もうすぐディズニー♪

一年に一度のお楽しみ・ディズニー旅行がいよいよ近づいてまいりました
旅行で一番楽しいのがこの時ですね~♪KK&Uなんか「一番楽しみなのは、行きの車!真夜中のドライブ!次はホテル!」と、ミッキーはどうでもいいんか~いという浮かれぶり。でもママが一番好きなのも行きの車だから文句言えません あのワクワク感がね~~たまらないのよね~~~♪ 

さてホテルですが、今年は予算削減しようと、泣く泣くミラコスタはあきらめ、シェラトン一択です いやシェラトンもいいホテルですから泣くこたないんですけど
しっかしシェラトンも高いです~ ていうかオークラ、サンルートなどのオフィシャルはもちろん、ブライトンなどのパートナーホテルも高い!一応3ヶ月前から早割りで予約してたんですが、それでも今年は高い気がします。

夏休みって、お盆はまあバカ高ですが、それ以外ならけっこう、直前になると空室ぞろぞろのダンピングしまくりとか、連泊にするとけっこう安いぞって印象があったのですが、今年はそんなこともなく、なんだか高いまま。ていうか年々高くなってる気が;;

これはやっぱり30周年効果なのかな~?加えて、震災の影響がいよいよ薄くなってきた??(それなら喜ばしいこと・・・かな?) ここ1~2年、特に一昨年なんて、値段はもちろん空室もあり放題だったもんね。

ミラコスタの空室も、今年は明らかに少ない気がします!これはやっぱしトイストーリーマニア・・・?
我が家の男衆は「一度乗ったら飽きた」とのことで、今年も朝からインディになりそうですが(こっちは飽きないのね)、それ以外はどう廻ろうかな~??ていうかどれくらい混んでるのかな~??やっぱし7月よりも混むんだろうな~~。レストランのPSも、今年は全然空かないもんな~~~;;

と心配しつつ、ではいってきま~す
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八重の桜・第2部開始!

八重の桜・第2部がいよいよ始まりましたね~
今後は時々軽い感想を書く程度になるかと思いますが(自分でちょろっとやってみて初めてわかりました。何年間も毎週レビューを書いてるブロガーさん方の根気は並大抵じゃないということが!)、今回印象に残ったところをさらっと。

まずは新島ジョーさんが、やっと出てきましたね~。
個人的に、オダギリジョーは新島襄の生まれ変わりだと思ってるので今後どんなふうに化けるか、楽しみにしてます♪綾野殿みたいなハマリ役になるかも!?

萱野権兵衛もついにアバヨ。
「こんな(ステキな)役目をお前らに譲れるか」と、笑顔で言ってみせる萱野慎吾ちゃん、よかったです~
けど意外と、あっさり風味の退場でしたね。まあ出演自体があっさりめだったので、こんなもんかな?
ちなみにこの時の大殿&照姫からのお手紙、「八重の桜」展でも展示されていて、内容も「一目会いたいけど会えないすまん」みたいなことが確かに書かれていました。そして、私の頼りない記憶の限りでは、照姫の歌!本物そっくり!!あれだけばっちり映すってことは「もうどっからでも見てちょうだいそっくりでしょ」という小道具さんの自信のなせる技なのかな~
しかしこれ見たら、やっぱり息子(郡長正)の自刃は、偉大な父を持ったがためだったのかもなあと思ってしまいました。

そして萱野に罪を背負ってもらった形になった西郷頼母。
ん~けどね~。どうもこの人は現代目線=「恭順しとけば会津は助かったのに自業自得」を受け持ってたキャラって感じがあるせいか、この人が「新政府軍はなんとしても会津を潰してただろう」とか「会津を踏み潰してった奴らがどんな世の中を作るか見届けてやる」とか言っても、説得力半減な感は否めません いや会津を一心に思ってたキャラだっていうのはよくわかるんですけど。

そしてついに斗南行き決定!
「猪苗代か斗南かの選択肢があった」と言われている斗南行きですが、「八重の桜」の資料提供にも名前を連ねていらっしゃる野口信一さんは、著書「会津えりすぐりの歴史」の中で「猪苗代は本当に候補地だったのか」という論考をしてらっしゃいます(以前は野口さんご自身も「猪苗代も候補地だった」とのご意見だったそうですが)。今回の「八重の桜」は、海が決め手になったことなども含め、この本の記述に沿った形に見えました。
ちなみに来週は、斗南での壮絶描写もやるみたいですね(まあそれがないと尚さんが米取引しようとした動機もわからなくなっちゃうので当然といえば当然ですが) そういえば1~2年前の冬、雪で車100台以上が立ち往生したのって斗南だっけ?と思い出したり

今回一番気に入ったのが、八重ちゃんが「会津を侮辱する者は許せねえ!」というタンカとともに、あの変なオヤジをぶちのめしたシーンでした
あのオヤジ、実は私もまったく悪気なく「元はお武家さんなのに気の毒に」と素で思ってしまうタチであり、従ってそんな人から施しを受けても「ラッキーありがとう♪」と嬉々として受け取ってしまうタチなので「なるほど根底にこういう「見下し感」があるのか」と、自分の心理を拡大・戯画化して突きつけられた気分でした。ていうかあの女の人も「子供を養うためにこの人が要るの」と本人の前で堂々と言っちゃう誇り高さだし、それで男の方もますます変なオヤジになるという相互作用っぽい感じがしますね。つくづく八重ちゃんたちは、内藤さんみたいないい人とご縁があってよかったです。

しかし今回、この八重ちゃんたちの悔しさとか、萱野権兵衛の演説もそうだけど、改めて、同じようなズタボロの戦いを戦い抜いたのに、会津は誇りを持てたんだな、日本は誇りを持てなかったんだなと感じました。萱野権兵衛なんてA級戦犯として処刑されたわけだけど、「罪を一身に背負ってくれてありがとう」でしかないもんなあ。

他にも、一緒に見ていたKK&Uに「あーこづゆ食べたくなった!」と言わしめたこづゆシーンとか、思い出す場面は色々あるのですが、キリがないのでここら辺で

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八重の桜・第29話

八重の桜・第29話の感想です。
今回は、「二本松」そして「田中・神保&西郷一族&白虎隊」の回に続いて、泣いてしまった回でした。心のバスタオルがフル稼働です

米沢の降伏を伝える文書が届き、もはや状況は絶望的
砲弾もひっきりなしにドーンガラガラと攻撃してくる中、しかし梶原たちはまだ降伏を決意する気にはなれず。
この時の音楽がすっごくよくて 「梶原たちだってわかってるんだよ降伏するしかないって。でもそれがどんなに悔しいことか、本当にわかるかい?」っていうのが、光射すような荘厳な音楽に乗って、ヒシヒシと伝わってくるような感じが ここで早くも今回一発目の涙ジワ。
そもそもここででしたっけ?ボロボロ鶴ヶ城が、現存写真そのままにリアルに再現されてバーンと出てきたところで、もう涙目。KK&Uは「どうせCGでしょ」と冷めてましたが、ほんとに写真のようなのに、土砂がザーと降っているところがもう、「あの写真の本物が今、時を超えて目の前に」みたいなゾクゾク感がありました。CGってすごいですね~

今回はもう何度もボロボロ鶴ヶ城が出てきて、そのたび「これが見納め」とばかり目を大皿にして見ていたのですが、そのせいか、最後の紀行で出てきた鶴ヶ城は、いや~ひときわキレイに目に映りましたね~~~~~。
青空に真っ白くそびえるお城も、夜に浮かび上がるお城も、ほんとにキレイで。
うちら初めて引っ越して来た時が真夜中で、前泊用のホテルに場所を聞くと「お城からまっすぐ行って」だったので、真っ暗な中わけもわからず会津の街中(今思えば118号)を走っていたのですが、気づくと横一帯がお堀と石垣だったのにはびっくりしましたね~。「あれっもしかしてこれがお城?」って。「やけにでかいな」とも(実家は新発田城がある町なんですが、あのお城は裏道グネグネという感じで、鶴ヶ城みたいにドカーンと存在してないんですよね
で、朝になって、ホテルでもらった地図を参考に引越し先までもう1度行ってみたら・・・いやあ鶴ヶ城って、ほんとに町のまんなかにドカーーンとあるんですよね!想像よりもはるかにどでかいお堀&石垣が、町の真ん中を貫く118号にどばーっと広がっていて、その向こうに、朝日に輝く真っ白なお城が・・・
「あら~キレイなお城だな~。しかもこんな町の真ん中にあるなんて、どんだけ町の人に愛されてるんだろう」と思ったことを、今でも覚えています(実際、どこ行くにもお城を起点として考えることができるので、会津の町は道を覚えるのがとってもラクでした

この後、亡骸となったお登勢さんと再会する大蔵。のとばっちりを受けた形の健次郎
「なんで生き残った!?切腹しろ」と怒る大蔵は、「悲しみが嵩じたあまりの八つ当たり」という感じになってましたが、なるほどそういう解釈もアリですね。周りがどんどん死んでいくのを見ていて、自分も死ぬつもりで戦っていてという、ある種の極限状態にいたら、人は考え=言動も極限状態になり得るのだという。まあ元々の性格も大きいと思いますけど

ここで「(今更こんなとこで1人2人死んだって負けることは変わらないんだから)もういい!」という、大蔵母たちの必死の取りなしで、もめ事はなんとか無事終了。過日「死に遅れてはなりません」と健次郎を送り出した大蔵母にしてからが、もはやこう思わざるを得ない戦況になっていたわけですね。
これを見ていた殿は、秋月を降伏の密使に。っていうのも、ドラマストーリーブックであらすじだけ見ると「他の雑兵はいくら死んでも何とも思わないけど、山川家だと降伏を考えるわけ?また殿の印象が悪くなりそう」と気が気じゃなかったシーンでしたが、大蔵母の必死の演技が効いて、とても自然な流れに見えました。やっぱし(当たり前ながら)あらすじだけ見るのと、役者さんたちを通して見るのとは違うんだな~、「要点をつかむ」と「理解する」は似て異なることだな、なんて思われました。

夜、ボロボロ鶴ヶ城を眺めながら語らう尚&八重。ここもよかったですね~しみじみと。
視聴者としては、この後に別れが待っていると思うから一層しみじみなんですが、本人たちもそうだったでしょうね。いつ永久の別れになるかわからないというのは、きっと常に心の底にあったでしょうから。こうして静かに言葉を交わし笑顔を交わせる一瞬一瞬が、過去も未来もすべて包括した、かけがえのないひとときだったことでしょう。

さて降伏の密使として、夜陰に乗じて敵陣に乗り込もうとする秋月。
ここで援護射撃する八重、すごかったですねーー 百発百中!私的には、「凧揚げしようと言い出したのは八重」「殿様に向かって演説する八重」等々よりも「八重ちゃんすごすぎでしょ」と思っちゃいました これはもう「幕末無双」ってことでPS3から売り出しましょう
ともあれ八重の援護のおかげで(?)無事敵陣にたどり着いた秋月。敵にどつかれながら必死に会津の降伏を伝えようとする秋月のシーンに、今も戦っている会津兵たちの映像がかぶさるのがなんとも ここでまたちょっと涙目。

今も戦う兵士の中には、お久しぶりの斉藤一も。なんかこの人は、ボロボロっぽくなればなるほどカッコよく見えるわ~
吸い寄せられるように近づく時尾ちゃん 「怖くないのか」と聞かれて「会津のために戦ってくれてありがとなし」と言える時尾ちゃん、いい人だなーーーーー。ちなみにこの感謝の念は、会津まつりや墓前祭となって、今も会津に根付いています。
私てっきり、そう言われた斉藤が「惚れたからさ」とかつぶやいて、時尾ちゃんが「え?」とか言って、で斉藤が「あ、いや」とか言って小石をけっとばしてみたいな、「心のバスタオルを返せー」と叫びたくなるシーンにでもなるんじゃないかとハラハラしていたのですがそんなのにならなくてよかったーーー。美しかった故郷が爆撃でボロボロになっていくのが「悔しくてたまらない」と泣く時尾ちゃん、とってもよかったですよ。
この時尾ちゃんの気持ちが、なんだかとってもリアルにわかる気がするのは気のせいか。たぶん太平洋戦争の時も、ほとんどの人はこの悔しさを感じたんだろうな~と、その当時の人のように思えてしまうのは、やっぱり311があったからか、と、またここで少し思ってしまいました。決して後世ならではの見方のように「日本が戦争を始めてしまったのが悔しい」「原発を誘致してしまったのが悔しい」とかいう、当時の人たちに罪を着せているだけなのに、それに気づかず自分たちの罪だと反省しているつもりになってるところから生じる「悔しさ」ではなく。いやまあ「後世ならでは」の見方も、「歴史から教訓を得る」には重要だとは思いますけど。ていうか、どんな見方しても後世からの視点であることは免れませんけど。ただ個人的には、教訓よりまず理解したいという欲望があって。ていうかその理解度によって、見えてくる教訓も変わりそうな気がして。
(そしてさらに言えば「ここまでは理解できた。しかしここからは理解できない」という、自分の理解度表明に過ぎないものが「批判」に姿を変えてることも多々だと(自分を含めて)感じます。もちろんそうじゃない、理解した上での、本当の意味での「批判」もありますけど)

降伏を決意した殿と照姫の語らいシーンも、美しくてよかったですね。もはや何も言いません、言えません。

そしてもう降伏は、終戦は目前という時、おとっつぁま狙撃!!!
家族に看取られて死ぬことができたのがせめてもの、でした。実際は野ざらし遺体の1つとなったはずですが、いいの、おとっつぁま好きだから
いやなんだかね~、死に瀕して横たわったおとっつぁまの顔が、どうにも私の父ことじーちゃんの意識があった頃に似ていて困りました たぶんじーちゃんの髪型が、寄る年波でリアル月代だったことが大だと思うのですが なんかやっぱし、死が目前でも騒がずうろたえずみたいなとこと、そのくせ言うことがどっかお茶目で、深刻な空気にならないようにしたいダンディズムみたいなとこが、かぶってた気がします。ほんと林さん始め、おとっつぁまや神保や、ここに出てくるおっさんたちは皆、「古い男」の魅力的な部分を上手に見せてましたね~~~

そして、そしてついに、鶴ヶ城開城

「すまぬ」と頭を下げる殿に、「殿」「殿おやめください」と、一斉に止めるのがよかったなあ。家訓の時に一斉にざざっと土下座するのもそうだったけど、現代には決してない感覚、けれどそれが妙にリアルに伝わってくる感覚でした。
ここで八重ちゃんがまたもや演説!最初の「お殿様は間違ってます」では、先週の殿&八重対面でイマイチ乗り切れなかったことを思い出して、梶原さんや萱野さんとともに「やめろやめろ出しゃばるのは」と苦々しい顔になってたと思いますが(ていうかKKすら「こんなことありえないでしょ」パパ「ないないという反応だった我が家)。
しかしこの後は・・・よかったです~~~~~ 「男も女もない。これは会津全部の戦いだ」の時も良かったけど、今回の演説はほんとに、一言一言が「うんうんそのとおり」という感じで。私的に今回最大の心のバスタオル稼働タイムがこの時でした この場で殿に向かって自分の思いの丈をとくとくと語ったり、「死んじゃダメです」と殿に説教できたりするのは、女こどもだからこそですが、しかしまぎれもなく八重の演説は、その場の会津兵たちすべての代弁だったと思います!!
と同時にやっぱり、太平洋戦争の時の大多数も、こういう思いで戦っていたんだろうなと思わずにいられず(そして、こういうの勝手な推測するのもどうかとは思いますが、もしかしたら、事故収束のために原発で働いてる人たちも同じ思いを持ってるんじゃないかなとか)。
もちろん、先の大戦とは時代や状況が違うので、一概には比べられませんが、「祖国防衛」にかけた思いそのものは、質量ともに同じとしか思えないと。
もしも本質的な部分で違いがあるとすれば、戦後、会津は戦ったことに良くも悪くも誇りを持てた、日本は戦ったことに良くも悪くも誇りを持てなかった、ことでしょうか・・・?

「誇り」っていうのもなかなか難しい概念で、単なる自己愛の肥大みたいなとこにつながっちゃいそうだし、「プライドじゃ飯は食えない」というのも真実だと思いますしね。
私の解釈では「誇り」=「尊厳」です。文学的に言えば「どんな人も、どんな場所も、貶められていい存在なんてない」っていう考え方、民主主義的用語で言い換えれば、国なら「主権」、個人なら「基本的人権」みたいな。つまりとっても根本的な概念というか。
「尊厳とは」で思い出すのは私の場合、父ことじーちゃんが死んだ時のワンシーンです。死んだ直後、看護婦さんが家族その他を病室から追い出して、お清めしてくれるのですが、忘れ物してこっそり戻った私、看護婦さんがじーちゃんに対し、生前同様に「○○さーん次は右手拭きますねー」とか声掛けしながら処置しているのを目撃しちゃったのです。身内に看護婦さんとかいない私、この時初めて「尊厳という概念はどこから生まれるか」みたいなことを目の当たりにした気がしました。

女たちは、白旗を作り、床を拭き清め。
「降参」をどうしても書けない二葉さん、潔く書ききる照姫、ああどっちの気持ちもわかるな~~~。床を拭くのも、根底でどっか「自刃」に通じるレジスタンス精神を感じて。これもやっぱり「誇り」の示し方でしょうね。
このドラマ、おっさんたちの「古い男」ぶりが魅力になっていたと先述しましたけど、同時に「古い女」の魅力も存分に描いてましたね~。ところでここでも咲ちゃんが出てきたのは、籠城戦が後々ソリマチとのエピソードの1つになるんでしょうかね。

男たちは捕虜として集められ、猪苗代へ。
しかしちょっと少なすぎやしませんか?それとも元々成年男子が少なかった篭城メンバーから、老人子供を抜いたらこんなもんかなあ??絵面としてもちょっとエキストラ揃えてもいいんじゃないかと思ってしまいました。
ここでお祝いの歌を歌いだす会津藩士たち、これまたレジスタンス精神が伝わってよかったですね~。KKの「なんでここで歌いだすの?」との問いに「あえてお祝いの歌を歌うことで「俺らはこんなのへのかっぱー」「お前らざまあ」的なところを見せ付けてるんだよ」と、思わず熱く語ってしまいました。いやほんと、生き抜くためにこういう心意気はKKたちもぜひ持っといてほしいと、親的には。

ここで尚さん、八重を救いたい一心で危険な賭けに!!!
これ下手したら、八重さんを救うどころか、いわゆる「死ぬより屈辱」になる恐れ多々だったと思うんですが(声を挙げた尚さんはじめ、周りの男衆がみんな「やべーーー」って顔してたし)。
おそらく尚さん的には色々なことを考え合わせて、そうはならない方に賭けたんでしょうけど。いやあ色んな意味でちょっとギリギリな描写だと思ってしまいました(できれば「八重~会津の花」みたいな話にしてほしかった

しかし最後の八重のセリフ「それでも空は変わらないのか」は、う~んどっちだったんでしょう。「こんなに激変したのに空は変わらないなんてそんな」という絶望だったのか、「何も変わらないんだ、よし!」という希望だったのか。あるいは両方か。けど希望はちょっと早すぎるなあ。いくらなんでも。
ともあれ、半年間見続けてきた会津の戦いが、これで名実ともに終わったわけですが、半分最終回気分で見ていた私、ここまで見て、これが最終回ではなく、またこの敗戦から始まる話でもなくて、やっぱりよかったのかもしれないとふと思いました。

時々「歴史って結局は、生き残った人の視点で作られてるんだよなあ」と思うことがあります。「死んだ人の、死に際の思いが伝わってたら、もしかしたら歴史は様変わりするかもしれない」というか。
今ある歴史は、どうしても「どこかで運が良かった人」たちによる歴史で、その分、どこかが楽観的になっているのかもしれないみたいな。もしも死んだ人が、その瞬間の思いを残せるなら「自分は絶対にこんなことで死にたくなかった。無念だ。苦しい。こんなことは絶対にいやだ」という痛切さが、何倍も伝わっていたかもしれないとか。またそれとは逆に「騙されて無駄に死んでいったなんて決して思わないでくれ。守ろうとした国と、守ろうとした自分を、どうか貶めないでくれ」という痛切な願いも、より強く。あるいは1人の中の、走馬灯のように駆け巡る思いから、その両方がうかびあがるかもしれない。
(余談ですが、もしかしたら先述した「会津や日本が誇りを持てた持てなかった」は、このどちらを見るかに過ぎないのかもと)
「八重の桜」の感想で毎回のように引かせていただいた山田風太郎さんも、私的「これは大学生の必読図書にすべき」な本「戦中派不戦日記」で、前書きでこう書かれています。

「ただし、断るまでもなく、あくまでも九牛の一毛的記録である。戦争体験は万人万様だ。しかも23歳の医学生という比較的身軽な立場から書かれたもので、真に書かれるべきは、家族も家も職も、あるいは本人の命さえ奪われた多くの人々の記録であったろう。ただ、その人々の多くは、そういうギリギリの立場のために日々このような閑文字を残す余裕がなかったに相違ない」

しかしやっぱり、歴史は生き残った人によって作られるもので。
生き残った人にとっては、死んだ人がそこで終わった瞬間ですら、通過点に過ぎなくて。キレイに終わって本を閉じる、ようなもんじゃなく、そこには必ず続きがあるんですよね。時は容赦なく続く。

自らも命をかけようと本気で思い、出征していく身内や友人を「先に行っててくれ。後から行くから」と誓って送り出し、食うものも食わず家を焼かれ親兄弟を焼かれ。
そうまでして守ろうとしたものを、ついに守りきれなかったその時。
自身もそうした大多数の1人であった山風さんは、太平洋戦争開戦の1日と、終戦に至る15日間の、その同日同刻、人々がどこでどんなふうに考えていたかを色んな資料から抜き出し、並べて見せた本「同日同刻」で、最後の1日の終わり、すなわちこの本の終わりを、次の文章によって〆ています。

「「8月15日の夜は、灯を消して床についてからも眠れなかった。闇に目をあいていて夢のようなことを繰り返し考えた」
48歳の大仏次郎は書いている。
「その闇には、私の身のまわりからも征って護国の神となった数人の人たちの面影が拭い去りようもなく次から次へと浮かんできた。出版社の事務机から離れていった友もいる。平穏な日に自分の行きつけた酒場で、よく麦酒を飲み交わし、愉快な話し相手だった新聞記者の若い友人もあった。僕を見ると、目顔で笑って包丁を取り、注文はしないでも私の好きな鯒に手際よく包丁を入れてくれた横浜の「出井」の主人もいた。六大学のリーグ戦の時だけスタンドで顔を合わせ、仲良く喧嘩相手になって、シーズンが去るとともに別れてしまう不思議な交際の人もいた。和歌に熱心な町のお医者さんもいた。その人たちとの心の交流が如何に貴重なものだったかと言う事実は、失ってみてから切実に知ったことである。皆が静かな普通の町の人であった。
いつの日にかまた会おう。人なつこげな笑顔が、今も目に見える。この次会う時は真心からつかみたいと願っていた手の体温も、死者の冷ややかさを覚えしめるのである。白い明け方の空に、一つずつ星が消えてゆくように、一人ずつ君たちは離れていった。
私の知っている人々の他に、無限に地平に続く影の行進がある。その一人ひとりに父親がおり、妹や弟がいる。
切ない日が来た。生き残った私どもの胸を貫いている苦悩は、君たちを無駄に死なせたかという一事に尽きる。繕いようもなく傷を開いたまま、私どもは昨日の敵の上陸を待っている。我々自身が死者のように無感動にせねばならぬ。しかも、なお、その時、君らの影を感ぜずにいられようか?
待っていて欲しい。目前のことは影として明日を生きよう。明日の君たちの笑顔とともに生きよう。その限り、君たちは生きて我らとともに在る。」
(朝日新聞・昭和20年8月21日「英霊に詫びる」大仏次郎)

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八重の桜・第28話

八重の桜・第28話の感想です。
ボロボロ鶴ヶ城が映るたび、「ああ~~~」な回でした

まずは頼母と八重&秋月のお別れシーン。
「なんでお殿様は頼母様を追い出すんだ!」と思わず怒る八重に「出すぎた口をきくな!」と一括する頼母。いいですね~。
それに続けて
「それぞれに信じる道があるのだ。どうしても譲れない道が。たとえ臆病者と言われてもまっすぐにしか進めぬ」
ああこの人もやっぱり「ならぬものはならぬ」の会津人なんですね~(ついでに「たわまぬ節」の千恵さんも)
このドラマだと頼母さんは「とことん恭順派」で、なので彼と対立する殿はじめ会津藩首脳部は「徹底抗戦派」って印象が強まるんですけど、そして後世の目から見ると「頼母が正しい」になりがちなんですけど、「どちらが正しいってわけじゃないんだよ」っていうのをガーンと伝えてくるシーンに思えました。
そしてその後、秋月さんに事の次第を聞いた八重ちゃんが「今更恭順なんてそんな弱腰な!」とやっぱり会津藩首脳部と同じような反応をするところが「うんうんそうだよなあ」と納得であるとともに、それに対して秋月さんいわく「今は恭順を言う方が勇気がいる」というのにも「うんうんそうだよなあ」と深く同意。昔読んだ「はだしのゲン」で、出征していく浩二に父ちゃんが「浩二ー。臆病者になれー。卑怯者になれー」と泣き叫んでたのが、いまだに印象に残ってるのでね~
「生きたい」という当たり前のことが「臆病である」「卑怯である」と責められるみたいな、そういう「人として立派じゃなきゃ生きる資格がない」みたいな世の中=人間の弱さ醜さを認めない世の中は、とっても怖いなと、かねがね思ってました。正論で人を追い詰める世の中というか。で、そうならないためには「命は大切だ」って堂々と言える世の中でないといけないな、と思っていて。「お国のため死ね」が跋扈する世の中よりは少なくとも、そういう恐ろしさに結びつく可能性は断然低いだろうと。
思ってたんですが、しかし原発事故の後のあれこれを見たら、ちょっと違うふうに思っちゃったんですよね。「命は大切だ」も十分、正論で人を追い詰めることになるのかもなと。この場合「非国民」ならぬ「人でなし」みたいなレッテルを貼られて。
私自身、2年前とか「いや放射能をそこまで敵視するこたないでしょ」とか「原発=悪者扱いはどうでしょう?」なんてのは、なんか言いづらいな~と思ってました。「命が大切じゃないのか!」って怒られそうな感じ。極端に言えば、「命が大切だから」さえ頭につければ例えばガレキ反対もデマという名の誹謗中傷も何でも正論になって誰かを追い詰めることができる的な。そう、つまり、太平洋戦争の「お国のために」と真逆になってるだけで、実は同じなんじゃないかみたいな(怒られそうで言いづらいという自分含め)。それで裏返しのまま行き過ぎて、でも裏返しだから過去と比べて行き過ぎてることに気がつかないで、後世「あの当時の人の考え方は理解できないね」とか言われてたりしてとか まこれは考えすぎだと思いますが。そしてたぶん、逆の立場の人はまさにはだしのゲンの父ちゃんみたいな思いを味わったのかもしれませんが。同じ時代の同じ出来事で。
念のためですが「命なんて大切じゃない」って言いたいわけじゃ、まったくないです。ただ「「お国のために」は危険だけど「命を大切に」なら安全」てのは違うな、傾きすぎたら危険なのは天秤の片側ばかりじゃないんだなと思いましたってことで。
(なので頼母さんの「それぞれに信じる道があるのだ」は余計にしっくり来ましたね~)

さてお城では、女たちが炊き出しを。このおにぎりづくりは、本当に熱くて量が多くて大変だったそうで、ぬれぶきんで握ったなんて話を「清らにたかく」で読みました。サランラップとかないもんね;;
このおにぎり(玄米)がまた見るからにまずそうでよかったですね~(一緒に見てたKK「何あれ、米?」) 「手に残った米粒はあとでおかゆにするので水に入れて」っていうセリフとともに、兵糧が厳しくなってることをばっちし伝えていました ちなみに女たちのおかゆは虫が浮いて、食べる時はそれをよけながらだったそうでウゲゲゲゲ
 
小田山ではついに新政府軍のアームストロング砲が備えられ。
小田山に登ってみたら、戊辰戦争で焼失したという「観音堂跡地」なんてのもあったのですが、もしかしたらあれは今回の八重&尚さんの反撃によるものかもしれませんね しかしあんなちっちゃい大砲(?)でよくがんばったもんです会津藩。
ここでおとっつぁまクローズアップ。どう見ても来週の別れを際立たせるためだけの出演だけど いいです、おとっつぁま好きだから♪
「ここは危なすぎるんだ」とおとっつぁまが言った時に、横で尚さんがなんだか「大事なお嬢さんをすんません」みたいな顔をしていたように見えたのがまたよかったです。ダンナはともに戦う同志、一心にその身を案じてくれるのは(父)親、みたいな

大蔵&お登勢さんや、平馬&二葉さんなんかも、今回クローズアップされてましたね。特にお登勢さんのセリフが珍しく多かったのは、まあ今回の主役ですから当然として、二葉さん及び山川家が多かった気がしたな~~。凧揚げシーンでは咲ちゃんこと後の捨松ちゃんも出てきたし、そろそろ戊辰戦争後に向かっているのかな。。。
個人的に、平馬に「頼むぞ」(だっけな?)と言われた時の二葉さん「ハイ」が、まったく気負わず「わかってますって」てな感じで普通~だったのがとっても好印象でした。二葉さんって、前はその強気(=かたくな)なところがどうにも苦手だったキャラだったのですが、先週辺りからなんだか好きになっちゃって

そして焼玉押さえ。篭城戦エピソードを知った時、「すごいなこれ!後方支援の女こどもたちはこんなことまでやってたのか」と私的に一番驚いたのがこれです。と同時に、断片的にしか知らない篭城戦(篭城戦に関する物語とかあんまし読んだことなかったので)の、その場の雰囲気というか、すごいことになってた鶴ヶ城の情景が目に浮かぶようなエピソードだなとも。
これで失敗して悲惨なことに・・・という人も、今回の主役はじめ多数いたそうですが、私それは爆弾に近づくタイミングだと思ってたんですよね。急いで抑えれば大丈夫だけど、爆発1秒前にうっかり近づいたらアウト、みたいな。
しかし、こんなに長い時間抑えてなきゃいけなかったんですか いや長いっつっても数秒ですけど、爆弾抱えての数秒は長いわ~~;;そんで体の下に抑えてる爆弾が消えるか爆発するかは、抑え続けていないとわからないみたいな。こわ~~~~~~~~~~~~
夏ディズニーに水撒きイベントってのがあるんですが(と唐突に関係ないにもほどがある話)、あれ大空にザッパーーンと水が打ち上げられた後、自分のとこにドシャーーと落っこちてくるまでに、数秒間のタイムラグがあるんですよね。で、その落ちてくるまでの数秒が、「うわ来るぞ来るぞ」ってもうたまらなくスリリングだという。水ですらけっこうドキドキするのに、爆弾を体の下に敷いての数秒間は・・・
しかし改めて、爆弾来たら逃げる方が絶対早くて確実だと思うのに、「お城を守るために」と、見ていた平馬さんが驚くほどの危険なこともあえてしていた女性陣に拍手を送りたくなりました。おかげで、殿が会ってみたくなったという流れも自然なことに思えて。

というわけで、殿&八重、10年以上ぶりの再会!
ちなみに対面した場所=殿が篭城していた場所は、「紀行」でもやってましたが鶴ヶ城の黒鉄(くろがね)門の上で、今は八重の紙芝居をやっています。綾瀬はるかちゃんもこの紙芝居を見たそうで。
もしも鶴ヶ城に行く機会があったら、ぜひ紙芝居の鑑賞がてら「ここに容保公(と綾瀬はるかちゃん)が座ってたんだな~」と当時に思いを馳せてみてくださいませ♪もっともお城は昭和物件ですけど
しかしこの感動の再会シーン、長いな~と思ったのは私だけ? なんか今回、「無駄に長いな」と思った場面が個人的にわりとあったんですけど、ここもそうで、勝手に思い出話を始めて、長々と思いの丈を演説して、もう退出するっていうのもさらに引き伸ばす八重ちゃんって、すっかりヤなありがちキャラになってるとしか なんかこう、うまく八重ちゃんとシンクロできなくて感動もイマイチでした。たぶん爆弾の説明自体が無駄に長かったので、「この上まだ語るのか。もういいよ」と思っちゃった気がします。爆弾の説明なんて、視聴者向けにそんなマニアックにしなくてもいいのにね~。
あ、でもそういえば「鉄片が」っていうのは、満州で空襲を体験した父ことじーちゃんも言ってました。小さい鉄片に過ぎないんだけど、兜とかかぶっていない時代には意外とバカにできない威力があるそうで。
ちなみに父ことじーちゃんによると、「ドカーン」よりもその前の「ヒュ~~~~」という音の方が激しくヤだったそうです。これまた夏ディズニーの「うわ来るぞ来るぞ」と同じですね。だからディズニーと一緒にするなって話ですけど。ていうかディズニーも当時は敵国だったわけですけど それはさておき、なんでも敵さん、そうして神経に障らせるためにあえて「ヒュ~~~~」と音を出すものを爆弾にくっつけてたとかいないとか。そういえば「鉄の暴風」を体験した沖縄では、「あの音がイヤ」というお年より多数で、あまり花火大会とかなかったという都市伝説もありますね(今は沖縄の花火大会多数ありますけどね)。
 
ともあれ、退出間際の殿をひきとめて思いついた案が、「皆で弾薬を作る」
すごいな~~女子供、なんでもやってるじゃないですか しかもそんな悲壮感に酔うわけでもなく、楽しげにワイワイと。この空気、好きだわ~♪そして二葉さんの「敵が撃ってきた弾をこっち用に活用するなんて、気分いい~♪ザマミレって感じ(意訳)」の言葉にもぶんぶんとシェイクヘッド てかそんなことするようになったら終わってる状態なんですけど、この心意気は大事よね 戦時中にこういうたくましさ発揮する人は、戦後の復興もきっと力強く生き抜く人だと思います。戦争と復興、ベクトルが真逆なので人間の強さや感情なんかも真逆の方向に使われちゃうけど、本質は同じだと思うので。

一方、男衆は米沢と結んで補給路を確保するため、オニカン率いる朱雀隊・別撰隊など精鋭部隊が出陣を!
出陣前夜、八重ちゃんさながら思いの丈を語りつつ、殿に手ずから酒を賜って、おそらく人生で一番うれしい日を過ごすオニカン。ここのシーンは・・・長かったな~~~ もうさ、この場面で官兵衛が何か言うのはすべて明朝の失態を強調するためなんだから、そんなシーンにこんなに時間取らないでほしかった しかもなんだかまた「殿がそんなに酒飲ませるから」みたいな演出になってるように見えるのは気のせいか? ていうか誰かもっと早く起こしに来ればいいのに。または次の日に延期すればいいのに。そうすりゃ多少なりとも犠牲が減ったでしょうに、そういうわけには・・・いかないんかな~やっぱし。

ちなみに有名な話ですが、この時の「長命寺の戦い」には、なんとオニカン父も参加していたそうです。なんでも「もう年なんだからやめとけよ」というオニカンの反対を押し切り、「慶応四年八月二十九日討死 佐川幸右衛門直道 生年六十三歳」と書いた下着を身につけて戦い、果たして討ち死にを遂げたそうで。う~むこの子にしてこの親ありなワイルドさですね~!
私としては、精鋭部隊を見事無駄にして帰ってきたオニカンさんはどんな反応で迎えられたかに興味があったのですが、この後勝ち戦などを戦いつつ、開城までついにお城には戻らなかったそうですね。しかし頼母がいまひとつ人気薄な気がするのに比べ、オニカンって決してそんな印象がないのは、この勝ち戦のせいか、はたまた基本「あの人なら仕方ねーやー」で許されちゃう、どっか愛されキャラだったのか?wikiの写真見ると「「獅子の時代」の銑次アニィかい?」てくらいのワイルド風味ですが
この奇襲が成功していたら歴史は変わっていたんでしょうかね~?もしかしたら篭城2ヶ月とかになって、そのうち雪とか降り出して、そして・・・結局のところ、歴史の大筋は変わっちゃいない気もしますが(ちなみに鶴ヶ城開城してわりとすぐ、雪がちらついたそうです)

一方、こちらは女子供版・豪快さんたち。ばんばん砲撃されてる鶴ヶ城で、みんなで凧でも揚げようじゃないかと。
これも有名エピソードですね。私最初はこの凧揚げ「なんでそんなことするの。危ないじゃないの」としか思えませんでした。ただまあ、子供が劣悪な環境でじ~っと篭城してるのはもっと辛いだろうし、たまにゃこういう気分転換も大切ではあるだろうな~とか。
でもそんなもんじゃない、もっとたくましくて大らかで、そして何より「敵への抵抗」という気分があったんですね。もしかしたら、現代的な目線で見れば「でも子供はただ使われただけじゃ」「そんな危ないことまでして子供に敵愾心を植え付けるなんて」というのもアリかもしれませんが、自分がもしも白装束着て篭城した一員だったら、やっぱり凧揚げする子供に「おおうまいうまいもっと揚げろ~」って笑顔で言ってると思います 砲弾が来るかは時の運だし。ここまで来たらもう生きるも死ぬも運命よね。

逃亡中のユキさんたちも、この力強い凧を見てましたね。しかしできればこの時、ユキさんが見た景色も映してほしかったな~~。遠目にもボロボロな鶴ヶ城をバックに、元気よく舞ういくつもの凧。見たかった!

そして月日は明治元年9月14日。うわもう明治か。「上からは明治(めいじ)だなどと読むけれど、治明(おさまるめい)と下からは読む」と、当時反骨の江戸っ子は読んだそうです。ともあれいよいよ新政府軍は総攻撃を開始!あと10日弱、開城までのカウントダウンが始まりました
「紀行」でも言われてましたが、最後の総攻撃が始まってからは、1日最高2000発の砲弾が飛んできたそうですね。ってええ~~~2000発!?200発の間違いじゃなくて!?そりゃもう、当たらない方が運がいいくらいじゃないですか!?!?

ここで飛んできた砲弾を、とっさに布団で抑えるお登勢さん!こういうのって、ほんともう時の運というか反射神経というか、前も二本松で蜂の巣になって死んでいく若先生の時も思いましたけど「あっ危ない」と思った時にもう手足が動いてるかどうか、その差なんですよね、きっと。一瞬でも躊躇しちゃったら、たぶんもう体が動かない。たとえ普段どんなに「人のために死にます」と本・気・で思って(るつもりでい)ても。こういう時に「死ぬ」とか考えずに、ただ「消す!」「助ける!」と目の前のことだけ考えられるかどうか、その差な気がします。で運がよければ「いやああの時は何も考えなくて、ただ必死で」になり、運が悪ければ「自分の身を犠牲にして」になるみたいな。

そしてお登勢さんは後者になってしまったわけですが、このシーンはゾクゾクでしたね~~ 押さえている間の数秒がめちゃめちゃ長く感じられ(上からかがみこんでる時に爆発したらとか思うともう)、「大丈夫・・・かも」と思った途端どーーーん 結末を知ってるはずも私も、あまりの思いがけなさに一緒に「うわっびっくりした」でした~~
聞いた話では山川家、何かあったら介錯しあおうとお互い約束して篭城していたそうですが、この時瀕死の重傷を負ったお登勢さん「苦しいから介錯してくれ」と頼むも、皆どうしても介錯しきれず、長時間苦しんで亡くなったのだそうです。。。真偽はわかりませんが。
それにしても、焼玉抑え、凧揚げ、炊き出し・・・ほんとに「銃後」もハンパない戦いだったんですね~~~

さあ来週は、いよいよ「鶴ヶ城開城」です。「落城」じゃありません「開城」です念のため
長かった会津の戦いが・・・賊軍の汚名を着せられ敵が踏みつけようとしている故郷・会津を、命をかけて守ろうとした戦いが・・・来週ついに終わるんですね~~~。もう今から山風さん本で引用したい一節が浮かんでます 気分は最終回です 8月からはもしかしたらこのブログ、夏ディズニー旅行記になってしまうかもしれないのでそのせいもあり
いえ京都編も楽しみに見るつもりではあるのですが、150年前の会津とともに過ごしたこの半年の大河はやっぱし特別でした。そして来週はその総決算!ありがとう、そして楽しみにしていますNHK!

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八重の桜・第27話

八重の桜・第27話の感想です。
今回は、悲惨な中にもとっておきの爽快エピソードのある回でしたが、それは後で

今や病院と化した、あの全国有数だった藩校・日新館も、焼失したそうです、会津藩自らの手により。
こないだトシ&斉藤が分かれた猪苗代城もそうですが、敵の重要拠点になりそうなところは焼き払っておくのが、この時代の戦のセオリーだったとはいえ、病院までもとはやっぱしムゴイですね
しかしこれは総力戦≒市街戦の時にはおそらくよくあることで、沖縄でも、退却する時、もう動けない兵士たちに毒入りミルクだか何だかが配られた話があったような。私は長らく、これは捕虜になって色んなことをしゃべられては困るからだと思ってたのですが、ナチスドイツとユダヤ人を描いた映画「シンドラーのリスト」でも、看護婦さんの手によって、毒飲料だか毒注射だかが一般人の寝たきり病人たちに施されたシーンがあって「あっこういうのって西洋でもあったんだ」と、かなーり驚いた記憶があります(沖縄一般人の壕でも、「もはやこれまで」という時に看護婦さんに毒を注射してもらうという話はありましたね)。この時の会津兵もおそらく「捕虜云々」という理由ではなく、ユダヤ人や一般沖縄人(もしかしたら沖縄負傷兵も??)、そして前回自刃して行った土佐たちや女性たちと同じ理由で死んでいったのでしょうね。

八重は夜襲に出て、遠く離れたお城からは撃てた鉄砲を、目の前で、目を合わせた敵に向かっては撃てないという衝撃の事実を確認することに。
ああこれもリアルですね~~。昔の「ヤアヤア遠からん者は音にも聞け」とか言って名乗りあいながら戦った悠長な時代(ほんとにそんなことしてたのかはともかく)から、近代になればなるほど、自分は安全なまま人を一度に大量に殺すことができるようになり、それに伴い人を殺す感覚もどんどん味わうことなく済むようになって、いやあいい時代になりましたね ってわかりきった青臭いことをすみません。でもこれ、ネットとかもちょっと根っこは同じだと思うわ~。こういう感覚が広く浸透しつつあるというか。
ここで出てきたのが先週に引き続き黒河内先生 すっかりいいように使いまわされる人になってる気がするけど、まあいいです助けてくれるなら

お久しぶりの二葉さんは、虎ちゃんが行方不明。。。こういう混乱、きっといっぱいあったんでしょうね~。。。
茫然自失状態の二葉さんを「家老の家の者が率先して働かなくてどうする。親兄弟なくしてる人も大勢いるんだ」と叱咤する母上、すごい!さらにその叱咤で生来の強気を取り戻す二葉さんもすごい!あの3.11の時、自らをこう叱咤して、親兄弟が安否不明(あるいは死亡)なまま、避難所で率先して働き続けた方々の存在がどうしても思い起こされるシーンでした。

竹子&娘子隊も出てきました。
萱野権兵衛の前に勢ぞろいした娘子隊、キレイでしたね~~!こんなんが戦場にまぎれこんだら、そりゃ敵は生け捕りにしたくなるというかなんというか
この人たちも、八重や白虎隊、オニカンや梶原平馬たちと「心は一つ」なんですね。助かろうとは思ってない、ただ自分がやるべきと信じることをするのみ、それは敵を倒すこと、みたいな。おそらく篭城も含め、戦に参加した人間のほとんどはこういう心境で、にもかかわらず生死を分けたのは、ほとんど「運」だったんでしょうね。

そんな中で、どうしても「心は一つ」になれないのが頼母。
こういう存在はとっても重要だとは思うのですが、しかしね~~~。やっぱし相変わらずの「正論止まり」なんですよね なので「お前が言うな」とピシリとシャットアウトした梶原には、ちょっとスッキリしてしまいました だって頼母の言うことってほんと「そりゃわかってるけどさあ。だから今それどうしようかって言ってるんじゃん」な内容なんだもん 「戦争はいけない、皆が平和に暮らせる国に」としか言わない社民党みたいなもんです いや私、親の代から社会党で、社民党の理念みたいなものにもまったくもって同意で、「こういう存在はとっても重要だよな」とも思っているのですが。

というわけで、平馬たちには「だめだこのモーロクジジイ。任せちゃおけん」的な扱いをされ、同じくモーロクジジイの枠内である神保と土佐も自刃したとの知らせを受けて、「老兵は死なず。ただ去り行くのみ」を体現する頼母。実際はそんなに老兵じゃないはずだけどそれはさておき

この後の、ちょっと感動的っぽい八重と頼母の語らいは、実は家事でバタバタしていて見てなかったのでした。「強くなれ」と言ってるとこは聞いたんだけど
「なよ竹の~」の歌を持ってそう八重に説くってことは、「あくまで恭順を」を貫くのが、頼母の「たわまぬ節」であり、「ならぬことはならぬ」の通し方、ということなんでしょうね。うんやっぱりそういう存在は必要だと思うわ。「ならぬことはならぬ」がぶつかりあって、決してわかりあえないから戦争になっちゃうかもしれないけど。ええ~~戦争はやだなあ

一方、戦場に出た竹子たちは。
「お城に帰ったら鉄砲を教えてもらいましょう」と、竹子が。あの「あなたの鉄砲にもののふの魂がこもってるのはわかった。しかし私はやっぱりなぎなたしか考えられない」な竹子が、「鉄砲は強い」と、敵を前に全面敗北宣言。これってつまり「お城に帰れるとは思ってない。自分はここで負けて死んでいく」とわかっていた、ってことですね。それでも、それでも敵に討って出るのか。
西郷千恵さんや白虎隊同様、「非力な者の精一杯の戦い方」を貫いて死んでいく竹子でした。う~むこれで生け捕りにされたら、確かにその悔しさはあまりあるかもな~~

竹子たちとともに戦っていた雪子さんは、皆とはぐれ、官軍に生け捕りに。そっその悔しさはあまりまる~~~~
捕らえられた雪子さんと、短刀を貸してやる官軍兵士との語らいは、これまた子供らがピーピーうるさくてあんまり聞こえなかったのですが、「三途の川を渡る時は迷わないように名前を言え」というのだけ聞き取れました これは「ダンナに恥じることは何もないぞ」という含み・・・?まあこの時の三途の川は、修里が見つけるのに難儀するくらい、めちゃめちゃ大渋滞だったでしょうね~~

そのころ、鶴ヶ城にはついに砲撃が!!!
ついについに、運命の小田山が官軍の手に!!!ええっ小田山に火薬が置いてあったんですかいやあそりゃあ・・・
ちなみに小田山からは鶴ヶ城がそりゃもうよく見えます 飯盛山からだと鶴ヶ城はけっこう遠くて、しかも現代では障害物もありますが、ここからは今でも障害物がなくてね~、そりゃもうボロボロ鶴ヶ城にもなるでしょうと実感できるという(小田山レポこちら)。

これを受けて、頼母は「たわまぬ節」すなわち「どうか恭順を」。
ていうか頼母って、そんな一貫して恭順を訴えてた人っていうより、以前「今から反射炉を作れ」「だからあん時京都から引き揚げてれば」って言ってたみたいに、わりと感情のまま「正論止まり」なことを言う人って印象があったんですが、西田頼母さんは微妙に違いますね。おかげで頼母と対立する容保公も微妙に違う印象に描かれてる気がしますが、それはさておき。
ああ、けど恭順を訴える頼母に返ってきた答えはやっぱり「なんであんたはそう負けることばかり言うのか」。
まあねえ、せっかくみんな一丸となって頑張ろうとしている時に、こういう水差すようなことばかり言う奴ってほんとヤです。ていうか感情的にヤなばかりじゃなく、はっきり言って「邪魔」です。おかげでほんとにグダグダになって、そのせいでほんとに負けちゃうかもしれないんだから。
という気持ちはよーーーくわかるんですけど、そして私、この会津戦争は会津のせいで起こった戦争じゃない、ただ向こうが攻めてきてこっちが受けて立った(ように仕向けられた)だけで、受けて立ったこと自体まで責められることじゃ全然ないと思っています。京都守護職とか鳥羽伏見とか、回避するタイミングはもしかしたらあったのかもしれないけど、「回避できなかったから会津の自業自得」てのはおかしい、そもそも攻めて来るのが一番悪いだろうに、なんでその原則「そもそも」を忘れて、負けた方さえ引いてりゃよかったんだよという、勝ったら何でもありみたいなのを後押しする考え方が浸透してるんだろうとすら思ってますけど、しかし。

しかしそう思ってる私ではあるのですが、今回初めて頼母に同調して「ここで折れるのもアリだったよなあ」と思いました。だってもう負け確実ですもん。「頼母が戦意喪失するようなこと言ったから負けちゃった」とかじゃなくて、一丸となってもこりゃもう絶対負けですもん。たぶん「あ、こりゃもう負け確実」っていう判断は「母成峠を越えられた時点で」とか「予備の白虎隊を出す時点で」とか、その人の先読み能力によって色々分かれると思いますが、後世の結果論を自分でできるだけ取り除いたつもりで、あらゆる面で「おそらく」の入る余地のない、「確実に負け決定」と思うのは、私の場合ここです。かなり遅いです でもそうなったらもう、1日でも早く白旗あげないと。昭和20年の8月なんてほんと、降伏が1日早ければ早いだけ、死者の数が100人単位で違ったはずなんですから。

あ、でもそうか、官兵衛たちは雪が降るのを待っていたのか。そうすれば「負け決定」とは言えなくなると。そうか、そうしたらやっぱり、やめるわけにはいかないかなあ。少しでも可能性があるなら、そりゃそれにすがりたくなるのはよーーーくわかるしなあ。「和議を少しでも有利な局面で」って重大事ではあるし。

それに、竹子たちもみんなそうだけど、いよいよ状況が「生きるか死ぬか」になってきて、「生への執着」と「死も辞さない情動」のせめぎあいの結果、後者が前面に出ているこの時ならば、「恭順して犠牲を減らそう」なんてのは、いかにもトンチンカンにしか聞こえないでしょうね。「敵に屈するくらいなら、女子供まで城を枕に討ち死にする!」って、今ではキチガイ沙汰としか聞こえませんが、毎度毎度、しかも長くてすみませんが、昭和20年8月18日「戦中派不戦日記」より。

「呆れけえってものも言えねえや。いってえぜんてえどうしていいんだか見当もつかねえ。
ここで投げるって話はねえ。まったくそんなふざけた話はねえ。おら阿南さんがかわいそうでなんねえや。こりゃてっきり重臣連中が国売ったにきまってらい。一方で特攻隊を出しながら一方で敵に色目を使っていたたあ何てむげえ、恥っさらしなマネをしやがるんだろう。あの野郎どもたたっ殺しちまえ。
降参したら、急にいくじなく敵の強えことをぬけぬけと宣伝しやがる。醜態ったらねえ。
しかしシャクだなあ、何が神州不滅でえ。負けて何が不滅でえ。勝利か、民族滅亡か、なんて生意気なことをぬかしやがって、今度は民族滅亡の恐れがあるから降参する、なんて、何がなんだかさっぱりわかりゃしねえ。こちとら人間が簡単だからな。こんなにあっさり負けていいのなら、今まで食うもの食わずにガマンしてきやしねえや。ええっ畜生、シャクに障る。
特攻隊は何のために死んだんだ。かわいそうなことをしたなあ。いいや、特攻隊とか満州取られるとか、そんな損得言うんじゃねえ。ただ降参するって手はねえ。最後の1人まで戦って、日本が滅んだらそれでいいじゃあねえか。それでこそ勝ったってことにならねえか。華々しく全滅したら気持ちがいいじゃねえか。でえてえ、小せえ奴が大きい野郎と喧嘩するんだ。命をかけねえで何ができる?苦しみ方が足りねえよ。まだ苦しみ方が足りねえよ。おらも苦しかったが、こんな苦しみ方で勝てるなんてつゆ思っちゃあいなかった。負けるにしたって勝つにしたって、こんな苦しみ方じゃ薬にも毒にもなりゃしねえ。
イタリーが前の大戦で寝返った。今度の戦争でもまた寝返ってる。いきさつぁ違うかもしえねえが、根を正しゃあおんなじこった。つまり弱えんだ。国民が腰抜けなんだ-って笑ったっけが、これじゃこっちもあんまり大きな口はきけやしねえや。こんなことで投げ出すのなら、またやったって、また途中いい加減なところで投げ出すに決まってる。案外日本人ってこんなもんじゃあねえか。---ヘンに気が滅入っちゃったよ。滅入らざるを得ねえってわけだ。
あのとき天皇陛下は、なぜ、最後の1人まで戦えっておっしゃらなかったのかなあ。もってえねえ話だが、おら泣くには泣いたが、やっぱりもう一戦やりたかったなあ。
親を殺され子を殺され、家を焼かれて、へっ、いまさら毛唐にもみ手をして、へいへいばったのマネができるもんけえ。これぁこのまま収まりっこねえね。騒いだって仕方がねえね。
しかし、もうこうなったら、どっちにしたって---もう駄目だね。畜生、畜生、チクショウッ、か。へっ」
(この「大洋製作のおやじさん」の語りはこの後もまだまだ続いて、最終的に、庶民が、日本人が、この怒り悔しさと、どう折り合いつけて、どういう心境で戦後を過ごしたかまでがうっすら伝わってくるような内容が、江戸っ子のべらんめえ口調で語られています。もしよろしかったら山風さんの日記をぜひご一読してみてくださいませ。ちなみにこういう思いは当時決して珍しくない、というかむしろ大多数の代弁ですらあるように思われます。だから山風青年も長々と書きとめたのでしょう)

そしてさらに言えば、「恭順することで会津を救う」っていう、今の私たちには至極もっともに聞こえる提案って、当時じゃ「何言ってんの?そんなんで会津が救われるはずないじゃん。むしろ恭順したら会津滅亡させられるでしょ」の方が普通だったかもしれないんですよね。
うっすら思うんですけど、「恭順することで会津を救う」という頼母の意見が今の私たちに至極もっともなこととして聞こえるのは、敗戦日本に対するアメリカの占領政策がめっちゃ上手かったから、に過ぎないんじゃないかと。あの時のアメリカがうまかったから、「頭を下げれば敵だって許してくれるんだよね人間だもの」と、今に至るまで信じ込んでる、て面は・・・ないでしょうかね??
いやそう信じ込んでるのはそれはそれでいいことでもあると思います。敵じゃないものを「どうもこっちを敵視しているみたいだ。こうしちゃおれん」と、疑心暗鬼に駆られて、本当に敵同士になっちゃったみたいなバカげた事態は避けやすい気がするし(こういう事態はほんとイヤ)。ただ第一次大戦後の敗戦国ドイツのすさまじさとか、西欧諸国の植民地支配みたいな情報が今よりリアルに伝わってた昭和初期には、「降伏=日本滅亡」はとってもリアルで、というか想像もつかない事態だから(だって負けたことないから)すっごくリアルな不安で、そのリアルさは、たぶん戊辰戦争時の会津も同じだったのではと。
秩父宮勢津子妃「銀のボンボニエール」より
「会津から立派な方がたくさん出たのは、下北半島の会津藩士に対する明治政府の仕打ちがあまりにも酷かったので、その反発からでございますよ。気概のある人は会津魂を燃やして、いまに見ておれという気持ちで踏ん張ったのでございます」
山風さん「戦中派不戦日記」昭和20年8月16日より
「敵が日本に対し苛烈な政策を採ることをむしろ歓迎する。敵が寛大に日本を遇し、平和的に腐敗させかかってくる政策を何よりも恐れる」
同「いまわの際に言うべき一大事はなし」より
「-アメリカに負けて、日本は抵抗するどころか、もろ手を挙げて、考え方も様式も着る物も、全部アメリカ的になろうとしましたね
「かつて、こんなに全面的に服従した国家ってないね。占領されても、やはり反抗する奴がおるものだ。インドならガンジーのように。それが日本にはまずいなかったね。僕たちなんか、抵抗を感じつつも、アメリカという国はなんだかんだいっても大したもんだなと思うようになっちゃったからね(笑)」」

念のためですが、「だから今の日本はダメだ」なんて言うつもりはまったくないです。生きやすい時代(今んとこ)に生まれることができてよかったな~と心から思ってます。ただ、今と当時ではどこが変わったのか、なぜ変わったのか、どこまで変わったのか、そもそも本・当・に・変わったのか等々を知りたいな~と、個人的に思ってるだけです。

さて最後は、山川大蔵率いる彼岸獅子!
会津戦争に詳しい人の間ではおそらく、天寧獅子と小松獅子のケンカで春坊がどうのこうのという話が出た時点で、今回の彼岸獅子入城が予期されていたと思うのですが、その春坊もしっかり参加していて「これがあの時の子かい。大きくなって」などベタ中のベタが展開されるとまではさすがに思ってませんでした でも考えてみれば、彼岸獅子に子供がいるのは小松獅子ならではの特徴で(いや他の地域でも子供がいるとこはあるのかな?少なくともケンカ相手だった天寧獅子は、子供じゃなくひょっとこです)、なるほどそんな意味でもうまい伏線だったのだなと。(ちなみに小松獅子のレポこちら

戊辰戦争の際、日光街道田島村(現在の田島町)を守りし24歳の国家老・山川大蔵、容保公より「城中の兵少なく、守護薄弱なり、速やかに帰城すべし。ただし途中の戦闘を避けるべし」との急使を受け、田島口の守りを解いて、若松の入り口・飯寺(にいでら)まで来りし時、すでに敵軍は充満、蟻の這い入る隙も無いとのこと、そこで大蔵一計を案じ、小松村に伝承する彼岸獅子を懇請されたのでございます。小松村ではさっそく村老の重左衛門、孫左衛門等が決死の獅子舞組を組織させ、「通り」と称する囃子を奏しながら獅子舞組を先頭に堂々突進、敵軍がこのいでたちにアッケに取られている中、一兵も損ずることなく城内に入ることができたのであります。
篭城軍、この獅子舞組の音を聞き、くろがね御門を開いて、泣いて迎え入れたと歴史に残ってございます。
(小松獅子のチラシより)

もう遠い日々、そして二度と戻らない日々に思える彼岸獅子の笛や踊りが、思いがけず近づいてくる光景は、篭城中の会津人たちにとって、きっとどんなにかうれしいものだったでしょうね~~~。しかも一兵でも欲しいときに、相手は戦上手の大蔵さんだし。ここ数週の「八重の桜」を見たからこそ「城中はみな泣いて迎え入れた」という心情が実感できる気がする彼岸獅子入城でした。大蔵の「だからおろしあってどんなとこだったのよ」というバタ臭さもこの際許可!

次回、鶴ヶ城開城まであと1回あるようです;;
そして次回も、亡くなる人が
いまだ会津戦争まっさかりの「八重の桜」です。

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会津まつり&八重アナザーストーリー速報!

6月頃から毎月月初にポスティングされる「会津まつり」のチラシが、今月も来ました♪
(チラシ写真は、クリックで拡大します)

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「お迎えする市民一人ひとりの表情から復調の兆しを感じ取ることができるようになりました」
とか
「まつりに参加される皆さんや観光客の皆さんを温かくお迎えし、良き思い出となりますよう、市民一丸となって会津まつりを盛り上げましょう!」
とか、「八重の桜」による地元の浮かれ具合が・・・じゃなくて喜び具合が文章のそこかしこから伺えます♪ はりきりすぎて「今回限りの「会津の偉人」クイズ!を掲載!」と、しつこいビックリマークをつけずにはいられないとゆう

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しっかしほんとに今年の藩公行列ははりきってますね~~~ 募集キャラ大幅増量!!
広沢とか秋月とか近藤勇とかe.t.c...土方はおそらく今年も日野市の方々が参加してくださるだろうし、斉藤一は会津新撰組同好会(だっけな??)の方々がやるから、今年はついに3人揃うわけですね
西郷千恵子と一子吉十郎もいるみたいです。なのに西郷頼母がいないな・・・放逐されっぱなしなのか、あるいはもしや、ピアノを弾きたいあの大御所が来るのか!?!?(余談ですが、県立博物館には大御所の直筆イラスト&サインが飾ってあります)
募集チームも1個増量。なんと京都見廻組が!
大河ドラマには出てこなかったのに会津まつりに出すとは、会津では人気あるんでしょうかね~?私も、ケータイ依存症でウザカワイイメールを送りまくる佐々木さんのことは大好きです(それ銀魂

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という感じで、今年はやたら気合が入ってる様子の藩公行列。
「これは観覧席で見たいかも!」と、チラシを見て会津バスに電話してみたら「全席完売」ですって
ええ~~チラシには「神明通り220席」って書いてあるのに、チラシ配られたの昨日あたりなのに、完売!?220枚!?!?ていうか、あの狭いアーケードに、どうやって220も椅子並べるのか、それも疑問
ちなみに、鶴ヶ城での出陣式の方は、更に早く完売したそうで。こ、今年の会津まつりは熱い やる方も気合入ってるけど、見る方も気合入れないと見れなくなりそう!?

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会津まつり前後は、他にもイベントいっぱい。
蒲生氏郷の墓前祭や、会津新撰組まつり、鶴ヶ城古武道祭なんてのもあるようです。今年の斉藤一墓前祭は混みそうだな~
(ちなみにこちらが「今回限りの「会津の偉人」クイズ!」です!「会津人であれば忘れてはならない女性」だそうです!すっかり忘れててすみませんという会津人多数な予感ですが
ん~これは、喜多方出身のあの人かしら~?正解すると抽選でグッズをもらえるそうなので、よろしければぜひご応募を♪)

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そうそう、こんな催しもあるみたいです↑
白虎隊ファンかつ体力のある方はぜひチャレンジしてみてください 私はご遠慮しますが(「八重の桜」みたいに、5秒でくぐり終わるんならいいんだけど)

そして!八重の桜ファンの方にはぜひお知らせしたいのがこちらのマンガ!!

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「エレガンスイブ」で連載中の、「八重~会津の花」です。
今回から篭城戦~夜襲となり、折りしも放映中の場面とぴったり同じ!
大河ドラマファンの方には、アナザーストーリーとして、ぜひ読んでみていただきたいです♪
作者の松尾しよりさんは、以前から会津を舞台にしたマンガも描いてらっしゃるくらい、会津をこよなく愛するマンガ家さんで、新島八重のことも、大河ドラマが決まる前からずっと「いつか描きたい」と思ってらっしゃった人物の1人だそう。
そのため、いわゆる「便乗本」とは一線を画した内容という読後感があります。また「おにぎりは男が食べるもの、女はかゆをいただきます」とか、南門だけは開けてあったとか、ほんのちょっとしたことにも史実が反映されていて(もちろん尚さんシーンなどフィクション部分も多々あります)、かわいらしい絵とは大違いの「硬派な内容」だと思います。
「でもこれが私たちの歴史だっぺ。会津の歴史だっぺよ」
という視点で描かれる「八重~会津の花」。どうぞ読んでみてくださいませ(できれば携帯からのアンケートもぜひ♪)

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八重の桜・第26話

八重の桜・第26話の感想です。
今回は、基本ドラマであんま泣けない私も涙涙の回でした 特に、西郷一族、白虎隊、土佐&神保、この3つの「死に方」がもう;;

まずは、ついに鶴ヶ城に入った八重!
「女だてらに・・・」と女たちからもイヤミを言われる八重に対し、現れた照姫様は毅然と励ましを。
「弟とともに・・・」これは照姫様の思いでもあったのでしょうね。
ほんとに、いつ何がどうなるかなんて、誰にもわからないですね。「時尾さんに何かあったら、鉄砲かついでお城に行くから」という遠い日の約束が、まさかこんな形で成ろうとは。

「私が指揮を取る!」
と、オニカンや神保父相手に、一歩も引かない八重。下手なヒロイン像だったらここでぶちこわしだったと思いますが、今までの丁寧な積み重ねがここで効いて、「男も女もない。これは会津すべての戦いだ」「会津はこの手で守る」という八重の演説も、上滑りせず、説得力あって、オニカンや神保が認める流れが自然に受け止められました。しかしこの思いは、ほとんど太平洋戦争末期と一緒ですね~
山田風太郎さん「戦中派虫けら日記」より、昭和19年11月11日。
「請う、見よ、後世の日本人、我らがたとえ世界史の流れの果てを明察するの力ありとも、なお戦わざるを得ず。日本が戦う以上、日本人は戦わざるを得ず。而して運命と正義があくまで戦うことを日本に命じたりと確信し、我らが笑ってこの信念に殉ぜしことを」

篭城戦に備え、ついに門がしめられた鶴ヶ城。ここでユキはタッチの差でお城に入れず。うちらがよく行く南側の門なら開いてたかもしれないのになあ。
ちなみに極めてどうでもいい話ですが、こないだ鶴ヶ城で「八重の桜」のプロジェクションマッピングが開催された時は、黒山の人だかりとなったお城の入り口に警備員さんが立ちふさがって「ええ~入れないの~!?」「すみませんもういっぱいで」と、まさにこんな感じの光景が繰り広げられてました

諏方神社では、情報錯綜により坂下へ向かう竹子たちが雪子さんと再会。ああ山鹿クリニックの裏手も、自刃の人でいっぱいだったのか。。。
今回は「天神橋」とか「甲賀口」とかほんとに知ってる地名が多くて 前回の猪苗代湖周辺の「あそこら辺か~いよいよ近づいてきたな」という地名ももかなりのゾワゾワでしたが、今回は「うわあそこ!?ヨーク行く時必ず通ってるんだけど」レベルの地名なので、臨場感もピークに 折りしも画面では、毎日見かける鶴ヶ城がいよいよボロボロになりつつあって、ああもう(家から見えるんですよ鶴ヶ城

そんな鶴ヶ城の中で、少年たちを率いて「んだら、行くべ!」と、スローモーションで駆け出す八重!!!
「待ってました!!!」と画面に向かって声をかけたくなる心地がしました。

終わりの方では、無事尚さんと合流しましたね♪
「やはり来ましたね」の尚さんの言葉がうれしく、愛しい人との再会じゃなく「頼もしい戦友」との再会を喜ぶかのようなクール八重さんの姿がうれしく。ここでヘタにスイーツになっちゃったら、一気に冷めますもん(そもそも、ダンナ=頼もしい戦友と思えるのは、なまじなスイーツより素敵な関係かもしれん) 大砲で崩した石垣から、並んで指揮を取る2人の姿は、よかったな~。悲しいことなのかもしれないけど、さんざん会津藩に感情移入して見ている側としては、やっぱり爽快感が。

しかしそのころ、田中土佐&神保父の家老2人は、「もはやここまで」。
ほとんど、「お前らが頭カチカチだったから会津が今こんなことに」と言われる役回りになってる2人ですが、しかしそうなのかなあ?土佐も「同じ死ぬなら、京都守護職を引き受ける時に死んで止めればよかった」と後悔していますが、やっぱしそれは結果論じゃないのかなあ。
これは現代も同じだと思います。例えばTPPとか、あるいはなんだ?尖閣とかそこら辺?もしかしたら「あの時アレをしないでおけば」と思うことに、何十年か後になる可能性は現代だってあるわけですが、それを今、正確に見据えることがどれくらいできているのか??非常に疑問です。そしてこういうことは、つまり「原因はもっと前にいくつもあって、しかし普通の人間がその時にそれを知りうるのは無理」っていうことは、古今東西普遍的なことで。人間が全知全能でない限り、努力とか叡智とか、そういうのでカバーできるようなもんでは決してなくて。
そもそも京都守護職だって、「国許が財政難になる」「余計なことに首つっこんで恨みを買うかも」くらいは当時だってわかったことだろうけど、まさかそれがこうした会津戦争になるなんて、はっきり言ってこのドラマをずっと見続けてきた後世の私だって、いまだにその因果関係に納得いきません。大政奉還だって錦の御旗だって、「一歩間違えればこっちの首が」と小堺具視が言っていたように綱渡りで、てことはまったく別な未来になる可能性だって、等しくあったわけで。
そこから「あの時ああしないでおけば」という教訓を引き出すとすれば、それは「結局すべては要領だ」とか「家訓とか義理とかにこだわらず、ひたすら自己保身を貫くべきだった」とかの、なんというか「処世術」しか出てこないのでは。もちろん処世術は大事ですけど、命をかけて郷土を守ろうとして、その結果学んだことがそれっていうのは。。。
なので神保父の「そんなのもういい。自分たちは会津のために戦って死んでゆく。それでいいじゃないか」という言葉にはぶんぶんうなずいてしまいました。そして「生まれ変わる時は、また会津で」の約束にもね。会津のために死んでも、また会津に生きようと約束し会えるほど会津を愛せた彼らは幸せですね(しかしそうじゃない人たちは一番救われない)。ここで今回3回目の涙ドバ

TVの流れと前後してしまいましたが、同日の西郷邸では、白装束の千恵子一族。今回1回目の涙腺崩壊シーンがここでした。
「恭順も聞き入れず会津を滅ぼそうとやってくる敵だけは許せない」という千恵さんの演説もぐっと来たけど、「今日は何をするの?」という子供のムジャキ爆弾にも泣かされたけど、「みんなで行くんだから、な~んにも怖くないからね」と言い聞かせる千恵さんを見たら・・・ああヤバい思い出すだけで涙が 子供はどんなに怖かったか、親はどんなに切なかったか。
城に入って敵を鉄砲でやっつけるのも戦いなら、「死んでもお前らには屈しない」という姿を敵に見せつけるのもまた戦い。白虎隊同様、これが千恵さんたちの戦い方だったと。

城外で自刃するのは「(おばあちゃんも言ってたように)貴重な兵糧を自分が減らすのは心苦しいから」「敵に捕まって生き恥をさらすよりは」等々、武家の女としての色んな矜持・理由があったと思いますが、根本にはこうした「死をもって抵抗する」という、敵に対する何よりも強い「拒否」を示すためだったのかもな~などと思ったり。特に西郷家の場合は、恭順(という、敵に従って生き延びましょうという)案を出して肩身が狭くなった西郷家代表・頼母さんをかばうために、「西郷家は決して、ヘタレだからそんなことを言ったわけじゃないんです。いざとなったら死ぬことも厭いません。ただ会津を思う一心だったのです」ということを、一族全員の死で現すために。千恵さんが言った「これが西郷家のお役目」って、たぶんそういう決意だったんだろうなと。

そういえば、たまたま一緒に見てたKKが「「なよ竹の」ってこの人だったんだ」と驚いてました。
KKが通ってた小学校は鶴ヶ城にほど近く、明治時代は女子校で、そのせいかこの「なよ竹の~」の歌は「大事なもの」として今でも伝わってるんですよね~

しかしまさか「敵か味方か」をやってくれるとは!相手役が板垣死すともになってるけどいいです、このシーンを思いがけずTVで見せてくれただけで。これってたぶん、戦中派の人とかには馴染み深いエピソードだったろうと思うので、自分でも一度見てみたかったんですよね~
「味方や」って思いっきり西国言葉で言ってるのにも泣ける;;この時の、「誰も入ってくるな」という死すとも、すなわち激烈な無言の抵抗を示して死んでいった人たちに対して、敵であっても「礼」を尽くそうとする死すともはよかった すみません、どうしても板垣って言うと頭の中で「死すとも」に変換されちゃって この死すともの思いは、個人的に、白虎隊への思いとリンクします。

というわけで、白虎隊です。今回2回目の涙腺決壊
戸の口原から洞穴経路で飯盛山にたどり着いた白虎隊士。
戸の口原って、猪苗代湖に泳ぎに行った時とかよ~く通る場所で、一度その古戦場にも行ったことがあるのですが(レポこちら)、歩くとけっこう距離あるんじゃないかと思います;;しかも普通の道じゃなく、水がドウドウと流れてる洞穴だし;;ほんと、よく飯盛山まで歩き着いたと思います、白虎隊。あんな傷だらけの、疲労困憊の身で。
「まだ城は落ちていない。城下に行って戦おう」という意見も出ますが、「そもそも城下まで行き着けるかどうか」そして「敵に捕まるのは恥の恥。日新館でもそう教わった」

「戦陣訓」キターーーですね。今じゃ考えられない価値観です。昭和19年7月5日・山田風太郎さんの日記より。
「サイパン!ああ、また玉砕ではないのか。将兵はとにかくとして、万余の在留邦人はどうなるのか。
---言うにしのびず、血涙の思いではあるが、しかし在留の老若男女は、やはりことごとく将兵とともに玉砕してもらいたい。外敵に侵された日本国土の最初の雛形として、虜囚となるより死を選ぶ日本人の教訓を、敵アメリカに示してもらいたい」

これは、山風さん自身が(年齢から言って兵隊にとられるから)自分の命も遠からず、と思っていたせいもあります。また7月12日の日記には
「他の住民はどうなってしまったのか。もはやサイパンの失陥は防ぎえないとしても、せめて残存の将兵や住民は救いえないものか?」
と、まるで逆な思いを書いていることからもわかるとおり、「戦陣訓」的な思いは確固として常にあったわけじゃなく、生と死に対する相反する思いが、当たり前ですけど1人の中に、ひいては日本人全体の中に、常にせめぎあって共存していたことが伺えます。で、「もっと戦おう」と「もはやこれまで」のせめぎあいの中で、針がぐっと片方に振れた瞬間が、飯盛山に訪れたんですね。そこで、先に死んでいく仲間たちを見たら・・・
この、針がぐっと振れた瞬間、立派に死んでいこうと決意する少年たち、及び死んでいく仲間たちを見て、自分だけ生き残ることはできないと自刃していく少年たちの姿が、とってもよくわかって、胸に来て、涙が出ました 「士中2番隊、お先に参ります!」と、全員でお城に向かって正座・拝礼するところはもう・・・伊東君はじめ、役者さんたちうますぎ!「白虎隊」ドラマって、ちゃんとしたのを見るのは実はこれが初めてなので、余計にぐっと来ました。 

やっぱりねえ、この白虎隊エピソードはほんとに「単なる悲劇」で、それ以上でもそれ以下でもないんですが。
「よくがんばった!!!」と、まずはねぎらってあげたくなっちゃうんですよね、まずは。
だって何にも悪いことしてない、ほんとに子供たち、がんばったと思いますもん。しかも勝ったとかで報われることなく、命まで犠牲にしたのに負けてしまったんですもん。負けた試合でも「最後までよく頑張った」と、拍手して迎えるじゃないですか。それと同じで、「負けたことが=自刃したことが素晴らしかった」なんてんじゃ全然なく、ただその敢闘ぶりを、まずは褒め称えてあげたいと。それが地元チームなら尚更です。
それが「美化」につながるというのもわかるし、そこから「命を犠牲にするのが尊いのだ」という思想が一人歩きするのもこわいし、「こんな子供すらそんな尊いことをして散っていったんだから、そりゃもう国を挙げて後に続こうではないか」って、シンボルのように使われる危険性も、重々わかってはいるつもりです。実際「白虎隊」とか「学徒出陣」とかは先の大戦で、まさにそういう「国民精神総動員」の働きも担ったわけで。
以前、陸自新発田駐屯地で「名誉の制帽」と題された、弾痕と血のついた帽子を見たことがあるんですよね。
その時まず最初に思ったのが「これを「名誉」と言っちゃうその思いが「国民精神総動員」「非国民呼ばわり」みたいな強制に行き着くんじゃないか」という不快感と、しかしその後にわきあがる「でもそれくらい言ってあげないと、死んだ人が報われない」という同情でした。やっぱり、その人が「国のために」と、進んであるいは泣く泣く、しかし明らかに犠牲になったなら、その帽子を普通の帽子扱いにはできないのはもう人情。「無駄死にだったね」なんてとっても言う気になれません。やっぱり、礼を尽くして、頭を下げたい気持ちになってしまいます。そうちょうど、西国言葉しか言えなくても「味方や」と答えずにいられず、「入ったらいかん」と死者の尊厳を守らずにいられなかった死すとものように。
そしてそれは、命を捨てることの根源的な恐怖、「自己犠牲」なんてそうそう「有り難い」ということが、根っこにあるからこそであって。

当たり前のことですけど、「命を捨てるのなんて簡単だ」じゃなく、「命を捨てるのが怖い」という気持ちがあるからこそ、自己犠牲がものすごく意味を持つんですよね。
そして人間世界はそういうふうに、同じ理由から真逆の結論に行き着くこともわりと普通で。同じ物が同じ理由で「だから好き」「だから嫌なのよ」になったりとかね。例えば「死人に口なし」と言われたら「だからうかつなことは言うのやめよう」と「だからあることないこと言ってもOK」と、まるで正反対の受け止め方したりね。核兵器なんてのもまさにそうで、その恐ろしさを知っているからこそ、「だからこそなくそう」という人と、「だからこそ持とう」という人に分かれるんですよね。どちらも、原爆による惨状は同じくらい知っていて、それを「ヤだな」と思う気持ちも同程度で、つまり同じものを同じように見ているのに、そこから先の結論だけが違うという。いや結論も、もしかしたら同じかもしれないんですよね。「自分たちを守るため」という。戦争の恐ろしさを知っていて、戦争から身を守るという目的までももしかしたら同じで、つまり出発点も目的地も同じなのに、そのためにどうするかという手段だけが違う。「八重の桜」でも散々描かれてきた対立ですけど・・・ん~~どうしてそうなる?もしかしたら、同じものを裏と表から見ているとか??てことはその見方の違いは、見る人間の着眼点の違い、すなわち性質の違いであって、これはやっぱり、違うまま置いとかなきゃだよなあ。全体主義で解決するのは違う。

なので、「美化」を恐れるあまり、「自己犠牲は尊い」という思想が肥大化するのを恐れるあまり、「単なる無駄死に。命をかけて何かを守るなんてナンセンス」と、すべてを根元=出発点から否定するのは、何か違う的な印象がぬぐえません。そうやって根っこを取り除いてできた世界は、果たしてパラダイスシティかい?相手の息の根を止めるつもりが、気づけば自分の根っこも枯れさせてないかい?同根の花かもしれないんだからさみたいな。いや私だって、自己犠牲とか進んでしたいとはあんまり思わないですが、それを推し進めた結果「自己犠牲なんて絶対したくないから、誰かがうまいこと犠牲になって助けてくれないかな~。そうしたらその犠牲は自業自得だから、こっちも別に気兼ねすることないし。こう思うのは別に恥ずかしいことじゃないよね、だって皆が本音じゃそう思ってるんでしょ」とかが当たり前に通用する世界になったら、それはそれでかなりの恐怖世界です。

断言しますが、こういう恐怖世界の住人には、会津のために死んでも、また会津に生まれ変わりたいという神保父の思いとか、「男も女もねえ。これは会津すべての戦いだ」と銃を取る八重の思いとかは、たぶんあんまり伝わらないんじゃないかと思います(←断言するといいつつこの腰の引けよう)。私も若い頃、かなりの恐怖世界の住人で、大切なのは自分だけ、その結果、自分も、周りも、自分の住む町も、あんまし好きと思えないという、痛々しい奴だったので
やっぱし年取って諦めついたからなのかなあ。それとも家族ができたり、3.11の後「朝敵」・・・じゃなくて「フクシマ」呼ばわりされてきたのを見たからなのかなあ。なんかこの頃、幕末会津とか太平洋戦争中の日本とかの、厭戦気分ではなく、「がんばろう戦争」な気持ちがわかるような気がしてしゃーないです。
いや「戦争」なんて絶対に肯定できませんよ。父ことじーちゃんの話や、山風さんの日記をチラと見聞きしただけでも、戦争、特に総力戦ともなると、あまりにも「国家権力」が強大になりすぎて「たまらんなあ」と思う部分多々だし、運命は誰にも平等に過酷で、てことは老人子供けが人病人、群れからはぐれた人、ツキから見放された人e.t.c.つまり「生物的な弱者」にはとりわけ、容赦ない運命が襲い掛かるし。そんな中では「誰にも等しく生きる権利が」だの「個人の自由を」だのは、「何それ食べ物?」状態です。もちろん助け合いなどの美しさなんかもあって、そんなご時勢だからその美しさは平時よりいっそう輝くけど、反対に、ギスギスしていがみ合って、いかに人を蹴落として生き残るか、そんな影の部分も、平時よりよっぽどあからさまに現れて、これまた「たまらんなあ」だし。
恐怖世界の住人だった頃は、こうした厭戦気分「のみ」がよーーくわかりました。しかし今「がんばろう戦争とかもわかる」なんて気になってる自分は、恐怖世界の住人だった頃より、この世の中は捨てたもんじゃない、人間って悪いもんじゃない、と思うことが多くなってるのも確かです。う~んやっぱし単に年取ったのかもしれん。

と思うにつけ、やっぱり白虎隊も二本松少年隊も、死ぬのが早すぎた、と痛切に思います。もっと年取って、当たり前の人生の喜怒哀楽をもっと経験して、この世にしがみついていなくてもいいんだって心境に自然と近づくまで・・・。なんだか気分は原発シニア隊です。いや自分がいざとなったらシニア隊のように志願できるかは、それこそ「その時どっちに針が振れるか」でしかないのですが。

話を戻して。
つまりは「白虎隊の美化」という言葉に、「その思想を根絶やしにするために白虎隊を否定したい」という感情が伺われて、それはどうかと。「敬うべき所はちゃんと敬って、あとは行き過ぎないようにしようよ、バランスを見極めようよ」って言いたい気持ちが個人的に出てきてる昨今なのですが。
しかしそう言いたいながらも、どこまでが「悼む」でどこからが「美化」になるのか、どこまでが「自発的」でどこからが「強制」なのか、その境目が自分でもわからないんですよね~渾然一体となってて。この「境目がわからない」っていうのがまさに「気づかず行き過ぎる」という状況を生むのだろうと思われるのですが。ああこれじゃ京都守護職を引き受けて以来ズルズルと会津戦争まで進んでしまった会津藩ではないですか

この「境目」を考える時、ちょっと関係するかもしれない、昭和19年6月30日の山風日記。
「軍人を見る目と、祖国を見る目が一致する必要はない。軍人を批判することが、日本を冷眼視することにはならない。愛国者は軍人のみではないことは知る人ぞ知るである。
それを故意に混同して煽り立てるのは新聞の一つの任務かもしれないが、一片の思慮もなくそれに煽り立てられて混同し、得々としたり、戦々兢々としているのは見苦しい。
さらにすすんで、祖国に絶望することが必ずしも非国民ではない。吉田の傾倒する浅野晃氏のごとき、自分は大嫌いである。二口目には万葉言葉を使用して、読んでいる方は冷や汗が出る。もちろん本人に言わせたら深刻な信念があるのだろうが、惜しむらくはもっと昔に言ってほしかった。
日本の前途に悲観的であったという点で彼が斥ける漱石や鴎外が、はたして彼より価値のない日本人であったかどうかは歴史が決定するであろう。どんなに漱石や鴎外が日本に絶望していたとしても、いやそれゆえにこそいっそう、自分たちは彼らに懐かしさとありがたさを感じ、また誇りに思うのである。
自分たちは神の子でも、悪魔の国の子でもない。日本の子である。アメリカ人がアメリカの国民であるように、日本の国民である。自分はその宿命に甘んずる。この観念以上に日本国民であるのは---特別製の非人類的な観念、神秘なるウヌボレを以て日本のカラにとじこもるのは、未来の日本にとって決して喜ぶべき現象ではない」

しかし、昭和19年にここまで冷静に考えられた人が、同時に上で紹介したような激情も抱いていたというのは、しみじみとおそろしく、しかしちょっと理解できる感じもあって、それがまたおそろしい気がします。

昭和20年3月10日、一夜にして廃墟となった東京の惨状を見て「---こうまでしたか、奴ら!」と記した山田青年の言葉を、昭和60年の解説で
「この怒りが嘘だとは思わない。しかし「---こうまでしたか、奴ら!」と怒る彼には、まだ帰って寝る場所はある。余裕のある人間の怒りはまだ「正義」だ。どこか言葉が空々しい」
と看破した橋本治さんは、昭和20年12月24日の日記
「敗戦して、自由の時代が来た、と狂喜しているいわゆる文化人たちは、彼らがなんと理屈をこねようと、本人は「死なずにすんだ」という極めて単純な歓喜に過ぎない」
を引いて
「私たちは40年間、その「単純な歓喜」の延長線上に生きているのである」
と言い切っています。

そして昭和20年12月31日、
「日本は亡国として存在す。我もまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず」
と〆た山田風太郎さんは、その「戦中派不戦日記」のあとがきでいわく。

「---そしてまた現在の自分を思うと、この日記中の自分は別人の如くである。昭和20年以前の「歳月と教育」の恐ろしさもさることながら、それ以後の「歳月と教育」の恐ろしさよ、日本人そのものが、あの当時は今の日本人とは別の日本人であったのだ。当時すでに、今とは違う逆上気味の私でさえ、戦争に対するものの見方は公平に見て私の周りとはやや違うことを自覚していた。今振り返って失笑ないし理解を絶するところは、他の人々にはもっと多量に存在していた。
しかし、それはほんとうに別の存在であるか。
私は今の自分を「世を忍ぶ仮の姿」のように思うことがしばしばある。そして日本人も、今の日本人が本当の姿なのか。また30年ほどたったら、今の日本人を浮薄で滑稽な、別の人種のように思うことにはならないか。いや見ようによっては、私も日本人も、過去、現在、未来、同じものではあるまいか。現に「傍観者」であった私にしても、現在の抜きがたい地上相への不信感は、天性があるにしても、この昭和20年のショックで植えつけられたと感ずることが多大である。
人は変わらない。そして、おそらく人間の引き起こすことも」

テーマ : 大河ドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ