。
そういえば紀行で出てきたジョーの写真が、ドラマの槇村さんに似てるな~とも
と、結局最後まで槇村さんでした

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尚さん死す

1億2千万人の尚さんファンの方々、目の腫れはおさまりましたでしょうか
「尚さん死す」の回だったのに、ジョーのプロポーズにすべてをもっていかれた気がした第35回でした あ、そういえばこっちがタイトルだったっけ

なんといっても今回「おお!」と思ったのが、大殿&会津藩やんちゃトリオの結集シーン、すなわち時尾ちゃんと斉藤一の結婚式オメデト~
めっちゃ短いシーンで、会津編ファンとしてはちと残念ではありましたが、仕方ないですね。彼らはもう「八重の桜」のステージをある意味降りた人たちだし。それに短い分、印象も強烈というか、1つ1つのセリフがしみいりました 「穏やかな顔になったな」とか、「1つ報いることができた」とか。殿はこうして、なくなった1つ1つの命を己の罪として数えながら余生を過ごしたんでしょうか。
後年、「禁門の変などでなくなった会津藩士たちは賊軍じゃないんだから、せめて彼らだけでも靖国に」という話が出た時、「汚名が晴れた」と喜ぶかと思われた容保公は「禁門の変でも会津戦争でも、彼らは等しく会津の武士であり思いも変わらない。なのに祀られる者と祀られない者に分かれるのは受け入れがたい」と拒否したという逸話が、私はすごく好きなんですが、それを思い出させるセリフだなんて思いました。でも斉藤一が穏やかに見えたのは、目つきが変わったからじゃなく、髪がセットされてたからだと思います 見た目はやっぱしボサボサ髪の狂犬時代の方がかっこよかったなあ

しかしその回想シーンを語る斉藤の前に、キリスト教がどうとか話しながらジョーが現れた時は、ドラマながらどうなることかと気をもんじゃいました だっていくら髪をセットしてあるからって元・狂犬だし、見るからにケンカ弱そうな上に「神の愛が」なんて理屈をほざく西洋カブレなんて、元・狂犬にしてみれば一番虫が好かなそうなタイプだもんね
なのでその後、意気投合して酔っ払ってるシーンは、八重&時尾ちゃんと同じくらい安心かつウケました ジョーの「人の心にすっと入り込む人柄」の説明材料としては、「元・狂犬」ってこれ以上ないくらいの説得力ですね♪

この時の斉藤の思い出話を聞きながら「そうか京都って・・・」とジョーさんが思いついたのが、八重さんに過去と向き合わせること。
というかジョーに言われて私も気づいたのですが三郎がなくなった鳥羽伏見も京都だったんですよね、忘れてました
この時のジョーのやり方は、個人的にはちょっと引いちゃうレベルだったんですが、まあドラマだしジョー悪気ないしね(悪気あるかないかが一番の判断ポイントとゆう) 何よりその時の回想シーンがもう泣けて泣けて 「過去と向き合う」とかジョーの立ち位置といった、ドラマとしてのテーマや伏線以前に、「死んだ人を思い出す」ということが無条件に泣けてしまいました。ああおとっつぁまとか好きだったなあとか、今更ながらに思い出されて。

そしてやっぱり、八重の思い出の中で一番数多く出てきたのが尚さんシーン。よかった~~ いやなんか「尚さん死す」の報告を受けた時に「また1人で勝手に死んじゃって」と八重ちゃんがプリプリ怒ってたのが、え?そういう問題??と、これまたちょっと引いちゃう感じが否めなかったので、いっぱい思い出してくれてよかった~というか
いやまあ、悲しみを怒りに転化する、そうして乗り越えようとするっていう八重ちゃんの性格設定はよくわかるし、そうやって八重ちゃんが怒っていればいるほど、悲しみの深さは伝わってくるってのもわかるんですけど、なんかやっぱしね。「今度こそ2人で一緒に歩む関係を作りたい」という、ジョーのプロポーズを受ける理由作りとしての材料か尚さんは、とか思ってしまって
これはやっぱしあの再会シーンが尾を引いてるな、個人的に。私にはあのシーンはどうしても「八重(たち)に都合のいいことを言ってくれる尚さんと、わかっててそれに乗っかって見捨てた八重(たち)」にちょっと見えちゃったのでね~~ なのでその上で「1人で勝手に死んじゃって」とか「尚さんは戦死した」とか言ってもさ~みたいな 
いやまあ「どんなに援助しようとしても尚さんが頑として拒否した」という設定なんでしょうけど、それならそれで、そこをもっと印象付け(て八重たちの言い訳をし)てくれないと。あるいはいっそ、再会しなかった≒できなかったなら納得なんだけど。書き残したものが「他に送り先もないから」って届くくらいには縁が切れてなかったのね、とかまたまた思っちゃうし。ま一応「米取引の失敗で、自分をすごく責めていたんだろう」とかの時尾ちゃんのセリフもあったはあったけどさ~、どうも「困窮にも負けず会津のために頑張った尚さん」を描くのはいいけど、言い訳シーンが少ないために山本家が薄情に見えてしまいます;あくまでも個人的感想ですが。

というわけで、まさに「野垂れ死に」みたいに死んでいった尚さん。
うっすら目を開けたまま「生きてるの?死んでるの?」みたいな状態で倒れたところが、すごい演技だなと この後「八重」と言ってほんとに死んだわけですが、目を開けてるのに死者の顔でしたもんね~もはや
よかった、八重にいっぱい思い出してもらえて。悼んでもらえて。
そこでプロポーズされて「はい」と答えるのは、相変わらず「早っ」と思ったけど、個人的にはその後のジョー「やった・・・」がツボったのでもういいやって気分に うちの中1男子が、うっひょゲットしたぜラッキー♪みたいな時に発する「お、やった」とまるで同じだったのでウケました。江戸生まれも平成生まれも、こういう時の気分は変わらないわね

そうそう紀行も尚さんでしたね~♪
あの石碑や実家の看板は、この大河でできたのかな?ピカピカだったし
死者は思いが残るとこの世にとどまってしまう、生者が故人を惜しんで、偲んで、思い出語りをして故人の思いを受け止めることで、死者は心置きなくあの世へ旅立てる・・・というのはいとうせいこうさんの「想像ラジオ」ですが、尚さんはこの大河で、この世に呼び戻されたことで、今やっとあちら側へ行くことができたのかな?いや、実際の尚さんは、八重にきっと想われていただろうから、とっくに旅立っていたに違いない

なんて思った八重の桜・第35回でした。

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ